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「校合雑記 巻の壱」の解読 20


校合雑記巻の壱 20P

「校合雑記巻の壱」の続き、19P8行目より。

弥右衛門卒去之後尓、室二人の子越養育して、彼里尓住
志給ひり。其頃、信長の同朋筑阿弥といふもの願ふ事
※ 同朋(どうぼう)➜ 同朋衆。中世、将軍家にならい諸大名家に設置され雑務に従った職。阿弥号を名乗る。
有て奉公をや免て古郷なれハ中村尓帰り居介るを、里人
取計ひて弥右衛門可後室の家江筑阿弥ヲ入て夫御(せなご)と成(なす)。程なく男女二人生。
※ 夫御(せなご)➜ 夫または兄など、男を女から親しみ尊んでいう語。
男子を初名小筑といふ。後改て、羽柴小一郎、秀長と称須。其後、
美濃守尓成り大納言尓任春゛。大和、紀伊和泉の太守なり。
※ 太守(たいしゅ)➜ 一般に、幕府の高官や領主のこと。
女子盤朝日姫、
家康公の御臺所となり、程なくかくれ給ふ(法名号南明院殿)。世に
秀吉公の初名尓筑と言ひて実尓筑阿弥可なりといふ盤、
大納言秀長可事を誤りていへるなり。
秀吉公、彼里尓まし/\て、幼き時より、才智尋常尓替り
しとなり。実父弥右衛門死去の時、永楽銭壱貫文を秀吉公ニ
母義の分得(ぶんとく)せら連介る尓、十六歳の時ちくてん(逐電)世られて、同州
※ 分得(ぶんとく)➜ 分けてもらう。配分を受ける。
※ 逐電(ちくでん)➜ 逃げ去って行方をくらますこと。出奔。
津嶋尓い多り、物縫針を買取、身ニ者かふ具めんといふものを着
給ひて、遠州迠下向有。
※ 下向(げこう)➜ 都から地方へ下ること。

【 読み下した文】

弥右衛門卒去の後に、室、二人の子を養育して、かの里に住
し給いり。その頃、信長の同朋、筑阿弥というもの、願う事
有りて、奉公をやめて、古郷なれば、中村に帰り居りけるを、里人
取計らいて、弥右衛門が後室の家へ、筑阿弥を入れて夫御(せなご)となす。程なく男女二人生まる。
男子を初名、小筑という。後改めて、羽柴小一郎、秀長と称す。その後、
美濃守になり、大納言に任ず。大和、紀伊、和泉の太守なり。
女子は朝日姫、
家康公の御台所となり、程なくかくれ給う。(法名号南明院殿と号す)世に
秀吉公の初名に、筑と言いて、実に筑阿弥がなりというは、
大納言秀長が事を誤りて言えるなり。
秀吉公、かの里にまし/\て、幼き時より、才智尋常に替わり
しとなり。実父弥右衛門死去の時、永楽銭壱貫文を、秀吉公に
母義の分得せら連介る尓、十六歳の時逐電せられて、同州
津嶋に至り、物縫針を買い取り、身にはかふ具めんというものを着
給いて、遠州まで下向あり。(「かふ具めん」不詳)

(20P4行目途中まで、以下続く)

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O氏依頼の古文書、解読を終わり返送する。

読書:「守り神 秋山久蔵御用控 24」 藤井邦夫 著

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