映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

シック・オブ・マイセルフ(2022年)

2023-10-21 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv82408/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 シグネの人生は行き詰まっていた。長年、競争関係にあった恋人のトーマスがアーティストとして脚光を浴びると、激しい嫉妬心と焦燥感に駆られたシグネは、自身が注目される「自分らしさ」を手に入れるため、ある違法薬物に手を出す。薬の副作用で入院することとなり、恋人からの関心を勝ち取ったシグネだったが、その欲望はますますエスカレートしていき――。

=====ここまで。


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 少し前に、TwitterのTLに本作の予告が流れてきました。その時のスチール画像を見た瞬間、『オテサーネク』やん??と思って、強烈に印象に残りました(オテサーネク、好きなもので、、、)。

 

左が本作、右が『オテサーネク』。……似てませんか?

 

 でまあ、あらすじとか一応チラッと見たけど、この画像で内容を期待して良さそうと直感したので、公開直後のサービスデーに見に行ってまいりました。いやぁ、、、期待に違わぬ、、、どころか、期待のはるかナナメ上を行く作品でござんした。ひょ~~。

 ちなみに、上記のあらすじは若干ピントズレな気がしますね。シグネは恋人の関心を引きたかったからあんなことをしたわけじゃないと思うんですが、、、。公式HPでコレはどーなのかしらん。


◆肥大化した自己顕示欲を持て余すシグネ。

 死愚ね、、、じゃなくて(なかなか的を射た変換だ)、シグネという女性が本作の主人公なんだが、ここまでイッちゃってるヤバいキャラは、なかなかいないのではないか。彼女に匹敵するヤバいヒロインとしては、、、『パッション・ダモーレ』のフォスカ、『私、オルガ・ヘプナロヴァー』のオルガ、『地獄愛』のグロリア、、あたりが思い浮かぶが、方向性がかなり違うかな。フォスカとグロリアは一人の男に執着し過ぎなストーカー気質、オルガは対人距離感のオカシな人だった。シグネは、自己顕示欲の塊。もう、まさにビョーキ。

 自己顕示欲、、、誰にでもあるものだと思うけど、大抵の人はそれをあんまし露骨には出さないようにする。目立つの大好き人間もたくさんいるけど、彼らだって、例えば自分が期待していたより周囲の反応が薄かった時に「何それ、そんだけ?そんな程度?アタシのことバカにしてんの??」なんて相手にグイグイ追及しないでしょ。せいぜい「え、もっと褒めてよ!」とかおちゃらけて言う程度じゃないか?

 でもシグネは言っちゃうのだ。「何それ」って。

 ヘンなロシアの薬をのんだ副作用で顔面崩壊した後、いかがわしい事務所の紹介でモデルをすることになったシグネ。それを自慢げに友人夫婦に喋るが、友人夫婦は「その事務所、障がい者を見世物にしてるって噂聞いたから、、、」と心配するわけだが、シグネは「何それ、アタシにはモデルなんかできっこないとか思ってるわけ??もっとスゴいって言いなさいよ!!」(セリフ正確じゃないです、ゼンゼン)とか言って絡んで、友人夫婦を呆れさせてしまうのだった。

 このシーンは後半なんだけど、もう、序盤からシグネはヤバさ全開である。

 注目を集めるためなら、食物アレルギーだと大ウソをつく、犬に顔面を嚙みつかせようとする、、、挙句の果てが、ロシアの“リデクソル”という脱法ドラッグ。それをのむと、副作用で皮膚が爛れると知り、シグネはそれをヤク中の友人にネットで大量に購入してもらい、せっせと服用するんである。

 ……もう、、、あーあ、、、って感じのシーンが続くのよ。

 顔面が崩壊することよりも、周囲に注目されないことの方が、シグネにとっては我慢ならないらしい。注目を浴びるなら、顔面が崩壊しようが病気になろうが構わない。ところどころ挟まるシグネの「こうなったらいいのにな~」という妄想シーンがまたイタい。妄想とリアルが微妙に曖昧に提示され、シグネのヤバさを暗示しているようで、ある意味コワい。

 結局、シグネの自己顕示欲は満たされないまま終わる、、、ごーん。


◆シグネは性格が悪いのか?

 シグネがこうなったのには、きっと生い立ちに何らかの原因があるんだろうと思うが、そこは全く描かれないので分からない。母親は出てくるが、イマイチ存在感が薄く、シグネにアサッテなアドバイスをするだけなところを見ると、やはり、シグネは愛情不足な環境だったのではないか、と推察される。

 彼氏トーマス(この人もかなりヘンな人ではある)は、シグネが顔面崩壊して入院すると、「もっとオレが話をちゃんと聞いてあげればよかった」と後悔して、泣く。トーマスは、シグネが嘘をつきまくっていることを分かっているし、シグネが顔面崩壊してその後も体調がどんどん悪くなっても、彼女から離れようとしない。これは、愛なのか、、、それとも共依存、、、? 多分、後者なんだろう。

 シグネは、自己顕示欲を満たすために、その矛先が自身の肉体改造へと向かったのだが、これが反社会的行動になって他者へと向かったのが『私、オルガ・ヘプナロヴァー』のオルガだろう。どちらが良いとは言えないが、他人を物理的に傷つけないだけ、シグネの方が罪がないかも知れぬ。

 ネットの感想に、「シグネの性格が悪過ぎる」と書いている人がいたんだが、それはまあ間違いじゃないけど、彼女の場合はもう性格とか何とかではなく、病気なので、きちんと精神科で治療を受けないといけない状態なわけよ。性格が本当に悪いかどうかはその後の問題。私は見ていて、序盤こそ「何このヤバい人、、、」と思ったが、途中から可哀相になってしまった。彼女はこのまま適切な治療を受けない限り死んでしまうだろうから、どうにか救われてほしい、、、と思って祈るような気持ちで最後まで見た次第。……ま、救われなかったんだけど、本作内では。

 
◆バズりなんかじゃダメなのよ。

 “承認欲求”全盛の現代で、その塊みたいな主人公シグネだが、本作ではそのツールであるSNSはあくまで遠景にしか描かれていない。SNSは、結局、承認欲求を瞬間的に満たすための道具に過ぎないことを踏まえてのことだろう。シグネが妄想する理想は、TVのインタビュー番組に出演したり、体験記を出版してその本がベストセラーになったり、、、というもので、バーチャルでのバズりではないところがミソである。彼女にとって、バズりではダメなのだ。

 これは、本作において案外重要なことではないか。ネットでのバズりなんてのは、誰にでも起き得ることで、運やタイミングも左右する。しかも一時的で打ち上げ花火に終わることがほとんどだ。シグネでなければならない理由は全くない。けれど、TV番組に呼ばれる、本が売れる、、、ってのは、シグネ自身にスポットライトが当たった結果のことであり、彼女の夢想はここにあるのだ。

 有名人の全てが、才能があったり、努力の人であったり、、、というわけでもない。シグネから見れば“何であの人が、、、?”な人もいるのだろう(その一番身近な例が彼氏のトーマスかもだが)。何でアタシじゃないわけ? あの人が注目浴びてるのにアタシが注目されないのヘンじゃない? って感じじゃないか。シグネが可哀相なのは、あんな姿になっても、集団セラピーの場で、まだ自分を過剰演出してしまうところ。ぶっちゃけ、不幸自慢。

 でもさ。仮にシグネが一躍注目を浴びたとしても、世間はすごく忘れやすいから、すぐにシグネに集まった注目も潮が引くようになくなってしまうと思うのだよ。そうすると、シグネの場合、注目を浴びる前よりもさらに承認欲求が強くなるか、世間に忘れられたことにショックを受けて激しい鬱になるか、、、とにかく、注目が集まっても病むと思うのよね。どっちにしても、彼女に必要なのは、やっぱり“治療”でしょ。

 本作はノルウェーが舞台なんだが、北欧映画って、そんなにたくさんは見ていないけど、こういう人間の醜悪さを容赦なく描いちゃう作品が結構ある気がするなぁ。一度は行ってみたいな、ノルウェーとかアイスランド。

 

 

 

 

 

 


犬の飼い主がシグネを罵倒するシーンが、不謹慎だが笑えた。

 

 

 

 

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オオカミの家(2018年)

2023-10-14 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81812/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 美しい山々に囲まれたチリ南部のドイツ人集落。“助け合って幸せに”をモットーとするその集落に、動物が大好きなマリアという美しい娘が暮らしていた。

 ある日、ブタを逃がしてしまったマリアは、きびしい罰に耐えられず集落から脱走してしまう。逃げ込んだ一軒家で出会った2匹の子ブタに「ペドロ」「アナ」と名付け、世話をすることにしたマリア。だが、安心したのも束の間、森の奥から彼女を探すオオカミの声が聞こえはじめる。

 怯えるマリアに呼応するように、子ブタは恐ろしい姿に形を変え、家は悪夢のような禍々しい世界と化していく……。

=====ここまで。


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 公開前から頻繁にTwitterのTLに流れて来た本作の告知。それを見ても、ふ~ん、、、という感じだったのだけど、アリ・アスターが激推ししていると知って、ますます興味が失せたのでした(彼の映画は2本ダメだったので、、、)。

 じゃあ、何で劇場まで見に行ったのかというと、公開直後から満席御礼が続いていて、見た人たちが「すげぇ」だの「ヤバい」だのと褒めてんだか貶してんだか分かんないツイートを上げていて、しかもあの悪名高い“コロニア・ディグニダ”にインスパイアされたと聞けば、むむっ、、となってしまったのでした。コロニア・ディグニダについては、こちらをご覧ください。……まあ、非常にヤバい組織です。

 そんなわけで、都合、2回も見てしまったのだけど(理由は後述)、もうネット上には読み解きも感想も溢れているので、思ったことをつらつら書きます。


◆ちょっと飽きる。

 アニメはあんまし見ないので詳しくないのだが、ちょっと見たことのないアニメーションではあった。とにかく、終始、絵が動き続けており、それも(うまく言えないけど)制作過程を見せられている様なアニメーションなんである。だんだん人型になっていったり、逆に、人がだんだん背景と化していったり、、、。

 ……でも、斬新さにも15分くらいで慣れてしまうのだった。ず~っとあの調子で80分は、アニメ好きでない者にとってはなかなかの苦行で、早々に飽きる。セリフはあんましないので、その落ち着かないアニメーションを凝視していなければならない上に、そもそも色々と分かりにくいので、多くの人が睡魔に襲われたというのも納得。私も、ご多聞に漏れず、中盤で少しウトウト、、、。でもまあ、多分ほんの2~3分だったと思うよ! ……知らんけど。

 致命的なのは、ラストシーンで意識が飛んでしまっていたことですな。気が付いたらエンディング。なので、オチが分からなかったという、、、。

 本作は、主人公のマリアという少女が逃げ出したとある集団が、実はやはり素晴らしい場所であった!ということを宣伝するためのフィルム、という設定であるのだけれども、オチが分からないと、マリアは逃げ出して、終始逃げまどうだけで、どうしてとある集団の宣伝になるのさ??という不可解なことになる。

~~以下、ネタバレですのでよろしくお願いします。~~

 で、2度目に鑑賞したときは、ちゃんと終始覚醒していたので、ようやく理解できました。

 マリアは結局、とある集団に自らの意志で戻って行くのです。あぁ、あの場所は実は素晴らしかったのだわ!……と。逃げ出した先の暮らしが酷くて、逃げ出す前の方がマシだった、、、て、これカルトに限らず、DV被害者とか、虐待被害者とかでもあるパターンで、終わってみれば一見難解そうな本作のストーリー自体はシンプルだったみたいである。

 序盤、マリアが逃げ込む家の描写がいきなり不気味なのだが、美輪明宏みたいな声でBGMのように「まり~あ~~、まり~あ~~~~、、、」って流れるのが、何か生理的にイヤだった。いや、美輪明宏の声は別に嫌いじゃないんだけれども、、、。

 豚2匹と一緒に逃げて来たマリアだが、その豚が、いつの間にか人間になっていて、逃げ込んだ家の周りはとある集団から放たれた“オオカミ”がいるから外に出られなくて、食料も尽きてどうしようもなくなる、、、、とかいう展開だった。

 うぅむ、きっと哲学的に見ようと思えば見られる映画なのだろうが、どうも私はあのアニメーションがダメだった。何度も言うが、飽きる。……というか、ウンザリしてしまったのだよね、途中からあのトーンが。ずーーーーっと一本調子なもので。もう少し抑揚をつけるなりしてくれれば良かったのだが、それはきっと監督らの意図するところじゃないんでしょう。


◆併映の短編

 本作の上映前に、10分程度の『骨』というアニメーション作品が併映されているのだが、私はこちらの方が気に入った。あの独特過ぎるアニメーションには、このくらいの尺が合っていると思う。

 内容は、『オオカミの家』同様にイマイチよく分からないが、どうやら、2人の男を罰したいらしい女性の物語だということは分かる。見終わってパンフを読んで、その背景を知りのけぞってしまった。これ、実在の女性と2人の男の物語をベースにした作品だったのね……。いやぁ、、、グロい。

 これだけじゃ何のことやら、、、と思いますが、ご興味おありの方は見ていただいた方が良いです。

 この『骨』は、大昔のフィルムが2023年に発見されたので修復して見られるようになった、、、というフェイク・ドキュメンタリー調であり、一瞬私も騙されそうになって、途中で“んなわけないか”となったのだが(私、このフェイク設定に引っ掛かりそうになるのよね)。この『骨』の本邦公開は今年だけれども、制作年は2019年だったみたいで、当時見れば、これが明らかなフェイクであることは分かる、という仕掛けだったのね。こういうのも、なかなか面白い。少なくとも『オオカミの家』のカルトの宣伝映像、、、という設定よりは見やすい。


◆2度見に行った理由

 というわけで、さほど気に入ったわけでもない本作を、何で2度も見に行ったかというと、前回の感想文『ファルコン・レイク』と、そこでも書いたがワーナー100周年企画で上映された『ダーティ・ハリー』の上映時間の間が3時間半もあったのよ。3時間半という微妙な時間、渋谷から移動するにはちょっと短いし、渋谷で見られて3時間半の間にすっぽり収まる様に上映されている映画、、、というと、本作だけだったのでした。

 あと、前述のパンフが、初回見たときは売切れで、見本が置いてあったのでザっと見たら、色々な背景が詳細に書かれていて欲しくなってしまい、パンフ欲しさに2度目を見た、、、というのもある。

 で、パンフを読んだのだが、監督のインタビューとか制作経緯とか、それらも面白いんだけど、私が一番グッときたのは、「眠るのは嫌い 夢を見るから――。」というタイトルのインタビュー記事。インタビュイーは臨床心理学者で東洋大学の教授・松田英子氏。この方のお話が、私が本作を見て漠然と感じたものを言語化されていて、ちょっと色々腑に落ちたのだった。

 その中で「心理支援者としてはそういったトラウマがある人たちには観てほしくないなと思いました」と語っている所が、妙に納得だった。「そういったトラウマ」というのは、「色々な支配下に置かれ」たことで負ったトラウマを指している。なぜ観てほしくないと思ったのかについては、直截的にはやはり「救いがない」からであり、間接的には、「逃げ出そうともがいている人たちに向けて「マインドコントロールを解くヒントがいくつもあったのにね」というメッセージを感じ」たからだと、話している。

 この、逃げ出したいのに、逃げるのが怖い、逃げられない、、、ってのは、私も経験者なので、本作にウンザリしたのはアニメーションだけではなく、そのことについての拒否反応があったのも事実。絶望感を上塗りしてくる感じ。本作自体が、私からしてみれば“逃げたいのに逃げられない”映画になっている。……なーんて、2度も見ておいて何言ってんだか。

 

 

 

 

 

 

 

人形の造形が、ちょっと舟越桂の彫刻に似ている、、、と感じたのは私だけ??

 

 

 

 

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ファルコン・レイク(2022年)

2023-10-09 | 【ふ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81516/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 ある夏の日。もうすぐ14歳になるバスティアンは、両親と歳の離れた弟と一緒にフランスからカナダ・ケベックにある湖畔の避暑地へとやってくる。2年ぶりに訪れる湖と森に囲まれたコテージ。母の友人ルイーズと娘のクロエと共に、この場所で数日間を一緒に過ごす。

 久しぶりに再会したクロエは16歳になっていて、以前よりも大人びた雰囲気だ。桟橋に寝転んでいたクロエは服を脱ぎ捨てると、ひとり湖に飛び込む。「湖の幽霊が怖い?」泳ぎたがらないバスティアンをおどかすようにクロエが話す。

 大人の目を盗んで飲むワイン、2人で出かけた夜のパーティー。自分の知らない世界を歩む3つ年上のクロエに惹かれていくバスティアンは、帰りが迫るある夜、彼女を追って湖のほとりへ向かうが——。

=====ここまで。


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 公開直後から気になっていたのだけれど、上映館が少ないし、時間も合わない、、、ので、諦めていたのだけれど、ワーナー100周年とやらで、私の最愛の映画の1つ『ダーティハリー』が35ミリフィルム上映されるということで、こりゃ見逃しちゃならん!!とスケジューリングしたらば、15時半くらいまで空白ができたのでチェックしたら、本作がまだ上映されていた!!のでした。わ~い。

 ……というわけで、初めて渋谷のシネクイントに行ったのだけど、キレイでなかなか良い劇場でした。


◆10代の男女

 上記のあらすじしか知らずに見たのだが、想像していたのとはちょっと違っていて、それがむしろ良かった。上記のあらすじから、私は勝手に、心理サスペンス系かと思っていたのだけれど、蓋を開けてみれば、多感な少年少女の繊細なドラマだった。

 まず、野暮を承知でリアルなツッコミ。バスティアンとクロエは、13歳と16歳という年齢なのに、同じ部屋で寝起きしているのだよね。いくらバスティアンの弟(4歳くらい?)も一緒とは言え、こんな環境を許す親の神経を疑うわ~。私が親なら(どっちの親でも)、部屋が足りないとかいうのであっても、この環境はあり得ないし、親として生理的に嫌だわ。フランス人的には、これはアリなのか? ……分からん。

 で、本題ですが。

 正直なところ、クロエちゃんのことはあんまし好きじゃない。ああいう、人の心を試すようなことをする人はちょっとね、、、。でも、まあまだ16歳だし、もうすぐ14歳男子との危うい感じはよく描かれていたと思う。

 クロエは母親とあんましソリが合わないようで、父親は不在なのか何なのか(見落としたのかも知れない)よく分からんが、あの母娘関係は先々かなり拗れる予感。で、クロエは孤独感を募らせており、「どこへ行っても馴染めない。ずっと一人ぼっち、、、グスン」とかバスティアンに言って、一緒に布団に入って抱き合ったりしているわけよ。クロエは「馴染めない」と言っているけど、パーティシーンなど見ていると、表面的には馴染んでおり、むしろ男を挑発するような仕草もしている。心からの友ができない、という意味なら、オバサンの眼には“クロエちゃんのキャラなら、まあ仕方ないかな”、、、、という感じに映るねぇ。だって、飽くまで表面的かもしれないけど、やはり奔放(ワガママ)に見えるから。

 でも、免疫のない初なバスティアンには、そうは見えない。クロエの言葉をまんま受け止めて、クロエの行動に振り回される。ああ、、、少年よ、違う違う!!とオバサンはスクリーンに向かって心の中で叫んでおりました。

 日常を離れた場所で、日頃接触の無い年上美少女に思わせぶりな態度をとられては、バスティアンがおたおたするのも無理からぬ。で、ついつい見栄を張って出まかせを言ってしまう。「クロエと寝た」……ってね。

 あーあ、、、と思ったら、やっぱりそれがクロエの知るところとなり、クロエを怒らせることに、、、。そして、取り返しのつかない悲劇の終盤となる。

~~以下、結末に触れています。~~


◆幽霊はいるのか、、、?

 悲劇の終盤について、詳細は書かないけれども、“幽霊”の話が伏線になっている。

 バスティアンが泳げない、、、というエピソードが出て来たので、何かイヤ~な予感はしたのだけど、まさかね、、、と思って見ていたら、まさかになってしまった、、、ごーん。ラストシーンは、あれは幽霊なのか??というのが、ネット上では一応の謎解きになっているみたい。

 ……て、見ていない人には訳の分からない文章になっていてすみません。つまり、バスティアンが幽霊になっている、、、ということなんでしょう。

 これで、ただでさえ孤独感を抱えているクロエは、罪悪感まで抱えて生きて行かねばならないことになる。こんな結末にする必要あったのかしらん。途中まで良いなぁ~と思っていたのだが、このオチで、ちょっとなぁ、、、となってしまった。自身の言動が遠因となって、人が一人死んでしまう、なんてことをこの年齢で経験するのは過酷。人を簡単に殺しちゃうシナリオは、あんまし好きじゃない。必然性があると感じられれば良いのだが、本作の場合、それはあまり感じられなかった。

 それもこれも、クロエとバスティアンを同じ部屋に寝泊まりさせている親のせいだ!! ……とかって、まだ言うか、、、なんだけど、でも結構これはあると思うなぁ。16歳とアバウト14歳だよ? マズいよ、やっぱり。

 クロエを演じたサラ・モンプチは、個性的な美少女、、、といったところか。何より、バスティアンを演じたジョゼフ・アンジェルが繊細で実に素晴らしかった。少年というより、ボーイッシュな女の子と言ってもいいような感じで、クロエと並ぶと、どう見たってクロエの方が強そうではある。

 監督のシャルロット・ル・ボンは、『イヴ・サンローラン』(2014)での美しさが際立っていたのをよく覚えているけれど、監督として本作が長編デビューとのこと。最近多いですね、女優→監督パターン。俳優→監督は結構あるが、ようやく女優にも道が開けて来たということかしらん。グレタ・ガーウィグよりは、本作の方が好きかも。次作以降、期待。

 

 

 

 

 

 


終始、不穏な感じです(好き)。

 

 

 

 

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最近見た映画あれこれ④ ~催眠映画特集~

2023-10-06 | 映画雑感

 また、見てから時間が経った映画が溜まってしまった、、、ごーん。これらは、見た後に感想を書くだけの何かが湧いてこなかった映画たちなんだけれど、ハッキリ言っちゃうと“つまんなかった”、、、んですよね。おまけに、共通するのは、どれも「途中で寝た」んです(どれくらい寝たかは作品ごとに書きます)。あんまし劇場では寝ない方なんだけど、この3作は途中ホントに眠かった。

 思うに、やはり、ちょっと時間が空いたからという理由で、さほど見たい!というわけでもない映画を見ると、睡魔に隙を与えるのですね、、、今さらながら。

 ……というわけで、一応、自身の備忘録という意味合いで書くだけですので、お目汚しで悪しからず。見た順です。


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◆古の王子と3つの花(2022年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv80989/

 《あらすじ》 ◆第1話『ファラオ』クシュ王国の王子はナサルサとの結婚を認めてもらうため、エジプト遠征の旅に出て、神々に祈り祝福されながら戦わずして国々を降伏させ、上下エジプトを統一、最初の黒人ファラオとなり、無事ナサルサと結ばれる。◆第2話『美しき野生児』中世フランスの酷薄な城主に追いやられた王子は、地下牢の囚人を逃がした罪で森に追放されるが、数年後美しき野生児として城主に立ち向かい、お金持ちから富を盗み貧しい人々に分け与え囚人の娘と結ばれる。◆第3話『バラの王女と揚げ菓子の王子』モロッコ王宮を追われた王子はバラの王女の国へと逃げ込み、雇われたお店の揚げ菓子を通じて国から出た事がない王女と出合い、2人は秘密の部屋で密会し、宮殿を抜け出し自分たちで生きていくことを決意する。 

公式HPよりコピペ~

 これ、実は8月1日に見たのだが、ずーっと放置してしまっていたのは、あんまし面白くなかったから。3話目で多分10分近く意識が飛んでいたと思われる。1話目、2話目はちゃんと見た。

 同じミッシェル・オスロ監督の『ディリリとパリの時間旅行』(2018)がまあまあ良かったので、他に見たい映画もあったから見に行ったのだが、、、。

 期待通り、絵は非常に美しいし、音楽も良いのだけど、いかんせん、ストーリーがどれも似たり寄ったりというか、ラストで王子様とお姫様のハッピーエンディングであり、そこへ至るまでの過程は違えど、何だかなぁ、、、という感じだった。オムニバスなんだから、それぞれ異なるテイストの物語を見せてもらいたかったな~と。

 見た目キレイだけど激甘過ぎて味が分からん菓子3連続で食べさせられた感じで、途中から食傷気味でダルかったです、ハイ。


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◆エドワード・ヤンの恋愛時代(1994年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv16757/

 《あらすじ》 急速な西洋化と経済発展を遂げる1990年代前半の台北。モーリーが経営する会社の状況は良くなく、彼女と婚約者アキンとの仲もうまくいっていない。親友チチは、モーリーの会社で働いているが、モーリーの仕事ぶりに振り回され、恋人ミンとの関係も雲行きが怪しい。彼女たち二人を主軸としつつ、同級生・恋人・姉妹・同僚など10人の男女の人間関係を二日半という凝縮された時間のなかで描いた本作は、急速な成長を遂げている大都市で生きることで、目的を見失っていた登場人物たちが、自らの求めるものを探してもがき、そして見つけ出していく様を描いている。彼らの姿は、情報の海の中で自らの求めるものを見失いがちな、現代に生きる人々の姿と見事に重なり、初公開当時に正当な評価を受けたとは言い難い『エドワード・ヤンの恋愛時代』が、いかに時代を先取りしていたのかが今こそ明らかになる。

公式HPよりコピペ~

 タイトルだけは知っていた本作。6年前に見た『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(1991年)がなかなか良かったので、ちょっと用事の間に時間ができたので見てみたのだが、、、。

 もうね、ハッキリ言ってめっちゃ退屈だった。登場人物が多い上にいけ好かない感じの人ばっかで、早々に気持ち的にリタイア、、、、。2時間強のうち、序盤から多分30分以上は寝ていたんじゃないかなぁ。だって、終盤なんか話もよく分かんなかったし、、、ごーん。

 というわけで、感想を書く資格がそもそもないのだけれども、クーリンチェなんか4時間あったのに、ゼンゼン眠くならなかったし、睡魔に隙を与えない緊迫感があった。本作もテイストは似ているのに、なぜにこうも退屈だったのだろうか。睡眠不足ってほどでもなかったしなぁ。チチは可愛かったけどね。

 やっぱし、尺の長い作品は、かなりの引力がないと集中力が続かないわ。まあ、機会があればもう一度見てみるかも、、、?


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◆エリザベート 1878(2022年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81741/ 

 《あらすじ》 ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われたオーストリア皇妃エリザベート。1877年のクリスマス・イヴに40歳の誕生日を迎えた彼女は、コルセットをきつく締め、世間のイメージを維持するために奮闘するも、厳格で形式的な公務にますます窮屈さを覚えていく。人生に対する情熱や知識への渇望、若き日々のような刺激を求めて、イングランドやバイエルンを旅し、かつての恋人や古い友人を訪ねる中、誇張された自身のイメージに反抗し、プライドを取り戻すために思いついたある計画とは——。

公式HPよりコピペ~

 2時間弱のうち、おそらく1時間は寝ていたでしょうな。もう、こんなに劇場で寝たの、ウン十年ぶりや。

 ちなみに、そのウン十年前に爆睡した映画は『春の惑い』(2002)。もう、最初の10分くらいでドロップアウトし、エンドマークまで爆睡しました~。面白くなかったとか、そういうのではなく、もうそれ以前に寝てしまったのだった。その後、DVDでも見直す気にならず。

 ……それはともかく。本作の場合は、最初の30分くらいは一応ちゃんと見ていたんだが、もう、断然「つまんない」のだった。容色の衰えにビクビクし、女の地位の低さにイライラしているシシーをひたすら見せ続けられる。あとは寝てたのでよく分からん。

 が。

 終盤、何だか話が??で覚醒。なんと、シシー、自殺しちゃう。しかも、ヘロイン中毒、、、。実際のシシーがヘロイン中毒だったのかどうかは知らんが、自殺って。ん~、いくら映画とは言え、あまりにも有名な亡くなり方をしている人の最期を変えちゃうってのは、割と違和感あるわな。

 というか、もうそんなんどーでもええわ、という感じで劇場を後にしたのだが、本作は別に駄作というわけではないと思う。真面目に作られた映画だが、何しろ、人に見せるという視点があまりにもなさ過ぎる。つまり、独善的。商業映画でしょ、これ? だったら、もう少し、人に見せることを考えて作ってもらいたいわ。

 あと、前も何かの感想で書いたけど、シシーのwikiを読むと、これ書いた人、シシーのこと多分嫌いなんだろうな、、、と感じるのだが、本作のシナリオを書いた人も、多分まあまあ嫌いなんじゃないかね。少なくとも好きではないだろう。……という印象を受けた。

 ま、半分寝てたのでゼンゼン違うかもですが。

 

 

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