作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv87369/
以下、公式サイトからあらすじのコピペ(青字は筆者加筆)です。
=====ここから。
元トップ人気女優エリザベス(デミ・ムーア)は、50歳を超え、容姿の衰えと、それによる仕事の減少から、ある新しい再生医療<サブスタンス>に手を出した。
接種するや、エリザベスの背を破り脱皮するかの如く現れたのは若く美しい、“エリザベス”の上位互換“スー”(マーガレット・クアリー)。抜群のルックスと、エリザベスの経験を持つ新たなスターの登場に色めき立つテレビ業界。スーは一足飛びに、スターダムへと駆け上がる。
一つの精神をシェアする存在であるエリザベスとスーは、それぞれの生命とコンディションを維持するために、一週毎に入れ替わらなければならないのだが、スーがタイムシェアリングのルールを破りはじめ―。
=====ここまで。
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アカデミー賞ノミネートのニュースが出回り始めた頃からやたらと話題になっていた本作。デミ様入魂の一作という触れ込みを耳にした以上、やはり見ておくべきか、、、と、デミ・ムーアのファンでも何でもないけど思ってしまって、劇場まで見に行ってまいりました。
~~ネタバレしておりますので、よろしくお願いいたします。~~
◆笑えなかったラスト
ん~~、正直なところ、鑑賞後感は悪い。特に終盤、一気に不快指数が上がった。
いや、終盤までは、へぇー、面白いこと考えたなぁ、、、という感じで見ていたのよ。グロいといえばグロいけど、それほどでもないし。食べる行為や食べ物の描写が超絶汚いのは本作のコンセプトなら理解できるので、見ていて気持ちはよくないけど、不快度は高くなかった。
じゃあ終盤の何に私のアンテナの不快指数が上がってしまったか、、、というのを、見終わってから1週間考えていたのだが、どうもモヤモヤするばかりで自分でも分からなかった。
スーの背中がパックリ割れて現れたモンスターの造形が、まず生理的にイヤだな、と感じた。
監督の意図は分かる。分かるが、あれはやり過ぎではないか。あそこまで戯画化してしまうと、ルッキズム批判ではなく、揶揄しているだけに見えて、ルッキズムに囚われて苦しむ人たちを貶めているように感じたのだが、、、。特に、エリザベスの若い頃の写真の顔の部分だけを切り抜いてモンスターに貼り付けるのは、いくらコメディとはいえ、悪ふざけの域であり、ルッキズム批判どころかルッキズムに“便乗”しているかにさえ見える。
コメディは、一歩間違えると批判ではなく、ただのイジリ、揶揄になり、果てはイジメに成り下がる。本作はそこに陥っているのではないか、、、。
……ということを直感的にあのモンスターの造形から感じて、それまでは能天気に笑って見ていたが、一気に眉間に皺が寄ったのだと思う。美の対局にあのモンスター(=醜悪)を配しているとしたら、結局ルッキズムと同じではないか?
ただ、あの血染めのステージシーンは、誰もが連想する『キャリー』のオマージュだろうから、彼女をさんざん虚仮にして使い捨てにした奴らへの仕返しと考えれば、一応ルッキズム批判としては一貫していると言える。
言えるけど、キャリーは女子高生で、エリザベスは修羅場をくぐりまくって人生経験を積んだ50歳である。スーから分裂したモンスターとはいえ、大元はエリザベスであり、エリザベスのアイデンティティがモンスターの核であるとすれば、あまりに幼稚、あまりに低劣、、、と感じてしまったのだが、これはまあ、割と私の中でも不快な理由としては大きくない。
……いや、そうでもないか。まあまあ大きいかも。見た目を過剰に気にする人間=幼稚、中身空っぽ、、、みたいな描き方は、ちょっと短絡的だと思うのだよね。エリザベスを演じたデミ・ムーア自身も整形に多額を投じているが、じゃあ、彼女が美しさだけの女優か、と言えばそんなことはないはずである。彼女は、エリザベスの役をどう咀嚼して演じたのだろうか、、、とかなり疑問に感じたので、インタビュー動画などを見たけれど、今も疑問は解けていない。
終盤のシーンでは、劇場内で笑いが起きていた。私の隣には、若い女性2人連れが座っていたが、彼女たちも無邪気にこの終盤のシーンを笑っていた。そうか、笑えるのか、、、と、それも複雑な気持ちだった。私も若い頃見たら、笑ったんだろうか。
◆ルッキズムとか老醜恐怖症とか
ルッキズム批判については思う所もあり(後述)、前述のような理由から本作の描き方に対してあまり肯定的な捉え方はしていないが、フェミ界隈では割と好意的に受け止められている模様。
ルッキズム批判でよく言われるのが、女性の美醜の基準を作って来たのは“男社会”であるというもの。これ、確かにそういう側面もあるだろうけど、私はちょっと懐疑的だ。
男が拘るのは、“女の若さ”であって、美醜はその次のような気がする。そういう意味では、本作は正確には、ルッキズム批判というより、老醜恐怖症批判、、、とでも言った方が良いかも知れん。
私が大昔に好きだった男性がある時、「そりゃ女性は若い方が良い。1歳でも若いに越したことはない」と放言し、かなり幻滅したのを覚えている。そのくせ、その彼は「美人で年上と、ブスで若い子だったら、そりゃ美人の年上の方が良い。年上の程度にもよるけど」とも言うのだ。てめぇ、鏡見てから言えよ、、、とは言わなかったが、思った。んで、その後大分経ってから、彼は親しい男性の友人から「お前、年上女性の方が合うんじゃね?」と言われたらしく、えらく憤慨していたのだけど、「私もそれ前から感じてたよ」と言ったら、滅茶苦茶落ち込んでいて、内心ザマミロであった。でも、本当にそう感じてたもんね。早い話が、幼稚な男だったのよ。
あと、親にお見合いさせられていた時に、母親が言った言葉も忘れられない。お見合い相手には医者もまあまあ居たのだが、結構年上だった。3~4歳だけじゃなく、7歳、10歳、、、とか。私は、恋愛での相手の年齢の許容範囲は±3歳(絶対条件。それ以上は上でも下でもムリ)と狭いので、7歳とか10歳上なんてもうキモいの一言だったんだが、そんな私に母親はこう宣った。「医者は若い子が好きやでなぁ。若ければ若いほどええって言うで」…………オエェェ。
ちなみに母親は(父親も)医者ではない。身近に医者はいたけど。前述の私が好きだった男は医者じゃないけど歯医者だった。なぜ医者?? 関係ある??? 多分、姉の見合いの時にそういう例をいくつか見たのだろうが、母親の勝手な思い込みだと思う。ハッキリ言って、医者に限らずだろ。
そういう男たちが決定権を持つ組織で、人に見られるポジションに就ける女性を、若さで選ぶのは、ある意味当然と言えば当然の成り行きだ。
ただ、美醜に関して言えば、男目線の基準というより、女性たちが自縄自縛に陥っているんじゃないかと感じている。というのも、オシャレやアンチエイジングって、別に男の目を引きたいからやっているのではなく、自分のためにやっている人が多いと思うから。もっと言うと、外見を男に褒められるより、同性に褒められる方が嬉しい、、、というのはよく聞く話だ。私も、男に外見を褒められてもキモいとしか感じないけど、女性に褒められれば素直に嬉しいと思うもんね。その基準の根源を辿れば、男目線に行き着く、、、のかも知らんが、そんな風に男目線を気にして外見を磨いている女性は少数派ではないだろうか。
老醜を恐れるのも、社会に必要とされなくなる、嘲笑される、、、からというよりは、単にかつての自分より醜くなることが哀しい、、、ってことだと思う。老いを受け入れるって、言葉で言うのは簡単だが、こればかりは人によるのでは? 一昔前に流行った“美魔女”とか、私は不自然だと思ったし嫌悪感を抱いたけど、実年齢よりはるかに若く見えることを良しとする人も居るのであって、それは個人の価値観と言ってしまえばそれだけのことである。
これも、大昔付き合っていた男の話だけど、彼は“禿げる”ことを異常に恐れていた。シワシワになっても太ってもそれは仕方ないけど、「禿げはいかんハゲは!!」と力説していた。あんまり言うので「じゃあ、禿げたらどうすんの?」と聞いたら「植える!!」と即答だった。しかも「ゼッタイ植える。いくらかかっても、禿げだけは許せん」と。これも、別に周囲の目を気にしてというよりは、彼自身の美的価値観だろう。逆に「禿げは仕方ないけど、太りたくない」という男性も知り合いに居た。禿げは自分じゃどうしようもないけど、体重は自身でコントロールできる、、、ということらしい。
……ことほど左様に、老いによる容貌の衰えに対する人の感覚は様々であり、老醜恐怖症は誰もが持っているけれど、程度が過ぎるとよろしくないよ、、、と本作は説教してくれているわけだ。大きなお世話だぜ、まったく。
◆その他もろもろ
デミ・ムーアは、実年齢60歳を過ぎているというが、やはり美しい。仰向けになった裸体の乳房が横に流れることなく盛り上がっているのを見て、整形の効果を知ったが、あんまし魅力的な胸じゃなかったなぁ。
背中がパックリ割れるシーンは、確かにグロいが、その後、スーがその割れた背中を縫い合わせるシーンの方がよりキモかった。あれは、生まれ出でたらあのようにすることが分身の脳みそにプログラミングされているのかね?
……なんていう疑問が野暮なほどに、あまりにも非現実的な設定ではあるが、実に面白いアイディアではある。
スーを演じたマーガレット・クアリー、惜しげもなく裸体を晒し、やたら身体をパーツで映されるシーンが多かったよね。あのレオタード、見えそうでヒヤヒヤしたわ。
真っ赤な壁の長~い廊下が何度も出て来るけど、『シャイニング』みたいだった。血の海になるのも、オマージュかな、、、と思ったり。
序盤、エビを最高に汚く気持ち悪く食べ続けるハーヴィ(デニス・クエイド)は、明らかにハーヴェイ・ワインスタインをイメージしたキャラだろう。
本作は、イギリスのワーキングタイトルが制作会社としてテロップされており、アメリカ資本も入っているようだが、フランスも制作に入っていて、ヨーロッパ制作と言っても良さそうだ。というか、本作は、ヨーロッパがアメリカを痛烈に皮肉った映画とも言えるだろう。確かに、フランスの女優たちは、年齢を重ねても整形しまくっている人は少なそうな気がする。
そういえば、私の母親は、もう20年以上前の話だが「あと10歳若かったら、整形したわ、私」と結構マジな口調で時々言っていた。あれは、あながち冗談ではなかったんだろうと思うが、若返って何がしたかったんだろうか、あの人は。彼女にサブスタンスを接種して、パワーアップした母親2号が現れるなんて、私にとっては地獄である、、、嗚呼。
デミ・ムーアにオスカーあげてほしかった、、、。