映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~アグラ(インド)その⑦~

2019-04-29 | 旅行記(海外)

**タージ・マハルの街**vol.2

 

関連映画:『その名にちなんで』(2006)

 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017)

 

 

その⑥につづき

  キツキツにサリーを着せられ、タージ・マハルでかなり歩いて、結構皆さんお疲れ気味。これを見越して、このタイミングでアーユルヴェーダをスケジューリングしたに違いない、などと女子ツアー参加者たちは癒やされる気満々でバスの中でも会話がアーユルヴェーダに集中。全員、オプションのシロダーラを希望していることからも、その期待の高さが分かる。

 

 このような所を抜けて、ランチのお店からバスで10分ほどすると、なんだか街外れの寂しい場所に。そして、アラームさんが「はい着きました~、皆さん、着きましたよ~」と言う。皆、……え、ここ??みたいに顔を見合わせながらバスを降りる。

 周りにはそれと思しきオシャレなとまではいわずとも、小綺麗そうな建物も見当たらず、……え、どこ?状態。が、アラームさんはスタスタと、空き地の隣に建つフツーの(ってインドでのフツーなのでご想像ください)建物に入っていくではないか。

 ……イヤな予感。

 促されるまま私たちも続くと、中は意外にもとてもキレイでホッとなる。階段で2階に上がり、そこで、ある部屋に通される。男性が机の向こうに座っているから、「ああ、ここでカウンセリングをこのおじさんがするのね……」と、きっと皆さん内心思ったはず。

 全員が座ると、その男の人は座ったままで、別の男性が入ってくる。さらによく見ると、壁から配線コードが剥き出しになっていたりする。……再びイヤな予感。

 入ってきた男性はいきなり言い訳を始める。「このお店はついこないだこの建物に移転してきたばかりで、今まだちょっと改装中」とか何とか。道理で配線が、、、。そして、間髪を入れずにシロダーラの集金。シロダーラは、60米ドルか、6千ルピーか、7千円かを現金払い。私は、家に米ドルが何故か一杯貯まっていたので念のため持ってきた米ドルで支払い。円で払うのが一番お得かな。……でもまあ、これは結局全額戻ってくることになるんだが。

 はい、じゃぁ、皆さん2人ずつどうぞ~、となって、え、、、カウンセリングは? あの机の向こうに座っているオジサンは何??

 

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 で、カウンセリングもなく1部屋2人ずつということで順番に施術部屋に案内される。私は、ガティマンエクスプレスでも隣になったカーマ爆買いお姉さんと同部屋に。

これが私たちの通された部屋(施術が終わってからめげずに撮影)

 

 部屋に入ると、手荷物をロッカーに入れて、針金に毛の生えたような鍵を掛けてくれるお姉さん。そして、微笑んでジェスチャーしながら“off, off”と繰り返して、紙製のパンツを渡してくる。……え、この仕切りも何もないところで脱げと?? 思わず、「え? here?」と言ってしまうが、お姉さんは微笑んでいるだけ。仕方がない、脱ぐか、、、。

 タンクトップとパンツになったところで戸惑っていると、お姉さん、今度は、“all, all”と言うではないの。マジか、、、。爆買いお姉さんは私の背後にいるからどうしているか見えなかったけど、それにしたって、他人様の前でまっぱになるのはちょっと、、、。がしかし、紙パンを渡されているということは、やっぱしall脱ぎ&紙パン履け、ってことだよなぁ、、、と思い直し、仕方がない、思い切って紙パン一丁になりましたよ。

 日本で何度もエステに行っているけど、施術を受ける際、必ずまっぱ姿が見えないようにお姉さんが考慮してくれる。うつ伏せから仰向けに姿勢を変えるときも、お姉さんから身体が見えないようにバスタオルで目隠ししてくれる。それがフツーだと思っていたし、それなりの金額をオプションでも払っているのだから、インドといえども日本と同じレベルのホスピタリティを期待していた私としては、まず、唖然とするような出だし。ひょ~~、でもまあ、要は施術よ施術、と自分に言い聞かせ、気を取り直す。

 が、そんな格好になってみると、この部屋、スゴイ寒い!! ってことに気付く。全身、さぶイボ。しかし、お姉さんはお構いなしに、ベッドの上をトントンとやって、ここへ寝ろという。日本のエステと同じくうつ伏せになろうとすると、違う違う、仰向けになれ、と身振りでダメ出しされる。え゛ーーー、仰向けかよ! しかも、タオルを掛けてくれるわけでもなく、まっぱの女性が2人、ベッドの上に、まな板の上の鯉状態。思わず「寒っ!!」と言ったら、爆買いお姉さんも「寒いですよね!」となって、ようやく毛布のようなものを掛けてもらう。

 そして、目を覆うように紐のようなものをぐるりと頭に巻かれて、ちょっときつめに縛られる。いやぁ、、、何だか全てがあり得ん、って感じなんだが、この期に及んで、私はまだ、「それでもきっと施術はサイコーに素晴らしくて気持ちよいに違いない」と自分に言い聞かせていたのであった、、、ごーーん。

 どうやら、最初にシロダーラをするため、仰向けにされたらしい。何やら頭の方でガタガタとお姉さんたちがやっていて、オイルを温めている様子。その間、まっぱに毛布だけで待たされる。、、、寒い。

 すると突然、真っ暗になる。え、、、これって、エステみたいに部屋を暗くしてくれたのかな? 音楽でも流れてくるのかしらん?? と思ったが、お姉さんたちが慌てている感じで、30秒くらいしたらパッと明るくなる。目隠しされていても明るさは分かるが、これは一体、、、? その後、もう一度、また真っ暗になったので、さすがにこれは 停電か、、、? と思ったが、よく分からなかった。

 そんなこんなでしばらくすると、ようやくオイルを額に垂らし始める。ううむ、、、何とも言えない感触だ。でもまあ、気持ち良いと言えなくもないのか??などと思っていると、お姉さんが「気持ちイイ?」と日本語で聞いてくる。仕方がないから「気持ちイイ」と答える私。他にどう答えろっての。

 ……がしかし!! しばらくすると、このオイルが熱くなってくる。マジでちょっとこれこのまんま続けたら火傷するだろ!!! くらいの熱さになってきて、さすがに「熱い!!」と文句を言ったら、お姉さん、片言の日本語で「熱い?」とか言って、中断。

 この辺りになってようやく、いかに察しの悪い私でも、これはヤバいかも、、、と思うようになっていた。どうして途中でオイルが熱くなるの??……嗚呼。

 温度を調節したオイルを再度額に垂らされて、垂らしたオイルは、髪を伝ってベッドの下で受け、それを温めて再利用する様だ。これを何度か繰り返す。途中、寒さに耐えられず再び「寒い!」と訴えたら、毛布をもう1枚掛けてくれる。2枚掛けてもらうと、どうにか暖かくなり、別にシロダーラが気持ちよかったわけじゃないが、多分疲れていたからか、ちょっとウトウトしてしまう。

 で、シロダーラが終わると、今度は、身体のマッサージ。まず、オイルで温めたストーンをトントンと身体に当てていく。この温かいストーンは気持ちよいのだが、何しろ部屋が寒いので毛布を剥がれて、正直言って、ゼンゼン気持ちよさを堪能できる気分じゃない。ストーンでオイルをのせた後、今度は手でマッサージ。ここでまた信じられないのだけど、お姉さんの手が冷たい!! あり得ん!!! でももう、文句を言う気力はなく、寒いわ冷たいわで、ただただ早く終わってくれ、、、という感じ。

 脚からマッサージをし、脚はまだ毛布をめくられても我慢できたけど、上半身はほとんど拷問に近い。こんな過酷なマッサージ初めてだわ、、、と思いながら、お姉さん、胸も下腹部も容赦なくマッサージしてくる。もういいって、、、と言いたくなる。

 そんな具合で背面もマッサージされ、一通りメニューが終わる。ああ、終わった、、、、とホッとなる。シャワー浴びて暖まろう! と思っていたら、お姉さんに着替えろと言われる。え、、、シャワー浴びさせてもらえるんじゃ? と思ったが、お姉さんたち片付けを始めている。爆買いお姉さんは黙々と着替えているし、これは着替えるしかないらしい。

 髪の毛も身体もオイルまみれで服を着て、部屋から出ると、他の人たちは皆もう施術が終わっていて、待っていた。そして皆、口々に「寒い!」と言っている。そうか、私たちだけじゃなかったんだ、、、、。そして、皆、これからシャワーを浴びる感じではない。このまま帰るの? と思っていたら、アラームさんに「はい、じゃあ、行きましょう!」と言われて、皆、すごすごとバスに乗り込むのであった、、、、ごーーーーん。

 

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 エステの店を後にして、バスで20分くらいだったろうか、ホテルへ到着。 

 またまたマリーゴールドのレイをホテルの方に掛けてもらい、ウェルカムドリンクを出される。ロビーでアラームさんたちがチェックインをしている間、私たちは隣のラウンジで待たされる。

 ここで、7人のおばさんたちから、一気にアーユルヴェーダへの不満が噴出する。聞けば、他の方々も皆、私たちの部屋と同様に寒くて、突然真っ暗になったのはやっぱり停電で、最初に言われていた施術後にはシャワーに入れるというのもナシで、一体どーなんってんだ?? ってことに。……ま、当たり前だよね。高いお金払ってんだから。

 もともとツアーに含まれていたアーユルヴェーダの料金に加え、オプションで7千円払っているわけで、トータル恐らく1万円くらいだろうと思われるが、およそ1万円の内容とは思えない。3千円でもいかがなものかという感じだ。とにかく、寒いのが最低。マッサージの上手い下手よりも、寒い部屋に冷たい手ってのがあり得ん!! カラミさんなど、施術の途中で中断してもらって靴下履いたとか……。おまけに、こんなオイルまみれで放り出されて、何なんだ一体!って感じだったかな。

 ある人が「これ、添乗員さんに言いませんか? 納得できないわ」と言い、皆、賛同。チェックインを終えて来たR子さんに率直なところを話す。R子さんもちゃんと話を聞いてくれ「とにかく会社に報告し、対応を考えますのでお時間ください」とのことだった。R子さんに文句を言ってもしょうがないけど、まあ、それも添乗員さんのお仕事だからしょうがいないよね。

 やっぱりこういう時に、海千山千の者たちは違うなぁ、と実感。若い女子集団だったら、ここまでちゃんと抗議できなかったんじゃないかしらん。イマドキの子たちはもっとしっかりしているか。いずれにせよ、社会で揉まれてきたおばさんたちは、たくましい。

 今夜は最後の夜だから、皆で揃って夕食を、ということで、1時間後にレストランに集合となった。ああ、とにかく早く部屋に行ってシャワー浴びたい!!!

 

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 ……と、ようやく辿り着いたホテルの部屋。なんだかえらくホッとする。1時間後の集合に間に合うよう、とにかく、シャワーシャワー。

 こちらのホテルは、前日までのホテルよりお湯の出が良くて嬉しい。オイルまみれの身体を洗って、ようやくサッパリする。

 1時間後、集合場所のロビーへ行くと、何と皆さん、まだオイルまみれのまま。スッピンで集合していたのは私だけだった、、、。皆さん、さすが。人前にスッピンでは出てこないんだ、ひょえーーー、、、とひたすら感心。あたしゃ我慢できんかった、すんません。

 ここで、ホテルのWi-Fiがつながらないと皆でまたまた文句を言い(結局最後までちゃんとつながらなかった)、半地下になっているレストランへ降りて行く。

 レストランはかなり広いけれど、なにしろホテルが大きいのでお客さんも多いらしく、えらく混んでいる。アラームさんが交渉して個室を確保してくれた。

 

 ビュッフェ形式だったけど、なぜか白いものばかりになってしまった。器に入っているのはグリーンカレーみたいなカレー。デザートの皿は、右側の黒っぽいのはブラウニーみたいなチョコケーキ(激甘)、左側のは、ゼリーとは違うちょっと歯ごたえのある固めの、超超激甘の氷菓子みたいの。一口でギブアップしました。

 隣がR子さんだったので、添乗員の裏話を色々聞けて楽しかった。このツアーの出発日の翌日、関東は大雪の予報だったのだけど、もし、大雪で飛行機が飛ばなかったらツアーはどうなるの? と聞いたら、欠航にならない限り飛ぶまで待って行きます、とのこと。ツアーキャンセルになることは、まあないらしい。ただ、台風とか、もう欠航が確実なときはツアーキャンセルになる場合もあるとか。……などなど、他にも笑えるエピソードも色々聞いて、アーユルヴェーダの悪夢もどこへやら。

 翌日の出発は8時半とゆっくりめだけど、部屋に戻って荷造りしてさっさとベッドへ。いよいよ、明日は最終日!

 

 

 

その⑧につづく

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ある少年の告白(2018年)

2019-04-28 | 【あ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66965/

 

以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)はアメリカの田舎町の牧師の父(ラッセル・クロウ)と母(ニコール・キッドマン)のひとり息子として愛情を受けて育ち、輝くような青春を送っていた。

 しかし思いがけない出来事をきっかけに、自分は男性が好きであることに気づく。ジャレッドは意を決してその事実を両親に告げるが、二人はその言葉を受け止めきれず、動揺する。

 父から連絡を受けた牧師仲間が続々と家を訪れ、助言をする。父は、「今のお前を認めることはできない。心の底から変わりたいと思うか?」とジャレッドに問う。悲しげな母の顔を見たジャレッドは、決心して同意する。

 ジャレッドは母の運転する車で施設に向かう。治療内容はすべて内密にするなど細かな禁止事項が読み上げられ、部屋へと案内されると、白シャツの同じ服装の若者たちが弧を描くように椅子に座っていた……。

=====ここまで。

 今でもアメリカにあるというゲイ矯正施設のお話。

 

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 それほどそそられた訳じゃないのだけれど、何となく見に行って参りました。キリスト教って一体、、、。

 

◆親が受け容れる以外に道はない。

 “性の多様性を認めよう”という世界的潮流にある中で、アメリカでは、まだこのような施設が“神の教え”の名目下に残っているらしい。これまで、キリスト教の色々な蛮行を映画で見てきたので、本作を見ても正直なところ全く驚きはない。ましてや広大な田舎国家であるアメリカなら、さもありなんという感じ。

 数年前に松原國師著 『【図説】ホモセクシャルの世界史』(作品社)という本を購入したんだが(まだ全部は読んでいないけれど)、その本によれば、同性愛というのは、記録が残る範囲でメソポタミア文明の頃からあって、もう5000年の歴史を刻んできているという。つまりは、ほとんど人類の歴史と共にあると言ってもよいのでは? キリスト教なんかよりゼンゼン古い。日本でももちろんあって、“日本に同性愛はなかった”などとのたまうゴリゴリ保守の人々は一度この本を読んだ方がいいかも。古今東西の同性愛の記録が、絵や写真、図が満載で解説されていて、実に面白い本である。何せ600ページ以上もあって3センチくらいの厚みのある本だし、図も豊富なので、最初から丁寧に読むという感じでもなく、あちこち拾い読みしていてなかなか全編読破するに至っていないのだけれど。

 それにしても、同性愛はタブーだって聖書に書いてあるらしいんだけど、本当にキリスト自身はそう言ったんだろうか? 同性愛ではなくても、キリスト教ってのは性欲というか、性的悦楽をタブー視しているけど、キリストもそう言っているの? セックスは繁殖のためだけに快感を伴わずにやれと?

 まあ、その辺がよく分からなくても、牧師である父親が、息子の同性愛告白を受け容れられないのはよく分かる。生理的に受け容れられないのもあるだろうし、自分の保身から受け容れること=自身の破滅、という思考回路が働くってのもあるだろう。

 しかし、本作は根本的には、親が自身の理想から外れた我が子とどう向き合うか、という非常に普遍的なテーマを扱っている。だから、同性愛とか、信仰とか、それらはあくまでも副次的なものであり、本作の本質を見れば、息子ジャレッドの行動と、母親の変化、父親の苦悩というのは、信仰を持たない人間であっても共感できる。

 だから、見た目の素材に囚われることなく、多くの子を持つ親にとって、本作は見るに値する映画だと思う。そして、“自身の理想から外れた我が子とどう向き合うか”という問いに対する答えは、ただ一つなのだということに行きつくはずだ。その答えは、本作の終盤 「自分の信念でお前(ジャレッド)を失うことになるかも知れないが、それは嫌だ」という父親に対し、ジャレッドが言っている。

「僕を失いたくないなんてウソだ。僕を変えることは出来ない。僕を失いたくなければ、父さんは僕を受け容れるしかない、僕が同性愛者であることを受け容れるべきだ。それが出来ないならもうこれっきりだ。父さんは僕を失うんだ」(セリフ正確じゃありません)

 若いのに、ジャレッドはここまでちゃんと親に対してモノを言えて、本当に素晴らしい。この言葉を言うのはとても勇気がいるはず。でも彼はそれをちゃんとやり遂げ、父親の目を少し開かせた。父親は、ここまで言われてようやく(不本意だったろうが)「(ジャレッドを受け入れるよう)努力するよ」と言ったのだ。

 ちなみに、私の母親は、私の人生を通して自分の人生のリベンジを果たそうとし、それを拒絶する私に対し「親とうまくやって行きたいのなら、親は変わらないから、子どもであるお前が変われ!」と面と向かって言ってきた。もう25年くらい前だけど。あの時の私に、ジャレッドの勇気のほんの10分の1でもあれば、、、。そして、母親は娘である私を現に失っている。実際、あの人は死ぬまで変わらないと思うが、変わるにもタイミングは大事で、ジャレッドがオッサンになってから父親が変わる宣言をしても、ジャレッドにしてみれば「何を今さら」になるだけで、むしろ溝が深くなる可能性もある。ジャレッドに二択を迫られた時点で「努力する」と曲がりなりにも言えた父親は、まだ望みがある。ただただ、父親が頑張るしかないのよ。

 

◆その他もろもろ

 父親を演じていたのはラッセル・クロウなのだけど、あまりの太り様に、最初彼だと分からなかった。顔もゼンゼン違うし、何より身体つきがあまりにも違い過ぎて、衝撃的だった。人間、こんなに太れるものなのか?? 一方の、母親役は、ニコ姐で、相変わらずの痩身。夫婦役で2人が一緒にいるシーンは、まさに、団子に串みたい。不釣り合いすぎる。

 本作の原作者ガラルド・コンリーの両親の画像が、エンドロールの前に出てくるのだが、実際の夫婦に確かにこの2人は似せているが、母親の方はもう少しふくよかだ。ニコ姐の細さはちょっと尋常じゃない感じで、もう少し太った方が良いんじゃないかね? 50代半ばであんまり痩せていると、貧相に見えるし。まあ、ビノシュみたいにどすこい体形になっちゃうのもいただけないけれど、、、。

 ジャレッドを同性愛に目覚めさせる(?)引き金になった“レイプ事件”のレイプ犯ヘンリーを演じていたのは、ジョー・アルウィン。『女王陛下のお気に入り』にもヘンな化粧して出ていたけど、こっちで見る方がはるかにイケメン。『ベロニカとの記憶』にも出ていたとは、、、。本作ではトンデモなゲス野郎だけど、その風貌から到底そんな風に見えないのに実は、、、、という役柄にピッタリ。ジャレッドをレイプするシーンは、地味だけど凄惨で、ちょっと正視に耐えない。しかも、コイツは常習犯で、被害者はジャレッドだけでないばかりか、自分の性癖を隠すためにさらにトンデモな行動に出るのだから、もうとことんゲス。そういう役を、こういう爽やかなイケメンがサラッと演じてしまうあたり、やっぱり日本のタレント役者とは根性が違う。こんな俳優がたくさんいるイギリス映画界が羨ましい。

 肝心のジャレッドを演じていたのは、最近よく見るルーカス・ヘッジズ。本作の予告編で、ジュリア・ロバーツとの共演作『ベン・イズ・バック』が流れて、何か本作と似たような雰囲気の作品らしく、こういう似た感じの作品で同じ出演者の予告編を流すってのは、いかがなもんかねぇ、、、と思ってしまった。別に悪くはないけど、若干興醒めな感じはするよなぁ、、、と感じたのは私だけかもね。本作ではほとんどルーカス君は笑わないんだけど、考えてみると、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『スリー・ビルボード』での彼も、ちょっと屈折した役だったし、あんまり彼の笑顔をスクリーンで見たことないかも。そのせいか、表情豊かというイメージがあまりないなぁ。演技は上手いのだろうけど、正直それもあんましよく分からない。本作では、彼より出番の少ないジョー・アルウィンの方がかなりインパクトは強い。まあ、でも若干22歳でキャリアも十分、今後の俳優人生も明るそう。

 矯正施設の責任者役&本作の監督を務めたジョエル・エドガートン、『ゼロ・ダーク・サーティ』しか出演作見たことないけど、一見普通で実はトンデモな施設責任者がなかなかハマっていた。監督2作目みたいだけど、監督の才能もかなり高いのでは?

 

 

 

 

 

見た目より普遍的なテーマを描いている映画です。

 

 

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私の20世紀(1989年)

2019-04-22 | 【わ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv15549/

 

以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1880年、アメリカ・メンローパークのエジソン研究所では、エジソンが発明した白熱電球のお披露目に沸き立っていた。時を同じくして、ハンガリー・ブダペストでは双子の姉妹が誕生した。リリ、ドーラと名付けられた双子は孤児となり路上でマッチ売りをしていた。クリスマスイブの夜、彼女たちは通りかかった二人の紳士に別々にもらわれていった。

 やがて時は流れ、1900年の大晦日、気弱な革命家となったリリと華麗な詐欺師となったドーラは偶然オリエント急行に乗り合わせた。リリは同志から渡された伝書鳩を大事に抱えながら、満員の車両で不安に過ごし、ドーラは食堂車で豪華な食事を楽しみ男達を弄んでいた。

 ブダペストで降りた双子は、世界中を飛び回る謎めいた男性Zと出会う。男性慣れしていないリリは図書館で目が合ったZに惹かれ、帰り道を共に歩き、動物園にデートへ出かける。一方、ドーラは豪華客船で一夜の遊び相手としてZに目をつける。Zは彼女たちを同一人物と思い込み二人に恋をするのだが…。

=====ここまで。

 昨年公開された『心と体と』(2017)の監督の長編デビュー作が4Kレストア版として公開。

 

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 『心と体と』は結構面白かったので、その監督の長編デビュー作というのなら、ちょっと見てみたいかも、、、と思い、予告編にも興味を引かれたので劇場まで行ってまいりました。

 

◆こちらは“同床異夢”の物語。

 これは、いろいろと博識の人が見れば面白いのかも知れないが、私のような無知蒙昧な人間が見ても、監督の意図するところの100分の1も理解できていない可能性が高い。それくらい、本作はメタファーに満ちている。何のメタファーなのかはハッキリ分からなくても、メタファーなんだろうことくらいはさすがに分かる。 

 何と言っても、主役の美人双子姉妹。孤児だった二人は別々に成長し、方や詐欺師、方や活動家と、同じ顔して同じDNAを持っている人間でありながら、対極のキャラ設定となっている。オリエント急行内で、詐欺師のドーラは一等車に、活動家のリリは三等車に乗っている。また、この姉妹が一人の男Zを共有し(という言い方もイヤな感じだが)、Zは二人を双子とは知らず同一人物と認識している。つまり、対極のキャラでありながら、融合してしまう。

 最終的に、Zは双子の姉妹と認識したかのように思えるが、その辺も曖昧な描写だから、本当のところは分からない。Zは奔放なドーラのつもりで、ウブなリリをレイプまがいに抱くのだが、これが別人だったと分かった(かも知れない)ところで、Zは何とも言えない戸惑いの表情を浮かべている。まあ、そらそーだよなぁ、、、。この、双子が1人の人間を共有するってのは、クローネンバーグの『戦慄の絆』や、オゾンの『2重螺旋の恋人』でもあった。本作はこの2作とは全然テイストは違うが、共有された人間の戸惑いや嫌悪感は、やはりZからも見て取れる。

 タイトルに“20世紀”とあるように、本作では、これから来る20世紀を迎える人々・社会を描いていて、それは一応、夢も希望もあるように描かれている。しかし、このZの戸惑いがある意味象徴的なんだと思うが、漠然とした不安も当然そこには潜んでいるはず。

 そしてこの姉妹が成長した後の話は、幼いリリとドーラがそれぞれに見た夢物語とも受け取れ、『心と体と』では、別々の所で眠る男女が同じ夢を見るという“異床同夢”の話だったが、本作はまさしく“同床異夢”の話とも言える。

 正直なところ、『心と体と』の方が、ストーリー的には何倍も分かりやすい。……というか、描写がストレートなので見ていて悩ますに済む。

 

◆動物がいっぱい

 この監督は、作品に動物を登場させるのがお好きなよう。『心と体と』では鹿が重要な役割を担っていたが、本作では動物が色々と出てくる。ロバ、犬、猿、豚、伝書鳩、、、。

 中でも、猿(というかオランウータン)は人間の言葉を喋る。しかも、結構そのシーンは唐突なので、ビックリする。何で自分がこんな檻に入れられるハメになったのかを、自分で説明し始めるのね。正直なところ、前後の脈絡は意味不明。

 また、重要なシーンではロバが出てくるのだが、ロバが出てくると姉妹は必ずいずこかへ導かれるようになっている。夢の世界であったり、不思議な鏡の世界であったり。ロバはハンガリーでは愚かの象徴らしいが、本作での扱いを見ると、決して愚かを表わしているようには思えない、、、。むしろ、未来を暗示する存在のように思ったのだけど。ロバを見ていて、そういえば、クストリッツァの映画でもロバが象徴的に出てくることがよくあったよなぁ、、、などと思い出していた。出番は多くないが、肝心なときに、なぜかそこにいるのがロバ。そして、本作と同じように、誰かを導いていくのだよね。

 個人的には、ロバは、“愚か”ではなくて、“哀しい”という印象。馬ほど力はなく、身体も大きくなく、なのにその小さな身体に見合わぬ荷物を背負わされて人間にこき使われている、、、、みたいなイメージ。童話に思いっきり影響を受けていますな、多分。本作では、“無垢”の象徴かという気もする。

 犬も、実験用の犬(パブロフの犬)だし、本作に出てくる動物はみな、人間に“利用されている”ものばかり。20世紀=人間のエゴ全開の時代の犠牲者たち、とでも言いたいのだろうか。少なくとも、あまりハッピーな感じはない。

 

◆ババア発言の先輩が出てくるゾ!

 あと、本作の特徴的なのは、ジェンダーについてフォーカスしていること。それも、かなりストレートな描写で、ちょっと驚いた。

 フェミニストの集会のシーンがあるんだけど、それに参加しているのは活動家のリリ。で、そこでオットー・ヴァイニンガーという実在の哲学者による講義がされるんだが、その内容が、もうまさしく女性蔑視・女性嫌悪全開なんである。このオットー・ヴァイニンガーはユダヤ人で、23歳の若さで拳銃自殺しているということだが、「性と性格」という本を著しており、今日では批判に対象となっているんだとか。彼の主張は、つまるところ、女なんてのは所詮“産む”ぐらいしか能がないんだ、ってこと。母親か娼婦か。だから、産まない女は娼婦やってろ、“産めない売れない”になった女はお役御免だ、、、ってこれ、大分前に、石原〇太郎がほざいていたことと同じだわね。

 Zがリリとドーラを同一人物と認識してキャラが融合してしまったように、女性像もそんな単純なものじゃないんだということを言いたいのは、非常に強く伝わってくる。リリがヴァイニンガーの講義を受けた後、工場の高い煙突(ペニスの象徴でしょ、多分)に上って行き、アジビラをまき散らすのとかね。

 まあ、マチズモってのは、21世紀の今も根強く残っていて、恐らく、22世紀にも残っているんじゃないかね、、、と私は思っている。最近では、だいぶ性の境界そのものが揺らいでいるので、案外早く解消できるのかも知れないが、グローバリゼーションと同じで、境界が曖昧になればなるほどアイデンティティがフォーカスされるという逆進が起きるものでもあり、マチズモに執着する男は少なくないだろうと見ている。女自身がそれを良しとしてしまっている部分もあるしね。今世紀残り80年くらいで変革できるとは、ちょっと思えない。

 ……とまあ、ほかにもあれこれ色んなことが盛りだくさんな内容の本作なんだけど、それをどれだけ理解できるかは、あなたの知識量に懸かっています。私にはこれくらいが精一杯でござんした、、、ごーん。

 

 

 

リリとドーラ(とその母親)を演じたドロタ・セグダが可愛い!

 

 

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ホフマニアダ ホフマンの物語(2018年)

2019-04-21 | 【ほ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67375/

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 今や作家、作曲家として大成したエルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンは、自分の人生と作品を振り返り、過ぎ去った日々を思い起こす。

 若い頃、ドイツの小さな町で裁判官見習いとして働き、質素な家の屋根裏部屋を借りて音楽家を目指していた日々。昼間は官庁で退屈な仕事をこなし、仕事の後は近所の居酒屋に足を運び、夜は芸術的な創作活動に熱中する。彼の目には、官庁の官僚たちが灰色で卑劣なネズミのように映っていた。まるで食べ過ぎで退屈な獣のような習性を持った心のない操り人形のように。

 そんな日々の中、突然、エルンストの目の前に開く空想世界アトランティス。そこでエルンストは、学生アンゼルムスに変身する。そんな彼を翻弄するのは、3人の若い女性たち。上流階級のヴェロニカ、無口で神秘的なオリンピア、そして美しいヘビ娘のゼルペンティーナ。どの女性も、それぞれアンゼルムスにとっては理想の姿を持っていた。

 アンゼルムスがニワトコの木の下で出会い、恋に落ちたヘビ娘は、若く美しいゼルペンティーナに変身する。だが、彼女の父親は現実社会では、枢密文書官サラマンダー・リントホルストだった。さらに、市場では年老いた魔女と出会い、砂男だと確信する父の友人の弁護士コッペリウスがエルンストの前に現れる……。

 上流社会の無関心、虚栄心の強い官僚たちの醜さ、偽物の美しさによる策略の罠と日々対峙するエルンスト。彼はそんな現実社会をアンゼルムスの純粋さと熱意によって切り抜けていくが……。

=====ここまで。

 あの『チェブラーシカ』のソユーズムリトフィルムによるパペットアニメ。制作に15年かかったとか、、、。

 

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 基本的にアニメはあんまり興味ないんだけど、なぜかパペットアニメは別。自分でも、なんで人形アニメになると俄然そそられるのか分からないけど、つい見てしまうのだよね。本作も、たまたまチラシで知って、上映期間が短いので、ヘロヘロな身体にむち打って(?)頑張って見に行って、大正解!

 

◆気が遠くなりそう、、、。

 現実と妄想(というか、ホフマンの小説)を行ったり来たりする幻想物語なので、不思議な感じがするけど、ストーリー的には破綻もなく、このジャンルにしては分かりやすい方だと思う。

 ホフマンが書いた物で日本でもよく知られているものといえば、バレエにもなっている「くるみ割人形」の原作、「くるみ割り人形とネズミの王様」ですかね。私は、ホフマンについては全くの無知なんでここで解説を書くつもりはさらさらなく、詳しく知りたい方は、公式HPをご覧いただきたい。

 いずれにしても、本作は、そのホフマンが書いた物をいくつか融合させた物語が、エルンストの妄想として視覚化されているという、二重構造になっている。

 3人の女性が出て来て、そのうちの1人ゼルペンティーナと永遠の愛を誓っておきながら、上流階級の娘ヴェロニカに恋をしたことで、なんとアンゼルムスは瓶に閉じ込められてしまうという、、、。何か、夢野久作の小説みたいだと思ってしまった。

 おまけに、もう1人の女性オリンピアは、なんと人形なのである。パペットが、実は人形だった!なんて、なんかギャグみたいというか、シュールというか、、、。でも見ている間はまるで違和感もなく。人形は人形でも、人間みたいに自由に動く人形なのよ。まあ、AIアンドロイドみたいなものかしらね。しかもこの人形娘をアンゼルムスと他の男と奪い合いになって、挙げ句人形が壊れるという、、、。壊れるときも、オリンピアは無表情でね。まあ、人形だから当たり前というわけね。

 ちなみに、上流階級の娘ヴェロニカは、あっさり成金男と結婚しちゃうんだけど、その男が、まんま“馬”なんだよね、顔が。そのあからさまな風刺が笑っちゃったんだけども、後でパンフを読んだら、これはホフマンの実体験であるらしい。彼が恋をした名家の令嬢が、下劣な男と結婚しちゃったのだとか。……なるほどねぇ、こうやって、モノ書きは現実の憂さ晴らしをペンでしているのだね。こんな絵に描いたような馬キャラにしてもらって、さぞやホフマンもあの世でほくそ笑んでいることでしょう。

 エルンストは、アンゼルムスに自分の夢や希望を投影することで、現実をどうにかやり過ごそうとしているわけだけど、それはそのまま、ホフマンが小説を書いて現実をやり過ごそうとしていたことなわけで、そういう意味では本作は三重構造でもある。

 つまりこの映画は、エルンスト(=ホフマン)の脳内にある想像や妄想の映像化を試みた、とも言える。そしてそれは、成功していると思う。現実と妄想の危うい融合は、パペットアニメだからこそ出来たことかも。

 まあ、ストーリーというか、内容的にはそういうことだけど、本作の見どころは、やっぱりそのアニメーションと世界観でしょう。公式HPにはメイキングの動画もあるが、これを見ると、もう気が遠くなりそう。そりゃ、15年かかるわ。

 本作の監督スタニスラフ・ソコロフは本作についてこう言っている。

 「現実の人生のネガティブな側面を創造のエネルギーに変えること、下品さには高い芸術性で対抗し、富や権力を得ることよりも偉大な別の目標を自覚することです」

 

◆カップリング上映された作品について。

 ところで、本作の上映前に、こちらも人形アニメなんだけど、『マイリトルゴート』という作品も併せて上映された。これは、東京芸大大学院の卒業制作らしいが、これがね、、、何とも言えない作品で、正直言ってドン引きしてしまった。本作を見る前に、なんとも鑑賞意欲を萎えさせるアニメだった。

 10分くらいの小品だが、内容がエグい。児童虐待、しかも、実父による性的虐待を描いており、かなりグロテスク。グリム童話『オオカミと7匹の子ヤギ』をモチーフにしていて、襲われた子ヤギたちのパペットの造形も不気味そのもの。私は、かなり不気味なものや、エグい・グロいものに免疫がある方だと自負しているが、これは少々受入れがたいものがあった。

 私の理解力不足なんだろうが、残念ながら制作の意図が分からなかった。別に、虐待を茶化すようなふざけた作品ではもちろんないが、これは実際に虐待経験を持つ被害者が見たら、どう思うのだろうかといささか懸念してしまう。

 オオカミと虐待者を重ねているのだけど、それってどうなのか。オオカミは、生きるために捕食するのであり、それと虐待者を重ねるのは、私にはどうにも抵抗がある。『オオカミと7匹の子ヤギ』のオオカミは悪者扱いだが、それとて、本を正せば弱肉強食の自然の摂理に基づく行動であり、本来する必要のない行動を相手の弱さにつけ込んでする虐待とは次元の違うものではないか? まあ、オオカミ(とキツネね)は童話の中では大抵“悪者”扱いされているから、そんなに深い意味はないのかも知れないけど。

 この作品は、いろいろな賞を受けていて、海外でも評価されているらしい。なんか、それもビックリだけど、……まぁ、私が考え過ぎなだけなんだね、多分。制作者の他の作品もネットに上がっていたので(1作品のみ)見てみたが、そちらもあまりピンと来なかった。相性の問題かしら。

 

 

 

15年の制作期間に納得。

 

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~アグラ(インド)その⑥~

2019-04-13 | 旅行記(海外)

**タージ・マハルの街**vol.1

 

関連映画:『その名にちなんで』(2006)

 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017)

 

 

その⑤につづき

 いよいよツアーのハイライト(?)、タージ・マハルへ。

 サリー屋さんでサリーに着替えてバスに乗り、10分くらいだったかでバスから降ろされる。「はい、ここから電気自動車に乗り換えていただきます」とアラームさん。

 

 排ガスでタージ・マハルが汚れないようにということらしい。何年か前に、タージ・マハルが黄ばんでしまったというニュースを新聞で読んだ記憶があるが、私たちが訪れる数日前に、修復作業が全て終わったんだそうな。修復作業を見るのも面白そうだから、終わる前でも良かったけど、折角ならキレイなタージ・マハルを見る方が良いのかしらん。

添乗員のR子さんも一緒に撮った全員の貴重な1枚

 

 このような、電気自動車というよりは、カートに乗り換えて、人並みを縫うように走り、入り口のすぐ近くまで移動。歩いても別に大して問題ない距離だったけど。

 

カートを降りて入り口へ歩いて向かう

 

チケット窓口(アラームさんが買いに行ってくれる)

 

 ここでもまた、フマユーン廟のときのようなコインを渡される。入り口では結構厳重なセキュリティチェックがある。大きい荷物は持っては入れないと事前に言われていたので、貴重品以外はバスに置いてきた。貴重品のみの手荷物も、一応調べられる。

赤いテントの奥の人が固まっているところでセキュリティチェックを受ける

 

 そしていよいよ見えてきたのが、メインゲート。

 

 上の方に並んでいる“ぎぼし”状のものは“チャトリ”というらしく、このアングルからでないと前後で22あるチャトリ全部は写せないよ! とアラームさんに言われ、頑張って撮影。辛うじて22コ、映っている。

メインゲート正面 

 

ゲート上部の象嵌細工

 

 そして、このメインゲートをくぐると、、、

 

 ジャーン! 現れたのは、あの麗しい姿のタージ・マハル。それにしても、すごい人、人、、、、。このゲートから廟までたどりつくのに(まぁ、写真撮ったり説明受けたりしながらだったからだけど)歩いて楽に30分はかかったと思う。

 

 廟に入る手前の所で足カバーを履いて、いざ中へ。中は一切撮影禁止。

 中は、しかし、狭いし割と素っ気なくて、象嵌細工がそこここにあって光を当てるとほのかに石が光るとか説明を受け、ものの数分でまた外へ出てくる。

 まぁ、とにかく美しい大理石の廟をご覧あれ。

 

 この塔のような高いのは、ミナレットというのだけど、実は垂直に建っていないのだ。よく見るとたしかに廟の反対側の方にほんの少しだけ傾いている。これは、地震などで倒れたりしたときに廟を壊さないためのものだと、アラームさんの説明有り。確か、前日のクトゥブ・ミナールでも同じような説明があった。ちなみに、ミナレットとは、礼拝告知用の塔。ミナレットを持つ霊廟は、このタージ・マハルが最初だと言われているらしい。

 ムガル王朝第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった王妃ムムターズ・マハルのために立てた廟。それにしても、なんとまあ巨大で麗しいお墓。正直なところ、大理石がこんなに美しいとは初めて知ってオドロキだった。ツヤがあって、美しい女性の肌のことを「大理石のような……」と例えるのを小説だか映画だかで見聞きしたことがあるように思うが、まあ、本当に冷たくて艶のある美しさにうっとりしてしまう。

 関連映画に挙げた『その名にちなんで』は、ジュンパ・ラヒリ著の同名小説が原作の映画で、原作がとても良かったので映画も見たのだが、原作にはないシーンが映画にはあって、その舞台がこのタージ・マハル。アメリカ育ちの主人公のゴーゴリが、両親の故国インドに来て、このタージ・マハルを訪れるというシーン。インドにあまり好感を抱けていない様子だったゴーゴリが、このタージ・マハルに強い感銘を受ける。原作にはやや及ばない映画だったけど、このタージ・マハルのシーンは非常に印象的だった。 

 

 

 

  とにかく、メインゲートをくぐって何だかんだで2時間近くはいたと思うのだけど、やはりサリーを着た東洋人が固まっているとちょっと目に付くのか、やたらと「写真撮らせて」という人が多く、撮影時間だけで半分くらいとられていたのでは? というくらい。

 勤続30年の休暇を利用していらしていたカラミさん(激辛が大好きな方だったので)が、「ターバンのイケメンと写真を撮りたい!!」とこの日の朝からバスの中で宣言されており、私たちも、行き交うターバンの男性を漏れなくチェック。「あ、あの人、イケメンじゃない!?」とか、おばさん集団はこういうときにパワーを発揮してしまう。……とはいえ、カラミさんのお眼鏡にかなうターバンのイケメンはなかなか現れず、、、。何人かと撮っていたみたいだったけど、成果はあったんだろうか。

 余談だけれど、この旅では、あまり、というか全く、イケメンに出会わなかった。男性は皆とってもフレンドリーだったけど。……思えば、インド映画に出てくるインド人の男優でも、イケメンといってパッと浮かんでくる人、いないもんなぁ、、、。三大カーンとか、悪くないけどイケメンかと言われるとビミョーだし。強いて言えば、『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017年)アリ・ファザールはイケメンかも。ジュディ・デンチも「彼はハンサムね」と言っていたし。

 、、、というわけで、自由時間をとる余裕もなくなり、名残惜しくもタージ・マハルを後にする。

 

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 何だかんだとお昼を過ぎていたので、お腹はぺこぺこ。締め付けられているサリーを着たまま、中華のランチ(写真撮れなかった)。タージ・マハルでかなり歩いたので、みんな結構疲れていて、夕方はアーユルヴェーダだったから「上手く考えてあるスケジュールだよね」などと、みんなこの時点からアーユルヴェーダへの期待が上昇。

 あまり時間がなかったのか、慌ただしくランチを食べて、着付けてもらったお店へサリーを着替えに。着せてくれたお姉さんが脱がせてくれ、締め付けから解放されホッとする。もう少し緩くても全然問題なかったと思うのだけど。多分、サリーは本来ゆったりと着やすく動きやすい物なんだと思う。まあ、でも滅多に着る機会はないだろうから良い経験だった。

 

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 この後、当初のスケジュールにはなかったカシミヤ店に立ち寄り。紅茶のお店と同様、一通りカシミヤの説明を聞く。カシミヤにも色々あって、やはり標高の高いところに住んでいるヤギから作った物ほど高価になるらしい。そのお店にあったもので一番高価なものだと、大判ストールで7~10万円ほどするものだった。多分、日本で買ったら1.5倍かそれ以上はするのでは?

 私はあんまりストールとか使わないので、ウチの人にと思ってグレーのシンプルなマフラーを買ってみた。5,000円くらい。多分、日本の百貨店とかで買ったら1万円はすると思うが、旅から帰ってきて家でしげしげ眺めていたら、その肌触りの良さといい(スベスベ、ふわふわ)、優しい暖かさといい(じんわり、ほんわり)、モーレツに惜しくなって、どう考えても猫に小判としか思えず、自分のものにしてしまうことにした。マフラーのお土産があるなんて言ってなかったし、ハナからお土産など向こうも期待していないから、私の心変わりなど気付いてもいないのだ、ウチの人は、ムフフ。

 

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 さて、カシミヤ店を後にした一同は、美味しいチャイをいただけるという所へ。ホテルなのか、高級カフェなのか、イマイチ分からなかったけれど、ラウンジに通され、、、

 チャイとお菓子が出される。このチャイ、砂糖は入っていなかったんだけど、かなりスパイシーで、のどごしがピリッとする感じ。紅茶屋さんで買ってきた粉末のチャイもスパイシーでやっぱり辛みを後から感じるので、インド本場でのチャイはかなりスパイスの効いているものなんだと知った。日本でも美味しいチャイをインド料理店などで飲んだことがあるけど、こういうスパイシーさは感じたことがなかった気がする。一度、このスパイシーさを知ると、日本でいただくチャイは、ただの甘いシナモンミルクティーに思えて物足りない、、、。

 皆、疲れていて、いやが上にもアーユルヴェーダへの期待値が上がりまくる。「ああ、早くマッサージされたい!」とか「アタシ、寝ちゃうかも……!」とか、「シロダーラって頭が凄く気持ちいいんでしょ!」とか、もう、その話題ばかり。

 ちなみに、シロダーラとは、オイルを額に垂らして、その後頭をマッサージするもの。日本では、アーユルヴェーダはリラクゼーションの一種と思われているけど、実はインドではれっきとした医学の一分野らしい。シロダーラも医療行為とされ、日本では(法的に)できないものとされているようだ。

 まぁ、でもここはインド。本場に来たのだから、オリジナルの伝承医学を経験できるに違いない。きっと、この全身の疲れが癒やされるに違いない。

 と、期待に胸を膨らませて、いよいよ、アーユルヴェーダへと向かった一行。……まさか、この後、あんな展開になるなんて、このとき誰が想像していたことだろう、、、。

 

 

 

 

 

 

その⑦につづく

 

 

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リヴァプール、最後の恋(2017年)

2019-04-11 | 【り】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66603/

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1981年9月29日、ピーター・ターナー(ジェイミー・ベル)の元に、かつての恋人グロリア・グレアム(アネット・ベニング)がランカスターのホテルで倒れたという知らせが飛び込んでくる。「リヴァプールに行きたい」と懇願するグレアムに対して、ターナーは自分の実家でグレアムを療養させることにした。

 グレアムはターナーの家族やリヴァプールを懐かしむが、まったく病状を明かそうとしない。心配になったターナーは主治医に連絡を取り、病状を確かめる。グレアムの死が近いことを悟ったターナーは、不意に彼女と楽しく過ごした日々を思い出すのだった……。

=====ここまで。

 ジェイミー・ベルが出ていなきゃ見に行かなかった映画。

 

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 『リトル・ダンサー』がベスト5に入る私にとっては、ジェイミー・ベルは“滅多に会わない遠縁の子”みたいな感じなのであります。つまり、遠くから見守っていたい存在。『リトル・ダンサー』以降、実は結構色んな作品で頑張っているんだけど、どうもパッとしない感じが続いていて、遠縁のおばばにしてみれば心配の種であったのです。そこへ来て、今回はほぼ主演格での出演作ということで、ラブストーリーは得意分野ではないけど頑張っておばばは見に行きましたよ、劇場へ。

 

◆恋多き女性の実態は、、、。

 最初に書いておくと、私はグロリア・グレアムという女性があんまり好きになれない。彼女は“恋多き女性”なのではなく、ただの“男依存症女”だと思う。彼女が美しくて、有名女優だったから絵になっただけの話で、その辺の平凡な女が同じことをやっていたら、好き者と言われるのがオチだろう。彼女は、自分では恋愛しているつもりでも、男の存在がないと生きていられない人だったのだと思う。

 男を取っ替え引っ替えしているから好きになれないというのではなく、彼女の依存するのはたまたま“男”だったけれども、その対象が、同性であれ、友人であれ、我が子であれ、とにかく、誰かに依存する“他人依存症”なところがイヤなのよ。私は親に依存された身なので。

 本作でも、ピーターはグロリアに依存され、振り回される。ピーター自身はそれを“真剣な愛”だと思っているし、まあ、それはそうだったんだろう。こんな回顧録(本作の原作本)も書いているくらいなんだから(まあでも、これで一儲け、、、ってのも当然あったでしょ、そりゃ)。

 この“愛”という名の依存ほど厄介なモノはない。ピーターとグロリアの場合は、本作ではグロリアが随分長い間ピーターの家に居候したみたいな描写になっているが、実質的には6日間ほどだったらしく、6日間じゃ、そらキレイな思い出で済むはずよ。NYでの2人の楽しい生活も、1年にも満たなかったようだし、2人の関係は泥沼にならずに済んだから、このようなロマンチック・ラブストーリー(?)になっただけの話。

 しかし、実際には、他人依存症者に“愛”を振りかざして依存される者は、ハッキリ言って地獄です。本人は愛だと信じているから、依存された方は彼らを冷たくあしらえば(理不尽にも)罪悪感に苛まれる。でもね、それが依存する側の狙いなわけで、こっちはまんまと相手の思う壺にハマっているわけ。愛は愛でも自己愛、自分のことしか考えていないただの自己チューなだけなの、実態は。自分が生きやすいように、手頃な人間をコントロールしたいだけなのね。

 だから、本作でもグロリアは、ピーターにとんでもない迷惑を掛けているのに、ピーターに「病院に行け」「治療を受けろ」と言われているのに、そんなの聞く耳持たずに自分の意の向くままに行動する。ピーターは家族に「グロリアの息子に託せ」と説得されるが、「愛しているから(見捨てるようで)辛い」と言って泣く。このピーターの涙が、罪悪感そのものなんである。……ったく。

 末期癌と医者に言われた後、敢えてピーターに冷たくして関係を強制終了させておきながら、結局、ピーターに頼ってくる。こういうところがね、、、何かイヤ。ピーターと強制終了させて終わりに出来たなら、もうちょっと好きになれたかも知れないケド。少なくとも、ピーターのことを考えての行動と思えるから。

 本作のストーリー自体も平板で、こう言っちゃ悪いけど、かなり陳腐。年の差がなければ、そこら辺に転がっている三流以下の難病モノ。だったら、演出が良いかというと、まあ、それも特別どうという感じもなく、、、。映画としてもイマイチ。

 ジェイミー出演作のことを悪く言いたくないんだけど、そう感じてしまったのだから仕方がない。

 

◆ええ役者になったのぉ、ジェイミー!

 ……とこき下ろしてきたけれど、遠縁のおばばとしては、ジェイミーがとっても良い役者になっていたことに、心底感動した。これは嘘偽りのない感想。

 演出自体はパッとしないけど、ジェイミーの一つ一つの演技は素晴らしかった。表情や仕草、佇まいが、実に雄弁にピーターの心情を表わしており、相当彼は苦労してここまで来たんだろうと想像する。このまま役者として精進を続ければ、いつか必ず良い役が巡ってきて、ビリー・エリオット以上のブレイクを果たすだろう。

 ピーターとグロリアがノリノリでダンスするシーンがあるんだけど、ダンスはやっぱりジェイミーの十八番、実にキレの良いダンスを見せてくれて、おばばは感激。

 NYでグロリアに追い出されることになったとき、家族に説得されてグロリアを息子に託して別れたとき、その時々に見せるジェイミーの表情が実に素晴らしい。ええ役者になったのぉ、、、ウルウル。

 そうよ、良い作品に恵まれて実力がなくても人気者になって大物扱いされるより、こうして地味な作品でもコツコツ努力を続けて地力を蓄えた方が、長い目で見れば役者としては絶対に良いはず。彼はまだ若い。これからきっとチャンスはあるはず。おばばは期待しているよ。

 グロリアを演じたアネット・ベニングは良い歳のとり方をされている様子で、容貌は経年変化を見せているけれど不自然さは全くなく、チャーミングさは相変わらずで素敵だった。ジェイミーの相手役が彼女で良かった。大胆に脱いでいたのも立派。こういう肝の据わった役者さんは好きだわ。彼女の出演作は『アメリカン・ビューティ』しか見ていない(多分)ので、『リチャード三世』とか評判が良いから是非見たいと思っているけどDVDもちょっと手の出ない値段になっちゃっているし、、、。ジェレミー・アイアンズと共演している『華麗なる恋の舞台で』も見たいなぁ。こっちはレンタルできそうだから見てみようかな。

 イギリスの誇る名女優ジュリー・ウォルターズが、本作ではジェイミーの母親役だった。『リトル・ダンサー』から20年近く経っているのだからムリもないが、大分お歳を召されて一回り小さくなったような感じだった。出番も少なく、こんな素晴らしい俳優をもったいない使い方で、やっぱりこの監督はイマイチなのでは。あのドラマ「シャーロック」を手掛けた人らしいが、「シャーロック」は私はダメなクチだったから合わないのかな。

 あと、余談ですが。劇場に、いろんな媒体に掲載された本作の評がベタベタ貼ってあったんだけど、その中に、何の媒体かは分からないけど、芝山幹郎氏が書いていた文章を見て、私は“怒髪天”であった。だって、ピーターを演じた役者のことを「あの『リトル・ダンサー』で主役ビリー・エリオットを演じていた人」なんて書いているのだよ!! 何、演じていた“人”って!!! 彼は立派な俳優でござんす。ただの人じゃありません。それに、そんな書き方、仮にも“映画評論家”の肩書きを持つ人がするか? ジェイミー・ベルのことをそんな風に書くなんて、アンタ映画何見てんだよ、と聞きたい。……あ、ちなみに私は芝山氏のことは決して嫌いではありません。でもあの文章は許せん。きっと、私の髪の毛は逆立って天を衝いていたことでせう、、、嗚呼。

 

 

 

 

 

 

ピーターの両親があまりにも寛容でビックリ。

 

 

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英国総督 最後の家(2017年)

2019-04-07 | 【え】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv65336/

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

 =====ここから。

 1947年、デリーのイギリス総督の大邸宅。インドを返却するため6か月間の最後の総督の役職を引き受けたルイス・マウントバッテン卿(ヒュー・ボネヴィル)が妻エドウィナ(ジリアン・アンダーソン)と娘とともに2階に暮らし、下の階には500人ものヒンズー教徒、イスラム、シーク教徒の使用人が住んでいた。

 2階では連日連夜、政治のエリートたちがインド独立の議論を行い、世界に多大な影響を与える歴史的な決断がなされようとしていた。彼らはインドを分断し、パキスタンに新しい国を作り出すという、人類史上最も大きな移民政策を打ち出そうとしていたのだ。

 一方、新総督のもとで働くインド人青年ジート(マニッシュ・ダヤル)と令嬢の秘書アーリア(フマー・クレシー)は互いに惹かれ合っていたが、宗派が違う上に、アーリアには幼いときに決められた婚約者がいた。

=====ここまで。

 インドとパキスタンの分裂を割と分かりやすく描いてくれている映画。

 

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 昨夏公開時に、見に行こうかなぁ、、、と思いながらも、何となくポスターがイマイチそそられない感じで、結局行かずに終映、、、。DVDで見てみました。

 

◆手際の良いシナリオだけど、、、

 タイトルにもなっている“総督 最後の家”は、今の大統領官邸らしいのだが、その建物のスゴさが映像からでも伝わってきて圧倒されそうになる。とにかくデカい。やっぱり、ヨーロッパの人間が造る建物はデカいなぁ、、、と改めて思う。そこまでのデカさが本当に必要なのか?? と、この映画を見てもやっぱり思った。でもって、そこで働くインド人は500名を超えるとか。……まぁ、雇用を生んでいたとも言えるのか。

 マウントバッテン卿はその名の通り貴族だし、甥っ子がチャールズ皇太子とのことで、なるほど、穏やかで品があるはずだわと納得(チャールズ皇太子に品があるかというのは、また別問題)。妻のエドウィナはかなり左寄りのリベラルだけど、仲は良さそうだし、なかなか面白い取り合わせの夫婦。いくらエドウィナがリベラルと言ったって、そこは身分あっての似非リベラルだろうから、まあね、、、という感じだけど。

 この映画を見て良かったのは、インドとパキスタンが分裂したいきさつについての入門編となってくれそうなところ。きっと実際はもの凄く複雑で混乱の極みだったと思われるが、本作は2時間弱の枠内でコンパクトにまとめられており、インドとパキスタンとイギリスそれぞれの思惑の絡み合いなども通り一遍ながら描いてくれている。

 個人的には、ジートとアーリアのラブストーリーなどいらなかったと思うクチだが、まぁ、こういうのもないとエンタメ映画としては成り立たないとでも言うところか。手垢の付きまくったインド版ロミジュリで、正直見ていて白けてしまった。二人の成り行きも想像通りだし。面白くもなんともない。

 そんなことに時間を割くのなら、もっと国境線の確定に際してチャーチルが暗躍していたその辺りを丁寧に描いてくれた方が有り難い。そうすると、かなり映画のジャンルも変わってくるかも知れないが、それだったら、多分迷わず劇場に見に行っていたと思う。結局見に行かなかった最大の理由は、ポスターからどうもヒューマニズム系の匂いがしたからで、この題材を扱うのにイギリス目線でヒューマニズムもクソもあるか、という気がして足が向かなかった。

 分裂が確定的になった後、総督が500人の使用人たちに自分で国籍を選ばせ、総督邸内のあらゆる財産を分割するシーンが印象的。自分の国籍を選ぶのに躊躇のなかった人も多かったみたいだけど、そういうものなのかねぇ、、、と、ちょっと想像し難いものがあった。私だったら、いくら信仰の上ではお隣の国に行った方が良くても、人情としては割り切れないよなぁ、、、などと思ってしまって。まあ、実際は分裂後、民族大移動が起きて、それはそれは大変な混乱だったそうだから、やっぱり映画なんだよね、その辺は。

  

◆イギリスって、、、

 それにしても、イギリスはホンマ悪いやっちゃなぁ~、、、と思っちゃいましたね。反乱を抑えるために都合良く宗教対立を煽っておきながら、手に負えなくなったら放棄、後は野となれ山となれ的なそのやり方に、今の混乱するイギリスも、さもありなんと思うわ。

 この映画では、インドが独立して、総督夫婦はその地にとどまってインドのために尽くした的な描かれ方だったけれども、当初はインド連邦としてイギリス連邦に加わったので、形式的には総督は存続したんだとか。その地に留まったのが総督夫婦の自発的なものなのかどうかは知らないが、ちょっと美化しているっぽい。

 引っかき回した張本人が、それを収集しようとしてこんだけ尽力しました、、、みたいなことを描いていると言うと身も蓋もないが、アメリカのベトナム戦争ものしかり、イラクものしかりで、自業自得なくせに被害者面している映画はどうもいただけない。本作が被害者面しているとは言わないけど、まぁ、その辺は上手くかわしている。

 ネルーやジンナー、ガンジーが実物にそっくりで、エンディングで実際の映像が出てくるんだけど、まったく違和感がないくらい。主役のマウントバッテン卿が一番実物とイメージが違っているが、マウントバッテン卿を演じたヒュー・ボネヴィルは「ダウントン・アビー」でもクローリー伯爵を素晴らしく演じていて、こういう気品のある役が似合う人だ。実際のマウントバッテン卿は、若い頃の画像を見るとなかなかのイケメンで日本にも来たことがあるらしい。

 

 

 

 

 

インド史等々、知らないことが多すぎるので、もう少しお勉強しようと思いました。

 

 

 

 

 

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大いなる遺産(2012年)

2019-04-06 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)

作品情報⇒https://eiga.com/movie/89244/

 

 

以下、DVD販売元竹書房HPよりストーリーのコピペです。

 =====ここから。

 19世紀イギリスの地方の村。母親や兄たちを失った少年ピップは姉とその夫ジョーの家に引き取られ、貧しい生活を送っていた。ある日墓地で、脱走した受刑者マグウイッチと遭遇、食べ物を持ってこいと恫喝する彼を憐れんだピップは家の大事な食事を盗んで彼に与える。

 その後、裕福なミス・ハヴィシャムの屋敷に招かれ、そこでエステラという美しくも冷酷な少女と出会って好意を抱くが身分違いのためそれ以上の関係には進めない。

 成長し鍛冶職人になったピップのもとに突然、謎の人物から莫大な遺産を受け取れるという申し出が舞い込んでくる。しかしそれにはある条件がついていた。それに従い、田舎からロンドンに出てきたピップを怒涛のように襲う、数奇な運命。

 果たして遺産の持ち主の正体は、そしてその目的は何なのか……?

=====ここまで。

チャールズ・ディケンズの同名長編小説が原作。これまで何度も映像化されている。

 

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 日本では劇場未公開。原作も未読で、過去の映像作品もいずれも未見。お話だけは何となく知っているけど、、、という程度で、HBCの出演作という理由のみで見ました。意外にも豪華キャストでビックリ。

 

◆ヘレナを見るために見たんだからね、、、。

 まぁ、名作と言われる小説が原作なので、恐らく原作はきっと面白いのだと思うが、本作は、残念ながらあんまし面白いとは思えなかった。ヘレナが出ていなければ、感想を書く気にもならなかったかも。

 面白くない理由はいろいろあるんだろうけど、個人的には、大人になったエステラが全然魅力的じゃなかったから。これに尽きる。

 ホリデイ・グレインジャーという人が演じているが、この人、『ジェーン・エア』(2011)や『アンナ・カレーニナ』(2012)にも出ていたらしいけれども、全く記憶にない、、、。ということは、あまり印象に残らない役者さんなんだよな、多分。そもそも、ピップの心を奪い生涯にわたってその心を捕え続けるという魅力的な美女という設定ながら、ホリデイさんはちょっとその器ではない感じ。まあ、キレイだけどね、、、引力は感じないよね、残念ながら。

 なので、見ていてちっとも心躍らず、ヘレナが出てくるシーンだけが楽しみだった。やっぱし、映画では、特にこのようなラブストーリーが絡んでくる話では、非現実的なくらいに魅惑的な美女とかにご登場願いたい訳よ、見ている方としてはさぁ。美女と言っても、別に正統派の誰もが認める美女でなきゃダメと言っているのではなく、普通に美人でも圧倒的な“何か”が備わっていて欲しいのよね。原作でのエステラはどんななんだろうか。この映画と同じようなキャラなのかしらん。

 まあ、でも、本作の陰の主役は、ヘレナが演じたミス・ハヴィシャムと言っても良いかも知れない。そう思えば、エステラが残念でも、まぁいいのか、、、。

 ヘレナ演ずるミス・ハヴィシャムは、エステラがかすむほどにインパクト大。結婚式当日の姿のまま何十年も屋敷に籠りっきりの生活をしているというちょっとイッちゃってるおばさん役がハマっていた。彼女はヘンな役を多く演じてきたけれど、同じヘンな役でも、こういうミス・ハヴィシャムみたいなヘンさだったら彼女の持ち味が上手く出ると思う(もちろんこれは、ティム・バートンへのイヤミです)。

 一応の主役ピップは、金持ちになった途端にアッと言う間に自堕落になり、あまりにも類型的でなんだかなぁ、、、という感じ。原作でもそうなんですかね?? まぁ、原作は、金持ち批判的な背景があるということだから、ピップのこういう描写もそれの一環なのかな。

 原作がそうなのだとしたら、本作のラストは、かなり原作とはテイストが異なるということになる。金持ちじゃなくなったピップの愛の力でエステラの凍った心を氷解させるという、一応のハッピーエンディングになっている。

 後半でいろんな謎解きが一気にされていく辺りはテンポも良く、それなりに見せてはくれるけれども、心にグッとくるモノは何もないといってもよい。

 

◆レイフ・ファインズ&ヘレナ

 鍵になる人物マグウイッチを演じていたのが、レイフ・ファインズなんだけど、こんなに汚い(見た目が)役を演じているのを見たのは、『嵐が丘』(1992)以来かな。何と、本作の20年前!! ヒースクリフより、大分髪の毛が後退していた。まぁ、正直、ヒースクリフもちょっと???という感じだったけれども、本作でもマグウイッチはちょっと彼には合っていない感じもした。もちろん、彼は上手いし、十分素晴らしかったのだけど。

 ピップの姉役はサリー・ホーキンス。どうも私は彼女を見ると、松金よね子さんを思い出しちゃうんだよなぁ。似てませんか、お二人。役柄も結構通じるところがあるように思うし。欲求不満なヒスおばさんを実に上手に演じておられました。はまり役。

 それにしても、ヘレナはやっぱりイイなぁ。ミス・ハヴィシャムには若すぎるのでは、という指摘もあるらしいが、原作はどうなのか知らんが、原作を知らない私にはゼンゼン若すぎるなんてことはなく、過去のショッキングな出来事から逃れられない病的な女性を、そのまんま体現していたように感じた。こういう“いるだけで演じてしまえる”役者さんって、やっぱりなかなかいないと思うのよね。雰囲気というか、オーラというか、、、。役に合ったそういうものを醸し出せるのが、それが役者の能力なんだろうけど。『シンデレラ』(2015)のフェアリー・ゴッドマザーも素敵だったし。

 彼女が出演していた『オーシャンズ8』(2018)はバートン作品じゃないのに劇場に見に行かなかった。見たかったといえば見たかったのだけど、サンドラ・ブロックとかアン・ハサウェイとか、イマイチね、、、。 ケイト・ブランシェットは好きだけど。まあ、DVDは見よっかな。

 ……というわけで、映画の中身についてはほとんど何も書く気になれず、いつも以上にどーでもよいレビューとなってしまいました、、、ごーん。

 

 

 

 

原作を読んでみよう!

 

 

 

 

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ビリーブ 未来への大逆転(2018年)

2019-04-03 | 【ひ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66856/

 

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 アメリカの貧しいユダヤ人家庭に生まれたルース・ギンズバーグ(フェリシティ・ジョーンズ)は、すべてに疑問を持てという亡き母の言葉を胸に努力を重ね、名門ハーバード法科大学院に入学。だが1956年当時、500人の学生のうち女性は9人、女子トイレすらそこにはなかった。

 家事も育児も分担する夫マーティ(アーミー・ハマー)の協力のもと、大学を首席で卒業したルースだったが、法律事務所で働くことは叶わなかった。当時は女性が職に就くのが難しく、自分の名前でクレジットカードさえ作れなかった時代。やむなく大学教授になったルースは、70年代になってさらに男女平等の講義に力を入れ始めるのだった。

 そんなある日、弁護士の夢を捨てきれないルースに、マーティがある訴訟の記録を見せる。ルースはその訴訟が、歴史を変える裁判になることを信じ、自ら弁護を買って出るのだが……。

=====ここまで。

 この頭の悪そうな邦題は、どうにかならんのか???

 

゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 現役、連邦最高裁判所判事のルース・ベイダー・ギンズバーグの実話と聞けば、そりゃ一応見ておこうって思うわね。なので、サービスデーに見に行って参りました。

 

◆不条理炸裂

 見ている間中、モーレツに腹の立つ映画だった。特に後半、ルースが法廷に立つ決意をしてから。

 70年代といえば、歴史の流れで言えば、まだついこないだと言っても良いくらい(少なくとも私は生まれていた)。日本で、男女雇用機会均等法が施行されたのが1986年だから、10年ちょっと前の話。それでこれかい、、、と思うほどに、そこに描かれている状況は、最低最悪だった。

 どう最低最悪だったかは、ここでグダグダ書き連ねるよりも、本作を見た方がゼッタイ良いので割愛するが、まぁ、とにかく、男ってだけで、あるいは、女ってだけで半ば生き方を社会に決めつけられるという点が最悪を通り越して、地獄。本作は、性差別により被る損害について、女性に焦点を当てているかに見えるが、実は、性差別により被害を受けるのは女だけじゃない、ってことを描いている点が、なかなか好感を持てる。

 つまり、男だから〇〇、女だから〇〇、と勝手に決められ、それに従って法律が作られ制度化されることの不合理さは、何も女だけが感じるものじゃない。ただ、まあ女の方がより不合理さを感じることが多いのは確かだろうけれど。

 ルースは、人生を懸けて挑んだ訴訟の法廷で、いきなりピンチに追い込まれる。しかし、相手(被告)の弁護士の言い草を聞いて、冷静に怒りの反撃に出たのだけど、このルースの反論は実際の法廷で行われたものと、多分、そんなに違わないだろう。そう思うと、大変感動的だった。彼女は、女は不利だということを訴えるのではなく、性別役割分業制の不合理さを判事に向かって説いたのだ。こんな弁論ができる彼女は、やはり素晴らしく頭の良い人なんだと圧倒される思いで見ていた。

 そして、ルースがここまで仕事ができたのは、ひとえに理解のある夫・マーティの存在のおかげ。こんな状況の世の中で、マーティはルースが仕事をすることに非常に協力的で、家事も育児も“手伝う”んではなくて、自らが積極的に担うという、、、あの時代にどうしたらそういう男性が出来上がったのか、その生育環境に非常に興味を抱いてしまった。残念ながら本作ではそういった側面にはノータッチで分からないけれど、これはおいおい調べてみようかと思う。

 最後の法廷シーンで一応、観客の溜飲を下げてくれるが、それまでがかなりストレスフルな映画だった。

 

◆育休明けの妻に取り残される夫。

 性別役割分業を制度化されることで、女の方がより不合理さを感じることが多いと書いたけれども、実は、本当の意味では男も相当、社会に搾取されているのだ。本作はそこに切り込んでいるから面白い。

 昨今の働き方改革の動きなどを通しても言われているように、結局、一見男にとってのみ都合の良い男社会は、実は、男をとことん酷使することで成り立っており、つまりは、男社会とは名ばかりで、男も“人間扱い”されていなかった、という悲惨な事実が露呈しているのである。男を優遇しているようで、実は男たちは社会の駒として動かしやすいように制度設計に組み込まれていただけってことに、いい加減、男たちも気付いた方が良い。

 たまたま、今日、あるネット掲示板である男性のグチを読んだんだけど、「妻(能力のある女性らしい)が育休を終えて社会復帰した途端、家事がおろそかになっただけでなく、夜遅く自分が帰宅したときには既に妻は寝ており(夕食は準備しておいてくれるらしい)、時には夫婦生活も拒まれることが発生している。働き出してから急に妻はキレイになって生き生きしているが、自分は孤独感に襲われとても寂しい。妻に専業主婦に戻ってもらいたい」みたいな内容で、弁当を食べながら読んだ私は、噴き出しそうになって、まさに“噴飯モノ”。

 でも、こういう男はいまだに多いだろうと思われる。しかしよく考えてみれば、妻が起きていられないような時間にしか帰れないという現実、妻に身の回りの世話をしてもらわないと孤独を感じてしまう精神の貧しさ、それらは、性別役割分業のもたらしたものでは? 男だからって、仕事に人生奪われて良いのか? 充実した人生ってそういうこと?

 性差別は、男と女のどちらかの問題ではない。これに気付いていない男も女も結構多い気がする。マチズモ思想の男は論外だが、ミソジニーは男に限ったことではない。女が女の脚を引っ張っているケースはたくさんある。

 私は、第一号ではないが均等法世代でバブル末期に社会に出たけど、当時も、十分男社会だった。悔しくてこっそり涙を流したことは一度や二度ではない。その頃を思えば、大分世の中の意識は変わって来ていると思うし、まだまだな部分が多いとは言え、私はそれほど悲観もしていない。何より、私が見た回が満席だったということが、世の中捨てたモンじゃないということの証だと思う。

 

◆その他もろもろ

 フェリシティ・ジョーンズは、可愛らしい感じで、ルースのイメージとはちょっと違うかな。実際のルースの若い頃の写真を見ると、もの凄い美人で、キリッとした感じ。今のルースもキリッとして美しいが。でも、信念を持って闘う女を好演していた。

 理解ある夫・マーティを演じていたのは、アーミー・ハマー。キレる弁護士というよりは、『君の名前で~』のオリバーのイメージの方がやっぱり彼には合っている気がする。まあ、でも楽しそうに料理している彼は非常に素敵な夫だった。

 結婚して間もない頃に、マーティが生存率5%の精巣癌に罹るというエピソードも出て来て、何とも言えない気持ちになったが、その5%になったのだから、ある意味スゴイ。そしてまた、彼の療養中のルースの八面六臂ぶりが凄まじい。

 前述の同じ掲示板で、多分私と同年代の女性と思われる人のこんなグチもあった。「私の若い頃には育休なんかなかった。私も育休があったら利用して子どもを持ちたかった。今、後輩が当たり前のように育休を使っているのが恨めしく、嫉妬してしまう」……それに対する書き込みは「そんなあなたたちのおかげで、今の制度ができたのです。ありがとうございます」という内容のものが多かった。本作でも、ルースが闘うことに踏み切れたのは、娘の「私の未来のために闘って」という言葉に背中を押されたからだ(という描写だった)。

 先輩たちや我々世代の犠牲の上に現在がある、などと全く思っていないが、次の世代が少しでも良い環境で生きられるようにするのは、今を生きる人たちの役目ではなかろうか。本作を見て一番感じたのは、そこのように思う。

 

 

 

ちょこっとだけ出ているキャシー・ベイツの存在感がスゴイ

 

 

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