映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ブレハッチ・リサイタル @東京オペラシティ コンサートホール 2021.10.28

2021-10-31 | 番外編

 

 2年ぶりのブレハッチ君。前回はコンチェルトでしたが、今回はバッハ・ベートーベンを引っ提げてのリサイタルでありました。

 チケットを買うのが少し遅れて、あんまし良い席が残っていなかったんだけど、3階席のバルコニー前列を選択。その後しばらくして完売してしまい、追加公演がサントリーホールで決まったんだけど、サントリーのピアノリサイタルはイマイチ(音が)なので、迷ったけれど、今回はオペラシティの1回のみで我慢することに。プログラムは同じだしね、、、。

 ……というわけで、感想というか、、、個人的に書き留めておきたいという程度のものです。


 【プログラム】
 J.S.バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 Op. 10-1
 ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO. 80
 フランク(バウワー編曲):前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 Op. 18
 ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op. 58
 

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 19時開演なのに、10分過ぎてもブレハッチ君現れない。客席も少しザワついてきたところへ、ようやくご登場。割と颯爽と歩いてきて座ると、少し間があって客席に向けて何か喋り出した。恐らく、遅れた理由だろうと思うが、声が反響しちゃって何言っているかゼンゼン聞こえない。

 まあ、終演後のめちゃくちゃザックリしたアナウンスによれば「急用の国際電話のため」だそうな。でも、彼はもっといろいろ喋っていたし、その姿からは明らかに遅れたことについて、聴衆にきちんと説明しておきたいという気持ちが感じられ、あのホールの作りから声が反響しちゃうのはしょうがないわけで、招聘事務所は彼が話した内容をアナウンスできちんと説明すべきではないか。

 ツイッターで(恐らく1階席の前方に座っていた方だろう)、彼の妹さんの具合が悪いという知らせが入って少々エモーショナルになっていた、、、みたいに言っていた気がするがよく分からなかった、、というような書き込みをしている方がいたが、それならなおさら聴衆に伝えるべきではないのかね? 

 彼の誠意が聴衆に伝わっていないのであれば、それをフォローするのが事務所の仕事だろう。あんなザックリなアナウンスで説明したつもりになっているのか。これって、私が求め過ぎなのかしら?

 でも、もしや体調不良か(過去にもあったから)、、、と心配していたけど、どうにか始まったのでそれは良かった。その後の名古屋も無事に行われたようなので、諸々大丈夫なのかな。若干心配だけど、事務所のHPにもツイッターにも、相変わらず何の説明もない。


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 で、ようやく感想。

 彼のバッハのアルバムは持っているけど、パルティータ2番は入っていない。まあ、彼が元はオルガン奏者だということは知っていたが、今回、ライヴで彼のバッハを聴いて、すごく納得した。オルガン的な響き、、、等という陳腐な表現では表せないけど、ピアノで弾いているのに音が全然ブツ切りにならないんだよね。しかも、あの反響するホールで一音一音はクリアに聞こえるという、、、、ものすごく不思議な感じがした。CDを聴いても同じことは何となく感じていたが、ライヴで聴くと、それがより一層感じられ、彼の演奏している姿に見入ってしまった。

 3階席からは彼の手元は遠過ぎてよく見えないが、近くで、、、というか、あれはカメラで寄って撮らないと分からないレベルの手の動きによるものなんだろうな。

 ……と思ったら、事務所のHPに4年前の彼のインタビューがあり(作家の平野啓一郎氏のツイッターで知ったんだが)、読んだら、すごく納得することが書いてあった。

 ブツ切りにならないのに、クリアなのは、オルガン的な奏法をしていたからなんだ、、、。ペダル操作ではなかったのかーと。「手の指だけで表せるレガート」って、これ、バッハに限らず、ショパンでもすごく感じるのだけれども。そうだったのかぁ、と納得。

 ベートーヴェンは、変奏曲の方が良かったなー、個人的に。ソナタももちろん良かったのだが。……というか、ホントに無駄な間とかテンポの揺らしとか、ないんだよね、この人の演奏は。どの音も、全て理由があってそう弾いている、と感じさせる。

 私がこの演奏会で一番印象に残ったのはフランク。やはり、この演奏でも、オルガン奏者だったのを感じたのよね。フランクって、こんなに美しい音楽書くんだっけ、、、? と私の偏見に満ち満ちたフランク像を思いっ切り覆してくれました。もう一回聴きたい、、、。

 最後のショパンも、もう言うに及ばず美しかった。やっぱし、彼のピアノの最大の特徴は、弱音の信じられないくらいの美しさ。ppがこれほど美しいピアニストは、そうはいないと思うな~。ルプーの弱音も美しいけど、ルプーより音質的には温かみがある気がするし。やっぱしこれも、元オルガン奏者の成せる業かしらん??

 バッハ、ベートーベン、フランク、ショパン、、、という構成も良かったような。フランクが効いてたよね。どれか一つでも順番が変わっていたら成立しなかったプログラムだと思った。

 やっぱし、音が悪いの承知で、サントリーにも行っておけばよかったかな、、、とちょっと悔やまれる。何度でも聴きたいわ。


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 あくまでも私の好みの問題だけど、私は、アクションが大きい演奏スタイルの奏者が好きじゃない。先日まで開催されていたショパン・コンクールの動画配信もいくつか見たけど、アクションや顔芸がすごい奏者が多くて引いてしまった。ブレハッチを好きなのは、演奏スタイルに無駄が感じられないというのも大きい。

 毎回彼の演奏している姿を見て思うけれど、上体を過度に揺らしたり、顔の表情を過剰に変えたりしなくても、十分美しく表現力豊かな演奏はできるってこと。彼の演奏は、前述のとおり、音もそうだけど、動き一つ一つも理にかなっているというか、そういう表現をするためにそういう動きなんだね、と見ていて納得できる。

 ピアノに限らないけど、私は淡々と演奏するスタイルの奏者がやっぱり好きだ。そこから繰り出される美しい音楽に感動する。アクションが大きくて顔の表情が豊かでも、その間は何? そのテンポの揺れはどういう意図?? と感じる演奏では興ざめだ。

 あと、やっぱし、オペラシティのホール、あんまし好きじゃないわ、音。席によるかもしれないけど、このホールは残響が長いと思う。先週のカヴァコスは1階席だったけど、やっぱりちょっとワンワン言ってる感じはしたよね。逆に、サントリーは全然ダイレクトに聞こえない席があるし(しかもS席!)。

 恐らく、ピアノのリサイタルにはどっちも広すぎるんだろなと。やっぱり、ピアノのリサイタルで1,000席超えるのはよろしくないのでは。まあ、採算を考えて、多く集客したいってのは分かるけれど。売り上げが全然違って来ちゃうもんね。コロナ禍で、ますます経費はかかっているはずなので、、、。

 勝手なことを承知で言うと、できれば、東京文化会館の小ホール(649席)か、王子ホール(315席)でお願いします。紀尾井ホール(800席)は、音がキンキンする感じがしてあんまし好きじゃない。評判の良いハクジュホール(300席)は行ったことがないので分からない、、、。席数的にはベストだと思うけれど。

 招聘事務所に文句書いちゃったけど、こういう状況で、海外の演奏家を呼ぶことの大変さは察するに余りある。よくぞ実現に漕ぎ着けてくれたものだと感謝したい。できれば、もうちょっと親切なアナウンスをしてくれていたらな、、、、というファン心理です。

 

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アマデウス(1984年)

2021-10-27 | 【あ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv440/

 
 以下、wikiよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1823年11月のある夜、ウィーンの街で自殺をはかった老人・アントニオ・サリエリが、精神病院に運ばれた。彼は病床で「許してくれ、モーツァルト!君を殺したのは私だ」と言い続けていた。

 後日、病状が安定したサリエリを神父フォーグラーが訪問し、話を聞こうとする。当初は神父を蔑み拒否していたサリエリだが次第に軟化する。そして、にわかには信じ難い驚愕すべき内容の告白を始める。

 サリエリは、若い頃は音楽への愛と敬虔な信仰心に生きており、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世に仕える作曲家として、人々から尊敬されていた。しかし、彼の前に天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが現れたことが、サリエリの人生のすべてを変えてしまう。

 その類い稀なる音楽の才能は大衆から称賛され、天真爛漫かつ下品で礼儀知らずな人間性は他の作曲家から軽蔑を受ける。しかし、ただ一人サリエリだけは、「モーツァルトの才能が神の寵愛を受ける唯一最高のものであること」を理解してしまい、自分はモーツァルトの真価が分かる才能しかない凡庸な人間だと思い知らされる。

 そしてモーツァルトへの激しい嫉妬に苛まされるサリエリの苦悩が、大きな悲劇を生んでいく。

=====ここまで。
 

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 “いまさら名画”シリーズ2作目は、特に意図はありませんが、本作を選びました。ディレクターズカット版じゃない、オリジナルの方を見ました。

 この映画、どこでも褒めちぎられており、みんシネでも平均点8.36点(本日時点)でランキングTOP20(レビュー数30以上)に入り、古い本で恐縮ですが『戦後生まれが選ぶ洋画ベスト100』(文春文庫)でも、堂々8位にランキングしております(ちなみに1位は『2001年宇宙の旅』)。

 公開時のことは全く知りません……。その後、テレビで何度もオンエアされているので、ながら見なら何度もしていますが、最初から最後まできちんと見たのは今回が初めて。ながら見していたときから、本作の素晴らしさがイマイチ分からなかったのだけれども、それは「ちゃんと見ていないからだ」と自分に言い訳をしてウン十年生きてまいりました。

 話は逸れますが、モーツァルトの曲(全部知っているわけじゃもちろんないが)の中で一番好きなのは「クラリネット協奏曲」なんですが、本作内ではちらりとも流れませんでしたね、、、ごーん。


◆天才と秀才

 あまりに有名な映画なので、感想はいたるところで語り尽くされた感があり、まさしく“いまさら”感が半端ない、、、。けれど、敢えて書くぞ、感想を。

 エンドロールが流れ始めて思ったことは、「え、、、、これで終わり?」でした。長いので、やっと終わった感もあったけど、それだけに、ちょっと拍子抜けでござんした。

 良かったのは、衣装とか美術とか。あとオペラのシーンはどれも目に楽しい。

 あの時代、電気がないから、灯りといえば、炎なんだよね。豪華シャンデリアも、舞台のライトも、ぜーーんぶ本物の“火”……という、本筋とは関係ない所にやたらと目が行ってしまった。こないだ見た『コレクティブ 国家の嘘』の冒頭シーンで、火が舞台装置に燃え移ってあっという間に大火災、、、だったのを思い出し、昔はあんなに本物の火を一杯使っていて、火事にならなかったなんてスゴイな、、、と。まあ、これは、中世くらいの映画を見ているとよく感じることではあるけれど。実際は、あれだけの蝋燭の火、相当な熱で暑かったんじゃないかしらん?とも思ったり。

 本作については、サリエリがモーツァルトに猛烈な嫉妬心&対抗心を燃やして嫌がらせしまくる映画、、、くらいの認識だったんだけれども、蓋を開けてみれば、別に、サリエリさん、そんなにヒドい人ではなかった。というか、極々常識的で、紳士やった。そら、腹の内はいろんな感情が渦巻いていたとしても、少なくとも本作でのサリエリの内面描写は、それを感じさせるものではなかった。

 本作は、巷では“天才vs凡人”みたいに言われているが、サリエリは決して凡人ではなく、努力の人、つまり秀才だ。だいたい凡人には天才の凄さが理解できないものだ。それに、本作で描かれているサリエリは、現実を受け入れている。才能の凄さを見抜いても、悔しくて見て見ぬ振りをし、受け入れられない人だって一杯いるのに、彼はちゃんと受け入れている。それは、誰にだって出来ることではないだろう。

 受け入れるからこそまた、苦しんでもいる。自分が逆立ちしたって叶わないことを、これでもかと見せつけられ、嫉妬に襲われるサリエリを、F・マーレイ・エイブラハムは実に巧みに演じていらした。

 けどそれは実に抑制が効いていて、それだけにサリエリの葛藤も窺えるのではあるが。強いて言えば、策士な側面があるけど、策士になり切れてもいない。バレエを採用する・しないで、皇帝にかけあってあげると言いながら何もしなかったことも懺悔していたが、そんなん、可愛いものじゃん? そんなことを懺悔するほど引きずっていたなんて、むしろサリエリさん、良い人じゃないか、、、と思ってしまったのだけど。

 レクイエムを書かせた=殺した、とサリエリは思い込んでいるのだが、まあ、そこまで呪い殺す(と思い込む)ほど醜い感情が渦巻いていたということの表れ、、、と受け止めるべきか。

 史実のサリエリの方が、きっと、もっと悪意があった人なんじゃないかなぁ。何でフィクションでこんな紳士キャラにしちゃったんでしょう?? どうせなら、もっと徹底的に嫌なヤツにした方が面白いのに。やることなすこと全部裏目に出て、モーツァルトに都合の良いように事が運んじゃう、、、みたいなブラックコメディにすれば良いのに、と思った。


◆嫉妬

 このブログでもところどころで書いているけど、男の嫉妬について、私はいくつか間近で見て来たので、実に嫌な感じしか持っていない。ただ、私の見てきた男の嫉妬の多くは、男→男、ではなく、男→女、のもの。

 もちろん、色恋の嫉妬じゃないですよ。社会的な嫉妬です。そう、「女のクセに」っていう、アレです。何かしら優れている女性に対する男の嫉妬は、実にイヤらしい。相手を貶めないと、自分を維持できないなんて、お気の毒としか言い様がない。美人を攻撃する男もいた。「チヤホヤされてイイ気になってんじゃねぇよ」って、、、。その美人さんは別にイイ気になどなっていなかった。むしろ、孤高のクールビューティだったんだけど。

 サリエリ→モーツァルトの場合、史実ではモーツァルトは気付いていたが、本作内では全くサリエリの屈折した感情に気付いていない、という描写だった。終盤「あなたに嫌われていると思っていた」と涙ながらに感激してサリエリに言うモーツァルトは、まさに天然、、、。相手が全くこちらの感情に気付いていないというのもまた、嫉妬心を抱く身としては張り合いがないというか、アウト・オブ眼中と言われているみたいで、なお惨めかも知れぬ。本作内のサリエリも、それだからこそ、あんな自殺未遂行為に及んだとも考えられる。

 孤高のクールビューティだからこそ、より嫉妬してしまうんだろうね。相手にされないから。恋愛感情だったらストーカーになるのかもだけど、社会的嫉妬の場合は、嫉妬する側がひたすら惨めになるという、、、。本作のサリエリと同じだ。

 女→男の嫉妬もきっとあるんだろう。私が見聞きしていないか、見聞きしていても認識できていないだけかも知れないが、、、。少なくとも、私自身、その能力に嫉妬心を抱いた男性(or男子)って、いないなぁ、、、。女性もいない気がするが、、、。誰かに嫉妬心を抱くほど、何かこだわりを持って努力した経験がないからなんだな、多分。こんなテキトー人生でいいのか、心配になって来た、、、。


◆その他もろもろ

 音楽は、オペラが多かったけど、オペラシーンはエンドロールを見たらやはり口パクだったんだね。

 音楽監督はネヴィル・マリナー。N響で何度か聴いたが、割と好きな指揮者だったのよね。今回、モーツァルトがピアノを弾いたり指揮をしたりするシーンがたくさんあるが、マリナー氏が指導しているらしい。モーツァルトを演じたトム・ハルスは、演奏している姿も指揮っぷりも実に堂に入っていてビックリ。ピアノを弾く姿勢など、ホントにプロの音楽家みたいだったし、指揮も実に自然な身体の動きで、やはり役者さんは器用なんだな~、と感心してしまった。

 皇帝ヨーゼフ2世を演じていたジェフリー・ジョーンズが何気にステキだった。トム・ハルスが小柄だからか、やたらと背が高く見えたが、実際大柄みたい。『クルーシブル』『スリーピー・ホロウ』にも出ていたのか、、、。

 サリエリ役のF・マーリー・エイブラハムは、オスカーも納得。少し前に見た『薔薇の名前』が印象的。『大統領の陰謀』とか『グランド・ブダペスト・ホテル』にも出ていたなんて、ゼンゼン知らなかった。

 ……まあ、超有名映画ではありますが、感想としては、普通に面白かった、というのが正直なところです。

 

 

 

 

 

 

 


実際のモーツァルトもかなりお下劣だったらしい、、、。

 

 

 

 

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コレクティブ 国家の嘘(2019年)

2021-10-19 | 【こ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74365/

 
 以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 2015年10月、ルーマニア・ブカレストのクラブ“コレクティブ”でライブ中に火災が発生。27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者が複数の病院で次々に死亡、最終的には死者数が64名まで膨れ上がってしまう。

 カメラは事件を不審に思い調査を始めたスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長を追い始めるが、彼は内部告発者からの情報提供により衝撃の事実に行き着く。その事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりを持った病院経営者、そして政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。

 真実に近づくたび、増していく命の危険。それでも記者たちは真相を暴こうと進み続ける。

 一方、報道を目にした市民たちの怒りは頂点に達し、内閣はついに辞職へと追いやられ、正義感あふれる大臣が誕生する。彼は、腐敗にまみれたシステムを変えようと奮闘するが……。

=====ここまで。
 

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 緊急事態宣言とやらが解除され、映画館も通常営業に戻りつつあるみたいですね。しかし、劇場へ足が向かなくなって久しくなり、いくら感染状況が落ち着いているとはいえ、何だかもう、、、気分的にどよよ~んですよ、マジで。映画見に行こう、っていう気に、なかなかならない。家でDVD見る方が良いわ、とか思っちゃう。

 ……けれども、先日、思いがけず用事が早く終わって、ぽっかり平日の午前中から時間が出来てしまいまして。あら、じゃあ、映画見に行こうかな、、、と脳が自然に思考しておりました。で、本作を見に行ったわけです。ほかにも見たいのはあったんだけど、どれも絶対DVD化されるだろうと思われるし、これも多分されると思うけど、もしかするとされないかもな、、、という一抹の不安もあり、見ておこうと思った次第。


◆大臣室に入るカメラ。

 本作はルーマニアの映画だが、ルーマニアといえば、私の脳裏にはあのチャウシェスク処刑の映像がこびりついており、また、映画では『4ヶ月、3週と2日』(2007)という怖ろしい作品が真っ先に思い浮かぶ。あのトランシルバニアもルーマニアだしね、、、。だから、とにかく、ルーマニアというと、どうしても暗いイメージなんである。

 余談だけど、何年か前に、岩合さんのネコ歩きのロケ地がルーマニアで、しかもあのブラン城の前でのロケもあって、そこのネコがたしか白に茶のブチだったんだけど、適度に毛がボサボサで、さすがドラキュラのネコ、、、なーんて勝手に思ったんだけど、でも、景色はとても美しく、ゼンゼン暗くなんかなかったのでした。

 それはさておき。

 コトの発端となったライブハウスの火事だが、この実際の映像が本作の序盤で出て来る。今も、You Tube とかで見られるらしい(確認はしていません、念のため)。いや、それが、、、めちゃくちゃ怖ろしい映像で、火の回りが異様に速いんである。もう、ホントにアッと言う間。どうやら、法令違反の建材が使われていたとか何とか、、、(ネット情報なので真偽不明)。でも多分そうでしょう、あの火の回りの速さは、燃えやすい建材でなければあり得ない。まるで藁ぶきの天井が燃えているかのようだった。

 入口が1つしかなかったので、大惨事になったわけだが、さらなる悲劇が火災後に起きる。重傷者は外国の熱傷専門病院に送られ、多くは助かる。ブカレストの熱傷専門病院に運ばれた軽傷者が、バタバタと亡くなって行くのだった。

 本作は、それについてスポーツ紙の記者たちが取材を始めて日が浅い頃から、取材班にカメラが入って撮られたドキュメンタリーで、よくこんなの撮らせてくれたな、、、という映像ばかりで構成されている。

 パンフの監督インタビューによれば、やはりスポーツ紙には最初は数回断られているらしい。中盤以降、新任の保健相の執務室にもカメラが入るが、保健相は割とすんなり許可してくれたみたい。監督は、この新任保健相は「政界の人間ではなかったことが大きい」と言っているが、それにしても官僚たちとの実に生々しい会議の様子とかも撮影されており、驚きの連続だった。

 ちなみに、ナレーションは全くないし、記者や保健相へのインタビューも一切ない。ただただ起きていることを細大漏らさず撮影しよう、、、という意識だけが伝わってくる。


◆権力は腐敗する、、、のではない。腐敗させているのです、民草が。

 なぜ、軽傷者たちは入院してから続々と亡くなって行ったのか、、、。原因は、緑膿菌の院内感染。なぜ、熱傷専門病院でそんな初歩的な医療過誤が起きるのか? ……消毒液を基準以上に希釈していたから。、、、という、実にアナログな話なんだけれども、それを更にたどって行くと、芋づる式に出て来る出て来る、利権の闇。

 もうね、とにかく全てが腐っているので、どこをどうすれば改善するとか、そういうレベルの話ではなくなっているのだ。消毒液を多めに薄めちゃった、、、という素人みたいな話が、どーしてそうなるの??と。いや、利権の絡みとは、そういうものだということは、日本人の私たちだってここ何年も目の当たりにしているのだけどね。

 おまけに、疑惑の中心人物は途中で事故死しちゃうし。蓋を開けてみれば、もっと恐ろしいラスボスが隠れているんだろうけど、どこまで暴けば良いのかさえ分からなくなってくる。

 当時の保健相は辞任に追い込まれて、カメラ撮影を受け入れてくれた新任保健相に交代するものの、まあ、一気にいろいろは進まず、そうこうしているうちに、選挙になる。

 いずこも同じで、選挙で溜飲を下げることにはならず、ものすごく救いのない終わり方をする。けれど、私はまだルーマニアの方がマシだと思った。だって、こんな映画ができる余地があるんだもの。アメリカでもあんな気の狂った大統領が現れても、ちゃんと批判メディアは生きていたし、映画も撮られていた。日本の医療現場では消毒液の希釈はやっていないだろうが、コロナでは医療にかかることすら許されずに放置されて亡くなった方が大勢いる。しかも、メディアも映画も死んでいる。

 ルーマニアの投票率も低いと、本作内で紹介されていた。やっぱり、有権者が選挙に行かない国はおかしくなるのだ。折しも、本日は衆議院議員選挙の公示日だったが、一体、どれだけの有権者が投票に行くのだろうか。投票率が50%とか、もう信じられん。教育しろ、有権者教育を!

 ……というようなことを、本作を見て数日経った今、強く感じているところです。

 
 

 

 

 

 

 


投票に行かないというのは納税者として責任放棄しているのと同じだと思います。 

 

 

 

 

 

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ポルトガル、夏の終わり(2019年)

2021-10-15 | 【ほ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv70854/

 
 以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ヨーロッパを代表する女優フランキー。自身の死期を悟った彼女は“夏の終わりのバケーション”と称して、親友や家族をポルトガルにある世界遺産の町・シントラに呼び寄せる。

 彼女はそこで、自分がこの世を去ったあとも愛する人たちが平和に暮らせる段取りを整えようとする。しかし、それぞれが問題を抱えていたことで、彼女の計画が大きく崩れていく。

=====ここまで。
 

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 本作も、公開時に劇場に行こうかな、、、と迷っているうちに終映してしまいました。コロナ禍でなければ行っていたのかな。分からないけど、ユペール主演となれば、やはり気になるところ。やっとこさ、DVDで見ました。

 正直言って、見終わった直後は、ふーん、、、という感じで、感想を書くまでもないかな、と思っていたんだけど、数日経って、少し思うところもあり、書き止めておくことにしました。

 まず思ったこと。これ、タイトルに“ポルトガル”と入っているのだが、ポルトガルである必然性が分からん。フランキーの別荘があるから、らしいんだが、それだけみたい? 別に、ポルトガルでなくてもええやん? タイトルにまで入っているのだから、何か意味があるのかと思うでしょ、フツー。それとも私は何か大事なものを見落としているでしょうか? まあ、原題は“FRANKIE”だから、やっぱし邦題がヘンってことかな。

 舞台となったポルトガルのシントラは世界遺産にも登録されているそうで、本作でときどき映る風景の映像が美しい。でも、別荘周辺と思しき林道とか、海辺とか、城跡とかはポチポチと映るくらいで(それも美しいんだけど)、なんかこう、うわ~っ!っていう感激するような風景の映像は、ラストシーン以外なかった気がする。

 ……とまあ、それはともかく。

 フランキー、余命いくばくかになっても支配的な思考回路が変わらないのか、、、、と思って、じわじわとイヤ~な気持ちが広がって来ました。大女優で、しっかり生きた足跡を残してきた人だけど、それだけじゃ飽き足らないのかね。周囲の人をコントロールしようとするのって、基本的に欲求不満だと思うんだよね。フランキーでもそうなのか、、、と。息子を勝手に自分のメイク係とくっつけようとするとか、あり得ん、、、と思ってしまう。される側の気持ち、ゼンゼン考えないのね、この人。

 ユペール様、こういう役が多い気がする。『エル ELLE』(2016)とか『ハッピーエンド』(2017)での彼女もそんな役どころだったよなぁ。彼女の持つ独特の冷たい感じが、こういう役を呼ぶんだろうか。まあ、それがハマっているんだが。

 人生の終わりが見えた人間が、いざ幕が下りるまでどう生きるか、という映画はいろいろあって、私は、クロサワの『生きる』みたいに、それまでの人生をことさら大げさに反省していきなり善人になろうとする話は大嫌いなので、本作のフランキーみたいに、これまでの延長で残りも生きる人は、基本的に好感を抱くはずなんだけど、こういう支配的な人がそのままなのはイヤだなと。結局、自分の人生を生きていない気がするんだよね、そういう人って。そういう意味では、『生きる』の主人公と同じかな~、と思えて。

 ユペール様、冒頭、水着シーンがあるんだが、めっちゃスタイルが良くてビックリ。脚が長~い! まあ、高いパンプス履いているってのを差し引いても、すごい、、、。衣装もセンスが良くて素敵だった。あの歳まで体形が変わらないって、驚異的だわ。

 ……ゼンゼン感想になっていなくてすみません。

 

 

 

 

 

 

 

マリサ・トメイ、しばらく分からなかった……。 

 

 

 

 

 

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マイ・ブックショップ(2017年)

2021-10-09 | 【ま】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv66905/

 

 以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1959 年のイギリス。夫を戦争で亡くした未亡人のフローレンス(エミリー・モーティマー)は、書店のない保守的な地方の町に、周囲の反発を受けながらも書店を開店する。

 やがて彼女は、40 年以上も邸宅に引きこもり、ただ本を読むだけの日々を過ごしていた老紳士ブランディッシュ(ビル・ナイ)と出会う。読書に対する情熱を共有するブランディッシュに支えられ、書店を軌道に乗せるフローレンス。

 だが、彼女を快く思わない地元の有力者ガマート夫人(パトリシア・クラークソン)が、彼女の書店を閉店に追い込もうと画策していた……。

=====ここまで。
 

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 7日の夜の地震、久しぶりにびっくりしました。揺れが来る前に、変な地鳴り音がしたので、「これはヤバい、、、」と思った瞬間、強い突き上げが来ました。地鳴り音を聞いたのは、あの阪神大震災以来かも知れません。最大震度5強で、大きな被害はなかったですが、翌日は案の定、交通機関に影響が出て大混乱になっていました。この「何が何でも出勤!!」っていう日本の悪癖、何とかならんものでしょうか。私の利用している交通機関は平常と変わらなかったので良かったけれど、2時間遅れで出勤してきた人もいて、何だかなぁ、、、という感じでした。

 とはいえ、こういうことが起きても淡々と日常にすぐ戻れるのは、地震国日本ならではでしょうね。大分前に、震度5か4くらいの地震がNYだったかであったときに、この世の終わりみたいな反応をしている現地の人たちをTVで見たことがあるけど、やはり慣れていない人にとってはもの凄い恐怖なんでしょうね。慣れていたって、震度5ともなれば怖いです。

 さて、本作ですが。公開時に見に行こうかな~、と思いつつ、結局行かずじまいに。2019年公開だったのですね。昨年かと思っていましたが。時の経つのは早いものですねぇ。


◆本だってジャケ買いする。

 本作中、なにより私が目を奪われたのは、フローレンスのお店に並べられた書物の装丁の美しさ。この映画のために作られたものばかりだそうだが、こんな書店が現実にあったら、しょっちゅう通ってしまって、読めもしないのにあれもこれもと買ってしまいそうだ。

 レコードやCDにジャケ買いがあるように、本にもジャケ買いがある。表紙のデザインが素敵過ぎて、中身はあんましよく知らんけど買ってしまった、という本、いっぱい積読してある、、、。もちろん、絵本じゃなくてね。あ、絵本でもありますが。

 ……で、それをいうなら、映画だって、ジャケ買いならぬ、ポスター惚れ、ってのがあるよなぁ。監督やら出演者やらゼンゼン知らないけど、このポスター素敵、、、っていう理由だけで劇場まで行ってしまう。最近だと、『マーティン・エデン』(2019)『異端の鳥』(2018)とかかな。ちょっと前になるが『ブランカニエベス』(2012)もチラシを一目見ただけで、絶対劇場で見たい!と思ったのだった、、、。そういう映画は、意外にハズレが少ない気がするなぁ。やっぱり、イメージ画像って、その映画の象徴だから(まぁ、外国映画の場合、日本の配給会社でゼンゼン違うのになっちゃったりもするが)、それで惹きつけられるってことは、作品にも相応の引力があると思われる。

 だから、本も同じで、装丁がステキな本は、中身も良い、、、かというと、意外にこれがそうでもなかったりする。いや、中身が悪いという意味ではなくて、期待していた方向性じゃないとか、よく分からんかった、、、とかそんな感じ。でも、本の場合は、書棚に並べておくだけで目の保養になるから、ジャケ買いしたことはほぼ後悔しない。というか、買って後悔するような本は、多分、そもそも買わない。センサーが働かないから。

 とにかく、本作の見どころの一つは、フローレンスのお店に並ぶ本そのものであります。


◆個人書店の悲哀

  愛する亡き夫が読書家で本が好きだった、、、という動機で、書店のない田舎町に書店を開こうとするフローレンスの、しなやかでしたたかなところが良い。金儲けが好きなガマート(すごい名前!)夫人の陰に陽にの嫌がらせも、風に揺れる柳のようにやり過ごす。これが余計にガマート夫人の癪に障る。

 ガマート夫人は容赦ない。カネとコネにモノを言わせて、“芸術センター設立”という自分の欲求を実現すべくブルドーザーの如くフローレンスの店に襲いかかってくる。さすがの柳フローレンスも太刀打ちできずに、あえなく撤退となる。

 ここに至るまでに、ビル・ナイ演ずるブランディッシュ氏とフローレンスの間に切ないやりとりがある。ブランディッシュ氏の求めに応じて、フローレンスが何冊か本を送り、、、で2人の間には信頼関係が築かれ、ブランディッシュ氏がフローレンスを自身の屋敷に招待するなどして、互いに信頼感以上の感情を抱くようになる。ガマート夫人の悪辣ぶりも知っているブランディッシュは、いよいよ崖っぷちに追いやられたフローレンスを助けようと、ガマート夫人宅へ乗り込むが決裂、その帰り道で倒れて帰らぬ人となってしまう。

 私は、ブランディッシュ氏がウルトラCを繰り出して、ガマート夫人を粉砕し、フローレンスの店を守る、、、のかな? 等とチラッと思ったが、そうではなかった。ブランディッシュ氏も実は資産家のようだし、何十年も引きこもって本ばかり読んでいるくらいの読書好きなんだから、せっかく出来たステキな書店を守るべく一肌脱ぐ、、、っていうのもアリかと思ったが、オハナシは極めて現実路線だった。

 あと、実は、ガマート夫人は昔ブランディッシュ氏のことが好きだったが、ブランディッシュ氏に相手にされなかった過去がある、、、とかかな、ともチラッと思ったがそれも違ったみたい。ブランディッシュがガマート夫人と直接対決するシーンで、そういうセリフが出て来るかと思って見ていたけど、出てこなかったもんね。まあ、そういうのがあると、ちょっと俗っぽくなって、本作の趣旨から外れちゃうか、、、と、一応納得はしたけど。そういう展開があっても面白いじゃん、と思ったり。だって、若い頃のブランディッシュ、相当ステキな青年だったはずだもんね。

 まあ、結局、ブランディッシュの行動も功を奏さず、フローレンスの店は差し押さえられてしまう。今の現実と同じで、個人の書店はやっぱり非力でした、映画の中でも。

~~以下、結末に触れています。~~

 

◆本で知るその人となり。

 ブランディッシュ氏のフローレンスへの注文は、「ノンフィクションは善人について、フィクションは悪人について書かれたものが読みたい」というもので、これに対してフローレンスが送る本のうちの一冊がブラッドベリの『華氏451』。このタイトルを見て、何となく結末を予感してしまったら、ラストは本当にフローレンスの店が燃えるシーンで終わる。それ以外にも、フローレンスと、お店を手伝いに来てくれる少女クリスティーンが、ストーブの取り扱いについて会話しているシーンがあり、これで、展開はほぼ確信した。……というか、本作を見た人誰もが予感しただろうと思う。

 ブランディッシュは『華氏451』をたいそう気に入って、ブラッドベリの本だけ送ってくれ、などと言うようになる。

 ブランディッシュ氏とフローレンスの間に、本を介して信頼関係が出来ていくという展開がとっても良いな~、と思って見ていた。何を読むか、どんな本を好むか、ってのは、かなりその人となりを現すもので、あまりハズレがないと言って良いと思うから。読んで感動する本を送ってくれた人を好きになっちゃうのって、すごく自然だと思うわ。んで、自分が選んだ本を気に入ってくれた人を好きになっちゃうのも、これまたすごく自然だと思う。

 大昔に、ちょっとイイな、と思っていた男性が村上春樹を愛読していると知って、一気に興味がなくなった記憶があるけど、そういうもんじゃない? 読書とか文学とかって。どうでもいいけど、毎年、ノーベルウィークになるとハルキーのことで騒ぐの、やめて欲しいわ。あれ、本人も嫌だと思うよ。

 とにかく、本作ではビル・ナイが最高にステキだった。ブランディッシュが亡くなった後、彼が次に読みたいと言っていた『たんぽぽのお酒』を胸にフローレンスが号泣するシーンが、とてもとても切なく、私も泣けてきた。書物を通じて生まれた大人の優しい愛情、、、なんて素敵なんだ。

 本作ではナレーションが入るんだけど、そのナレーションが、大人になったクリスティーンという設定。しかも、それはラストシーンで分かるという仕掛けになっている。老いたクリスティーンは書店を経営している様子。フローレンスの思いは、クリスティーンがしっかり受け継いでいたのね。このナレーションを担当していたのは、トリュフォーの映画『華氏451』に出演していたジュリー・クリスティー。もちろん、これは監督が意図したものだそうです。
 

 

 

 

 

 

 

 

映画“Dandelion Wine”見たいぞ~~。 

 

 

 

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断崖(1941年)

2021-10-03 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv5761/

 
 裕福な家の美人な娘リナ(ジョーン・フォンテイン)は、強引に迫ってくるジョニー(ケーリー・グラント)に恋をしてしまい、駆け落ち同然で結婚する。しかし、幸せ一杯の豪華な新婚旅行から帰って来た直後、夫ジョニーは借金まみれの文無しだと分かり仰天する。

 ジョニーに不信感を抱くリナだが、好きな気持ちに変わりはなく、一度は離婚しようとするものの思いとどまる。が、ある日、保険会社からジョニー宛に封書が届き、自分に死亡保険金がかけられていることを知ったリナは、夫に殺されるのではないかと恐怖に怯えるようになる、、、。

 ヒッチ作品。ジョーン・フォンテインが主演女優賞でオスカーをゲットしている。


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 大分前にBSでオンエアしていたのを録画したまま放置していて、ようやく見ました。ヒッチ&フォンテインということで録画したんだと思うが、なんだかなぁ、、、、でございました。


◆借金だらけ、文無し、無職、、、、でも好きなの。……ってどこかで聞いた話だ。

 リナという女性が、あまりにも頭が悪過ぎて、見ていてイライラを通り越してウンザリしてしまった。いくら、男に免疫がないとはいえ、ちょっと酷すぎないか?

 だって、借金だらけで文無しで、、、ってまぁ、ここまでならこれから真面目に生活して何とかしましょう……、っていうのはアリかな、と思う。けれども、ジョニーは、その後も、相変わらず金を借りたり、横領したりして、それを競馬につぎ込んで、、、という、もうどーしようもないヤツなのよ。口ばっかし上手くて、それがなおさらこの男の嫌らしさ全開である。

 まあ、でも惚れちゃったら仕方がないのかな。……という気もする。頭では分かっているけど、気持ちが、、、ってやつですね。

 でもさあ、その相手がケーリー・グラントだから、ゼンゼン説得力がないのよ。私は彼の良さが分からない。確かにイケメンかも知らんが、言っちゃ悪いがあまり品が感じられない。知的にも見えない。どちらかというと、ギラギラしていてジョニーのキャラにはピッタリなんだが、だからこそ、リナがそこまでゾッコンになっちゃうのが分からん。まあ、これは趣味の問題ですけどね。

 借金だらけで文無しで無職、、、ってんで、申し訳ないけど、今話題のロイヤルバッシングの対象と被ってしまった。ああいう立場の人の結婚なので、多少ゴシップネタになるのは仕方がないけど、明らかに今のバッシングは、度を超したリンチだよね。やり過ぎ。持参金辞退とか、そこまで国民がやっちゃっていいのか? 税金のムダ遣いだったら、もっと悪質でケタ違いの額を、しかも“違法に”流用している人、いるじゃないの。何でメディアはそっちに忖度ばっかりしているくせに、たかだか1億いくらかの合法な金でここまで叩きまくるのだろうか。

 とにかく、このメディアのバカ騒ぎを何とかしてくれ、と言いたいわ。あなたたちが叩く相手は他にいるでしょ?


◆その他もろもろ

 タイトルの『断崖』は、終盤、リナがジョニーに殺されるんじゃないかと恐怖に陥るシーンから。断崖を見下ろす道路を、ジョニーの運転する車が猛スピードで疾走する。助手席のリナは断崖の下を見て恐怖のあまり、、、とかってなるんだけど、ラストはあまりにあっけなくて、は???となってしまった。

 結局、リナとジョニーがどうなるのかも分からないし、伏線かと思わせるシーンもゼンゼン回収されないまま終わるし。ヒッチ作品は当たり外れが激しいよね。

 フォンテインはさすがに美しいです。この年、お姉さんのオリヴィア・デ・ハヴィランドも主演女優賞にノミネートされていたとか。オスカーをゲットしたのは妹。お姉さまの心境はどんなだったんでしょーか?

 原作の方が面白いというネット情報もあるので、読んでみようかな。ちなみに、本作は見終わって速攻削除しました。HDDに少し空きが出来て良かったわ。

 

 

 

 

 

 

 


原題“Suspicion”で、どうして邦題が『断崖』になるの? 

 

 

 

 

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マスターズ&スレイブス 支配された家(2018年)

2021-10-01 | 【ま】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/95125/

 
 以下、wikiよりあらすじ等のコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 造園家のエヴィ・ミュラー・トッド(カッチャ・リーマン)と整形外科医の夫クラウス(オリバー・マスッチ)は、立派な家で優雅な暮らしをしている。

 ある日、クラウスは酔っぱらってネットの求人広告に“奴隷募集中”と記載し、妻に相談もなく新しいお手伝いを募集してしまう。その翌日、なんと家の前には大勢の“奴隷希望者”が…!

 すぐさま追い出したが、夜になってバルトス(サミュエル・フィンジ)という一人の男がミュラー夫妻を訪ねてきた。彼は様々な資格を持ち、「信頼関係に基づいたやりがいのある奉仕がしたい」と申し出た彼を戸惑いながらも受け入れることに。

 バルトスの極上のサービスはミュラー夫妻の生活をたちまち豊かにしたのだが、バルトスの若い妻や、庭にプールを建てる為にブルガリア人の奴隷も加わり、優雅な暮らしが次第に変化していく。

=====ここまで。

 ドイツ版『パラサイト 半地下の家族』と一部では言われてます、、、が。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 もう10月。今年もこのままコロナに明け暮れて過ぎて行くのでしょうねぇ。緊急事態宣言は解除されたけれど、きっと次なる波はまた来るのでしょう。何かもう、どーでもいいや、、、的な気分になっております。

 さて、本作をリストに入れた経緯は記憶にありませんが、多分、オリバー・マスッチご出演なのでポチったのだと思われます。日本未公開みたいですね、これ。


◆終盤でガックシ。

 格差社会をドイツらしくアイロニカルに描いている、、、という一般的な評なんだが、“ドイツらしく”ってのが私にはよく分からんが、格差はメインテーマではないと感じた。背景ではあるけどね。

 だから、本作をドイツ版『パラサイト 半地下の家族』というのにはちょっと???である。毒のベクトルの大きさは同じくらいだけど、向きがゼンゼン違う。

 突然現れた、とにかく何でもできる使用人バルトスが、どう見ても怪し過ぎる。誰もが、こいつには何かあるに違いないと思うはず。そして、実際あるんだよ。しかも、それが途中で読めちゃうという、、、。

 多分これ、見る人の大半が読めちゃうんじゃないかと思うが、作り手の意図がイマイチ分からないのよね。見る者に推察されてもいいと思っているのか、どんでん返しを狙っているのか、、、。終盤の盛り上がりからして、恐らく後者だと思うんだけど、その割にはちょっとなぁ……という感じもするしね。

~~以下ネタバレですのでよろしくお願いします。~~

 つまり、バルトスは、クラウスの前のオーナーだったってことね、この豪邸の。私がどこでそうだろうと思ったかというと、クラウスがこの豪邸の前のインテリアについて「センスが悪い」と盛大に腐していて、バルトスがそれをじっと聞いているシーン。バルトスの表情は変わらないけど、カット割りがネタバレのようなそれだったので。

 エヴィは、だんだんバルトスの過剰な“おもてなし”が苦痛になり、クラウスもエヴィの気持ちを尊重して、バルトスをクビにするんだが、ここから壮絶なバルトスの復讐劇が始まる。復讐、つったって、自分の家を盗られた、自分の家のインテリアを貶された、という、全くの理不尽な恨みを抱いてのことなんだが。

 バルトスが家を手放した理由がイマイチ分からなかったんだが、別に、クラウスが不法に家を手に入れたとかではなかったはず。

 で、バルトスはあることをネタにクラウスを脅迫して家を取り戻そうとし、クラウス、絶体絶命!!みたいになるんだが、何と、土壇場でクラウスは脅迫から救われる。この救われ方がね、、、、もうズッコケもいいとこで。つまり、クラウスの予想もしない強力な助っ人が現れて、バルトスとその妻を拉致・監禁してくれちゃったわけ。

 ……ただまあ、その後、バルトスとの最終的な決着のつけ方がエグ過ぎて、私は見てられなかった(もちろん、エグいシーンは寸前で映りませんが。ヒントは“生きたままチェーンソー”です。ウゲゲ、、、)。

 正直、そんなのアリ? って感じやった。クラウスに自力で対決させなきゃ面白くないやん、、、とか。

 最終的に、クラウスはその強力な助っ人によって、家もステータスも失わずに済んだわけだが、この先、この強力な助っ人がクラウスの人生に何らか悪い影響を及ぼすことになるだろうね、、、。何せ、この助っ人は、世界を震撼させるテロリストの親玉なのだから。


◆誰かにかしずかれる生活をするということ。

 他人にかしずかれ、あれこれと気の利いた世話をされることが日常化してしまうと、やはり、人間、勘違いするものなんだろうな、、、と見ていて思った。自分はそれだけのことをされる価値がある人間なのだ、と。世話をする方は“仕事”だからやっているだけなんだけど。

 あと、クラウスの妻エヴィが鬱っぽいというのもミソ。最初は、痒い所に手が届く(かのような)バルトスの仕事ぶりに気をよくしている彼女も、次第に、それが上辺だけであることに気付き、さらに、庭にプールを作るために雇った貧しい外国人労働者たちの日常を目の当たりにすることで、また鬱がぶり返すという、、、。

 精神的に豊かな暮らしとは何か、ってことですかね。……ま、そんなに哲学的な映画じゃないですが。

 ある種のブラックコメディではあるかも知れないが、ラストのオチが悪過ぎるのと、途中からアイロニカルよりはソフトバイオレンス寄りになってしまったのが残念かなぁ。

 マスッチ氏は、ぶっ飛んだキャラを楽しそうに演じておられて、見ている方も楽しかった。『帰ってきたヒトラー』(2015)とはゼンゼン別人のようだった。ほんのちょっと、マッツ・ミケルセンに似ているかなぁと感じたのだけど、、、、違う? バルトスを演じたサミュエル・フィンジが怪しさ全開で良い味出していました。

 まあ、日本で公開されなかったのも致し方ないですね。あまり一般ウケはしないでしょう、これは。悪くないんだけどね。
 

 

 

 

 

 

 

 

自分の世話は自分でした方が良いと思う。 

 

 

 

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