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「校合雑記 巻の壱」の解読 32


校合雑記巻の壱 32P

「校合雑記巻の壱」の続き、31P5行目より。

是ゟ又、玄旨篭城し、滅期(めつご)ニ至らバ、書傳、那可゛/\多へなん事越、
※ 滅期(めつご)➜ 入滅の時期。臨終の時。
※ 書傳(しょでん)➜ 古人が書き残した書物。また、その注釈書など。
な希き思召し 禁中ゟ御扱(あつかい)あるべしとて、
勅使、冨小路中の院をして、急き寄手(よせて)と和談して
※ 寄手(よせて)➜ 攻め寄せてくる側の軍勢。
終尓退城有て、丹波国尓至り、亀山の城主ニ逗留して、
其後京へ上り、吉田の随神庵尓暫く住居せられ介れ盤、
おとつるゝ人多き中尓、先光廣卿江、幽斎歌書(かしょ)越送られ
※ 歌書(かしょ)➜ 和歌に関する書物。和歌集や歌学書・歌論書など。
し尓、光廣其書深く納て、未(いまだ)見給ハさり介る可、此時
返し給ふとて、
  阿希て見ぬ 可ひもあ里介り 玉手箱
    ふ多ゝひ返春 うらしまの浪
      返し
  うら志満や 光越そへて 玉手箱
    あ希て多尓見春 返須浪可奈
其頃公卿、僉義(せんぎ)有て、一同尓奏(そう)し申され介る盤、
※ 僉義(せんぎ)➜ 多人数で評議すること。また、その評議。衆議。
應仁の頃、東下野守(しもつけのかみ)(常)(つねより)、古今集越宗祇(そうぎ)尓川多へ、宗祇
より三條家三世(逍遥院、称名院、三光院)を経て、今彼秘決、幽斎
尓傳王る。され盤、此集、武家尓出て、重年て公家尓傳里し
ためし、東下野守可例あれ盤、幽斎、古今集越公家尓
傳へ申やふ尓、勅志(勅旨)給ふ遍起尓やとあり介れ盤、則、幽斎ヲ
※ 勅旨(ちょくし)➜ 天皇の勅命を下達する文書。尋常の小事の場合に用いられた。
禁中尓召されて、玄旨ハ歌道尓其名高く、其うへ
古今和歌集の伝授、此頃公家ニも多へ(絶え)多りしを、玄旨
(さいわい)尓其傳を徒く(継ぐ)。然者、八條の知仁とし頃、和歌尓心
※ 八條の知仁 ➜ 八条宮智仁親王。正親町天皇の孫。歌人。細川幽斎から古今伝授を受く。
※ 年頃(としごろ)➜ ここ数年の間。年来。
さし深し。苦しから春゛ハ、彼知仁尓傳へよ可しと綸言(りんげん)
※ 綸言(りんげん)➜ 天子の言葉。天皇の仰せごと。
有介連ハ、

【 読み下した文】

これより又、玄旨篭城し、滅期(めつご)に至らば、書傳、永々(ながなが)絶えなん事を、
嘆き思し召し、禁中より御扱いあるべしとて、
勅使、富小路中の院をして、急ぎ寄手(よせて)と和談して、
(つい)に退城有りて、丹波国に至り、亀山の城主に逗留して、
その後京へ上り、吉田の随神庵に暫く住居せられければ、
訪るゝ人多き中に、先(さき)光広卿へ、幽斎歌書(かしょ)を送られ
しに、光広その書深く納めて、未だ見給わざりけるが、この時
返し給うとて、
  開けて見ぬ 甲斐もありけり 玉手箱
    再び返す 浦島の浪
      返し

  浦島や 光を添えて 玉手箱
    開けてだに見ず 返す浪かな
その頃、公卿、僉義(せんぎ)有りて、一同に奏(そう)し申されけるは、

応仁の頃、東下野守常縁(つねより)、古今集を宗祇(そうぎ)につたえ、宗祇
より三條家三世(逍遥院、称名院、三光院)を経て、今かの秘決、幽斎
に伝わる。されば、この集、武家に出でて、重ねて公家に傳わりし
(ためし)、東下野守があれば、幽斎、古今集を公家に
伝え申すように、勅旨給うべきにやとありければ、則ち、幽斎を
禁中に召されて、玄旨は歌道にその名高く、その上、
古今和歌集の伝授、この頃、公家にも絶えたりしを、玄旨
幸いにその伝を継ぐ。然れば、八條の知仁、年頃、和歌に心
ざし深し。苦しからずば、かの知仁に伝えよかしと綸言(りんげん)
有りければ、

(32P10行目途中まで、以下続く)

午前中、島田の図書館へ、置塩藤四郎と散田のことを調べに行く。

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