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駿台雑話壱 40 袖ひぢての歌(前)

(富士市、岩本山公園の満開の桜 3月30日撮影)

午後、駿河古文書会に出席した。今期最後の例会で、総会が行われた。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  袖ひぢての歌
※ 袖ひぢる - 袖を濡らす。
座中一人和歌を好める人ありしが、只今まで、元方の歌、誰も口馴れたる事に候えども、人心善悪のにして、意得べき事とは、思いよる人なく候に、御物語にて始めて承りて候と言えば、翁、古今集は外の集と違い、その歌いずれも誠実に候故、自ずから道理に通わして見るべくこそ候え。
※ 幾(き)- 細かいきざし。

右の元方の歌にさし継ぐ、貫之が自から詠みたる袖ひぢての歌を載せしも、月令孟春の始めに「東風凍を解く」とあるに叶いて、心ありて見え侍る。その故は春風の凍をとくこそ、陽和の至る最初にしるしにて侍れ。
※ 袖ひぢての歌 -
   袖ひちて むすびし水の 凍れるを 春立つ今日の 風や解くらむ
※ 月令(げつれい)- 年間の政事や儀式を、月ごとに区別し、順序立てて記したもの。
※ 孟春(もうしゅん)- 春のはじめ。初春。


かの霞、鶯などようの事は、これ程に的実には覚え侍らず。されど春風の凍を解くというばかりにては、如何に詠み叶えたりとも、さまで余情あるまじきに、いにし歳の、春過ぎての後より、夏秋冬を経し事を、袖ひぢく結びし水の凍れるをと、一首の中に詠み込めて、さて春立つ今日の風や解くらむと、今また春に還る心にて結びし事、千鈎の重さある物から、歌に長けありて、余情限りなきものなり。
※ 千鈎(せんきん)- 非常に重いこと。きわめて価値の高いこと。(「鈎」は目方の単位。)

この外の歌も、古今集に載せしは、何れも言葉素直にて、何の手もなきよ
うにて、打吟すればその味自ずから深長にして、言外にあるように覚え侍る。詩にていわば漢魏の楽府、古詩の如し。詩は盛唐といえど、漢魏の詩は、実情より発して、自ずから巧拙を離れて見ゆ。更に同じものにあらず。
※ 楽府(がふ)、古詩(こし)- 漢詩の古い形式。漢魏六朝の詩体に準拠して作られた詩体。
※ 盛唐(せいとう)- 中国文学史上、唐代を四分した第二期。玄宗の開元から代宗の永泰までの約50年間。唐詩の最盛期で、李白・杜甫・王維らが活躍した。


古今集の歌もしかなり。その言葉姿、後の作者の及ぶべき事柄とは見えず。これを思うに、さして撰者詠み人の科(とが)にもあらず。文章は時と上下すとあれば、時代の盛衰に連れてかくあるにこそ。如何思い給えると言えば、翁の仰せられよう違うまじく覚え侍る。歌人の論も大方、さにてこそ候え。
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