映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

コーカサスの虜(1996年)

2020-01-31 | 【こ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv29912/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 チェチェン紛争下のロシア。ロシア軍に徴兵されたワーニャ(セルゲイ・ボドロフ・ジュニア)は初めての戦闘で、チェチェン側の待ち伏せに遭い、同行していた皮肉屋の准尉サーシャ(オレーグ・メンシコフ)と共に捕虜となった。

 ロシア軍の捕虜になった息子と交換するため、彼らを買ったのがアブドゥル・ムラット(ドジュマール・シハルリジェ)。足枷を除けば待遇もいい二人は、暇にまかせて戦争や人生について語り合い、見張り役のハッサン(アレクサンドル・ブレエフ)やアブドゥルの娘ジーナ(スザンナ・マフラリエワ)とも打ち解け、ワーニャと彼女の間には淡い恋心さえ生まれる。

 だが村人の中には二人に反感を持つ者もいて、二人は銃撃される。自分の息子のことしか頭にないと村人に非難されたアブドゥルは焦ってロシア軍駐屯地へ赴くが、すでに多くの死者や行方不明者を出している司令部は梨のつぶてだ。アブドゥルは二人に母親宛ての手紙を書かせる。手紙を受け取ったワーニャの母(ヴァレンチナ・フェドトヴァ)はロシア軍の大佐(アレクサンドル・ジャルコフ)に掛け合うが埒があかない。

 二人は脱走を企て、サーシャは途中でハッサンと羊飼いを殺す。だが脱走は失敗、サーシャは殺され、ワーニャは穴倉の中へ放り込まれる。

 その頃ロシア軍駐屯地では、息子がロシア側に寝返った老人が司令部に乱入、息子を射殺し、捕虜だったアブドゥルの息子までロシア側の流れ弾で命を落とす。もはや捕虜交換は成立しない。

 ジーナはワーニャの哀願に負けて父には内緒で足枷の鍵を外した。だが脱走直前でアブドゥルは異常に気づく。彼はワーニャを殺しに山へ連れていくが、わざと弾丸をよそに撃って立ち去った。自由になり山を降りて自軍に向かうワーニャの頭上を、爆撃の装備を固めたロシア軍のヘリが通り過ぎた……。

=====ここまで。

 トルストイの小説『コーカサスの虜』の設定を、現代のチェチェン紛争に置き換えて映画化。ロシアとカザフスタンの制作。
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 コーカサスってどこだか正確にご存じですか? 私は、何となくあの辺、、、くらいにしか認識しておらず、今回、ネットの地図で初めてきちんとその場所を確かめました。それに、チェチェン紛争など、ニュースで見聞きするくらいで背景も実態もほとんど無知に等しいのだけれども、本作は、チェチェンでの撮影が出来ず(紛争中につき)、隣接するダゲスタンの山岳地で撮影されたんだとか。

 ……という予備知識の乏しさで見たけれど、それでも十分に堪能できる、素朴で味わい深い映画でした。


◆スクリーンで見たい!

 本作は、静かなる反戦映画である。戦闘シーンはなく、銃撃や爆撃シーンもない。どちらかというと、戦争を背景にしているのに牧歌的でさえある。しかし、見終わってみると、じわじわとそのシビアさが沁みてくるのである。こんな映画、あんまりないだろう。

 捕虜になった2人と、村人たちは、決して仲良くなりはしない。飽くまでも、ロシア人VS村人の構造は崩さないけれども、触れ合いつつ、触れ合いすぎず。この辺の描写が、朴訥とした語り口なんだけれど、非常に魅せられるのだ。背景の荒涼とした山岳地帯とか、荷を負わされ尻を叩かれ働かされているロバとか、民族衣装を着た村の人たちとか、、、それらを2人の捕虜たちの視線で捉えている映像が、下手なセリフよりよぼと説得力がある。

 アブドゥルも、2人の捕虜を息子を奪還するための道具にしているんだが、ドライになりきれない。その娘のジーナは、2人の世話をしているうちに、ワーニャと何となく心を通わせるようになる。

 そうはいっても、捕虜は捕虜で、一つ間違えば命の保証はない。だから、2人は逃げ出すことをしょっちゅう考えるし、逃げおおせたらどうするかなど話している。ある晩などは、捉えられている小屋の壁を蹴破って脱走しようとするが、壁の向こうが酒蔵だったため、脱走は中止して飲んだくれる2人。そこに、見張りのハッサンもやって来て、皆で酒盛り、、、なんていうシーンもある。

 しかし、2人の見張り番であるハッサンが何故しゃべらないか、、、という理由が分かるシーンなどは、淡々としているが非常に恐ろしい背景があってゾッとなる。この地域とロシアの対立の根深さを改めて知らされる。

 ……という具合に、戦争と人々の暮らしや心情が縦糸と横糸になって丁寧に紡がれており、実に色彩豊かな作品になっている。公開時にスクリーンで見たかったなぁ。ロシア映画特集とかの企画で上映してくれないかな。


◆セルゲイ・ボドロフ・ジュニア

 ワーニャを演じる若い兵士のセルゲイ・ボドロフ・ジュニア、どっかで見た顔だなぁ、、、と思いながらずーっと見ていた。サーシャのオレグ・メンシコフは、どっかで聞いた名前だなぁ、、、と思って、途中で、『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』でサンドリーヌ・ボネールの夫だった人だ!と気付いた。

 で、セルゲイ・ボドロフ・ジュニアも、『イースト/ウエスト~』に出ていたのだと後で調べて分かり、ああ、あの海を泳いで渡った青年か!!と思い出した。……というか、何で気付かなかったのか、私。あの映画、大好きなのに。

 しかも、その後、2002年に北オセチア共和国のコバン渓谷で起きた氷河崩壊に巻き込まれて亡くなっているという。遺体は見つからずに、捜索が打ち切られたとのこと。ゼンゼン知らなかった。何ということ……。氷河が崩壊するなんてことがあるとは。しかも、この地域では何度も氷河崩壊が起きているらしい。氷河はゆっくり、しかし突然崩壊するのだそうだ。恐ろしい、、、。

 オレグ・メンシコフはやはり素晴らしい役者だ。前述の飲んだくれて脱走未遂に終わったシーンでは、その後、見張りのハッサンに罰ゲーム(?)でワーニャと一緒に踊らされているんだが、そのシーンがとてもイイ。サーシャはボリショイ劇場にも出演する自称「才能ある俳優」なんだが、まあ、確かにオレグが演じると説得力がある。酔っ払いの踊りなんだけど、サマになっている。一緒に足枷をはめられているから、一緒に踊らざるを得ないワーニャのぎこちない動きもご愛敬だ。

 終盤、村人のおじ(い)さんが、ロシア人の駐屯地を訪れると、自分の息子をいきなり銃で撃ち殺すシーンがあって、心臓が止まりそうになるくらい驚いた。このおじいさんには3人の息子がいたんだが、2人はロシアとの戦争で死んでおり、三男は何とロシア方に付いてしまった。それに耐えられなくなったおじいさんは、みずから三男を殺したのだ。

 本作全体を覆っていた牧歌的な雰囲気は終盤で一変し、見ている者の緊張が一気に高まる。結局、サーシャも終盤に命を落とし、ワーニャだけが生還する。けれども、そのワーニャが見た光景と、生還して後に知ったことがラストで描かれ、見ている者の心にトドメを刺される。

 セルゲイ・ボドロフ・ジュニアの実人生でのその後と、このラストシーンが共鳴し、胸が苦しくなる。そして、戦争映画は、やはり見終わって苦しくあるべきだ、と思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

コーカサス、行ってみたくなった(けど、多分ムリだろう、、、)。

 

 

 

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ジョジョ・ラビット(2019年)

2020-01-26 | 【し】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68563/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 第二次世界大戦下のドイツに暮らす10歳のジョジョは、立派な兵士になるため、空想上の友達であるアドルフの助けを借りながら、青少年集団ヒトラーユーゲントで奮闘する日々を送っていた。

 しかし、訓練中にウサギを殺すことができず、教官から“ジョジョ・ラビット”というあだ名をつけられ馬鹿にされてしまう。

 そんなある時、自宅の壁裏で母親が匿っていたユダヤ人の少女エルサと出会う。

=====ここまで。

 オスカー本命とも言われているらしい(?)ナチ映画。
 

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 本作の予告編、昨年、一体何度劇場で見せられたことやら、、、。もう、それだけでお腹一杯、って感じだったし、正直なところ、これは私には合わない系だろうな、、、という予感があったので、見ない方がよさそう、とも思っていた。

 ……が、しかし、普段はアカデミー賞なんて、、、とわざとらしく冷笑しているくせに、それに関するニュースやらを耳にすると気になって、一応チェックしてしまうという小市民っぷりが毎度のコトながら自分でも呆れる。というか、予告編を何度も見せられていたから、アレってそんなに評判ええの??マジで???みたいになって、んじゃ一応見ておかねばなるまいね、、、となったわけです。

 でもって、私の予告編を見た第一印象は、まぁ、おおむね当たっていたというわけでした、、、ごーん。


◆つまずいて、転んで、起き上がれずに終わる。

 最初に言い訳をしておくと、……いや、面白かったんですよ、ホントに。アイデアも、シナリオも、映像も、美術も、音楽も、もちろん役者も演技も演出も、どれをとっても皆とても良いと思う。

 序盤、ジョジョがウサギを殺せずに弱虫と言われて落ち込んでいるところへ現れる脳内キャラ・アドルフ。アドルフに励まされて、手榴弾持ってジャ~ンプ!なんてのは、非常に可愛いし、直後に手榴弾が爆発し、、、なんてアイロニカルでもあり、その後の展開に期待が持てそうな描写だ。

 実際、その後、スカヨハ演ずるフシギ系ママが現れ、壁にはユダヤ人の超美少女が隠れていて、何かというとジョジョの前にアドルフが現れ、若干中だるみな感じもあるものの、ファンタジーに傾きそうなところをギリギリの線でシビアさを保ちつつ、絶妙なバランスで最後まで突っ走る。……うん、おもろい。

 ……なんだけれども。私は、早い段階から“おいてけぼり”を喰っていたのである。合コンで、みんな盛り上がってるのに、自分一人だけ乗り遅れた感じ。

 それは、なぜ、ジョジョの脳内キャラ、心の友がアドルフなのか、、、ということに引っ掛かったのだ。そこでつまずいて、復活できなかった。

 ヒトラー・ユーゲントの合宿に行って感化されたのなら分かる。でもそうじゃない。ジョジョはそもそもハイル・ヒトラーなガキなのだ。それは別にいいんだけど、問題は、母親がアンチ・ナチスのレジスタンスだってこと。この母親に育てられた子供が、ハイル・ヒトラーになるだろうか、、、??というのがつまずいた原因だ。

 しかし、まあ、母親は息子の身の安全を考えて、敢えて、自分の思想は子供に影響しないように家の中では封印していたのだろうな、、、と自分で勝手に納得し、なんとか着いていこうとした。

 なのに、今度は壁の中の美少女エルサの登場だ。エルサは母親がこっそり匿っていたわけだが、ハイル・ヒトラーなジョジョにとっては憎悪すべきユダヤ人である。ここで、私はまたまたつまずいた。何で美少女? 何でオバサンとかオッサンじゃないの? いや少女でも良いけど、何で美少女?

 そりゃね、美少女の方が映画なんだからストーリー的にも絵的にも良いのは分かる。しかし、それじゃぁ少年の心の成長を描くにはいささかズルいよね、設定として。……というのが捻くれているのは自覚しております。でもさ、美少女ってだけで、少年にとってはパンチが効きすぎだと思うわけよ。

 私の甥っ子が幼稚園児だった頃、親の仕事でアメリカにいたんだが、現地の幼稚園に通っていた4歳の甥っ子は、自宅で幼稚園での話をする際に、数人の決まった女の子の名前が出てきたんだとか。で、ある日、親が幼稚園での写真を見て、甥っ子がよく口にする名前の女の子をチェックしたところ、例外なく皆美少女だった、、、ってことに、甥っ子の母親である私の姉は爆笑していたのをよく覚えている。4歳にして、、、である。

 ……つまりそーゆーことなわけよ、男(の子)にとって美少女ってのは。だから、ジョジョの成長譚を描きたいんなら、エルサが美少女ってのは設定に瑕疵があるってことだわね。案の定、初恋物語にラストはなっているし。

 まあ、あんましこういうことを気にしすぎない方が、こういう映画は楽しめることは頭では分かっているのだが、どうしても屈折した心はなかなかまっすぐにならないのです。


◆受け容れ難い“軽さ”

 ネットで感想を拾い読みしたら、概ね絶賛されていた。ま、そーだよね、そりゃ。

 本作はナチ映画というジャンルにしてよいと思うが、ナチ映画というと、my Best5に入る『戦場のピアニスト』が私にはあまりに重すぎて、本作のようなテイストが素直に受け容れられないという、個人的な事情は大きいと思う。あの衝撃を思うと、本作のノリはどうしても“軽い”と感じてしまう。ナチスを重く扱わなければいけないなんて決まりはないし、重く扱うべきだとも思っていないが、この軽さには違和感を禁じ得ないのも事実。

 もう一つ引っ掛かっていたのが、なぜ今、ナチの寓話なんだ?ってことだった。先日見た秀作『テルアビブ・オン・ファイア』(2018)のように、パレスチナでもよかったじゃないか。……と、思っていたら、同じことを考えて書いている方がいらして、しかもその方は私のモヤモヤをもっとクリアに言語化していたので、それを拝読し、少し私のモヤモヤも晴れたのだった。

 まあ、意地悪なことを言えば、ユダヤ人である監督としては、ユダヤ人が加害者の立場になるものはつくりにくいだろうしね。ましてや、アメリカ資本じゃ、ほぼ不可能だろう。ユダヤ人クリエイターが、ナチスを寓話として扱う以上は、やっぱりイスラエルのことは常に念頭に置いてほしいよね。加害者と被害者というのは簡単に入れ替わるものなんだ、という視点というか、自戒は常に持っていて欲しい。

 あと、終盤のサム・ロックウェル演ずるキャプテンKとジョジョのシーンが、本作を少し安っぽいものにした感も否めない。キャプテンK、実はイイ人でした、、、というオチは、分かりやすいけどクサいしつまらん。このシーンで一気に寓話度が上がってしまい、より軽さを感じた気がする。


◆その他もろもろ

 ……というようなことを感じたとしても、ジョジョを演じたローマン・グリフィン・デイビス君は上手いし、スカヨハは好演していたし、監督本人が演じたアドルフも戯画化されていて笑ってしまった。

 サム・ロックウェルは、ああいう、ちょっといい加減なキャラが実に合う。『スリー・ビルボード』での役とキャラが被る。ゲシュタポの大尉を演じていたスティーブン・マーチャントも面白かった。間の取り方とか、さすがコメディ出身だけあって絶妙。上手い。

 でも、一番印象に残ったのは、ヒトラー・ユーゲントの教官ミス・ラームを演じたレベル・ウィルソン。スクリーンに現れるだけでインパクトあり過ぎ。序盤のシーンで、少女たちに、「女は子供を産むこと(が役割)!」みたいなことを大声で叫んでいるんだが、まったく、これぞ戦争……って感じでウゲゲ、、、であった。

 エルサのトーマシン・マッケンジーちゃんもすごい美少女で、本作でブレイクするかもねぇ、、、。あと、ジョジョの親友ヨーキーを演じたアーチー・イエイツ君も要チェック!

 一応、パンフを買って読んだんだが、その中でデイビス君とトーマシンちゃんの対談が載っていて、なんともまぁ、大人顔負けの生意気っぷりで、少々興醒めだった。知ったようなことを言うマセガキはあんまし好きじゃない。

 


 

 

 

 

あの後、ジョジョはどうやって生きていくのだろうか、、、。

 

 

 

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パラサイト 半地下の家族(2019年)

2020-01-21 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68173/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。

 “半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。 
 
 「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった??。

 パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく??。

=====ここまで。

 昨年のパルムドール受賞作。作品賞でのオスカーゲットも現実になるか?!
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 公開前から話題沸騰の本作。もう既に、あちこちで批評・レヴューが溢れている上、監督もネタバレ厳禁!と言っているらしいので、なるべく本作の核心には触れずに、感想(?)を書こうと思います。


◆半地下のユーウツ

 貧乏=半地下、金持ち=高台、、、ってものすごい分かりやすい舞台設定で、思わず笑ってしまった。

 まぁ、でも、普通、建物を建てる際に、地面を掘る(地下を作る)のはそれだけで工費がグンと上がってしまうものなんだが。韓国では違うのかな。よく分からないけど、日本じゃ地下掘ってあるマンション(に限らないが)は割高になります。

 ちなみに、私の知り合いで小金持ちな方がおりまして、老朽化した自宅を建て替えた際に地下を掘って、それこそ半地下を作り、そこをホームシアターになさいました。半地下というより、天井近くに辛うじて窓があるという感じの、ほぼ地下でしたけど、それはそれでなかなか贅沢な作りになっていて、ホームシアターが夢の私にとっては羨ましい空間がありました。

 そんな非日常空間を敢えて半地下にするのは贅沢のうちだろうが、日常の空間が半地下ってのは、なかなかユーウツなもんです。これは私自身が経験アリなのでよく分かる。

 新卒で入社した会社の借り上げマンション、割り当てられた部屋は1階の一番奥。その1階が、まさしく半地下だったのだ。ベランダの手摺りが地面の高さ。部屋の床が地面より下にある、部屋で床に座ると地面が目線より高いところにある、、、本作のキム家よりは浅めだったと思うが、何とも言えない感じだった。

 部屋は中庭に面していて通りから丸見えではないから、キム家の人々みたいに部屋の中から外で立ちションしている人を見上げることはなかったけれど、生け垣の向こうには別のマンションが建っており、そこの1階よりも低いところで寝起きしているのは、あまり気持ちの良いものではない。時折中庭にネコが入ってきて、部屋でボケーッと座り込んでTVを見ていて、ふと外を見ると、ネコがこっちを見下ろしている、、、なんてこともあった。何より一番イヤだったのは、大して風のない日でも窓を開けておくとアッと言う間に部屋の床が土埃だらけになること。まともに地面から土が入ってくるのだ。布団はもちろん、洗濯物もベランダに干せないし、日当たりも悪いし、おまけに私の部屋の前には何かのモーターみたいな大きな箱が設置されており、間欠的にそれがもの凄い音を立てるという、まさに最低な部屋だったのである。

 昔から出不精の私は、部屋が快適な空間でないともの凄くストレスが溜まる。実際、私は、あの部屋にいるとき(部屋だけが原因ではないが)拒食症になり、かなり精神的に病んでしまった。どんなにストレスを感じる出来事が外であっても、自分の部屋に帰ってくればリセットできるのが本来の私なのだが、あの部屋に住んでいたときはリセットできず、どんどん溜まる一方だったのだ。

 その後、半年もしないうちに1階の別の部屋に空き巣が入るという事件が起きて、女子専用マンションだったのが、半地下1階は男子に割り当てられ、1階の女子たちは2階以上に強制移住させられたので、半地下から図らずも脱出できたのは有り難かった。4階に移ったら、心が健康に戻ったかというと、そんな簡単なモンじゃなく、一度病んでしまうとなかなか回復に時間がかかり、結局4階にも2年弱しかいなかった(退職したってこと)。

 ただ、忌まわしい土埃からは解放され、布団も洗濯物も日光の下に干せるようになり、それだけでも少し気持ちが軽くなったのは実感した。やはり居住空間というのは精神衛生上ものすごく大事だと思い知った経験だった。

 だから、本作でのキム一家は、あそこまで深い半地下の部屋で、あれだけ家族皆が仲良く明るさを保って生活していることは凄いと思ったのだ。夫婦二人とも楽観的だし、子どもたちも決して悲観的ではない。というか、一家揃って皆、たくましい。それが、私の半地下経験の実感とはかけ離れており、序盤は少し違和感があった。

 スルスルと芋づる式に金持ち一家に食い込んでいくキム家の人々。要領良すぎで、なんか想定内の展開だなぁ、、、期待ハズレか?? と思って見ていたところへ、思いもよらぬ「転」が訪れ、一気に面白くなる。

 半地下は、確かに貧乏の象徴だが、人間にとって耐えがたいことは貧乏ではない、もっと下には下があるということを、この映画は皮肉たっぷりに描いているのだ。


◆その他もろもろ

 印象的なのは、階段、坂、、、。特に、豪雨のシーン。滝のような雨が階段を勢いよく流れ落ちていく様は、天国から地獄に落とされたキム家の人々の気持ちを象徴していて、見ていて切なかった。おまけに、その後、帰った半地下の自宅は水没しているのだから。

 その直前の、金持ちの豪邸内での描写も笑えるけど、屈託なくは笑えない。ソファを挟んで、下にはキム家の人々が息を潜めて隠れている、上では金持ち夫婦がセックスしている。嗚呼、、、。

 ただ、終盤、誕生日のガーデンパーティでの惨劇は、展開が予想できちゃった人も多いのでは? でもそこは、ポン・ジュノ監督、それで安易に終わらせない。あのラストのオチがあったおかげで、私は本作は格段に面白くなったと思っている。内容は書かないけれど、ああやって、ゴキブリみたいにしぶとく格差社会なんかモノともせずにしたたかに生き延びてやろう、というのは嫌いじゃない。社会の現実の前に呆然として絶望するようなラストだったり、一発逆転して勝ち誇るだけのラストだったりしたら、むしろ白けただろうな、と思う。

 こういう面白い映画は、落としどころが難しいと思うが、本作はオチが秀逸だからこそ、評価が高いのではないかと感じた次第。

 個人的に、一番印象に残ったのは、家政婦役のイ・ジョンウンさま。面白すぎる。階段から落っこちたときに死んだのかと思ったら、どっこいしぶとく生きていたのもビックリだった。金持ち奥様のチョ・ヨジョンは『後宮の秘密』よりも魅力的に見えた。「時計回りで!」が笑える、、、。金持ち夫婦もお人好しで、騙されやす過ぎなのが可笑しい。

 長男のチェ・ウシクくんは童顔でとても大学受験生には見えないけど、彼も途中で死んじゃったのか??と思ったら生きていて、良かった……。長女のパク・ソダムちゃんも、可愛いかったなぁ。

 まあ、日本じゃこんなパンチのある映画は、当面作れないでしょうなぁ。やっぱり、韓国映画の方が何歩も先を行っていると思う。危機感もっと持って欲しいですね、邦画界は。

 
 

 

 

 


基本悪人は出て来ないけど、、、

 

 

 

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アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語(2017年)

2020-01-19 | 【あ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv65599/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 日露戦争が勃発した1904年の満州。軍医として戦地に赴いたセルゲイ・カレーニン(キリール・グレベンシチコフ)は、患者として運ばれてきたアレクセイ・ヴロンスキー(マクシム・マトヴェーエフ)と出会う。

 この男こそ、幼い自分と父から母を奪い、さらには母が自ら命を絶つ原因となった人物だった。一時は殺意を抱くほど憎んだ相手だが、年齢を重ねた今、母の真実を知りたいと願うセルゲイ。その問いに答え、ヴロンスキーは彼にとっての真実を語り始める。

 1872年の冬。母親を迎えるためにモスクワ駅を訪れたヴロンスキーは、政府高官アレクセイ・カレーニンの妻アンナ・カレーニナ(エリザヴェータ・ボヤルスカヤ)と出会う。後日、舞踏会で再会したアンナとヴロンスキーは、急速に親密になってゆく。

 2人の関係はたちまち世間の噂となり、アンナの夫カレーニン伯爵の耳にも届く。やがて、夫からヴロンスキーとの関係を問い詰められたアンナは、彼に対する愛を告白。さらに、アンナはヴロンスキーとの子を身籠っていた。

 だが、世間体を気にするカレーニン伯爵は離婚を認めなかった。そんなアンナの周りからは次々と友人たちが去り、ヴロンスキーと暮らすことのできないアンナには、嫉妬や猜疑心が芽生え始める。

 紆余曲折を経てヴロンスキーの子を出産したアンナは、ついにカレーニン伯爵と離婚。だが、夫が手放さなかった息子セルゲイ(マカール・ミハルキン)とは別れることに。娘のアーニャが生まれながらも、セルゲイと会えないことに苛立つアンナは、密かにセルゲイの誕生日にカレーニン伯爵の屋敷を訪問。再会した息子に、善良で立派な父を愛するよう泣きながら訴える。

 その一方で、罪悪感に苛まれたアンナは、ヴロンスキーとの間に生まれたアーニャを愛することができずにいた。ヴロンスキーは、そんなアンナを持て余しながらも、社交界から距離を置き、家族で田舎へ移る計画を立てるが……。

=====ここまで。

 もう何度も映像化されてきたトルストイの小説「アンナ・カレーニナ」を、ヴロンスキーの視点から描いたバリバリのロシア映画。
 

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 本作は、劇場公開時に見に行きたかったのだけれど、結局行けずに終映、、、。DVD化されたので見てみました。


◆ヴロンスキーがステキすぎる。

 それにしても、いくつも同じ原作の映画が既にあるのに、映画人にさらに映画を撮ろうという気にさせる原作「アンナ・カレーニナ」って、よほど魅力的な小説なんでしょうねぇ。未読なので分かりませんが。ストーリーだけ先に知ってしまったばかりに、どうしても「不倫メロドラマ」というイメージがあって、そんなドロドロ不倫を描いた長編小説に手を出す気になれず、、、。

 映画は、キーラ版とソフィ・マルソー版の2本を見たけど、どちらも見た後「やっぱし、つまんねぇ不倫モノやん」としか思えず、ホントに原作小説って名作なの??と、ますます読む気が失せた。

 ……が。

 本作は、見終わった後に、なんと! 原作を読んでみたくなったのであります。いやぁ、、、自分でもびっくり。

 というのも、タイトルの副題「ヴロンスキーの物語」のとおり、ヴロンスキー視点で、アンナとの出来事を、アンナが亡くなって30年後に日露戦争下の満州で、アンナの忘れ形見・セルゲイに語る、という設定が奏功していると思う。アンナ視点だと、どうしてもアンナに共感することは難しいけれども、ヴロンスキー視点にすることで話に奥行きが出たように感じる。

 また、本作はリョーヴィンに関する話が一切省略されていているのだが、それも良かったと思う。その代わりに、日露戦争に軍医として従軍したヴィケーンチィ・ベレサーエフの著作を融合させている。

 そして何より、ヴロンスキーがめっちゃイケメン!! ってのが大きい。ただ顔がイイ“だけ”の優男ではなく、品と知性が感じられる長身のこれぞ貴族! という雰囲気のヴロンスキーは、浮ついた不倫男なんぞではなく、人妻を図らずも愛してしまったことに葛藤する真面目な将校に見えるのだ。

 もちろん、アンナも艶っぽく美しい。致命的に色気がなく品のない笑顔のキーラ・アンナとは大違いで、妖艶かつ品のある本作のアンナは、真面目なイケメン将校ヴロンスキーと実に絵になるカップルなのである。

 主演の2人の雰囲気次第で、同じお話が、ここまで別モノになるのか……と、ある意味衝撃を受けた。映像化に当たってのキャスティングは、もの凄く大事だと改めて思い知る。

 ヴロンスキーとの情事の後、アンナが着替えるシーンで頭がクラクラする。途中、ヴロンスキーがアンナのコルセットの紐を締めるところなど、ねっとり描かれていて、これって監督の趣味か?とも思うが、ついさっきまであられもない姿態を晒していた女性が、身なりを整えていく過程をじっくりと描くことで、官能効果もググッと上がる。着替え終えたアンナが、部屋に残るヴロンスキーにチラリと視線をやって出ていくその姿は、色香を残しながらもキリリとしたご婦人に変貌していて実に美しいのだ。

 ヴロンスキーのいる場所が満州の野戦病院というのも、彼の心象風景となっている。現地の中国人の少女が折々に登場するが、片言の中国語で語りかけるヴロンスキーとのやりとりは、セリフであれこれ説明しなくてもヴロンスキーがいまだにアンナに囚われていることを感じさせられる。

 アンナとのシーンは全てヴロンスキーの回想として出てくるので、現在と過去がかなり頻繁に切り替わるのが気になると言えば気になるが、これだけの長編でメリハリをつける効果になっているとも思う。

 やはり(当たり前だが)、描き方次第で、メロドラマもこんなに格調高い文芸作品になるのだなぁ、、、と嘆息。


◆壊れるアンナ、、、。

 とはいえ、やっぱり不満が残るのは、アンナが列車に飛び込んじゃうまでの精神が崩壊していく過程の描き方。まぁ、どう転んでも、アンナが勝手に自分を追い込んで勝手に死んじゃった、ってことにしかならないので難しいのは分かるけど、、、。

 ヴロンスキーとアンナの気持ちや行動がいちいちすれ違ってしまうところは良いのだけど、その後、駅に向かって疾走する馬車の中でアンナが泣きながら絶望の言葉を叫んでいるのが、なんかね、、、。何でいきなりそうなるの??という感じで、この辺りがどう書かれているのか原作を読んでみたくなった理由の一つ。おまけに、御者のマントが翻って馬車が通りを駆け抜けていくところがスローモーションなのが、ちょっと演出的にやり過ぎな感じもして。

 本作でのヴロンスキーは非常に真っ当な感覚の持ち主で、情緒不安定になるアンナにできるだけ寄り添おうとする、誠実な男に描かれている。多分、原作のアンナも相当ヤバいんだろうな、と思うが、本作でもアンナの壊れていくのが速すぎて、ちょっと着いていけない。あれで自殺されては、ヴロンスキーが気の毒すぎる。

 こんなことを書くと身も蓋もないけど、アンナは要するに“ヒマすぎた”ってことなんじゃないかなー、、、と思った。他にすることがないから、ヴロンスキーに出した手紙の返信ばかり気になってしまう。今か今かと、外の馬車の音にも過剰に反応したり、、、。何事も“待つ”ってのは時間が長く感じるもの。やることが山ほどあって忙しくしていれば、そこだけに神経が集中しないから、悲観的になりすぎることもない。貴族って基本ヒマそうだもんね(ダウントン・アビーとか見ているとマジでそう感じる)。生活に追われる庶民は、男から手紙が来ないくらいで自殺することを考えたりする余裕はないのだよ。

 いずれにしても、アンナが壊れていく過程を原作で確かめてみたい、、、と思った次第。


◆その他もろもろ

 イケメン将校ヴロンスキーを演じたのは、マクシム・マトヴェーエフというロシア人俳優。品があり、知性を感じる顔立ちな上に長身で細身過ぎず、軍服が実に似合って美しい。これなら、アンナが惚れるのもむべなるかな、、、である。キーラ版やソフィ・マルソー版のヴロンスキーより断然ステキだ。舞台出身の俳優さんらしいが、あの容姿ならばさぞかし舞台映えすることでしょう。舞台上の彼を見てみたい。映画では、『オーガストウォーズ』(2012)に出演しているとのこと、俄然見たくなってしまった。

 アンナを演じたのはエリザヴェータ・ボヤルスカヤという、こちらもロシアのお方。ポスターの画像はイマイチだけど、上品ですごく美しい。完全無欠な美人というよりは、表情が本当に美しい。写真よりも、動いている姿の方が美しさがより分かる。ネットの感想で「アンナが不美人」と書いている人がいてびっくり。どういう審美眼なのだろう。キーラやソフィ・マルソーのような美しさとはゼンゼン違うのは確かだけど。

 でもって、このマクシム・マトヴェーエフとエリザヴェータ・ボヤルスカヤは実生活でご夫婦だというのでビックリ。こんな絵になるカップルが実際に夫婦として存在しているのか~、と嘆息。

 ヴロンスキーとアンナが決定的に恋に落ちる舞踏会のシーンが素晴らしい。美術も衣裳も豪華そのもの。ただの舞踏会なのに、ある意味、官能シーンになっていて、このあたりの演出が凄いなぁ、、、と感心する。やっぱし、ロシアの原作は、ロシア人が制作する方がハマるんだろうなぁ、と妙に納得させられた。ヴロンスキーのイケメンっぷりは、本作の公式HPの予告編でご覧になれます。

 カレーニン氏を演じたヴィタリー・キッシェンコも良かった。イイ人なんだかイヤなヤツなんだか微妙な感じを実に上手く演じておられました。

 そうそう、セルゲイの子ども時代を演じた少年がすごく可愛かった! あんな可愛い子に「ママが一番好き! 行かないで!!」なんて泣かれたら、私がアンナだったらセルゲイをあのまま拉致してヴロンスキーのところに連れ去ってしまうかなー、などと妄想してしまった。恋も息子も!と、アンナももっと欲深く生きれば良かったのに、、、。時代的にムリだったのは分かるけど。

 アンナと不倫していた頃の若きヴロンスキーもステキだが、30年後に満州で傷ついた50代後半と思しき枯れたヴロンスキーもイケている。皺が深くなり、髪も白くなっているが、歳をとってもイイ男はイイ男。軍医になったかつての美少年セルゲイとのやりとりは、これまでの「アンナ・カレーニナ」の映画にはない味わいがあって、これはこれで良いと思った次第。

 監督のカレン・シャフナザーロフ氏は、ロシアでは巨匠のお一人のようだ。独ソ戦をテーマにした映画も撮っているみたいだから、見てみたい。
 

 

 

 

 

 

 

 


キャスティングの重要性がよく分かる逸品。

 

 

 

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スターリンの葬送狂騒曲(2017年)

2020-01-17 | 【す】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv64919/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。以下、よりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 “敵”の名簿を愉しげにチェックするスターリン。名前の載った者は、問答無用で“粛清”される恐怖のリストだ。時は1953年、モスクワ。スターリンと彼の秘密警察がこの国を20年にわたって支配していた。

 下品なジョークを飛ばし合いながら、スターリンは側近たちと夕食のテーブルを囲む。道化役の中央委員会第一書記のフルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)の小話に大笑いする秘密警察警備隊長のベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)。スターリンの腹心のマレンコフ(ジェフリー・タンバー)は空気が読めないタイプで、すぐに場をシラケさせてしまう。 明け方近くまで続いた宴をお開きにし、自室でクラシックをかけるスターリン。無理を言って録音させたレコードに、ピアニストのマリヤ(オルガ・キュリレンコ)からの「その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」と書かれた手紙が入っていた。それを読んでも余裕で笑っていたスターリンは次の瞬間、顔をゆがめて倒れ込む。

 お茶を運んできたメイドが、意識不明のスターリンを発見し、すぐに側近たちが呼ばれる。驚きながらも「代理は私が務める」と、すかさず宣言するマレンコフ。

 側近たちで医者を呼ぼうと協議するが、有能な者はすべてスターリンの毒殺を企てた罪で獄中か、死刑に処されていた。仕方なく集めたヤブ医者たちが、駆け付けたスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)に、スターリンは脳出血で回復は難しいと診断を下す。

 その後、スターリンはほんの数分間だけ意識を取り戻すが、後継者を指名することなく、間もなく息を引き取る。

 この混乱に乗じて、側近たちは最高権力の座を狙い、互いを出し抜く卑劣な駆け引きを始める。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、マレンコフ、フルシチョフ、ベリヤに加え、各大臣、ソビエト軍の最高司令官ジューコフまでもが参戦。進行する陰謀と罠――果たして、絶対権力のイスに座るのは誰?!

=====ここまで。

 共産主義まっただ中のソ連で、スターリンの死の直後に起きたことをほぼ史実に沿いながらデフォルメして描いたイギリス映画。
 

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 実は、本作は公開時に劇場に見に行っているのだけど、前日の夜更かしが祟ったのか、不覚にも途中から間欠的に睡魔に襲われ、終盤覚醒したけど、感想を書くには見逃したと思われるシーンが多すぎたので、感想を書けなかったのであります。

 ただ、中盤まで面白かったし、覚醒以後~ラストもアイロニカルで好みだったので、非常に悔しくて、今回DVDで再見した次第。嗚呼、やっぱし面白いところを一杯見逃していたんだわ~。


◆バカ製造社会=独裁

 普段だと、ロシアものを英語で演じているっていうことに違和感バリバリなんだろうけど、本作は、そんなことはまったく気にならない、、、いやむしろ、英語で演じてくれているからこそ、見る方もちょっと引きで見ていられる感じがして良かったくらい。これ、ロシア語でロシア人が同様に演じていたら、正直言ってシャレにならなかったと思うのだ。当然、バカっぽい“ロシア語調英語”なんて愚策にも手を出さず、非常に真っ当に独裁体制を皮肉った劇映画に仕上げていて、とても面白い。

 スターリンが脳梗塞で自身のオシッコ沼の中でぶっ倒れているのに、側近たちは右往左往するだけ。笑っちゃうのが「(先の粛正のせいで)今街に残っているのはヤブ医者ばっかり」なんて言っているところ。これは実際そうだったらしく、優秀な医者たちはほとんどが収容所送りになっていたんだとか。医者を呼ぶにも、「誰が責任をとるか」で揉めて、誰も行動を起こさない。これも、スターリンにとってみれば、回り回って自業自得ってことなんだろうね。

 そもそもスターリンが倒れていることの発見が遅れたのだって、「呼ばれない限り扉を開けるな」と普段から警備の者たちに言っていたから。部屋の中で倒れる大きな音がしたところで、2人の警備員のうち1人が「中の様子を見ようか」と気に掛けても、もう1人が「殺されるぞ!」と一喝して終わり。

 それでも、スターリンは、スターリン自身が、まだそれなりの能力があったから独裁者として機能していたが、肝心の独裁者が死んだ途端、一気に全てが機能不全に陥るという、、、まぁ、当然と言えば当然の成り行きが展開される。

 機能不全になっても、どうにか体制を維持しようと、側近たちどうしで醜い争いが勃発するんだが、ついさっきまで過剰なまでに顔色を窺っていた主が死んだら、その死に顔に向かって「あばよ、クソじじい!」とか言っちゃう。……というか、死んでいる者にしかホンネすら吐けない。側近たちは皆、脳ミソを“いかに主に殺されずに生きながらえ、あわよくば出世できるか”にばかり使っているから、一人残らず脳が退化したような人間ばかり。

 ホント、独裁ってまるでイイとこナシなんだと改めて思い知る。


◆ベリヤ VS フルチショフ

 しかし、スターリンの葬儀に参列した一般人の中には、スターリンの遺体を見て、本当に哀しげに涙を流す者もいて、側近たちの中にも、自身の妻が逮捕されカザフスタンに追放されながらスターリンに心酔していた人(モロトフ)もいて、なんだかなぁ、、、という感じだった。

 まあ、本作は、側近たちのドタバタを描いているので、政治的にアンチ共産主義は出て来ないけど、この時代のソ連に生きていた人々のことを思うと、本作を見て無邪気に笑ってしまうことに罪悪感を覚えるのも事実。

 スターリンの後釜狙いの欲望剥き出しのベリヤが、他の側近たちに謀られて真っ先に殺されるのも皮肉であり、自業自得でもあり、、、。スターリンが死んだ途端に、真っ先に政策転換を図ろうとするのも、結局の所、自分が独裁者になるため。

 ただ、このベリヤが粛正される一連の顛末は非常に恐ろしくてゾッとする。ひとたび、コイツを消そう、、、と狙いを定められたら、もう逃げられないのがこの独裁体制なのである。狙いを定めるのに真っ当な理由などないのは当然。「アイツ、気に入らねぇ」これだけで十分なのだ。こんな所じゃ、そりゃ、誰もが生き残りのために全身全霊を傾けるようになるわ。

 本作は、ベリヤとフルチショフを軸に、セコい権力闘争が描かれるのだが、一般に言われている“フルチショフ=割とイイ人”的なイメージは全否定されているのがミソ。結局の所、彼もベリヤと同じ“変節漢”に過ぎないことが容赦なく描かれている。この辺りは、さすがに英国らしい猛毒たっぷりなんだが、おかげで、ロシアでは上映禁止になったのだとか。今の日本についても映画にしてもらえたら面白いと思うんだけど。日本では絶対作れないから。 

 ちなみに、ベリヤが真っ先に消されたのには、本作でもチラッと描かれているけど、ベリヤがとんでもない強姦魔だったこともかなり影響しているらしい。ベリヤのケダモノぶりがお知りになりたい方は、ネットで検索してください。いくらでもそれにまつわる記事が出て来ます。

 あと、ちょっと笑えたのが、スターリンの死んだ現場となった別荘を引き払う際に、使用人たちも別荘から追い出されるんだが、その中に、「彼らは影武者です」と言って、スターリンぽいオッサン3人が連れ出されてきたシーン。スターリンを演じたアドリアン・マクローリンに、激似ではない、やや似の顔立ちで、背は凸凹なオッサン3人が出て来たのが何とも言えず滑稽で可笑しかった。実際、あんなふうに影武者を密かに養っていたんだろうなぁ。

 ラストは、フルチショフが権力を掌握したところで終わるが、そんなフルチショフも失脚することが暗示されて終わるのがイイ。

 また、何年かしたら見直してみたい作品。
 

 

 

 

 

 

 

 


名前はロシアになったけれど、実態はどれくらい変わったのだろうか……。

 

 

 

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再会の夏(2018年)

2020-01-11 | 【さ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv69114/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 とある戦争の英雄と、一匹の犬の真実の物語

 1919年、夏の盛り―――。終戦後の平和が訪れたばかりのフランスの片田舎。第一次世界大戦の英雄で武勲をあげたはずのジャック・モルラックがひとけのない留置所に収監され、頑なに黙秘を続けている。

 この男を軍法会議にかけるか否かを決めるため、パリからやって来た軍判事のランティエ少佐は、留置所の外で吠え続ける一匹の犬に関心を寄せる。そして、モルラックを調べるうちに、農婦にしてはあまりにも学識豊かな恋人ヴァランティーヌの存在が浮かびあがり…。

 名もない犬が留置所から決して離れようとしないのは、忠誠心からなのか? 判事の登場は真実を解き明かし、傷ついた人々の心を溶かすのか?

=====ここまで。

 監督は、あのジャック・ベッケルの息子ジャン・ベッケル。
 

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 シネスイッチ銀座は、消費税率アップに伴い、周辺のミニシアターが軒並みサービスデー料金を1,100円に値上げした中、金曜レディースデー料金950円で頑張ってくれています。ネットで事前予約もできるようになり、有り難い限り。

 新聞での評を読んで是非見たいと思っていたので、年始早々の金曜日、前回の記事『私のちいさなお葬式』と2連続で見に行って参りました。こっちが見たかったので、前回のロシア映画もせっかくだからと見たのでありました。


◆ジャックは英雄のはずなのに……。

 ジャックがなぜ留置所に入れられているのか、終盤までハッキリとは語られない。国家に対する侮辱、ということはセリフにあるのだけれど、具体的にジャックが何をしたのかは分からないまま、話は展開していく。

 冒頭から、黒くて凜々しい犬が、吠えている。ハッキリ言ってうるさい。……が、この犬こそが、本作のキーマン、ならぬキーワン(コ)なのである。何で君はそんなに吠え続けているの?? もちろん、理由がある。ご主人のジャックが留置されているから、、、というだけではない理由が。

 この犬は、元はといえば、ジャックの恋人ヴァランティーヌが飼っていた犬で、ジャックが戦争に駆り出されるときに戦場までジャックを追って着いてきたのだった。ちなみに、第一次世界大戦では、兵士の飼い犬がたくさん戦場に来ていたんだとか。軍用犬として訓練することもなく、どうやら戦場に着いて行っていたらしい。この犬も、戦場でジャックを守るかのように着いて歩いていた。

 戦場のシーンもかなり時間を割いて描かれる。第一次大戦といえばの塹壕戦。いろんな映画で塹壕戦を見てきたが、何度見てもあの塹壕の様子はおぞましい。そこにジャックと犬もいる。どの兵士たちも皆疲弊しきっており、戦況が複雑化する中で、兵士たちが闘う意味が分からなくなるのも道理だと思う。それで、敵対しているはずのロシアやブルガリア兵と、モルラックたちフランス兵は、休戦協定を結ぶことにする。戦争なんかお上が勝手にやってろよ……!てことだわね。

 お互いが「インターナショナル」を歌うのを合図に歩み寄り、和解するかに見えたその瞬間、モルラックの犬はモルラックを守るべく、ブルガリア兵に飛びかかってしまう。急転直下、泥沼の闘いが繰り広げられることになる。

 後で解説を読んだところによれば、犬は、正面からこちらに向かってくるのは“敵”だと教えられているから、本能的に飛びかかったということらしい。確かに、犬には、あれが和解のための歩み寄りだとは分からないだろう。

 その後の凄惨な闘いをどうにか生き延び、病院に収容されたモルラックは、敵に勇敢に立ち向かったとして、国からレジオンドヌール勲章を授けられる。まさしく“英雄”となったモルラック。その彼が、なぜ留置所に……??


◆シナリオが素晴らしい!!

 モルラックが何をしたのかは、ここでは敢えて書きません。知らずに見た方がゼッタイに良いと思うので。

 しかし、モルラックがとった行動は、確かに国を侮辱するものだが、彼が経験した悲惨極まる戦場での殺戮を思えば、共感してしまう。彼は、ランティエ少佐の事情聴取に対しても「途中からどこの国と闘っているか分からなかった」というようなことも言っている。それくらい、敵味方入り交じり、混乱の極みだったに違いない。

 この映画の魅力は、モルラックがどうして生きる望みを失っているのか、その原因を、悲惨な戦争体験に有り、などという安直な作りにしていないところ。彼が、国を侮辱するような行動に出たその理由の奥底に何があったのか、、、が、ランティエ少佐の取調べとともに見ている者たちにも少しずつ明かされていくのである。

 蓋を開けてみれば、非常に単純な、それでいて実に人間臭い事情があったからなのだが、それがまたグッとくる。あれだけの凄惨な戦争から生き延びて帰ってきたのに、死んでも良いとさえ思ってしまう理由がそれなのか、、、いや、だからこそ生きていたくないと思うよね、と凄く腑に落ちる。説得力がある。

 モルラックのしたことも戦争のなせるわざだよね、、、と一旦共感させられ、いや実は、、、と、ゼンゼン違う展開を見せられ、それが却ってさらに共感を呼ぶという、実に不思議かつ巧妙なシナリオに、脱帽。

 ある意味、もの凄く大人の映画だと思う。83分の短めの作品なのに、鑑賞後感は充足感で一杯。必見!と言いたいところだけれど、まあ、あんまし押しつけがましいのはポリシーに反するので、“見て損はないです”としておきます。


◆その他もろもろ

 キーワン(コ)を演じていたのは、ボースロンという犬種(ドーベルマンの原種らしい)の、イェーガー君という名のワンコ。ほぼ真っ黒な顔で、その中に、真っ黒な瞳が濡れて光っているのが、とっても魅力的。可愛い、、、というのとは違って、でも、やっぱり可愛い。犬は最強だね、やっぱし。

 基本、ほとんどのシーンはイェーガー君で撮影したらしい。戦場でのシーンは、イェーガー君の父犬カルマが演じているとのこと。2頭だけで撮ったってのも、かなり凄いのではないか。

 その犬を気に掛けるランティエ少佐を演じるフランソワ・クリュゼが素晴らしい。知的で品がある引退間際の老軍人を好演している。彼の犬への接し方を見ていると、彼もかなりの犬好きと見た。あの撫で方は、好きでしょ、絶対。確か、監督の父上ジャン・ベッケルともお仕事されているはず。

 モルラックを演じたニコラ・デュヴォシェルが、地味だけどなかなか凜々しくて素敵だった。ちょっと細身かな、、、。軍服が似合うんだよね、またこれが。カッコエエです。恋人ヴァランティーヌ役のソフィー・ヴェルベーク、美人。誰かに似ている気がするんだけど、思い出せない。ヴァランティーヌが、ジャックが出征するときに犬が着いていったことについて「嬉しかった。あの犬は私の分身だもの」と言っていて、何か良いなぁ、、、と思ってしまった。犬がいなくなって寂しいんじゃない? と思ったけど、そういう考え方もあるのね、と。

 ちなみに、原題は、「赤い首輪」だそうだけど、邦題も原題のままの方が良かったんじゃないのかねぇ。確かに、夏に再会するけどさ。ゼンゼン、ツボ外しちゃっている感じ。この邦題が、未見の人たちに凡庸感を与えているんじゃないのかね? せっかくの秀作が台無しだよ。

 

 

 

 

 

 

 


飼い主が恋人と抱き合っているのを横目で見て見ぬ振りをするワンコ、かわゆし。

 

 

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私のちいさなお葬式 (2017年)

2020-01-08 | 【わ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68536/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 村にひとつしかない学校で教職をまっとうし、定年後は慎ましい年金暮らしを送っている73歳のエレーナ(マリーナ・ネヨーロワ)が、病院で突然の余命宣告を受けた。

 5年に1度しか顔を見せないひとり息子オレク(エヴゲーニー・ミローノフ)を心から愛しているエレーナは、都会で仕事に大忙しの彼に迷惑をかけまいとひとりぼっちでお葬式の準備を開始する。まずは埋葬許可証を得ようとバスで戸籍登録所を訪れるが、中年の女性職員に「死亡診断書がなければ駄目です」と素っ気なく告げられ、元教え子のセルゲイが勤める遺体安置所へ。「息子は忙しすぎて、葬儀だのお通夜だの手配できないわ。私はただ、いいお葬式にしたいだけなの」そう事情を説明してセルゲイにこっそり死亡診断書を交付してもらったエレーナは、戸籍登録所での手続きを済ませたのち、葬儀屋で真っ赤な棺を購入する。

  翌日、ふたりの墓掘り人を引き連れて森の墓地に出向いたエレーナは、そこに眠る夫の隣に自らの埋葬場所を確保する。隣人のリューダに秘密のお葬式計画を知られたのは誤算だったが、すぐさまエレーナの心情を察したリューダは、ふたりの友人とともにお通夜で振る舞う料理の準備まで手伝ってくれた。リューダらが去った後、生前の夫との思い出の曲をかけながら死化粧を施す。

  かくしてすべての段取りを整え終えたエレーナの“完璧なお葬式計画”は想定外の事態へと転がり出すのだった……。

=====ここまで。
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 普段なら、多分、劇場まで足を運ぶことはないジャンルの映画だと思うけど、何しろ、舞台がロシアだというので見に行って参りました。


◆鯉のおかげで、、、

 「あなたの心臓、いつ止まってもおかしくありません」と、医者に真面目に言われたら、さすがに、私も自分が死んだときのことを真面目に考えるだろうなぁ。いつかは心臓が止まると分かっているけど、それはリアル感がないから終活などしない。でもリアルになったら、イヤでもせざるを得なくなる。

 エレーナさんは、現実的に行動する。死んだ後、遺された者にとって一番面倒くさいのは、多分、いろいろな“手続関係”だろう。どんなお葬式にするかという“夢”のために動くのではなく、自分の死にまつわる面倒な手続きを、自身の手でやっておこう、、、というわけだ。

 本来、死亡届と引き換えの埋葬許可書まで強引な手段で入手して、棺桶もゲットし、そのでっかい棺桶をバスで運ぶという荒技に出る。何ともシュールな光景。

 死に化粧をしてベッドに横たわっていると、息子が帰ってきて、母親が死んだと思った息子は涙する、、、けど、どっこい母親はまだ生きていて、驚いた息子とちょっとエレーナさんがもみあったはずみで、息子の車のキーが、エレーナの飼っている鯉に飲み込まれてしまうというハプニング勃発。

 この鯉、エレーナに捌かれそうになったり、冷凍されたりした中を生き延びる。自然解凍されて、シンクでぴちぴち跳ねている鯉を見たエレーナは嬉しくなって、その鯉を盥の中で飼い始めたんだが、車のキーが盥の中に入っちゃったのをエサだと思って鯉が飲み込んじゃったんだわね。スマホもスペアキーも車の中で、どうしようもなくなった息子は、ようやく母親と何日間かを過ごすことになる、、、というわけだ。

 鯉の腹からキーを取り出したい息子だけど、母親が可愛がっているから腹を裂くことも出来ず、そのうち、心境の変化が起きて、、、という展開は、正直言ってありきたりではある。

 ただ、その後、息子は、鯉を元いた池に放してやり、自分も池で泳ぐ。そうして、戻ってみるとエレーナは、、、。で、ジ・エンドってのが私は気に入ってしまった。

 結局、エレーナの終活がメインテーマであるように見えて、“親との永遠の別れ”という息子視点のストーリーに集約されたわけで、それ自体もありがちといえばありがちだが、鯉を出したことで、説教臭くなくエレーナの死と息子がどう向き合うか、、、ということにさりげなくフォーカスさせるというのは上手いなぁ、と。

 そして、最終的に、エレーナは息子に看取られて旅立つことが出来た、、、ということになるわけで、一応、ハッピーエンディングなのが良い。


◆“親の死”と向き合う。
 
 エレーナが終活にいそしんだのは、普段疎遠な息子に迷惑を掛けたくない、という思いから。

 本作の感想をネットでいくつか拾い読みしたが、その中で、この遺された者に“迷惑を掛ける”という考え方を批判している方がいた。それじゃあ、あんまり寂しいじゃないかと。……でもさぁ、現実的に、やっぱし遺された者はいろいろ冒頭書いたように手続きは大変には違いないのだよ。それを、実際に“迷惑”と受け止めるかどうかは、死者との生前の関係次第だけど。

 だから、親が、我が子の手をなるべく煩わせたくない、と考えるのは、ある意味自然な感覚で、別にそこを指摘して批判するほどのことでもないだろう、と思う。

 子が、親の死をどう受け止めるか、ということの方が、結局は問題になるのだよね。でも、子にしてみれば、そんなのその場になってみなきゃ分からん、というのが正直なところ。私のように、親と断絶している者としては、ますます想像がつかない。素直に悲しめないだろうなぁ、、、ということは予想できるけど。

 エレーナの場合、かつて息子を恋人と別れさせているというのが心の奥底で負い目になっていることもあるみたい。息子に「今、幸せ?」なんて聞いてしまうあたり、賢い女性であっても、愚かな一人の母親の側面はやっぱり持っていたのだなぁ、、、と。そんなこと親に聞かれたら、息子は「うん」と答えざるを得ないのにねぇ。

 母親の死と向き合う、、、という主題の映画というと、『母の身終い』(2012)を思い出してしまった。本作とは雰囲気も内容も違うが、脳の病気により近い将来、自分が自分でいられなくなることを宣言された母親が尊厳死を選ぶ、というものだが、同じ、“親の死と向き合う”のであれば、子にとっては本作の方がよほど有り難いはず。親の尊厳死に立ち会わされる子の立場なんて、想像しただけでゾッとする。尊厳死は、頭では理解できるけれども、遺された者の身になると、安易に賛成する気にはなれないのも正直な気持ちだ。遺された者の心の負担が大き過ぎる。生涯、その重すぎる十字架を背負わせるのはいかがなものかということだ。

 そういう意味では、エレーヌの最期と、息子の置かれた境遇は、とても幸せなものだと言えるのではないか。悲しんで親を見送ること、、、これが、子にとって理想の親との別れなんだと、帰り道を歩きながら考えたのでありました。

 

 

 

 


「恋のバカンス」のロシア語バージョンがなかなか素敵。

 

 

 

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読まれなかった小説(2018年)

2020-01-07 | 【よ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv69534/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 作家志望のシナンは、大学卒業後トロイ遺跡近くの故郷へ戻り、処女小説出版を目指し奔走するが、相手にする人は誰もいなかった。

 引退間際の教師で競馬好きの父イドリスとシナンは相いれずにいる。父と同じ教師になりこの小さな町で平凡に生きることを受け入れられないシナンは、気が進まぬまま教員試験を受ける。

 交わらぬように見えた二人を結び付けたのは、誰にも読まれなかったシナンの小説だった。

=====ここまで。
 
 『雪の轍』(2015)のヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督による作品。


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 親子の相克モノは好きなので、終映間近ということもあり、元日早々見に行って参りました。ガラ空きかと思ったけど、意外に人が入っていました。


◆うだうだ映画

 『雪の轍』は未見で、その前の作品『スリー・モンキーズ』(2008)は見たことあるんだけれども、こう言っちゃナンだが、あんまし好きな作風ではなかった。だから、『雪の轍』も食指が動かなかったんだけど、本作は、あらすじを読んで、まぁ見てみよっかな、、、と。

 結論から言うと、やっぱし作風としては好きではないけれど、この映画自体はそれほど嫌いじゃないな~、という何とも中途半端な印象。

 多分、最終的に、父と息子がほんの少しだけ心が通い合ったからだと思う。ホント、終盤で一気に印象が好転した感じだった。それまでは、ひたすら、うだうだウダウダうだうだウダウダ、、、、メンドクサイ観念論の応酬で、正直なところ辟易しかけていたので。観念論をいろんな相手に仕掛けていたのは、主人公のシナンで、聞いていてだんだんムカついてくるというか、話の内容にというよりも、しつこすぎるシナンの性格がウザすぎて、、、。実際、シナンに絡まれた相手は軒並みキレてしまうんだが、あれじゃあ当たり前だわね、としか思えない。

 とはいえ、若い頃は頭でっかちで理屈が先に来てしまい、ああいう感じになってしまうのも、まあ、分からなくはないのよね。あそこまでしつこいのはどうかと思うが、若い人のああいう感じは、私は決して嫌いじゃないというか。自分にもそういう時期があったと思うし、多くの人が通る道なんじゃないかしらん、と思うわけ。

 それにしても、映画であんな禅問答みたいな会話を延々やられても、ハッキリ言ってげんなりしてくる。監督は、文学好きらしく文学映画みたいなのを目指している感じを受けるが、当たり前だが映画は文学じゃないから、もうちょっと違うアプローチをしてもいいんじゃないの?という気はする。まあ、これは好みの問題かも知れないけど。


◆運命を受け容れる、、、とは。

 原題は、シナンが書いた小説のタイトル「野生の梨の木」だそうだけど、邦題の『読まれなかった小説』ってのも結構良いなぁ、と思った。

 小説って、まあ、読まれてナンボというところがあるわけで。終盤、シナンがようやく書き上げて自費出版した小説も、母親は「本」になったことを喜んではしゃぐけれども、肝心の「読む」という行為には至らなかった。それどころか、シナンが兵役に行っている間に、あろうことか本の束を雨漏りかなんかで濡らしてしまってカビさせてしまう。これで、母親がどういう人かをよく表わしていて、この辺りから、私の気持ちもようやくポジティブになってきたんだけど……。

 それで、肝心の「読む」ということをしたのは、ただ1人、シナンが軽蔑していた父親イドリスだった、、、。つまり、タイトルは「読まれなかった」とあるけど、たった1人の人に「読まれて」いた。この逆説的なタイトルが、意外に効いている気がした。おそらく、シナン自身、一番小説を読んで欲しかったのは父親だったのだと、父親が読んでいたと知って初めて気付いたのではないかしらん。それまでは、小説が売れること=多くの人に読んでもらいたい、と思っていたのだろうが、一番読んで欲しい人のことは敢えて考えていなかったのだと思う。でも、父親は読んでくれていた! そうだ、自分はこの人に読んでもらいたかったんだ!! ……という感じだったのでは。

 このイドリスという父親が、なんとも不可解な人物なんだよねえ。小学校の先生で、バクチ好きで、山師で、、、というと、なんだかトンデモな感じがするんだが、パッと見は悪くなく、若い頃はイケメンだったと思わせる風貌で、別に暴力をふるうでもないし、のんだくれでもない。父親として、子どもたちのことをそれなりに愛しているし、飼い犬も可愛がるという、平凡な男だ。ただ、そのどうしようもなさが、ホントにどうしようもなくて、息子に軽蔑されるのも仕方がない。

 まあ、でも似たもの親子だなと。2人とも、永遠のモラトリアムというか。監督は、結局、息子は父親を継いで行く、という運命を描いたそうだが、まあ、そりゃこの父と子ならそうだろう、と。運命ってのはちょっと違うかな、という気がするけど。もっと、シナンが足掻きに足掻いて、何か不可抗力な出来事によって父親の下に戻らざるを得ない、、、とかなら運命かも知らんが、ただ悶々とモラトリアムして自分の理想どおりにならない、、、ってのは、運命なんて大層なものではなく、成り行きっていうんじゃないのかしらん?

 それも大いにアリだと思うから、私は、ラストでポジティブな印象を抱いたんだけど、監督のインタビューを読むと、“運命を受け容れる”ことが決してポジティブには語られていないのよね。「この映画は、受け入れ難いことだが、「運命に逆らえない」ことを、「罪悪感」によって知る青年の物語を、彼の周りにいる様々な人々の人間模様と共に、伝えようとしています」なんて言っている。

 シナンは受け容れ難いと思っているのか。まあ、監督が言ってるんだから、そうなんだろうけど、私にはそう見えなかった、ということ。父親が自分の書いた小説を読んでくれたことで、自分が書くことに対して意義を感じられ、もしかすると、この先、あの田舎に留まっていても良い小説を書く人になるかも知れない。そんな希望もアリじゃない? と思うんだけどな~。あまりにも脳天気すぎますかね。
 

 

 

 

 

 

トルコの田舎の風景と、バッハの音楽が、実に合っていて美しい。

 

 

 

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火宅の人(1986年)

2020-01-05 | 【か】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv17495/


 作家の桂一雄(緒形拳)は、妻ヨリ子(いしだあゆみ)と4人の子供があり、ようやく直木賞を受賞し、作家として足場を固めつつあったところで、若い女優志望の矢島恵子(原田美枝子)と出会い、“コトを起こした”。

 恵子と同棲生活を始めた一雄は、家に寄りつかなくなるが、恵子との生活にも疲れ、放浪の旅に出た先で、行きずりの女・葉子(松坂慶子)と関係を持つなどするが、結局、いずれも破綻し、家族の下へと戻るのであった。


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 今年の初レビュー。昨年末に見たのだけど、うだうだしていたら年を越してしまいました。


◆若い頃に見なくて良かった。

 この作品、公開当時に宣伝されていたのを何となく覚えているけど、モデルが檀一雄で、その女遍歴を描いた私小説を映画化したものだということは知っていたから、まだオコチャマだった私は“けっ、そんな恥知らずな話、よー書くわ、映画化なんてよーするわ、、、(軽蔑)”……みたいに思っていたのだった。檀ふみのことは結構好きだったから、“実の父親のあんな恥さらしな作品の映画に、何で出るのかね?”などとさえ思っていた。

 だから、当然、本作を見たのは今回が初めてで、原作の小説ももちろん未読。大分前に、沢木耕太郎が「檀」というノンフィクションを上梓したとき、当時は沢木のこと結構好きだったので、「何で彼が檀一雄のことを……?」と思ったけど、読もうとは思えなかった。その後、沢木のこともあんまし好きじゃなくなって、ますます彼の本を手に取る機会もなくなっていた。

 けれども、今回、本作を見て、原作も、沢木の「檀」も、読んでみようかという気になった。

 ……というのも、檀一雄、、、いえ、本作での桂一雄という男が、なんだか妙に人間臭くて愛嬌がある人だと感じたから。ここまで見事に愚かしさをさらけ出されると、却って好感を抱いてしまう。ヘンに取り繕うこともせず、まぁ、悪くいえば開き直っているとも言えるが、なんかそこまでの開けっぴろげさもない、ただただ、右往左往して成り行きに戸惑いながら、とりあえず今を何とか生きている“だけ”の醜態っぷりが突き抜けていて微笑ましい。実際、自分の夫があんなんだったら、微笑ましいどころの話じゃなく、殺意さえ湧くと思うが。

 実際はどうだったのかは分からないが、本作では一雄が恵子に走ったのは、二男の病気がかなり影響しているように見え、何となく一雄の心境も理解できないではない、、、という気がしてしまったのも事実。若い頃に見ていたら、全く違う感想を抱いたと思うが、これは歳を重ねて、モラルや正論では切り刻めないモノが人間にはあるということを身をもって知ったことが大きいのだろうなぁ。

 二男の後遺症で、ヨリ子さんが神頼みに走った心境も、また理解できる。何でもイイから拝みたい縋りたい、、、という気持ちになることが、人生には起き得る。夫の相手なんかしちゃいられない、とにかくこの子を何とかしたい、元通りにしたい、、、そういう母親の気持ち。私には子はいないが、想像は出来る。

 そんな妻と家に居場所を感じられなくなり、要は一雄は現実から逃避したんだわね。本作中で、恵子のことを「あれほど惚れ抜いた人」みたいに言っていたけど、実際惚れたに違いないだろうけど、逃避する場所(恵子)が都合良くすぐそこにあった、、、ってのが大きいんじゃないかなー、と感じた次第。実際、二男が亡くなると、恵子との関係も完全に終わる。そして、とぼとぼと、妻と子供の下へと帰っていくのだ、一雄は。それくらい、夫婦の間には、二男の病気というのが大きく横たわっていたのだと感じられた。

 みんシネでの本作の評価はかなり厳しくて、おおむね“底が浅い”という感想が主だったけれど、私は、そうは感じなかった。人間の営みなんて、あんな風に右往左往して、圧倒的な現実の前にただオロオロするしかなく、みっともないのが基本じゃないかしらね。それを“底が浅い”と感じるのは、多分、生きる意味とかを信じていることの裏返しなのだと思う。私は、生きることについての意味も意義も、とっくに放棄しているから、こういう愚かしい人間の有様をただ描いているだけみたいな作品が“底が浅い”とは思わない。


◆やはり緒形拳は名優。

 本作は、深作監督作品の中では“駄作”とも言われているらしいけど、深作映画をそんなにたくさん見ていないから何とも言えないが、決して駄作だとは感じなかった。

 何より、やっぱり緒形拳が素晴らしい。昭和のだめんずを見事に愛嬌ある男として演じていらっしゃる。ハッキリ言って笑っちゃうシーンが多々あり、そのほとんどが、一雄の愚かしさから来る行動に対して。何というか、基本的に憎めない男に描いているのだよねぇ。原作でもそうなのかしらね。

 一雄を取り巻く女性たちが豪華女優陣。原田美枝子も松坂慶子も美しく大胆な濡れ場シーンで眼福だが、私が一番印象に残ったのは、なんつっても、妻を演じたいしだあゆみ様。二男の回復祈願でヘンな宗教にはまって髪振り乱して拝んでいるのも鬼気迫るが、一雄を振り切って出ていくシーンなんか、思わず、ぷぷっ、と噴き出しそうになる。あんだけ「二度と戻りません」なんて啖呵切っておいて、戻ってきちゃったりとかも、なんか可愛い。そして、何だかんだ言っても、一雄のことはぜ~んぶお見通し、、、という不敵な笑みも怖い。

 警察で、恵子とヨリ子が鉢合わせになるシーンが面白い。恵子のおでこを、ヨリ子がペシッと叩くんだけど、それが「何よ、この女!!」という感じじゃなく、「めっ!!」という感じで、思わず笑ってしまった。それを横で見ている一雄の間抜けっぷり。警察官役の蟹江敬三もイイ味出している。

 恵子と一雄の壮絶な喧嘩シーンは、深作監督らしいバイオレンス調で、見応え有り。中原中也の真田広之は、ちょっと違和感有りだが、太宰と喧嘩した後で突然「汚れちまった悲しみにぃ~」とか大声で喚きだすのは、正直言ってドン引きというか、小っ恥ずかしいというか、、、いたたまれなくなってしまった。岡田裕介の太宰はまぁまぁ感じ出ていたかな。

 檀一雄の作品、一つも読んだことないので、ちょっと読んでみようと思います。ついでに沢木の「檀」も。

 

 

 

 

 


その後の檀家は、、、

 

 

 

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