映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

たかが世界の終わり(2016年)

2017-02-24 | 【た】



 12年も帰らなかった家族の住む家に帰ることにしたルイ(ギャスパー・ウリエル)。それは、“あること”を伝えようとしたから。

 しかし、帰ってみたら、自分の家族はやっぱり昔のまんまだった。心休まる場所とは程遠い。そして、伝えたかった”あること”は、遂に伝えられないまま去ることになったルイだった、、、。

 グザヴィエ・ドラン監督作はこれが初挑戦だったんだけれど、、、、うーーーーーーーん、、、。

 
 
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 グザヴィエ・ドラン……『わたしはロランス』辺りから、一応、視界の端に入っていたその名前ではありますが、二十歳そこそこであまりに絶賛されている様(つーか回りが勝手に騒いでいる感じだったけど)がどうにも違和感バリバリで、わざわざお金を払って見る気もせず、、、。まあ、単なる天邪鬼なんですが。

 本作は、何かの映画評で読んで、割と内容が面白そう、と思ったので、ちょっとチャレンジしてみることにいたしました。

 、、、が。


◆“あること”を聞き逃した私、、、。

 ルイ君が家族に伝えたかった“あること”とは何か。

 実はこれ、作品の冒頭部分でルイ君のナレーションでバッチリ言っているんだとか。しかし、私は、寝ていたわけでもないのに、これをスッポリ聞き逃したんですよ。何で??? おかしいなぁ、、、。

 なもんですから、ルイ君が言おう言おうとして言えないことが何なのかが気になって気になって、でも、結局最後まで分からなくて、「はぁ~~~? 何それ!!!」ってな感じになり、終映後、すぐにパンフ(1,000円!! 高過ぎ! 意匠にムダに凝り過ぎ!)を買って、最初のイントロダクションでいきなり答えが書いてあるではないですか!!

 「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ。

 え゛~~~~、何でこんなことが分かるわけ~? どこでそんなこと言ってたのさ!!! と思って、ネットをザッと見てみたら「冒頭でナレーションが、、、」等と紹介されているサイトorブログ多数。え゛~~~~~~!!! そんなナレーション、あったか? マジで??

 というわけで、私の場合、この作品を見た大勢の方々とは、前提条件が異なりますので、少々見方がヘンかも知れませんが悪しからず。


◆本作の魅力はあんましよく分からず、、、。

 ただ、、、正直なところ、“あること”が分からなかったから、どうにか最後まで見ることが出来た、という感じです。もうね、、、途中、うんざりというか、退屈してきちゃいまして。

 なぜか。理由は、多分4つ。

 ①セリフ劇である:本作は、戯曲が原作ですから、ほぼワンシチュエーションのセリフ劇です。これは、中身次第では非常に眠くなる要素です。
 ②アップ画面の多用:セリフを言う人のドアップの連続。あまりにも続くので、早々に疲れて飽きました。
 ③うるさい会話:もう、ぎゃーぎゃーと怒鳴り散らす会話。、、、げんなり。
 ④誰一人共感できない登場人物:どの人も、ちょっと病んでる感じで、、、もうお腹いっぱい。

 、、、てな感じでござんした。まあ、終始、緊迫感の漂う作品なので、退屈する人は少ないと思いますけれども、私は退屈しちゃいました。

 というのも、セリフ劇ではあっても、会話でストーリーが展開していくわけじゃなく、もちろん後から考えれば、それは意味のある会話だとは思うけれども、見ている間は「ただのおしゃべり」的な印象が強くて、興味を持ってそのセリフの意図を読み取ろうとか思えないワケ。しかも、みんなトゲトゲしくて怖いし。何でこんなに仲悪いの、この家族、、、、みたいな愚問が頭の中に浮かんじゃうのよ。

 しかも、②のアップ画面が多過ぎで、いい加減にしろ、と言いたくなるし。俳優の顔を拝みに映画を見に行っているわけじゃないんだから、顔のドアップばかり見せられても、、、、いくら表情を読み取れって言われたって、スクリーン一杯に広がる一人の顔のどこを見ればいいのか、だんだん分からなくなってくるんだよ。まあ、そういう心理的な追い詰め感が、恐らくは狙いだと思うけれども、やり過ぎじゃない? 

 なので、序盤でそうそうに気持ち的にはギブアップでした。


◆アントワーヌの存在をどう受け止めるか、、、。

 よくよく考えてみると、私は、③の要素のある作品がダメっぽい。その筆頭は『バージニア・ウルフなんかこわくない』ですねぇ。もう、あれは途中で見ているのがイヤになりました。本作はそこまでじゃないにしても、まあ、やっぱし、うへぇ、、、って感じになっちゃいました。

 多分、これは、私自身がこういう家族環境に育ったからだと思われます。母親がいつもイライラして怒鳴っている、父もそれにつられて大きな声を出す、、、。姉と私はそそくさと退散、、、みたいな。親の実家に行っても、割と、言い合い・ケンカが始まることは珍しくはなく、誇張抜きで、しょっちゅうビクビクする状況にあったと思います。だから、フィクションの映画やドラマの中でさえ、そういう光景を目にすると、何となく脳味噌が拒絶反応を起こすのかも知れません。

 それに連動しているのが、多分④。本作の家族は、みんながちょっとずつ病んでいて、でも、家族で完結しちゃっている世界にいることで、その不健全さに居心地の良さも感じている、、、、という、かなり歪んだ家族です。父親がいない、ってのは、ある意味象徴的ですね。何で父親不在なのかは分かりませんが。この、不健全さが、やっぱり私の育った家族に通じるんですよねぇ、残念ながら。幼い頃の記憶は③だけれども、長じてからは④ですね。

 まあ、本作の家族と、私の育った家族との違いは、不健全さの自覚があったかなかったか、、、かな。本作の家族には、少なくとも、うっすら自覚がある気がしますので。

 本作で、一番、鑑賞者の反感を買うのは、ルイの兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)でしょう。彼一人が、せっかく良い雰囲気になって来た家族の会話を掻き乱すんですからねぇ。私も、見ていて、不快極まりないなぁ、と思っておりました。でも、ラストに、ルイが遂に“あること”を口にしようとしたとき、それを全力で妨害するアントワーヌを見て、何か、可哀想になって来ちゃいました。そして、ようやく気付いたんですよね、アントワーヌはルイに激しく嫉妬していたんだってことに。

 嫉妬、というと誤解を招くかもですが、まあ、平たく言えば嫉妬でしょう、やっぱり。自分は、この家族の中に埋もれて地味な人生を生きている。過去にはきっとどこかで飛び出したいという欲求もあったはずだけれど、飛び出す勇気もなく、今に至っている。そんな自分の鬱屈を、弟は軽々と越えて都会に飛び出し、売れっ子劇作家になって、母(ナタリー・バイ)も妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)もウキウキして弟を迎えている。、、、そら、心穏やかでいられるわけないですよ。

 アントワーヌにしてみりゃ、何より気に入らねぇのは、妻のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)までもが、ルイを好意的に受け止めており、それどころか、母や妹よりも、ルイと心通じ合っているみたいだってこと。夫であるからこそアントワーヌにはビンビンと感じたんでしょうなぁ、、、。なんか、可哀想過ぎる。

 この上、弟に何事が秘密めいた爆弾発言をされたら、家族と妻の心は全てルイに持って行かれてしまう。発言させてなるものか!!! みたいな必死さがイタ過ぎなんだけれども、理解できてしまう、、、。


◆真に仲の良い家族、、、っているの?

 ルイは、ドラン監督を投影させた人物なんですかねぇ? 原作者のジャン=ルック・ラガルスは、エイズで亡くなっているそうなので、ラガルス自身が投影されているのは間違いないと思いますが。ドラン監督の過去作品はいずれも未見ですが、内容を見ると、どれも母親や家族についての作品とのこと。しかも、ハッピーな家族じゃないっぽい。

 恐らく、ドラン監督自身も、親兄弟と、ただならぬ葛藤を抱えているのだと想像します。

 このブログでもしょっちゅう書いていますが、家族が癒しでも救いでもない人はいっぱいいるわけで、家族って素晴らしいとか能天気に描いているものを見ると、白けちゃうんだよね。かと言って、本作みたいなのを見せられても、私の場合は、ちょっと拒絶反応に近いものを感じてしまう。

 本作を見ながら、『8月の家族たち』を思い出していました。あれも、家族同士で罵り合って、見ている方はギリギリ来る作品だった。

 「何でこんなに仲悪いの、この家族」という愚問が浮かんだと書いたけれど、こんな程度に仲が悪い家族なんて、別に普通かも。私の育った家族もそうだったし。仲が本当に良い家族って、どんなん? とむしろそっちの方が疑問かも。家族ってのは、葛藤があって当たり前で、仲が良いなんてのは、そう思っているだけ、(葛藤などの)見たくない所を敢えて見ていないだけ、ってことかも。

 本作の良い所を挙げるとすれば、家族にストレスを感じているのは「自分だけじゃない」と思えるのが救いになる、ってことでしょうか。

 ただまあ、『8月の家族たち』ほど、露骨なスポイルし合うシーンはないし、あそこまで家族が憎み合っている訳じゃないですけれどね、、、。

 セリフでストーリーが展開しないことに文句をつけたけれど、リアルな日常を考えた時、本当に言いたいことほど言葉にし難いものだから、こういう訳のわからない、意味のなさそうな会話のオンパレードってのも、実はかなりリアリティは高いのかも知れません。


◆その他もろもろ

 主演のウリ坊は、セリフが非常に少なくて難しい役ですが、結構頑張っていたと思います。まあ、上手いのかどうなのか、それさえよく分からないくらい、よく分からない役でしたから、演じる方はさぞかしタイヘンだったでしょう、、、と同情します。ご本人は、やりがいのある役だったようですが(とムダに洒落たパンフに書いてある)。

 レア・セドゥ、マリオン・コティヤール、ナタリー・バイの女性陣は、もちろん、迫真の演技なんですけれども、あんまし、、、、個人的にはインパクト薄。

 やっぱ、ヴァンサン・カッセルでしょう、一番の注目は。アントワーヌという、ムカつく、屈折した男を、実に、ムカつくように演じて見せてくれました。ルックスはあんまし好きじゃないけど、やっぱし、彼は大した役者さんです。

 有名どころを揃えて、天才の名をほしいままにするドラン監督。でも、私は、ここまでもてはやされている彼がちょっと心配だ。天才天才と言われて、あまりにも早急に消費されている、ってことは、、、きっとないと思いますが、、、、。才能が枯渇しないのが天才、、、、とは思えない。天才だからこそ苦しいはずです。彼自身というよりは、彼の取り巻きが、どうか賢い人たちであって欲しいものです。天才は、そうそういないのだから、大切にしてもらいたい。人類の宝なんですからね。








オープニングとエンディングの歌詞が象徴的。




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