映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

マルケータ・ラザロヴァー(1967年)

2023-11-23 | 【ま】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv77266/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 舞台は13世紀半ば、動乱のボヘミア王国。ロハーチェックの領主コズリークは、勇猛な騎士であると同時に残虐な盗賊でもあった。ある凍てつく冬の日、コズリークの息子ミコラーシュとアダムは遠征中の伯爵一行を襲撃し、伯爵の息子クリスティアンを捕虜として捕らえる。王は捕虜奪還とロハーチェック討伐を試み、元商人のピヴォを指揮官とする精鋭部隊を送る。

 一方オボジシュテェの領主ラザルは、時にコズリーク一門の獲物を横取りしながらも豊かに暮らしていた。彼にはマルケータという、将来修道女になることを約束されている娘がいた。

 ミコラーシュは王に対抗すべく同盟を組むことをラザルに持ちかけるが、ラザルはそれを拒否し王に協力する。ラザル一門に袋叩きにされたミコラーシュは、報復のため娘のマルケータを誘拐し、陵辱する。部族間の争いに巻き込まれ、過酷な状況下におかれたマルケータは次第にミコラーシュを愛し始めるが…

=====ここまで。


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 昨夏だったか、イメージフォーラムで上映していたけれど、暑過ぎて渋谷まで行く気にならず(って言い訳だけど)見逃してしまった。あーあ、残念、、、と思っていたら、先日、早稲田松竹のレイトショーで上映してくれた。ありがとう、早稲田。夜遅くに3時間近く大丈夫かな、、、と心配だったけど、ゼンゼン杞憂だった。

 本作は、“チェコ映画史上最高傑作”なんてキャッチコピーで宣伝されていたんだけど、ん~~、そうなのかぁ。チェコ映画というと、私が思い浮かべるのはシュワンクマイエルなのだが、まあ、ちょっとジャンルが違うので比べようがないかな。『異端の鳥』と雰囲気は似ているか(モノクロだからかな)。

 とはいえ、確かに映像はキレイだし、何より個人的に音楽がとっても気に入った。ポリフォニーみたいな、聖歌みたいな、グォ~~~~ンって感じの唸るようなの。それが要所要所で流れる。宗教色も感じる画と併せて、ちょっと荘厳な感じさえある。

 そもそも、13世紀なんて想像もつかない遠い世界、おまけに東欧、、、世界史に疎い私にとっては、歴史的な背景とかゼンゼン分からないけど、本作は、同名の小説が原作で、設定はまったくのフィクションとのことで、まあ、一種のダーク・ファンタジー映画だと思って見た。

 タイトルでもある少女マルケータ・ラザロヴァーは、重要なポジションの人物ではあるけれど、あんまし出番は多くない。序盤と中盤と終盤にちょこちょこと出て来る、、、という感じ。レイプされた相手を好きになるとか、、、ちょっとねぇ、なところもあるが、それも“中世だからね”ってことで脳内処理(これについてはここでは敢えて言及しないことにします)。

 ストーリーとしては、日本でいえば豪族みたいな土地の有力者同士の仁義なき戦いであり、そこに、土着の宗教とキリスト教が絡んで来て、何だかややこしい。中盤以降は、流浪の修道士が狂言回し的に出てくるんだが、キリスト教の修道士には見えない。

 マルケータは、修道女になるはずだったので、誘拐された後に解放(?)されてから、終盤になって修道院に行くのだけど、修道院では持参金が足りないとか言われて冷たくあしらわれ、マルケータ自身も修道女たちの祈りに懐疑的で、結局、修道院を去ってしまう。……とかいう話の流れも、序盤に突然バーンと現れた修道院の画が、修道院に対して批判的な印象を受けたので、終盤でこのような展開になるのは、やっぱり、、、という感じだった。

 キリスト教といえば、捕虜にされたクリスティアンがその象徴的な存在か。最終的には、クリスティアンと、コズリークの娘アレクサンドラの間に子が出来て、それをマルケータが自分の子と一緒に育てる、、、というオチなのだが、こうしてキリスト教が土着の宗教と混じり合いながら浸透していったってことなのかしらね。私は、このクリスティアンが見ていて一番可哀相だったなぁ。途中から、彼の父親が登場し、クリスティアンを救えとピヴォを顎で使おうとする。クリスティアンは状況を理解して行動できる賢い人の印象だが、その父親はいけ好かないワガママ爺ぃ。クリスティアンはコズリークらとの板挟みになり、結局死んでしまうのだから気の毒すぎる。

 もう一回くらい見れば、もう少し色々分かるかな~。でも、見る機会があるかしらん。パンフの執筆陣が豪華で、迷わずゲット。やはり、こういう映画のパンフには、映画ライターのコラムなんかより、チェコ文学研究者とか、チェコ史研究者とか、そういう方々の論評を載せてもらった方が有難い。

 ポスター(↓と同じメインデザイン)がすごい素敵で、こちらも思わず買っちゃいました。

 

 

 

マルケータを演じたマグダ・ヴァーシャーリオヴァーさんは、現在、外交官・政治家なのだって!

 

 

 

 

 

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私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?(2022年)

2023-11-12 | 【わ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv82295/


以下、テアトルの紹介ページよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 2012年12月17日、パリ近郊ランブイエ。原子力企業アレバの労働組合代表モーリーン・カーニー(イザベル・ユペール)の自宅で衝撃的な事件が起きる。

 数か月前――原子力企業アレバ傘下にあるハンガリーのパクシュ原子力発電所へ、女性組合員たちの要望を聞くために訪れたモーリーンがパリ本社に戻ると、盟友で社長のアンヌから、サルコジ大統領から解任されると告げられる。後任には無名で能力のないウルセルが就任するらしいと。そのころ6期目の組合代表に再選されるモーリーン。

 テレジアスというフランス電力公社(EDF)の男から突然電話があり面会すると、内部告発の書類を受け取る。アンヌに見せると「ウルセルの野望は、中国と手を組み、低コストの原発を建設すること。裏にEDFのプログリオがいる。権力に憑かれた男、夢は世界一の原子力企業。私を消そうとしている」と。

=====ここまで。

 ユペールの新作。実話ベースってのが驚愕、、、。


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 確か、ファスビンダー特集を見に行った際に、本作のポスターを劇場で見ました。そこに映る女性が、ユペールっぽくなくて、それもそのはず、髪の色がブロンドになっていた、、、。おまけに真っ赤なルージュ。よく見たら、ユペールだったのでビックリ。新作なんだ、、、てことで、それほどそそられた訳じゃないけど、一応見に行ってまいりました。

 事前情報は、予告編くらいなもので、ユペールが巨悪と闘う話?社会派サスペンス??ヘヴィかなぁ???てな感じで見に行ったのだけれど、途中から、ゼンゼン違う展開に、、、。終わってみれば、予想していたのとはまるで違う映画だったのでありました。

~~以下、ネタバレバレです。本作は、予備知識なく見た方が良いと思うので、本作をご覧になる予定の方はお読みにならないことをオススメします。~~


◆自作自演??

 本作は、典型的な性犯罪被害者の二次被害&冤罪事件のオハナシで、ヘヴィというよりはストレスフルだった、、、ごーん。ま、ある種の、というかまんまフェミ映画かな。

 とはいえ、中盤まではユペール演ずるモーリーンが組合代表として、会社が水面下で画策している中国との提携を暴くべく経営陣と闘う話になっている。問題は、モーリーンが当時のオランド大統領との面会日当日の朝に、前述のあらすじ冒頭にある「自宅で衝撃的な事件」に遭遇して、一気に話が変わってしまうことである。

 衝撃的な事件、とは、性犯罪である。強姦(今の日本の刑法では強制性交等ですな)はなかったようだが、ナイフの柄を股間に差し込まれ、腹にはナイフで「A」の文字を刻まれるというもの。手足を縛られて身動きが取れないまま家政婦が出勤してくるまで6時間もその状態だった、、、という。

 この事件で、それまでのストーリーの流れは一気に変わり、モーリーンを襲ったのは誰か、、、というか、誰の差し金か、、、となる。が、しかし、話はさらに曲折し、捜査をしている憲兵隊の曹長が“この事件、おかしい”と疑い、モーリーンは被害者から、自作自演……つまり事件捏造の容疑者へとなり、話の本筋は、モーリーンは本当に被害者なのか、本当は容疑者なのか、、、へと変わっていく。

 モーリーンを拘束した梱包用テープは、モーリーン宅にあったもの。モーリーンの股間に差し込まれたナイフも、モーリーン宅にあったもの。何より、彼女を襲撃した男たちの姿を彼女は直接見ていないのだ。あっという間に覆面を被せられ地下室まで連れていかれ、何も目にする暇がなかったって彼女は証言するが、それは不自然すぎやしないか。6時間もの間、どうして自力で拘束を解こうと試みなかったのか、おかしくね??……という具合に、憲兵隊がモーリーンの自作自演を疑う根拠はあるわけだ。

~~以下、結末に触れています。~~

 この一件について、実際の事件では、一旦は有罪になった後の控訴審で、モーリーンの自作自演は否定され、憲兵隊の誤認逮捕と認定されている。本作内でも、同じ流れだが、作りとしては本当に自作自演でなかったのかどうかは、やや曖昧にされている。

 けどまあ、私は見ていて、これは自作自演ではないだろうなと思っていた。もちろん、自作自演の可能性はゼロではないけど、この一件が起きたことで、結局、アレバ社の画策は現実のものとなって中国との提携は成立、社員は大量に失業し、最終的には会社自体も解体されてしまっていることを思えば、モーリーンの思惑とはことごとく逆に物事が進んでおり、自作自演で事件を起こす意味はほとんどないと言って良い。加えて、オランド大統領との会談が予定されていたのであり、この会談が実現していたら事態がどうなったのかは知る由もないが、少なくともモーリーンが進めたい方向性としては、事件を起こすよりは、大統領との会談の方が格段に上だろう。

 私が自作自演でないと感じた理由は他にもあるが(後述)、まあ、とにかく憲兵隊の取調べが典型的二次加害そのもので、見ていて非常に腹立たしかった。モーリーンが取調べ中にコーヒーをくれと言って落ち着いた様子であるのを見て「妙に淡々としている」と言ったかと思うと「作り話を暗唱しているんじゃないか」と言ったり、「被害者には見えない」と言ったり。モーリーンに自殺未遂の過去があることをあげつらい「異常者だろ」と言ったり。……他にもいっぱいそういう描写が続いて、明らかに最初からモーリーンの申告を疑ってかかっているのである。

 最終的にモーリーンの自作自演疑惑は晴れ、ラストシーンは、モーリーンが原発の国民議会委員という会合で堂々と発言した後、キリッとカメラ目線を送ってジ・エンドとなる。このシーンが、意味深だ、と言ってモーリーンの自作自演を疑っている感想をウェブ上で見かけたが、それはちょっと読みが違う気がするなぁ。「私はまだ闘えるのよ!」という宣戦布告じゃないか、と私は見たのだが。


◆再現の重要性

 少し前に、twitterに伊藤詩織さんが外国でインタビューを受けている映像が流れて来て、彼女はホントに大変な目に遭って、それでも闘い続けたその勇気には頭が下がるのだが、映像の中で1つだけ気になったことがあった。

 彼女が被害を届出た後、警察で再現見分が行われたときの話をしていた。等身大の人形を使って、性被害に遭ったときの状況を説明させられたと彼女が話したら、インタビュアーの男女2人は眉をひそめて「あり得ない……」的な反応をしていた。詩織さん自身も、おそらくその経験をネガティブなものとして話していたように見えたのだが、再現見分は結構大事なことだと思う。

 つまり、再現して検証しないと捜査機関として事実関係が分からない部分というのは必ずあり、被害者と加害者の供述の矛盾点を究明し、公判を見据えてきちんと資料化することが捜査機関としては絶対的に求められる。なので、等身大の人形(あるいは被害者役の警察職員)での再現見分は、捜査機関としては必ずやらなければならないことなのよ。

 本作を見ていて、私が一番引っ掛かったのもこの点で、憲兵隊は現場検証はしているが、自作自演を自白したモーリーンに対し、自分で手足の拘束を再現させることをしていないのだよね。本当にモーリーンが自作自演なら、拘束方法を再現できるはずで、捜査機関としては、必ず再現させなければならない。それをしていないというのは、捜査機関として完全な手落ちで、後に控訴審で判断が覆った理由の一つでもあるだろう。

 詩織さんのケースは、想像だが、そのときの警察官の言動に配慮に欠けるものが多々あったのではないか。だから、彼女にとって非常に深く傷ついたこととして、あのような語りになったのではないかと察する。

 あと、前述したとおり、モーリーンが「被害者らしくない」というのも、よくある二次加害。本作内では「よい被害者でない」というセリフが何度かあったが、過去に派手な男性遍歴があったり、犯罪歴があったりすると、本当に被害者なのか?と疑われるという、、、。それでなくても、普通に仕事していたり、会話で笑っていたりすれば、本当に事件のことで傷ついてるの? とか。捜査機関は一応あらゆる可能性を視野に入れなければならないけれども、一般人でも同じようなことを言ってしまうことはあるだろう。池袋の母子交通事故死の遺族が、あるとき飲食店で笑って友人と話をしていたら、見知らぬ人に「被害者らしくない」と言われたという話をしていたが、……そういうことである。

 犯罪で被害に遭い、捜査でまた被害記憶を掘り起こされるだけでなく、配慮の無い捜査官に当たれば人格を否定されるようなことを言われ、全く関係のない第三者に心無いことを言われて傷に塩を塗られ……、犯罪被害者は何度も何度も痛い思いをさせられるのが現状だ。


◆フェミが誤解される理由

 ユペールは、相変わらず貫禄の演技で、本作はユペールの映画と言ってもいいくらい。モーリーンのような複雑な人物設定は彼女でなければ演じられなかったかも知れない。メイクのせいもあるかもだが、とにかく若々しく、実年齢70歳にはまったく見えないのが驚愕だった。

 本作の序盤、アレバの社長も女性で、労組の代表であるモーリーンと立場を越えて良い関係であることが描かれている。また、憲兵隊の取調べ中に、曹長の尋問に疑問を抱く女性警察官がいて、彼女の情報提供がモーリーンの冤罪を晴らす突破口にもなる。これらを捉えて、パンフでは「不正義を覆したシスターフッド」と題したコラムが掲載されているんだけど、私はこの「シスターフッド」って言葉が好きじゃないのだ。女同士の連帯って、それ強調すること?

 控訴審で無罪になったのは、弁護士を変えたのが大きいと思うし、その弁護士は男だ。一審での弁護士も男で、こいつはホントに無能そのものの弁護士だったが、とにかく、正義も能力の有無も、性別で括るのはやめていただきたい。そういうコラムをフェミを標榜するジャーナリストとやらが書いているところが、世間でフェミ嫌いを増殖させている理由の一つだと思うのだよね。

 私が見に行った回では、終映後にトークイベントがあったのだが、その話の内容も、犯罪被害者としての扱いにおける男女の不均衡、、、みたいなフェミ的なもので、まあ、私自身がフェミについては若干学んできた身であるからかも知れないが、今さらな内容ばかりで、ハッキリ言って面白くも何ともなかった。そんなことより、中国産原発が世界中に雨後の筍のごとく建設されまくっているという現状や、フランスにおける労組の実態の話を聞きたかったわ。原発作りまくってるって、、、地球、マジでヤバいでしょ。しかも中国産、、、。

 ……というわけで、愚痴や文句ばかりのまとまらない感想になってしまいましたが、見て良かったです! ユペール好きなら見る価値ありです。

 

 

 

 

 

 

邦題にヘンな副題を付ける傾向、、、何とかならないのかね。

 

 

 

 

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フランス映画と女たち @アテネ・フランセ文化センター

2023-11-05 | 映画雑感

 

 

 松たけ子さんに以前教えていただいた「フランス映画と女たち」という企画。ソフト化どころか、そもそも国内上映自体が初めて、というレアもの3本が1日限りで上映されるとのことで、しかも、あのイザベル・ユペールとロミー・シュナイダー主演となれば、馳せ参じるしかないでしょう、、、。

 というわけで、両日3本とも見に行ってまいりました。アテネ・フランセ行ったのなんて、一体何年振りやら。前はよく通っているのですが、、、。130名ほど入れる会場は、どの作品もほぼ満席。そらそうですね、こんな機会、そうそうありません。

 なお、3本とも作品情報は、仏版or英版wikiです。

 

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◆レースを編む女(1977年)

作品情報⇒https://fr.wikipedia.org/wiki/La_Dentelli%C3%A8re_(film,_1977)


 《あらすじ》 美容師見習のベアトリス、愛称“ポム”(イザベル・ユペール)は、失恋の憂さ晴らしをしたい美容師の先輩マリレーヌに付き合って、リゾート地ノルマンディのビーチにやってくる。が、奔放なマリレーヌは、ポムをほったらかして早速男遊びに夢中、、、。一人、リゾート地をさまようポムは、大学生の青年フランソワ(イヴ・ベネイトン)と知り合い、親しくなる。

 パリに戻った2人は一緒に暮らし始める。ラブラブだったポムとフランソワ、寝食を共にし、フランソワの友人たちと交流するうち、次第にフランソワはポムの尊厳を微妙に、ポムさえ気づかないほどにごく薄く、しかし確実に削る発言が増えていく。

 そしてついに、2人は破局し、ポムは実家に帰って行くのだが、、、。

~~~~~

 ユペール24歳の頃の作品。24歳よりも、もっと少女っぽく見えるユペールは、おぼこ娘ポム役にハマっていた。

 どうも、このフランソワという男がいけ好かない。こういう男(ヒョロっとした頭でっかちの勘違い野郎)は、学生時代に結構身近にチラホラいた気がするが、私の知る範囲では、例外なく“モテない君”だった。そらそーでしょ。イヤミだもんね。

 でも、ポムにとってはそういうところが魅力的に見えたんだろうなぁ、最初は。で、若くて無垢なポムにマウントをとるという器の小ささ全開になる辺りが、嗚呼、、、やっぱり、、、、、な展開であった。ポムが言い返さないキャラだと分かってやっているところが、いかにもである。明らかに自分よりも未熟な人間を相手に優越感に浸るって、どんだけちっちぇんだよ、フランソワ君。

 2人が道路を渡るシーンが印象的だった。さっさと車の間を縫って渡ってしまうフランソワ、車に阻まれなかなか渡れないポム、そんなポムを見るフランソワ、、、。もうこのシーンだけで、2人の先行きが分かっちゃう。

 破局後、フランソワは、病んだポムを見舞いに行くのも、一人じゃいけないという情けなさ。若い男には荷が重いってか。あのポムに対する偉そうな物言いは何だったのさ。

 病んだ後のポムが、どうにも痛々しい。パッと見は割と普通に見えるが、一つ一つの挙動は明らかに病んでいる。その目線や話し方、動き、、、何かオカシイのだ。そして、フランソワが帰った後のラストシーン。ポムのいる部屋の壁には……。衝撃的なラストシーンである。

 ポムに言ってあげたい。世の中にはもっとイイ男はいっぱいいるんだよ! フランソワなんてクソ野郎だよ! ……とね。
 
 そんなポムを演じた若きユペール。本作が彼女の女優人生を決定づけたというのも納得。

 

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◆ヴィオレット・ノジエール(1978年)

作品情報⇒https://fr.wikipedia.org/wiki/Violette_Nozi%C3%A8re_(film)


 《あらすじ》 18歳のヴィオレット(ユペール)は、監視の厳しい両親との生活に息苦しさを感じ、街に出ると派手な格好で売春したり、カツアゲみたいなことをしたりして、帰宅する際には着替えて化粧も落とし従順な娘を演じていた。

 そんなヴィオレットに彼氏ができると、いよいよヴィオレットは両親の存在が邪魔になる。お金にも困っていたことから、両親を殺して遺産を持ち出そうと考えるのだが、、、。

~~~~~

 本作のヒロイン・ヴィオレットは、上記の「レースを編む女」で演じたポムの裏キャラとでも言おうか、本作と「レースを編む女」はコインの裏表かも知れぬ。

 あんな狭いアパートで、あんな過干渉な母親がいて、おまけにキモい継父までいれば、そら若い娘にしてみればウザくてしょーがないでしょうよ。実話ベースらしいが、親殺しって、実は珍しくないからなぁ。私も親(母親)に殺意湧いたことあるもんね。実行しなかっただけで、、、。

 その、実行に移しちゃうところが、まあマズいのだが、ケースによっては同情したくなるものもあるわけで。ヴィオレットはどうなのか、、、、というと、これは正直なところ同情できないケースかな。別に殺さなくても何とか逃げられたんじゃないか、と思うので。あまりにも短絡的。……というか、ヴィオレットはちょっとお頭が弱すぎるので、あらあら、、、、という感じでしかない。

 一方の両親側はもっと同情できないわね。娘の寝室と極薄な壁一枚しか隔てていないのに大声上げてセックスするとか、親として、というより、人としてオカシイ。

 おまけに、殺したはずの両親、母親だけ生き残るってのが、不謹慎だけど苦笑してしまった。あの母親は殺しても死なないタイプだろ、、、と思って見ていたら案の定過ぎて。きっと、私も実行していても、あの母親は死ななかったと思うわ。そういう種類の人っている気がする。

 男で人生狂っちゃう女の話って、見ていてストレス溜まるんだよね。「レースを編む女」のポムは自分の内面が壊れて行き、ヴィオレットは外へと向かう。ポムはまだフランソワのことが好きだったんだろうな~、可哀相だな、、、と思うけれど、ヴィオレットは相手の男のことを好きなのかどうかも怪しい。現状から抜け出すため掴んだ藁が、藁以下のババだった、、、って感じだよね。

 クロード・シャブロル監督による殺人映画では「沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇」の方が好きかな。ユペールのヤバさも、「沈黙の~」の方がぶっ飛んでて面白かった。本作のヴィオレットは、家庭環境や親の質の悪さには同情するけど、いかんせん、彼女自身の性質が悪過ぎるので、ユペールのぶっ飛び振りも面白さは半減といったところ。

 

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◆盗むひと(1966年)

作品情報⇒https://en.wikipedia.org/wiki/La_Voleuse


 《あらすじ》 ベルリンに暮らすジュリア(ロミー・シュナイダー)は、夫ヴェルナー(ミシェル・ピコリ)に、自分には19歳のときに産んで生き別れた6歳になる息子がいることを告白する。2人の間に子はなく、今後も子を持てる望みがないことから、ジュリアは、6歳になるその息子を引き取って育てたいと言う。

 息子の養父母を探し当てて、子どもを引き取りたいと申し出るが、当然養父母に拒絶される。ジュリアはストーカーまがいのことをして、ある日、その男児を半ば誘拐同然で連れてきてしまう。ポーランド移民である養父母は正式な手続きを経て男児を養子としておらず、ジュリアは自分に男児を育てる法的な権利があると確信しているのである。

 絶望した養父は、勤務先の工場の煙突に登り、男児を返さないなら、明日の午前6時にここから飛び降りると言って、メディアに訴える。国中の騒ぎとなり、ジュリアが攻撃の的となる。男が飛び降りるという時刻が迫る中、男児を返すようにジュリアを説得するヴェルナーだが、、、。

~~~~~

 3本の中で、一番精神的に来る映画。これはキツい。

 オープニング、BGMが流れる中、何やらロミーが一人で喋っている(音声はない)。そのロミーの表情から、何か切羽詰まった感じ、良くない感じ、追い詰められている感じが伝わって来る。もう、いきなり不穏である。このシーンは、ジュリアが、実は息子がいるということをヴェルナーに話していることがオープニングの後に分かる。

 ロミー演ずるジュリアが男児を取り返そうとする一連の行動は、ほとんどストーカーで、犯罪に近く、狂気の沙汰である。ハッキリ言って怖い。ロミーがまた、何というか、素でヤバそうな感じが伝わってくるのが、さらに怖い。養父母の家に押し掛けて、何度も何度も息子を渡せと声を張り上げたりドア(窓だったかな)を叩いたりする姿は、もう狂っているとしか言いようがない。

 余談だが、ロミーの年表を見ると、本作を撮影していた頃が、実生活でも息子さんの出産前後だったのではないか。作中の彼女は、狂気だが美しく、品があり、それだけに怖かった。

 男児を誘拐してきてからのジュリアは、一生懸命世話をするのだが、男児も決してジュリアに拒絶的ではないけれど、どうも打ち解けない(アタリマエだ)。でもジュリアは、息子を養父母に返す気など全くない。その一途さというか、周りの見えなさ、、、もう見ていてツラい。

 養父が煙突に登ってしまってからは、一斉に、子を捨てた母親として世間のバッシングを浴びるジュリア。しかし、彼女はめげない所がスゴい。私だったら耐えられない、、、というか、あんな風に男児をさらってくることがそもそも出来ないが、、、。ここでも、世間は母親に厳しかった。子を育てられなかった事実について母親にだけ責めを負わせる。父親は存在自体が問われない、透明人間みたいなもんである。子は男がいないと出来ないんですけど?

 ロミーの迫真の演技がグサグサと胸に刺さる。徹頭徹尾利己的に見えるジュリアだが、あれほど強固だった彼女の意志も、命がけの養父の脅迫の前に折れる。説得したヴェルナーとジュリア夫婦の今後は、、、、というエンディングで、不穏に始まり不穏に終わる。

 脚本をデュラスが手掛けており、デュラスらしいのかどうか、私はデュラス作品をほとんど読んでいないので分からないが、とにかく終始ヒリヒリする作品であった。今回が本邦初上映とのことだが、ロミー特集とかで上映してほしいと思った次第。もう一度見たいわ。

 

 

 

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