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「校合雑記 巻の壱」の解読 33


校合雑記巻の壱 33P

「校合雑記巻の壱」の続き、32P10行目途中より。

幽斎、勅答(ちょくとう)申して曰、下官いま多若可りし頃ゟ、
※ 勅答(ちょくとう)➜ 臣下が天子の問いに答えること。
和歌尓心越よ春るといへとも、おろ可尓して、いさゝ可王きまへ
知る処なし。中尓も、古今の傳盤、其身尓應せぬ業(わざ)
なりし越、先仰三光院、憐(あわれ)ミをた連て傳へ置候へぬ。
されハ、未練之業といひ、殊更、和哥の家ニもあら春゛して、
公家江相傳申さん事、いよ/\恐れ阿りといへとも、
勅命更尓、毛多し難し(黙し難し)志可能ミなら須゛水より出て
※ 黙し難し(もだしがたし)➜ 黙っていられない。ほうっておけない。
※ しかのみならず(加之)➜ そればかりでなく。
水ゟさむく藍青しといふ事阿れハ、たとへ拙(つた)
※ 水より出て水より寒く ➜ 「氷は水より出でて水より寒し」弟子が師よりもまさることのたとえ。
※ 藍青し(あいあおし) ➜ 「青は藍より出でて藍より青し」(これも右と同じ)
なきおしへなりとも、後人(こうじん)を、語り知るの王つ可能(わずかの)助希(たすけ)
ともならざらん也。よしま多、一師共闇(くら)ふ志て、万弟道尓
※ よしまた ➜ もしまた。
迷ふとも、一鳥一木の名盤世尓残るべしと、終尓八條殿へ
傳へらる。ま多、鷹丸光廣公、其任尓多へ(耐え)阿多りしとて、
是も其頃相傳有。時の人の八條殿越 勅命能傳、光廣卿
器量之傳授といひしなり。
※ 器量(きりょう)➜ ある事をするのにふさわしい能力や人徳。
或説尓、中院道村卿、西三條公國卿も、其後傳授
世られし可、公國卿の傳へられし書の奥尓、再ひ
御家へ返し候と書連しと可や。

【 読み下した文】

幽斎、勅答(ちょくとう)申して曰く、下官、いまだ若かりし頃より、
和歌に心を寄するといえども、愚かにして、聊(いささ)か、弁(わきま)
知る処なし。中にも、古今の伝は、その身に応ぜぬ業(わざ)
なりしを、先仰三光院、憐(あわれ)みを垂れて伝え置き候えぬ。
されば、未練の業といい、殊更、和歌の家にもあらずして、
公家へ相伝申さん事、いよ/\恐れありといえども、
勅命、更に黙(もく)し難し。しかのみならず水より出て
水よりさむく、藍青しという事あれば、たとえ拙(つた)

なき教えなりとも、後人(こうじん)を、語り知るのわずかの助け
ともならざらんなり。よしまた、一師ども闇(くら)うして、万弟道に
迷うとも、一鳥一木の名は世に残るべしと、終(つい)に八條殿へ
伝えらる。また、鷹丸光廣公、その任に耐え当りしとて、
これもその頃、相伝有り。時の人の、八條殿を 勅命の伝、光廣卿
器量の伝授と云いしなり。
或説に、中院道村卿、西三條公國卿も、その後、伝授
せられしが、公國卿の伝へられし書の奥に、再び
御家へ返し候と書かれしとかや。

(33P8行目まで、以下続く)

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午後、掛川図書館に、本郷の小澤甚一郎さんのことを調べに行く。良い資料は無かった。

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