映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

飢餓海峡(1964年)

2014-05-31 | 【き】

★★★★★★☆☆☆☆

 昨年亡くなった三國連太郎さんの代表作として、ニュースでも何度も挙げられていた本作ですが、大分前のBSでの放映を録画し、ようやく見ました。何しろ3時間ですからね・・・。長い映画が苦手な私としては、見るのに覚悟が要ります。原作未読。

 さて、名作誉れ高いだけのことはあって、確かに力作です。役者も揃っている。中でも、八重を演じる左幸子が出色です。犬飼の残した爪を持って官能に耽る演技など凄みを感じます。また、犬飼を追う伴淳演じる弓坂刑事も味わい深く、素晴らしい。むしろ、主役の三國さんより際立っていたと思います、このお二人は。一方で、健さんは、何の役をやっても昔から健さんだったんですねぇ。

 とにかく、本作の時代、日本は皆が貧しかったのですね。田舎でも都会でも、その描写から貧しさが嫌というほど伝わってきます。皆、生きるのに必死だった。その貧しさをベースにして、実際に起きた台風での船の転覆事故と大火を絡めているという、その原作の設定が非常に秀逸だと思います。

 ところで、犬飼が味村刑事に語った、北海道から内地へ渡る過程についてだけれども、これ、皆さん信じるんでしょうか。彼は、漁父の利よろしく大金を手にしたと、、、。

 私は信じられないクチで。犬飼は網走出の2人を撲殺し海に放り出して、大金を独り占めしたのだと思えてなりません。なぜなら、船に乗る際、網走出の男がそれまで肌身離さず持っていた大金入りの鞄を、わざわざ体から離して船床に置くとは思えないからです。犬飼の言った通りが事実なら、大金もろとも海の藻屑となっていたに違いないと思うのです。犬飼は思ったに違いない、「この金で人生仕切り直せる」と。事実、彼は北海道を出ることでリセットしたというようなことを味村に話しています。そこに目の前に大金が出現し、それを奪うことを考えない方がむしろ不自然です。どうせ、どっちにしたって、彼はすでに強盗殺人及び放火事件という大罪に巻き込まれているのですからね。自制が効かなくなっていて当然です。少なくとも、私が犬飼ならそう思うと思いますね。

 しかし、本筋とは関係ないところですが、署長が弓坂刑事にお茶を点てて差し出すシーンがありまして、私、このシーンにいたく感動しました。この署長さんは、部下の意見をじっくり聞いた上で、決断は素早く冷静に下すという、上司としての鏡のような人であり、おまけに、お茶を点てるという風流も心得ているなんて、あの戦後の皆が貧しい時代に、何と粋な署長さんなんでしょうか。原作でもこういう設定なんですかね。分かりませんが。

 ちょっと後半がダレたのと、ラストが読めてしまったことが、私にはかなり興ざめだったので、星の数は低めです。
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マイ・プライベート・アイダホ(1991年)

2014-05-28 | 【ま】

★★★★★★☆☆☆☆

 リバイバル上映をしているのを知り、劇場へ。平日の昼間なのに、結構、人が入っておりました。

 リヴァー・フェニックスといえば、『スタンド・バイ・ミー』でしょうが、私、その名作と言われる作品を見ておりません。そして、彼の他の出演作も、1本も見ておりませんので、彼がどれほどの俳優さんなのか知らず、やはり夭折したことで半ば伝説になっているのかしらん、程度の認識でおりました。

 で、本作です。なるほど、彼は美しいです。男娼やっても、そりゃ、客がひっきりなしにつくでしょう。しかし、美しいだけで、金もない、学もない、親もない、家もない、、、では、彼の先行きは真っ暗です。それだけに、キアヌ演じるスコットに愛を告白するシーンは哀しいですねぇ。スコットに彼と一緒に堕ちる気なんかサラサラないわけで。

 スコットは、ああいう人っていますよねぇ。アマちゃんのくせに、地位も名誉もある親に一応反発しといて、いざとなると、その権威をかさに着て既定路線にアッサリ戻る人。こっち側の人間からすれば、あっちに戻るつもりならこっちに来るな、ってとこですが、あんな美男子の育ちの良いあっち側の人間がこっち側に舞い降りてきたら、クラクラしちゃうのも仕方ないよね。マイクの気持ちも、まあ、分からんではないです、ハイ。

 でもまあ、映画としては、本作はイマイチですね。非常にかったりぃです。リアリティを追求しているかと思えば、途中でストップモーション的な映像が差し込まれちぐはぐな感じがするし、多分、作品としてあまりにも抑揚がなさ過ぎなんでしょうなぁ。一見ダラダラなアルトマン作品なんかは、やはりバッチリ計算された掴みとか転換とかオチとかあるわけで。本作は、まあ、そういう構成的な未熟さと、若干説明不足なところが大きな減点要素ですかね。

 リヴァーについては、美しいし、演技も素晴らしく、惜しい人材を失ったのだな、と今さらながら思いました。他の彼の出演作も追々見て行きたいですね。
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うたかたの戀(1936年)

2014-05-27 | 【う】

★★★★★★☆☆☆☆

 だいぶ前にレンタルリストに入れていたのが送られてきました。今年、オードリー主演のTVM『マイヤーリング』が公開されて少し話題になりましたねぇ。見に行っていませんが。

 本作は、ハプスブルク家のお話なのに、フランス語です。ま、それはどーでもいいのですが。モノクロですが、非常に美術が豪華であることが分かります。制作年を考えると、これは相当のものなのではないか、と思う半面、この年代だったからこそ逆にできたことなのかな、と思ったりもして。よく分かりませんが。

 モチーフとなっているマイヤーリンク事件については、色々謎が多いようで、私はゼンゼン詳しくありませんが、少なくとも、本作のようなキレイごとではない、もっと複雑な背景のある出来事であることは間違いないでしょう(Wikiのシシーの解説を書かれた方は、シシーが嫌いなんでしょうなぁ。もの凄いこき下ろしようです。ま、当たらずとも遠からじだろうなぁとも思いますけれども)
 
 作中のルドルフは、自分の意思で生きられない憂さを酒と女で晴らし、精神的には君主制に批判的で自由主義であった、一応、骨のある男、という設定の様です。心底愛する女性と出会わぬまま政略結婚し、相変わらず放蕩を続ける彼の前に現れたのが可憐な姿のマリー・ヴェッツェラ。で、後は、ご存じの通りの展開。

 古い映画独特の、ややブツ切りな飛躍のある展開だけれども、ルドルフとマリーの悲恋の過程は結構丁寧に描かれているし、マリーを演じたダニエル・ダリューはなるほど美しい。なので、この2人の恋バナに関してはビジュアル的に問題ないけれども、ところどころに出てくるエリーザベトがどうも、、、。あの有名なシシーの肖像画には似ても似つかぬ華のない女優さんなんだよねぇ。そして、夫に情死されちゃう悲惨な大公妃ステファニーはかなり見た目のおよろしくない女優さんで、悪意があるとしか思えない配置。ここまでしなくてもいいでしょう、と言いたくなります。

 音楽はすべてウィンナワルツで、まあ、ちょっと大人の古めかしいおとぎ話だと思って見れば、それはそれで楽しめます。

 さて、 ここから先は余談です。ルドルフを演じたシャルル・ボワイエですが、正直、あまり好きではない俳優さんでしたが、本作でアップのショットを何度か見ているうちに、誰かに似ているなぁ、と思い、なかなか思い出せずにおりました。そして、終盤、思い出しました。そう、カルロス・クライバーです(特にブラームス4番のジャケの写真)。私はクライバー教の信者なので、これは歓迎すべきことなのかどうか、思い至った瞬間は複雑な気持ちになりましたが、その後、ちょっとした因縁を感じました。

 ボワイエは、愛妻家だった様で、30年以上連れ添った妻に先立たれた2日後に自殺していると、キャストの紹介に出たのですね。そして、クライバーですが、彼も、妻を亡くした後、引きこもりのようになり、ひっそりと亡くなっています。自殺という噂も飛び交いました。それほど、妻が逝ってしまった後、ガクッと来てしまったらしいのですね。彼は生前はかなりの自由人で、相当のプレイボーイだったとのことですが、心のよりどころは妻だったんですかね。ただ、顔が、というか、一瞬一瞬の表情が似ているな、と思っただけですが、ものすごーく些細な共通点がありました。
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ラガーン(2001年)

2014-05-26 | 【ら】

★★★★★☆☆☆☆☆

 リンクの作品情報にはあらすじがないので、簡単に書きますと「植民地時代のインドで、重税に喘ぐ村を救うべく、クリケットでイギリスの軍人チームと闘った勇敢な青年と村人たちのお話」ってなところでしょうか。amazonさんの商品紹介にはもう少しマシな内容紹介があります。

 何しろ、本作は、224分もありますからね。3時間44分ですよ。インターミッション挟んで2日に分けて見ました。

 昨年、『きっと、うまくいく』にハマって、アーミル・カーンという俳優さんが、ほかの作品ではどんな感じなのかしら、と思って見てみたわけです。なんつったって、制作が彼のプロダクションなんですからね、美味しいところはぜーんぶ彼が持っていっております。でもまあ、彼は、やはりそれだけのオーラのある俳優さんでした。一応、納得。

 とはいえ、まあ、結末は分かっているようなもんだし、いかに過程を面白おかしく見せてくれるかというのがミソなんだけれども、いかんせん、長過ぎるので、ダレてしまいました、私は。山場であるはずのクリケットの試合も延々・・・。まあ、面白くなくはないけれども、基本、長い映画が苦手な私としては、早送りしたくなるのをグッとこらえました。クリケットの魅力もよく分からず。

 本作を見て1番感じたこと、それは、彼の地はめちゃめちゃ暑いんだろうな、ということでした。登場人物、皆、汗だくなんですよ、これが。イギリス人たちも、脇汗の凄いこと・・・。臭いそう。もう、見ているだけでうんざりしてくる暑さです。そして、土埃。あー、なんか、のど乾いてきます、マジで。

 てなわけで、映画に対する感想は、ほとんど書きたいこともなく、ただただ、長さと暑さを感じた作品でありました。見終わった後、全部見たぞぉー、という達成感は味わえます、多分、、、。
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ヴィオレッタ(2011年)

2014-05-21 | 【う】

★★★★★★☆☆☆☆

 自分が母親との確執を経験しているせいだろうけれど、つい、こういう作品は見てしまう。とはいっても、娘の立場に極端に感情移入するわけでもなく、結構、冷静に見ているつもりなんだけど。

 こないだ『8月の家族たち』で、娘たちがようやく母親に対して声を上げられるようになってきたことは良いことだと思っている、みたいなことを書いたばかりで、いきなり矛盾することを書くようだけれども、昨今、よく耳にする「毒親」という言葉が、私は嫌いである。一応、私も、スーザン・フォワード著「毒になる親」は読んだし、そこには共感できる部分もあったし、救われる部分もあったのは間違いない。だから、あの本に罪はないと思うが、「毒親」という言葉がネットで無責任に拡散し、言葉だけが独り歩きしている感が非常に強く、掲示板などでも「毒親」という言葉を見ると、「もう、いい加減にしてくれ」と言いたくなる。

 先日、某全国紙に、久田恵さんが「母娘問題 それぞれの自由な生き方へ」というタイトルで、昨今の安易な「何でも母親が悪い」的風潮を批判的に書いておられたが、おおむね同感だ。

 確かに、親のことで死ぬほど苦しんでいる人は少なくないはず。でも、思うにまかせぬ現状を「親のせいにしているだけ」の「毒親」大合唱の人々に、私は、いささか食傷気味だ。こういう親の子は、自分が親に毒されていることに気付いてはいても、それを解毒することをしようとしない。なぜなら、恐ろしいから。解毒=親からの自立=親との激闘を経なければ達成できない、という図式が、もう体で分かっているからである。中毒状態が苦しいけれども楽だと思ってしまうのだ。

 でも、それは大きな間違いだ。行動を起こすエネルギーを思うと卒倒しそうだからネットに愚痴を書きなぐっている人々には、そんなことしている時間はもったいない、と心の底から言いたい。1日も早く、自分の人生を取り戻さねば。人生には時間の限りが必ずあるのだからね。親に拘って生きるのも人生なら、親を心に封印して孤独な自由を生きるのも人生なのだ。どちらがより充実したものになりそうか、これ以上書くまでもない話。 

 と、前置きが長くなり過ぎたけれども、本作も、母親と娘の葛藤話。これはまあ、かなりヒドイ母親である。なんつったって、自分の名声・名誉のために、年端もいかぬ我が娘を裸にして写真を撮って、世間にばら撒いたんですからねぇ・・・。一応、アートだと世界的に評価もされる半面、容赦ない批難にさらされたのも当然だろう。

 本作は、しかし、母親の告発映画ではないように感じた。ポスターの惹句からは、告発ものっぽいイメージを受けるが、この監督エヴァ・イオネスコは、おそらく自分のために、そう、「解毒」のために本作をどうしても撮らざるを得なかったのだろうと思う。これは、もの凄くそう思う。なぜなら、母親に対する愛情を感じる描写も多々あったから。もちろん、これで解毒完了というほど単純なものではないと思うが、これはかなり大きなハードルだったに違いない。

 なにしろ、ヴィオレッタを演じたアナマリア・ヴァルトロメイが美しい。でも、体はまだまだ少女。このいびつさ。そして、背景の安っぽいゴシックアート。なんだか、ちょっとホラーっぽいと思ってしまったのは私だけかな。

 母親を演じたイザベル・ユペールはさすが。狂気じみた人を演じるのが、この人は本当に上手いと思う。当然、美しい。娘を愛していたのは本当だろうが、おそらくは、自己愛の方が強かった女性なのだと思う。自分の次が娘なのだ。でも、それってそんなに責められることなんだろうか。人間、誰だって自分が可愛い。そういう母親の子どもがもれなく不幸とも言い切れないだろうし。結局、母娘の相性に拠るところが大きいのではなかろうか。

 本作のラストは思わせぶりで、その後のこの母娘の成り行きが気になる。なので、パンフレットを買ってみたけれど、それについての言及は一切なかった。完全な和解はなかったのだろうな。そして、エヴァさんは、多分、一生、解毒を続けるのだろうと思う。そう、この中毒に完全治癒はないのである。いかに毒を薄めるか、これにエネルギーを注ぐ。でもそれは悪いことばかりではない。エヴァのように創造につながることだって多々あるのだから。
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ウエディング(1978年)

2014-05-16 | 【う】

★★★★★★★★☆☆

 これは随分前に見ていて、見た時は「さっすがアルトマン、おもしろい!」と思ったのに、なぜかレンタルリストに入れており、しかも、見たことさえ忘れており、DVDを再生して3分くらいして、ようやく「あ゛、、、これ、、、」と気付いたという・・・。がーん。

 アルトマン作品は割と好きである。こういう、一見、散漫な感じの作品はどちらかというと苦手なのだけれど、アルトマンについてはどういうわけか、面白い、と思う。最初に見た『プレタポルテ』でハマった感じである。世間的にはあまり評判は良くないみたいだけど。

 さて、本作は、伊丹十三監督の『お葬式』の、結婚式&アメリカ版って感じじゃないかなぁ。『お葬式』は、テレビのオンエアでしか見たことないけど・・・。本作より、よほどメリハリが効いていて、笑うポイントがハッキリしていた記憶があるけれども。

 私が特に印象に残っているのは3つほど。まずは、新婦がニカッと笑った時に、シャキーンと歯列矯正のブラケットが光るその笑顔。これがハッキリ言って可愛いとか、そういう感じじゃないのである。ギョッとなるのだけれども、これがその後の仰天シーンにつながる。あの肖像画はどう見ても悪意があるとしか思えない・・・。

 2つ目は、やはりミア・ファロー。彼女が本作で一番存在感があったかも。彼女演じる新婦の姉バフィが、トンデモなのだが、見事にはまっている。最後まで、画面の端にチラと映るだけでも存在感は変わらず。さすが・・・。

 3つ目は、新婦の母上、チューリップ。大体、チューリップって名前がどーなんでしょ。新郎の縁者(どっから見てもオッサンである)に突如言い寄られ、「いけないわ」なんて言いながら、ウエディングパーティーを抜け出して温室で逢引するという、おいおいな展開。このチューリップを演じたキャロル・バーネットが素晴らしい。この人は、あのドラマ「デスパレートな妻たち3」で、ブリーの継母役で出演していて、その時も、存在感抜群であった。どちらも、割とキツそうな女性であるが、彼女の雰囲気に合っている。

 ちなみに、「デスパレートな妻たち」に出演していた人がもう一人。新婦の父親役のポール・ドゥーリー。彼は、ドラマではスーザンの実父役だった。実にロクでもない父親役だったが、本作では、まあ、比較的マトモな父親なのではなかろうか。

 しかし、本作は、これだけのエピソードを脈絡なく描いても、素晴らしく分かりやすい。『M★A★S★H』でも思ったけれども、どうして、こんなグダグダ一歩手前の所で鮮やかに収集をつけられるのだろう、と驚嘆してしまう。もちろん計算してやっているんだろうけれど、テキトーにやっている、と言われても納得しそうな、それでいて、実にスマートな作りなのである。こういう人の頭の中って、一体どうなっているのだろうか。ものすごーく不思議である。

 彼の作品では比較的とっつきやすい方、という評価の様なので、初アルトマンにはおススメかも。
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ワレサ 連帯の男(2013年)

2014-05-14 | 【わ】

★★★★★★☆☆☆☆

 映画友に誘われ、GW中、岩波ホールへ・・・。外は快晴の行楽日和だってぇのに、映画鑑賞。しかも、アンジェイ・ワイダにワレサ。映画友が「やっぱ、アタシたちって、マジョリティとは言い難いよね・・・」。確かに。

 正直、ポーランドの歴史なんて、ほとんど「無知」のレベルと言っていい私であるが、ワレサの名前くらいは当然知っていた。でも、何をした人なのか、何でノーベル賞もらったのか、よく知らんかった。本作を見る前に予習をすべく、「ワレサとの対話 連帯と反抗の17日間」(ユーレ ガッター・クレンク著)という古い本を図書館で漁ってきたのだが、最初の数ページで、あまりのつまらなさに挫折。結局、ネット情報程度しか見ないで本作を鑑賞することに。チンプンカンプンになるのでは、という一抹の不安が・・・。

 ハッキリ言って杞憂でした。私は、アンジェイ・ワイダの作品を見るのはこれが初めて(実は、『灰とダイヤモンド』を見たと思うのだが、まるで記憶に残っていない)で、何となく“難解”というイメージを勝手に持っていたので、良い意味で見事に裏切られました。

 ワレサが、どうして連帯でリーダーとなり得たのか、そして、そこから民主化運動を推し進めていったのかが、かなり分かりやすく描かれています。基本的には、妻ダヌタとの夫婦の話を軸に展開していくので、彼の社会的な活動は背景なのですが、それでいて語り口は丁寧です。

 感じたことは2つ。まず、彼が人を束ねていくことができたのは、彼が頭が良かったからでも、策士だったからでもなく、単純に“話が上手かった”からではなかろうか、ということ。まだ連帯の一メンバーだった頃の話として、エリートたちがハンストをしているところへワレサが乗り込んで行ってハンストを辞めさせる、というシーンがあります。ここで、彼よりよほど学のあるであろう、見た目も知的で線の細い男たちは、あっさり、赤ら顔の野暮ったいおっさんであるワレサに説得されるのです。「ハンストなんかしたって、お前たちが死ぬだけだ」って、至極当たり前のことを言われて。ただ、この言い方が、ある意味、素晴らしい。誤解を恐れずに言えば「可愛い」のです。人懐こい表情と話し方が、相手の頑なな心を一瞬で氷解させるという、この彼独特の才能が、彼がリーダーになり得た最大の理由のような気がしましたね。

 もう1つは、妻の存在の大きさです。夫婦を軸に描いているから、まあ、妻の存在を大きく取り上げるのは当たり前なんだけれども、ワレサは、ダヌタ以外の女性が伴侶であったら、もしかしたら、別の人生を歩んでいたのではないかと思いましたね。彼女は、とにかく柔軟です。決して意思のない流されるだけの女性ではなく、夫を支えることに徹するのです。それが彼女の人生哲学なんでしょう。置かれた状況で夫が一番活きるように立ち回るのです。ワレサが投獄されているときも、不安を抱えながらも揺らがない。ワレサも夫として、やはり「可愛い」のです。一生懸命子育てするし、ほかの女性にチラッと興味をそそられもするけれど、妻が一番だと自覚しているし、まあ、世話は焼けるけど憎めないヤツな訳です。

 つまるところ、ワレサがポーランド史上にどんな足跡を残したにせよ、一男性としては、「愛嬌たっぷりのおっさん」でありました、という作品だったと思います。そしてスピーチ上手。スピーチの能力って、政治家には絶対的要素だと改めて思いました。スピーチさえ上手ければ、ブレーンを超優秀な人材で固めれば良い、そんな気がします。オバマもそんな感じですしね。つーか、オバマもスピーチだけで大統領になった男、と言われていましたっけね。

 ま、飽きずに最後まで面白く見られた作品でございました。
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闇の列車、光の旅(2009年)

2014-05-12 | 【や】

★★★★★★☆☆☆☆

 昨年、図書館で数か月待ちして、ロベルト・ボラーニョ著『2666』を借りた。図書館でその本を受け取った瞬間、借りて読もうなどと姑息な考えを反省した。その厚さは恐らく5センチ近くあったのではなかろうか。総868頁、おまけに2段組。借りて読もうなど無謀そのものだったと改めて反省。それでも2週間で読めるところまで読んじまおう、と頑張ったけれども、第2章の途中で時間切れと相成った。悔しいので、第3章以降を未練がましく拾い読みして、第4章のキョーレツさに閉口、、、。

 その後、まだ購入していない(ので当然読了していない)。だって、お高いんだもん。当然と言えば当然だが、税込価格7128円 (本体価格6600円)もするのである。おまけに、この本は異常に重いので、寝っころがっては読めない。別に座って読めば良いのだが、購入への心理的ハードルはもの凄く高い。

 で、本作を見て、その冒頭5分ほどで、頭に浮かんだのが『2666』だったのである。本作が醸し出す雰囲気が、まさしく『2666』だった。ボラーニョの描写から私の頭の中に湧いたメキシコの風景は、もう、まったく本作のまんまであった。なので、一気に引き込まれたというわけ。

 『2666』の続きでは、まさに、本作の前半で描かれる(恐らくそれ以上だと思うが)信じ難い悪の蔓延る世界が繰り広げられるらしいのだが、一旦、ギャングの組織に組み込まれた人間の行く先には「絶望」あるのみなのだ。殺るか殺られるか、逃げ出したくても絶対逃げられないという、底なしの地獄。もう、見ているだけで息苦しくなってくる。

 それだけに、主人公カスペルが組織のナンバー2を殺した後の展開は、少し拍子抜けである。移民でアメリカに密入国を目論む少女サイラと出会い、サイラに惚れられ、2人の逃避行が続くのだが、これが陳腐な恋愛ロードムービーっぽくなってしまっている感あり。最初は心を閉ざしていたカスペルが徐々にサイラと心を通わせていく辺りとか、ちょっと食い足りない。別に、カスペルとサイラの逃避行でも良いけれど、恋愛モードなど一切ナシで、ヒリヒリするような緊張感溢れる、絶望に追われる逃避行の過程を描いた方が、前半の描写が効いてくるのではないかと感じた。

 とはいえ、ほんの少しの希望を感じさせるラストは良いと思う。とことん救いのないハナシじゃ、見終わってドッと疲れるだけだもんね。ハッピーエンドじゃなくても、何とか未来を期待できそうなラストは、本作の場合は正解だと思う。

 『2666』も、メキシコで実際に起きた大量殺人事件がその下敷きにあるというが、本作を見るまで、なんというか、心のどこかで信じていなかった部分もあったのだが、本作を見て、そういう世界がそこには確かにあるのだ、と信じてしまえたような気がする。『2666』の続きがモーレツに読みたくなってきてしまった!!
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8月の家族たち(2013年)

2014-05-07 | 【は】

★★★★★☆☆☆☆☆

 最近、母娘の確執がよく話題になっている気がする。小説家やアナウンサーといった方々が自分の母親とのあれこれを土台に小説やエッセイを書いておられるようである。

 でも、正直、私から言わせてもらえば「何を今さら」である。というか、やっと、娘たちが声を上げることができ、その声を聴いてもらうことができる世の中になってきた、ってとこなんだろうな、多分。私のように、20年以上にわたり母親と、もう、グッチャグチャの「確執」なんてきれいな言葉じゃ治まらないくらいの壮絶な大戦争をしてきた人間にとってみれば、前述の小説家やアナウンサーの方々のエピソードなんて、ゼンゼン甘いとしか思えないが、それでも、そう、娘たちはようやく「それ、おかしいでしょうよ!?」と言えるようになってきたことは良いことだと思っている。

 とはいえ、そういう攻撃にさらされている母親たちだって、かつては、その母親たちとの確執を抱えた娘たちであったことも忘れてはならないと思う。私の母親も、その母親(私の祖母)と、極めて険悪な仲であり、母親に強いられる不条理に苦しむ姿を、私は間近でずっと見てきたのだ。だからこそ、それなのに、どうしてあなたも同じことをわが娘にするんですか? という強烈な疑問が残るのである。

 まあ、この手の母親にはいろんなタイプがいるだろうけど、家族をサイテーサイアクな空気に引きずり込み、嫌悪感でその空間を満たす、という結果は同じなのではなかろうか。そして、こういう妻に対して、大抵、夫は無力なのである。無力を決め込んでいる。だから、余計に妻は増長し、荒れ狂い、その犠牲になるのは、どうしたって子どもたちである。

 はたして、本作でメリル・ストリープ演じるところのキョーレツママゴンであるヴァイオレットもまさにそう。彼女は、口腔ガンを患う薬中で、アル中の夫に去られた女である。ヴァイオレットは、貧しかったから、自分の母親も自分を愛さなかったから、と言い訳ばかりを娘に言う。でも、ゼンゼン同情できない。むしろ、そんな人は子ども産まないでくれ、と言いたくなる。子どもは親を選べないんだぞ。ヴァイオレットの撒き散らす毒性ウィルスに侵され呼吸困難に陥り、瀕死になるのは長女と次女。三女は恐らく、自家製ワクチンを身に備えている。ダメんずと思しき尻軽男と、とっとと逃げていく。いや、三女は三女なりに苦しんでいるのだが・・・。長女も家庭崩壊、次女にはもっと最悪な事態が待ち受ける。

 本作の中で唯一の救いは、ヴァイオレットとよく似た毒舌な実妹マティ・フェイの夫チャールズが、息子を罵るマティ・フェイに対し、強烈な一発(もちろん言葉で)をカマすところである。こういう夫がいると、子どもは母親の毒牙から多少は救われる。でもこれは、非常に稀だと思われる。大抵は、ヴァイオレットの夫ベバリーみたいにアル中とか、でなければワーカホリックとかネグレクトとかになって、妻と子どもたちを精神的に捨てるのである。ベバリーは自殺しちゃうんだから、本当にとことん逃げ切る、サイテーな父親である。こいつがヴァイオレット以上に罪深く、許せん存在だ。殺しても足りない、と思う。

 作品自体でいうと、中盤以降、特にラストにかけては、やや作り過ぎで一気にリアリティがなくなって興ざめである。あんな次女のエピソードはいらんだろう。ただでさえ、精神的にギリギリ来る作品なんだから、もう少しマシなエピソードを入れてもらいたいものである。しかし、役者さんたちは、皆、迫真の演技であった。メリル・ストリープは、あれこれ出過ぎで食傷気味だが、やはり素晴らしい。ジュリア・ロバーツ演じる長女の夫役がユアン・マクレガーだったのだが、これはエンディングまで気付かなった!! 個人的には、次女アイビーを演じたジュリアンヌ・ニコルソンが出色だったと思う。「アリー・myラブ」に出ていた頃より、色んな意味で味わいが深くなって、良い俳優さんになったなぁ、と嬉しかった。
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ダブリンの時計職人(2010年)

2014-05-02 | 【た】

★★★★★★★★☆☆

 アイルランドに、一度は行ってみたいと思っているが、なかなか実現しそうにないなぁ。そもそも、何でアイルランドに興味を持ったのか、それさえよく思い出せない。多分、きっかけは『フィオナの海』だと思う。そこで興味を持ったところへ、愛するダニエル・デイ=ルイスがアイルランドにまつわる作品に立て続けに出演していたので、行ってみたくなってしまったという感じ・・・。

 とはいえ、アイルランドのことは、まだまだ勉強不足で、ほとんどよく知らない、と言った方が良いレベル。ジョイスの「ダブリナーズ」は一応読んだけれども、イマイチ、ピンと来なかったし。司馬遼太郎の「街道をゆく 愛蘭土紀行」はそれなりに面白かったけれども、内容はかなり忘れている・・・。

 本作も、ダブリンが舞台の物語であることで、興味をひかれて見に行ってみた次第。

 まず、良くないことから先に書いてしまおう。この邦題である・・・。主人公のフレッドは、時計「も」直せる技術を持っているが、失業前はロンドンで職を転々としていた、と自分で言っており、決して時計職人という設定ではない気がする。原題も『Parked』であり、こっちは作品を端的に表したタイトルである。そう、この邦題はダメでしょう。

 と、言ってはみたものの、本作は、なかなかの逸品だと思う。展開や、人物の配置は割とベタなところもあるのだが、人物描写が丁寧で、登場人物それぞれに共感できる。それぞれの立場になって見てしまえるという、素晴らしい脚本。

 一番グッと来たのは、棺に入れられたカハルのために、フレッドが自作の詩を読むシーン。カハルの生前読み聞かせた前半に続く、「いつか読むよ」といった後半には、希望の言葉が連なっていたのだが、それをカハルの亡骸に向かって読まなければならないという哀しさ。生前に読んでいてもカハルの運命は変わらなかったかもしれないけれど、変わったかもしれない。でも、カハルはもうこの世にいないのである。

 本作は、優しいね。制作者たちが、登場人物それぞれを愛しているのが伝わってくる。だから、ベタでもベタさを感じない。哀しい結末だけど、心に沁みる。

 しかし、ものすごく考えさせられたことも一つある。ボロボロになった放蕩息子カハルが金の無心に帰ってくるのだが、カハルとのあれこれに疲れ切った父親は、カハルの先行きを予感しつつも、突っぱねるのである。私が父親だったらどうするだろうか・・・。このまま返したら、この子は、とんでもないところまで堕ちるのではないか、いや、間違いなく堕ちるだろう、と分かっていて、突っぱねられるだろうか。今も答えは出ていないけれども。子ども、いえ、一人の人間を育てるって、想像を絶する難行なのだと、改めて思うのである。
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シバ 縄文犬のゆめ(2013年)

2014-05-01 | 【し】

★★★★★★★★☆☆

 イヌと言えば柴、だと私は思っている。断然、柴犬。耳の垂れた毛の長いのとか、モップみたいのとか、顔のつぶれたのとか興味なし(好きな方ごめんなさい)。耳が立っていて、尻尾はくるんと巻いて背中にくっついていて、毛は短くて、凛としたその立ち姿。それが、私にとっての、THE犬、である。

 ・・・というわけであるからして、こんなタイトルを見たら、見に行かない訳にはいかないのだ。もちろん、いわゆる「キツネ顔系のシバ」のドキュメンタリーであることは承知。よく見る柴犬よりはちょっと細面で、目も細め。でも、やっぱり凛々しい。ホント、惚れ惚れするほど凛々しく美しいシバたちである。

 この「キツネ顔系」の柴犬は、日本にいる柴犬全体のわずか2%であるとか。この2%が、大昔、日本の野山を人の近くで駆け回っていた柴犬に近い姿なのだという。その原型に近い柴犬「縄文柴」の血統を絶やさないように、大事に育てている照井さんの日常を軸に、本作は描かれていく。照井さんから縄文柴を譲り受けた人々が、愛犬と一緒に紹介される。また、その縄文柴たちが子孫を残す様子も撮られている。

 上映後、監督の伊勢真一氏と、絵本作家のいせひでこ氏の対談があり(知らんかった!)、私としては折角だから監督の撮影秘話をたくさん聞きたかったが、いせ氏が半分以上お話されていた。監督の話によれば、本作は、東日本大震災の直前(or直後)から撮影開始されたもののようで、被災地のドキュメンタリーの撮影と、本作の撮影は並行して行われていたそうだ。被災地へ行ったのと同じく、本作の撮影も、「行かずにいられなかった」とのこと。なるほど、それはそうだろう。本作を見れば、その意味は非常によく分かる。それほどまでに、本作は、照井さんの縄文柴を育てる熱意と、飼い主さんたちの縄文柴への愛情、そして何より、当の縄文柴たちの魅力が溢れる作品だからである。

 秋田や長野の自然豊かなところに住む縄文柴たち。雪の野山や、紅葉の山道を、気持ちよさそうに、飼い主さんに寄り添いつつ、時に先を行き、後ろになって、自由に歩き、走る。ああ、なんでこんなに柴犬の姿って、日本の自然に溶け込むんだろう。見ていて、ジーンとなってしまった。90分、シバ、シバ、シバ、シバ、、、、シバ尽くし!! こんだけ見せられたら、キツネ顔だろうがタヌキ顔だろうが、柴犬を好きにならずにいられるわけがないでしょ。もともと好きだったけど、もっともっと好きになったゾ。シバ万歳!!!
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