映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

こちらあみ子(2022年)

2022-06-26 | 【こ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv73461/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 あみ子はちょっと風変わりな女の子。優しいお父さん、いっしょに遊んでくれるお兄ちゃん、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいるお母さん、憧れの同級生のり君、たくさんの人に見守られながら元気いっぱいに過ごしていた。

 だが、彼女のあまりに純粋無垢な行動は、周囲の人たちを否応なく変えていくことになる。

 誕生日にもらった電池切れのトランシーバーに話しかけるあみ子。「応答せよ、応答せよ。こちらあみ子」―――。奇妙で滑稽で、でもどこか愛おしい人間たちのありようが生き生きと描かれていく。

=====ここまで。

 今村夏子デビュー作「こちらあみ子」の映画化。

 
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 原作小説は、割と上梓されて間がない頃に一度図書館で借りて読んだのだが、あまりピンと来なかったのか忘れておりました。その後、巷で評判になり、文庫化されたのを機に、どれどれ、、、と思って購入して読んだところ、途中の“お墓のシーン”(後述)で「あれ、、、これ前に読んだのでは?」と思い、読書ノート(を一応つけているのです。忘れっぽいので)をめくったところ、やはり読んでおり、しかもちゃんと感想まで書いていた!! 我ながら茫然、、、。

 で、その2度目に文庫で読んだ際に、ものすごい衝撃を受けたのですよ。私には時々こういうことがあるんです。映画でも本でも、初めて見たり読んだりしたときは右から左にスルーしてしまったのに、2度目に見たり読んだりして、ガーーーン!!!ということが。その際、1度目に見たり読んだりしたことをちゃんと覚えていることもあれば、このあみ子のように全く記憶から消えている場合もあります。

 何で初回でスルーしてしまったのかが不思議なほど、2回目で衝撃を受けるわけですが、ホントに何でなんだろう、、、? 同じ経験がおありの方、いらっしゃいますかね?? こんなの私だけかなぁ? あまり身近な人には聞いていないので分からないのですが。


◆舞台挨拶付きの試写会なんて何年ぶりかしらん??

 映画好きを自任しているけれど、私はあんまし“舞台挨拶”ってのが好きじゃない。理由は、1つは“混む”からで、もう1つは“俳優さんをリアルで見たくない”から。

 やはり俳優さんたちが登壇するとなるとファンが集まって混雑するので、単純にその映画が見たい人にとっては嬉しいことではない。また、映画の中の登場人物が、俳優として別人格で作品を見る直前とか見た直後に目の前に現れてベラベラ喋っているのを見るのは興醒め、、、というふうに感じてしまう私は、舞台挨拶にはほぼ行かない。

 これまで行ったことがあるのは、大昔に仕事がらみで断れずに行った『新・極道の妻たち』(1991)だけかな、多分。岩下志麻さんがおキレイでした、、、くらいしか記憶にないが、あの時もすごい混雑っぷりでウンザリした。映画自体も、あんまし、、、って感じだったし。

 なのに、本作でわざわざ舞台挨拶付きの試写会に行く気になったのは、全席座席指定(ネット予約)だったから。しかも新宿武蔵野館というミニシアターで、混むと言っても知れているし、何より、原作が好きなので早く見てみたい、というのが大きかった。たまたまネット予約のサイトを見に行ったら、まだ空席があったので、だったら行ってみよう!と。

 登壇されたのは、井浦さん、尾野さん、大沢さん、監督の4名。こじんまりと節度のある進行で、良い舞台挨拶でした。本作の舞台となった広島の銘菓「桐葉菓」をいただき(まだ食べていない)、監督さんの本作に対する思い入れも聞けて良かった。……けど、まあ、やはりこれからも舞台挨拶に積極的には(上記理由により)行かないでしょう、、、。


◆本題~映画の感想

 で、ようやく映画の感想なのだが、原作未読の人が見ると、ものすごく不思議な、下手すると訳の分からない映画かも知れない。けれど、原作を知っている人が見ると、割と好感を抱けるのではないか。

 ただ、原作の雰囲気とはちょっと方向性が違うかな。でも、映画は映画で独立したものなので、本作はこれで十分良いと思う。そもそも原作と同じ雰囲気づくりを狙っていたのかは分からないし。あみ子の“悪意なきやらかし”が周囲に(悪い意味で)波及していってしまうところとか、実に上手く描いていると思う。

 原作にない要素としては、過去の偉人(?)たちなどが行進したり、ボートにあみ子と一緒に乗ったり、、、というシーンがあるのだが、これはあみ子の部屋で妙な物音がするようになって、それをあみ子が“おばけ”だと認識し、おばけつながりで出てくる。♪おばけなんてないさ~、の歌が本作のテーマソングのようにもなっていて、それらの“おばけ”さんたちが出てくるシーンでもこの曲が流れる。

 この“おばけ”さんたちが、私にはちょっと??であった。これは、あみ子ワールドを描くものだったのだと思うが、学校の音楽室にある肖像(よくあるベートーベンとかのアレ)から、モーツァルトと思しきゾンビっぽいのがピアノ弾いているとか、ちょっとあみ子の脳内を描いたものとしては違う気がしてしまった。まあ、画的にはシュールで面白いのだが、、、。

 しかも、この“おばけ”さんたちが結構終盤で重要なファクターとなってくるのだ。だから余計に、うぅむ、、、となってしまった。下手に原作を読んでしまっているので、それが映画の世界に没入するのを妨げてしまった。

 あと、前歯がなくなった後の描写がないのは、かなりガッカリだったかな。あれが原作では相当なインパクト……というか、あみ子のキャラを決定づけているシーンともつながっているし。いつ出てくるかな~、と楽しみにしていたが、出て来ないまま終わってしまった。


◆父親が、、、

 原作を読んだときも感じたが、映像化されてますます強く感じたのは、あみ子の父親の最低っぷりである。この父親は、本当にもうどうしようもないくらいにクズである。原作では描写があまりない=影が薄い、、、で済んでいたけど、映像化されると描写が少なくても登場シーンはそれなりにあるので、最低っぷりが際立ってしまう。

 あみ子がああだからということで、父親は諦めているのか、なんのケアもせず放置なのだ。家の中は荒れ放題。一応、家事も最低限はしているのだろうが、あみ子と全く向き合おうとしない。食事を与えたり、怪我をしたら医者に連れて行ったりはするけれど、あみ子の内面は徹底的に無視する。

 あみ子の部屋のベランダで不可解な物音がして、あみ子が父親に「おばけかな?」と言うのだが、「おばけなんかおらん」(セリフ正確じゃありません)とか何とかいって、取り合わない。けれど、あみ子はおばけが怖いから大声で♪おばけなんてないさ~と歌って怖さを紛らわせていると、怖い顔をして部屋の扉を開け「もっと小さい声で歌え! お母さん寝てるんだぞ!」と怒鳴りつけるだけで、パッと扉を閉めて去っていく。これでは、幼いあみ子はどうしようもないではないか、、、。

 あみ子には、昔は優しかったけどグレちゃって、めったに家にも帰ってこなくなったお兄ちゃんがいる。久しぶりに帰って来て、あみ子がベランダにおばけがいると言って怖がっているのを見ると、靴のまま家に上がり、掃き出し窓をバッと開けてベランダへ出ると、ベランダの隅に置いてある物を乱暴にどかすお兄ちゃん。そこには鳩の巣が、、、。お兄ちゃんは言葉も少ないし、やり方も乱暴だけど、ちゃんとあみ子の恐怖感を払拭してくれている。もっと早く父親がこれをすべきなのではないか?

 ……という具合に、父親はとにかく現実に背を向け続ける。見ていて本当に憤りを覚える。親がケアしなければ、あみ子は誰がケアするのか。果ては、この父親、自身の母親、あみ子からすればおばあちゃんにあみ子を押し付けてしまうのだ。手に負えないのは分かるが、そこに行きつくまでの過程が無責任過ぎて全く同情できない。

 親も人間なので、放置したくなるだろうが、それが結果的に、あみ子だけでなく、お兄ちゃんをグレさせ、妻を鬱から回復させにくくし、あみ子は学校に行けなくなった。やはり、あの父親の罪は深いと言わざるを得ない。こういう話を見聞きしても、東浩紀は「親は子を選べない」って言うのかね? 言うんだろうな、こういう話があるからこそ、言うんだろう。

 そのムカつく父親を、井浦新が好演。継母は、尾野真千子が演じている。継母が死産した赤ちゃんの墓を、庭先の金魚の墓の隣にあみ子が作って継母に見せるシーンがあるが、そのときの尾野さんの号泣は、ちょっと演出的に違う気がした。いや、あれもアリだと思うけど。あまりにショックが大きいときって、人間、あんな風に声を張り上げる力さえないと思うんだよね、、、。

 あと、あみ子を演じた大沢一菜ちゃんは、原作から私が抱いたあみ子のイメージとは違ったけど、素晴らしかった。中学生の役はちょっと無理があったかもね。とはいえ、中学生時代のあみ子を探すのも難しいだろうし、仕方ないか。

 とりあえず、原作を再読してみようと思っている。公開後の再見は、、、ないかな。

 

 

 


 
 

 

 

 

劇場公開は7月8日。

 

 

 

 

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さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について(2021年)

2022-06-24 | 【さ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv77160/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 ひたひたとナチズムの足音が聞こえてくる1931年のベルリン。出口のない不況は人々の心に空虚な隙間を生み出していた。

 そんなある日、作家を志し、ベルリンへやってきたファビアン(トム・シリング)。だが彼はどこへ行くべきか惑い、立ち尽くす。女優を夢見るコルネリア(ザスキア・ローゼンダール)との恋。ただ一人の“親友”ラブーデの破滅。

 やがて、コルネリアは女優への階段を登るためファビアンから離れてゆくが……。

=====ここまで。

 エーリヒ・ケストナー長編小説「ファビアン あるモラリストの物語」の映画化。

 
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 ケストナーの長編小説(もちろん未読)が原作というのに興味をひかれ、チラシのデザインもなかなか良かったので、劇場まで行ってまいりました。『ある画家の数奇な運命』(2018)と同じトム・シリング主演。3時間という長尺にちょっと尻込みしかけたのだけど、『ある画家~』はまあまあ良かったので、勇気を出して(?)行った次第なんだが、、、。

 いやぁ~、、、長かった。

 3時間超えの映画でも、長さを感じないものもあるのだけど、本作は、エンドロールが出た瞬間、正直言ってホッとした。あー、やっと終わった~~~、と。中盤から長さを感じてしんどかったです、はい。

 長さを感じた最大の理由は、シナリオが散漫なことかな。終わってみればなくても良かったと分かるシーンも、進行中はあれこれ考えながら見ているわけで。もっと、ちゃんと整理すれば、2時間で十分収まる話じゃないかなぁ。

 同じ3時間でも『ある画家~』は長さもさほど感じなかったし、あの内容なら3時間も妥当かな、、、と思える作品だったのだけど。

 原作がどういう感じなのか分からないけど、ケストナーが冗長な話を書くとも思えないが、唯一の大人向け長編小説らしいので、もしかすると原作の雰囲気を映像化した結果、こうなった、、、ということなのかも知れない。 

 ファビアンはケストナー自身を投影したキャラらしい。原作のタイトルに“モラリスト”とあるように、ファビアンは“いい人”。……なんだけど、あまり魅力的には見えなかった。

 自身が仕事をクビになって予想より少ない失業手当しかもらえなかったのにその手当でコルネリアに誕生日プレゼントのドレスを買ったり、レストランで追い出されそうになっているホームレスらしき男性に声を掛けて自分たちのテーブルに招き話を聞いたり、お金に困っているのに自分の母親の鞄にこっそりお金を入れて置いたり……。いい人でしょ?

 本作は、監督もトム・シリングも言っているとおり、ラブストーリーなんだが、その肝心のラブストーリーに見ていて乗れなかったのよ。ファビアンに魅力を感じなかったというのもあるし、コルネリアも、なんかイマイチよく分からない女性で、、、。女優になりたいという野心を優先してファビアンの下を去ったのに、ファビアンとよりを戻そうとする、、、のは別にいいんだけど、そういう彼女の描写に奥行きがない、表面的な感じを受けてしまった。

 というより、本作全体が、原作のストーリーをなぞることにいっぱいいっぱいになっちゃっている感じだったなぁ。だからこんな散漫でムダに長尺になったんではないか。やはり、映像化するに当たっては、省くところは思い切って省かないとこういう風になっちゃうという、良くない見本だと思う。

 一つ一つのシーンは印象的なものもあるのだけどね。コルネリアとファビアンが出会うシーンは、素敵なラブストーリーへの誘いになっている。……のに、続きがイマイチ、というのはいかにも残念。

 もう一人、重要な人物としては、ファビアンの親友、ラブーデ。彼は金持ちの坊ちゃんなんだが、両親からはネグレクト気味で、かなり病んでいる。途中で哀しい最期を迎えるが、この、ラブーデとファビアン、コルネリアの3人の人間模様があんまし面白くなかったのだよね。ラブーデの登場の仕方も唐突な感じだったし、死に方も、、、。

 せっかく良さそうなお話なのに、シナリオがもう少し練れていればなぁ、、、。

 終盤で、焚書のシーンがあるのだが、これは、先日見た『オフィサー・アンド・スパイ』でも描かれており、政治的にヤバくなると焚書ってあるんだな、、、と、時代は違えど同じ光景がスクリーンで映っているのは何とも嫌な気持ちになった。ちなみに、ケストナーは、自身の著書が燃やされるのを直接見ていたのだそうな。どんな気持ちだったのか、、、想像を絶する。

 ケストナーの原作を読んでみたくなったので、早速、図書館で予約しました。『終戦日記一九四五』も面白いらしいので、こちらは購入しようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

トム・シリングはもはやドイツを代表する俳優の一人だね。

 

 

 

 

 

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イニシエーション・ラブ(2015年)

2022-06-23 | 【い】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv57021/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 1980年代後半の静岡。就職活動中の大学生の鈴木は友人に誘われて行った合コンで歯科助手のマユと出会い、恋に落ちる。

 時は過ぎ、就職した鈴木は東京の本社へ転勤することになり、マユを静岡に残して上京する。マユに会うために週末ごとに東京と静岡を行き来する鈴木だったが、会社の同僚の美弥子との出会いで心が揺れ動く。

=====ここまで。

 乾くるみの同名小説の映画化。

 
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 某全国紙で、書評家・斎藤美奈子氏が連載している「旅する文学」の静岡編で、原作本が紹介されており、そこで「ありがちな恋愛の顛末。/と見せかけて、この小説、じつは最後の2行で大逆転劇が起こるのだ。巧妙なしかけで読者を驚愕させた、平成のベストセラーである」などと書いてあって、著者名も小説のタイトルも初耳だったので、どらどら、、、と思い、図書館で借りて読んでみました。

 読んだのは上記記事を読んでしばらく経っていたので、「最後の2行で大逆転劇」ってのはすっかり忘れていて、何で借りたのか記憶もあやふやなまま読み始め、、、“ナニコレ、、、陳腐すぎじゃない?? これがベストセラーだったのか?”などとかったるく読んでいたのだけれど、中盤以降、所々でちょいちょい引っ掛かる文章もありながら、何となく読み進めて“なーんだ、ホントにただの青春小説やん”と最終頁まで来たのでした。

 そうして、ラストまで読み終わって、????は? となり、前に戻ってあちこち読み直す……というハメになりました。本当に「最後の2行で大逆転劇」だったのです。ちょいちょい引っ掛かった理由が理解できました。

 けれども、そのオチは“文章だから”できたことであり、それを映像化したというので、一体どうやって、、、?という興味だけでDVDを借りて見てみることに。

 で、本作の感想をあれこれ書こうと思うと、どうしたって原作の肝である“オチ”を書かざるを得ないのだけれど、ここでそれを書いてしまうのは、やはりちょっとルール違反な気がします、、、。ので、原作既読の方には分かるように、ネタバレしない程度に感想を書くことにします。


◆なかなか巧妙なシナリオ

 映像化するのに一番ネックだと思っていた部分を、どうやってクリアしたのだろう、、、と思って見ていたら、なるほど~、と感心。キーワードは“ダイエット”。これで、中盤から松田翔太が登場しても、原作を知らない人は違和感なく見られるのだなぁ、と。まあ、フツーに考えたらかなり無理があるのだが、、、。

 全般に、比較的原作に忠実にシナリオは書かれており、上記のネックが上手くクリアされていたので、原作を知らない人は、原作を読んだ者が味わった驚きを映画でも味わえたに違いない。途中で察しがつく人は、かなり察しの良い人だろう。それくらい、映像化は巧妙になされていると感じた次第。

 が。

 せっかく巧みに展開してきたのに、肝心のオチで観客を、え~~~っ!!と言わせてエンドマークにすれば良いものを、本作は、ご丁寧にその後、解説映像を流すのである。これは、興ざめ、蛇足の極みだと思うなぁ。

 原作は、最後の2行でバッサリ終わっており、え、、、どういうこと?どういうこと???となるのが良いのであって、それは映画にしても同じでしょう。どういうこと?と見た者に考えさせるように終える方が良かったと思うわ。そうすれば2回見る人も少なからずいたはずで、興行的にも儲かったかもしれないのに。商売下手やね。

 そのオチにもっていく展開は、原作とはかなり違っていて、やはり映像化に多少ムリがあったかな、と感じさせてしまっているのは残念(原作未読の人にはゼンゼン問題ないと思うが)。鈴木が、美弥子を振り切ってまで、マユのところに戻って来る、、、ってのは、松田演ずる鈴木のキャラから言って、ちょっと違和感あるよねぇ。原作では、美弥子と結婚しちゃう感じだったような(もう忘れかけているという、、、情けなや)。

 いやまあ、でも、あの原作を、よくぞここまで映像化したものだと、それは掛け値なしに感心致しました。


◆その他もろもろ

 正直なところ、原作のマユと前田敦子は、私の中では、あまりにもイメージが違い過ぎて、原作のオチが云々よりも、そっちの方が気になった。ただ、原作未読であれば、これも何ら問題はないことではある。

 原作のマユは、そもそもショートカットで色白の、前田さんとは見た目的にもゼンゼン違う。キャラも、前田さんはかなり天然に演じてはいたが、マユは天然そうでシタタカなので、前田さんのマユには、そのシタタカさがちょっと感じられなかった。もっと言っちゃうと、前田マユは、ただの緩い子に見えてしまうというか。

 その違いが、ラストのマユのリアクションに違和感を覚える結果となったと思う。まあ、松田演ずる鈴木のキャラ自体がちょっとズレてしまっているので、前田マユがああでも仕方がないというか、映画は映画だからね、、、という感じではあるのだが(原作も映画も知らない方には何のことやら、だと思いますがスミマセン)。

 まあ、原作とどう違う、、、と書き立ててもあまり意味がないので、これくらいでやめておきますが、原作既読の方でも、それなりに(オチを知っているからこそ)楽しめる作りにはなっていると思うので、気が向いたら見ても良いかも。

 ちなみに、原作小説は、本当に“オチ”だけがウリだと思うが、読者を騙しきって最後の2行まで読ませるその筆力と手管は素晴らしいと思います。著者の他の作品を読んでいないので、こんな感想でスミマセン。

 

 

 

 

 

 

 

 

静岡ローカル色強し。

 

 

 

 

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息子の面影(2020年)

2022-06-19 | 【む】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv77115/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 メキシコの貧しい村に暮らすマグダレーナ。貧困から抜け出すため仕事と夢を求めた息子は、友⼈とアメリカへ向けて旅⽴ち、そのまま消息を絶つ。

 多くの若者が国境を越えようとして命を失うことが多い中、マグダレーナは、息⼦を探す為に⼀⼈、村を出発する。やっとの思いで得た情報を頼りに、ある村へと向かうマグダレーナは、道中で息⼦と同じような年齢の⻘年ミゲルに出会い、彼が母親を探していることを知る。

 息子と母、それぞれが大切な存在を探している二人は共に旅を始める。

=====ここまで。

 いろんな意味で“おそるべき”メキシコ映画。

 
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 見たいなぁ、、、と思いながら、ついつい延ばし延ばしになっていたこの映画、ようやく先日劇場まで行って見ることができました。

 感想前に愚痴です。

 せっかく劇場まで行ったのに、斜め後ろの席の中年カップルがサイテーで、、、。予告編のときから、スナック菓子を、ボリボリ、カリカリ、シャリシャリ、、、とすごい音を立てまくって食べていて、まあ、本編が始まったら静かにしてくれるだろう、、、と思っていたけれど、始まってもゼンゼン変わらないトーンで食べる食べる。ここは自宅のリビングじゃないんですけど、、、。

 本作みたいにセリフではなく映像で展開していく映画の場合、シーンとしたシーンが(ダジャレではないです!)多いのだが、そのシーンとしたところで、シャリシャリ、、、、ボリボリ、、、響く響く。始まって数分でさすがに注意しようかと思ったところ、別の女性が「静かにしてください。音立てないように!」と注意してくださいました。

 が。ちょっと音を気にするように遠慮がちに、まだ食べるのだ、このカップル。こんな非常識カップルを気にしていると時間とお金がもったいないので、私は途中から映画に集中するように脳内モードを頑張って切り替えました。気が付けば音は止んでいたけれど、ああいう人の神経って、ホント理解できん。自分の立てた音が劇場内に響き渡って(しかも大事なシーンの最中)いるのに、よく平気でいられるよなぁ。私なんか、ほとんど音は出ない水筒の蓋を外すときでさえ、ものすごい気を使うのに、、、。

 劇場では、たまにこういうハズレなお隣さんに当たってしまい、気分が台無しになることがあるけれど、こればっかりは運だね、、、嗚呼。

 ……で、ようやく感想です。


◆地味ながら秀作

 この映画、ほとんど説明的なシーンもセリフもない。なので、シーンがぱっと飛んで??となるところが何か所かあるのだけど、そのまま見ていれば「ああ、そういうことか……」と分かるようになっている。それを映像と最小限のセリフだけで成立させているところがなかなか凄いと思った。

 メキシコというと、怖い話をよく聞くのだが、本作でもやっぱりそういう社会的な背景が重要なファクターになっている。

 息子と友人が2人とも行方不明になり、友人の方は、早々に遺体となって無言の帰還をする。友人の葬儀の後、友人の母親から、息子を探しに出る足しにしてくれと現金を渡されるマグダレーナ。このエピソードが、ラストにすごく効いてくることになろうとは……。

 息子の消息を訪ねてあちこち歩き回るマグダレーナ。息子が乗ったバスの会社(?)に訪ねて行き、職員の女性に「バスが襲撃されたんじゃないか? 運転手に話を聞きたい」と言うマグダレーナ。女性職員は「そんな事実はありません」と実にそっけない対応。肩を落とすマグダレーナは、とぼとぼと事務所のトイレに入って、手持ちの現金の残りを数える。

 すると、先ほどの女性職員がトイレに入って来て、マグダレーナが入っている個室の扉の外から「あんなこと人前で言わないで。襲撃なんてよくある。運転手も帰って来ていない」と言って、とある人物を訪ねるようにとこっそり教えてくれる。つまりは、そのような事件は日常茶飯事で、下手するとバスの運転手もグルだったりするんだろう(そこまでは描かれていないが)。

 マグダレーナは、その人物がいる危険な地域へ出向くが、その途中、アメリカから退去命令を出されて帰って来たミゲルに出会い、ミゲルは「この辺は危険だし、(マグダレーナの目的地は)ダムの向こうだから今日中には行けない。ウチに泊まると良い。母親とも気が合うと思うよ」と言って、マグダレーナと共に実家へと帰る。しかし、帰った実家はもぬけの殻で荒れており、小屋で飼っていた豚は死んで悪臭を放っている。

 結局、ミゲルは母親を探すことになり、マグダレーナはミゲルの知人にダムの対岸まで船に乗せてもらって渡る。目的の人物に会って、バスが襲撃された様子を聞き、マグダレーナは息子が死んだと受け入れざるを得ない状況だったと知る。

 ミゲルの家に戻って来たマグダレーナは、母親の見つからないミゲルに「私と一緒に住もう」と提案し、その晩はミゲルの家に泊まるのだが、そこへ、何者かが数人で襲撃にやってくる。慌てて家を飛び出し草むらに隠れたマグダレーナとミゲルだが、ミゲルは見つかり射殺される。マグダレーナも驚いて音を立ててしまい追い掛けられる。

 マグダレーナが転んで絶体絶命……、と思いきや、、、。

 まあ、敢えて結末は書きませんが、このラストはなかなかの衝撃な展開で、ただ観客を驚かせるだけ、、、というのではもちろんなく、メキシコの闇がそこにあったのでした。正直なところ、終わって劇場内が明るくなっても、しばらく立ち上がれなかった。うぅむ、これは辛い。


◆その他もろもろ

 監督のフェルナンダ・バラデスも、俳優さんたちも無名で、マグダレーナとミゲル以外は素人を起用しているらしいが、いろんな賞を獲ったのも納得の逸品だと思う。

 ストーリーもだけど、映像の説得力が素晴らしい。メキシコの荒涼たる自然が間々に挟まれ、セリフが少ない分、実に雄弁な映像に終始目が離せなかった。

 メキシコ映画というと『闇の列車、光の旅』(2009)がなかなか強烈だったけど、本作は『闇の~』に比べてどぎつい映像はまったくといっていいほどないが、同じくらいの怖ろしさがあった。怖ろしさの質が違う。『闇の~』は直截的だったけど、本作は背景にあるものを想像するとゾッとなるように作られている。

 途中、スペイン語でないセリフの部分では字幕が出ないのだが、ここは敢えて字幕をつけなかったということだろう。その代わり、セリフの内容が分かる映像になっている。このあたりの作りも巧い。

 残念なのは、パンフがないこと。終わった後、売店で買おうと思っていたら、係の人が「本作品のパンフレットはございませ~~ん」と大きな声でアナウンスしていた、、、がーん。こういう映画こそ、パンフが欲しいのに。……まぁ、配給会社にはよくぞ、日本で上映してくれたと感謝しておりますが。

 メキシコ映画は、あまり見ていないけど(怖いという先入観、、、)、小説をいろいろ読んでみたくなった次第。何年も前に読みかけて途中で放り出したロベルト・ボラーニョの『2666』もまた読んでみたくなったし。

 行ってみたいけど、ちょっと怖いなぁ、、、。ツアーなら良いのか? 知り合いのお子さんがお仕事でメキシコに赴任しておられるが、都会の一部と、観光地として有名なところは「比較的安全」と言っていたらしいが。比較的、って、他があれじゃあね……。

 

 

 

 

 

 

 

 


映画館では音の出ないお菓子を食べましょう。

 

 

 

 

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オフィサー・アンド・スパイ(2019年)

2022-06-11 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv76780/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 1894年、フランス。ユダヤ人の陸軍大尉ドレフュスが、ドイツに軍事機密を流したスパイ容疑で終身刑を宣告される。ところが対敵情報活動を率いるピカール中佐は、ドレフュスの無実を示す衝撃的な証拠を発見。

 彼の無実を晴らすため、スキャンダルを恐れ、証拠の捏造や、文書の改竄などあらゆる手で隠蔽をもくろむ国家権力に抗いながら、真実と正義を追い求める姿を描く。

=====ここまで。

 世界史における有名な冤罪、ドレフュス事件をポランスキーが映画化。第76回(2019年)ヴェネツィア国際映画祭審査員大賞受賞作。

 
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 実話モノは扱うネタ(特に難病系)によっては見ないけれど、歴史系は割と見る方かなぁ。本作は、ポランスキーの監督作品なので劇場まで行ってまいりました。

 ちなみに、本作はヴェネツィアで賞を獲っているのだが、これが物議を醸したことでニュースになりました。なぜ物議を醸したか、、、って、そりゃ、ポランスキーのあの事件があるからです。……が、ひとまず感想から。


◆ポランスキー、凄い。

 ポランスキー監督作は好きな映画が多いし、『戦場のピアニスト』は、私のベスト5に入る一作なので、本作も公開を楽しみにしていた。……のだが、内田樹氏(学者としてちょっと??な発言が多い)が字幕の監修をしているのと、見に行く前に某紙の映画評がベタ褒めしていたのを読んでしまい、劇場に行くときにはかなり引き気味だった。

 けれど、いざ本編が始まったら一瞬も集中力が途切れることなく、2時間超にもかかわらずあっという間にエンドロール、、、。いやぁ、参りました。某紙の評は盛ってはいなかったのだ。さすが、ポランスキー。『戦場の~』ほどの熱量は感じなかったが、品があるのにエグさ全開という二律背反を冷徹に実現させていて、凄いとしか言い様がない。

 とにかく全編、細部に至るまで隙が無い。役者の演技は言うに及ばず、美術、衣装、演出、音楽、、、、ポランスキーは妥協しない人らしいが、本作でもそうだったのに違いない。映像は、ため息が出るほど美しい。

 本作の主人公は、冤罪の被害者ドレフュス本人ではなく、彼の無実を図らずも知ってしまったピカール中佐。ポランスキーが巧みなのは、このピカールを完全無欠な正義漢として描いていないところ。40歳過ぎて独身で人妻と不倫しているし、ユダヤ人差別を自覚している。けれど、軍人として職務には忠実で、だからこそ、ユダヤ人であるドレフュスを冤罪から救うために奔走する姿は、決してドレフュス個人に対する感情的なものではなく、軍を誤らせてはならない、法に忠実に行動するという彼の行動原理からくるものであることの説得力が増すのだ。

 しかも、ラストがダメ押し。どうダメ押しなのかは、敢えてここには書かないが、これは賛否が割れるところだろう。一瞬呆気なくも感じるが、私はこのラストによって、本作は実に人間臭い、しかし、極めて上質で大人の映画に仕上がったと感じた次第。ピカールの描き方に、ポランスキーの意図が如実に表れていると思う。エンドロールをこれほど余韻に浸って眺めた映画は、それこそ『戦場の~』以来ではないだろうか。

 強いて難を言えば、説明的な回想シーンが多かったことかな。ポランスキー映画では珍しいのではないか。

 全編、極めて冷静で、音楽も少なめ、衝撃的な映像もないし、内容としては実に渋い。登場人物もほぼ中高年男性ばかりだしね、、、。実話をネタにした情緒溢れるエンタメを期待して見に行くと、かなり肩透かしを喰らうだろう。でも、ドレフュス事件についてはきちんと分かるように描かれているし、後半は裁判がメインになるが展開も速いので、脳みそは終始フル回転となること必至。

 これは、見ないと損、、、とまでは言わないが、見て損はない映画だと思う。


◆豪華キャスト

 ピカールを演じたのはジャン・デュジャルダン。私はこの方の出演作は『英雄は嘘がお好き』を機内上映で見始めて途中でリタイアしただけで、話題になった『アーティスト』を始めとしてまともに見た作品は1つもない。コメディ出身とのことで(フランス人俳優に多いですね)、パンフのインタビューで「コメディは筋肉のようなもので、本作は骨に近いもの」と言っている。

 ドレフュスを有罪にするために文書を捏造したアンリ少佐は、途中からピカールの部下になるのだが、このアンリとのやり取りがいちいち引っ掛かるシーンになっている。2人とも言ってみれば軍にどっぷり浸かった人間なのだが、対照的なのだ。アンリは軍の面子のためなら文書の偽造も平気でやる。結局、偽造は明るみになり、アンリは自殺するのだが、、、。

 そのきっかけとなったのが、何と、ピカールとアンリの決闘である。しかも拳銃ではなく、剣での決闘。本作では分からないが、史実によれば、これはピカールが申し込んだ決闘らしい。これにピカールが勝ち、アンリが敗れたことで、アンリは文書偽造を告白し自害した、、、という描写になっていた。この決闘シーンも、実に見ごたえのある素晴らしいシーン。

 ドレフュスを演じたのは、ルイ・ガレルなんだが、全然ルイ・ガレルって分からない容貌になっている。投獄された後はますます分からない。しかも、出番がとっても少ないので、彼を目当てに見に行くとガッカリするかも。オープニングに注目、、、かな。

 その他、胡散臭い筆跡鑑定人にマチュー・アマルリック、ゾラの弁護士にメルヴィル・プポー、ピカールの友人弁護士にヴァンサン・ペレーズ、、、等々。ヴァンサン・ペレーズ、ちょっとしか出てないけど、相変わらずイケメンやった。ピカールの愛人をポランスキーの妻エマニュエル・セニエが演じているが、女性の登場人物はほぼ彼女だけだ。終盤、ドレフュスの妻らしき人が裁判の傍聴人で映るけど、、、。

 軍関係者の登場人物が多く、しかも皆制服を着ていて、上官の見分けが付きにくいというのが難点かな。でも中盤くらいになれば分かって来る。フランスは、軍服までオシャレやね、、、。


◆嗚呼、ポランスキー。

 ヴェネツィアの授賞式では、ポランスキー作品が評価されることに、一部の人たちが抗議の意を示すために退場したとか。その一人はあのアデル・エネルだ。「恥を知れ!」と叫んで退場したという。そのほか、フランスの有名な女性ジャーナリストとかもいたらしい。

 アデル・エネルは好きな女優さんで、彼女ならそういう行動をするのも不思議ではないな、と思う。でも、私は、ポランスキーの映画も好きなので、正直なところ、股裂き状態である。

 抗議したくなる気持ちも分かる。私も、もし、ポランスキーの映画が好きじゃなかったら「だから、やっぱり、、、」と思うだろう。少女淫行事件の真相は分からないけど、ナタキンとの関係も考えれば、おそらくそういう事実があったのだろう。時代が、、、とか、そういう言い訳は通らない。

 先日も記事にしたが、淫行じゃないけど、プーチン支持に回ってしまったクストリッツァの監督作品も、私は好きなのだ。だからと言って、クストリッツァが今していることにはゼンゼン共感できないし。

 監督の過去と作品を切り分けることはアリなのか、ナシなのか。今も私の中で結論は出ていない。ポランスキー作品もそう。『アンダーグラウンド』も『戦場のピアニスト』も、私の映画歴の中ではなくてはならない作品。とても、封印することはできそうにない。

 ネット上では、本作について、「ポランスキーの言い訳にしか思えなかった」といった感想もあったし、「ポランスキーが監督だから見たくない」というのもあった。見たくなければ見なければ良いと思うが、本作がポランスキーの言い訳というのは??である。まあ、その人がそう感じたのだから、それを否定する気はないが。

 パンフにはポランスキーのインタビューも載っている。彼もユダヤ人で迫害の被害経験者として、少女淫行歴がある者として、インタビュアーの質問にこう答えている。

「このような映画を作ることは、私にとって大きな助けになっています。(中略)私に嫌がらせをするほとんどの人は、私のことも知らないし、事件のことも全く知らないのです。」
「~(略)~マスコミはこの悲劇(<筆者注>シャロン・テート事件のこと)を掌握し、どう対処していいかわからなかったからか、(中略)私が悪魔崇拝を背景に彼女を殺した犯人のひとりであると暗に示したのです。彼らにとっては、映画『ローズマリーの赤ちゃん』は私が悪魔と結託していることを証明するものだったんです!(中略)私に人生で出会ったこともない女性が、半世紀以上前に起こったと思われる出来事を告発してくるなんて馬鹿げた話です。」
「(<筆者注>反撃したいと思いませんか?の問いに対し)なんのために? 風車に突進しようとするようなものですよ。」

 いずれにしても、ポランスキーの人生は、およそ常人ではあり得ないものだ。

 

 

 

 

 

 

 


我が国の文書捏造事件も時間が経ったら真相が明らかになるんですかねぇ。

 

 

 

 

 

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帰らない日曜日(2021年)

2022-06-09 | 【か】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv76124/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1924年、初夏のように暖かな3月の日曜日。その日は、イギリス中のメイドが年に一度の里帰りを許される〈母の日〉。けれどニヴン家で働く孤児院育ちのジェーンに帰る家はなかった。

 そんな彼女のもとへ、秘密の関係を続ける近隣のシェリンガム家の跡継ぎであるポールから、「11時に正面玄関へ」という誘いが舞い込む。幼馴染のエマとの結婚を控えるポールは、前祝いの昼食会への遅刻を決め込み、邸の寝室でジェーンと愛し合う。

 やがてポールは昼食会へと向かい、ジェーンは一人、広大な無人の邸を一糸まとわぬ姿で探索する。だが、ニヴン家に戻ったジェーンを、思わぬ知らせが待っていた。

 今、小説家になったジェーンは振り返る。彼女の人生を永遠に変えた1日のことを──。

=====ここまで。

 グレアム・スウィフトの小説「マザリング・サンデー」の映画化。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 原作未読。某紙の映画評が褒めていたので、コリン・ファースも出ていることだし、イギリスの階級モノは面白そうだし、、、と期待値高めで見に行ってまいりました。……が、これはかなりの期待ハズレでござんした。

 以下、本作がお好きな方はお読みにならない方が良いかもです。ネタバレもしておりますので、よろしくお願いします。
 

◆ラブストーリーか?これ、、、

 名家の子息を演じているのは、ジョシュ・オコナーくん。2年前にNHKでオンエアしていたドラマ「レ・ミゼラブル」ではマリウスを、『ゴッズ・オウン・カントリー』(2017)では一転、寂れた牧場の青年ジョニーを体当たりで演じていた。

 そのときも思ったけど、マリウスよりジョニーの方が全然彼には合っていたのよね、雰囲気とか。なので、ポールは良家のお坊ちゃんという設定なんだが、あんましそういう風に見えなかった、私の目には。ネット上では、ピッタリ!と感想を書いている人もいたので、これは好みの問題ですな。

 で、ジェーンとポールが身分違いの恋に落ちたいきさつが、出会った瞬間しか描かれておらずに全く分からない。気付いたら2人は素っ裸でベッドにいるんだもんね。まあいいけどさ。

 本作の予告編を見ても、キャッチコピーを見ても、“身分違いの恋”がメインストーリーかと思うじゃない? でも、違ったのだよ。これは、出自の分からない孤独な女性ジェーンが、階級社会のイギリスでいかに自立して生きていくこととなったか、、、という、女の駆け足一代記なのでした。……ごーん。

 それならそうと、それを匂わせるプロモーションをすれば良いのに、、、と思うけど、“フェミ映画”の烙印を押されるのを恐れたか。フェミ映画じゃ、観客動員は望めないもんねぇ。一応分かりますよ、配給会社の気持ちも。実際、フェミ映画ってわけでもないしね。

~~以下、ネタバレです~~

 HPの惹句にもある「人生が一変した日曜日」だけど、これは、この日曜日にポールとさんざんセックスし、その後、ポールが事故死しちゃった日、ということ。

 でも。ポールが生きていたらジェーンの人生はどうなっていたというのか。身分違いの恋が成就することなどあり得ないのだから、せいぜい妊娠するか、お払い箱にされるかだが、ジェーンはまあまあ賢い女性なので、そういう自分の先行きを早めに見通して、いずれにせよ自立の道を選んだのではないか、と思う。

 ……とすると、別に、ポールの死んだ日は、彼女の人生を一変させた日、というほどのことでもないのではないか。と思ったのだった。自立の日が早く来ただけ、、、と。

 好きな人、大切な人を突然失うことなど、人生において珍しいことではない。もちろん、それは悲劇的なことであり、受け入れがたいことには違いない。けれども、遺された者の人生に、第三者が勝手に何らかの意味付けをするのは違うだろう、とも思うのだ。遺された者がその事実をどう自分の人生に意味付けるかは、その者自身にしかできないはず。

 本作内でのジェーンは、哀しみと向き合い、人生の流れに逆らわずに生きているように描かれていた。だから、この惹句は、日本で勝手につけられたものではないか?と思ったが、英語版公式サイトにも“But events that neither can foresee will change the course of Jane’s life forever.”と紹介文にあるので、やっぱりそういうことなのかねぇ、、、。ま、いっか、別に。こだわるほどのことでもありませんね。


◆その他もろもろ

 ジェーンを演じたオデッサ・ヤングは脱ぎっぷりが良いのはあっぱれなのだが、一糸まとわぬ姿でポールの屋敷内を巡るシーンが結構長々と続き、見ていて、「寒いんじゃないの?」とか「でもこれ、スタッフが大勢いるところで撮ってるんだよね」とか、いらんことを考えてしまった。その姿のままモノを食べるシーンもあり、うぅむ、裸でモノを食べるってのは私的にはあり得ないので、かなり驚いた。これも文化の違いかしらん。

 それはともかく、主役で演技も良かったけど、脇を固めるオリヴィア・コールマンの存在感に圧倒されていた感じだ。コールマンの出演時間は短いけれど、インパクト大。「あなたは生まれたときから孤独。それがあなたの強みなのよ」(セリフ正確じゃありません)と、息子を第一次大戦で亡くした母親として、ジェーンがポールを失って悲しみに暮れているとは知らずに(ポールとジェーンの恋は秘密だったので)言葉を掛けるシーンが、本作での白眉でしょう。

 もし、ジェーンの人生を変えた一日、と敢えて言うのなら、コールマン演ずるニヴン夫人にこの言葉を掛けられたことではないか、と思う。ポールを亡くしたことよりも、私はこのシーンの方がジェーンにとっては重要だったと感じた次第。

 コリン・ファースは良いご主人様役。ジェーンが暇乞いしたときも、穏やかにそれを受け入れる。妻のニヴン夫人のエキセントリックさに疲れているけど、突き放しもしない。諦めているのかな、、、。

 途中で死んでしまうので出番は少なめだったジョシュ・オコナーくんは、有望株なのでしょうか。私的にはあまりピンと来ないけど、演技は良かったと思う。全裸で一物がモザイクなしで丸出しのシーンがあって、そこから服を着ていくんだが、上半身から着ていくのよね。いつまでたっても、あそこは出しっ放し、、、。一応、演出の意図はあるんだろうけど、私には分からなかったわ。早くパンツ履いてくれ!!と思っていた。

 ジェーンが裸で歩き回る屋敷の図書室が素敵だった。東洋文庫の図書室みたい、、、。

 

 

 

 

 

 


ザ・雰囲気映画。

 

 

 

 

 

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TOVE/トーベ(2020年)

2022-06-06 | 【と】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv72409/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1944年のヘルシンキ、戦火の中でトーベ・ヤンソンは自分を慰めるようにムーミンの世界を作り、爆風で窓が吹き飛んだアトリエで暮らしを始める。

 型破りな彼女の生活は、彫刻家である父の厳格な教えに相反していたが、自分の表現と美術界の潮流との間にズレが生じていることへの葛藤、めまぐるしいパーティーや恋愛を経つつ、トーベとムーミンは共に成長していくのだった。

 自由を渇望するトーベは、やがて舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラーと出会い、互いに惹かれ合っていく。

=====ここまで。

 言わずと知れたムーミン原作者、トーベ・ヤンソンの半生を映画化。

 
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 昨年の劇場公開時に行きたかったのだけど、タイミングが合わず見逃し、、、。ようやくDVDで見ました。……ま、DVDで十分だったかな。
 

◆個性的な面々

 トーベのお父さんは著名な彫刻家だったようで、トーベの創作活動に何かとケチをつける。しかも、結構悪意を感じる物言いで、これはトーベは辛いよなぁ、、、と思って見ていた。トーベはお父さんのことを尊敬しているので、尊敬する人に貶されるってのは精神的に削られるだろう。

 お母さんは挿絵画家で、この方はトーベの良き理解者。まあ、お父さんがああでも、このお母さんがいればトーベもいくらか救われただろう。トーベが何だかんだと潰れなかったのはお母さんの存在が大きいのではないかと感じた次第。もちろん、それだけではないと思うが。

 基本的に、お父さんとの芸術家としての葛藤が通奏低音として描かれており、それがムーミンの成功でラストへ向けてどう変化するのかも見もの。割とベタな着地のさせ方をしているが、まあこれはこれで良いのでは。私も思わずもらい泣きしちゃったし。実際はどうだったのか知らないけど、wikiを読む限りでは戦後に和解しているらしい。

 トーベを取り巻く人々は皆個性的なんだが、主に、2人の人物との関係がメインに描かれる。

 1人は、スナフキンのモデルとも言われる男性アトス・ヴィルタネン。スナフキンとは大分イメージ違うけど、この時代の男性にしてはかなりの自由人として描かれている。トーベとはしばらく不倫関係。ある朝、アトスの妻からトーベの部屋に電話がかかってきて、アトスも平気で電話に出て、、、なんていうシーンもあった。

 もう1人は、ビフスランのモデルであるヴィヴィカ・バンドラーという女性。ヴィヴィカとトーベは出会ってすぐに恋愛関係になるが、ヴィヴィカは既婚者、トーベにはアトスがいるという、、、。本作では、トーベの気持ちは明らかにヴィヴィカ>>アトスとして描かれており、アトスと結婚を決意した後に、ベッドでアトスの腕の中にいながら「ヴィヴィカ……」と名前をつぶやいて結婚話は消える。それまでヴィヴィカとの関係も黙認していたアトスだったが、さすがにこれは堪えたということか。

 実際のアトスは左翼の活動家だったらしく、トーベとの結婚がナシになったことにヴィヴィカが絡んでいるのかどうかは分からない。まあ、ヴィヴィカとの関係は知っていたのだろうけど。

 フィンランドでも、当時は同性愛は犯罪で精神疾患の一つとされていたというのだから、まあ、さすがのトーベと言えども、一度は結婚を考えたのだろう。その辺は本作内ではほとんど描かれていないが、ヴィヴィカがトーベに「手紙の差出人名は毎回変えて」と言っている辺りで察しはつく。

 何だかんだと、トーベは出会いと人脈に恵まれ、“本業”と言っていた油絵よりもムーミンが爆発的に売れたわけだけど、おおむね芸術家としては恵まれた人生だったと言えるのではないか、、、と見ていて感じた。


◆うぅむ、、、なモロモロ

 ……というわけで、終始、落ち着いて心穏やかに見ていられる映画だった。だからこそ、グッとも来なかった、、、ごーん。

 トーベはイロイロ悩んで苦労しているし、ムーミンが売れるまでも簡単ではなかったのだけど、でも、創作活動においてはどうしようもなくなるまで追いつめられることなく成功への道が開けるし、お父さんとは確執があるとはいえ、お母さんは理解者だし、弟も才能があってトーベの仕事を手伝ってくれる、、、という具合に、比較的ハッピーである。

 なので、本作ではヴィヴィカとの恋愛がメインフォーカスされているのだろう。私の目には、あまりヴィヴィカが魅力的に映らなかったので、トーベがどうしてそこまで彼女に執着するのかがイマイチよく分からなかった。ヴィヴィカを演じたクリスタ・コソネンという女優さんは大柄の美人だけど、奔放というと聞こえは良いが、どう見てもセックス依存症じゃないの?というくらい、男女問わず誰彼構わず寝る人なのである。トーベも「あの人はやめとけ、私も寝た」と、仲の良い女性から言われているシーンがある。

 まあ、人を好きになるのは理屈じゃないし、本人にしか分からないので、それは良いのだけどね。ヴィヴィカがものすごく魅力的に見えれば、もっと説得力があったかなぁ、、、と感じた次第。

 あと、お父さんを演じたロベルト・エンケルという俳優さんは、あの『ボーダー 二つの世界』(2018)に出ていたとかでビックリ。何の役だったのだろう、、、??

 途中、市庁舎の壁画を描くシーンがあるが、その壁画が素敵だった。ヘルシンキに行けば実物が見られるらしい。行きたいなぁ、、、でも、行けないだろうな、当分は。フィンランドにしてみれば、それこそウクライナの戦争は他人事ではないだろうから。ヘルシンキのロシア大使館前で、フィンランディアを(国名をウクライナに変えて)歌うヘルシンキの人々の動画がTwitterで流れて来たけど、あれを大使館内で聴いていたロシアの大使館員はどんな気持ちだったろうか、、、。

 

 

 

 

 

 

 


ムーミンの人形劇はちょっと怖い、、、。

 

 

 

 

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JAL工場見学〜SKY MUSEUM〜

2022-06-04 | 番外編

 コロナ禍で海外旅行どころではない日々が続いておりましたが、ようやく解禁になるんですかね、、、。まぁ、解禁になっても、私はしばらくは様子見だと思いますが。

 そんな中、JALの工場見学が再開されたとの情報がTwitterで流れて来て、これは是非見てみたいと思って行ってまいりました。私、飛行機大好きなんですよ、見るのが。なので必然的に空港も好きなんです。

 新卒の時代、入社した会社で予想外にも営業なんぞに配属されて、ただでさえ向いていない職種の上に、まだまだ男社会の悪癖がはびこり、あっという間に病みました(まぁ、私生活も悲惨だったのですが)。もうこのまま消えてしまいたい、、、、などと思ったことも度々。会社辞めよう、、、と決心したのは入社して1年も経たない頃だったけれど、そう決心してからは、営業に行くのもバカバカしくなり、会社を出て羽田空港にしょっちゅう行っておりました。展望台で、飛行機の離着陸を日がな一日眺めて、何の成果も持たず(当然)に会社に帰る、、、なんて日々でした。

 離陸を見ていると、色々悩んでいるのがものすごく小さいことに思えるのですよね。飛行機が上っていく大空は果てしなく広がっていて、飛行機から地上を眺めた時の感覚を思い出し、あんなちっぽけな所でせせこましく右往左往している自分の姿を鳥瞰している気分になるというか。

 着陸は、無事に大地に降り立って、ホッとします。飛行機が高度を徐々に下げて降りてくるのを見ていると、何というか、すごく集中力が養われる気がするのです。息を止めて見ているんでしょうかね。

 ……なので、空港は私にとっては鋭気を養える、気分をリフレッシュできる場所なのです。

 というわけで、工場見学リポートです♪ まあ、リポートなんぞ書くまでもなく、JAL SKY MUSEUM のホームページを見れば、ここに挙げてある画像のほとんどは載っています。ただ、行った自慢をしたいだけの駄文です

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 行ったのは、5月24日の10:30〜12:20のコース。

 申し込みは、開催日ごとに決まっていて、ネットで朝9:30~受付開始なんだけれど、数分ですぐに満席になってしまうので、私も気合入れて申し込んだ。先着順ということで、頑張れば申し込めるのが良い(抽選は運なので逆に嫌ですね、私は)。

 で、意外にもすんなり申し込めたのだった。といっても、5分後には満席になっていたので、やはり人気なのね。あ、ちなみにこの見学は無料

 一人で行っても良かったんだけど、コロナになってからほとんどウチの人と一緒にお出かけしていなかったので、あんまし興味なさそうだったのを無理やりつき合わせて2人で参加することに。

 モノレール(久しぶりに乗った)で「新整備場」駅で下車。この駅は地下なのだけど、出口を上がったところすぐに「JALメインテナンスセンター」が見える。



 事前のメールで「受付開始時間より前にお越しいただいても、施設にはご入場いただけませんのでご注意ください。」と注書きがあったので、10時20分頃には着いていたけど、ウチの人が喫煙タイムの間、私は滑走路脇に張り付いて飛行機が次々離陸していくのを眺める。飽きないわ~

 で、30分になったので、入り口に行くと、当然ながら、検温され、身分証明書の確認もあり、入場するためのストラップ付IDカードを渡される。

 45分から「教室A」でレクチャーがあるので、それまでミュージアム内を自由にご覧下さい、と言われ、見てみる。


 


JALもコンコルド導入を考えていたのかぁ、、、。

 

白いチャイナドレスっぽいデザインは、香港線用

 

 で、45分から飛行機の説明とか、工場見学の注意事項等々を動画で見せられ、係の人の説明等もあって、工場見学は11:30~です、、、とのことで、それまでは自由時間。10分くらいでミュージアム内を案内してくれるコースもあったけど、私たちはそちらへは行かず。オリジナルグッズがあるというショップを見たかったので。

 でも、このショップがかなりガッカリで、、、。確かに、JALのロゴの入った革の財布やら小物類とか、飛行機の精密な模型とかあったけど、私が欲しかったのはそういうのじゃないのよ……、ごーん。機内で配るアメニティとか、機内でしか配らないお菓子とかさ(一応少しあったけど)、機内食みたいなお弁当とかさ、、、、そういうのを期待していたのだ。うぅむ、、、残念。可愛い文具があると聞いていたのだけど、もしかして、コロナだから……? 当てが外れたショップだったけど、手ぶらで帰るのは悔しいので、飛行機の柄のミニタオルを2枚ゲット。

 そうこうするうちに30分に。再び教室Aに集合し、IDストラップのカラーごとに5~6名のグループに分かれ、各グループに案内係がつき、赤いヘルメットを被っていざ工場内部へ。

 タラップで乗るとき以外、飛行機をこんなに間近で見る機会ってないので、ついつい前のめりに、、、。

 

こちらは何か月もかけて整備する第一格納庫
 

座席が外されて並んでいた、、、

 

今どんな作業をしているのかが作業員全員に一目で分かるようになっているらしい

 

 

これは作業員の方が作った777の模型で、リモコンでバッチリ飛ぶらしい(奥は747)

 

 お次は第二格納庫へ移動、、、。

 

こちらは短期メンテナンスの格納庫

 

この後、プッシュバックをこんな間近で見ることに、、、!

 

格納庫のすぐそばに滑走路。A350が駐機中(デカい!)

 

隅っこには737が、、、

 

 こうして見ると、737はかわいらしく見えるけれど、十分大きい。この後、係の方が「お写真撮りますよ~」と、参加者全員の写真を737をバックに撮ってくれる。「737ですみませんね、、、」とおっしゃっていたが、それは737が小さいから、ってことだろうけど、すみませんね、なんて言わないであげてよ、、、 737可愛いじゃん。

 ……それにしても、撮っていただいた画像、ヘルメット被ってマスクして眼鏡かけてって、、、、もはや誰だか分からない。

 

737のお尻、、、

 

エンジン取り外し中

 

 というわけで、全てのコースが終了したのは12:20と予定通り。この後、空港第2ターミナルまで行って、ランチを食べ、展望台へ行き、ショップをぶらぶら眺めて、帰途についた。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 本当は、この後『シン・ウルトラマン』を見に行こう!!と言っていたのだけど、意外にくたびれたので、まっすぐ自宅へ帰った次第。予約がとりにくいのがナンだけど、一度は見ておいて損はないと思います。無料だしね。飛行機好きの方、是非。

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