映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

白雪姫、スノーホワイト、、、、あれこれ ~その②~

2016-08-29 | 映画雑感
 その①のつづきです。


◆白雪姫の主役は、実母である魔女
 
 さて、そんなダークな白雪姫のお話ですが、その世界観を形成しているのは、白雪姫が猟師に連れ込まれた広くて深い森や小人の家といった環境要素が5%、7人の小人の存在そのものが5%、残りの90%は魔女、、、というのが、私の勝手なイメージです。

 そう、このお話は、白雪姫orスノーホワイトというタイトルがついていますが、主役は実母である魔女です。というか、白雪姫とは、魔女の物語であり、白雪姫の物語ではないと思うのです。だって、白雪姫自身、話の中で何もしていないですもん。

 まあ、、、こういうハナシについては、これまでさんざん、女性学においてジェンダーの視点から語られておりまして、今回“白雪姫&フェミニズム”というワードで検索を掛けたら、案の定ありました。ジェンダーから見るおとぎ話のお姫様を斬った『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(若桑みどり著、ちくま新書)、いわゆる“フェミ本”批判のブログ記事が。私は当の書籍を読んでおりませんが、なるほど、批判を書かれたブログ主さまがツッコミを入れたくなる分析が多々あったようですね、、、。

 まあ、単純化すると一般大衆にはウケやすいのでこういう書き方をしたのでしょう、著者は。でも、こういうことをやってるからフェミは攻撃されるんです。脇が甘いというか。


◆童話の功罪

 ただ、ブログ主さまの主張と思われる“ただのオハナシだと、どーして受け止められねーんだ、おめぇら”、というのには、一応、反論を。

 そう、これは童話。ただの童話。元はといえば民話。ただの民話、、、? え? ただの? 民話ってのは、人々の暮らし、風習から自然発生的に生まれたものである以上、そこには人間の営みに根差したお話であって、ただのオハナシと片づけられるものじゃないんですよねぇ。これが厄介なのです。

 確かに、フェミ的な切り方である“お姫様信奉”には、それこそバイアスが掛かっておりまして、ミイラ取りがミイラになっている感がありますけれども、なぜ、オハナシとして聞き流せないかというと、何より、これが童話だからです。こういうオハナシを思考が固まらぬ幼少期から繰り返し聞かされることで、“刷り込み”が起きるのは火を見るより明らかでしょう、今の社会のありようを見れば。

 ちょっと昔、アメリカのTVドラマ『アリー my love』で、アリーとルームメイトのレネが暖炉の火でマシュマロをあぶりながら話しておりました。

アリー「ねぇ、何で? 何で女って結婚にこだわるんだろ。何で?」
レネ「洗脳されてるの。子どものころ読んでもらったのは、白雪姫、シンデレラ。どれも男に見初められたり助けられておしまい。最近だと、リトルマーメイドにアラジン、ポカホンタス。男をモノにしておしまい」
アリー「てことは、女を毒してるのは、あの……」
レネ「ディズニー!!」

 これ、結構、的を射ていると思うのですよねぇ。アリーは、毒されているのが女だけだと言っているけど、男もそうだと思います。ディズニーに限らずですが、「(王子様と)結婚して幸せに暮らしましたとさ。おしまい」というオハナシの終わり方を、念仏のように聴かされては、そら、洗脳されますわ。

 だから、ただのオハナシで済ませられないと思っちゃうのね、女性学を齧った人間としては。そもそも、結婚してからの方が現実は大変なことの方が多いわけで。おとぎ話でそんな現実にヴェールを掛けちゃって良いのか、という見方もありますし。

 男も女も、ディズニー(だけ)で毒されているわけではなく、そういう社会の風潮に、もう知らず知らずのうちにどっぷり毒される。気がついたころには、中毒状態。ここから毒を抜くのは容易でないのは、これまた、現実の社会を見れば明らか。、、、まあ、一昔前よりはマシになったのかも知れませんが、まだまだこの猛毒ははびこっていると思いますねぇ。


◆ジェンダーは過激思想ではない

 男も女も一緒だーー! と、本来のジェンダーは言っているのではありません。いつぞや国会で性教育本を取り上げてお怒りだった議員がいましたけれども、あれはジェンダーではありません。“性別による社会的役割分業”をなるべく減らしましょう、というのが趣旨であり、生物的に差異があるのは前提です。この辺を、フェミ自身も踏み外している人々が多いので、目の敵にされがちなのですよねぇ、悲しいことに。

 まあ、しかし、世の中が変わりつつあるのを肌で感じている筆頭が、当のディズニーかも。最近のヒロイン像は、もはや男に助けられるだけでおしまいのお姫様ではありませんものね。そんなヒロインを描いていてはウケない、と分かっているのだと思います。

 実際、ステキな男(がいるのかどうかは別として)と結婚して、メデタシメデタシなんて、ウソ臭すぎる世になっているのよね、現実が。

 大体、ステキな男って、何でしょうか。逆に、ステキな女ってどんなんでしょうか?

 白雪姫ってステキな女ですか? 美しい女であればステキな女とは限らないでしょう。少なくとも、物語の中の白雪姫は、7人の小人に何度注意されても魔女の罠に引っ掛かるという、かなりオツムの弱そうな女です。これが果たしてステキな女なのか。

 王子様だって、ステキな男でしょーか? 白雪姫の死体に一目惚れして、棺ごと運ぶんですよ? ネクロフィリア、かつロリコン、、、と言っては夢がなさ過ぎ? ハッキリ言って気持ち悪いと、私は子ども心にちょっと思ったんですけど、この王子様、、、。いえ、ネクロ……なんて言葉はもちろん知りませんでしたけれども。

 まあ、そう考えると、今回見たポルノ白雪姫は、あながち元のオハナシの要素を外しているとは言い切れないのかも、、、。頭悪そうな白雪姫と、変態王子様のセックス。他の要素はまるで見当たりませんケド、、、。


その③につづく)





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白雪姫、スノーホワイト、、、、あれこれ ~その①~

2016-08-24 | 映画雑感
◆『スノーホワイト 白雪姫の純潔と妖艶の女王』

 今回、送られてきたDVDのうち1枚を先日見たのですが、これが、ビックリなことに、ポルノだったのです。TSUTAYA DISCASでレンタルしているので、ポルノは別枠のはずなんですが、、、。

 で、何を見たかと言いますと、『スノーホワイト 白雪姫の純潔と妖艶の女王』であります。これ、どうしてリストに入れたのか記憶はないのですが、多分、レアものだったので、きっと隠れた名作か何かだと勝手に思い込んだのだと思われます。ほとんどの場合、借りる作品の情報は、あんまり詳しくチェックしないので。でも、後からジャケ画像見たら、確かに、ちょっとそれっぽい感じではありました。

 白雪姫のストーリーを借りてはいますが、ほとんどがHシーンでして。最初は、「むむ?? この後、どんな展開??」と5分くらい見ていたんですが、延々セックスシーンで、ちょっと、ウンザリして来たので早送りしたんですけれども、セリフがあってストーリーが展開(?)するのは、4シーンくらいかなぁ。あとは延々、、、。飽きるよ、これじゃ。

 なので、102分の作品ですけど、30分くらいで見終わってしまいました。ハハハ。

 白雪姫や魔女の衣装からは、どう見ても、ディズニーアニメ版のそれ。そのイメージを見る者に与えつつ、映像ではセックスシーンを延々映す。このギャップですかね、大人としての楽しみは。 


◆映画と、BD「ピノキオ」(ヴィンシュルス著)との共通項

 、、、というわけで、映画については、あんまし書くこともないので(大体、早送りの連続じゃぁ見たとは言えないし……)、今回は、ちょっと「白雪姫」について色々と考えてみました。

 というのも、本作を見て、ある絵本をまた読みたくなって引っ張り出したんです。その絵本とは、「ピノキオ」(ヴィンシュルス著、原正人翻訳、小学館集英社プロダクション)。絵本というよりマンガ、BDです。

 余談ですが、この著者のヴィンシュルス、本名はヴァンサン・パロノー。あの『ペルセポリス』や『チキンとプラム』をマルジャン・サトラピと監督・脚本した映像作家です。『チキンとプラム』はイマイチでしたが、『ペルセポリス』はなかなか良かったし、まあ、マルジャン・サトラピの原作が好きだというのもありますが、このパロノー氏も注目人物だな、と思っていたところへ、この絵本が発売になり、迷わず入手しました。

 本の詳細は、リンク先をご覧いただけば良いのですが、まあ、とにかく、このヴィンシュルスは、天才です。こんなブラックな世界を、ここまで究めて描けるなんて、ホント、信じられません。もちろん、子どもに見せられる絵本じゃありませんし、好き嫌いがハッキリ分かれると思いますが、ハマる人にはどツボな作品だと思います。

 余談はさておき、なぜ、白雪姫なのにピノキオか、というと、リンク先をご覧いただけば分かると思いますが、白雪姫が出てくるんです、このマンガの中に。それも、もう、とんでもないオハナシになって、、、。まあ、ピノキオ自体がとんでもないことになっていますし、このBD自体がもう、、、ぶっ飛んでいるんですけど。

 映画を見て、“セックスの対象としてしか描かれていない白雪姫”という共通項で、このBDを思い出したのです。ご興味のある方は是非。図書館でも借りられます(というか、少なくとも私の居住する自治体の図書館には開架で置かれています。置いていない所もあるとは思います。内容が内容なので、、、)。


◆「白雪姫」がモチーフの作品群

 思えば、白雪姫をモチーフにした映画ってたくさんありますよねぇ。私はその多くを見てはいませんが、見たのは、1997年の『スノーホワイト』(シガニー・ウィーバー主演、マイケル・コーン監督)と、2012年の『ブランカニエベス』(スペイン映画)の2本くらい。

 97年版は、劇場で見たのに内容を全くと言っていいほど覚えていない。ただ、ものすごくダークな世界観で、ひたすらシガニー・ウィーバーが怖かったのだけは覚えています。

 『ブランカニエベス』は、白雪姫をベースにしていますが、救いのない悲劇です。大人のダークファンタジーですかね。モノクロで映像がとても美しく、音楽も良くて、これも劇場に見に行ったんですが、わざわざ劇場に行った甲斐があったと思いました。

 その他にも、最近では、シャーリーズ・セロンが出演している、『スノーホワイト』シリーズとかもありますよねぇ。評判はイマイチですけれど。ポスター画像の印象からだと、明るい戦闘系のようで、あまりダークな世界観ではなさそうな、、、。ちょっと食指が動かないですねぇ、、、。


◆白雪姫=ダークな世界

 元ネタの白雪姫のお話ですが、まあ、一般的にはディズニーアニメが下敷きにしたグリム童話が普及版といったところでしょうか。グリム童話はそもそもが民話をグリム兄弟が再話したものですから、実は、白雪姫と似た話は民話レベルには数多あるようです。こちらの素晴らしいサイトに色々な白雪姫の源流であるお話が掲載されています。

 大昔、「グリム「初版」を読む」(吉原高志・素子著、白水社)という本を読んだのですが、白雪姫のお話については、私はほぼ初版の内容と同じものを子どもの頃に英語教材で聞いていましたので、驚きはありませんでした。この本が上梓されて以降、“怖い童話ブーム”が巻き起こったわけですが、グリムに限らず、童話は結構エグいことは、確か高校の授業でも習いましたし、なぜ今さらブーム? と思ったものでした。

 初版を読んでみると、そもそも白雪姫はダークな世界観です。魔女は白雪姫の実母ですし、そもそも、白雪姫が生まれたいきさつも、実母が雪の降る日に、黒檀の窓辺で裁縫をしていてうっかり針で指を突いたら、雪に赤い血が3滴落ち、それを見た実母が「雪のように(肌が)白く、黒檀のように(髪が)黒く、血のように赤い(頬と唇の)女の子が欲しい」と思い願った、、、、というもの。このセリフが鮮烈ではありませんか。

 それに、このエピソードに王様の存在などまるでありません。子ども心に“処女懐胎か?”と思ったものです。

 白雪姫の方が美しいと鏡に宣告された後、猟師に白雪姫を森に連れて行き殺し、心臓を持って帰って来い、と命じる実母ですが、この森のイメージがとんでもなく暗くて怖いです。そして、たどり着くのが7人の小人の家。ディズニーアニメでは可愛い小人の絵でしたが、私が英語教材を聞いて連想した小人のイメージは、『ブランカニエベス』に出てきたそれに近い。だから、怖い。

 ラストの魔女の最期は、熱く灼かれた鉄の靴を履かされて、炎に包まれて踊り狂って死ぬ、、、のです。想像すると恐ろしい光景じゃないですか? しかも、白雪姫の婚礼の場で、ですよ? えげつない&グロいことこの上ない。

 英語教材でこの話を聞いたのは、小学生の頃でしたが、結構ショッキングでしたね。それまでは、改訂された白雪姫を聞かされていたわけですから。

 そういう意味では、シガニー・ウィーバー版の映画は、結構、私のイメージする白雪姫のダークさに近いものがありました。なのに、内容を覚えていないとは、、、。今度DVDで再見してみようと思います。

その②につづく)




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残穢―住んではいけない部屋―(2016年)

2016-08-16 | 【さ】



 以下、amazonよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 誰が、なぜ、事件を引き起こしたのか。聞いてしまった奇妙な「音」は、連鎖する不可思議な事件への招待状だった――。

 小説家である「私」(竹内結子)のもとに、女子大生の久保さん(橋本愛)という読者から、1通の手紙が届く。「今住んでいる部屋で、奇妙な“音"がするんです」好奇心を抑えられず、調査を開始する「私」と久保さん。

 すると、そのマンションの過去の住人たちが、引っ越し先で、自殺や心中、殺人など、数々の事件を引き起こしていた事実が浮かび上がる。彼らはなぜ、“音"のするその「部屋」ではなく、別々の「場所」で、不幸な末路をたどったのか。

 「私」と久保さんは、作家の平岡芳明(佐々木蔵之介)、心霊マニアの青年・三澤徹夫(坂口健太郎)、そして「私」の夫・直人(滝藤賢一)らの協力を得て、ついに数十年の時を経た、壮大なる戦慄の真相に辿り着く。だがそれは、新たなる事件の序章に過ぎなかった―。

 すべての事件をつなぐ【穢れ】の正体とは? 予定調和を許さない驚愕のラストまで、目が離せない。

====コピペ終わり。

 Wikiにはもっと詳しい原作のあらすじが出ています。ま、原作の方が何百倍も怖いです。映画の方は、ゼンゼン、、、、



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 原作を読んで、とてつもなく気味悪く、その本を手元に置いておきたくなかったので職場に持って行ったほどだったんですけど、なぜか本作は躊躇なく見てみようと思いました。、、、といっても、劇場まで見に行こうとは思いませんでしたので、DVD鑑賞ですが。……でもって、やはりというか、予想していたわけではないのですが、まあ、映画はゼンゼン怖くなかったです。


◆原作はフェイク・ドキュメンタリー

 原作の怖さの最大のポイントは、やはり、フェイク・ドキュメンタリーだったからです。読み手には、「私」が明らかに小野不由美さんと確信させられるものがあり、さらには実際に、平山夢明氏とか福澤徹三氏とか実在の作家が出てくるので、ますますドキュメンタリー臭が高まります。、、、え、、、これもしかしてホントに実話?? マジ?? ゾゾ~~ッみたいな。

 ですが、映画の場合、明らかに“作り物”であるからして、原作の怖さの効果は限りなくゼロとなってしまっているのです。

 余談ですが、原作は、山本周五郎賞を受賞しているのですが、審査員の石田衣良氏が「僕はこの賞を小野さんにあげたいと思ったけれど、この本を自宅の本棚に置くのはイヤ」と言ったとか。そう、そうなんです。冒頭書いたとおり、私も、まったく同じことを思いました。読み終わった後、とにかくこの本を手元に置いておきたくない、と思ってしまうのです。本なんて、実際はただの紙の束なんですけど、、、。でも、恐らく同じ感覚に襲われた人は多いと思いますね。


◆怖くなかった理由

 映画にも同じ怖さは、最初から求めてはいなかったので、怖くなかったことに凄くガッカリした訳ではないのです。が、そうはいっても、ここまで怖さを感じなかったのは映像的な面で理由があります。

 以下、激しくネタバレなので悪しからず。

 いきなり冒頭、床を這う黒い人の影が出てくるんですが、これがね、、、ものすごいちゃちいCGで、すんごい興醒めなんです。え゛~、そりゃないよ、的な。初っ端でそれなんで、こりゃ期待できないな、、、という心持になってしまいます。

 でもまあ、途中、ちょいちょい、ギクッ、ゾゾッとなるシーンもなくはないです。

 私がギクッとなったのは、久保さんが音のする和室に向かって座っていると気になるからと、和室の戸を閉めた直後に、ゴトッ、と大きな音がしたところですかね。その後、久保さんが恐る恐る戸を開けて、サッと帯の端が見えて久保さんがギョッとなるところの橋本愛ちゃんの演技もなかなかgoo。

 ゾゾッとなったのは、吉兼家の床下を這い回る友三郎の映像ですかね。微妙にボケていて紗のかかった映像は不気味でした。

 んまあ、それくらいですかねぇ、、、強いて怖いと言えるところは。

 あと、ダメ押しがラストです。「私」に悪戯電話がかかってきたところまではアリだと思うのですが、その後の、編集者と山本くんのところにお化けが出てくるシーンは、なんというか、もうホラーではなく、お化け屋敷的な感じでして、、、。笑っちゃうとまでは言いませんが、ものすごーーーーく興醒めでした。あれがなければ、余韻があって良かったのに、、、。

 ラスト直前までのストーリーの展開は巧みで、映像的な稚拙さとラストの蛇足がなければ、かなり怖い映画になっていたと思うのに、ちょっとその辺が残念ですね。

 ただ、原作は、ものすごく人物関係が錯綜していて、途中からこんがらがって分かりにくかったのですが、映画は人物関係を多少省略したのもありますが、うまく分かるように見せてくれていますし、その土地の歴史も映像で見せてくれますので、頭にスッと入って来やすいという部分は原作より良かったといえましょう。


◆土地の由来の持つ恐ろしさ

 先日、 「地名は警告する―日本の災害と地名」(谷川健一編)という本を読んだのですが、地名というのは、その土地の歴史を表しているもので、災害が起きやすい土地かどうかも地名で分かる場合がある、ということから、災害地名について詳細に説明されていました。谷川氏は、地名を安易に変えるのは犯罪である、とさえおっしゃっているようですが、この本を読むと、その言葉の意味もなるほどな、、、と分かります。

 今、自分が住んでいる土地が、一体、どういう歴史を辿って来た地なのか、、、なんて、ほとんど分かりませんよね。大体、普段よく見ている場所でさえ、古い建物が取り壊されて更地になると「あれ、ここって前に何があったっけ?」となるのが人というもの。人の寿命なんて、せいぜい80年かそこらで、80年ずっと同じ場所で生活している人は、現代では決して多くないのでは、、、。

 となると、その土地が災害が起こりやすいのか、ということはもちろん、その土地でどんな惨劇が過去に起きたのか、なんて、100年以上前になってしまえば誰も分からない、ってことですよね。

 本作の怖さはそこだと思います。“穢れ”もそうですけど、崩れやすい地形だとか、昔は沼だったとか、そういう、その土地の由来や固有の歴史が、どんどん上塗りされていくことで、何も知らない現代人は、うかつにもその“穢れ”に触れ、また、災害地に嬉々として家を新築して住んでしまう、、、。どこでどんな“穢れ”に触れるか、そんな軟弱な土地に家を建ててしまうか、、、。調べようと思っても、限界はあるし。

 でも、私は、あんまり詳しくその土地の歴史を辿りたいとは思わないですねぇ。実は、私は結構慎重派で、新居を決める際は、かなり地形や周辺環境には気を使います。なるべく坂の下よりは上の地を、水辺よりは高台を、傾斜地や造成地は避ける、墓地のすぐ側は避ける、、、といった程度ですけれども。仮に、良くないことを知ってしまったら、何か気持ち的にイヤですし。そんなこと言ったら、もうどこにも住めないような気もするし、、、。

 本作では、“穢れ”の大元である九州の炭鉱の奥山家から、どんどんとその“穢れ”が拡大していくわけですが、その辺りは、『リング』の感染に似た恐怖ですよね。ただ、リングのビデオは、主に能動的に感染するのに比べて、本作は意図せずに穢れてしまうわけですから、そこが恐ろしさの所以です。


◆その他もろもろ

 『リング』といえば、竹内結子さんはあれからものすごい出世しましたねぇ。あっちじゃ最初の犠牲者で、すぐ死んじゃう役だったのに。まあ、『リング』もゼンゼン怖くなかったですけど。本作での「私」は、“穢れ”に踏み込むにつれて、どんどんやつれていく感じで、その辺の演技は結構良かったと思います。橋本愛ちゃんとの美女コンビでした。

 ラスト近くの、色々あったけど、皆、平穏無事で過ごしています~、的な映像の数々の中に、何気なく、穢れを思わせる映像が紛れ込んでいまして、それはなかなか面白いな、と思いました。それだけに、かえすがえすも、ラストの蛇足シーンが残念です。

 また、エンディングの、住職が問題の掛け軸の絵を広げるシーンですが、、、。あれは、結局、何だったのか。月並みな解釈では、やはり、あの絵を見るとヤバいので、住職は「私」や久保さんに「あの絵は焼けた」と嘘を言って見せなかった、ということでしょうか。そして、最後に一瞬、絵が歪むというのは、、、?? まあ、あんまりこれ以上は書きたくないのでやめておきます。

 本来はものすごく怖がりなので、文字にして書いちゃうのが恐ろしいのですよね。本作を怖くないと連呼しておきながら、このザマです。、、、トホホ。

 







こうしてPCを打っていて、つい後ろを確認してしまう、、、。




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ニュースの真相(2015年)

2016-08-11 | 【に】



 ジョージ・W・ブッシュ大統領はコネを使ってベトナム派兵を逃れたのではないか、、、という噂はもともとあった。が、飽くまでも噂は噂のまま、彼が大統領2期目を目指していた2004年、再選されるか否かという微妙な時期に、大統領自身の軍歴に疑問を投げ掛けるスクープが報道された。

 ブッシュの軍歴詐称疑惑について追跡取材を進めるうちに、決定打と思われる資料“キリアン文書”を入手した、CBSテレビのニュース番組プロデューサー、メアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)は、苦心の末に資料の裏をとり、ダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)がアンカーマンを務めるCBSの看板番組で報道に踏み切ったのだった。

 が、しかし、、、。報道直後から、裏をとったはずの決定打と思った“キリアン文書”にケチがつき、報道の真偽に疑問が持たれるように。他の報道各社も調査に乗り出し、CBSのニュース自体がクローズアップされ騒ぎになる陰で、ブッシュの軍歴詐称疑惑自体は闇に葬られ、、、。

 実際に起きた“大誤報事件”を映画化。同じことは日本でも起きていますが、、、。



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 実話ものはイマイチ苦手なのに、なぜかこれは興味をそそられ見に行ってしまいました。サービスデーだったからか、なんと全席完売。ひょ~~。ま、イロイロ考えさせられました。


◆報道モノの定番を覆す映画

 ダン・ラザーの名前は、私の年代くらいまでの人ならよく知っているはず。CBSニュースは日本でも夜中に放送されていました。確か、吹替えで。本作のネタとなった事件は、実は私はあまりよく知らなくて、ブッシュの軍歴詐称疑惑報道はよく覚えていますが、なんだかうやむやになったなぁ、、、くらいにしか認識していませんでしたが、こんなことがあったのですね。

 これだけ人物関係も事実関係も複雑に入り組んだ話だと、ちょっと、事態を正確に理解するのは難しいです。大体の流れは分かりますけれども。字幕を追うのに必死になってしまい、映画に集中できないというか、、、。こういう作品は吹替えで見た方が分かりやすいかも知れません。

 ただ、本作は、中盤以降、観客が??と思うところについて、きちんと説明したり、まとめて解説したりしてくれているシーンがあります。それも、わざとらしい説明セリフではなく、必然性を持った形でね。なので、途中で???と思っていても、ラストまでにはキッチリ収集がついていますので辛抱して最後までしっかり見れば大丈夫。伏線もきれいに回収してくれていますので、この辺りの脚本の妙は素晴らしいです。

 報道モノの映画だと、大抵は『スポットライト 世紀のスクープ』みたいに、大スクープをしてそれまでのスタッフの苦労が報われ、、、というお話が多い訳ですが、本作は、スクープ報道後が本筋で、凄まじい権力との闘いが繰り広げられ、結果的に報道側が屈するという、報道モノの定番とは異なる展開です。
 

◆スクープして祝杯を挙げる、ということ。

 序盤、ブッシュの軍歴詐称をスクープ報道した後、メアリーとダンら、スタッフが祝杯を挙げるシーンがあるのですが、、、。正直、ちょっと失望しました。あれだけの大スキャンダルを報じたことに対する緊張というか畏怖というか、報道の重みを感じていないように見えたからです。違う意味で重みは感じていたからこその祝杯なんでしょうが、少なくとも、報道が引き起こす事態に対する緊張感は感じられなかった。

 報道する側というのは、報道対象が権力者であれ犯罪者であれ、自分たちが報道する内容によって、関係者の人生を狂わせるかも知れない、という自分の仕事に対する畏怖と緊張感が欠かせないと思うわけです。だからこそ、“確実に裏をとれ”ということなんだけれども、裏をとったら報道して、報道した側の勝利で終わって良いのか。

 メアリーとダンの祝杯には、勝利で終わった!!という満足感がありありと現れており、そこに軽く失望を覚えました。なので、私はその後の展開もむべなるかな、、、という思いで見てしまいました。

 メディアは権力の監視者である、けれども、メディアはそれだけで存在自体が正義な訳じゃありません。メアリーに、そのことに対する驕りはなかったと言えるだろうか、、、。私は、あの祝杯シーンに、やはりそれを感じたのです。“私たちこそ、正義よ”という驕りを。


◆蟻の一穴から全てが崩壊

 こういう、検証報道というのは、本当に、蟻の一穴から崩されて、コトの本質が見誤れることはよくあります。

 どんなことでも、何かを批判するということは、自分にも同じかそれ以上の批判が返って来るということ。卑近な例でも、誰かを批判すれば「お前はどーなんだよ?」ってことになるわけで。「お前だって○○じゃん」と、相手は些末なことでも揚げ足を取ってくる。人間、図星をつかれて追い詰められると、反撃のためには手段を選びませんから。地位や肩書にこだわる人ほど、この傾向は顕著でしょう。

 報道というか、メディアの役割とは、権力の監視がその第一義である以上、権力批判が仕事みたいなものです。であればこそ、蟻の一穴の隙もないほどに、事実を固め、批判を完全にかわさなければならない。少なくとも、本作でのこのネタにおいては隙があった。そこから突き崩されて、結局、大本命のブッシュのベトナム逃れは吹っ飛んでしまったのです。ん~~、残念。

 ブッシュはきっと、ほくそ笑んでいたことでしょう。なんだかんだと、結局2期目も務めましたからね。

 日本でも、捏造だ、誤報だ、というのはしょっちゅうです。中でも、慰安婦問題などは、その報道の在り方ばかりがフォーカスされてしまい、しかも対象となったお隣の国がまた一筋縄ではいかない相手だったということもあって、結局、あの問題の本質は何なのさ、、、ということになっています。


◆会社は社員を守らないのよ

 こういう問題が起きると、誰かシンボリックな一人が人身御供になって、組織は保身に走る、というのが定石です。

 本作でも、メアリー一人が槍玉に上がってしまい、ブロデューサーとしての手腕を問われるのは当然としても、その思想信条、家庭生活、生育環境、果ては彼女を虐待してきた父親にまでメアリー批判をさせるという、異常な状況が生まれていました。本来なら、彼女を虐待した父親こそ非難されるべきなのに、虐待した当事者が「あの女はリベラリストの困ったフェミだ。育てにくい可愛げのない女だ」という言葉を、無批判で報道する。それは、メアリーの過失に見合うものなのか。

 問題は、ブッシュの軍歴詐称でしょう。大統領ともあろう人間が、軍歴を偽っているかもしれない、そのことの重みを、もう大衆は忘れてしまう。忘れるように、実に狡猾・巧妙に権力側は誘導するのです。これに、我々大衆は乗ってはいけないのに。

 終盤、メアリーが第三者委員会で最後に反撃するシーンが印象的です。そう、彼女の言っていることは正論です。そのとおりです。でもね、正論が封じられてしまうのよ、ほんの小さなほころびがあったというだけで。彼女の無念はいかばかりか、、、。

 結局、会社は社員を守らないのですよね。メアリーが証拠をねつ造していたのなら、そら解雇は当然でしょう。誤報でさえなかったはずなのに、誤報にされた。会社は権力にあっさり屈したのです。メディアって何なんでしょうねぇ。組織になった瞬間に、メディアも権力になってしまうということを、本作は描いています。


◆その他もろもろ

 それにしても、ロバート・レッドフォード、すごい歳とりましたね、、、。でも、彼は、ずっと映画を撮ったり出演したり、一線に居続けているので凄いなぁ、と思います。ただまぁ、、、ジャーナリストって感じではなかったかな。ちょっと目に鋭さが足りない感じがしました。

 ケイト・ブランシェットは相変わらずの存在感。バリキャリのプロデューサーがハマっていました。メアリーを支えた夫・ジョナサンがイイ男でした。ルックスが、じゃなくて、人間としてです。決してメアリーを責めずに、常に勇気づけてくれる夫、、、。なかなかいないんじゃないでしょうかね、こんな大人な器の大きな男は。

 メアリーと一緒に取材に駆け回るスタッフのおじさんの顔、どっかで見たよなぁ、、、と思っていたら、デニス・クエイドだった!! ごめん、最後まで気付かなかった! 別にすごいルックスが変わったとかじゃないのに、なぜか、分からなかったわぁ。

 まあ、実話が元ネタなので、真に迫っていて面白いとは思いますが、好き嫌いで言っちゃうと、好きじゃない作品です。








で、真相(TRUTH=原題)は“ブッシュは詐称していた”ってことを言っているのね。




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神様はバリにいる(2014年)

2016-08-08 | 【か】



 婚活ビジネスで起業したものの失敗し、800万円の借金を抱えた照川祥子(尾野真千子)は、自殺して自分の保険金でその借金の穴埋めをするしかないと思い詰め、はるばるバリまでやってきて死に場所を探し、断崖絶壁の上を選んだ。しかし、そこへスクーターで駆け付けたリュウ(玉木宏)に、そこで自殺されると地価が下がるからやめてくれと言われ、、、。

 リュウに連れられて行ったところは、高級リゾートホテルと思しき建物。そこには、眉毛のない見るからに怪しそうなヤクザ者の男・アニキ(堤真一)がいた。が、実はこのアニキ、バリで30以上もの会社を運営する大富豪だったのである!! アニキと出会った祥子は果たして、、、。


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 昔愛していた男(堤真一)と、今まあままお気に入りの男(玉木宏)が共演している映画、というだけの理由で鑑賞しました。実話というか、アニキに実在のモデルがいる、ということは知っていたのですが、、、まぁ、正直言って面白くはなかったです。


◆シナリオが、、、(唖然)。

 あまり、内容について云々する気になれない作品です。要は、祥子は事業の失敗を周囲のせいにして世間を恨んでいた凝り固まった女だったのが、アニキに出会って生まれ変わった、、、という、アラサー(かアラフォーか知らんが)女の再生物語です。もう、掃いて捨てるほどあるパターンのドラマ。

 しかもその構成は、シナリオコンクールとかで入選しそうな典型的“変化物語”。ネガティブな主人公→刺激人物に出会い→影響を受けて→それまでの自分の考えが間違いだと気付き→ポジティブな主人公に変化、っていう、教科書的な展開。これのどこが面白いのさ。スクールの模範シナリオレベルでやってちょーだい、って感じ。

 よく“主人公を走らせろ”とシナリオスクールでは教えるんだよね。なので、私は、日本のドラマや映画で主人公が走っているシーンを見ると白けるんです。ひねくれているのは自覚していますけど、大抵、日本のドラマや映画では重要なシーンで走ってるんですよ、主人公が。でも、本作は、重要でもないシーンでムダに一杯走っていましたね。

 祥子のキャラが薄っぺらいので、ヒジョーに面白味に欠けます。親の敷いたレールを歩いてきた優等生で世間知らずが起業して事業に失敗、マニュアル通りに頑張ったのに! 頑張ったのに報われないのは社会が悪い! とかって、、、、。いや、それ自体はいいけど、その描写が、祥子の回想シーンに祥子のセリフを被せて全部説明しちゃっているという、、、。それじゃあヒロインの意味ないじゃん。

 あ、本作の真の主人公はもちろん、アニキですけれども。そのアニキについても、全部リュウがセリフと回想シーンで説明しています。リュウ自身のこともそう。つまり、主要人物紹介は全部、回想シーン&説明セリフ。もう、これだけで、この映画は金払って見る価値がない、と言っても良いと思いますね。……DVDレンタル料を払って見たんですけどね。

 後半、幼稚園建設計画が頓挫しかけるのですが、それが無事計画にこぎ着けるまでのやりとりもイージーで、祥子がアニキに怒鳴り散らしながら説教するところなどはもう、いささか幼稚過ぎなシーンで、正視していられませんでした。百戦錬磨の堤さんもよくこの演出で応じたよなぁ、、、とか思いながら。


◆手垢のついたアニキ語録は有難味ゼロ

 本作のその他の見どころは、アニキの語録だと思うんですが、これもまあ、私にはあまり面白いとは思えなかった。「苦しい時こそ笑え」「常識を疑え」「信頼はカネでは買えん」などなど、どれも既視感アリのものばかり。なんか、売れないコンサルタントの書いた指南本とかに出ていそうな、、、。

 まあつまり、結局、成功の秘訣っていうのはそれくらい根本は単純なこと、ってことなのかも知れません。もちろん、ここでいう秘訣とはビジネス上のハウツーではなく、心の持ち方ということですが。

 それを、1コ1コ、祥子がメモしているのが、何だか、もう、、、イラッとするというか。あんた、そんなことメモしなきゃいけない程度にしか起業の心得を学んでいなかったのかよ、そら潰れるわ、会社、、、みたいな。だんだん見ていて辛くなってきます。

 そのアニキの地元の人へのボランティア精神も、素晴らしいことだとは思うけれども、どうもちょっと独善的な感じがするし。、、、まあでも、これは実際のモデルになった丸尾孝俊さんという方がやっていることなんでしょうね。

 
◆堤真一&玉木宏、その他もろもろ

 堤真一は関西(兵庫)出身だけあって、関西弁は板についており、破天荒なアニキのキャラもなかなか合っていた。「ANIKI」とでっかく書かれたTシャツをいつも着て金のネックレスに、眉毛は金髪(?)で、頭髪も金髪みたいな茶髪、、、もうマンガみたいなキャラになった堤さん。まあ、彼はコメディも当然上手いので、マンガキャラでも全然イイんですけど、なんか老けたなぁ、さすがに。もう50過ぎだもんね、、、そらオヤジになるよなぁ~。20代の彼はあんなに精悍で、お肌もツヤツヤだったのに、、、。なーーんて。もちろん、今も十分イイ男ですが。

 一方の玉木宏は、お椀を被せたみたいなその髪型は何だよ? と言いたくなるけど、まあ顔がイイからいっか。ちょっと存在感薄かったですね。アニキと祥子が濃すぎるんで、どうしてもリュウは薄味になりますね。なんか、アニキの過去を説明するだけのご都合キャラになっていたのが可哀想です。

 尾野さんは、良い女優さんだと思うんですが、本作ではちょっとウザキャラで、それがいつも喚いたり怒鳴ったりしているので、余計に見ていてイラッとさせられるものがありました。そんな風に演じなくても良い役だと思うのですけれど、祥子さんて。

 つまり、監督の手腕に問題あり、、、ってことで納得することにしました。この監督さんの作品を見たのは初めてでしたが、残念ながら他のを見てみたいという気にはなれません。


 



バリの美しさ(だけ)が印象的。




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