映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

燃ゆる女の肖像(2019年)

2020-12-20 | 【も】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71560/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から、結婚を拒む娘エロイーズの見合いのための肖像画を頼まれる。

 身分を隠して近づき、密かに肖像画を完成させたマリアンヌは、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを否定されてしまう。だが、描き直すと決めたマリアンヌに、意外にもモデルになると申し出るエロイーズ。

 キャンバスを挟んで見つめ合い、美しい島をともに散策、音楽や文学について語り合ううちに、ふたりは恋に落ちる。

=====ここまで。


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 アデル・エネルが主演なので見に行きました。新聞での評も読んでいたし、大雑把にあらすじは知っていたけれど、それにしても本作では“男が出て来ない”、、、です、ハイ。


◆恋愛映画として、、、どうなのか。

 あちこちで色んな人が誉めているので期待値が上がっていたせいか、正直言って、あんましピンとこなかった。

 ……恋愛映画なんだよね? で、いつも思うんだが、これが、異性愛の恋愛映画だったらどうなのか、って話。つい最近まで、LGBTはマイナーだとされていた。実際は、マイナーなのか、本当に異性愛がメジャーなのか、それすら今の私には分からないのだが、ほんの15年とか20年前までは、恋愛映画といえば異性愛映画が主流だったわけだが、そうじゃない恋愛映画が出て来て、“異性愛じゃない”ことが過剰にフォーカスされることで、それ男女の恋愛映画だったらあまりに陳腐やろ、、、っていう異性愛じゃない恋愛映画が量産されている気がするのね。

 男女の恋愛と、LGBTの恋愛じゃ、社会的背景がゼンゼン違うでしょ、ってことは分かるが、男女の恋愛にも枷はイロイロあるんでねぇ。

 つまり、本作も、画家の方が男だったらどーなのか? って話。

 意に沿わない結婚を強いられそうになっているお嬢、そのお嬢の肖像画を描く画家、お嬢のお目付役でもある母親が留守の間にお嬢と画家が懇ろになる。しかし2人は結ばれない運命にあり、お嬢の方はその束の間の恋を胸に秘めてその後の人生を生き、画家の方もお嬢を忘れられず独身を貫く、、、。

 ありがち……てか、18世紀版『マディソン郡の橋』でしょ、これ。不倫じゃないけどサ。画家が男であったら、本作はあんまし注目されなかった気がするなぁ。その程度の映画にしか、私には見えなかった。映画にする価値がないとまでは思わないけど、ここまで批評家とかに誉められたでしょうかね?

 ……というわけで、ストーリー的にはフツーで、特に、前半はかなり退屈に感じてしまった。2人が恋に落ちてからは、マリアンヌがどんな肖像画を描くのか(本作では、かなり絵が描かれていく過程が詳細に描写されているので、それは見ていて面白かったんだけど、、、)に興味を持って見ることが出来たけれども、ラストまで展開も想定内で意外性も低く、エンドロールが出て、え、、、終わり??って感じだった。


◆振り返る。

 とはいえ、印象的なシーンもないわけじゃない。

 本作のポスターにもなっている、ドレスの裾に火がついたアデル・エネルの佇んでいるシーンは、島の伝統行事でのワンショット。焚火をして、その周りで女たちが歌って踊るんだが、その焚火の火がエロイーズのドレスの裾に移って燃え上がりそうになる。すぐに消されるからどうってことはないんだが、そのエロイーズの姿を見て、マリアンヌの中で変化が起きるという重要なシーンということもあり、なかなか美しかった。

 あと、2人が懇ろになった後、別れを前提に、エロイーズのためにマリアンヌが自画像を描くんだけど、そのときに、鏡をエロイーズの股間(股間と言っても、別に、足を広げているわけじゃくて、ヘアーが隠れるように、って意味ね)に置くのよね。なんか、その図が非常に面白いというか。その小さな丸い鏡に映る自分の顔を描くマリアンヌと、それを見つめるエロイーズ、、、。なかなかユニークな画だった。

 それから、本作ではギリシャ神話のオルフェイスの話(振り返っちゃダメと言われたのに振り返って、愛する人は永遠に黄泉の国の住人となった、ってやつ)が出てくるんだが、これが、終盤の伏線になっている。……いるんだけど、私が本作でピンとこなかった一番の理由が、ここ。あんまり伏線が効いていないというか、、、いや、むしろ、やり過ぎなのかな。

 肖像画も出来上がって、2人はいよいよもうお別れ、というときに、花嫁衣装を身に纏ったエロイーズが、マリアンヌに「振り返って!」と言って、マリアンヌが振り返ろうとする、、、、というシーンなんだけど。これが、感動したという人もいるかもだけど、私には、何だかなぁ、、、という感じで。

 振り返る=永遠のお別れ、なわけだが、何でエロイーズは「振り返って」って言ったのか。マリアンヌは振り返ったのか?

 そして、これは、ラストシーンにもつながって、数年後に2人はある劇場で再会する。再会といっても気付いているのはマリアンヌだけ、、、で、エロイーズは気付いているのかいないのか、マリアンヌの方を見ようともせず、2人の思い出の曲が奏でられている舞台に見入って涙を流している。……でジ・エンド。

 マリアンヌを振り返らない=これが永遠の別れじゃない、、、ということなのかも知らんが、私にはあんまりグッとこなかった。

 まぁ、一旦別れた2人が再会するのって、難しいよなぁ。映画なんだからハッピーエンドにしちゃえば? とも思うけど。この時代(18世紀末)に、女性同士の恋愛を貫くのは社会的背景から言って極めて難しいわけで、それを敢えてやり遂げる2人の女、、、とか。それこそ、異性愛じゃない恋愛映画だからこそ、の話になりそうなのに、敢えてフツーの話にしちゃっているのがね、、、物足りない。


◆フェミ要素は不発。

 中世~近代まで女性の画家は珍しい存在だったみたいだが(いたかもしれないが資料がほとんど残っていないらしい)、女性画家を描いた映画だったら『アルテミシア』(1997)の方が面白かった。アルテミジア・ジェンティレスキという実在の女性画家を描いている。

 アデル・エネルは美しかったけれど、ほとんど笑わない。終盤にちょっと笑顔を見せるけれども。マリアンヌを演じたノエミ・エルランはフランス人だけど、ちょっと中東系の血もはいっているのかな?というようなエキゾチックな美人。意志が強そうで、役には合っている。

 2人のラブシーンが物足りん、と書いている人がネット上でいたけれど、十分だと思ったなぁ、私は。全裸ベッドシーンは軽めだけど、糸引きの濃厚キスシーンがねっとりじっとり描かれて、もうあれだけでお腹一杯。

 とにかく、男が出て来ない。荷物運びの下男みたいのがチョロッと出てくるだけで、顔も遠目からでよく分からん程度。かなりフェミを意識している作品だと思うが、多分、そっちの狙いは不発だろうな、これでは。そういう視点でいえば、『お嬢さん』(2016)の方がよっぽど刺さる。

 

 

 

 

 

 


絵が上手い人って、それだけで尊敬してしまう、、、。


 

 




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燃えつきた納屋(1973年)

2019-01-29 | 【も】



 フランスの山間部にある寒村オートドーフで、若い女性の他殺体が見つかった。現場にほど近い“燃えつきた納屋”と呼ばれる酪農を営む一家の下へ、この殺人事件を調べるため派遣された予審判事ラルシェ(アラン・ドロン)が訪れると、彼を出迎えたのは酪農家の女主人ローズ(シモーヌ・シニョレ)だった。

 この農家には、ローズ夫婦とその長男ルイの一家(妻と子ども2人)、二男ポールと妻のモニック(ミュウ・ミュウ)、長女のフランソワーズが暮らしていた。事件当夜、長男ルイと二男ポールはいずれも外出していて、深夜に帰宅したと本人やローズが証言した。

 ラルシェは次第にこのローズ一家に疑いの視線を向けていくのだが、これといった手掛かりはなかった。しかし、一家に何度か接触するうちに、この一家はいろいろと問題を抱えていることが分かってくる。

 一方、ローズの夫は、二男ポールが何か事件に関わっているのではないかと不安に思ったのか、ポールの部屋を調べると、殺人事件で被害者が奪われたとされるスイスフランの現金が隠されているのを見つける。ラルシェに届け出ようとするが、結局、届け出ることはできず、妻のローズに打ち明ける。ローズはポールを問い詰めるが、ポールは「金は見つけたから盗ったが殺していない」と言うばかり。ローズはその大金を自分が預かることにする。

 そして遂に、ラルシェは“燃えつきた納屋”の捜索令状をとって、ローズの所へ家宅捜索にやってくるのだが……。
 
 
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 ちょっと前に見たドラマ版『バーニング』のことをネットで調べたときに“納屋”“燃やす”というワードに反応したのか、本作がヒットし、シモーヌ・シニョレとドロンの共演作と知って興味が湧いたので見てみた次第。地味な作品だけど、胸を抉られる人間ドラマが描かれた味わい深い逸品でした。こういう思いがけない出会いがあるから、映画はやめられないのよ、、、。


◆家族の崩壊

 本作は、一応、アラン・ドロンが主役になっているけど、彼はあくまで狂言回し的な存在で、どちらかというと脇。主役は、シモーヌ・シニョレ演ずるローズである。

 ローズが一家の要であることが序盤で分かる。夫は若い頃に反ナチスのレジスタンスだったとかで、ローズも夫自身もそのことが今でもよすがであるらしい。というのも、夫はどうも人生を諦めたか若しくは達観してしまったかの体で、唯一の趣味である時計の修理のために作業場に籠りきりで、ローズとも会話らしい会話もない様子。たまにローズが作業場に来て「片付けた方が良いわ」と言うと「ここはオレの場所だ、とやかく言われる筋合いはない」と撥ね付ける。

 息子たちはというと、長男ルイは家庭を築いて酪農を継いだのかと思いきや、親の土地を売って、スキーのリフトとスキー客用のカフェを作ることを考えている。二男ポールは、妻のモニックが田舎を嫌って町のホテルでメイドの仕事をしているため、たまにしか妻と会えないせいか、飲んだくれて家業を手伝うでもなく無職の日々、、、。

 あまりにも母親が強くてしっかり家を切り盛りしすぎたからか、息子は2人とも無能なのである。

 この息子たちの無能っぷりが、ストーリーが進むにつれてどんどん暴かれていくのである。二男のポールは最初からダメ男なのが分かるが、長男のルイは、一見普通の大人の男に見えて、無能なだけでなく、ポール以上にクズであることが終盤に明かされる。

 つまり、この一家は、もうずっと以前から、内部から腐敗が進行していて、殺人事件が起きて、外部の人間が家の中に出入りするようになったことでそれが露呈し、一気に崩壊したわけだ。


◆怖い母

 というわけで、本作は、ある家族が崩壊する様を描いているのであります。ドロンの出演作で家族崩壊モノといえば、ヴィスコンティの『若者のすべて』が思い浮かぶけれど、私は本作の方がグッときた。

 それは、ひとえに主役のシモーヌ・シニョレに尽きる。彼女は当時51歳かそこらなんだけど、正直言って、もう少し老けて見える。そして、そういう自分を敢えて偽ることなく晒しているのが素晴らしい。農家の女主人という役どころもあるが、飾り気のない顔に地味な衣裳であるにもかかわらず、存在感は他を圧倒している。アラン・ドロンと2人のシーンがいくつかあるが、完全にドロンは喰われている。まあ、本作でのアラン・ドロンはそういう役回りなんだけど。

 彼女は、『若者のすべて』に出て来たギャーギャーうるさい肝っ玉母ちゃん的な感じではなく、静かで厳しい“怖い母親”である。

 実際、ローズが、大金を隠し持っていたことをポールに問い詰めた際、ポールに「なんでもっと早くに私に相談しなかったの?」と言うローズに対し、ポールはこう答えている……「そんなこと出来るはずがない。母さんは怖い」

 そしてまた、終盤にルイが、実は弟ポールの妻モニックと不倫していたことが分かるのだが、それを知ったローズに横面を張られたルイは、ローズにこんな恨み節を言う。「母さんのせいだ。俺をルシルと結婚させた!」

 2人の息子は、母親の強さに抗えなかったのだろう。ローズが息子たちのことについて語る場面があるが、そこで「あの子たちは勉強が好きでなかった」と言っている。きっと、息子たちは2人ともあまり頭が良くないのだろう。だから、強い母親から自立する術を考えることもできなかったのだ。考えられることと言ったら、2人とも“親の土地を売ること”くらいなのだから。こんな腑抜けにしてしまったのは、母であるローズの罪なのか??

 ルイに「お前のせいだ」と言われたローズの言葉がキツい。「自分が何が欲しいか分からないのは、私のせいじゃない」……果たして本当にローズのせいではないのだろうか。

 もし、ルイがもっと頭が良くて、精神的にも自律できた大人であれば、いつの時点でかは分からないが、いつかは自分で自分の人生を選んだと思う。しかし、ローズは最初から、ルイに対してそれを許さない無言の圧力をかけていたに違いない。だから、ルイは大人になるまでに自ら選択権を手放したのだ。そうしないと、この家では生きていけなかったから。無能になることで自分を守ったのだ。二男のポールもそうだったのだろう。

 ローズとしては、家族を、家を守りたいからこその言動だったのだろうが、結果的に息子2人を無能にし、守りたかった家族を崩壊に向かわせることになったという皮肉。

 終盤のローズが寂しそうに林檎を剥く姿が哀しい。全て失い、挙げ句ポールが発した言葉といえば「俺はこれからどうすれば良い?」というローズへの問い掛けである。この期に及んで、彼はまだ自分で人生を選べないままなのだ。ローズは「知らない、私には関係ない」と突き放す。……そうだよね、これ以上、どうしろって言うの。


◆その他もろもろ

 アラン・ドロンは、当時38歳くらい。彼が判事ってどーなの??と見る前は思ったけど、まぁ、そこまで違和感はなかったかな。何か、ちょっとやつれて見えたんだけれど、この頃、お疲れだったのかしら? とはいえ、凡人が着たらダサくなりそうな白いチョッキみたいなセーター(?)をスーツの下に着ていても、なんだかキマッて見えるのはドロンだからこそかもね。

 シモーヌ・シニョレ以外に印象的だったのは、二男ポールを演じたベルナール・ル・コク。ちょっと特徴のある顔も印象に残るが、愚鈍で病んでいる感じがすごくよく出ていた。なんかもう、本当にどーしようもない男、、、って感じだった。

 あと、義兄と不倫するというトンデモ女モニックを演じていたのはミュウ・ミュウ様。いかにもバカっぽい感じで、雪深い“燃えつきた納屋”に来るのに、超ミニスカ姿とか、もう完全にバカ女を絵に描いたような演出だった。中盤、ローズに「うちに帰ってきて」と言われても、「私は百姓じゃない、そんなの知らない」とか何とか、にべもないところが、モニックという女をよく表わしていたように思う。

 とにかく、この“燃えつきた納屋”のあるオートドーフという場所が、寒そうで寒そうで、見ているだけで鳥肌が立ってくる感じ。架空の場所なのか分からないけど、1年のうち5か月くらいは寒い場所という設定だった。やはり、寒い土地っていうのは、それだけで生きていくのが大変だと、本作を見ていてしみじみと感じた次第。

 余談だけど、字幕がひどい。もう少し何とかならないのか、これ。廉価版DVDだとひどい字幕があると聞いたことがあるけど、、、。NHKのBSとかでオンエアすることがあれば是非録画して、もう一度見直してみたい。

 







シモーヌ・シニョレが圧巻。




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モーリス(1987年)

2018-05-13 | 【も】



 20世紀初頭のケンブリッジ大学で、モーリス・ホール(ジェイムズ・ウィルビー)は、クライヴ・ダーラム(ヒュー・グラント)と運命的に出会い、同性愛が犯罪となる時代に、恋愛関係になる。

 しかし、その後、弁護士になったクライヴは、ケンブリッジの同級生が同性愛で逮捕されたことに衝撃を受けたのか、関係を終わらせることをモーリスに一方的に伝え、旅先のギリシャで知り合った女性と結婚してしまう。絶望のどん底に突き落とされるモーリス。

 苦しむモーリスは、結婚したクライヴに招かれた別荘で、猟場番人アレック・スカダー(ルパート・グレイヴス)と思いがけず関係を持ち、スカダーの真っ直ぐな感情に心を動かされる。しかし、スカダーは、近々、家族とともにイギリスを離れ南米へ移住するという。それを聞いたモーリスは、スカダーを引き留めようとするのだが、、、。

 
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 公開当時、話題になっていて気になっていたのに、何故か見に行かなかった。その後も見る機会がなく、DVDでも見られない状況になり、、、。このたび、『君の名前で僕を呼んで』の公開に併せての記念企画とのことで、4K版が劇場リバイバル公開となり、これは是非とも見に行かなくては! と思って、GW中に見に行った次第。

 美しく、切ない映画でした。ちなみに、本作を見てから『君の名前で~』を見ると、どちらの作品もより楽しめると思われます。


◆罪な男、その名はクライヴ。

 最初に、禁断の関係に踏み込もうとしたのはクライヴ。しかし、関係を強引に終わらせたのもクライヴ。クライヴによって目覚めさせられたモーリスにしてみれば、このクライヴの行動は、あまりにもむごい。

 クライヴはモーリスより階級的には上流の家庭で、モーリスよりも自制を効かせざるを得ない人間だったんだろうなぁ、、、。

 この一連のクライヴの言動を見ていて、『マイ・プライベート・アイダホ』のキアヌ演じるスコットを思い出していた。状況は異なるけれども、スコット(金持ちの息子)も、リバー・フェニックス演じるマイク(貧困家庭の息子)を目覚めさせておいて、あっさり見捨て、自分はしゃぁしゃぁとアッパーな世界へ戻っていく。クライヴにしても、スコットにしても、どちらも相手よりアッパーな世界にいる人間であることがポイント。

 結局、アッパーな人間は、堕ちることが怖いのだ。そらそーでしょう。低いとこから飛び降りても怪我は軽いけど、高いところから飛び降りたらヘタすりゃ死にます。

 原作者のフォースターは、生前、作品を発表することはせず、彼の死後1971年、ようやく出版されたとのこと。もちろん、同性愛を描いているからだが、恐らく、フォースター自身がゲイ(バイセクシャル)だったのだろうと思う。同性愛なんてのは、本当は人類の歴史と共にあるものなのにねぇ。

 余談だけれど、歴史的に見て芸術家の間に男性同性愛は多いし、現代でもバレエ界ではプリンシパルになるような見目麗しく踊りも抜群な男性はほとんどゲイだと聞いたことがある。芸術家の男性同性愛は、男尊女卑的な思想背景があるとも言われ、それは一理あるかな、という気がする。今でこそその世界で活躍する才能豊かな女性は多いが、ほんの数十年前までは完全なる男社会で、女性は芸術に参加することすらなかったわけで、男の芸術家から見れば、女は何の価値も産み出さない取るに足らん存在に見えたのもむべなるかなという状況だったのではないか。そんな女たちに魅力を感じない男たちがいても不思議はない。そして、才能溢れる美しい男に惹かれるのは、むしろアタリマエなのではないか。

 フォースターは、どうやって自分の気持ちに折り合いを付けて生きたのだろうか。折り合いを付けられなかったからこそ、原作を書いたのだろうか、、、。


◆同性愛=肉欲、か否か。

 クライブとモーリスの悲劇的な結末は、2人の“恋愛とセックスの関係”に対する感覚の相違によって起きたのだと思う。

 クライヴは頑なにモーリスとのセックスを拒む。もちろんモーリスを好きな気持ちに嘘はなかったのだと思うが、早い話が“恋に恋していた”だけなのではないか。しかも、禁忌である同性に惹かれるものであったから、なおのこと、彼のような苦労知らずのハイソなお坊ちゃんにとって、甘美なものに感じられたに違いない。“こんなイケナイことしているボクちゃん、素敵、、、”みたいな。

 もし、クライヴとモーリスが一線を越えていたら、、、もしかすると違った展開になったのかも、とも思う。もっと早くに破綻していたかも知れないし、二人して堕ちるところまで堕ちたかも知れない。やはり、寝てみて初めて沸き起こる感情は必ずあるわけで、脳内で妄想しているだけでは超えられない壁だろう。そして、クライヴにとって、同性とのセックスとは、同性との恋愛ではなかったのだと思う。

 ここで考えてしまうのが、同性愛イコール肉欲、か否かということ。クライヴにとっては、イコールではなかった。けれども、モーリスが、クライヴに振られた後にアレックとの関係に走ったのを見ると、どう考えても、アレックの人間性に惚れたからというより、セックス可能な相手であるから、という印象が否めないのである。容易には見つけられそうにない同性のセックス相手であること、その存在の稀少さ。それが、モーリスをアレックに走らせた原動力になっていたように見える。そしてそこが、クライヴがモーリスに感じた哀しさなのではないかと思うのだ。他の人を“愛した”のではなく、他の人との“快楽”に走った、、、とクライヴの目には映ったのではないか。

 いずれにせよ、モーリスとアレックの将来が幸せなモノになるとは、想像しにくい。また、クライヴも決して魅力的とは言えない妻との生活が充たされたモノとは思えない。3人の今後に、どうしても悲観的になってしまう。


◆その他もろもろ

 当初、モーリス役はジェイムズ・ウィルビーではなく、ジュリアン・サンズが演じる予定だったのだが、撮影直前になって、ジュリアン・サンズが辞退したのだとか。辞退した理由は分からないけど、ううむ、、、ジュリアン・サンズのモーリス、すごい見たかったかも。ヒュー・グラントとのラブシーンとか、それはそれは美しかっただろうなぁ、、、と妄想してしまう。

 ジェイムズ・ウィルビーは、美青年というよりは、清潔感のあるカワイイ青年、という感じで、もちろん良いのだけれども、私の好みのタイプじゃないので、すんません。正真正銘の美青年であった、ジュリアン・サンズのモーリスが見たかった、、、。

 ヒュー・グラントは、本当に美しい。どうして今、あんなんになっちゃったんだろう、、、なんて言ってもせんないことだが。特に、モーリスとプラトニックな関係を続けている間のクライヴはもの凄く美しい。でも、弁護士になって、だんだんモーリスとの関係を見直し始める頃から、髪型もオールバックになり、髭も生やし、どんどん美しくなくなっていく。こうやって、人間はどんどん俗悪化していくんだ、って見せつけられている気分だった。

 ルパート・グレイヴスは、直情的で大胆なアレックをワイルドに演じていたと思う。いきなりベランダからモーリスに襲い掛かるのも驚いたけど、そのアレックを案外すんなり受け容れるモーリスにもちょっとビックリ。こういう展開だから、同性愛=肉欲、なんて図式が頭に浮かんじゃうんだよね。……あと、安宿でモーリスとコトが終わって服を着るシーンで、ダサい下着を身に着けていくところ、見入ってしまった。あんな、ステテコみたいなの着てるんだ! とか。

 惜しむらくは、クライヴが結婚した女性がまるで魅力的ではなかったところ。ルックスもだけど、あまり品性や知性を感じられないところが残念。そもそも貴族でもないということだったし、、、。敢えてそういう設定にしたのかもしれないが、クライヴほどの青年が選ぶ女性としては、あまりにも不釣り合いな感じ。まあ、本作全体に、女性の描き方は杜撰だった感は否めないけれど。

 美しい男たちが身に纏う衣裳も見物。やっぱり英国男子はスーツが似合う。長い首に小さな頭。ハイネックにネクタイが、イヤミなくらいにピッタリくる。しかし、このハイネックとネクタイが、上流階級の男たちを縛り付ける象徴的な描写でもあったように感じる。彼らはこれらを脱ぐことは出来ないのだ。







「イギリスは昔から人間の本性を否定してきた国」だそうです。




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モンテ・クリスト-巌窟王-(2002年)

2015-10-19 | 【も】




 無実の罪を着せられ投獄されたエドモン・ダンテスが、脱獄し、モンテ・クリスト伯となって、自分を陥れた者たちへの復讐を果たしていく、、、言わずと知れたアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』原作の映画化。

 後半~ラストに掛けては原作と別物のお話に。

 

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 『巌窟王』、、、小学校の時、読みましたよ。家にあった「世界少年少女文学全集」のうちの1冊でした。当然もう絶版になっているけど、今、ネットで検索してみたら、小学館から刊行されていたものが復刊ドットコムにリクエストされていて、「そう、これこれ!」と思って見入ってしまいました。

 とにかく、1冊がすごい分厚い本でしかも2段組みという、かなり手ごわい全集でした。装丁も豪華で、背表紙が世界の地域ごとに一部色分けされていて、小説のタイトルは確か箔押しされていました。花ぎれやしおりも背表紙の色ごとに違っていて、しかも1冊ごとにケース入り。それがずらりと並んでいるのは壮観でしたが、母親が結構、家計はキツくても、こういう全集は揃えてくれている人でした。そしてなぜか、揃えたのに、姉にも私にも、口うるさく読め読めとは言わなかった、、、。というと、どんな思慮深くて賢い母上かと誤解されそうですが、、、。まあ、そんな母親だったら、こんな娘に育ってないのは間違いないです。娘が大人になってからは、(親が言うとおりの)結婚しろしろ、、、、と、壊れたレコードみたいに言っていたけど、どっちかというと、幼少時に本読め読めと言ってくれた方がありがたかったような・・・。ちなみに、この全集は、もう大分前に母親が近所の公立小学校に全巻寄贈したと言っていました。

 というわけで、思い出のある原作です。確か、読書感想文もこれで書いたと思います。とにかく、エドモン・ダンテスという人に同情しまくってしまい、そしてその不屈の精神にガキんちょながら驚いて心の中でひれ伏したものでした。以前、何かの作品のレビューで「復讐譚は嫌い」と書きましたが、この話は別です。こういう、これこそ「ザ・不条理」という話の場合、復讐に燃えて当然です。、、、そうはいっても、そこはデュマ、やはり復讐の本質を描いていらっしゃる訳ですが、、、。

 ともかく、私なりに原作に対する確固たるイメージを持って本作を見たわけです。果たして、本作の内容は、、、。

 まあ、かなりソフトになってはいますけれど、私のイメージが大きく壊れることのない前半でした。、、、が、後半は、???な展開で、これはもう違う話になっちゃっていまして、ここまで話が変わっていると、別にイメージが壊れるも何もない、という感じでした。

 後半の、話の最大の改変は、かつての婚約者メルセデスと仇敵フェルナンの一人息子アルベールが、実はエドモンの子だった、という部分ですね。う~ん、これはまあ、賛否両論でしょうが、私的にはちょっと気に入らない。これで、本作は、少女マンガっぽくなってしまった気がします。原作は、男臭さ全開の話だけど、本作は最終的には乙女チックになって、本質的に全然異なるものになりました。これはこれで、面白いとは思いますけれども、、、、。やはり、モンテ・クリストとメルセデスが安易に元のさやに納まる、ってのは、私は好きじゃないわ~。

 とはいえ、そもそも、原作が長大な物語(岩波文庫で全7巻!)で、それを2時間の尺に収めただけでも凄いことです。しかも、物語として破綻もなく(いささか都合が良過ぎる部分もあるけれど)、見せ場はあるし、衣装や美術も見応え十分。素晴らしい。

 エドモン・ダンテスは、ちょっと、原作からいくとイケメン過ぎかもですね。ジェラール・ドパルデューも演じています(未見)が、そちらの方がイメージとしては近いかも。こっちのエドモンはカッコ良過ぎです。しかも、13年も投獄されていたのに、あの逞し過ぎる体はちょっと、、、。あんな粗末な食事と過酷な環境なら、骨皮筋衛門でなくっちゃ。

 モンテ・クリストになってからも、社交界にデビューするときのド派手っぷりが笑えます。あまりにも成金趣味で、いささか下品。原作の伯爵もそんなだったっけ・・・? とちょっと記憶が呼び起こせないんだけど、、、もうちょっと、教養のある眼光鋭い、それでいて金は無尽蔵に持っている、怪しい伯爵、というイメージだった様な気がするんですが。本作の伯爵は、あまり翳がありません。金持ちの、謎めいたひたすらイイ男、、、ちょっと少女漫画チックだよなぁ。

 そのモンテ・クリストを演じたのはジェームズ・カヴィーゼル。イイ男ですが、こういう屈託のある役にはちょっと爽やか過ぎる感じです。でも、あの『パッション』(未見)ではキリストを演じているのだというから、意外です。『マイ・プライベート・アイダホ』にも出ていたなんて、、、。全然知らなかった。

 敵役フェルナン・モンデゴを演じたガイ・ピアーズが、ジェームズ・カヴィーゼルのガタイが良過ぎるせいか、どうも貧弱に見えました。顔も細いしね。

 ジェラール・ドパルデュー、あんまし好きじゃないんだけど、ジェラール版モンテ・クリスト伯も是非見てみたくなっちゃいました。






気球に乗って現れる謎のイケメン伯爵





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