映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

真夜中の招待状(1981年)

2016-12-30 | 【ま】



 精神科医・会沢吉男(高橋悦史)の下に、若い女が訪ねてくる。その女は、稲川圭子(小林麻美)と名乗り、自分ではなく、婚約者・田村樹生(小林薫)がノイローゼ気味だから、一度診て欲しい、というのである。

 ノイローゼの原因は、樹生の兄2人が次々に蒸発しており、その原因がまったく分からないからだという。7年前に長男・原田順吉が熊本で、そしてつい先日、二男・捷平が沼津で、いなくなってしまったのである。

 そうこうするうち、東海村の原子力施設で技術者として働く3人目の兄・原田和生(渡瀬恒彦)も遂に蒸発してしまう。兄たちと樹生の姓が異なるのは、四男の樹生だけ、幼い頃に田村家に養子に出されたからだという。

 かくして、会沢は本格的に4人兄弟の抱える問題の真相に迫るのだが、、、。

 主演は小林麻美なのに、全く活躍しないでただそこにいるだけの役という不思議な作品。 
 
 
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 またまた、リストに入れた記憶のないDVDが送られてきました。やたらと豪華な出演陣なのに、中身はスカスカのハリボテ映画でござんした。でも、違う意味でイロイロと見どころの多い作品で、それなりに楽しめました。


◆蒸発の真相

 “蒸発”って、最近あんまり聞きませんよねぇ。昔は、TVや新聞・雑誌とかで時々見聞きしたように思いますが。今時は、“失踪”っていうんですかね。人間が蒸発する、ってある意味すごい表現ですが、なかなか言い得て妙だなぁ、と。忽然と姿を消した、という意味がよく表れているというか、、、。

 兄たちが蒸発した理由は、最初は、ちょっとオカルトチックで失笑ものだったんですけれど、最終的には、一応まあ、それなりの理由になっていました。その理由とは、、、。

 熊本で薬局を営んでいた長男の原田順吉が、客の久世(米倉斉加年)に、強力なステロイド剤を処方したことにより、久世の息子は容貌が激変して症状が重篤化し、元の身体には戻らなくなってしまった。そのことによる、久世の恨みが引き金になっていた、、、というオハナシ。

 なんで、順吉のことで、他の兄弟にまで影響が及ぶのか? ステロイド剤を使うことを勧めたのが二男の捷平だった。三男の和生は、それらの事実を知って久世に謝罪に来たのだが、久世の息子の姿を見て、兄たちの所業に心を痛め自殺(?)ということらしい。和生の死の真相についてはあんまり明確な描写がなかったので、イマイチよく分かりませんでした。

 ……などという内容は、なんだかどーでもよい感じです。かなり破綻しているオハナシですよねぇ。ツッコミどころが多過ぎで突っ込む気にもなりません。


◆豪華キャストが泣くゼ

 本作の見どころは、上記のような謎解きとかストーリーではなく、役者さんたちそのもの、ですね。豪華キャストを、非常に贅沢に使っています。

 大体、三男役の渡瀬恒彦なんて、ホント、チョイ役で、出演時間にして5分くらいですかねぇ。後は、死体になって後半出てくるだけ。もったいないなぁ。

 芦田伸介も、圭子の父親役で、まさしくチョイ出。なんと贅沢な。

 途中、心霊写真が小道具で出てくるんですけど、会沢と圭子が、その写真を「心霊研究所」なるところに持ち込んで鑑定してもらうわけです。その研究所の主(?)みたいなオバサンが、なんと、黒々としたボブスタイルのズラを被った北林谷栄さま。かなりビミョーな若作りでギョッとなります。最初、一瞬分からなかったけど、声を聞いて「ん??」とよく見たら、谷栄さまでした。その後、研究所の一室で“降霊術”なるものが行われるんですが、まあ、この辺の描写はバカバカしすぎてひきつった笑いが浮かびます。

 あと、東大の教授役で丹波哲郎御大がご登場。本作では霊界研究者ではなく、単なる催眠療法の研究者ってことでした。ここでも御大の出演時間は、ものの5分程度。催眠療法している以外は、セリフらしいセリフも大してなく、こちらももったいない。

 久世を演じた米倉斉加年は、結構ハマっていたかも。私、米倉さん、結構好きだったんですよねぇ。スゴイ渋い役者さんだなぁ、と思っていました。善人も悪人も見事に演じられる、素晴らしい役者さんだと思います。彼のおかげで、本作の後半も、どーにか見られると言っても良いでしょう。

 宮下順子さまは、やはり大胆な濡場を演じておられます。彼女は、蒸発した長男・順吉の妻ミツの役なんですが、久世の息子の世話をさせられ、なおかつ久世の慰み者になっており、ミツが一番気の毒かも知れません。

 あと、感激だったのは、久々に見た中島ゆたかさんですね。一昔前は、2時間ドラマとかでしょっちゅうお目にかかっていたように思うのですが、、、。今、どうしていらっしゃるのでしょうか。悪女役が多いですけれど、ちょっと謎めいた感じの美人で、存在感あります。でも、ゆたかさんも、和生の妻役で、またまたチョイ出。

 小林薫は、さすがに若い。カッコイイ、、、というのとはちょっと違うけど、確かにイイ男。まあ、でも個人的には、もう少し歳とってからの薫氏の方が好きだなぁ。神経症になった男の役で難しかったんでしょうか、ちょっと、んん~~、な感じでした。、、、というか、相手役の小林麻美のせいかもね。
 

◆小林麻美と家事手伝い

 その小林麻美さまですが、、、。彼女が人気あったことは何となく覚えていますが、当時から、私には彼女の魅力がゼンゼン分かりませんでした。確かにモデル体型で、雰囲気美人ではあるけれど、よく見ると顔もフツーですし、歌も歌ってましたけれど、お世辞にも上手とは言い難く、、、。♪とーめてぇ、あのぉショパン! の部分しか耳に残っておりませんが、、、。

 彼女、今年、女性雑誌か何かに、久々の登場をされたとか。きっと、相変わらずおキレイで、、、っていう展開なんでしょうね。

 本作での彼女は、まあ、なんというか、もしかして記念受験ならぬ、“記念主演”だったのかしらん、と思っちゃいました。とりあえず人気あるから、彼女主演で行こうや、、、みたいな。セリフ回しも拙く、表情もほとんどなく能面のようで、、、。

 そもそも、彼女は謎解きに奔走する割に、何か、いてもいなくてもいい感じの役なんですよねぇ。別に彼女が動いたことによって、事態が動く、というわけでもなく。彼女に危険が迫る、というわけでもなく。ただ、その場に居合わせている人、なんです。なんだかなぁ、、、。まあ、彼女の演技力を考えて、そういう脚本にしたのかも、という気もしますが。

 強いて見どころを挙げれば、とっかえひっかえの衣装と、バストを晒したベッドシーンくらいですかねぇ。このベッドシーンは当時話題になっていたのを覚えています。こう言っては失礼ですが、痩身で胸も貧弱なお体なので、あんまし官能的な画ではなかったです。宮下順子さんの方がよほど色っぽいし艶がある。ま、比べては気の毒ですけれど。

 田舎に調査に行くのに、もの凄いファッショナブルな服装でお出ましの圭子嬢。……というか、化粧も濃くて、正直言って、お嬢と言うよりホステス、って感じです。時々、あのロングパーマヘアーにバンダナをするスタイルがあるんですけど、戦後の東京とかを描いた映画やドラマに出てきそうなパンパンに見えてしまう。なんでこんな下品なスタイリングにしたんですかねぇ、、、。バブル前夜の時代って、あんなファッションがウケてたんですかねぇ?

 ところで、圭子嬢は一体、何をしているお方なんでしょう? 今で言う、“家事手伝い”ってやつですかね? 序盤で、芦田伸介演ずる父親とのシーンで、彼女がなにやら作業している描写があるんですけど(アクセサリー作り?)、ハッキリ言って、何しているのかさっぱり分からず。もの凄い豪邸に住んでいるので、ヒマを持て余しているお嬢、ってことなんでしょうか。

 ……イイ歳して、働けよ。81年といえば、まだ均等法施行以前の時代だし、働く女は腰掛け扱いが主流だったとは思うけれど、それにしても、この時代にこの女の描写はいかにも後れており、呆れてしまいます。


 

 

 

 



オープニングの新宿高層ビル群の映像は、、、??




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残酷の沼(1967年)

2016-12-26 | 【さ】



 とある移動遊園地内にある“恐怖の館”的な見世物小屋に男女5人(男3人、女2人)が連れ立って入って行く。

 中には、でっかいハサミと糸巻きを持ち、映画の中でリズが演じていたクレオパトラ(?)みたいな化粧を施した女が椅子に微動だにせず座っている。そのクレオパトラ風女は、実は未来を透視できる巫女(?)で、「特別料金を払えば、あなたの未来をお見せしましょう」と、巫女の隣で怪しげな案内人ドクター・ディアブロ(バージェス・メレディス)が言うのである。

 男女5人は、せっかくだから、、、とかなんとか言って、その巫女に各々の未来を見せてもらうのだが、それはどれも悲惨なものばかり、、、。ついに5人目の男は、「未来なんか見たくない!!」と激しく拒絶し、ドクター・ディアブロと揉み合いになって、、、!!!

 4話からなるオムニバスホラー、、、というより、オムニバスブラックファンタジー、ですかね。

 
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 何年か前まで、レンタルできなかった本作。買うとなると、ウン万円の値がついていて、とてもじゃないけど手を出す気になれなかったものですが、いつからかレンタルできるようになったらしいです。……というわけで、お気軽に見られるようになって何よりです。

 紹介文に書いたように、一応、オムニバスというか、、、映画としては一つのお話にはなっているのですけれどね。どの話も、割と唐突に始まって唐突に終わる、って感じですが、まあ面白いです。各話の見出しがネタバレになっちゃいますが、一話ずつ簡単に感想を。


◆第1話~叔父さんの遺産を横領するセコオヤジが猫に殺られるの巻~

 叔父さんはお金持ちらしいのですが、彼の飼っている黒猫(というか、黒茶のまだら)が、結構マジで気味悪いんです。悪いことをすると、因果応報で、全部自分に還ってくるよ、みたいな説教めいてはいませんけれども、まあ、そういうことかと。

 ラストのセコオヤジの報いを受けた姿が、、、まあ、ホラーっちゃホラーなんですが、かなり地味に笑えます、、、。ぐふふ。


◆第2話~ルームメイトを出し抜いてスターへの階段を上ろうとしたお姉ちゃんがサイボーグにされるの巻~

 サイボーグと書きましたけれども、、、。今のハリウッドの俳優たちや、日本の俳優らにも、明らかに不自然な容貌になっている方々はいらっしゃいますよねぇ。ある意味、そういう近未来を予言していたオハナシ、かも(?)。

 サイボーグとバレるシーンが、これまた地味に笑えます、、、。ぐふふ。


◆第3話~世界的イケメン(?)ピアニストと恋に落ちたお姉ちゃんがピアノに殺されるの巻~

 ピアニストのピアノが、恋人の女性に嫉妬して殺しちゃう、っていうだけのオハナシ。これが一番つまんなかったかも。ピアニスト役の男優のルックスがイマイチ、かっこいいと思えなかったのが残念。

 グランドピアノがお姉ちゃんに迫って行くシーンは、正直笑えません、、、。ごーん。


◆第4話~ある収集家の秘宝「不死のエドガー・アラン・ポー」に死なせてくれと頼まれたオッサンがポーに火を着けたら一緒に死んじゃうの巻~

 この話が一番面白かったかも。2人のエドガー・アラン・ポー愛好家のオッサンが出てくるのですが、収集家の方をピーター・カッシングが演じています。この収集家が意味深に見せようとしない部屋の中を見たいばかりに、もう一人の愛好家(ジャック・パランス)は、収集家をなぐり殺して、鍵を取り上げ部屋を開ける。

 そこには、墓から甦らされた(?)不死のエドガー・アラン・ポーが座って新作を書き続けさせられていた。不死ポーは「死にたい」と愛好家に言う。愛好家は願いを叶えるべく、不死ポーの座る椅子の後ろにあるカーテンみたいな布にろうそくの火を着ける。部屋の扉はいつの間にか閉まっていて、開かなくなっている。こうして愛好家のオッサンも火に包まれて、不死ポーと共にあの世行き。

 ピーター・カッシングとジャック・パランスという個性派俳優競演で、見応えあり。でもまあ、ちょっと引いて見ればバカバカし過ぎて笑えます。ぐふふ。


◆エピローグ

 見世物小屋に入った5人のうち、4人の未来は巫女が透視したわけで、残り1人のオッサンの未来は、本人が激しく拒絶したため見ることが出来ません。、、、いえ、このオッサンは、紹介文にも書いたとおり、強引に自分の未来を見せようとするドクター・ディアブロと揉み合いの挙句、巫女が持っていたでっかいハサミでドクター・ディアブロを刺し殺してしまうんです。これが、そのオッサンのまさに未来だった、、、。

 なーーんちゃって。、、、実は……、ってのは、書くのはやめておきます。まあ、察しはつくと思いますが。ぐふふ。


◆その他モロモロ

 この巫女の女性を演じる女優さん(名前分からず)の顔が結構特徴的で、各話にちょこっとずつカメオ出演していたりします。1話終わるごとに、でっかいハサミで糸巻の糸をチョキン!と切るのがご愛嬌です。

 ピーター・カッシング=ホラー、みたいなイメージがありますが、本作ではどっちかというと、可愛そうなお爺さんでしたねぇ、、、。ジャック・パランスの粗野っぷりがちょっとキモ怖かったかも。コレクターの狂気みたいのをデフォルメしていて、挙句に、ゾンビ・アランポーが出てきて可笑しかった。

 監督のフレディ・フランシスは、『エレファント・マン』『フランス軍中尉の女』『ケープ・フィアー』等の撮影を担当していた方らしい。監督としては、本作を始め、かなりカルトチックなものも手掛けていらっしゃるご様子。

 ちなみに、脚本のロバート・ブロックは、『サイコ』の原作者だそうです。へぇー。




クリスマスに見たホラー




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光の旅人 K-PAX(2001年)

2016-12-21 | 【ひ】



 ある日、とある駅でひったくりの犯人と間違われた男(ケビン・スペイシー)が、精神病院に運ばれてきた。男はプロートと名乗り、K-PAXという星から来た、と警察官に話したことから病院送りとなった次第。

 プロートを診断することになった医師マーク・パウエル(ジェフ・ブリッジス)は、プロートが宇宙人などとはもちろん信じておらず、カウンセリングを続けるうちに、彼には大きな心的外傷があるに違いないと確信するようになる。パウエルが核心に迫りつつあることが影響してか、プロートは7月27日にK-PAXに帰ると言い出す。時間がないパウエルはプロートの過去を調べ、遂に真相に辿りつくが、、、。

 
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 イアン・ソフトリー監督というと、私にとってはHBC主演の『鳩の翼』が代表作なんだけど、本作の方が有名みたいですね。それはやっぱり、ケビン・スペイシー&ジェフ・ブリッジスというキャストのせいでしょうか。HBCだって、彼らに勝るとも劣らぬ名優なんですけれど、、、。


◆希望が見えない話

 ん~~、正直なところ、あんまし好きじゃないかも、これは。なんでかなぁ、、、と、見終わって数日考えているのですが、まだ分からない。

 見ていて退屈だったんですよねぇ。見ていて訳分からん、って感じではないけど、途中で睡魔に襲われ、、、ううむ、って感じです。

 なんか、最近、こういうの続くなぁ、、、。見終わっても、書きたい感想がまるで浮かんでこない映画。な~んとなく通り過ぎて行ってしまう作品。決してヒドイ作品でもないのに、何にも心に残らない。これって、ホントに虚しい。

 賞賛でも文句でも、書きたいことがワ~~ッて溢れてくると、やっぱり見た甲斐があったなぁ、と思えるんですけれど。

 過去のトラウマから自分を守るために、自らを妄想の世界に閉じ込め、その世界を無理矢理こじ開けられそうになったら、今度は、廃人同然になってリアルに外界を遮断する、、、。こう書くと、希望も未来もないオハナシですよねぇ。でも、脚本次第で、もう少し何とかなったんじゃないのかなぁ、と思ったり。つまり、もう少し、希望を持てる話に出来たのではないか、、、。

 プロートがトラウマから解放されること=希望、なのかと聞かれれば、そう単純なものではないかも知れないけれど、過去の悲惨な体験にその後の人生を過剰に支配されてしまう話は、やはり見ていて気持ちの良いものではありません。


◆どよよ~~ん

 精神病院が舞台になる映画で好きなのは、『まぼろしの市街戦』ですかねぇ。しかも、戦争が背景にあって、本作よりはかなり悲惨な状況なのですが、ある種のおとぎ話に昇華させていて、あれはあれで、見ていてすごく主人公に共感できちゃう映画なんですよね。もちろん、演出も素晴らしいですし。

 本作は、同じ精神病院が舞台でも、どちらかというと、私の苦手な『カッコーの巣の上で』が、通じるものがあるような。記憶のかなたでうろ覚えですが、、、。『カッコー~』は、見ていて辛いし、ジャック・ニコルソンが演じているように見えなくてコワいしで、本作よりもかなりシュール度が高いけれど、主人公の自己防衛本能が強い、という意味では、似ているかも。

 いずれにせよ、ちょっとこういうの(感想が書けない)が続いていて、気持ち的にどよよ~~ん、という感じです。
 






バナナを皮ごと食べるケビン・スペイシー。




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シン・ゴジラ(2016年)

2016-12-17 | 【し】




 内容紹介は、書くまでもないと思われるので割愛。

 やっぱし、これはスクリーンで見るべきだ、と思いました。終映ギリギリだったけど、見に行って正解だったかも。


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 職場の映画好きくんが、「すねこすりさんは好きじゃないと思うけど、面白いよ」と言うので、こういう映画をDVDを借りて見るのは何か違う気がするし、まだ辛うじて上映している劇場もあるし、んじゃ、見に行ってみるかと思って行きました。いや、面白かったですよ、確かに。でも、彼の推察どおり、好きかと聞かれれば、キライじゃないけど、「(エリカ様的に)別に……」ですかねぇ、、、やっぱし。

 だいたい、こんだけ話題になった作品について、感想なんて今さら過ぎて書く気になりません。

 でも、一応、見たことは自分の記録&記憶に残しておきたいので記事としてアップしておきます。感想ではなく、思ったことを少しだけ。

 巷じゃ、震災や原発事故のオマージュだとか、官邸の様子がリアルすぎるだとか言われておりまして、このたび鑑賞してみて、確かに震災の津波やら原発事故を彷彿とさせるものはそこかしこにありましたが、官邸の様子がリアルだとか言われても、そんなん知らんわ、ってな感じです。

 あんな大人数で会議やってんの、いっつも? あれじゃ、言いたいことも言えない人、いっぱいいそうだよなぁ、とか。

 と思っていたら、どうやら役所の会議とは須らく予定調和の会議らしい、と竹野内のセリフで。

 竹野内豊、ちょっと見ない間にやつれたなぁ~、とか。

 最初に進化前のゴジラの全体像が現れた時は、思わず笑っちゃった。なにこれ、前座怪獣? と思ったら、進化しまして。進化前の方が、顔も愛嬌あるし、動きとか面白かったのに。

 あの下半身下膨れみたいなシン・ゴジラのスタイルの悪さはどーよ。背びれ(?)のデザインは結構イケてると思うけど、、、とか。

 あと、鎌倉に再上陸したゴジラが都心に向けて進行中と分かった際の官邸の誰かのセリフ。「何でこっちに来るんだよ!」……これも笑っちゃいけないけど、笑っちゃいました。こっちじゃなきゃいいわけね、、、なんてツッコミは入れませんよ、もちろん。

 石原さとみ演じるアメリカ人(にはどう見ても見えない所が面白すぎる)の英語が、なんだか聴いていて恥ずかしい、、、とか。

 ゴジラの吐く放射線と炎のランダム攻撃、カッコイイ。あ、私がよく行くところが!! とか。

 東京駅、新駅舎が出来たばっかなのにぃ! 壊さんでよ~~、とか。

 電車爆弾、面白い~~。あんなこと、実際できたら凄すぎ! とか。

 血液凝固剤なのに、何で経口投与なん? ま、いっか。

 ……などなど、まあ、脳機能停止状態で見ていたに等しいですな。こういう映画で、リアリティがどーだこーだ、とか、震災後の日本がどーだこーだ、とか、大真面目に全国紙各紙が論評していたこと自体が、ものすご~~~くアホらしく感じましたね。これって、そういうこと考えながら見る映画か?

 というわけで、本作を愛する方々には顰蹙モノの文章を書いてしまいましたけれども、別に貶める気はないのです。くどいようですが、楽しませてもらいました。本当です。強いて言えば、字幕の字数が多過ぎて読めないもの多し。






進化する前のゴジラが好き。




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哥(1972年)

2016-12-15 | 【う】



 丹波篠山の旧家(?)森山家に妾腹の子として生まれた淳(篠田三郎)は、森山家の長男で弁護士の康(岸田森)夫婦の住む家に住み込みで下男として働いている。

 淳は、母親に「森山家をお守りしろ」と幼い頃から耳タコのごとく刷り込まれており、もう、体がその言葉を実践するようにできてしまっているかのような少年であった。毎日同じ時間に起き、同じ仕事をこなし、仕事を上がり、夜回りをする、、、。食べるものは米と味噌汁のみ、間食には麦こがしを湯で溶いてすするという成長期の少年とは思えぬベジタリアン。そして、熱中しているのが書。近所の墓石で拓本を取り、午後5時以降は書の練習に励むという、まるで仙人のような生活ぶりである。

 康夫婦は子がおらず、妻・夏子(八並映子)は欲求不満を抱えており、夫婦の間に流れる空気は微妙。また、康が雇っている書生の和田(田村亮)は一向に司法試験に受かる気配もなく女中の藤野(桜井浩子)と愛欲三昧の日々。そんな大人たちの欲望には見向きもせずに、黙々と下男として生活している淳。

 そんなある日、行方知れずだった森山家の二男で画家(?)の徹(東野孝彦)が、ある晩、ひょっこり康の家に現れる。これがきっかけで森山家に波乱の予感が、、、。そして、淳の行く末は、、、。


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 タイトルは「うた」と読みます。え? そんなんフツーに読めるわ? 恐れ入ります。私は読めませんでしたので、、、。


◆実相寺昭雄=「ウルトラマン」シリーズ、なんだよなぁ。

 篠田三郎出演作をコツコツ見て行こうと思いまして、今回は、『高校生心中 純愛』に続く第2弾。これは、かなり個性的な作品ですなぁ。こんな作品で主演していたなんて、意外でした。爽やか系のイメージが強いので。

 本作は、実相寺昭雄監督の『無常』『曼陀羅』に次ぐ作品として発表されたのだとか。『無常』も『曼陀羅』も見ていないのでどんなのか知りませんが、本作の方が前2作よりは分かりやすい、ということのようです。本作も、分かりやすいとは思いませんが、難解というほどでもなく、、、というか、ちょっとぶっ飛んでいる感じはありますねぇ。

 実相寺昭雄監督は、乱歩モノをいくつか撮っていますが、乱歩好きの私は、乱歩原作映画は怖くて見る気がしないので、どれも見ておりません。私的には、実相寺昭雄という名前は、ウルトラマンとかセブンのイメージが強いので、本作のような作品を撮っていること自体が新発見でした。他の作品も見てみたくなりました。


◆機械仕掛けの淳くん=篠田三郎

 さて、篠田三郎です。淳はおそらく、10代後半の少年という設定だと思われます。撮影時、篠田氏は、多分、23~24歳くらい? あの『高校生心中 純愛』の翌年制作となっているので、ほぼ同時期に撮影されたのでしょうが、ゼンゼン別人みたいに見えます。篠田三郎が演じていると知らなければ、淳を演じているのが誰か分からなかったかも、、、。

 淳くん、人間嫌いなのか、とにかく、必要最低限の言葉しか発しません。しかも無感情な棒読み。月並みな言い方だけど、ロボットみたいです。決められたルーチンは機械みたいに正確にこなすけれど、ルーチンから外れたことは頑なに拒み、もの凄い頑固というか、石部金吉で融通が利かないというか、、、。康が急な仕事で徹夜でこなさなければならない作業が発生しても、淳くん「5時以降は仕事はしとうないんです!!」と壊れたレコードのように繰り返す。

 その融通の利かなさは、森山家を守るという使命感の体現するシーンでもいかんなく発揮されています。夜中の12時に淳くんは一旦起きて、家の外と中を夜回りするのが日課なのですが、上記の徹夜仕事を康や和田らが必死でやっている部屋の前を懐中電灯を照らしながらパトロールするんですが、部屋の中から康や和田たちが窓越しに淳くんを見ている、淳くんにも彼らは見えているはずなのに、人間の顔には全く反応せず、家の外観ばかりを懐中電灯で念入りに調べる。「火事でも出したら大変なことになるんです!!」と言って、隅から隅まで見回るのに、窓から覗いている人の顔には目もくれない、、、。淳くん、君には彼らの顔は見えていないのか……?

 突如帰って来た徹に疎ましがられ、「飯を食うな」と言われたら、本当に絶食してしまう淳くん。ひもじくてのた打ち回るのに、食べない。口に入れるのは水だけ。そして、もう、力が入らず立ち上がることもままならなくなるという、、、。驚いた徹に「前言撤回する、食べても良い」と言われても、「一度口にしたことを取り消すとは何事か」(セリフ不正確です)とか言って絶食を貫く。ここまで来ると、なんかもう、勝手にしろ、って言いたくなるキャラです。背中にゼンマイついてんじゃないの?

 こんなクセモノ淳くんを、若い篠田三郎は、かなり巧みに演じています。こういう役は、大根が演じると目も当てられないので、とても難しいと思う。


◆ヤバい森山家の人々

 康はどうやら不能のようで(イマイチ明確には分かりませんが)、それで妻の夏子は欲求不満で、こともあろうに、寝ている淳くんの上に覆いかぶさって欲望を満たす、なんてこともしています。その時の描写がかなり笑えるというか、、、。淳くんは身じろぎもせず、、、つまりマグロ状態で、夏子さんは一人で喘ぎ声をあげているのですが、どう見ても気持ち良さそうじゃない。すごい、滑稽なシーンで面白い。

 そんな康なのに、夏子が淳くんと関係していると知ると、突然夏子の身体を舐めまわし、挙句の果てに、バイブを突き立てる。その後の、ぐったりと虚しげな表情の夏子が印象的。

 康を演じる岸田森がイッちゃってて面白すぎです。岸田氏は、ルックス的に腺病質っぽいのですが、それが如何なく康を演じるのには発揮されております。

 突如帰って来る二男の徹とか、もう、見るからにキモいオヤジなわけで、東野孝彦は実にハマり役。

 八並映子さんとか、桜井浩子さんとかは、見る人が見れば嬉しい女優さんだそうで。私はお二方とも今回初めて知ったんですけど、八並さんは非常に欲望に正直な気怠い感じがよく出ていたし、桜井さんはノーパン・ミニスカートの女中という面白すぎな設定で大胆に脱ぎまくり、田村亮との濡場もなかなかでした。

 まぁ、こんだけ濃いキャラをよくぞ1つの家の中に入れたもんです。そこに明らかに異分子の淳くんがいる。、、、ううむ。

 丹波篠山は保守的な土地柄なんでしょうか、映し出される景色や背景が、森山家という家の雰囲気を象徴している感じで、暗いし、ちょっと不気味。そしてあのラスト、、、。康と徹が、森山家の土地を切り刻んで我がものにしようとしていると知った淳くん、何とか森山家本家に知らせようと、力の入らないはずの身体で、本家前にある長い階段を匍匐前進(と言っていいのか?)で登り切ったかと思った矢先に階段上から真っ逆さまに、、、、。

 ラストショットは、血だらけになって白目を剥いている淳くん、、、。嗚呼。


◆見終わって書きたい感想がまるで浮かんでこない作品、、、

 本作は、モノクロなんですが、所々、画面が暗すぎてよく見えない部分もありました。

 面白くない訳じゃなかったんですけど、あんましピンと来なかったし、特に湧いてくる感想もない作品だったんですよね、、、。出てくる人物も、演じる役者も、皆、それぞれ魅力的だし、ストーリー的にもそれほどひどいわけじゃないんだけど、、、。

 こういう作品、たまに出くわすんですよねぇ、、、。そんなに悪い印象はないのに、なぜか書きたいことがゼンゼン浮かんでこない映画。感想がものすごく書きにくい映画。本作はまさにそれ。

 かといって、また見たいと思うわけでもないし。多分、もう二度と見ないとは思うけれど、記憶には残るでしょう。

 、、、というわけで、分かりにくい内容紹介と愚痴みたいな駄文を書き連ねてしまいました。、、、嘆息。







画面が暗すぎて見えないシーン多し。




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招かれざる客(1967年)

2016-12-09 | 【ま】



 ハワイに遊学(?)していた22歳の白人女性ジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)が、ある日突然、知り合ってわずか10日しか経っていない男性ジョン(シドニー・ポワチエ)と結婚したいと言って、ハワイからサンフランシスコの自宅に帰って来た。ジョンは、医師で、結婚歴があり(妻は事故死)、ジョーイより大分歳上で、黒人であった。

 ジョーイの父親マット(スペンサー・トレイシー)は、サンフランシスコで有名な新聞社のオーナーで、母親クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は画廊を経営する、リベラル夫婦。かねてより人種差別は絶対悪として反対してきた。、、、が、いざ、我が娘が黒人の男性を結婚相手に連れて来て、この両親は大いに戸惑い、自分たちが似非リベラリストであったことを思い知る。

 ジョンはすぐにでもヨーロッパへ立たねばならないので、今日中に承諾が欲しいという。しかも、ドレイトン夫妻の承諾がなければ、この結婚は諦めるつもりであることを、ジョーイには内緒で両親に打ち明ける。ますます困惑するドレイトン夫妻。

 そこへ、ジョンの両親までもが現れ、白人との結婚など大反対だとジョンの父親は言い出す始末、、、。

 果たして、ジョーイとジョンは結婚できるのか。


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 BSでオンエアしていたのを録画して観ました。タイトルから、あまり内容をよくチェックせずに、ヒッチ系サスペンスだと思っていたのだけれど、ゼンゼン違うお話でした、、、ごーん。


◆ゲタを履かせた意図は、、、?

 本作のことを、そもそも存在さえ知らずにおりましたが、名作と言われているようですね、、、。キャサリン・ヘップバーンはオスカーを受賞しているようですし。錚々たる俳優陣の出演で、ビックリしました。

 WOWWOWの本作の紹介文言はこんなです。「アフリカ系男性が娘の婚約者になったことで困惑する白人の両親の姿を通じて、米国社会における人種差別問題を浮き彫りにし、第40回アカデミー賞で脚本賞他に輝いた良作」

 世間で名作という評価が定まっているのだから、別に私が難癖をつけたところでどうということもないでしょう。なので、ちょっと思ったことを正直に書きます。

 本作は、“米国社会における人種差別問題を浮き彫り”にすることがテーマであるのなら、残念ながら、設定の段階で既に白旗を上げているに等しいのではないですかね。

 だって、そうでしょう? シドニー・ポワチエ演じるジョンは、結婚歴があるとはいえ離婚した訳ではなく死別。また、職業は医師であり、それもただの医者じゃない。世界的に数々の賞などを受けた若いながらにして世界レベルの高名な医師なのです。なおかつ、ジョーイに対しては飽くまで紳士。正直、イヤミでさえある人物造形です。ここまでジョンにゲタを履かせないと、白人女性との結婚を映画の中でとはいえ実現させることが難しいと、監督自身が認めているようなものです。

 当時のアメリカ社会の差別感情がいかに凄まじいかを物語っている半面、最初から難題に挑むことを半ば放棄している制作サイドの姿勢に軽く失望します。

 これが、医師でも、町医者とか、大学の研修医とかだったら? あるいは医師でなくて、ごくごくフツーのサラリーマンだったら? 白人の相手であれば No problem という設定になぜしない? どうせなら、そういう設定にしてほしかったですよねぇ。

 序盤にジョンの肩書が分かったところで、一気に興醒めでした。

 そもそも、こういう私の見方自体が既に職業観等のバイアスが掛かっているという批判もあるでしょうし、それは認めます。ですが、当時は明らかにマイノリティで被差別者であった側に、ここまでのバックグラウンドを用意するのは、あまりにも前提からバイアス補正し過ぎだと思うのです。

 逆に、白人女性のジョーイが高名な医師で、ジョンがハワイに遊学に来ていたお気楽なお兄ちゃんだったらどーだというのでしょうか? リベラル夫婦に試練を与えるのであれば、とことんやればよいのに。最初から彼らに逃げ道を与えてどーするのでしょう。主人公をギリギリまで追い詰めて突き放さないと、本当の意味で見応えのあるドラマにはならないと思いますね。

 こういうところに、制作者の視点が正直に表れるんじゃないでしょうか。だから、本作は、名画の皮を被った似非ヒューマニズム映画だと思うわけです。実際、私には、ストーリーという面では非常につまらない映画でした。

 しかし、これが多くの部門でオスカー候補になったというのだから、さらに唖然となります。どこまでオメデタかったのでしょうか、当時のハリウッドは。誰もそこに異議を唱えた者がいなかったのか。あるいはいたけれども封殺されたのか、、、。


◆親が子どもを育てるのはアタリマエ、なんですけどね。

 ……と、文句ばかり書きましたけれど、印象に残ったシーンも当然あるのです。

 中でも、一番グッと来たのは、ジョンが父親と激しい口論に及ぶシーン。ジョーイとの結婚に彼女が白人だからという理由で反対する父親は、ジョンに言います。

 「誰のおかげで今のお前があると思っているのか」

 もちろん、セリフはもっとたくさんあるんですが、一言で言っちゃえば、これを親が息子に言ったんです。郵便配達夫だった父親は、重い荷物を運んだのもお前のため、母親(妻)がボロコートをいつまでも着ているのもお前の学費のため、そうやって苦労して来たんだぞ、と。

 それに対しジョンはこう言って切り捨てます。

 「重い荷物を運んだのはそれがアンタの仕事だからだ! 子ども作ったら養育するのは親の義務だ」

 父親はぐうの音も出ませんでしたが、このセリフ、子どもはなかなか言えないのですよねぇ。特に親が苦労しているのを知っていればなおのこと。そうやって、親に恩を着せられても払いのけることができずに苦しむ子どもは多いけれども、ジョンはハッキリ父親に言うのです。もちろん、ジョンだってこう言いながらも苦しかったはずですが、それでもきちんと言葉にして親に抗弁することが出来る、ということが大事です。

 本作では、母親同士が非常に“物わかり良し子さん”なお2人で、若い2人の結婚を後押しします。これもちょっと???ですよねぇ。母親は感情論になって話にならん、というケースが多数派なような気がするというか。案外、父親の方が理屈が通ることが多い気がするんですけれど。、、、まあ、これは私の周囲の限られた範囲での統計なので当てになりませんが。でも、本作での2人の母親は少々出来すぎです。

 結局のところ、本作は、リベラル夫婦の本音を暴く体裁をとりながら、実は、本作自体がタテマエ論で終始しちゃっているという、お粗末な構成なんじゃないでしょーか。最初から、2人の結婚を成就させるためにシナリオが書かれたわけですね。だからこんな生ぬるいオハナシに終始しちゃったのでしょう。


◆その他もろもろ
 
 名女優キャサリン・ヘップバーンの出演作、たくさんあるのに、正直、ちゃんと見たのは本作が初めてだと思います。、、、じゃなかった、『アフリカの女王』は見ていたのだった、そういえば。でもそれだけですね、多分。

 本作を撮影した頃、彼女は60歳くらい? 強そうで美しいです。カッコイイ、という言葉が一番近いかなぁ。本作では、ジョーイに理解あるステキな母親を演じておられました。ジョーイを演じたキャサリン・ホートンは姪御さんだとか。ジョーイは頭悪そうではないけど、ちょっと???なキャラですよねぇ。

 キャサリン・ヘップバーンのプライベートでもパートナーだったというスペンサー・トレイシーは本作が遺作になったとのこと。終盤の演説(?)シーンは、多分、名シーンの1つと言われているのでしょうね。私的には、あまりグッと来なくて印象に残るセリフのない演説でしたが。

 初めて見るというと、シドニー・ポワチエの出演作は、初見です。父親に激しく抗弁する姿、なかなかカッコ良かったです。これから彼の出演作も追々見て行きたいな、と思いました。  







途中、肉屋のお兄ちゃんとメイド見習いの若いお姉ちゃんが
ノリノリで踊っているシーンが意味不明。




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五日物語 ―3つの王国と3人の女―(2015年)

2016-12-06 | 【い】



 副題のとおり、3つの王国に住む3人(正確には4人)の女性たちの欲望が巻き起こす物語。 上記リンク先のストーリーを抜粋でコピペしておきます。

====ここから。

 不妊に悩むロングトレリス国の女王(サルマ・ハエック)は“母となること”を追い求め、魔法使いの教え通り、国王(ジョン・C・ライリー)の命と引き換えに得た怪物の心臓を食べて美しい男の子を出産する。やがて成長した彼は、同じ怪物の心臓のもと生まれた下女の息子と兄弟のような友情に結ばれながら親離れの年頃となるが、女王はそれが不満でならなかった……。

 人目を避けて細々と暮らす老婆の姉妹。好色なストロングクリフ国の王(ヴァンサン・カッセル)にその美しい声を見初められた姉は、不思議な力で“若さと美貌”を取り戻し、妃の座に収まる。しかし、見捨てられた妹もまた若さと美貌を熱望していた……。

 まだ見ぬ“大人の世界への憧れ”を抱きながら王(トビー・ジョーンズ)と共に城で暮らすハイヒルズ国の王女は、城の外に出ることを切望していた。そんなある日、王は、屈強で醜いオーガ<鬼>を彼女の結婚相手に決める。華やかな城から連れ出され、鬼の住処で過酷な生活に耐えながら、王女はそこから逃げ出す機会を伺っていた……。

====ここまで。

 大人のおとぎ話、ダークファンタジー、などと謳っており、その宣伝文句にウソはありませんが、、、、。



☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 こういうの大好きなので、迷わず見に行きました。1日の映画の日、午前中に『戦場のピアニスト』、午後に本作。なかなかヘヴィなメニューだったかな。

 
◆ビジュアルで楽しめる
 
 ネット上で、“本年度最も底意地の悪いおとぎ話!女の性(サガ)を皮肉に描く”とか書かれているものだから、期待値は上がってしまうというもの。いわゆる“イヤミス”も“ファンタジー”も好きじゃないけど、こういうダークファンタジーは好きなんです。このジャンルは、世界観が大事だから、美術や衣装が凝っているケースが多く、視覚的に楽しいのですよね。演技がオーバーアクションなのも却って楽しめる。何でもアリな世界が面白いというか。

 本作も、ご多分に漏れず、やっぱり衣装も美術も映像もとっても美しいし、これはスクリーンで見る価値アリでしょう。CGももちろん使っているでしょうが、3つの国のお城はイタリアに実在するお城でロケしたとのことで、どれもこの世のものとは思えない造形美。ロケハンに苦労したのも頷けるというものです。

 3つのお城の中でも、特に私が心奪われたのは、ロッカスカレーニャ城。本作では、ストロングクリフ国の王の城という設定。ヴァンサン・カッセル演じるストロングクリフ国王が、もう、笑っちゃうくらいの好色狒々オヤジなんです。ロッカスカレーニャ城について調べてみたら、こんな記述に行きあたり、、、

 ~~11世紀~12世紀にかけ、敵からの攻撃を防御のために、断崖絶壁を持つ丘の頂上に建てられました。伝説では、16世紀コルボ家の伯爵は、村の結婚前の全ての女性に自分と一夜を過ごすことを命じていたとのこと。~~

 いやぁ、ストロングクリフ国王と見事に被っちゃってて、またまた笑える。

 でも、本当に、こんな断崖絶壁の上の城なんて、見ている分には美しいけど、中に入るのは怖いかも。だいたい、城まで崖を登るなんて、高所恐怖症の私には、考えただけでも卒倒しそう、、、。

 他の城、ドンナフガータ城(ロングトレリス国の女王の城)、デルモンテ城(ハイヒルズ国の王女の城)もステキでしたヨ。

 老婆の姉妹の姉が、美しい娘に生まれ変わる場所であるサーセットの森も、まあ、撮り方なんだろうけど、非常に幻想的な森に見えました。眩しいくらいの緑に、長~い赤毛の真っ白な素肌の美女がたたずむ画は、それはもう、絵画の様でありました。ストロングクリフ国王がその美女の姿に魅入られて妃に迎えるという展開になりますが、狒々オヤジでなくても、あの光景には魅入られてしまうのは無理もありません。


◆“底意地の悪いおとぎ話!女の性(サガ)を皮肉に描く”……?

 ストーリー的に、別に底意地が悪いとは思いませんでしたねぇ。

 冒頭に書いた「3つの王国に住む3人(正確には4人)」というのは、老婆姉妹が2人だからですが、4人の女性たちのエピソードは、確かに、それぞれ、“出産”“若さと美”“処女喪失願望”を表しており、まあ、女の性を描いているとは言えそうですが。

 ハイヒルズ国の王女以外の女性たちは、皆、バッドエンドですので、底意地が悪いって表現になったのかも知れませんねぇ。ハイヒルズ国の王女も、ラストこそ一応良い終わり方ですが、彼女の願望である“良い男と寝たい”はモノの見事に打ち砕かれるわけですから。

 でも、人生なんて、そんなもんじゃない? 思い通りにならないのが人生でしょう。

 最悪のラストを迎えたのは、恐らく、若返ってストロングクリフ国王の妃になった老婆姉妹の姉でしょうか。どう最悪かは、書くのはやめておきますが。確かに、この展開だけは、ちょっと意地が悪いかもね。ある意味、妃になった姉も悲劇だけど、一番のダメージは狒々オヤジであるストロングクリフ国王だろうね。正直、ちょっとザマミロ的な感じはあります。女を若さだけで品定めしているからそういうことになるんだよ、馬鹿め、って感じかな。

 私は、昔も今も出産願望が皆無の人間なので、サルマ・ハエック演じるロングトレリス国の女王様にはさっぱり共感できませんでした。おまけに、この女王様、息子を手なずけるのに必死で、子離れできない、母親としても最悪な人です。こういう人って、執着するものがないと生きて行けないのよね、きっと。自分に自信がないんだと思うけど、執着するものがあることで生きていることを実感できるのでしょう。本人も哀れだけど、一番気の毒なのは執着される人だわね。災難としか言いようがないけど、逃れるのが難しいから、人生を掛けて闘わないといけなくなるケースも多い。

 この女王様、最後は、執着の権化であるおぞましく醜いモンスターとなって息子に襲い掛かります。そして、当然、息子に殺される。残念でした、、、ごーん。殺されないと、殺さないと、こういうのは終わらないのよ。

 子どもに聞かせても問題ない童話となると、夢見る夢子なハイヒルズ国の王女のオハナシですかねぇ。あんな化け物と結婚させられて気の毒だけど、まあ、助けてくれた人たちを全員犠牲にしながらもどうにか脱出できたし、ちゃんとハイヒルズ国に戻って父王の後を継いだ、ってことで、自力で人生を切り開いた! ってとこでしょうか。このエピソードが一番どーでも良かったです、私には。

 ちなみに、本作は、オムニバスではありません。舞台はそれぞれ分かれていますが、地続きになっていて、一応、最後は1つにまとまる感じです。


◆嗚呼、ヴァンサン・カッセル、、、

 それにしても、ヴァンサン・カッセルです。なんなんでしょうか、あの地で演じているのかと思わせる狒々オヤジっぷりは。若い頃は、もうちょっとキレイで品があった気がするのですが、、、。いくら役の上とはいえ、卑しい顔つきになっていて、なんかちょっと哀しかったな~、昔を知っているオバサンとしては。ストロングクリフ国王が、メチャメチャ頭悪い人なんで、余計にそう見えたのかも知れませんが。そうであって欲しいなぁ。

 サルマ・ハエックは美しいですね。彼女の主演した『フリーダ』、未見なのです。フリーダ・カーロの絵は結構好きなので、映画も見たいなぁ、と思っているのですが、、、。化け物の心臓を口の回り血だらけにしてかっ喰らうシーンは、、、ゼンゼン気持ち悪くなかったです、残念ながら。かっ喰らい方がお上品過ぎです。

 本作の監督マッテオ・ガローネの他の映画、見たことないのですよねぇ。『ゴモラ』とか面白そうだけど、ちょっと敷居が高いというか。本作の世界観とかは好きですが、ストーリーに滲む監督の個性みたいなのは、あんましソソられないなぁ、、、。ま、食わず嫌いしていないで、見てみれば良いんですけどね。
 






原作を読んでみようかな、と思える程度には面白かったです。




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