映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

美しき小さな浜辺(1948年)

2022-04-30 | 【う】

作品情報⇒https://www.allcinema.net/cinema/90421


 ある雨の降る夜、浜辺の小さなホテルにやってきたピエール(ジェラール・フィリップ)。彼は、ホテルの女主人に、自分は学生で精神を病んで静養に来たと言う。そんな彼を、女主人の父親と思しき車いすの老人は凝視している。

 彼は食事もろくに取らないが、新聞記事を気にし、また、ある女性歌手のレコードをかけると過剰な反応を示した。ホテルの従業員であるマルテ(マドレーヌ・ロビンソン)がそんなピエールを気遣う。

 ホテルでは15歳の戦争孤児の少年が雑用係として雇われており、ピエールは、その少年がホテルの客の中年女と関係をもっているのを知る。

 ピエールはその孤児の少年にかつての自分を見出す。ピエール自身も孤児で、かつてこのホテルで働いた経験があるのだった……。

 
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 ジェラール・フィリップの出演作はいくつか見ているが、本作はタイトルも知らなかったのだけれど、TSUTAYAさんがオススメしてきてくれたので借りてみた次第。

 とにかく、終始雨が降っている。このホテルのある地域は雨が多い、ということらしいが、それにしても雨が降っていない時がない。四六時中降っていて、陰鬱そのもの。ここまで雨ばかりだと、気分的にもかなり落ち込みそうな気がする。

 そして、なぜかみんな外を歩くときに傘を差さないのね。ジェラール・フィリップ演ずるピエールもずぶ濡れであちこち歩いている。びしょ濡れのまま屋内に入って、着衣がびしょびしょのまま椅子に座ったりする。映画の内容以前に、そういうところが異様に気になってしまう。だって、あんな服着て部屋の中で普通に過ごすのってあり得なくない??ってね。

 割と序盤で、ピエールが女性歌手を殺したことが推測できる展開になっており、そういう意味では、サスペンス性は薄い。けれども、どうして彼がそんな罪を犯したのか、、、が徐々に明らかになって行くという構成になっていて、なかなか見せてくれる。

 ピエールがマルテと小屋で身を寄せ合って語り合うシーンがあって、ラブシーンが展開されるのかと思いきや、そうではなく、ピエールの鬱鬱とした心境が語られる。マルテに触れて、人肌のぬくもりを感じ、一瞬の安らぎを覚えるピエールの表情が何とも切ない。

 本作は、冒頭に「この映画は孤児を差別する意図ではない」といった趣旨のテロップが出るのだが、要するに、ピエールを始めとした戦争孤児たちの置かれた厳しさを静かに告発する映画なのだろう。制作年からいって、まだ戦争の影響が色濃かった時代だろうし、戦争孤児は社会問題でもあったと思われる。

 ピエールもかつてはこの陰鬱な場所でこき使われていたところ、女性歌手に拾われ、パリで燕としていい様に扱われていたというわけね。具体的に何があったのかは描かれていないが、堪りかねて女性歌手を手にかけてしまった、ということだろう。まあ、殺したくなる気持ちは分かる気がする。とはいえ、辛い思い出しかないこのホテルに、彼はどうしてやってきたのか、、、。ほかに行く所がなかったとはいえ、なぜこの場所、、、。

 終盤、孤児の少年に「自分も昔ここで働いていた……」と身の上話をして、少年を勇気づけようとするピエールだが、少年にはほとんど響いていなさそうだったのが、また哀しい。天涯孤独で誰からも尊重されないでいると、手を差し延べてくれようとする人に対してさえ不信感しか持てないのだよね。

 驚いたのはラストシーンで、“美しき浜辺”を、少年と関係を持っていた中年女夫婦が傘を差して歩いており立ち止まる。すると、カメラが一気に引き始め、カットなしで砂浜に跡もつかずに遠景まで引きの映像となる。今ならドローンで出来るだろうが、当時、一体どうやって撮影したのだろうか、、、と何度か見直してしまったけれど、当然、分からない。ネットで検索してみたけど、それに関する記述には行き当らなかった。

 本作は、ジェラール・フィリップ自らが資金集めまでしたという、彼の思い入れのある作品とのこと。彼の憂を帯びた表情はさすがの一言で、美しさがより哀切を増す。

 ストーリー的にはシンプルだけに、今リメイクしたら、誰が監督しても、誰が主演であっても、この雰囲気は絶対に出せないだろうな、、、と思う次第。

 

 

 

 

 

 

 

舞台はフランスのどの地方なのでしょうか?

 

 

 

 

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シンプルな情熱(2020年)

2022-04-29 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv73256/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 「去年の9月から何もせず、ある男性を待ち続けた」と追想するエレーヌ(レティシア・ドッシュ)。

 パリの大学で文学を教える彼女は、仕事もしたし、友だちと映画館へも行った。だが、彼と抱き合う以外のことは現実感がなく、何の意味もなかったのだ。

 彼の名前はアレクサンドル(セルゲイ・ポルーニン)、あるパーティで出会った、年下で既婚者のロシア人だ。友人のアニタ(キャロリーヌ・デュセイ)からは「のめり込まないで。いずれロシアに帰るのよ」と忠告されていたが、エレーヌには今の恋を生きることが全てだった。

 アレクサンドルからの電話をひたすら待ちわびるエレーヌであったが、彼から「次にいつ会えるかわからない、3週間フランスを離れる」と告げられる。彼の不在に耐えられなくなったエレーヌは、息子とフィレンツェへの旅に出る。

 そして、3週間後、アレクサンドルからの連絡を待つエレーヌのもとに、1本の電話が入るが…。

=====ここまで。

 セルゲイ・ポルーニンで話題になった映画。

 
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 いろいろ疲れておりまして、考えなくてもよい、なんかどーでもいい映画を見ようと思い、本作を選びました。……などと言っては、本作の関係者や、本作をお好きな方に怒られそうですが、誰が脱いだだの、誰が大胆なエロシーンやっただのが話題になる映画でロクなのがないのはお約束でございます。

 ……というわけで、本作もやっぱりそうでした、、、ごーん。


◆ポルーニンはセックス(の演技)しかしていない。

 想像はしていたけれど、ここまでとはね。ポルーニンが服を着ているシーンはごくわずかで、あとはほぼ裸体。もういいって、、、と途中で言いたくなったのは、私だけ、、、?

 そりゃ確かにイイ男で、バレエダンサーだけあってその身体も引き締まっており、肉体美。……でも、それだけだよね。演技らしい演技はしていない。セリフを喋っているシーンももちろんあるけど、上手いか下手かも分からないくらいに、下手そうではある。

 顔もイケメンというよりは、エキゾチックなイイ男、という感じかな。いかにもロシアっぽい冷たさがある。

 こんなことを言うと身も蓋もないけど、本作はポルーニン鑑賞映画であり、それ以上でもそれ以下でもないです。ストーリー的にも山なしオチなし。

 彼はどうやら将来的に俳優としても活躍したいらしく、本作もその足掛かりになれば良いと思っているんだろうな。でもなかなか厳しそうな予感。ほかの作品を見ていないので分からないけど、他のもほんのチョイ役みたいだしなぁ。

 バレエダンサーから役者、というと、スケールが違い過ぎるが、パッと思い浮かぶのは草刈民代だが、彼女の芝居はうぅむ、、、という感じだよなぁ。バレエも演技の一つだから、同じ表現者として、お芝居が上手くても不思議ではないはずなんだけど、、、。やはり、セリフを喋る、というのはハードルの高いものなんだろうな。ポルーニンも今後どうなるんですかね、俳優として。……あんまし興味ないけど。


◆セックス観の個人差

 上記あらすじには、エレーヌさんの「恋」とあるけど、私には、ただ発情していただけにしか見えなかった。

 エレーヌさんは言っている。ポルーニン演ずるアレクサンドルは「プーチン好きの頭空っぽ男」だと(いえ、もっとマイルドな言い回しでしたが、ぶっちゃけこういうことかと)。

 こういう話って、やはりその人のセックス観がものすごく感想に影響するよなぁ。私は、エレーヌさんみたいに、「こいつ頭空っぽだな」と思いながら、「でもセックスはサイコー」というふうに割り切れないので、全然エレーヌさんの心理が分からないのです。……というか、ちょっと羨ましい。そこまで何も考えずに素晴らしいと感じられるセックスに溺れられることが。

 いかに自分が頭でセックスしてきたか、、、ということを、こういう映画を見るたびに思い知らされて、なんだかなぁ、、、という気持ちになる。

 恋愛初期ってのは発情期なので、会えばセックスセックスセックス、、、という時期があるのは分かるけど。でも、私の場合は、相手との将来が絶対的にないと分かっていたり、相手のことを全人格的に好きだと思えなかったりした場合、セックスしたいと思えなかったなぁ。つまり、エレーヌさんみたいに、観念抜きでの恋愛を経験していないのだ。……というか、できなかったと言った方が近いのか。

 もちろん、ポルーニンみたいな超絶イイ男に出会ったことはないしね。イイ男なら何人か出会ったけど、私のセンサーは全然働かなかったのだ。……残念。

 そのうちの一人は、とあるサークル内随一のモテ男で、確かに話も面白いし、かなりのイケメンだし、背も高いし、頭も良いし、多趣味で全方面偏差値80くらいの人だった。一部の男子たちにやっかみ半分で「種蒔き〇〇」と呼ばれていたくらい、彼の毒牙にかかった女性は多かったらしい。……というか、女性の方から毒牙に嚙まれに行っていたみたいだった。

 ある夏、サークルで合宿があって、私はちょっと遅れて参加せざるを得なくなり、成り行きで種蒔きさんの車に乗せて行ってもらうことになった。差しではなく、もう一人種蒔きさんの同級生の男のR先輩も一緒だった。無事に合宿を終え、帰りも種蒔きさんの車にR先輩と共に乗せていただき東京まで戻って来た。で、その後、他の数人と一緒にゴハンを食べ、いざ帰宅しようという段になったとき、種蒔きさんが私に「家まで送るよ。乗っていけば?」と言ってくれた。けど、私は長時間運転して疲れている種蒔きさんに家まで遅らせるなど申し訳なさ過ぎると本気で思っていたので、頑なに断った。何度も「乗って行きなよ」と言ってくれたが、何度も断った。家も近かったしね。

 それからしばらく経って、ある日、種蒔きさんに「オレはあなたのアウトオブ眼中なんだね」と笑いながらサラッと言われ、???となったのだけど、その話を友人にしたところ「アンタ、ほんと鈍いねぇ」と呆れられたのだった。「送るよ」は「お誘い」だったんだ、と。げげっ、、、そーなの?? 友人曰く「あんなイイ男、一度くらい寝ておけば良かったのに!」だと。

 もし、あの時、種蒔きさんの車で送ってもらっていたら、私もエレーヌさんみたいな経験ができたんだろうか、、、?? 当時の私は、男としては全然魅力を感じていなかった種蒔きさんがいくら「乗って行きなよ」と言ってきても、微塵もお誘いだなんて思わなかったのである。むしろ、「この人はこんなふうに面倒見が良いから女が勘違いしちゃうんだろうなー、罪な男やなー」としか思っていなかった。友人にそう話したら「アンタは糠に釘女」と言われてしまった。

 つまるところ、種蒔きさんは、女だったら誰でも良かったんだ、と腑に落ちたけど、彼を巡って争っていた女性たちは、エレーヌさんみたいな体験をしたんですかね? 今となっては知る由もないけど。

 種蒔きさんは頭空っぽじゃなかったけど、やはり、どんだけイイ男でも頭空っぽクンは、私は嫌です。私にとってセックスとは頭でするものなので。相手が空っぽだったら哀しすぎるじゃないの。

 ……なんか、全然映画の感想から外れてしまいました。スミマセン。

 

 

 

 

 

 

 

ポルーニンはウクライナ生まれのプーチン熱烈支持者だそーです。

 

 

 

 

 

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ドラマの脚本、これでいいのか? ~NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』を見終えて~ ②

2022-04-18 | ドラマ

公式HP⇒https://www.nhk.or.jp/comecome/


その①のつづき


◆五十嵐、重要人物じゃなかったの??

 ヒロインにとって家族以外では最重要人物として描かれてきた文ちゃん、、、いや五十嵐。再登場後の扱われ方は、およそ最重要人物に見合わぬ描写の連続やった。トドメのバーでの2人のシーンは、全くの無駄シーンと言っても過言じゃないだろう。

 再登場後の展開は、さんざん、ひなたに気を持たせる演出をした挙句、他の女へのプロポーズ宣言っていう、、、。この究極の“無神経”さは、文ちゃんのツンデレと関係ないやん。ツンデレ=無神経、ではない。実際、文ちゃんは礼儀をわきまえた思いやりのある子やった。ひなたが結婚したがっているからと、夢を捨ててもひなたと一緒になることを選ぼうとした文ちゃんだ。

 彼の今までの長きにわたる描写は一体なんやったん? あんだけ尺をとって描いたキャラを、脚本的に“ポイ捨て”みたいに退場させるなんて。

 ネットで、このシーンの意図をプロデューサー氏が「ひなたが自分の現在地を確認して前を向いていく場面」と説明している記事を読んだ。記事執筆者の「五十嵐とひなたの関係はこんなふうに書く必要はあったのでしょうか」との問いに対して氏は「ひなたさんもここで過去の自分を見つめ、前に進んだのだと思います」として、次のように語っている。

「藤本有紀さんの台本を最初に読んだときはそういう思いを抱きました。が、改めて読み込んでいくうちに、この展開の必要性を感じました。(中略)ひなたさんもここで過去の自分を見つめ、前に進んだのだと思います。(中略)10年経ってようやくその落とし前をつけることができたのではないでしょうか。第22週は全編通して、焼けぼっくいに火がついたかのように見えますが、ひなたさんは終わった恋をもう一度始めたいというよりは、過去の思い出に浸ろうとしている自分と戦っている、そんな心情を描けたらと思いました。その結果、バーで「いまは仕事が楽しい」という言葉が出てきたのではないかと思います。”ハッピーな展開”の意味についても考えさせられる回でした」

 、、、何言ってるか分かんない。

 だったら、五十嵐を既婚者にして、ひなたと再会して間がない段階で「結婚したんだ」と報告するシーンをサラッと挟めば良かっただけでしょう。10年経ってりゃ、それも十分アリなんだから。演出まで総出で思わせぶりな展開にしたのは、視聴者をバカにしている(この点については後述)。

 ちなみに、文ちゃんとの別離後10年間のひなたは、“落とし前をつける”も何も、結婚資金に溜めていたお金を英会話学校のために使っていたし(ここでは全くモノにならなかったが)、その後英会話もマスターして仕事に打ち込むなど、前向きに描かれていた。

 百歩譲って氏の言うことを理解したとして、であれば、ひなたの10年間に落とし前をつけるため“だけ”に五十嵐を再登場させたってことになる

 私がこの脚本に衝撃を受け、その後怒りに転じたのは、この点だ。


◆これはドラマだ!!

 ネットでは、元カレがただの人生における通過人であることなど「リアルじゃフツーにあること」という趣旨の書き込みも散見されたが、これはドラマである。ドラマとリアルは、当たり前だが別物だ。まさしく「虚実皮膜論」である。

 ドラマ(映画でもだが)の脚本の鉄則として“無駄なセリフ・シーンは書いてはならない”というのがある。書き手は、どんな小さなセリフやシーンでも、必ずそれを書く意味を考えて書け、ということだ。レゾンデートルというやつですね。

 藤本さんのドラマは、まさに無駄のない脚本だと感じることが多かった。好き嫌いは別として、三谷幸喜の脚本も無駄がない。ものすごく計算されていることが終わってみれば分かるようになっている。私は三谷ドラマは苦手なのが多いが、それでも彼が脚本家として天才であることに異論はない。

 「カムカム」については、私の中では完成度では「ちりとてちん」には及ばないし、ところどころで??となる部分は結構あった。でも、どんなドラマもツッコミどころは必ずあって本作もその一つに過ぎない。良いドラマであることは間違いない。五十嵐の扱いを除いては。

 ひなたの人生を描いたドラマなのに、残念ながら、最終話のひなたの人物造形に五十嵐との時間はほぼ何の影響も与えていないオハナシになってしまっている。

 ひなたが英会話に集中するようになったのは、五十嵐との結婚資金をはたいて通った英会話スクールではなく、その何年も後、母親るいの実家で“平川先生の亡霊”に会ったから(??)であり、五十嵐との別れはひなたの一念発起に何の作用も及ぼしていない。

 また、ひなたが40歳を過ぎて米国留学し、起業してキャスティング・ディレクターになったのも、祖母のアニーこと安子がその仕事をしていて、安子の誘いがあった上でノウハウの伝授を受けたからである。ひなたが自発的に動いたわけではない。そして、ここにも五十嵐の影響は何もない。

 ドラマ最終盤、2025年のひなたは、NHKのディレクターからのオファーを受け、ラジオ英会話の講師を務めている。オファーを受けるか迷ったときに、彼女の背中を押したのは、当然、五十嵐ではなく、万年斬られ役の虚無蔵さんだ。そして、英会話講師を一緒に努めているのは、初恋のビリーであり、ラストシーンは、ビリーとの熟年の恋の予感、、、でエンドマークである。

 なにそれ、、、。五十嵐、どこ行った??


◆視聴者を信じていない制作陣

 このドラマはSNSも動員して、特に“ひなた編”に入ってからは、“伏線回収”をこれでもかと煽りまくり、ネタバレに過剰に神経質で、アニー=安子を明かすのを2週にわたって引き延ばすなど、必要以上に勿体つけた展開を見せた。これら全ては、制作側の実に独り善がりなプロモーションだ

 三谷幸喜や、同じく脚本家の大石静氏も言っているが、本当に面白いドラマはネタバレしていても面白いのである。

 結局、このドラマの制作陣は、視聴者の鑑賞能力を全く信じていない、ということだ。

 もっと言うと、視聴者をバカにしている印象さえ受ける。特に終盤、ドラマの本質は置き去りで、“ネタばらしの仕方”に躍起になる。この戦略で大いに盛り上がっているネット民たちもいたけれど、SNSで騒いでいるのは視聴者のごく一部だ。大方の視聴者が制作側の意図通りにドラマを鑑賞したかどうか、甚だ疑問である。

 制作陣は、もう少し冷静であっても良かった。本当に良いドラマは、ドラマだけで十分なのだから。余計なプロモーションなど、雑音になりかねない。

 脚本家としては、きちんと、ひなたの人生に五十嵐が存在意義を持っているように描くべきだろう。何度も言うが「ドラマ」なんだから。

 まるでエクスキューズのように、最終話の少し前(2022年の設定)で、五十嵐がハリウッドのアクション監督として雑誌に掲載されている、、、という形で登場する。それも、ほんの一瞬で、どんな活躍振りかはまるで分らない。

 後から、その雑誌が鮮明になった画像がTwitterで公開されたが、この文章を読むと、再登場後の五十嵐のイメージはまた変わる。やはり、文ちゃんだ。デイジーとの家族写真も載っているのはご愛敬。だから、既婚者として再登場させれば良かったのだよ、ホントに。

 ひなたがアメリカで自身の人生を切り開き、五十嵐が良きビジネスパートナーとなる過程のシーンを丁寧に積み上げてほしかった。アニーの正体を明かすのにあんなに尺をとる代わりに。ほんの数シーン入れるだけで、ゼンゼン違ったと思うのに。

 これが、藤本さん以外の人の脚本ならば、まあ、ショックも軽かったと思うのだが、、、。文ちゃんにガックシ&藤本さんにガックシ、、、とガックシ2倍だったのだ。

 もう、こんな思いはしたくないので、朝ドラは今後見ません。もともとほぼ見ていなかったのだから、元に戻るだけだが。

 長々グチを垂れ流し、失礼いたしました。


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◆おまけ

 俳優・本郷くんには何の罪もないので、再登場後のも含めてオフショット画像を貼っちゃおう。

 まずは、こちら。

2022年に雑誌に掲載された五十嵐 ~~ ブン・イガラシかく語りき ~~

 

 

五十嵐を演じた本郷くんのインタビュー ~~ 「視聴者の方からイヤなやつだと思われないように気をつけて演じ」ていたのにねぇ ~~

 

 

「ひなたと五十嵐」のオフショット ~~ まさかあんなオチが待っていたとは。どんな気持ちで演じていたのか、お2人。 ~~

 

 本郷くんは、クセのある役を多く演じているみたいだけど、彼にはエイドリアン・ブロディみたいな主演も張れる性格俳優になってもらいたいなぁ。今でも十分、主演を張れると思うが。少なくとも、今、大河で義経を演じているお方よりは、実力も存在感もあると思うヨ、私は。もう少し、筋肉付けた方が良いかも、だけど。細すぎるので。

 

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親愛なる同志たちへ(2020年)

2022-04-17 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv76704/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1962年6月1日、フルシチョフ政権下のソ連で物価高騰と食糧不足が蔓延していた。第二次世界大戦の最前線で看護師を務め、共産党市政委員会のメンバーであるリューダは、国中が貧しい中でも贅沢品を手に入れるなど、党の特権を使いながらも父と18歳の娘スヴェッカの3人で穏やかな生活を送っていた。

 そんな中、ソ連南西部ノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが勃発。生活の困窮にあえぐ労働者たちが、物価の高騰や給与カットに抗議の意思を表したのだ。

 この問題を重大視したモスクワのフルシチョフ政権は、スト鎮静化と情報遮断のために高官を現地に派遣する。そして翌2日、街の中心部に集まった約5000人のデモ隊や市民を狙った無差別銃撃事件が発生。リューダは、愛娘スヴェッカの身を案じ、凄まじい群衆パニックが巻き起こった広場を駆けずり回る。

 スヴェッカはどこにいるのか、すでに銃撃の犠牲者となって“処分”されてしまったのか。長らく忠誠を誓ってきた共産党への疑念に揺れるリューダが、必死の捜索の果てにたどり着いた真実とは……。

=====ここまで。

 アンドレイ・コンチャロフスキー監督作。コンチャロフスキーの弟、映画監督のニキータ・ミハルコフは熱烈プーチン支持者で、ウクライナでは逮捕状が出ているらしい。

 
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 制作は2年前だが、日本での公開が、こういうタイミングになるとはね、、、。このご時世で、ロシアものは何でもかんでも排除せよ、とか言っている人たちがいるみたいだけど、こういう時こそ、あの国のことをよく知るべきでしょ。

 ……と思って、劇場まで行ってまいりました。


◆期待ハズレ、、、がーん。

 ストーリー自体はいたってシンプルで、序盤はいささか退屈でさえあった。ストが起きて、デモ隊へ発砲された辺りから緊迫するものの、展開としては非常に単調、全体的には平板な印象を受けた。

 まず、画角がスタンダードサイズ(プログラムによると1.33:1とのことなので、微妙に違うみたいだが)で、さらにモノクロなのだが、これで過去の史実を扱う映画っぽい演出にはなっているが、そこに映っている画は割とフツーで、テレビドラマを見ている感覚に近かった。技術的なことは分からないけど、もう少しカメラワークとか何とかならなかったものか。

 とはいえ、細部の描写などは凝っていて、女性が後頭部に銃弾を受けて、その血が飛沫となる様は、明らかに心拍に応じて細かい血飛沫が窓ガラスに当たるなど、こだわりが伺える。

 けれども、肝心の展開が凡庸なので、私の気持ち的には、喰いつきが良くないまま終わってしまった感じだ。


◆リューダの人物造形が、、、

 ロシアものは結構面白く感じることが多いのだが、本作がこれほどピンと来なかったのは、主人公リューダの描き方にあると思う。

 彼女は、共産党員で、ゴリゴリの共産主義者でありながら、ストの現場で国家による国民の虐殺場面を目撃したことで、共産党への信頼が揺らぐわけで、それは本来ジレンマなどと言う甘っちょろいものではない。自身の足元が崩れていくアイデンティティの崩壊に直面しているはずなのだ。

 けれども、スクリーンの中の彼女は、スト現場で銃弾飛び交う中を娘を必死で探し回ったり、娘が殺され埋められたという場所で狂ったように地面を掘り返したりするシーンはあるものの、それは、母親としての葛藤にしか見えず、彼女自身の共産党への信奉が崩れていくこととは直截的には結びついていない。

 リューダの父親は、元コサックで、コサックの制服をいまだに着ている、隠れ反共産党という設定なんだが、強いて言えば、この父親とリューダが酒を飲みながら話すシーンが彼女の共産主義への揺らぎが垣間見えるくらいである。

 思うに、リューダのキャラ設定が甘かったのではないか。アイデンティティ崩壊を描くのであれば、母親<共産主義者、というキャラにした方が良かった。リューダは娘の身の危険を知ってからは、ほぼ母親全開なのだ。これでは、母と娘の物語になってしまい、ソ連の矛盾にまで切り込めないのは無理もない。


◆ロシアは偉大なり、、、ってか。

 KGBの描写も多いのだけど、あんまし必要性が感じられなかった。もっと言うと、ちょっと弁解がましく見えたというか。監督は、本当にこの虐殺事件を批判しようとして本作を撮っているのだろうか、とさえ思ったくらい。

 なので、本作を見終えて劇場を後にしたときの正直な感覚としては「消化不良」であった。感想も書けないかも知れないなぁ、、、とも思った、

 その数日後、新聞に本作の紹介と併せて、監督のインタビューが載っていたのを読んで、私の消化不良感の根っこを見た気がした。

 彼は現在のウクライナ情勢について質問され、こう答えている。

 「西欧と東欧の対立は何世紀にもわたる古い問題だ。西側のリベラルな哲学に誘惑されたウクライナ人に深い同情の念を抱いているが、彼らは東欧の人間で西欧の人間とは違う」「今起きているのはロシアとウクライナのコンフリクト(衝突、紛争)ではなく、ロシアと米国のコンフリクトだ。ウクライナ人はその犠牲者なのだ」

 あーー、そういうことね。

 同じ記事で、監督は本作について「自分が信じていた理想が崩れていく人間の悲劇を描きたかった」と語っているが、監督自身、ソ連に対して幻滅しながらもアイデンティティの崩壊にまでは至らなかったのだ、多分。でなければ、「東欧の人間」とか「西欧の人間」とかいう属性の仕分け方はしないだろう。そして、飽くまでも「VS アメリカ」であって、ロシアが帝国主義からソ連を経験しても脱し切れていないことに何の疑問も抱いていないのだ。イデオロギーは大したことではなく、偉大なロシアであることが監督自身のアイデンティティに厳然と根を下ろしているということだろう。

 道理で。だから、この映画はこういう作品になったのね、、、と、私的にはかなり納得できてしまった。

 コンチャロフスキー監督作は『マリアの恋人』(1984)しか見たことがないが、結構良かった記憶がある(みんシネでも7点付けてるし)。ニキータ・ミハルコフ監督作だと『12人の怒れる男』(2007)だけだが、この方あの『黒い瞳』も撮っているのよね、、、。いずれ見たいと思っている映画の一つだけれど、プーチン万歳の人だと分かった上で見るというのもなかなかツラいものがあるなぁ。

 コンチャロフスキー監督は、あからさまなプーチン支持ではないものの、おそらく弟と断絶もしていないのだろう。

 ロシア人の80%がプーチン支持というニュースも眉唾だと思っていたけど、案外実態に近いのかもしれない、、、。

 

 

 

 

 

 

主演の女優ユリア・ビソツカヤさん('73年生まれ)は監督('37年生まれ)の妻だそうです。

 

 

 

 

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TITANE/チタン(2021年)

2022-04-16 | 【ち】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv75833/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 幼い頃に遭った交通事故が原因で、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込んで生きるアレクシアは、車に対して異常な執着心を持っており、やがて危険な衝動に駆られるようになっていた。

 犯罪を犯し行き場を失った彼女はある日、消防士のヴァンサンと出会う。息子が10年前に行方不明となり、孤独に暮しているヴァンサンに引き取られ、奇妙な生活を始めるアレクシアだったが、彼女は自らの身体に大きな秘密を隠していた。

=====ここまで。

 『RAW~少女のめざめ~』のジュリア・デュクルノー監督作。2021年カンヌのパルムドール受賞作。

 
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 さんざん前評判で“グロい”と聞いていたので、どーしよっかなぁ、、、とちょこっと悩んだのですが、何と言っても『RAW~少女のめざめ~』と同じ監督の作品なので、見たい気持ちが勝ってしまい、見に行ってまいりました。ぎょえ~~~。

 『RAW~』もそうだったけど、本作も、確かにグロいといえばグロいんだが、むしろ汚い、、、んだよね、見た目が。ヒロインの乳首や陰部から黒いオイルみたいなのが滴り落ちて来たり、ヒロインに殺される人が口から泡というか白い粘液みたいの吐いたり、、、という感じで。まあ、汚さでいえば『RAW~』の方が酷かったとは思うけど。

 ……というわけで、以下、ネタバレしておりますのでよろしくお願いします。


◆初めて劇場で途中退席しようかと思った。

 冒頭、少女のアレクシアが父親の運転する車の後部座席に乗っているシーンから本作は始まる。少女アレクシア、車のエンジン音みたいな唸り声を上げている。運転する父親が、その声をかき消そうと、音楽のボリュームを上げると、さらにアレクシアちゃんの唸り声もボリュームが上がる。ボリュームで叶わなくなると、今度はアレクシアちゃん、後部座席から父親の座る運転席を蹴りまくる。

 ……もう、この冒頭シーンだけで、本作は相当ヤバそうだという予想はつくわね。でも、その予想のはるか斜め上を行くヤバさが待っていた。

 いや、正直なところ、冒頭15分くらいで、もう見るの止めようかと思ったくらい。こんなの100分も続いたら到底耐えられん、、、と。実際、途中退出者が結構いるらしい。私が見た回では途中退出者はいなかったように思うが、いてもゼンゼン不思議じゃない。

 でも、グロいと言われるシーンは前半30分くらいに集中していて、あとはそれほどでも、、、。グロいというよりは、私の苦手な“痛い”シーンの連続で、正視できなかった。ヒロインのアレクシアは、髪をアップにしていて箸みたいなスティック状のものを髪留めにしているのだが、それが凶器になるのだ。それで、グサッ、グサッ、、、と刺しまくる。うげげぇ、、、、、、。

 まぁ、でも、そこは正視しなくても多分問題ないと思う。音はばっちり聞こえていたので想像はつくし。

 冒頭シーンの続き。少女アレクシアの行動がエスカレートしたことで、父親はハンドル操作を誤り事故を起こし、アレクシアちゃんは怪我をする。で、頭部にチタンを埋め込まれるんだが、この埋め込まれた部分がまた何とも言えない形状で不気味。

 その後、大人になったアレクシアは、モーターショーみたいな風俗店のダンサーをしていて、ド派手な車の上でセクシーダンスを踊っている。ストーカーみたいなファンに追いかけられた挙句、第一の殺人を犯すのだが、その後、自宅でシャワーを浴びていると外で物音がして、素っ裸のアレクシアはドアを開けてみる。……と、そこにはなぜか店のあのド派手な車が。

 ふらふらと吸い寄せられるように車に乗るアレクシア。……で、その車に強姦されるのである。

 この“車にレイプされるシーン”が、一歩間違えるとギャグ映画に成り下がりそうな、かなりぶっ飛んでいる映像だった。正直、ちょっと笑ってしまったくらい。

 その後も、アレクシアは行きずりの人たちを男女問わず殺しまくる。殺そうと思って殺すというのではなく、反射的に殺しちゃう、、、って感じかなぁ。……何で??という感じだが、彼女はある種の対人恐怖症なんじゃないかね。父親は明らかにネグレクトで、アレクシアを疎んじているし、母親はイマイチ存在感がないという描写で、親の愛情を受けていないのは明らか。なので、人との距離感をうまく取れないのだろう。

 そのお父さんはどうやら医者と思われる。体調がすぐれないアレクシアに、お母さんが「お父さんに診てもらいなさい」と言って、ネグレクト父さんがアレクシアの腹をさすったりして診るんだが、それもいかにも面倒くさそうに通り一遍で「なんともない」みたいな感じで、このネグレクト父さん自身も、対人関係構築が下手な人なんじゃないか。そんなんでよく医者やってるなぁ、、と思うが、仕事はまた別なのか。

 ともあれ、アレクシアは妊娠するのだ。


◆結局、最後まで見た!!

 殺人鬼アレクシアだけど、小細工はしないから、あっという間に公開手配される。

 顔がバレるとマズいってんで、アレクシア、公衆トイレで髪をジョキジョキ切った上、洗面台に顔を激突させて鼻骨を折って人相を変えるという荒業に出る。このシーンがまた痛いんだ、、、。でも、痛いシーンはこの後、ほぼ出てこなかった、、、、と思う(ほかにも正視できない“激痛シーン”があったけど、この顔激突シーンの前だったと思う)。

 で、息子が行方不明になったおじさんヴァンサンに、自分が行方不明の息子アドリアンだと名乗り出る。……この辺が、私には今一つピンと来ない展開だった。一人で生きていけないから、生きる手段としてそういう方法を選んだ、、、ということだろうが、うぅむ。

 まあ、でもそれはスルーするとして、このヴァンサンは、老いに抵抗してステロイドをしょっちゅう自分の尻に注射しているという、アレクシアと同類の身体改造派。

 恐らく、最初からアレクシアは自分の息子でないと気付いていたが、ヴァンサンもちょっと病んでいるので、彼女をアドリアンだと信じたいという気持ちから、互いに傷を舐め合うかのようにだんだん心を通わせていく、、、という展開になる。

 で、最終的にはアレクシアは、車との間にできた子供を産み落として死に、ヴァンサンがその子を取り上げるというシーンで終わる。生まれて来た赤ちゃんの背中は金属みたいな背骨があり、頭にもアレクシアと同じような不気味な金属埋め込み跡みたいなものがある。

 エンドロールが流れ出したとき、あー--、最後まで見たぞぉ、、、という感じだった。


◆終わってみれば、、、

 結構面白かったじゃん! と思ったのだった。もう一度見ようとは思わないが(少なくとも今は)。

 一見、奇想天外なストーリーだけど、実は普遍的なことを描いている。

 つまり、親の愛情を知らない女性が、対人関係をうまく築けず、同類の他人と出会うことで人に愛されることや人を愛することを知る、、、という。こう書くと陳腐だけど、それを陳腐に見せないところは、やはりこの監督の力量だろう。

 ヴァンサンにとっても、アレクシアと出会ったことで、長年の悪夢(息子が行方不明であること)から解放されたとも言える。途中、ヴァンサンの別れた妻が出てきて、彼女にアレクシアは妊婦の裸体を見られてしまうのだが、妻はあまり驚かない。つまり、ハナから、アレクシアが行方不明の我が息子だとは思っていないということで、自分の夫が病んでいることも分かっているのだろう。アレクシアの出現で、夫の心の闇が少しでも晴れるなら、それも良し、という感じなのだと思われる。

 本作はちょっと宗教色もあり、ヴァンサンは男ばっかしの消防署の部下たちに、アレクシアを紹介する際「オレはお前たちの神だ。その子はイエス・キリストだ」などと言う。ラストでアレクシアが産んだ子供を抱き上げているヴァンサンは、それこそ、自分を神だとでも思っているかのよう。

 思えば、アレクシアの妊娠も、処女懐胎、、、ともいえる。

 ネットレビューで、実はアレクシアは父親に性的虐待を受けており、車にレイプされ妊娠、というのは、父親の性的虐待のメタファーだと書いている方がいた。へぇー-と思った。私は、あの父親はネグレクトだと思って見ていたので。そういう見方もあるのね、、、と。

 確かに、車にレイプされて妊娠、、、なんて、リアルでは説明がつかないので、メタファーなのか。

 私はどちらかというと、ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』を連想していた。訳の分からないモノを妊娠しているという恐怖。自分の身体なのにコントロールができない怖ろしさ。パンフにも同映画に言及があって、やはりそういう連想をする人もいるのだ、、、と思った。

 パンフには、他にもギリシャ神話との関連について言及されていた。チタンはギリシャ神話に登場する巨神のことで、チタニウム(金属名)の語源だとか。

 ちなみに、本作には『RAW~』で主演していたギャランス・マリリエも出演している。アレクシアに乳首を嚙み切られた上に殺されちゃいますが。

 あと、私はヴァンサンを演じた、ヴァンサン・ランドンが苦手だったんだけど、本作ではあまりそういう感じはしなかった。しなかったけど、好感を持ったというわけでもない。

 ちょっとあまりにも内容が濃過ぎて、長くなってしまった、、、けれど、最後に1つだけ。

 本作はジェンダーの面からも論じられているようなんだが、確かに、性の境界が意図的に曖昧に描かれていると思う。アレクシアは身体は間違いなく女性だが、パッと見はどちらか分らない中性的だ。女性そのものの身体も、テープでぐるぐる巻きにして性を分からなくしている。アレクシアが女性と分かっても、ヴァンサンは「お前はオレの息子だ!」と彼女に言う。とにかく、ボーダーレスである。

 今後、こういうボーダーレスな描かれ方は増えるだろうし、それは全然かまわないが、セクシャリティを否定しがちな昨今の風潮も、正直なところいかがなものかと思っている。男と女の異性愛をメロドラマとして描く作品も、私は見たいと思う。多様化というのなら、あらゆる選択肢が提供されていいはずで、特定のジャンルを否定したり排除したりすることにならないことを願う。

 

 

 

 

 


見る人を選ぶ、、、とは思うが、面白いです。

 

 

 

 

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ドラマの脚本、これでいいのか? ~NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』を見終えて~ ①

2022-04-14 | ドラマ

公式HP⇒https://www.nhk.or.jp/comecome/

 

 2021年11月1日から始まった、通称“朝ドラ”105作目(だそうです)の『カムカムエヴリバディ』(以下「カムカム」)が、先日4月8日に終わりました。脚本は、同じく朝ドラ『ちりとてちん』(2007後半)や大河ドラマ『平清盛』(2012)等を書いている藤本有紀さん。ドラマ好きなら、ほとんどの人は知っているお名前です。

 藤本さんは、私も好きな(というか尊敬する)脚本家のお一人で、『ちりとてちん』も数少ないちゃんと見た朝ドラの一つです。

 ……なんだけど、今回、その藤本さんの脚本に、ドラマ終盤で大変ガッカリし、最終話放映後数日経つ今も信じられない思いでいるのです。もちろん「カムカム」の展開に大いに疑問を抱く部分があったからです。

 尊敬していただけに、余計にガッカリ度が大きかったのかも知れません。私にとって「カムカム」は、ドラマの脚本の在り方について、根本的に考えさせられるドラマとなりました。

 このモヤモヤ感は到底収まりそうにないので、記事に書き留めておこうと思うに至りました。

 ちなみに、私は、五十嵐文四郎のファンなので、“文ちゃん”の良き画像をいっぱい貼ってしまいます。普段の記事ではほぼ画像は貼らないのですが、ドラマ内で貶められた五十嵐の汚名を雪ぐため、、、いえ、私の自己満足のために貼っております

~~以下「カムカム」好きな方、藤本さんのファンの方、等々、お読みにならない方が良いかもしれません。もちろん悪意はありませんが、人によってはただの“悪口”にしか思えないでしょうから。~~


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


◆「カムカム」にハマる

 朝ドラは、ほぼ見ていないが、ごくたまにツボる作品がある。

 「カムカム」も、初回から欠かさず見ていたわけではなく、2代目ヒロイン“るい編”の初期から見始めて、以後、毎日欠かさず(録画して)見るように。毎日見るようになったきっかけは、舞台が戦後の昭和で、ややレトロな雰囲気と、セット(美術)のセンスの良さ、深津絵里演ずるヒロイン・るいの心の声がすごく可愛かった、、、等々。そして、何と言っても、脚本が藤本さんだからこの先も見よう、という気になった。

 ……とはいえ、ハマったというほどではなく、録画したのを見てさっさと消去していたのだった。

 が。るいの娘が3代目ヒロインとなる“ひなた編”が2月に入って始まった直後から、まさに大ハマり。

 理由は簡単。ひなたの恋のお相手“五十嵐”がツボだったから。ツンデレに弱い私にとって、本郷奏多くん演ずる五十嵐文四郎は、どストライクなキャラ。それだけではなく、ひなたとの恋模様が実に“可愛かった”のだ。若いってええのぉ……(遠い目)と思いながら、五十嵐登場後、録画を消去することはなくなり、レコーダーのHDDにどんどん溜まって容量が減る減る、、、。

 

 

2人の出会いのシーン ~~ひなたの家(回転焼き屋)に焼き立ての回転焼きを“1個”買いに来た無愛想な男~~

 

 

条映映画村での2人 ~~回転焼きを買いに来たいけ好かない客は大部屋俳優・五十嵐だった。「オレはアラカンの50倍だ!」~~

 

 

なぜか一緒に映画を見に行く2人 ~~五十嵐が受けるオーディションを前に成り行きで昔の時代劇映画を見に行くことに~~

 

  

映画を見て怖気づく五十嵐 ~~あまりの凄い殺陣を見て「オレにあんな殺陣できるのかな」と弱音を吐く五十嵐に渇を入れるひなた~~

 

 

オーディションを明日に控える五十嵐に回転焼きを焼いてあげたいひなた ~~一生懸命焼く練習したんだけど言い出せなくて……~~

 

オーディションには受からなかったけど役をもらえた五十嵐 ~~「役名がある!セリフがある!!」「読み合わせ手伝う!毎日道場行くわ!」~~

 

 

稽古に集中できない五十嵐 ~~「毎日道場行くわ!」って言っていたひなたがゼンゼン来ない! ~~

 

 

やっと会えたひなたを抱きしめる五十嵐 ~~「何なんだよ、お前。毎日顔見せろ。寂しいだろ、ばか」 ~~

 

 こうして、2人は相思相愛になり、、、五十嵐が“文ちゃん”になり……

 

 

 さらには、ひなたとお別れしても、私は録画を消さなかった。消せなかった。

 

 

役をもらえぬままの文ちゃんはお化け屋敷で落ち武者に…… ~~「1秒でも長く文ちゃんと一緒にいたい!」「大部屋のままじゃダメなんだ」 ~~

 

 

文ちゃんは俳優を辞める決意を ~~「一緒に東京帰ってほしい。一番大事なのは叶わない夢なんかじゃなくひなたなんだ」~~
~~「アタシを夢を諦める言い訳にせんといて」「明るくてバカなひなたが大好きだ!でももう傷つきたくない。ひなたはオレには眩しすぎる」~~

 

 ……ここまでは良かったのに。悲しい別れだけど、これも人生、、、。そう思える展開だった。でも、きっと文ちゃんagainの日が来る!と確信していた。だって、これだけの尺をとって描いた、ヒロインにとって重要人物。ドラマの脚本として、これっきりはあり得ない。

 たとえ、この2人が結婚と言うありきたりな流れにならないにしても、互いにかけがえのない存在にならなければ、ここまで描いてきた意味がない。 


◆私、怒ってます 

 もちろん、文ちゃんagainの日は来た。けれども、再登場後の文ちゃんの描かれ方は、私にはまったく解せないものだった(再登場後の五十嵐の画像はありません)。

 ひなたと別れて約10年が経っているという設定。文ちゃんは、大部屋俳優を辞めて東京へ戻り、お父さんの会社で働いていたものの、2年でそこも辞めて渡米。ハリウッドで苦労しながらも、アジア人でアクションができる俳優ということでポジションを得、アクション監督のアシスタントとなっていた、、、。

 で、「サムライベースボール」なるハリウッド資本の映画を撮影するに当たり、文ちゃんは古巣の条映撮影所に米国側スタッフの一人として凱旋帰国したわけだ。そこで、ひなたと再会する。

 ……まぁ、この設定の是非は良い。そういうことも、そりゃあるだろう、という感じ。

 まず、2人が再会したのは、条映の道場なのだが、突然現れた文ちゃんに、ひなたは「え、もしかしてアクション監督って……?」と驚くのだが、そこで文ちゃんは「オレだよ。まぁ、正確にはアシスタントだけど」と答える。私は、この文ちゃんのセリフでいきなりカウンターを喰らった気分だった。

 だって、アシスタントでしょ? 監督じゃねーやん。何が「オレだよ」だよ。

 その後、アメリカへ渡った理由を自分語りする文ちゃん。「オヤジの会社は元々うまくいってて、、、(中略)もっと広い世界があるのに何やってるだろうって。自分がバカに思えた。だから2年で辞めてアメリカに行った」

 ひなたのことをゼンゼン聞こうとしない文ちゃん。この辺で、あり~?となったが、文ちゃんファンとしては脳内補正がまだ辛うじて効いていた。あんなボロボロの姿を最後に見せていたひなた相手に、頑張ってカッコつけてんだねー、、、ぇ?? と。

 その後、条映の道場で、日本人のオーディションを行うのだが、そこで殺陣を付ける監督アシスタントの文ちゃん、オーディションを受けに来た大部屋俳優さんに「緊張しないで、いつも通り!」とか上から目線のアドバイスをする。この辺で、私はかなり気持ち的に脱落していた。文ちゃん、こんな子やなかったはず、、、。10年の間に成長せんかったんかい!!と。

 極めつけは、退場シーン。オーディションも終わり、明日アメリカへ帰るという文ちゃんは、ひなたに「今夜2人で飲まないか?」と言って意味深な誘い方をする。珍しく化粧などして、着る服も迷っておめかししたひなたがバーに現れる。既に来ていた文ちゃんとカウンターに座って会話するのだが、、、。

 ここで、文ちゃん、「今のオレがあるのはひなたのおかげだよ。これで決心した! オレ、結婚するよ!」とひなたに正面切って宣言するのである。おそるおそる「誰と?」と聞くひなたに、文ちゃん、明るく「デイジーと!!!」(デイジーってのは、米国側スタッフの女性)

 ……マジで、ドリフのコントかと思いましたヨ、私は!!!!!

 このシーンが、五十嵐の実質的な最終シーンとなったのだ。これが退場シーンよ?? あり得ん。

 正直、この回を見た直後は、ショックで頭が真っ白に。……で、しばらくして、猛然と怒りが湧いて来た。ハッキリ言って、最終話が放映されて1週間経つ今も、怒りは続いております。もちろん、怒りの矛先は、五十嵐ではなく、脚本ですよ、脚本。

 

 

 その②につづく

 

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英雄の証明(2021年)

2022-04-10 | 【え】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv76228/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 イランの古都シラーズ。

 借金の罪で投獄され服役するラヒムは、婚約者が偶然、17枚の金貨を拾うという幸運に恵まれる。借金を返済すれば出所できるラヒムだったが、罪悪感に苛まれ、落とし主に金貨を返すことを決意。

 その善行がメディアで話題となり、ラヒムは“正直者の囚人”として英雄扱いされることに。

 ところが、SNSからある噂が広がり、状況は一変。父を信じる幼い息子までを巻き込む大事件へ発展していく。

=====ここまで。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 今や、巨匠の感さえあるアスガー・ファルハディ監督作。……といっても、私は『別離』も『セールスマン』も未見です。見たいなぁ、、、と思いながら劇場行きを逃し続けて、DVD鑑賞もいまだ果たせず、、、でありました。本作は時間の都合がついたので、劇場まで行ってまいりました。


◆それ犯罪じゃないの?

 そもそも論として、イランというお国では、拾ったものをしかるべき場所へ届ける制度がないのでせうか???(パンフにもその辺の言及はない)

 日本の場合は警察(交番)とか施設の管理者とかに届けるわけで、ラヒムさん(正確に言えば婚約者だけど)の行為は、横領(占有離脱物横領)という立派な犯罪になる。

 それはまあ別に良いのだけど、本作内でラヒムさんが金貨入りバッグを拾った事実を公表しようとしたのは、金貨が想像以下の金額でしか換金できないと分かったからであり、もし納得いく金額で換金出来たら、ラヒムさん、絶対公表しなかったと思うのだ(婚約者だってその気マンマンだったわけだから)。んで、公表すると決めたラヒムさん、自分で「金貨入りバッグ拾いました」なるチラシを作ってあちこちにベタベタ貼っている。こんなことしたら、そら悪意のある人が名乗り出てくるのは当然の成り行きだ。これがイランでの常識なのか、、、? 謎。

 ……という具合に、序盤の展開で私の頭の中には???が一杯浮かんでしまい、ラヒムさんイケメンだけど、なんだかなぁ、、、という感じであった。

 でも、それもこれもあれも、お国の違いということで頭の中では脇に置き、映画に集中することに。

 正直者として刑務所のイメージ戦略に利用され、さんざん持ち上げられた挙句、噂が噂を呼び、あっという間に叩き落される。どこにでもある光景が描かれる。

 ラヒムさんを全うな善人として描いているわけではなく、成り行きで話してしまったプライベートなこと、嘘ではないけど盛ってしまったエピソード、良からぬアドバイスに安易に乗ってしまったこと、、、これらがぜ~~んぶラヒムさんの立場を追い詰めるように作用してくる。……あーあ、、、という感じで話はどんどん進むのだが。

 私が、それでもやっぱり引っ掛かってしまったというか、解せなかったのは、金貨入りバッグの落とし主を名乗る女性を探し出せないからと、ラヒムさんは婚約者の女性を落とし主の替え玉として証人に仕立てちゃうんだが、それがこの事件の致命傷にならないこと。ここで、ちょっと着いていけなくなりました。

 証人を捏造って、私の感覚からすると“即アウト”なんだが、本作内では「それは嘘でした」で流されており、致命傷となったのはその後、ラヒムさんが金の貸主と取っ組み合いの喧嘩をして、その動画が拡散されたことなんだよね。このへんの仕組みが、私の中では、いくらお国柄の違いとは言え、ゼンゼン理解できず、気持ち的に脱落しました。

 司法制度の違いなので、本作の構成にケチをつけても仕方がないのだが、ラヒムさんの善行(?)を持ち上げて寄付を申し出たなんちゃら協会の人たちも、ラヒムさんが金の貸主と乱闘騒ぎを起こした(その動画が撮られちゃったからだろうけど)ことばかりあげつらってラヒムさんを責めるけど、私がその協会の人だったら、むしろ、乱闘騒ぎは(もちろん暴力だから許されることではないが)本人同士の問題に過ぎないことで、証人捏造はそもそも違法だし、人としてそっちの方がよっぽどモラルに反していて許し難い行為で憤りを覚える。いくら追い詰められたって、それをやっちゃったら、彼の行動全てが嘘になってしまう、ちゃぶ台返しだと思うのよね。でも、映画の中では軽~くスルーされて、もう何が何だか、、、。え、問題そこ??状態だった。


◆剽窃騒ぎ

 ファルハディ監督作品を初めて見たわけだが、ネットの感想を見ると、彼の信者みたいな人たちの絶賛レビューも結構ある。信者はそういうもんだから別に良いのだけど、私は本作について、前述のような引っ掛かりを差し引いても、さほどグッと来なかった。

 シナリオとしてはよく出来ていると思うけれど、いかんせん、ラヒムさんが(すみません)トロ過ぎて、あんまし可哀そうだと思えなかったのが致命的。

 見た後に知ったのだが、本作は盗作疑惑があるらしく(詳しくお知りになりたい方は検索してください)、その経緯がまた本作と被るのよね。盗作の告発もSNSで尾ひれ背びれが着いて大事になって行った様だし、現実に裁判沙汰になっている。まあ、経緯を読む限りは、盗作とまでは言えないかもだが、少なくとも「原案者」として名前をクレジットしなかったのは、監督側の明らかなミスだろう。こんな脇の甘いことで大丈夫か??と言いたくなる。

 アイデアは、誰が最初か、、、というのは判断が難しい場合ももちろんあるだろうが、今回、監督を告発したのは彼の元教え子だということで、その辺りはもっと慎重である必要はあっただろうね。ちょっと嫌だなと感じたのは、この元教え子を自身の事務所に呼び出して「自分の作品(元教え子が実習で制作した動画。you tubeでも見られます)の原案は監督に帰属する」との確認書に署名を要求したという話。慎重さをそういう風に発揮するなんてね。元教え子の名前をクレジットに入れるだけで済んだのに、陰湿だと感じる。

 ネット上の監督信者みたいな人たちは、盗作ではない!と主張しているが、実際盗作かどうかは私は知る由もなく、そんな疑いがあると知ったところで、本作に対する私の印象はほとんど変わらない。そんな根本的な問題でミソがつく時点で、監督は反省した方が良いとは思うケド。ラヒムさんと一緒で、疑いの眼差しで見られちゃうのは仕方ない、、、って皮肉だよね。剽窃ってのは、100回中99回やっていなくても、1回やったら、その他の99回もやったと疑われる、そういう性質のものなのだから。

 他のファルハディ監督作品も、見てみようと思う、、、けど、しばらく後かな。

  

 

 

 

 

 

 


ラヒム役の俳優さんは、元テニスプレーヤーだそうです。

 

 

 

 

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トッド・ソロンズの子犬物語(2015年)

2022-04-08 | 【と】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74944/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 アメリカ中をあちこち彷徨うことになる1匹のダックスフント。

 その旅の最初、病弱な子どもとその母親(ジュリー・デルピー)に引き取られるが、無邪気に問題ばかり起こし、たちまち多くの人々の手に渡ることに。

 崖っぷちに立たされた映画学校の講師兼脚本家(ダニー・デヴィート)、偏屈な老女(エレン・バースティン)、そして大人になってもいまだに自分のやりたいことが見つからないドーン・ウィーナー(グレタ・ガーウィグ)……。

 そんな飼い主たちは、ままならない人生を送りながらも、どこか妙なおかしみを抱えていた……。

=====ここまで。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 確か、某全国紙で誰かが紹介していた記事を読んで、レンタルリストに入れたのだと思われます(うっすら記憶にある)。が、記事の内容はまるで覚えていなかったので、予備知識はほぼゼロで見たと言って良いでしょう。

 ……子犬物語というタイトルから受けるほのぼのな印象と、実際の中身はかなり乖離しております。


◆ラストが、、、グェッ。。

 子犬物語、っていうけど、このダックスフントは子犬なのか? 成犬に見えたんだけど。小さい犬……なら「小犬」とするだろうしなぁ。原題は“WIENER-DOG”でただのダックスフントだわね。邦題をつける人、大丈夫か?

 ともあれ、本作のこの妙な空気感、最初はちょっと??となるが、すぐ慣れる。で、気付いたら、結構喰い付いて見ておりました、、、ごーん。

 犬は狂言回し的存在で、犬と出会う人たちの抱える問題が描かれる、というありがちな構成で、ほぼ4話のオムニバスと言っても良い。出てくる人たちがみんなクセのある人ばかりで、面白い、、、というと語弊があるが、目が離せない。

 4話、どの飼い主も印象的なんだけど、一番インパクト強かったのは、やっぱし4話目の老女ナナ(エレン・バースティン)かなぁ。彼女は末期がんで、このダックスフントにも“キャンサー”なんて名前をつけている。部屋の中でもでっかい真っ黒なサングラスをずーっとかけている。滅多に顔を見せない孫娘が来たと思えば、いかにもなアート系彼氏ファンタジー(彼氏の名前です)のために金をくれと。するとこのナナさん、めっちゃ不機嫌そうな顔しながら、金額空欄の小切手をホイと孫娘に渡しちゃう。

 そこからラストへがビックリな展開で。

~~以下、結末に触れています。~~

 金さえもらえれば後は、、、とばかりに去っていく孫娘とファンタジー。ナナさんは何を思うか、庭へ出てうたた寝すると、過去のあの時選択しなかった少女の姿をした自分が何人も現れる。ハッとして目が覚めたナナさん、キャンサーがいないことに気付き、サングラスを外して探し回るのだが、何とキャンサーは家から出て、前の通りを渡ろうとしているではないか! ナナさん、慌てて追いかけようとしたところへ、トラックが走ってきて容赦なくキャンサーを、、、。

 もろ、映るんですよ、その瞬間が。しかもその後も2台くらい轢かれちゃう。いやぁ、、、ギョッとした。

 さらに驚きのオチがあるんだけど、まあ、書くのはやめておきます。人によっては、ちょっと悪趣味と受け止めるかも。私はあんまし、、、必要なオチではないような気がしたかな。言いたいことは分からなくもないけど。


◆何気に豪華キャスト。

 1話目に出てくる男の子の母親が、どっかで見たなぁ、、、と思ってよく見れば、なんとあのジュリー・デルピー。ええ~~!っていうくらい、どすこい体形になっていてビックリ。だって、これ撮ったとき、まだ40代半ばでしょ? ビノシュもだけど、フランスの女優さんは太るの平気なんですかね?

 彼女の演じたお母さんは、ダックスフントが病気になって悲しんでいる男の子に、慰めになっていない酷いことを優しく笑顔で言うという、、、そらねーだろ的な母親を演じている。

 2話目に出てくるちょっとヤバそうなお姉さんはグレタ・ガーウィグ。彼女が演じるドーンという女性は、ソロンズ監督の前作にも出てくるキャラみたいで、前作では死んだことになっているらしい。ヤク中の男ブランドンとのちょっとしたロードムービー風。ブランドンを演じているのがキーラン・カルキン。マコーレー・カルキンの弟たちも俳優だったとは知らんかった。

 3話目のおじさん、シュメルツの話もかなりブラック。1発屋の脚本家で、大学で教えている(多分非常勤)けど生徒たちには馬鹿にされている、、、という、なかなか見ていて辛いキャラ。脚本をエージェントに送っても相手にされず、挙句、仕事もクビを言い渡される。大学では、生徒たちが自分の悪口を言っているのを聞いてしまい、シュメルツさん、ブチ切れて、ダックスフントに爆弾巻き付けて大学に放つという暴挙に出る。

 ……てな感じで、どこが“子犬物語”やねん、というようなブラックなお話で、細かい部分の描写もイチイチ皮肉が効いている。ソロンズ監督作は初めて見るのだけど、これは確かにミニシアターでないと上映できない作品ばかり撮っているというのも頷ける。

 話が進むごとに、主役の年齢が上がっていき、ラストはワンコの轢死、、、という、生あるものの定めを描いている、ってことなのかしらね。

 まあ、あんまし心が弱っているときには見ない方が良いかも、、、だけど、私は嫌いじゃないです。

 

 

 

 

 

 

 


90分足らずの作品なのに、インターミッションがあります。

 

 

 

 

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ナイトメア・アリー(2021年)

2022-04-05 | 【な】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74944/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ショービジネスの世界での成功を夢見て町に降り立った野心家の青年スタン。その町では、人間とも獣ともつかない不思議な生物を出し物にする、華やかで奇妙なカーニバルが催されていた。

 スタンは読心術を習得し、才能と魅力を武器に一気にショービジネスの世界を駆け上がっていく。しかし、その先では彼の想像に反した栄光と闇が待ち受けていた。

=====ここまで。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 デル・トロ監督作品は、『パンズ・ラビリンス』(2006)以来だなぁ、、、と思って、彼の作品履歴を見たら、『クリムゾン・ピーク』(2015)以来でありました。オスカーをゲットした『シェイプ・オブ・ウォーター』は、ベトナムかインドへ行った際の飛行機で見ようとしてあっけなく挫折したので未見です。機内で集中力をもって映画を見ることができない性分なので、、、。

 本作は、ケイト・ブランシェットが出ているのと、スチール画像の雰囲気がエエわぁ~と思って、フラフラと見に行ってまいりました。

 ナイトメア・アリーっていうこのタイトルですが。私、恥をさらすようですが、“アリー”があのTVドラマ「アリーmy love」のアリーだと思ったら、綴りが違うのでありました。ドラマの方はAlly、こっちはAlley(=路地)。ひょ~~。

 ……ともあれ、デル・トロ作品なので、世界観というか、美術に大いに期待して見に行ったので、そこはほぼ裏切られませんでした。

~~以下、ネタバレバレです。~~


◆野心が過ぎて破滅する。

 ブラッドリー・クーパー演ずるスタン、冒頭から人を殺した直後のシーンで登場。誰を殺したのかは、終盤まで分からないけれど、とりあえず彼が“人殺し”である、という前提で話は幕を開けるわけだ。

 で、見世物小屋に辿り着いたスタンは、そこでおぞましい“獣人(ギーク)ショー”を見る。小屋のマネージャー(ウィレム・デフォー)に弱みを握られた男が“獣人”を演じて、生きた鶏の首に喰い付きその血を啜る、、、。観客は喜んで金を払い見物している。スタンは、あんなギークにだけはなりたくない、、、と思う。

 そこで、読心術師(?)のジーナ(トニ・コレット)から教えてもらった読心術を身に付け、端正なルックスとハッタリで世の注目を浴びるように。けれど、栄光は一瞬。ハッタリは所詮ハッタリであり、すぐにメッキは剝がれるのだ。

 メッキが剝がれたら、「あーあ、やっぱ剝がれちゃったな」と現実を受け入れて、目立たないようにちまちまイカサマショーをやってりゃいいものを、分不相応な野心を抱き、超えてはいけない一線を軽々と超えてしまう。こういうところが、人殺しをやっちまう人間の業の深さ、、、ってことなのだろうか。

 ショーのパートナーになったモリー(ルーニー・マーラ)と組んで、危険な大芝居を打とうとするが、もちろん呆気なく馬脚を現し、モリーにも見捨てられ、依頼主らを惨殺、逃亡する羽目に。……まあ、ある意味、当然の成り行きともいえる。

~~以下、結末に触れています。~~

 逃亡の途中で、別の見世物小屋を見かけたスタンは、そこで読心術ができることを売り込むが「そんなのはもう流行らない」と一旦は追い払われるが、主に呼び止められる。

 「やってもらいたいショーがある」……その内容を聞いたスタンは「やります!やります!」……で、ジ・エンド。ごーん、、、。


◆危うきに近寄らず、、、。

 勘のいい方ならお分かりだと思いますが、「あんなのだけにはなりたくない」と嫌悪感を催した“ギーク”に、スタンは笑みを浮かべてなったのでした。

 このオチは好みが分かれるところかと思うが、私もウゲゲ、、、となりながらもニヤリとしてしまい、面白く見た。スタンらしいオチではないか。スタンを演じたブラッドリー・クーパーは「ハッピーエンディング」とまで言っている。

 因果応報だとか言いたいわけではなく、これぞエンタメ映画だ、と思ったのだった。途中に描かれるスタンの極悪非道ぶりがあんまりにもあんまり、、、だったので、むしろ、そこまで行きついたか!とあっぱれな気分になる。

 ただまあ、そんなスタンに当然、共感する部分は全くなく、ただただ愚かしいと憐れみを感じてしまう。

 私は(自分で言うのもナンだけど)極めて常識人であり、小心者なので、こういう“転落が分かり切っている選択”を敢えてする人の心理がどうしても分からないのだ。リスクを負う勇気がないのよ。できるだけ安全パイを選ぶ。だから、スタンみたいな男とは、人生において出会うこともない。仮に出会っても、関わらずに、接点持つことなくすれ違うだけだろう。

 でも、危ない男が好きな人もいるのだよね。知人で、スタンとはスケールが違うが、山師みたいなのと付き合い始めて、挙句、脅されて結婚(?)し、別れたくても別れられない状況に追い込まれて警察沙汰になって、どうにかこうにか縁が切れた、、、という人がいて、信じられん思いで話を聞いていた。なぜそうなる???の連続だったけど、本作を見ながら思い出していたのは、その知人の話だった、、、。

 スクリーン越しに見ている分にはニヤリとしている余裕があるけど、リアルではまったくもって笑えない……どころか怖ろし過ぎる。


◆その他もろもろ

 豪華キャストなんだが、お目当てのケイト・ブランシェットは、イマイチ存在感がない、、、とまでは言わないが、あまり彼女の魅力を活かしきれていなかった気がする。そもそも、彼女が出てくるのは中盤、1時間くらい経ってたんじゃないかしらん。まだかな、まだかな、、、という感じだった。

 スタンを破滅に導く心理学者リリスを演じているのだが、彼女の患者たちは皆エリートや金持ちばかり。でも、リリス自身も闇を抱えていそうな(詳細は明かされないから分からない)キャラで、その謎めいた感じがケイト・ブランシェットにはピッタリだと思うのだが、あまりにもリリスのバックグラウンドが謎過ぎて、イマイチどんくらい怪しい人なのかが分からなかった。終盤、スタンと対立して、ようやく牙を剝くかのように見えるが、それも空振り気味。シナリオも演出ももう一つ、、、と言ったところか。

 ルーニー・マーラは高圧電流を流されるショーの女性なのだが、その感電している演技が怖い、、、。トニ・コレットも怪しいキャラ設定だけど、割とフツーで、デル・トロにしてはブランシェットといい、ちょっと??な演出のように感じた。

 ともあれ、本作は、とにかくブラッドリー・クーパーに尽きる。彼の素晴らしさが最初から最後まで全開。あんまし今まで興味なくて、彼の出演作は『運び屋』(2018)しか見ていないのだが、他の作品も見てみようと思った次第。

 デル・トロの醸し出す世界観は、本作でも期待通りだったけど、私の中では『パンズ・ラビリンス』を越えなかった。
 

 

 

 

 

 

 


タイロン・パワー主演『悪魔の往く町』が見たい!!

 

 

 

 

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1秒先の彼女(2020年)

2022-04-01 | 【い】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv72553/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 郵便局で働くシャオチーは、仕事も恋もパッとしないアラサー女子。何をするにもワンテンポ早い彼女は、写真撮影では必ず目を瞑ってしまい、映画を見て笑うタイミングも人より早い。

 そんな彼女がある日、思いを寄せるハンサムなダンス講師から、バレンタインのデートに誘われる。

 念願叶ったシャオチーだったが、目が覚めるとなぜかバレンタインの翌日に。約束の1日が消えてしまった……!? 秘密の鍵を握るのは、毎日郵便局に来ていた常にワンテンポ遅いバス運転手のグアタイらしい。

 消えた“1日”を探すシャオチーが、その先に見つけたものとは……。

=====ここまで。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 アカデミー賞、邦画の受賞ニュースも、現地じゃウィルのビンタ騒動で吹っ飛んでしまった様ですね。私はその瞬間の映像しか見ていないので、どの程度のジョーク(?)だったのか知りませんが、手を出した方が悪いになるのは当然でしょう。これでウィルが不問とされたら、鉄拳制裁が正当化されることになってしまう。そのジョークとやらを聞いていた人たちの反応はどーだったんですかね? 笑いが起きていたの? だとしたら、ジョーク自体よりそっちの方が罪が深い気がするわ。イジリって、ホント、悪質。一昔前の日本のバラエティ番組(最近のは見ていないので知らない)にはよくあったけど、ゼンゼン面白くなかったもんね。

 さて、、、。本作は、昨年の公開時に見に行きそびれ、ようやくDVDで見ました。

 ほぼ、事前情報はナシで、何となくビジュアル画像が可愛いな~、という程度で見たいと思ったのだけど、本作はアタリ!でした~。これから本作をご覧になるかも知れないという方々は、事前情報はない方が楽しめると思います。以下、ネタバレしておりますので、よろしくお願いいたします。


◆私のバレンタイン、どこいった……!?

 台湾では、バレンタインが夏、、、というか7月にあるらしい。七夕バレンタインだそうな。2月もやはりバレンタインらしいけれど、七夕バレンタインの方がメインイベントなのだそう。

 色恋に縁のない生活をしていたシャオチーにようやく“恋?”という相手・ウェンセンが現れる。七夕バレンタインを一緒に過ごそうと誘われ、ウキウキのシャオチーがかなり可愛い。

 このウェンセン、いかにも、、な怪しい軽そうな男。シャオチー、男見る目なさそう。デート中の話も「自分は身寄りがなくて、身寄りのない女の子の心臓移植費用を集めているんだけど足りないんだよ、どうしよう、、、」みたいなのだった。詐欺やろ、詐欺!! カネの話が出たら、逃げなさい、シャオチー! しかし、お人よしなシャオチーは、「じゃ、バレンタインの大会で優勝すれば賞金がもらえるよ!一緒に出よう!!」とかってなって、、、。はぁ??

 まあ、でも2人は盛り上がってラブラブっぽくなるので、それはそれでいっか、、、どうせこの後すぐに騙された!!ってなるんでしょ、、、とか思って見ていたら、想像の斜め上を行く展開に……。

 バレンタインの朝、シャオチーが目覚めると、、、、それはバレンタインの翌日の朝だった。。。。。は??なんじゃそら、、、ぽか~~ん。

 この、何でもワンテンポ早いシャオチーが1日を失い、何でもワンテンポ遅いグアタイは1日余分に得る、とかいう理屈は、理にかなっているのかどうか、私にはよー分からん。分からんが、まあ、一応そういう理屈があってのことなのね、ということで、とりあえず納得、良しとすることに(だって、そこで引っ掛かっていたら、置いてけぼりになってしまうんだもん)。

 このグアタイくん、ヤバい男と一途な男のボーダーくんだったのだ。


◆謎の1日を解明せよ。

 この謎の1日の間、シャオチーを含めてほとんどの人は時間が止まっている。時間が止まっている人たちは、動きも止まっている。だから、シャオチーも時間が止まった瞬間の姿のまま、固まっている、、、というわけだ。

 その、固まったシャオチーを、グアタイくん、バスで連れ回し、海辺で抱えてあれこれポーズさせて写真撮りまくり、最後は、シャオチーの自宅まで送り届けてベッドに横たえる、、、。これ、ヤバいでしょ。

 海辺で撮ったシャオチーの写真が現像されて、写真店のウィンドーに飾られているのを、シャオチー自身が見つけたことで、消えたバレンタインの謎が解明されていく、、、というわけ。

 詳細は敢えて書かないけど、実は、シャオチーとグアタイは、幼い頃に出会っていたのだった。私書箱を通じて、手紙のやり取りをしようと約束したのだけど、シャオチーはすぐに忘れてしまっていて、グアタイは律義に送り続けていた、、、。

 ……てなことが一つ一つ紐解かれていき、シャオチーもグアタイのことを思い出して、、、という具合に展開する。

 ラストは、ハッピーエンディングを予感させる終わり方。やはり、恋の話はこうでなくちゃね。

 謎解きのきっかけとして、シャオチーの部屋のクローゼットからオジサンみたいなヤモリが現れて、ある鍵を渡される、、、というエピソードがあるんだけど、これ、ピノキオのこおろぎを思い出してしまった。割と最近『ほんとうのピノッキオ』(2019)を見たからだけど。

 このエピソードに限らず、本作では、妄想だかリアルだかよく分かんないシーンが割とある。シャオチーのお父さんは10年前に失踪しているんだけど、時が止まっているときに、このお父さんは動いていて、グアタイと不思議な会話をする、、、とかね。

 でも、そういうエピソードも全部あちこちで繋がっていて、かなりよく練られたシナリオだと思う。しかも、これみよがしな謎ちりばめ系じゃなく、その辺の好感度も高し。

 ファンタジーというにはちょっとシビアな面もあるけど、シャオチーを演じたリー・ペイユーが可愛くて、見ていてほのぼのする。グアタイはちょっと変なので、好みが分かれるところだけど、ああいうのもアリだと思えれば、本作を楽しめるのでは。

 見て損はない、小粒で可愛いけどちょいピリリ映画です。
  

 

 

 

 

 

 

 


止まっているシーンの撮影はまんま実写で大変だったみたい、、、。

 

 

 

 

 

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