映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

誰も知らない(2004年)

2016-11-29 | 【た】



 父親の違う子ら4人と母親がとあるアパートに引っ越してくる。しかし、母親・福島けい子(YOU)は、12歳の長男・明(柳楽優弥)のみを大家に紹介し、小さい二男と二女はスーツケースに入れて、長女は後からこっそり呼び寄せるという異様な引っ越しだ。

 けい子は、明以外の3人に絶対に部屋から出てはダメだと言い聞かせ、ある程度まとまった現金を置いて何日も帰って来ないという生活をしていた。そしてある日、「クリスマスには帰るから」と言って、再び明に金を渡して出かけたきり、クリスマスになっても帰って来なかった。そのうち、明の手元の現金は底をつく。

 実際にあった子ども置き去り事件をモチーフにし、柳楽くんがカンヌで日本人として初めての最優秀主演男優賞を受賞し注目を浴びた作品。 


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 なぜか分からないけど、何となく見たいと思い、『誰も守ってくれない』のDVDと間違えたら、余計に見たくなりまして。ようやく見ました。


◆まるでピンと来ない映画。

 う~ん、これはちょっと感想を書くのが難しい作品です。まあ、好きか嫌いかでいえば、確実に嫌いな部類ですが、どういうところが嫌いなのかを書くのが難しいですねぇ。これといってあげつらう要素がある訳じゃないのです。

 実際にあった事件がどんなもんかはよく知らないし、そこにあまりこだわるのも意味がない気がします。なんというか、、、見ている間に頭に常にあったのは「この監督さん、何を描きたいのかなぁ?」でした。見終わっても、正直分からなかった。

 インタビューなどをチラッと読んだだけだと、こういう極限状態(?)に置かれてもなお生き生きとしている子どもたちを描きたかった、みたいなことをおっしゃっているようです。

 ううむ、、、生き生きとしている子どもたちかぁ、、、。生き生きしている、っていうんですかね、ああいう状態を。

 オムニバス映画『それでも生きる子供たちへ』(2005年)を思い出しました。一つ一つの話はほとんど忘れてしまったのだけど、みんシネにも書いたとおり、子どもって、とにかく生きることしかないんだよね。何が何でも生きようとするのが子どもであり、本作でも置き去りにされた子どもたちは、生きることだけしかない。他に考えることなんかない。せいぜい考えることといえば、母親が帰って来るかどうかくらい。

 彼らにとって、日々は生きること。生活することじゃない。生きることなわけで、それを“生き生きしている”と言われても、、、。

 まあでも、もっと悲惨な虐待を受けて、生きることに必死でも“生き生き”していない子どもはたくさんいるだろうことを考えれば、この4人は生き生きしていると言えるのかも知れません。

 正直なところ、途中からすごく退屈してしまったんです。話自体はどんどん悲惨になるのに、ゼンゼン胸に迫って来ない。作り物だからとか、嘘くさいとかではないと思う。冗長だから、ってのも違う気がする。ただただ、何でこの作品を撮りたいと思ったのかが分からない。それくらい、見ていてピンと来なかったのです。

 誰も知らない、ってのは、周囲も気付きもしなかった、という意味も含まれているんでしょうね。アパートの住民(?)と思しき大人の足下だけ映っていて、その脇を子どもたちが通っても、大人たちは気付きもしない、、、みたいな描写でしたが。それは、気付かないことへの批判なのか、そういう都会の風潮への批判なのか。

 是枝作品は本作以外では、『幻の光』(1995年)しか見たことないのですよね。なんかあまり食指が動かないというか、興味が持てないというか。『幻の光』も結構良い映画だと思ったし、本作も、決して駄作だとは思いませんが、、、。


◆邦画の今後を憂える是枝氏。

 たまたま、今日、ネットで是枝氏が日本映画の今後を憂えているインタビュー記事を読みました。今のままじゃ邦画は海外で忘れられた存在になってしまう、ということを語っておられました。監督が食えない仕事じゃ若い人になり手がいなくなる、とか。

 でも、それをいうなら、監督も大事だろうけど、脚本家の地位をもっと上げるべきだと私は思いますねぇ。良い映画には、絶対に良い脚本・シナリオがあります。逆に、他にどんなに素晴らしい材料を揃えても、シナリオがマズければ良い作品にはなり得ない。にもかかわらず、邦画における脚本家の扱いの酷さは目を覆うばかり。監督名はでっかく書かれていても、脚本家の名前がそれと同じ大きさで書かれているのを見たことがない。

 本作は、脚本がないようなものだった、ということですが、それは本作では成立したことでしょうが、多くの作品では、やはり良いシナリオありきだと思うのですよねぇ。とにかく、もっと真面目に脚本家を育てようという土壌を作るべきでしょうね。今、映画の脚本家として確固とした地位を築いている人が一体何人いらっしゃるのやら。そしてそれらの人々がどれくらい危機感を持って後進の育成の重要性を考えているのやら。

 大石静氏は、私の好きな脚本家のお一人ですが、彼女は少し前まで、後進の育成など考えたこともないと明言されていました。それは自分のライバルを育てる事であり、敵に塩を送るようなことは出来ない、と考えていたとか。彼女のように(まあ、彼女の主戦場はTVドラマですが)、ある程度の地位を確立している人でも、そんな了見であることに、私は衝撃を覚えました。競争の激しい世界なのは分かりますが、だから、邦画もドラマもダメなんだろうな、と。

 それは恐らく、監督業にも言えることなんでしょう、きっと。是枝氏のように、若手の育成の重要性を認識している人の方が少数派なのかも知れない。

 まあでも、これから、是枝さんが旗振り役となって、監督だけでなく、脚本家の育成と地位向上に、業界全体が注力して行ってくれることを期待しましょう。


◆エンケン氏、寺島氏、若い!
 
 柳楽くん、セリフのある演技はイマイチですけど、、、二男くんの方が印象に残りました、個人的には。さすが、長期間の撮影だけあって、みんな髪の毛が伸びて、それだけの時間経過をリアルに感じさせますね、、、。

 あと、遠藤憲一が若い! 寺島進も。お2人とも真田丸にご出演ですねぇ。

 それと、帰って来ない母親をYOUが好演していました。ちょっと、可愛くて優し過ぎるお母さんな気がしましたけれども。「アタシが幸せになっちゃいけないってゆーの?」と、12歳の長男にむくれて言っている姿は、正直、あまりにもバカっぽくて笑っちゃいました。笑うところじゃないんだろうけど、すみません。







誰も知らない、、、以前よりは知るようになってきていると思います。




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この世界の片隅に(2016年)

2016-11-26 | 【こ】



 太平洋戦時下の広島県・呉市に住む北條周作の下へ嫁いできた18歳のすず。少しずつ日常に戦争が侵食してくる日々を、しなやかに生きる、すずと彼女の回りの人々の様子を描いた作品。

 口コミで評判が広がり、大ヒットの様子。テアトル株もストップ高になったとか、、、。


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 時々、精神科医の斎藤環氏のツイッターを覗きに行くのですが(私はツイッターはやっていませんけど)、そこで、ちょっと前から大盛り上がりしているのがこの作品の話題。あまり映画の感想をダラダラ書かない斎藤氏なのに、本作への入れ込みようが尋常じゃない、、、。ネットでの盛り上がりも凄いし、そんなに絶賛される映画とはどんな? と思い、あの『もののけ姫』以来、ウン十年ぶりに劇場へアニメを見に行きました。
 
 いつものようにネタバレバレですので、あしからず。


◆何度も見たいかどうか。

 結論から言うと、私は、そこまでハマれませんでした。すみません。

 もちろん、良い映画だと思うし、多くの人が賞賛するのも分かる気がします。2時間以上あるのに、一瞬も退屈しなかったし、悲惨な状況でも笑いがあり、人間ドラマとしても秀逸。絵も、リアルさを過剰に追求していなくて、でも背景は細密、全体に繊細で美しい。ひねくれ者の私でも、ケチをつける気にはなりません。

 私にとっての良い映画としての勝手な条件は、①もう一度見たいと強く思う、②分かりやすい、③2時間未満、なのですけれど、本作は、強いて言えば②だけ該当でしょうかねぇ、、、。

 とはいえ、私の大好きな映画は、結構、この条件に当てはまらない、ってのもありまして……。『アンダーグラウンド』とか、『きっと、うまくいく』とか、『戦場のピアニスト』とか、どれも3時間近くありますし、ハネケとか、シュヴァンクマイエルとか、アルトマンとかの作品なんかは、分かりやすくないのも結構あります。

 ただ、絶対外せないのは、やっぱり①なのですよねぇ。好きな映画ってのは、終わってエンドロールが流れているときに「もっかいアタマから見たい!!」と思って、禁断症状に襲われるのです。もう飽きるまで何百回でも見たい、と思ってしまう。前述の作品たちなどはどれももう、何度も何度も見ているわけです。もう、見ないと死ぬ!! くらいな感じなのです。、、、ちょっと大げさですが。

 で、本作は、見終わってすぐに「もっかい見たい!」と思ったかというと、、、それはNoでした。なので、良い映画だとは思うけど、好きとは言えないってことですかね。 

 ただ、ネットの感想等を見ていると、やはり、何度も劇場に足を運んだと書いている方が結構いるので、きっと、私にとっての好きな映画と同じ感覚なんだと思います。


◆奥ゆかしい映画

 分かりやすい、と書いたけれど、実は分かりにくいというか、どう理解すればよいのかしらん? と問い掛けられているようなところもあったように思います。

 本作は、何事もあまり直截な描き方をしていないのですよね。ある意味、奥ゆかしい。

 例えば、すずが遊郭に迷い込んだシーンでも、遊郭のゆの字も発せられないし、原爆のシーンも極めて間接的な描写です(ラストで一瞬直截描写がありますが)。

 ここから先、ネタバレです。

 何より、すずが右手を失う時限爆弾が破裂するシーンの描き方は、、、あれはどーなんでしょうか? 私は、結構グッときました。真っ黒な背景にピカピカと線描写のイラスト、それだけで何が起きたか想像させられるし、正直、恐ろしいとも感じました。

 あれほど、絵を描くことが好きで、すずにとっては大事な自己表現だった描くことができなくなる、、、という展開に胸が苦しくなりました。なぜ、右手、、、。

 本作は、そこから先がまた結構長い。ムリに左手で絵を描こうとかしない。といって、失くなった右手のことを殊更嘆くこともしない。

 作者はどうしてこういう展開にしたのかな、、、と、ちょっと考えて、私なりに考えたこともあるのですが、それをここに書き散らすのは、もの凄く野暮な気がしますし、それこそ、見る人の想像に任せて幾通りもの解釈がなされれば良いことだと思います。

 あと、引っ掛かったのは、哲くんですかねぇ。すずは、哲くんのことも確かに好きだったはずだと思います。もちろん、周作が最愛の人に違いないのですが。初恋とかそんなんじゃなくて、幼心に知らないうちに刻み込まれた存在。そういう人、1人くらいは誰にでもいるんじゃないのかなぁ。周作が、すずを哲くんと2人きりにしたのが、イマイチ意味が分かりませんでしたけど。


◆私は径子さんイチオシ!

 見る前から、さんざん、のんさんのアフレコがスゴイ、と言われていたのでどんなんだろう、、、と思っていたのですが、確かに、良かったです。正直、あまちゃんのイメージが強くて、彼女の声の演技ってのがイマイチ想像できなかったのですが、実に表情豊かですねぇ。ビックリしました。すずさんのキャラによく合っていました。

 まあでも、正直言うと、もうちょっと違う感じの声でも良かったような気もしました。特にどんな、というイメージがあるわけではないですが、ボーッとしたすずさんというイメージがのんさんの声だと前面に出ているけれど、すずさんて、強くてしたたかな女性だと感じましたので、そんな感じの声でもよかったんじゃないのかな、と。ボーっとしているようで打たれ強い、柳みたいな人。それが私が受けたすずさんの印象なので。

 原作のすずさんは、どんな感じなんでしょうか。

 あと、気になったのは義理のお姉さん、黒村径子さんかな。ああいう人は、すずさんと反対で、強そうでポッキリ行っちゃう脆い人なんだよね。私は径子さんの方が人としては好き。友達になるなら、断然径子さんだな。径子さんは、自由人で一見勝手気ままだけど、本当はすごく優しい人なんだよね。ああいう人、好きだわ~。

 義父の円太郎さんもイイ味出してたし。というか、北條家の人たち、みんなイイ人ばっかよね。あんなこと、ちょっとあり得ないような気もしますけどね。……と、ケチをつけたところで、感想文は終わりです。








すずが哲くんに描いた絵、欲しい……。




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さざなみ(2015年)

2016-11-24 | 【さ】



 結婚45周年のパーティーを土曜日に控えた週の月曜日、夫ジェフ(トム・コートネイ)に手紙が届き、何かいつもと違う様子で妻ケイト(シャーロット・ランプリング)に言う。「彼女が見つかったらしい、遺体だけどね。僕のカチャの……」

 カチャとは、ジェフの元カノ。一緒に山登りをしたが事故でクレバスに落ちたのか、救出できないままジェフだけ帰ったということらしい。2人は、外面上は夫婦ということにしていたため、遺体が見つかった連絡が“元夫”のジェフの下に届いたわけだ。しかも、カチャの遺体は亡くなった若い時の姿のままのようである。

 ケイトは、カチャの存在は知ってはいたが、夫の「僕のカチャ」の言葉に思いの外、衝撃を受けていた。次第にざわつくケイトの心。夫が屋根裏に隠していたカチャと思しきスライドを発見し、こっそり見てしまう。どうやら、カチャは妊娠していたようである。ジェフの子なのか……。

 パーティー前日、ケイトはジェフに「ぶちまけたいけど抑えてるのよ!」とブチ切れるが、どうにか、パーティー当日を迎え、2人そろって会場へ。笑顔を浮かべて招待客と談笑するケイト。スピーチ中に感極まって「私の人生の最良の選択は君だった」と言って泣き出すジェフ。ケイトの心はふたたび波立つ。そして、、、。
 

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 シャーロット・ランプリングさまが、とてもとても好きなので、本作は劇場に見に行きたかったのですが行きそびれ、、、。ようやくDVDで見ました。


◆ケイトにとってジェフは初恋の人なのか?

 ケイトという女性は、結婚する前に夫以外の男性を愛したことがないのですかね? 今は年金暮らし(?)の様子ですが、若い頃は教師だったみたいで、まあ、きっとお堅い真面目な女性だったのだろうとは推測できますが、、、、。

 自分だったらどうかなー、と考えてしまいました。仮に、ウチの人の所に、その昔結婚を考えていた女性(仮に名前をハナコとかにしておきます)のその当時のまんまの冷凍保存遺体が発見されたと連絡があって、彼が気もそぞろになっている姿を見たら、、、。でもって「オレのハナコ……」とか言っていたら、、、。

 オレのハナコ~~?? ……とは思うね、多分。それは、嫉妬というより唖然とする感じかな。だって、自分と出会う前の話だし、ハナコが死んだから私はウチの人と出会った訳で。正直、私にも彼と出会う前に死ぬほど好きになった男(生きてるけど)がいるので、自分も自分だから彼の醜態を責める気にはなれないかなぁ、、、。

 そう、だから、冒頭書いたように、私は、ケイトの恋愛遍歴が気になったのです。もし、初めて死ぬほど好きになった男がジェフだったら、そりゃ、本作に描かれたような反応になっても仕方がないのかも。


◆愛がなくても子どもはできますが、、、それが何か?

 ケイトは、よせばいいのにジェフに、「カチャが生きていたら彼女と結婚してた?」なーんて聞いちゃう。案の定、大アホなジェフは「そのつもりだった」とバカ正直に答える。ケイトの心はますます波立つ。でもって、さらに、よせばいいのに、夫の私物を漁って、カチャの妊婦姿のスライドを見てしまう、、、。気持ちは分かるけど、自分で自分の傷口広げているのよね、ケイトは。

 子どもがいないことが、さらに衝撃度を増した、という描写。、、、こういうの、キライだなぁ。ケイトの心をよぎったのは「私以外に、ジェフの子を身ごもった女がいるなんて!」なのか、「私は子を産めなかったのに……!」なのか、それ以外なのか、分からないけど、妊婦姿を見せるというシナリオは、なんというか、もの凄く通俗的で安っぽい感じになった気がする。

 ちなみに、自分だったら、かつて死ぬほど好きになった男の子どもを誰かが産んでいても、別にそのこと自体には何も感じないような気がする、、、。むしろ、ウチの人に隠し子がいたと聞いた方が、ビックリはするよなぁ。養育費もろくに払ってなかったのか!! とは思うだろうけど。

 とにかく、“子ども”をケイトの心をさらに波立てる要素にしたのがイヤ。

 すごく、ケイトをステレオタイプな女に貶めた気がするのです。この夫婦にどうして子がいないのかは分からないけど、だから、カチャの妊婦姿に衝撃を受けるだろう、という下種な想像。夫婦の愛がテーマの物語に、子どもという要素が入り込むと、それはゼンゼン別の話になってしまう。夫婦、というか一組の男女のカップルの物語でいいじゃないの。夫婦の物語に子どもは必須アイテムなのか?

 さらに捻くれた見方をすると、原作者も監督も男性だけど、“女だったらこれが決定打になるんじゃね?”という思惑が透けて見えるような気がしちゃう。安易だと感じる。


◆ラストのケイトの行動は、、、

 本作の宣伝文句は「衝撃のラスト!」みたいなのだったので、一体、どんな幕切れなのかと思って見ていたんだけれど、、、、ううむ、そう来たか。

 確かにね、あのジェフのスピーチは、ある意味サイテーです。彼としては、最高の賛辞を妻に送ったつもりなんだろうけど、その前に夫婦間に起きた出来事を考えると「選択」という言葉はあまりに無神経。そこに気が回らない恐るべき鈍感さ。さらに最悪なのは、自分の言葉に陶酔して泣き出すところ。こういうのって、傍から見たら(妻でなくとも)白けるだけなのに。ジェフという人は、自己陶酔型&鈍感な根っからの良い人。だけど、救いようのないバカと言ってもよい。

 そうしてみると、ケイトがラストにあの行動に出たのは分かる気がする。激しく夫に幻滅したのだろうなと。あれを夫への怒り=愛情の裏返し、と解したレビューなども目にしたが、私は“大いなる幻滅”による行動だと思った。そうであるなら、ケイトに非常に共感します。夫への幻滅と共に、自分への怒りかもね。こんな程度の男に私の人生捧げてしまったのか、みたいな。それなら分かるわ~。

 何十年も大過なく夫婦をやって来た者同士なら、破れ鍋に綴蓋で、自分もその程度ってこと。だからこそ、ケイトは自分に苛立ったのかもしれないけれど、それは自分で受け止めなきゃね。自分の人生には自分しか責任はとれないのだから。

 あのパーティーの後、2人はどうなるのか。

 もし、大いなる幻滅によって、ケイトがあのラストの行動に出たのだとしたら、恐らく2人は離婚でしょう。私がケイトなら、もう一緒にいるのもイヤだと思うので。

 でも、夫への怒りが原因だとしたら、、、。離婚も出来ず、2人の余生はずーっと修羅場かも。どこかでケイトが諦めるまで。それも疲れるしイヤだなぁ。


◆ランプリングさまの麗しきお姿に溜息。

 とまあ、さんざん難癖をつけてしまったけれど、我が敬愛するランプリングさまは、もう、それはそれは神々しいほどの存在感&演技でございまして、そういう面では十分堪能させていただきました。

 本作の良い所は、独白とか、回想シーンとかでケイトの心情を説明するシーンが一切ないこと。全て、ランプリングさまの演技だけで見せている。それは、彼女の表現力が豊かだから可能だったわけで、演出過多でないところは素晴らしいと思います。

 あと、ランプリングさまの美しさですねぇ。御年70歳で、もちろん経年変化はしているけれど、どうすればあんなふうに美しく年齢を重ねられるのか。決してムダなアンチエイジングなどしていないし、すっぴんに近い顔も晒しているけれど、それもとても美しい。皺もたるみも、ゼンゼン醜くない。内面から滲み出る、、、なんて当たり前すぎるものではない、何かやはり、特別なオーラがあるのでしょう。

 ジーンズ姿のカッコイイこと。パーティーのドレスもシンプルでセンス抜群。ああ、、、ステキ。

 登場人物はほとんど老人ばかりだけれど、秘めたエネルギーを感じる作品であることは確かです。



 




珍しく原題より邦題の方が良い作品。




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手紙は憶えている(2015年)

2016-11-18 | 【て】




 認知症の症状が相当進行した90歳のお爺さんゼヴ・グットマン(クリストファー・プラマー)は、眠ると大方のことは忘れてしまい、1週間前に亡くなった妻ルースの名前を必ず呼んで目覚めるのであった。

 そんなゼヴに、同じ老人ホームに暮らすマックス(マーティン・ランドー)が「覚えているか? ルースが亡くなった後、俺たちが誓ったことを?」と尋ねる。当然覚えていないゼヴ。しかし、マックスは「いいんだ覚えていなくても、ここに全て書いてある」といって1通の手紙をゼヴに手渡す。その手紙に書いてある通りに行動すれば、2人が誓ったことをやり遂げる手筈になっているという。

 2人が誓ったこと、、、それは、アウシュヴィッツの収容所でナチス親衛隊の一員として働いていた男“ルディ・コランダー”を殺すこと。なぜなら、2人はアウシュヴィッツの生き残りだったからである。

 身分を偽り、アメリカに渡って“ルディ・コランダー”として生きている、元SS隊員を探すゼヴの一人旅が始まる。ルディ・コランダーという同姓同名の人間は4人に絞られている。頼るは1通の手紙だけ、、、。4人のルディ・コランダーを、1人ずつ訪ね始めるゼヴ。果たして、ゼヴは目的を遂げられるのか。
 

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 精神科医の斎藤環氏がツイッターで、なかなか良い作品だ、みたいなことを書いていたので、あんまり詳しい作品紹介は読まずに見に行きました。本作をご覧になる予定のある方は、ネタバレを知らない方が良いと思います。一応、ウリも、驚愕のラスト5分、、、みたいになっていますし。……でも、ネタバレを知って見ると、また違う見方が出来て、それも良いのかも知れません。

 いずれにせよ、ここから先は、思いっ切りネタバレバレの感想です。


◆このオチは、アリか、ナシか!?

 このオチを受け入れられるか、受け入れられないかで、本作の評価は恐らく真っ二つに分かれるでしょうねぇ、、、。

 私は、受け入れられないクチでした。

 ネタバレですよ!!

 そのオチとは、、、誰あろう、ゼヴ自身こそが、探していたルディ・コランダーその人だった、というもの。

 つまり、本当のアウシュヴィッツの生き残りはマックスだけで、マックスは施設でゼヴと出会い、ゼヴこそがナチの残党と確信したことから、計画を思い付き、ゼヴに手紙を渡した、、、ということ。……なんですが。

 人によっては途中で予想がついた、と書いている人もいらっしゃいましたが、私はゼンゼン。だって、そんなことになったら、オハナシそのものが、もう無茶苦茶になってしまうもの。

 いくら認知症だからって、自分が本当はドイツ人のSS隊員でありユダヤ人ではないことを完全に忘れてしまうって、、、そりゃ絶対ないとは言いませんけれども、このストーリーのように、都合よくそこだけ記憶が脱落していることなんて、ちょっと考えられません。

 ゼヴは、認知症とはいえ、妻や息子たち、施設の職員たちの顔や名前はちゃんと判別できていますし、その人と自分の関係性も分かっています。ということは、自分の過去についても、忘れていることはあっても、元SS隊員で、アメリカではナチの残党として別人格を生きてきたことを、丸ごと、100%、すっぽり忘れ去る、なんて、、、あまりにも不自然というか、違和感があります。

 ゼヴが、とにかく何にも覚えていないという爺さんだったら、このオチはアリだと思うけど、だとしたら、ゼヴの最期にとった行動はああはならないでしょう。

 そこに至るまで、ツッコミどころが色々あるとはいえ、全体にスリリングで緊張感に満ちた展開が続いてきたので、ラストのラストで、そりゃないよ、、、と思っちゃいました。

 見終わった後、もう一度、斎藤氏のツイッター文章を改めて読んだら、「ただこれは、さすがにネタバレできない作品で二回観るのはむずかしいかな? ただなあ、精神科医としてはどうしても、アレとコレをナニするのはちょっと無理がありすぎ、的なツッコミは不可避だなあ」と書いてありました。「アレとコレをナニする」の意味が分かりませんけど、恐らく、認知症に関することでしょう。

 現実離れした話でも構わないんだけれども、あまりにも、、、なんつーか、“実はゼヴは宇宙人でした”と大差ないオチで、違う意味で衝撃的でした、、、ごーん。


◆オチを知ってみれば、ツッコミどころもなるほどと。

 ツッコミどころが色々あると書きましたけど、例えば、拳銃を使ったことがないはずのゼヴが、実に見事に人の腹と頭を打ちぬいて殺害しているシーンですかね。オチを知れば、なるほど、と分かりますけれど。

 あと、やはり、最大のツッコミは、マックスの企みは、念が入っているようで、かなり杜撰なこと。ゼヴがこの計画をやり遂げる保証はそもそもなく、途中でやーめた、になる可能性は低くない。

 マックスが何でこれをゼヴに何が何でもやらせようとするのか、というのは、見ている間、確かに疑問ではありました。自分が車いすで動き回れないから、ということだと解しましたが、なんつーか、結構図々しい爺ぃだな、と思っちゃいまして。人を顎で使っている、みたいな感じを受けたというか。、、、ま、実際、顎で使ってたってことですな、オチから見れば。

 監督は、アトム・エゴヤン。彼の作品は、『白い沈黙』しか見たことがなくて、しかも『白い沈黙』は、まあ悪くないけど、ちょっとなぁ、、、的な感じだったので、正直、あんまし期待はしていませんでした。でも、終盤までは本当に、なかなか見せてくれる展開だったので、「お、今回は結構イイかも!」なーんて思った直後に、あのオチだもの。やってくれるよ、エゴヤン。

 アイデアは面白いし、今という時代がこういう話(ナチの残党追跡)を描けるギリギリでもあるし、そういう意味では、エンタメ要素もありながら、存在意義もある作品に十分なり得たかも知れないのに。

 このオチを受け入れられる人と受け入れられない人の比率って、どんくらいなのかなぁ。受け入れられる人の方が多いのかな、、、。ちょっと興味ありますね。


◆その他モロモロ

 ブルーノ・ガンツが出演しているというのは知っていたので、どこで出てくるのかな? と思っていたら、ルディ・コランダーの1人目。結構、あっさりな出演でした。

 後ろで糸を引いていたマックスを演じたのは、マーティン・ランドー。大それた計画を立てた悪人、、、というわけではなく、マックスはマックスなりに葛藤はあったように感じました。その辺りの微妙な演技を巧みにされていました。

 そして何と言っても、本作を終盤まで緊張感を持って牽引してくれているのはクリストファー・プラマーです。もう、素晴らしい。危なっかしさと、強さを見事に両立させた演技です。途中、ピアノを弾くシーンがあるのですが、吹替えではなく(音は吹替えかも知れませんが)、実に流麗な演奏シーンを見せてくれています。鍵盤を叩く手も、手首が上がっていて、美しい。さすが、トラップ大佐、楽器はお手の物ですな。

 ちなみに、彼がピアノを弾くシーンは2回あり、最初は、メンデルスゾーン(ユダヤ人)、2回目はワーグナー(反ユダヤ主義者)。これはなかなか思わせぶりですよねぇ。メンデルスゾーンを華麗に弾きこなすゼヴを見て、ゼヴがユダヤ人だと観客は確信しちゃう。が、2回目のワーグナーで、え、、、?となる。これは、その後のセリフにも出てきますけれど。ま、エゴヤンの思惑にバッチリ私は引っ掛かった訳です。







トラップ大佐が認知症の爺さんに、、、。





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人間の値打ち(2013年)

2016-11-16 | 【に】



 イタリア・ミラノ郊外の豪邸に暮らすベルナスキ家の息子マッシミリアーノと、自分の一人娘セレーナが恋人関係にあるのを良いことに、しょぼい不動産屋のディーノは、ベルナスキ家の主で投資家のジョヴァンニに取り入り、自分も投資で一儲けしようと企む。

 もちろん、失敗し、借金で作った投資金はパー。

 ところが、どん詰まりだったディーノに格好の金儲け材料が転がり込んでくる。なんと、とあるひき逃げ死亡事件でマッシミリアーノが容疑者扱いされていたところ、真犯人を偶然知ったことで、マッシミリアーノの母親でベルナスキ夫人のカルラ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)に、真相を教えることの引き換えに大金を要求するという取引を持ち掛けるのだ。

 それだけではない。もともと、カルラをイイ女だと憧れていたディーノは、ディープキスまで要求するのである。ヤな男、、、。

 ディーノ、カルラ、セリーナの3人の視点から同じ事象を見る手法で描かれる。
 

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 ホントは別の映画を見る予定だったんだけど、ちょっと想定外のことが起きまして、終映間近な本作を見てみました。新聞の映画評で、格差社会のひずみをあぶり出す上質ミステリー、みたいなことが書いてあったので、そこそこ興味を持って見たのですが、あの映画評はかなり的外れだったんじゃないかと感じた次第。


◆格差社会、、、とはあまり関係ないような。

 アメリカの次期大統領がトランプ氏に決まり、メディアは社会の分断だの、格差が浮き彫りになっただの、、、イロイロ言っていますが、本作に描かれる3つの家庭の経済格差は、確かに大変なものがありますけれども、こういう設定は、何も現代の格差社会を反映したものなんかではゼンゼンなく、非常に古典的かつ類型的なものです。

 強いて、現代を反映しているというのなら、それはジョヴァンニが投資家として大金を得ている、という点でしょうか。以前なら、大きな会社の社長とか、大病院の院長とか、悪徳弁護士とか、政治家とかでしょ、金持ちの典型的職業は。

 でもって、金持ちの奥様は、贅沢三昧だけれど毎日に退屈している美しい有閑マダムで、当然、夫婦の関係は冷えている、、、って。ありきたり過ぎで、これのどこが上質ミステリー?

 おまけに、一攫千金を企むディーノの商売は不動産屋、離婚歴があって(妻に逃げられた)、娘は賢くてしっかり者、、、。ううむ、つまらん。

 なんかもう、序盤でちょっとガッカリ感が、、、。


◆金持ちのドラ息子がひき逃げ犯なのか?

 ただ、本作は、作りが3つのチャプターで構成されていて、一連の同じ出来事を違う目線で追い、また、それぞれのチャプター独自の描写も織り交ぜながら、コトの真相を描いて行くので、その作りはなかなか面白いし上手いな、と思いました。

 最後のチャプターが、セリーナの視点なんだけれど、これで、ひき逃げ事件の真相が分かります。ここには真相は書きませんけれども、私はちょっと、その成り行きには解せない部分もありますねぇ、、、。かなりムリがないか? と思っちゃう。

 結論だけ書くと、マッシミリアーノはひき逃げ犯ではありません。容疑者扱いされて、世間でさんざん両親も叩かれます。おまけにジョヴァンニは途中で投資に失敗し、それこそ家も土地も全ての資産を手放さなければならなくなるかもしれない危機に陥ります。そんな中で起きた息子のひき逃げ犯疑惑。金で解決できそうだと持ち掛けられても、ジョヴァンニは自分にとって1銭の得にもならないと見向きもしません。この辺が、金の亡者のドライさなんでしょうかねぇ。

 でも、マッシミリアーノの疑惑が晴れると、ジョヴァンニの賭けみたいな一発逆転投資が功を奏し、再び大富豪に返り咲き、大邸宅では贅を尽くしたパーティーが開かれる、、、というのがラストシーン。


◆人物造形も物語も類型的過ぎ

 その間、ずっと憂いの表情を浮かべているのがヴァレリア・ブルーニ・テデスキ演じるカルラです。

 本作の何がイマイチかって、登場人物に魅力的な人が、セリーナ以外誰もいないんですよねぇ。一番嫌悪感を催すのは、もちろんディーノですけど、カルラもなんだかなぁ、、、な人なんです。

 金持ちの奥さんで、ちょこっと不倫なんかもして、夫の稼いだ金で文化活動に精を出そうとしたりもするけど、どれも中途半端。

 こんな人生、つまらないだろうなぁ、、、と、見ていて思いましたねぇ。まあ、金があってもこういうのはいかがなものか、というキャラなんだから、私がそう感じたということは、作り手の狙いどおり、とも言えますが。

 金持ちの奥さんで、旦那が稼いだ金しか使えるお金がなくても、もっと人生楽しんでいる人もいるはずでしょ。別に不倫なんかしなくたって。

 でもって、しょぼい不動産屋の娘セリーナは魅力ある少女で、主体的に生きている、というキャラ。

 金持ちでもつまらん人生 VS 貧乏でも充実した主体的な人生、という掃いて捨てるほどありそうな物語。だから、こういう類型的な人物造形がイヤだなぁ、と思っちゃったんです。

 
◆その他モロモロ 
 
 ヴァレリア・ブルーニ・テデスキは相変わらず美しかったです。セリーナを演じたマティルデ・ジョリは、当時24歳くらい? 個性的な美人で、大胆に裸体を晒して、才能も度胸もある女優さんとお見受けしました。

 翻って、男性陣は、うーーーん、イマイチ。マッシミリアーノを演じたグリエルモ・ピネッリくんも、イケメンとは言い難い。イタリアにはイイ男がもっと一杯いると思うけれど、本作では見当たりませんでした、、、、ごーん。

 タイトルは、あまり深読みするほどの意味はないかと思いますね。最後に字幕で出た通り、保険の支払で算定される根拠=その人の値打ち、ってことでしょう。思わせぶりなタイトルをつけた本作自身の値打ちも、さほどのものではないように思えます。






地下(?)にプールのある家、住んでみたいですか?




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午前十時の映画祭7(『戦場のピアニスト』 2002年)

2016-11-12 | 映画雑感

 今年で7年目となる「午前十時の映画祭」。7年目にして、初めて足を運びました。

 というのも、どうしても『戦場のピアニスト』をスクリーンで見たかったから。公開中に見に行かなかったことをこれほど後悔した作品はありません、、、。

 毎年、上映作品が発表されるとチェックはしていたのですが、何が何でもスクリーンで見たい!! と思う作品は、、、まあ、なかったんですよねぇ。

 見たいなぁ、くらいならたくさんあったんですよ、もちろん。特に、昨年だったかな、、、『ダーティハリー』や『リトル・ダンサー』が上映されたときは、かなり行きたかったんですけれども、平日の午前10時なんてほとんどムリだし……。とにかく自分でも呆れるほどの出不精で、週末は人と約束していなければ(orチケットをとっているとか、予約している何かがあるとかでなければ)出掛けない主義で、自宅でダラダラするのが至上の悦び、というグータラ人間のため、「是が非でも見たい!」という強烈な思いがなくて行動に移せないで来たのです。

 でも、今年は、上映作品の発表があった2月だったか3月から、11月が来るのを指折り数えて待っていたのです。それはもちろん、『戦場のピアニスト』が上映されるから。

 作品自体の感想は、前の記事で書きましたので、ここでは重複はやめておきますが、やっぱりスクリーンで見るのはゼンゼン違いますね、作品から伝わってくるパワーが、、、。まあ、当たり前なんですけれども。

 劇場は100席弱でしたが、8割がた埋まっていましたね。1日1回の上映、本作は幸いなことに1か月間(2週毎劇場入れ替え)上映してくれていますので、通常の2週間よりは行くことが出来る日が多くなって嬉しい限りです。

 DVDで見た時も、かなり衝撃を受けて、胸に迫りましたが、今回劇場で見て、もう息をするのも忘れそうになるくらいスクリーンに吸い込まれそうになっていました、2時間半ずっと。

 どうしてもスクリーンで見たい作品は、他には『アンダーグラウンド』と『鳩の翼』くらいかなぁ、、、。『アンダーグラウンド』は、もう2回劇場で見ているけど、やっぱり何度見ても飽きないし、あの迫力はスクリーンで見てなんぼ、という気がします。『鳩の翼』は公開時に見に行っているけど、やっぱりもう一度スクリーンで見たいです。でも、どちらも、ちょっと、午前十時プロジェクトには選ばれそうにないような、、、。

 『戦場のピアニスト』とカップリングされているのが、なんとあの『モンパルナスの灯』。ジェラール・フィリップ教の信者としては、こちらも逃し難い。あの美しい姿を大スクリーンで拝みたい。

 ああ、でも、『戦場のピアニスト』は今度いつまたスクリーンで見られるか分かったものではないので、あと2回くらい見に行っちゃうかも。というか、少なくとも、後1回はもう行く予定なのだ! ゼンゼン出掛けるのが苦痛じゃないって、我ながら凄いと思う。自分にとってそんな凄い作品と出会えたなんて、幸せだ。





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奇蹟がくれた数式(2016年)

2016-11-11 | 【き】



 19世紀末、南インドに突如現れた、天才数学者ラマヌジャン(デヴ・パテル)と、彼を“発掘”し、その偉業を支えた英国ケンブリッジ大学のハーディ(ジェレミー・アイアンズ)の物語。

 昨年の『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』に続き、再び天才数学者にスポットライトを当てた映画の上梓。もしかして天才数学者ブーム?
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 非常に魅惑的な数学者、ラマヌジャンの半生を映画化、しかもハーディをアイアンズが演じるってことで、勝手に期待値が上がっていたらしく、見終わっての正直な気持ちは、ガックシ、、、という感じでござんした。


◆ただでさえ天才数学者を描くのは難しい

 もう、本作は脚本の失敗、これに尽きると思います。あれがあってこれがあって、32歳で病気で死にました、っていう脚本。

 本作を見終わって、ラマヌジャンはどういう人だったのか、彼の何がそんなに凄かったのか、、、見た人は分かるでしょうか? 分からないと思いますね。分かったことは、彼が厳しいヒンドゥー教の戒律を守って異国の地で苦労し、周囲の差別・偏見も加わりストレスが溜まって病気になった、、、ことくらいではないでしょうか?

 ただまあ、これは“天才数学者”を描く宿命でもあります。一般の観客に、彼の発見した公式の凄さなんて、数学的な説明をしたって分かりません。だから、ついセリフで「これは凄い」とか周囲の登場人物に言わせるという安易な手法を選択してしまう。本作は、見事にそこに嵌ってしまったと感じます。

 ハーディがラマヌジャンの“証明の必要性を理解できていない”というところに気付いた後は、ラマヌジャンの発見した公式の証明に精力を注いだという肝心の話が抜けているのも致命的。本作では、ハーディがひたすらラマヌジャンに証明の重要性を説いているだけで、それでは、ラマヌジャンの凄さが伝わらないのも無理はないかと、、、。

 その、ラマヌジャンの数学者としての特異体質を伝えるためには、やはり、彼の生い立ちを多少なりとも描くべきだったと思います。港湾事務所の会計士からいきなり話が始まっているので、唐突感が否めない。


◆ラマヌジャンを映画にする無謀さ

 というか、そもそも、このような特異な天才を描こうとしたことが無謀だったのかもという気もします。

 大体、ラマヌジャンという人は、後世の数学者たちも「何でこんな公式を発見できたのか?」と、彼の思考回路がまったく想像できない、そういう、ある意味、人間離れした頭脳の持ち主な訳です。大抵の公式は、ある程度の必要性に迫られて、必然性から発見されているわけですが、ラマヌジャンの発見した公式は、何に使えるかもさっぱり分からない、ただただそこに誰も見たことのない数式が提示されているのです。前後の脈絡がないのです。

 そんな人を、映画にしようとした時点で、こうなる運命だったのかも。だって、本作にもありましたが、実際にラマヌジャン自身「神が降りて来て教えてくれた」と言っているくらいなのです、、、、。

 ラマヌジャンの実母との関係、若い妻との関係も描かれていて、こちらの方が、ラマヌジャン自身の葛藤よりは分かりやすいかもです。実母の息子への執着ぶりと、いわゆる嫁姑の葛藤、夫婦が離れ離れでいることの葛藤、、、誰もが想像しやすいことですからね。

 同じ、天才数学者を描いた『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』は、同じく、数学的な説明がないのにもかかわらず、チューリングの天才ぶりが本作よりは伝わるように描かれていたと思います。

 ただ、チューリングは、「エニグマの解読」という国家レベルの必然性に迫られ、苦悩の果てに解読した、という分かりやすいストーリーがあるので、ラマヌジャンを描くよりは大分シナリオも書き易いでしょう。もちろん、『イミテーション・ゲーム~』のシナリオも困難を極めたことは容易に想像できますが。

 それくらい、ラマヌジャンは、その存在が不思議な人なのです。

 ハーディは、ラマヌジャンの「神が降りて来て教えてくれた」という説明には懐疑的で、ラマヌジャンの発想の柔軟性にその真実を求めているらしいですが、私としては、ラマヌジャンはやはり、空から降りてきた、神が遣わした天才、と思った方が腑に落ちます。

 でも、そんなこと、映画で描いたら、オカルト映画か、とんでもないB級映画になってしまいかねない。やはり、映画が手を出すには、あまりにも人間離れした人物、それがラマヌジャンなのではないかという気がします。


◆美しさの探究
 
 『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』の感想文にも書いたけれど、ラマヌジャンを知ったのも、テレビ番組「天才の栄光と挫折~数学者列伝~」でした。

 その中の、講師の藤原正彦氏の話で忘れられないことがあります。

 藤原先生が、ラマヌジャンの故郷の寺院を訪ねた時、その建物のもつ様式美に魅せられたのだとか。このように美しいものに日常的に接していたラマヌジャンには、美に対する意識が、知らないうちに形成されていたのかも知れないと。

 数学者は、その数式に“美しさ”を求めるのだとか。これは、物理学者も似たようなことを言っているのを聞いたことがあるので、多分、そうなのでしょう。公式の美しさ。正しさには美しさが必ず伴うものだ、という彼らの美意識。

 ラマヌジャンのノートに書き残された膨大な数式は、どれも、実に“美しい”のだそうです。

 藤原先生は、天才は、美しさのあるところからしか生まれない、というようなことを言っていましたが、それはある意味、そのとおりかも、、、と思いました。美しさの定義は難しいけれども、“美”の探究心がないところに、素晴らしい発想や創造性は生まれ得ない、という気がしたのです。

 そういう意味では、本作に描かれたラマヌジャンの故郷の風景や建物、留学したケンブリッジの中庭や中世からの建物が、非常に美しかったのが印象的です。
 






J.アイアンズの実年齢以上の老け様が哀しい。




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誰も守ってくれない(2008年)

2016-11-08 | 【た】



 船村沙織(志田未来)の18歳の兄が近所の幼い姉妹を殺害し逮捕された。中学3年生(15歳)の沙織は学校から事情を知らされ帰宅させられる。

 自宅には警察やら役所やらの人たちが大勢詰め掛け、せわしなく沙織の両親らに諸々の手続きをさせる一方、外にはマスコミが押し掛けており、加害者家族といえども負担が大きすぎることから家族らを分散させて警察が保護することとなる。

 過去の事件でトラウマを抱える刑事・勝浦(佐藤浩市)は沙織の保護を担当することに。しかし、避難しようとしても、どこまでもマスコミが追って来る。こうして、勝浦と沙織の、さながら逃避行の避難の日々が始まるのだが、、、。

 、、、出ました、トラウマ刑事!! いい加減、この設定、やめたら?

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 借りるDVD間違えました、『誰も知らない』と。オープニングから、???状態だったけど、勢いで最後まで見ちゃいました。


◆佐藤浩市は仕事を選んだ方が良いと思う。

 また佐藤浩市かぁ、、、。仕事を選ばない人なのね、彼。なんか、この手の映画に必ず出ているような。あんまりイロイロ出ているから、どの映画がどれだったか、混乱しそう。

 本作は、刑事モノ、というわけでもないけれども、刑事が主役のハナシって、大抵その刑事が何かトラウマ抱えているんですよねぇ。過去の事件の失敗とか、自分の家族死なせちゃったとか、親も刑事で殉職しているとか、、、。こういうのって、必要?

 たまたま最近、Eテレの「100分de名著」で、アドラーの「人生の意味の心理学」について見ていたんだけど、アドラー先生曰く、トラウマなんてないらしいよ。トラウマってのは、その人が目的を持ってその事象に拘り続けているだけ、らしい。

 別にアドラー教の信者じゃないので(共感する部分も多々あるけど)、そこまでは思わないにしても、トラウマなんてものすごく安っぽいスパイスはいらんと思う。そういう手垢のついた、誰でも思いつきそうな設定は、そろそろやめたらいかがでしょう。見ている方は、「また虎馬かよ、、、」としか思いません。

 でもって、そういう役を演じるのが、見飽きた(と言っちゃ失礼ですが)佐藤浩市。何か、苦悩の表情を浮かべています、ずっと。どの作品でも、こういう感じの映画では同じですよねぇ、彼。別に彼のファンではないので、どーでもよいといえばどーでもよいのですが、もう少しお仕事選んだ方が良いと思います、彼ほどのキャリアの人は。でないと、小百合さんとか、キムタクとかのように、“何の役をやっても佐藤浩市”になっちゃうよ、、、。もうなっている気もするが、、、。


◆警察が表に出せない仕事しているのは当たり前。

 本作で、一番違和感を覚えたのは、“警察が税金を使って加害者家族を保護するなんてけしからん!”という描写です。

 けしからんと思う人、どれくらいいるのかなぁ。私は、アリだと思うし、むしろそれは警察以外にできる人がいないのではないかと思うんですけれども。

 冒頭のテロップ「警察はそれ(加害者家族の保護)を認めていない」(正確じゃないです)からして違和感あります。認めちゃいないかもしれないけど、そんなのやっててもおかしくないだろ、と思うし、警察のお仕事で表に出せないことなんてほかにもゴマンとあるはずでしょう。

 どうして“けしからん”なんていう描写がされるのか。

 それは、佐々木蔵之介演ずるところの新聞記者のセリフ「加害者の家族が制裁うけてトーゼンだろ!!」に集約されているのでしょうかねぇ。「被害者は守ってくれなかったくせに、加害者(家族)は守るのか?」って、、、。

 しかも、本作の意地の悪いところは、実は沙織は兄が犯人であることを、犯行当時から知っていた、とラストで明かすんですよねぇ。これで、ますます「加害者家族だからって犯罪者じゃないと言えねーだろ」と言いたげな。ある意味、家族も共犯だろう、と。

 監督・脚本の君塚良一氏が、どういう意図でこのシナリオを書いたのか分からないけど、、、。未見ですが、『藁の楯』と、趣旨は同じですかね。何で警察が悪いことしたヤツ守ってんだよ、という、、、。本作は、家族ですけれども。

 法治国家なんで、そんなの愚問過ぎて答えようがありません、よねぇ。


◆これを見た現職刑事は何を思う……?

 でもまあ、軽いサスペンスだと思って見れば、そこそこ見ている間は楽しめると思います。ネット社会の恐ろしさとかも一応描いていて、どんどん加害者家族の身元が明かされていく過程などは、リアルにありそうなことだし。

 ただまあ、本作があくまでもシリアス系の真面目なサスペンスを目指して作られたものだとすれば、やっぱりこれはイタいと言わざるを得ないよなぁ。

 本作は、既に一部でイロイロとかなり批判されているようなので(あまりそちらを詳しくは読んでいませんが)、ここでは、ツッコミどころをいちいち書くのは控えました。

 ちなみに、私は、設定上の大きなウソはゼンゼン構わないと思います。よろしくないのは、細かなウソ。細かなウソってのは、リサーチ不足や制作サイドの不勉強が原因であることがほとんどだと思うけど、そういうのは実に白けます。どんな世界を描いたフィクションであれ、観客の中には必ずその筋のプロがいることを肝に銘じ、映画を作ることに謙虚であって欲しい、とは思います。

 そういう意味じゃ、警察官は、必ず組織的に動きますので、勝浦の様に、上の了解もなく、自宅に被保護者を連れ込んだり、ペンションに連れて行ったり、ってことは、まぁ、ないんじゃないですかね、、、。これ以上は野暮になるので書きませんが。


◆その他モロモロ

 皆さん熱演だったけど、意外にも、一番印象的だったのは柳葉敏郎ですねぇ。通り魔に息子を殺された、という犯罪被害者の家族を好演していたと思います。

 木村佳乃の役は、イマイチ存在意義が不明。佐々木蔵之介と東貴博も。佐々木蔵之介には、あのセリフを言わせたかったんですかねぇ、、、? だとしても新聞記者である必要なくない?

 見て後悔する、ってほどじゃないけど、やっぱりDVD間違えたのは痛かったな、と感じる程度にはイケてない映画です。

 






背筋が凍るねぇ、、、。




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高校生心中 純愛(1971年)

2016-11-05 | 【こ】



 高校生で同じクラスの丘谷由夫(篠田三郎)と宇野洋子(関根恵子)は、下校時に一緒にカレーを食べに行ったり、映画を見に行く約束をしたりするプラトニックな仲。

 由夫は優秀で、父親は警察官の公務員家庭だが、兄が左翼運動に傾倒し大学を中退したことで、家の中は荒れているらしい。洋子は宇野建設の“社長令嬢”(死語?)で、父親(加藤武)はいかにも成り上がり者、母親は「ざあます」おばさま、兄に至っては何者か分からないけど鼻持ちならない嫌味男と、典型的成金家庭。

 ある日、由夫の兄が父親と揉めて、はずみで父親を刺し殺してしまう。そのショックで母親も数日後に病死する。これで由夫の運命は一変、高校を辞めて、兄の裁判費用を稼ぐために父親の地元で(?)働くことに。が、由夫と離れたくない洋子が着いてきてしまう。帰るように諭す由夫だが、洋子は聞かない。

 ここから2人の“清い”共同生活が始まるが、、、。
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 ……篠田三郎の若い頃の作品が見たかっただけです、ハイ。


◆タロウ=篠田三郎

 今年は、ウルトラマンシリーズ放映開始50周年だそうで。7月ごろに、NHKのBSで3時間の特番やってまして、そこで、「あなたが選んだウルトラマン・シリーズ」という、ファンが選んだベスト10作品を毎週1本ずつ放映するということが発表されました。

 そのうちの1本が、タロウの第34話「ウルトラ6兄弟最後の日!」だったんですが、私、タロウをリアルタイムでか再放送でか覚えていませんがよく見ていて、それは、なんつっても篠田三郎が好きだったからであります。今回の企画は、懐かしかったんで10本全部録画しましたが、タロウ版だけ何度も見てしまいました(残りの9本は録画したけどまだ見ていない)。

 ううむ、やっぱし、篠田三郎、カッコイイ。というより、好青年ですね。73年放映だそうなので、当時25歳くらいですが、だいぶ若く見えます。屈託のない、笑顔のさわやかなお兄さん! という感じ。ま、幼かった私はそこにイカレてたわけですが。

 タロウの設定では、篠田三郎演じる東光太郎はどこか知り合いの家に下宿していることになっていて、普通の家の部屋で下宿先の家族とワイワイやっているシーンとかも結構あったんですよ。そういうシーンを見ては「いいなぁ、、、あんなカッコエエお兄さんが家にもいてくれたらなぁ、、、」とマジメに思っていたのが懐かしい、、、。

 今見たら、光太郎は24時間、赤と青の隊服を着ているわけですが、あんなの着ている男が家の中をうろついてたらウザすぎ、、、と思っちゃいました。ああ、そんな自分が哀しい。

 で、そんな爽やか三郎を見ていたら、若かりし日の映画が見たくなり、『高校生ブルース』と本作とどっちか迷ったんですが、とりあえず本作から見てみました。


◆死ぬ必要ないでしょ! と言いたい。 

 オハナシとしては、ちょっと??な部分も多くて、イマイチですが、まあ、当時左前だった大映ではありますが、いかにも大映な作品という感じですかねぇ。結構堪能できます。

 頭は良くて優等生だが家に問題がある青年と、成金のお嬢という、問題の多いカップル。あれがあり、これがありしながら、2人は気持ちを通わせていくけれど、回りの大人たちは、み~んな敵。ああ、もう私たち、世界に2人きり! 離れない!

 とまあ、ここまでの展開は、まだ分かる。分からないのは、直前まで洋子に「一緒に生きよう」と熱く語っていた由夫が、数分後に、いきなり「一緒に死のう」と言っていること。、、、え゛、何で? 死ぬ必要ある? と、かなりムリな展開に。

 洋子を演じる関根恵子の拙いオーバーアクションが、まあ、可愛くもあるけど、途中からはウンザリしてきて見ていられない、、、。そこへ行くと、篠田三郎は、なかなかの達者ぶりです。

 ついに結ばれるシーンは、まあまあキレイだし、真面目に撮っていると思います。

 見どころとしては、関根恵子の弾ける若さと、若い2人の短絡的な恋路の行方、、、ですかね。タイトルからしてネタバレなんで、2人の先行きが分かっちゃうってのがちょっとね。実際、心中しちゃうシーンは描かれていませんけれど。

 死に向かう2人の「あそこのカレー、ホント辛かったわ!」「ホント、辛かったなぁ!」とか、由夫が雪を掬って洋子に食べさせるシーンとか、すごく明るいのですね。そこはちょっと切なさを覚えます。そのまま、心中なんかやめて、どこかで一緒にお暮しよ、と言いたいなぁ、オバサンとしては。


◆今はなき“尊属殺”

 由夫の兄が実父を殺してしまったことで、尊属殺人となり、兄は死刑を宣告されます。尊属殺が廃止されたのは、この後なんですねぇ。

 親殺しは、普通の殺人より罪が重いなんて、、、。昨今の世の中を見ていると、尊属殺が憲法違反ってのは、誰もが納得するところかも知れません。

 まあ、本作での由夫の父は、殺されても仕方ないという親ではありませんし、明らかに兄に非があります。そもそも、殺されても仕方がない親、という定義もいかがなものかと思いますし、殺されても仕方がない人、なんて、軽々に判断できるものじゃ当然ありません。

 でも、尊属殺が違憲と最高裁で判断されることになった殺人事件の経緯を知ると、その事件の被害者である父親は、まさに“殺されても仕方がない親”と認定されるのも無理からぬ所業で、どんなホラー小説や映画より、よほどおぞましい事件です。こんな犠牲を払う人が出なければ、理不尽な罪が見直されることがなかったというのもまた、恐ろしいことです。

 本作とは直接関係ないけど、ちょっと思い出してしまったので。





ウルトラシリーズのOP曲で一番好きなのもタロウ




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