映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

窓ぎわのトットちゃん(2023年)

2024-07-18 | 【ま】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81218/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 好奇心旺盛でお話好きな小学1年生のトットちゃんは、落ち着きがないことを理由に小学校を退学になってしまった。

 そんなトットちゃんは、新しく通うことになった東京・自由が丘にあるトモエ学園の校長先生に、「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」と優しく語りかけられる。

 子どもの自主性を大切にする自由でユニークな校風のもと、トットちゃんはのびのびと成長し、たくさんの初めてを経験していく。

=====ここまで。

 黒柳徹子の自伝「窓ぎわのトットちゃん」原作。


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 昨年末に劇場公開された本作。公開中に絶賛コメントがTwitterのTLに流れて来て、へぇー、と思って見ていたのだが、劇場まで見に行く気にもなれないままに気付いたら終映していた、、、。

 先日、早稲田松竹で『君たちはどう生きるか』と2本立てで掛かったので、話題作2本一気に見られるなら見に行くべ、、、と思って、暑い中見に行ったのでした。アニメだからか、お子様連れもちらほら。この映画館でお子様は日頃ほとんど見ないので新鮮な光景でありました。

 で、アニメを2本見たわけだけど、『君たち~』はちょっとアレだったので、別にまたまとめで書こうと思います。


◆徹子の家

 結論から言うと、なかなか良かったです。絵が可愛らしいのとは対照的に、ストーリーはかなりシビアで終盤は悲劇的な展開でもあり、見応え十分。Twitterで絶賛している人たちがいたのも納得である。

 徹子さんはご本人も認めているようだが、明らかなADHDであり、今ならば教育現場での理解も大分広まっているけれども、当時はただの“扱いにくい子”だったのね、、、。でも、私が子供の頃でも発達障害なんてゼンゼン知られていなかった(単語自体見聞きしたことがなかった)し、やはりただの“扱いにくい子”認定されていた子たちはたくさんいたのだろうなぁ、と思われる。

 そんな徹子さんの幸運は、トモエ学園という彼女にとって最適な居場所が見つかったことである。これ、普通の学校をたらい回しにされていたら、もしかするとその後の徹子さんの人生も変わっていたかも知れぬ。

 あと、やはり、徹子さんの場合は、家庭環境も良かったし、何より本人が非常に賢かった。だから、トモエ学園という居場所が出来て、より彼女は伸びやかに成長することができたのではないか。あのように知的水準の高い両親でなく、経済的にも恵まれず、本人の知能も普通、、、であれば、トモエ学園に行っていたからといって、その後の黒柳徹子が出来上がったとは到底思えない。


◆徹子、糞尿まみれになる

 私が一番印象に残ったのは、徹子さんが汲み取り便所に落としてしまった財布を探すために、柄杓で中の汚物を全部掻き出してしまうシーン。まあ、それも十分印象的なんだけど、グッと来たのは、それを見た校長の小林先生が「ちゃんと全部戻しとけよー」と言ったこと。しかも口調がちょっとお怒り気味だった(ように聞こえた)。多分、相当臭っただろうし、不潔極まりない状況だったに違いないのだが、無理に止めさせない(きっと止めても逆効果なのが分かっていたんだろう)ってのが、すごいなー、と。

 私は子育てをしたことがないから実感としては分からないが、周囲の大人にとって「見守る」って一番の苦行ではないだろうか。口や手を出す方が、はるかに楽なはず。だって、子供をコントロール出来るから。コントロールした方が、何かと大人の面倒が減るわけだ。この汲み取り便所のシーンでも、途中で止めさせた方が、臭いだって広がらないし、糞尿まみれになった徹子さんを綺麗にしてやる手間も省ける。でも、そうしないで、本人が納得するまで糞尿を掻き出させる。……いや、恐れ入ります。

 さらにすごいのは、先生に言われたとおり、掻き出した糞尿を全部戻した徹子さん。誰にも助けを求めることもなく、一人でやり切る。結局財布は見つからなかったが「もういいの!」と糞尿まみれになりながら、顔はさっぱりとした表情で言い放つ。すげぇ、、、この子はやはりタダもんじゃない。

 徹子さんと一番仲の良かった泰明ちゃんとの交流シーンは微笑ましいのだが、それだけに、終盤で泰明ちゃんが亡くなるのは涙なしでは見られない。そして戦争。トモエ学園も焼け落ちる。徹子さんの家も取り壊される。

 小林先生が燃え盛るトモエ学園を背に振り返って「今度はどんな学校を作ろうか……」と言うのだが、そのときの小林先生の目が、背後の炎が透けて見えているみたいでやや不気味な絵になっていた。これは、トモエ学園は再建できなかったんだろうな、、、と思わせられた。

 本作を見た後、たまたまNHKの「新・プロジェクトX」でこのトモエ学園の創設者である小林先生を取り上げていたのだが、やはりトモエ学園は再建されなかったらしい。

 それにしても、人生において、教師や指導者の存在というのは、本当に大事だと思い知らされる。その教師らが良いか悪いかで、大げさでなく、人一人の人生が激変しかねないくらいの存在である。教師という職業はもっと大事にされるべきで、もっと人材育成に資源を注ぐべきだと思うが、今の我が国の現状を見ると、先行きが明るいとは到底思えないのが辛い。

 

 

 

 


リトミック、私も幼稚園児のときに通っていたっけ、、、。 

 

 

 

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推し活レポート◆2024.June

2024-07-13 | 推し活

◆6月5日 サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン
     CMGプレミアム 小菅 優プロデュース『月に憑かれたピエロ』 @サントリーホール・ブルーローズ(小ホール)

 

 室内楽(というか弦楽アンサンブル)は、あんまし聴かないのだけど、金川さんご出演とあれば、そら聴きに行くわね。しかも、この日は、ヴィオラデビューするという事前ツイートも流れて来て(プログラムに書いてあったんだけど)、楽しみに馳せ参じました。

【プログラム】
 ストラヴィンスキー:クラリネット独奏のための3つの小品 より 第1番
 ストラヴィンスキー:『シェイクスピアの3つの歌』
 ラヴェル:『マダガスカル島民の歌』
 ベルク:室内協奏曲 より 第2楽章「アダージョ」(ヴァイオリン、クラリネット、ピアノ用編曲)
 シェーンベルク:『月に憑かれたピエロ』作品21

 実際、予習として聴くまで、このプログラムのうちこれまで聴いたことがある曲はゼロ! この演奏会のタイトルにもなっている『月に憑かれたピエロ』は割と有名な曲の様で、ネットでも普通に出てくるが、ストラヴィンスキー『シェイクスピアの3つの歌』は出て来ない、、、がーん。

 といって、CDを買ってという時間もないので、前半は演奏会で初めて聴くことに。

 金川さんはその『シェイクスピアの~』のヴィオラで、後半のベルク、シェーンベルクに出演。

 まあ、ヴィオラって大抵埋もれちゃう音色だし、今回金川さんが演奏した曲はどれも歌付で、歌がメインなので金川さんの美音を堪能するという感じではなかった。

 でもでも! 特に『月に憑かれたピエロ』がすご~く面白かったのです。出演者は皆、前半とは違う黒の衣装で統一してご登壇。メゾ・ソプラノのミヒャエラ・ゼリンガーはメイクもちょっとピエロを意識(?)したようで、ささやかながら演出も目に楽しかった。

(画像お借りしました)

 

 何より、ゼリンガーの表現力が素晴らしく、私は普段、ほとんど歌曲は聴かないのだけど、その歌声の力強さと美しさ、そして曲の怪しさを堪能した。

 歌詞の対訳が配られたので、訳を見ながら聴けたのがまた良かった。『月に憑かれたピエロ』は元はアルベール・ジローの詩集がドイツ語訳されて、部分的に書き換えられるなどして出版されたものだそう。それを、シェーンベルクが女優に頼まれてメロドラマ化したのが、この作品。発声が独特だなー、と思って聞いていたら、解説に、語りでも歌でもない発声法を用いているのだと書いてあった。

 で、詞がね、すごい面白いので、ちょこっとだけ、、、

 カサンドロの頭、/わめき散らす奴のぴかぴか頭に/ピエロは偽善者づらして ぐりぐりと刺す/やさしげに――穿頭ドリルを
 穴には 親指で詰めこんでゆく/上等なトルコの煙草を/カサンドロの頭、/わめき散らす奴のぴかぴか頭に
 それからピエロは マハレブ材のパイプを/つるハゲ頭の後ろから捩じ込んで/いかにも悠々 ぷかぷか吹かしてみせる/上等なトルコの煙草を/カサンドロのぴかぴか頭から!

 ……ヘンでしょ。これは、16曲目の「意地悪」というタイトルの歌詞で、もっと陰惨なのやエロチックなのもあるけど、全体にはダークファンタジー。意味など考えずにゼリンガーの時に唸るような、時に囁くような声を聴きながらその世界に没入するのだった、、、。演奏会でこんな感覚を体験したのは初めてかも。

  


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◆6月22日 大阪フィルハーモニー第579回定期演奏会 @フェスティバルホール

 金川さんのチャイコは、昨夏、N響で聴いているのだが、席が近過ぎて、もちろん金川さんの美音はめっちゃ堪能できたのだけど、やはりオケとのバランスがイマイチだなぁ、、、と感じていた。席の位置はなかなか難しい。

 ヴァイオリン協奏曲では、ヴァイオリンという楽器の音量から言ってステージに近い方が良いと言うけど、それはソリストによりけりで、金川さんのように音が遠くまで飛ぶソリストの場合は、むしろ遠めの席の方がバランスが良いように感じる。そもそも、オケだけのシンフォニーとかの場合は、私は2階席の方が良いと思っているし、金川さんも2階席の方が良いだろうと、今回は年明け早々にチケットをゲットしていたのだった。 

【プログラム】
 チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
 ストラヴィンスキー/バレエ音楽「火の鳥」(1910年版)

 で、私のこの読みは当たったっぽいのだった。会場はフェスティバルホールで、もちろん初めてだったのだが、かなり大きいホールで驚き。残響も良かった。

 感想を書く前に、この演奏会は、上記画像にあるとおり、デュトワが指揮するはずだった。のだが、直前になって体調不良で降板というお報せがメールで流れて来た。なんと、払い戻しに応じるとまで書いてある。そこまでデュトワって、、、(以下略)と思ったけど、それよりも、金川さんに失礼やろ! と、内心私はちょっとオコでありました。

 デュトワの代役は横山奏氏。初めてお名前を知った。「火の鳥」の1910年版が、よく演奏される版(1947年版かな?)とはかなり違って、本番で振ったことのある指揮者があまりいないのだとか。……というわけで、1910年版を振ったことのある横山氏に白羽の矢が立ったということらしい。

 けど、私のお目当ては、ただただ金川さんのチャイコである。

 ……2階席の後ろまで、その美音が響き渡るのだった。2楽章の美しさよ。弱音、高音の美しさは、世界でも指折りではないかしら。

 とにかく、彼女の演奏は曲に誠実である。毎回、彼女の演奏からは一音一音の意味(レゾンデートル)を感じさせられ、作曲家の意図が見えるよう。こんな演奏家は、そうは居ない。

 どんな曲も丁寧に、でも楽しそうにサラリと弾いて見せる。頑張ってる感がまるでない。それでいて、あの演奏。凄いとしか…言い様がない。曲の終わり頃には、涙が出て来てしまった。

 横山氏の棒が降りた瞬間の割れるような拍手が凄まじかった。ブラボーも止まず。

 アンコールはパガニーニのカプリスで、こちらも超絶技巧。終わった瞬間の客席のどよめき。金川さんも、何度もカーテンコールに応じるが、拍手がなかなか止まず。ちょっと珍しい光景だった。

 正直なところ、もうこの余韻のまま、メインを聴かずに帰りたかった、、、けど、もちろん聴きましたよ。1910年版を。私の知っている「火の鳥」とは大分違って、始めて聴く曲に近い感覚だったかなー。時折、馴染みのある旋律が聴こえてくる、、、みたいな感じ。「展覧会の絵」のラヴェル編曲版じゃない(私が聴いたことあるのはリムスキー=コルサコフ版だけだが)のを聴いたときの感じと近かった。

 それにしても、デュトワ、最近結構日本のあちこちのオケで振っている様子。秋には5年ぶりだか何だかでN響とも久々の共演だとか(行かないけど)。彼がしばらく干された理由はwikiにあるとおりだが、彼が復帰できているのはほぼ日本でだけのようである。実は、金川さんの出演とはいえ、指揮がデュトワなので、正直なところ若干聴きに行くのをためらう気持ちもあった。けど、金川さんが共演を承諾したわけだから、そこは私がとやかくジャッジすることでもないのか、、、と思い直した次第。

 それにしても、日帰り大阪はちょっと、、、いや、めっちゃ疲れた。とはいえ、まあまあ面白かったので、後日、大阪日帰り日記を書きたいと思います。

 

 

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最近見た映画あれこれ⑤

2024-07-10 | 映画雑感

 梅雨明け前だというのに、最高気温37度。この夏は、マジで死人が続出する予感。まさに灼熱地獄。

 おまけに、東京はこの先また(何事もなければ)4年もユリコ王国が継続するという地獄、、、。まあそれは予想できたことなので驚かないけど、あの2番目に多い得票をした石丸某とかいうお方は何なんでしょうか? 若い人たちの得票が多かったらしいですが、他の年代からもそこそこの支持を集めたんだとか、、、、。でも、広島のどっかの市長時代の動画を見ると、ヤバそう。いや、ヤバいでしょ。

 きっと、彼に投票した人の多くは、あのサイコな一面を知らずに「爽やかそう!」「何かハキハキしてて頭良さそう!」とか期待しちゃったのだろうなぁ。とりあえずユリコ王国は嫌だ!けど、蓮舫はもっと嫌だ!って人たちでしょうか。

 今回、あのサイコ元市長がここまで善戦したってのは、ハッキリ言ってフェミへの反動も大きかったと感じています。女が目立ってモノ言っているのが気に入らん、、、ってやつです。そこへ突然現れた、得体の知れない若者(と言っても41歳だが)にミソジニーの多くがなびいた、、、のでは。もちろん、要因はもっと複合的でしょうから、飽くまで一要素ということですが(実はかなりヤバいのが背後で蠢いていそうなんですが)。

 あの都庁のパチンコ屋みたいなプロジェクションマッピング、続くんですよ、、、何の罰ゲームでしょうか。都民、そこまで悪いことしたんでしょうか?? 誰か教えてくれ。


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◆男女残酷物語 サソリ決戦(1969年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85794/

 《あらすじ》 精巧な拷問技術の達人という裏の顔を持つ慈善団体の大幹部セイヤーは、ジャーナリストのメアリーを拉致監禁、ハイテク装備満載の秘密アジトで、想像を絶する肉体的、精神的凌辱の限りを尽くす。だが、言葉にできない恥辱を受けても微笑むメアリーはセイヤーの想像を遥かに超えていた。弱音を吐き始めるセイヤー。今、洗練と野蛮が表裏一体の、性の対決が始まる。

公式HPよりコピペ~

 仕事が佳境だったのだけどイロイロあって、アホらしくなったのでサボって丸一日休むことに。お、そーいえば、ちょっと興味ある映画あったんだ!と思い出し、見に行った次第。平日昼間の映画館は空いていて良き~。

 で、感想はというと、そこそこ面白かったのだが、上記あらすじで分かる通り、オチが読めてしまって、、、いや、読めても別に良いのだけど、なんというか、あまりにもあまりにも、、、な感じで、終盤はかなりドン引きして見ていました。

 つまり、バカな男にアホな振りした女が最後に鉄鎚を下す、というオハナシ。「想像を絶する肉体的、精神的凌辱の限りを尽くす」って、大げさな、、、。そんな壮絶なシーンは一つもなかったっす。

 それを言うなら、邦画『盲獣』の方がよっぽど「想像を絶する肉体的、精神的凌辱」だったと思うわ~。実は、本作と『盲獣』はちょっと共通項がある。監禁&凌辱モノであり、女体の巨大オブジェが出て来る、、、というね。しかも、制作年も同じ。私が日本人だからか、あるいは、乱歩好きだからか分からんが、圧倒的に『盲獣』の方が面白いです、ハイ。監督はあの増村保造。監禁される女役を緑魔子が演じていて、実に素晴らしいのよ、これが。あんな変態映画なのに下品じゃないのは、緑魔子に負うところ大だと思うわ~。

 本作は、“製作から55年を経て日本に初上陸”だそうで、つまりは日本では未公開だったわけだが、もしかすると日本には『盲獣』の存在があったからでは? などと邪推してしまう。とにかく、パワーが違う。『盲獣』のパワフルさは、さすが増村保造。

 本作で出て来る巨大オブジェは、あのニキ・ド・サンファルによるものだそう。すごいインパクト。セイヤーを演じているのはフィリップ・ルロワ。メアリーはダグマー・ラッサンダーというドイツ人女優でグラマーな美人。

 タイトルがアレだけど、男の人が見ると、物足りない&いたたまれない&ムカつく、、、映画かも知れませぬ。それくらい、徹底的に男が虚仮にされているので。まあ、あれが程度の差はあれ世の男の偽らざる姿だと感じる女性も少なくないと思うけど。私もその一人。

 エロでもグロでもありません。
 

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◆M(1931年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv14949/

 《あらすじ》 1930年代のベルリンで、幼い少女ばかりを狙った連続殺人事件が発生した。警察の必死の努力にもかかわらず犯人逮捕の目処は立たず、市民や暗黒街の犯罪者たちは彼ら自身の手で犯人を捕まえることを思い立つ。手がかりはないかのように思えたが、被害者の一人エルジーが誘拐されたときに口笛が聞こえたことに気付いた盲目の売り子により、一人の男に焦点が絞られた。チョークで「M」(ドイツ語で殺人者を意味する「Mörder」の頭文字)のマークを付けられた男は、徐々に追い詰められていく。

wikiよりコピペ~

 フリッツ・ラング監督作品。戦前のドイツ映画。アマプラで視聴したのだけど、ラング作品を見るのは初めて、、、かな。

 いやー、、、何とも嫌な後味の作品。wikiによれば、本作は“「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれたペーター・キュルテンをモデルにしたと言われている”のだそうだが、ラング自身は否定しているとか。……まあ、真偽はともかく、この時代のドイツでは複数の連続殺人鬼が跋扈していた様で、これは巷には不安が渦巻いたであろう。本作でも、社会が動揺している様が描かれる。で、それが本作の鍵になる。

 ドイツの極道(?)者たちが、こんなシリアル・キラーが我が物顔でのさばっていては自分たちの商売あがったり、、、ってな感じで、自ら犯人探しに乗り出すんだが、これがなかなかのチームワークで、警察組織より早く犯人を追い詰めるのは皮肉というか権力への当てこすりでしょうな。

 問題は、犯人を捕まえた後、極道たちが私刑、、、というか、自分たちの手で裁判の真似事をするのだ。何なら弁護士まで犯人にはつけている。もちろん、結末は、そんな私刑が罷り通るわけもないのだが、その疑似裁判の成り行きは集団ヒステリーのようで、怖い。こういうの、今でも普通にあるもんね、SNSとか見ていると。

 犯人役のピーター・ローレがめちゃくちゃ不気味。あの目ん玉が飛び出そうな表情とか、捕まりそうになってパニクってる顔とか、、、、とにかく顔が怖い。あんな怖い顔では幼児を連続して誘拐できるだろうか、、、とか、余計なことを考えてしまった。背中に「M」とデカデカと文字が書かれているのに気づいたときの顔が(しかもカラーで)アマプラの作品メニュー画像になっているのだが、下手するとブラックコメディと誤解されそうな気もしないでもない。それくらい、ローレの顔がインパクトあり過ぎなのだ。

 なかなか面白く見たのではあるが、ネタとしては極めて映画的、展開としても集団ヒステリーに持って行くのは定番、、、というわけで、あんましグッとは来なかった。犯人に辿り着くまでは比較的アッサリで、そこも見どころというには若干弱い。演出面では、当時は斬新だったのだろう。まあ、、、映画史上における名作と言われるのも分かる。

 当時のドイツの連続殺人鬼たち、おぞまし過ぎる、、、。ご興味おありの方はwikiのリンクからどうぞ。

 

 

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フィリップ(2022年)

2024-07-01 | 【ふ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85335/


以下、公式HPからあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1941年、ポーランド・ワルシャワのゲットーで暮らすポーランド系ユダヤ人フィリップ(エリック・クルム・ジュニア)は、恋人サラとゲットーで開催された舞台でダンスを披露する直前にナチスによる銃撃に遭い、サラと共に家族や親戚を目の前で殺されてしまう。

 2年後、フィリップはフランクフルトにある高級ホテルのレストランでウェイターとして働いていた。そこでは自身をフランス人と名乗り、戦場に夫を送り出し孤独にしているナチス上流階級の女性たちを次々と誘惑することでナチスへの復讐を果たしていた。

 嘘で塗り固めた生活の中、プールサイドで知的な美しいドイツ人のリザ(カロリーネ・ハルティヒ)と出会い本当の愛に目覚めていく。

 連合国軍による空襲が続くなか、勤務するホテルでナチス将校の結婚披露パーティーが開かれる。その日、同僚で親友のピエールが理不尽な理由で銃殺されたフィリップは、自由を求めて大胆な行動に移していく…。

=====ここまで。

 ポーランド映画。


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 予告編を見て、こりゃ劇場行きだな、、、と思って公開を待っていた作品。本当は、公開初日に行きたかったんだけど、翌日、朝早くから予定があったので断念。1週間後のサービスデーに、大雨の中ようやく見に行ってまいりました。

 ポーランド語、ドイツ語、フランス語と、必要な言語が必要な個所で話されており、どんなシーンも英語のブルドーザーでなぎ倒すハリウッド資本映画とは説得力がゼンゼン違います。英語圏の人はさ、言語の持つ重要性ってのをちゃんと考えなさいよ、、、、と、こういう映画を見ると改めて強く感じますな。ま、英語脳の彼らにそんなこと言っても、文字通り、馬耳東風でしょうけどね。


◆そんなのアリ?な復讐劇

 冒頭は、ワルシャワゲットーに始まり、あの『戦場のピアニスト』と同じ舞台である。ゲットーの様子も当然ながらよく似ており、死体が路上にゴロゴロ転がっている脇で、舞踏会に興じている面々もいる、、、という、今から見ればかなりの地獄絵図である。しかし、さらなる地獄絵図が展開される。

 フィリップが殺されずに済んだのは、まさに偶然による一瞬の行動の違い。たまたま物陰に入ったことで、銃弾を浴びずに済んだのだが、あのホロコーストを生き延びたユダヤ人って、シュピルマンもそうだったように、ほとんどこういう“運”による紙一重の差、、、だったんだろう、と改めて感じさせられる。

 生き残ってしまったフィリップは、フランクフルトでフランス人と自称し、かなり投げやりな生き様である。ドイツ人の女をモノにして捨てる、ってのが彼なりの復讐なんだが、、、恋人を殺されたってのが大きいんだろけど、ハッキリ言って感心しない。見つかれば自身も殺されるわけだから、命がけの行動ではあるし、仮に相手の女が妊娠して子が生まれれば、ナチスの目指す純血主義を穢す、しかもユダヤの血で穢すことが出来るわけだから、、、まあ、復讐たり得てはいるのだが。下半身で復讐ってのが、短絡的だな、と。これはまあ、好みの問題だけど。

 それに、人生投げているフィリップにとって、自身の行動が短絡的だろうが何だろうが、どうでも良いわけで。矛盾するようだが、ある意味、復讐は生きるエネルギーになるので、彼は彼なりの行動原理をエネルギーにして、あの状況を生き延びたとも言える。

 で、予告編でそういう復讐劇だというのを知った時点で、まあ、多分そうなるんだろうな、、、と予感はしていたが、ありがちに、本当の恋に出会ってしまい、、、という展開になる。

 そうすると、どういうオチにするのか、、、が気になるのだが、この場合、オチは2つしかない。復讐を完遂するか、本当の恋に生きるか、である。フィリップとリザの恋の様子を見ていて、これがどっちに転ぶのか、なかなか予想が難しくなっているのは、シナリオとしてよく出来ていると思う。

 本当の恋の行方は敢えて書かないが、その後、フィリップは、あることが切っ掛けとなってトンデモな行動に出て、結果的に、こっちの方がナチスへの派手な復讐となる、、、というのが、一応、ラストの見せ場となっている。

 なっているけど、……だったら、それまでの彼の身体を張った一連の復讐と称する言動は何だったんだ??という気もしないでもない。だって、ほとんどあのラストは、偶然の産物、フィリップの出来心によるもので、それで復讐を果たせてしまったんだからね。チマチマ焼いた肉をいざ食べようと摘まみ上げて大口開けた瞬間、横からカラスに搔っさらわれちゃった!みたいな感じかなー。


◆その他もろもろ

 本作の原作小説は、戦後のポーランドで検閲されまくったものの1961年にどうにか上梓に漕ぎつけた、、、と思ったらすぐに発禁処分となり、2022年にようやくオリジナル版が出たという“問題作”らしい。

 本作を見る限り、何が発禁処分の理由となったのか、明確には分からない。ナチス下のドイツで、多数のドイツ人女性と積極的に交わったから、、、か、あるいは、ラストのあの“トンデモな行動”がもっとリアルかつ政治的な背景も含めて詳細に描写されていたから、、、か、うぅむ。戦後のポーランドと言えば、ソ連の衛星国で何でもかんでもダメだった状況下、とりあえずヤバそうなものはダメ、、、みたいな感じだったのかも。

 この原作は、まだ邦訳されていないので日本語では読めないのが残念。読めば、発禁になった理由も分かるかも知れないもんね。

 フィリップを演じたエリック・クルム・ジュニアは、ドイツ語を懸命に学んで身に付け、撮影に臨んだそう。

 エリック君の顔がかなり個性的で、これはイケメンと言って良いのか??とか思いながら、いやしかし、ちょっとなぁ、、、とかいうのも中盤以降の怒涛の展開からは気にならなくなり、いやもう、フィリップ、どーなっちゃうのよ??と手に汗握っていた。リザとの成り行きも、まあ想定内ではあるし、復讐に燃える男が“本当の恋に出会う”だなんて、えらく陳腐な話ではあるが、それをあまり陳腐化させていない監督の手腕はなかなかのものだと感心した。

 その本物の恋のお相手リザを演じている女優さんが、誰かに似ている、、、、と見ている間ずーーーーーっと考えていて思い当たらなかったのだが、劇場を出た途端「あー、ウィノナ!!ウィノナだーー!!」とピンと来て、めっちゃスッキリしました。

 

 

 

 

 


フィリップのその後が気になる。

 

 

 

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