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「校合雑記 巻の壱」の解読 37


校合雑記巻の壱 37P

「校合雑記巻の壱」の続き、36P15行目より。

一 江州大津の城主、京極宰相高次盤、
家康公の御味方と成て、城越守りて後尓、寄手と和睦
して、高野山尓蟄居有しを、
家康公、召出され介る尓、宰相辞退ハ理(ことわ)りなれとも、
数万の敵兵、九月十四日迠大津を攻(せめ)か春ミ(掠み)、関ヶ原江
遅参春るニ依て、九月十五日之戦ひ尓、敵陣もろく
破れし可ハ、高次の粉骨むなし可ら須゛とて、つ以尓
若狭國をあ多へらる。玄旨も又、数万之敵尓圍れ、
九月十二日迠篭城世ら連し上、
家康公い可て御氣色有べき。又幽斎尓限ら春゛、歌
よむ人、月花尓能ミ心を移し、家業ニ怠り、鋭気越
鈍く春るの論も、い王れなし。凡詩歌盤心さし能
ゆく所、物尓かんして言葉尓阿ら王須。習(なら)ひなるを、
い可でみ多り(猥り)尓破り捨(すつ)べき。其上、名高(なだかき)を將士の敵、
世の人乃口春さミ(ずさみ)尓阿れ盤゛、必春゛、武備(ぶび)尓怠りし人の、
※ 武備(ぶび)➜ 戦いに対する備え。軍備。兵備。
な世る業ともいひ難し。

【 読み下した文】

家康公、召し出されけるに、宰相辞退は理(ことわ)りなれども、
数万の敵兵、九月十四日迠、大津を攻め掠(かす)み、関ヶ原へ
遅参するに依って、九月十五日の戦いに、敵陣脆(もろ)
破れしかは、高次の粉骨虚しからずとて、ついに
若狭国を与えらる。玄旨も又、数万の敵に囲まれ、
九月十二日まで、篭城せられし上、
家康公、いかで御気色有るべき。また幽斎に限らず、歌
よむ人、月花にのみ心を移し、家業に怠り、鋭気を
鈍くするの論もいわれなし。凡そ詩歌は、心ざしの
ゆく所、物に感じて言葉に表す習(なら)いなるを、
いかでみだりに破り捨つべき。その上、名高きを将士の敵、
世の人の口ずさみにあれば、必ず、武備(ぶび)に怠りし人の、
なせる業とも言い難し。

(37P2行目途中まで、以下続く)

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午後、電話で約束の、浜松在住のMさんが訪れる。学校の先生退職後、郷土史の勉強を始めて、出身の森町、在住の浜松、磐田、掛川などで、郷土史の研究や発見をそれぞれの郷土誌に発表されている方であった。共通の話題も多くて、たちまち2時間近く経ってしまった。Mさんは古文書の解読はされないようで、必要があればその分野で協力することを約した。また新しい知り合いが出来て、色々と楽しくなりそうである。

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