映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

広島東洋カープ 25年ぶり優勝と32年ぶり日本一を逃して思うこと

2016-10-31 | 番外編
 基本的に、このブログには映画の感想及びそれにまつわる些細なことしか書かないことにしております。

 ……が。

 80年代前半から20年ほど筋金入りのカープファンであったこと、2000年代半ばからカープの成績に不感症になろうと決めたこと、そうはいっても、一応、スポーツ欄のセ・リーグ順位表でカープの動向を無意識に必ずチェックしてしまっていたこと、、、、という、私のカープ偏愛歴から言って、今年の優勝&日本シリーズ敗戦について、思うことはあり過ぎまして、その一部を書き記しておこうと思いました。


◆全国紙がこぞって社説で取り上げた、25年ぶりのリーグ優勝

 リーグ優勝は、本当に嬉しかった。優勝決定翌日の全国紙3紙プラスαを職場から頂戴してきまして、カープ優勝に関する記事は全部切り抜きました。何たって、優勝して社説に取り上げられるチーム、カープ以外にありましょうか? 読売以外の、朝日、毎日(プラスαの産経も)いずれも社説で取り上げ、カープ苦難の歴史と、それを克服しての優勝を渋く論じてくれていました。毎日のタイトルは「ファンと走ったVじゃけえ」

 これら社説を始め、各紙の様々なカープ優勝関連記事を端から端まで読んで、涙涙でした。

 でも、、、現実に優勝が決まるまで、どれだけゲーム差が開いても安心する日はありませんでしたねぇ。トホホ……。勝てば勝ったで不安、負ければ負けたで不安。これ、カープファンの性(さが)ですね。

 でも、今年、本当に優勝したことで、この妙な不安感、、、というか、呪縛からは解放されるような気がします。来季は、不安は不安でも、もう少し前向きな不安に変質するのじゃないかな。


◆ビジターファンも大切にしてほしい

 日本シリーズは、2戦先勝したときは、行けると思ったけれど、結果はその後4連敗。まあ、勝負の世界なのでこればかりは仕方ないです。

 北別府氏のブログに書かれていたことが、多くのファンの気持ちを代弁してくれていると思うので、シリーズの試合について、感想は述べません。

 ただね、それ以外にちょっと思ったことがありまして。

 それは、シリーズ終了後、10月30日の夜、NHKのサンデースポーツを見ていてのこと。日ハムの西川選手と大谷選手がゲスト出演しておりました。そこで、2人の話していたことですが。最初の2戦の感想を求められて(正確じゃないですが)、、、

西川選手「あの異様な雰囲気が何ともいえなくて、、、。真っ赤っかで、完全アウェーっていうのが初めての経験だったのでやりにくかった」
大谷選手「思ったよりマウンドが硬くて、投げにくかった」


というもの。まあ、大谷選手のコメントはともかく、西川選手のコメントは、実は私も、ちょっと思い当たるものがあったのです。

 シリーズの中継を見て、3塁側までぜーんぶ真っ赤な球場って、一体どうなっているのだろう? と。シーズン中からではありましたが、改めて思ったのです。

 マツダスタジアム、私は行ったことがないので分からないのですが、ビジターチームのファン用の席というのは確保されていないのでしょうか? 横浜球場だったか、神宮球場だったかは、チケット買おうとしたら、3塁側は一応ビジターチーム用応援席でホームチームのユニ&小物着用禁止になっていたような。マツダにはそういうルールがないのでしょうか?

 HP見てもイマイチ分からなかったので、違っていたらアレですけど、やっぱり、ビジターのファンの気持ちも考える必要はあるんじゃないのかな、と。

 むか~し、カープファン現役だった頃に、東京ドームに広島戦を何度か見に行きましたが、(今は知りませんが)あの頃のドーム球場は3塁側にも巨人ファンが一杯いて、カープの応援しようものなら、後ろからモノが飛んでくる、なんてこともフツーにありました。「何て嫌な球場だろう、だから巨人は嫌いなんだ!」と行くたびに思ったものです。

 まあ、当時の市民球場のカープファンが、マナーがよろしかったとは思えないので、市民球場で嫌な思いをしたビジターチームのファンもたくさんいたんでしょうけれど。

 とにかく今のマツダスタジアムがそうなっていないことを願うばかりです。ただ、TV画面から見るだけだと、明らかにビジター側にホーム側ファンが占拠している状態、、、。これはやはりいかがなものか、と思います。

 選手に「異様な雰囲気」と言わしめるような状況(プロとして、調子が悪いことを環境のせいにすることには大いに疑問を感じますし、そういうセリフを臆面もなくTVで言ってしまう2人の選手にかなり幻滅しましたが)は、やはり改善した方が良いのではないでしょうか。


◆カープ戦満席なんて、、、25年前は閑古鳥。

 広島東洋カープという球団が、大変な自助努力をしてきたのは重々承知で、しかし、やっぱり「自分たちさえ勝てば良い」的な、どっかの金満球団みたいな思想には、ファンともどもならないでほしいのです。

 相手チームのファンも大事にしてほしい。自己中な応援や運営ってのは、いずれその何倍にもなって自分たちに跳ね返ってくるはず。

 相手チームのファンも、プロ野球界にとっては大切なファンなのです。プロ野球の人気凋落が言われて久しいけれど、ファンあってのプロスポーツであることを思えば、やはり、球場全体が真っ赤っかってのは、何か違う気がするのです。

 カープ女子という言葉が世に認知されているなんて、90年代、神宮や横浜球場での広島戦が閑古鳥だった(仕事帰りにフラッと観戦に行ってもガラガラで内野の最前席とかフツーに座れた)時代のファンからすれば、隔世の感がありますけれど、せっかくファンが増えて、それがチームの強化に少なからず貢献しているわけで、これからもファンは、どのチームのファンであっても大切にしてほしいです。


◆川口監督、待望!(あり得ないけど)

 シリーズを通して、監督はバッテリー出身が良い、という野村元監督の言にも一理あるのかも、、、ということを嫌でも感じさせられましたねぇ。

 ……ああ、川口が巨人のフロントなんかとっとと辞めて、カープで監督(コーチでも良いから)してくれたらなぁ。もう、東京でのカープ戦、全部見に行っちゃうのに。監督を見るために! だけど。

 川口に、手紙書こうかなぁ、、、。

 ともかく、来季は黒田選手がいなくなるし、戦力が変わるので、今年と同じようには行かないだろうけれど、また新しい強いカープを期待して。日本一という忘れ物を是非手中にして欲しい。
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スノーホワイト(1997年)

2016-10-24 | 【す】



 森を抜ける馬車が道を踏み外し転覆、乗っていたホフマン卿(サム・ニール)と臨月の妻は雪深い森に投げ出される。軽傷だったホフマン卿だが、妻は深手を負っており胸から血が流れ出ている。「お腹の子だけは助けて」と妻にナイフを渡されるホフマン卿。そして、雪上に流れる真っ赤な血の川。

 そうして生まれたリリーは、お転婆わがまま娘に育っていたが、ある日、父のホフマン卿が再婚を決めたことからヘソを曲げる。やって来た父の再婚相手クラウディア(シガニー・ウィーバー)は美しいが、リリーにとってはイケスカナイ女でしかなかった。クラウディアはリリーに可愛い子犬をプレゼントしてくれたが、リリーは子犬は可愛がっても、クラウディアには冷たい態度をとり続けた。

 それから9年後、リリー(モニカ・キーナ)は美しく成長して、クラウディアも待望の赤ちゃんを身ごもっていた。もうすぐ生まれそうというある日、リリーはクラウディアが勧めたドレスを無視して、亡き母のドレスを身に着けパーティーに出る。そんなリリーの姿を見て、亡き妻に「そっくりだ」と目を細めるホフマン卿。その様子を見たクラウディアは嫉妬に狂い、急に産気づく。難産の末に生まれたのは、待ちに待った男の子ではあったが、哀しいかな死産であった。

 それを機に、クラウディアは豹変し、リリーに敵愾心を剥き出しにするようになるのだが、、、。

 もとは、アメリカのTV映画。シガニー姐さん、やっぱしここでも怖い系。


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 公開時に劇場までわざわざ見に行ったのに、ほとんど内容を覚えていなかったので、もう一度見てみたいと思っておりました。再見してみて分かりました、なぜ覚えていなかったのか。それは、見たことを忘れたくなるおバカ映画だったからです、、、多分。


◆根性悪な白雪姫

 言うまでもなく、グリム童話でいうところの、白雪姫=リリー、魔女=クラウディア、です。で、やっぱり本作も主役はリリーではなく、クラウディア。

 ただし、本作の白雪姫は、かなりの根性悪です。継母となるクラウディアに最初からもの凄く意地クソ悪く接し、9年経っても変わっていない。クラウディアはむしろ、最初はリリーに心を開こうとしているし、母と娘になろうという気持ちがうかがえるのです。なので、ゼンゼン、白雪姫というかリリーを可愛いとも可哀想とも思えず、むしろクラウディアの方がよっぽど可哀想。リリーのせいで流産までして、挙句、子どもを二度と産めなくなるのですからねぇ、、、。 

 さすがに、クラウディアがそんな目に遭って良心が咎めたのか、根性悪リリーがクラウディアに涙ながらに謝罪します。こういうところがイヤらしいよねぇ。嫌い抜いていた相手が惨めな境遇に陥ると、急に憐みを示すというのは、なんという上から目線の傲慢女。圧倒的に有利な立場になって、心に余裕ができたわけね。サイテーな女だ。

 案の定、この行為がクラウディアの怒りに火を着けることに、、、。当たり前だわね。


◆シガニー姐さんは魔女なんかじゃなくて、ただの殺人鬼

 とまあ、ここら辺までは、まあ、なんとか見るに堪える。美術も衣装もなかなか。TV映画にしては結構お金かけてるんじゃないの? と思われる豪華さ。グリム童話がそもそも持っているダークさもよく出ているし、雰囲気はかなりgoo!! ……なのに、、、嗚呼。

 クラウディアが狂うのがいきなり過ぎといいますか、唐突すぎといいますか。リリーの心臓を所望する、その動機付けがね、、、弱いんですよ、もの凄く。

 多分、リリーに謝罪されたことが引き金だということなんだろうけど、だったら、もっとそう分かるように描かねば。見ている方は、「え゛、、、いきなりそこへ飛ぶのか!?」と置いてけぼり感いっぱい。

 そこから先は、坂道を転げ落ちるようにクラウディアが殺人鬼と変貌していくのですが、もうね、、、申し訳ないけど、シガニー・ウィーバーが勝手に楽しんで殺人鬼演じているだけで、見ている方はポカ~~ン、なわけですよ。

 屋敷中の人間を毒殺するわ、夫も縛り上げて逆さづりにするわ、リリーの許嫁も窓から突き落として殺すわ(しかも殺す前には誘惑してディープキスまでしている)、、、閉口。ここまでくると、魔女の妖しさなんてまるでなく、ただの頭の狂った殺人オバサンです。

 唯一見るべき所といえば、クラウディアの魔法の鏡との対話ですかねぇ。原作では、魔女に美しいとお墨付きを与えるだけの鏡でしたが、本作では、もう一人のクラウディアという描かれ方をしています。まあこれは分かるというか、鏡の言っていることがクラウディアの深層心理なわけだわね、多分。

 だから、終盤、リリーに鏡にナイフを突き立てられたことで、クラウディアは滅びる、、、という筋立てです。

 もう、中盤から以降は、見ているのが精神的にキツい、、、。おバカ映画は数あれど、こういう、雰囲気を気取った一見ホンモノ感を漂わせたおバカ映画はねぇ、マジでツラい。イタい映画。世間で言う美魔女とかに感じるイタさに似ているかも、、、。

 こういう展開にするのなら、最初から、ちゃんとおバカ映画と割り切って作っていただきたいですねぇ。


◆その他もろもろ

 シガニー姐さんは、本当に楽しそうでした。こういう役、確かに演じたら面白そうですよねぇ。リアルな世界では、こんな振る舞い、絶対にできないわけですから。役の上でなら何でもアリよねぇ。

 サム・ニールは、まるで存在感ナシ。この方も、こういうB級作品にシレ~ッと出演していらっしゃいますよね。楽しいのかな、やはり。

 リリーを演じたモニカ・キーナちゃんは、可愛いけれども、私的には、白雪姫は可愛い系より美人系が理想。なので、イマイチ。

 意外なところで、7人の小人ならぬ、7人の鉱夫(?)のリーダー格の男ウィルをギル・ベローズが演じていたことかな。彼は、『アリー・myラブ』でアリーの初恋の人ビリーを演じていたのよね。アリーとほぼ同時期ですね、本作は。

 、、、というか、7人の鉱夫も、なぜかウィルだけイケメンで(その他は1人が本当の小人で、後は皆、薄汚い恰好をしたおじさん)、ウィルとリリーはキスする仲になるという、何ともヘンテコリンな展開もあります。もう、、、ようわからんですな。







まともなスノーホワイトの実写映画が見たい。




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修羅雪姫(1973年)

2016-10-18 | 【し】



 雪の降るある日、刑務所で生まれた鹿島雪は、生まれながらにして仇討ちを科されていた。

 雪の実母・鹿島小夜(赤座美代子)は、雪を身ごもるずっと以前に、小学校の教員であった夫と長男の3人で、とある貧しい農村に赴任してきた。しかし、白いスーツを着ていた夫は徴兵に来た官憲と間違われ、正景徳市(地井武男)、竹村伴蔵(仲谷昇)、北浜おこの(中原早苗)、塚本儀四郎(岡田英次)の一味に惨殺される。長男も殺され、小夜自身は彼らに嬲りものにされる。

 自分に惚れた徳市とともに、小夜は東京に出てきて小料理屋を始め、機を見計らって徳市を刺し殺す。そして、刑務所に送られ、そこで見境なく男と寝て身ごもったのが雪であった。雪を産み落とすと小夜は、雪に残り3人の復讐を託して息を引き取る。

 美しく成長した雪(梶芽衣子)は、己の宿命を呑み込み、淡々と復讐劇を展開させていく。が、4人のリーダー格であった塚本は、既に死んでいることが分かり、、、。

 人々に語り継がれる作品なだけあって、なかなか楽しめる。原作は漫画だとか。


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 白雪姫に、小さい“ゅ”が入っただけで、まるで別のヒロインの造形になる。なんともはや、、、。


◆血まみれなのにグロさゼロ。

 雪が深々と降る夜道を、蛇の目を手にした美女が一人、、、。ふと足を止め、視線の先には、見るからに悪そうな男たち数名と人力車に乗った親分。その前に立ちはだかる美女。

 「女、どけ!」等々、お約束のセリフの後に、美女が蛇の目の柄から刀を抜き取り、男たちをバッサバサ、、、。血飛沫が舞い、白い雪に舞い散る鮮血。人力車から降りてきた親分も、これまたバッサリ。そして血飛沫、、、、。

 という感じで、もう血飛沫がこれでもか、ってなくらいに飛びまくる。基本的に、私はスプラッター系がダメなんだけれど、本作の血飛沫は、明らかに“仕込み”と分かるし、血の色も朱色で塗料であることが明らか。だから、派手な演出の割には全然グロさはなく、目を背けるシーンは1つもなかった。

 ちょっとびっくりだったのは、途中、北浜おこのが首吊っているところを雪が見つけて、そのおこのの身体をバッサリ2つに切ってしまった瞬間。もちろん、そこでも血がバーッと滝のように畳に滴るんだけれども、これもまた一興。上半身だけになったおこのがぶらぶら揺れている画は、なんともシュール。

 終盤の鹿鳴館でのシーンは、ちょっと、乱歩の小説(怪人二十面相)の一部を思わせる風情がある。雪がシャンデリアにつかまり、バルコニーから向かいのバルコニーに飛び移るシーンなど、二十面相が現れて消える描写みたい。

 リアリティなど軽々と飛び越えて粋な芝居がかった演出も、こういうジャンルでは生きるし、面白い。


◆梶芽衣子、恐るべし。

 本作は、何といっても、梶芽衣子である。若干26歳で、この色気、この迫力。素晴らしい。現在の20代後半の日本人女優で、匹敵する人を思い浮かべることができない。

 梶さんのことだから、本作までに和服での所作はお手の物だったのだろうと思いきや、本作がほとんど所作は初めてで、なおかつ立ち回りもあり大変だったと、特典映像のインタビューで語っていたので驚きである。

 梶芽衣子という名を最初に知ったのは、恐らくテレビドラマか何かで、既に40代の彼女だったのだろうと思われる。が、80年代の日本はまだまだ良い時代で、深夜に『女囚さそり 第41雑居房』を放映しており、私は偶然見てしまった。見始めたら釘付けになってしまい、気がついたら終わっていた、という感じ。その時の衝撃たるや、、、いまだに忘れがたい。印象的なシーンは、一度しか見たことがないのにたくさん脳裏にこびりついている。

 “さそり”で、梶芽衣子の若い頃を知り、白石加代子という名も知り、悪役の渡辺文雄に衝撃を受けたのであった。そして、若い頃の梶さんの美しさ、加代子さんの迫力は昔からだったこと、渡辺文雄氏はそもそも悪役で名を挙げて来たことを知ったわけである。まだ10代後半の私には、恐ろしいほど衝撃的な映画だったことは間違いない。

 ほぼ同時期の本作、やはり梶さんの魅力は絶大。

 映画としては、ストーリーも陳腐だし、後半の展開も先が読めるしで、脚本的には今一つだけれども、とにかく役者が梶さん始め、幼い雪を“戦士”に育てる生臭坊主役の西村晃、仲谷昇、赤座美代子と個性派ぞろいな上、ラスボス岡田英次は期待に違わぬ大立ち回りを演じて見せ場を作るという、エンタメに徹した演出に、ただただ脱帽。こんな脚本をここまでの映画に仕立てるというのは、かなりの力技だと思う。

 今、ここまで見応えのある邦画はあるのだろうか、、、。あまり、邦画を積極的に見ていないので分からないけれども、話題先行で、見てみたらガッカリというのがここのところ続いている気がするが。食わず嫌いしていないで、もう少し邦画も見てみようと思った次第。

 





キャストが何気に豪華です。




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雨の朝巴里に死す(1954年)

2016-10-14 | 【あ】



 以下、Movie Walkerのあらすじ要約です。

 1954年5月8日、第二次大戦集結に湧くパリで、チャールズ・ウィルス(ヴァン・ジョンソン)は、マリオン・エルスワース(ドナ・リード)とカフェ・ディンゴで出会い、祝賀パーティに招待された。チャールズはパーティで、マリオンの妹ヘレン(エリザベス・テイラー)に出会い、一目惚れ、、、。チャールズはマリオンの恋心に気づかず、ヘレンと結婚。昼は通信社に籍を置き、夜は小説を書きつづけた。傷心のマリオンはクロオドと結婚する。

 ヘレンは華美な生活を送り、妊娠がその生活を中断させたが、ヴィッキーが生まれるとまた元の賑やかな毎日だった。チャールズの小説は空しく出版社から返送され、続いて執筆した第2作も同様の結果に終わった。失意のうちに第3作にとりかかったころ、チャールズは別の女性と知り合い、第3作の失敗がチャールズを彼女との遊びの世界に駆り立てた。

 その頃、遊びに飽いたヘレンはアメリカに帰って生活をたて直そうとしたがチャールズに拒絶された。女性を誘ってモンテカルロ・パリ間の自動車競争に参加したチャールズが、レースに負けて雨のパリに帰って来たとき、カフェ・ディンゴでヘレンとテニス選手ポール(ロジャー・ムーア)の睦じい姿を発見した。チャールズは思わずポールに喧嘩を売り、怒ったヘレンはポールを連れて出て行った。

 深酒して帰宅したチャールズは、前後不覚に眠りこんで、夜半ヘレンが雨に濡れながら玄関の戸を叩いたことを知らなかった。ヘレンはやむなくポールのアパートを訪れたが落ち着けず、雨の中を姉夫婦の家へ行って倒れた。肺炎だった。ヘレンはチャールズに娘ヴィッキーの将来を託して世を去った。

 数年後、アメリカに渡ったチャールズは小説家として成功しており、マリオンが保護者となっている娘ヴィッキーを引き取りに、パリにやって来た。だがマリオンはヴィッキーを渡してくれず、、、。

 ……あー、長いあらすじだった、、、。要約というか、ほとんどコピペですが。、、、まあ、別に見なくても損しない映画ですね、ハッキリ言って。


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 ワイラー監督『嵐が丘』のDVDを借りたら、2枚組で本作も付いてきました。なので、別に見たかったわけじゃないけど見た次第。


◆リズの眉毛はどうしたものか、、、。

 原作は、あのフィッツジェラルドの小説「バビロン再訪」だそうです。もちろん未読です。きっと、原作はもっと奥が深いんでしょうが、本作は、なんだかなぁ、、、という感じの、どーでもよいメロドラマになっております。

 こう言ってはナンなんですが、主役の男チャールズを演じるヴァン・ジョンソンが、全然ステキに見えないのですよねぇ。好みの顔じゃないってのもあるけど、好みの顔でなくてもカッコイイと思う俳優はたくさんいるわけで、ヴァン・ジョンソンは、まったくカッコイイと思えないし、雰囲気もちょっと愚鈍というか、頭が切れるタイプにはまるで見えないのがツラいところでして、、、。

 やっぱし、映画なんだから、リアリティよりも何よりも、見た目でも楽しませてもらいたいわけですよ、こういう作品の場合は特に。

 一方のリズも、まあ確かに美女には間違いないのですが、別にこの作品に限らずですが、どうしても私は彼女の“眉毛”が気になって仕方がないのです。あの不自然に真っ黒な眉毛。描いているのはいいんですが、眉間の生え際とか不自然過ぎだし。黒すぎ、太すぎ、、、ヘンじゃない? 皆さんはそう思わないのでしょうか??? 彼女の写真、どれを見てもあの眉毛でしょ? 年齢を重ねてからの顔もあの眉毛。もともと濃いのだろうけど、それにしても、、、。とにかく終始、リズの顔が映ると眉毛ばっかし目が行っちゃって作品に集中できません。

 リズのことは好きでも嫌いでもないけれど、正直、以前からあまり品性とか知性とかは感じられないなぁ、と思ってはいましたが、本作でも役柄的なこともあるけれど、やっぱり、、、という感じでした。

 むしろ、私はマリオンを演じたドナ・リードの方が美しいと思いましたねぇ。知的な感じもして、品もあるし。リズより断然好きです、私は。

 、、、というわけで、主役2人に好感を抱けなかったので、作品を見る目にもバイアスがかかってしまったかも知れません。


◆ヘンな夫婦で悪いか!

 ヘレンとチャールズがヘンな夫婦で何なんだ!! みたいな感想をネットでちらほら目にしましたが、この夫婦がおかしくなった直接の原因は、チャールズの小説がなかなか日の目を見なかったことにあると思うのです。もし、3本目の小説でデビューできていたら、あの夫婦は、傍から見ればおかしな夫婦でも、それなりに上手くやっていたと思います。

 夫婦なんて、傍からどう見られていても、本人同士が理解し合って納得し合って生活できていれば良いわけで、そういう意味では、ヘレンが夜遊びしていてもチャールズがそれを大してイヤだと思っていないのだから、別に良いじゃん! と思うのよ。

 しかも、母親のくせに幼児を置き去りにして夜遊びとはけしからん、みたいなことを書いている人もいたけれど、夫が面倒見ているんだからいいじゃん。何で母親が夜遊びしちゃいけないわけ? あの映画の中でヘレンが誰かにそう言われているというシーンがあっても良いけど、現代に生きる人間がちょっと時代錯誤な見方じゃないですかね。父親が毎晩酔っぱらって帰って来てもさして責められないのに、母親だと糾弾されるってのは、やっぱしおかしい。2人そろって育児放棄しているんじゃないんだから、どっちが面倒見てようが夫婦が納得していればいいでしょう

 大体、チャールズは小説を書きたいから、むしろ、子どもが寝た後、妻もいない方が集中できて良いくらいじゃないのか? 実際、作品中でもチャールズは黙々とタイプ打っているだけだったし。

 むしろ、自作の小説が評価されないからって、ヤケを起こして他の女性と親しくなるチャールズの方が悪質だと思いますね。

 、、、というか、まあ、ホントにどーでもいいんです、この夫婦のことなんて。それくらい、見ていて心動かされない作品なので。


◆マリオンの屈折した気持ちが哀しい

 強いてグッと来たのは、マリオンです。マリオンは、もともとチャールズのことをちょっと好きだったけれど、一顧だにされなかった。それで他の男性と結婚した、、、。という伏線があったために、ヘレンが亡くなった後、数年後小説家として成功したチャールズがヴィッキーを引き取りに来ても、頑として渡そうとしなかったのです。

 なんか、この時のマリオンの気持ちは、正直、私には分からないけど、でも、自分の気持ちを蔑ろにされたことへの屈折した気持ちが、こういうところに現れるのか、、、と思うと、哀しかった。

 だって、こういう場合、一番考えるべきはヴィッキーの幸せであり、ヴィッキー自身は父親であるチャールズと暮らしたがっているのです。だったら、普通はヴィッキーの望みを叶えてあげるのが、ヴィッキーを愛する者の行動であると思う。でも、そんなことは百も承知のはずのマリオンなのに、それができないのですから。思ったよりマリオンの心の傷は深かったのだということでしょう。なにより、赤の他人ではなく、実の妹と、チャールズは結婚してしまったのですから。

 映画では、夫に説得されたマリオンは、チャールズにヴィッキーを渡すんですが、原作では渡さないんだとか! それも凄い、、、。さすがフィッツジェラルド。ヴィッキーがチャールズの腕に飛び込むラストシーンは、思わずウルッとなりました。






邦題はなかなか詩的で良いですが、ちょっとネタバレかも。




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嵐が丘(1939年)

2016-10-11 | 【あ】



 嵐が丘に居を構える慈悲深い富豪アーンショウ氏が旅先で拾った孤児の少年ヒースクリフを連れて邸に帰って来る。跡取りの息子ヒンドリーは、ヒースクリフを最初から毛嫌いしたが、妹のキャシーはヒースクリフと親しくなる。アーンショウ氏が亡くなり、ヒンドリーの代になると、ヒースクリフは馬丁に格下げとなる。

 成長したヒースクリフ(ローレンス・オリヴィエ)とキャシー(マール・オベロン)は愛し合うようになっていたが、キャシーは「スラッシュクロス」と呼ばれる上流階級リントン家の邸宅での暮らしを垣間見、憧れるように。リントン家の跡取り息子エドガー(デイヴィッド・ニーヴン)が、キャシーに惹かれプロポーズしたことで、キャシーの心は揺れるものの、ヒースクリフではなく、エドガーを選ぶ。

 ヒースクリフは失意のうちに失踪してしまうのだが、、、。

 エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」を、ウィリアム・ワイラーが大胆に映画化。こってこてのメロドラマに仕上げていますが、結構イケます。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 『女相続人』に衝撃を受け、ワイラー監督の『ローマの休日』以前の作品を見たくなりました。主役2人をイギリス人俳優で固めながらもアメリカ製。でもそんなことはゼンゼン関係ない気がしました、本作については。


◆期待は裏切られません、、、一応。

 嵐が丘、といえばもうこれは、ヒースクリフを誰が演じるかでその作品価値の半分は決まると言っても過言ではないのでは。本作では、ローレンス・オリヴィエさまでございます。当時32歳のオリヴィエ氏、野性味のある美男子ヒースクリフには、まあ、悪くない(サー・オリヴィエに対し失礼な!)。私のヒースクリフのイメージとはちょっとばかし違うのですが。

 でもって、キャシー役のマール・オベロンさまも、なかなかのキツそうな美女で、イイ感じです。

 この2人が主役なら期待できそう、、、!? 

 結論から申しますと、期待を裏切られることはないと言って良いと思います。もちろん見る人の感性次第ですが、原作を大幅にカットし、ヒースクリフとキャシーの悲恋だけに焦点を当てたのが奏功していると感じます。原作を全部映像化すると、やっぱり4時間とか、6時間とか尺がないと到底ムリですもんね。


◆理想キャストは、ヒースクリフ:DDL、キャシー:HBC、、、なんだよなぁ。

 ただまあ、あんまりイロイロとここに感想を書きたくなる作品ではなかったのですよねぇ。

 それはやはり、原作が鉄板の名作であって、もうその内容について云々することも思いつかないくらい、ストーリーが脳内に刷り込まれているので、今さらそういう視点で批判的に見ることもなかなか難しいです。

 ただ、私は、この「嵐が丘」のオハナシ自体はあんまり好きではなくて、それは、ひとえにキャシーが同じ女性として好きになれないからです。キャシーのキャラは好きなんですが、生き様がね、、、。時代もありますけれど。この小説の魅力は、やっぱり狂気のヒースクリフにあると思います。

 でもって、私の中で評価の定まっている原作モノを映像化した映画であるために、どのくらいその世界観を具現化してくれているか、という点でしか見られない、というのもあります。

 そういう意味では、やっぱし、オリヴィエ氏のヒースクリフは、私にはちょっと違うと思ってしまう。野性味はあって欲しいんだけど、オリヴィエ氏はちょっとゴツ過ぎる感じ。もう少しストイックさを感じて、なおかつ細身な方が良い。、、、そう、私の中では、ヒースクリフは、DDLなのですよねぇ。そして、キャシーは、HBCで。この2人のコテコテ英国版『嵐が丘』が見たかった、、、のです。私の脳内では、その映像というか妄想が勝手に出来上がっているので、どの版の嵐が丘を見ても、物足りなさを感じるのは、まあ当たり前なわけで、、、。

 でも、レイフ・ファインズ&ジュリエット・ビノシュのピーター・コズミンスキー監督版『嵐が丘』よりは、本作の方が良いと思います。やっぱし、ビノシュがキャシーってのは、ミスキャストだったわけで、、、。でも、もう一度見てみたいかも。

 
◆ブニュエル版が見たい!!

 ローレンス・オリヴィエって、こんな顔だったっけ、、、? と思いながら見ていました。なんか、もう少し細面だったような気が、、、。こんなゴツい顔だったかなぁと。

 マール・オベロンは細くてちょっと神経質そうな感じが、ヴィヴィアン・リーに似ている気がしました。キャシーをヴィヴィアンが演じていても良かったかも、、、とか。マール・オベロンも魅力的ですけれど。

 個人的には、エドガー役のデヴィッド・ニーヴンが、あんましステキに思えなくて、、、。ひ弱すぎな感じ。オリヴィエ氏との対比で、ああいう配役にしたのかしらんとも思ったり。まあ金持ちの息子だから逞しいのも違うとは思うけど、もう少し、シュッとした感じの人が良かったな、なーんて。ま、おばさんの寝言です。

 まだ見ぬ、ブニュエル版の『嵐が丘』を見てみたいなぁ。舞台をメキシコに移した作品だとか。メキシコ時代のブニュエル作品はヒリヒリするのが多いから期待できそうなんですけれど。販売もレンタルもないし、、、。幻の映画なのかしらん。見られないとなると無性に見たくなる、、、。






水村美苗著「本格小説」を読み返したくなりました。




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ブリッジ・オブ・スパイ(2015年)

2016-10-05 | 【ふ】



 冷戦下のアメリカで、ソ連のスパイであるルドルフ・アベル( マーク・ライランス)の弁護を引き受けることになった弁護士のジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)。国中から罵声を浴びながらも、米兵がソ連の捕虜になった際の切り札に利用すべきだと主張してアベルの死刑を回避する。

 ドノヴァンの懸念どおり、米兵パワーズがソ連の捕虜となった。パワーズとアベルの身柄交換のため、再びドノヴァンに交渉役として白羽の矢が立った。難しい交渉のため、ドノヴァンは戦争の爪痕生々しいベルリンに入ったが、、、。

 良くも悪くも、ザ・スピルバーグな映画。


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 実話モノ&スピルバーグ、と2つも苦手要素が重なったのに、何となく見てみたくなりまして、、、。劇場まで行く気にはならなかったけれど、DVDでようやく鑑賞いたしました。


◆ドノヴァン氏の素晴らしき二枚腰

 実際のジェームス・ドノヴァン氏のお顔をネットで拝見したのですが、何となく、トム・ハンクスに似ているような。似ているというか、同じカテゴリーの顔、というか。

 しかし、トム・ハンクス、、、さすがに歳とりましたね。人間だから当たり前ですけど、『スプラッシュ』とかの印象が強いので、隔世の感がありまする。美男子じゃないけど、なぜか存在感のある役者ですよねぇ。若い頃から、今もそれは変わっていないですね。やっぱり、役者さんは、顔の造作の良し悪しも大事だけど、一番大事なのはオーラというか存在感だよね。

 で、このトム演じるドノヴァン氏は、専門は保険なんだけれど、なぜかソ連のスパイの弁護を任される。何でドノヴァンなのか、ってのは、割とアッサリな描写で、イマイチよく分からない。まあ、交渉力に定評があったってことなんでしょうな。

 とにかくこのドノヴァン、すごい精神力です。アベルを弁護する際もそうだけど、やっぱり私は、ベルリンで、身柄交換の交渉をするドノヴァンが圧巻でした。最初は、アベル:パワーズの1対1の交換の交渉だったんだけれど、たまたま恋人を救い出そうと東ベルリンに入ってしまった大学院生プライヤー君が拘留される事件が起き、それならばプライヤーも同時に取り戻そうと、アベル:パワーズ+プライヤーの1対2の交渉にしてしまう。しかも、パワーズ奪還作戦の責任者がプライヤーを何度切り捨てようとしても、絶対にドノヴァンは諦めないし妥協しないのです。これがスゴイ。

 普通の精神力の人間なら、軍人を取り戻すことの方が大事、国のためなら学生一人くらい犠牲になっても仕方がない、と思っても不思議じゃない。でもドノヴァンは違う。考えても実行できない人間が多いのに、ドノヴァンは考えた通りに実行しようとするし、実際にやり通してしまうのだから、このタフさには感動を覚えます。


◆オールAだけどA+は1コもない映画

 とはいえ、本作の見どころは、ほとんどそこだけ、、、と言っても良いくらい、あとはグッとくるところのない平板な印象でした。

 いや、とてもよく練られた脚本だし、無駄のない描写で、良い映画だとは思うのです。思うんですが、見終わって胸に迫るものもないし、もう一度見たいシーンもないし、まあ、正直見終わった後の率直な心の声は、“へぇ~、、、”でした。そんな話があったんだ、そんな弁護士がいたんだ、、、、という、へぇ~、です。

 つまり、映画で見なくても、NHKの海外ドキュメンタリー番組とかを見終わったときと同じ感じ。映画を見たはずなのに、それも一流のキャストに一流のスタッフによる、、、。

 別に無理矢理、感動作に仕立て上げる必要もないと思うし、淡々とした描写の映画でも感動させられる作品はイロイロあるのに、どうしてなのか。

 まあ、強いて理由を探せば、あまりにもスピルバーグが手練れだから、ってことかも知れません。敢えて難癖をつけるところもない、けれども、殊更印象に残るところもない、みたいな。

 クラシック音楽のレコードでいう“カラヤン+BPO”と同じかも。初めての曲を聴くなら、とりあえず“カラヤン+BPO”版にしとけ、と言われる。確かにハズレはないけど、他の個性的な演奏を聴いて耳が肥えてくると、ものすごくツマラナイ演奏に聞こえる、、、。

 記憶に残らないほどじゃないけど、印象には残らない映画だよね、正直なところ。見ている間は、面白いと思うけれど。






“ドノヴァン”=ヴァンパイア・ハンターなんだよなぁ、私には、、、。




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