平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
駿台雑話壱 48 釈寂室が秘訣(三)、「壱」の終りに

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読も今回で終る。
釈寂室が秘訣(つづき)
されば、父母は、我が出来し本なり。我を生じて我を育す。一毛一髪までも、父母の遺體にして遺愛のある所にあらざるはなし。如何して忘るるべき。
※ 遺體(いたい)- 父母の残してくれたからだ。自分の身体。
さて君恩に浴して、「餓えず寒からず」妻子を養い、親族を賑わす。すべて「生を養ひ死を送る」の道、世話に言う箸一本までも、君恩にあらざる事やある。如何して忘るるべき。
されど飽くまで食し、煖に衣(き)て、君父につこうまつ(仕)る道をも知らずば、禽獣に近かるべし。幸いに聖人の教えによりて、義理のあらましをも知り、禽獣に免がるゝは、これ聖人の大恩にあらずや。如何して忘るるべき。
およそ人として、常にこの三つを忘ずば、天理自ずから滅びずして、本心を失うに至らざるべし。衆善の集る所ともいうべし。翁は常にこの三つを忘れず思い出て、身にしむばかりに覚え侍る。家学の要訣とも申しつべし。
※ 衆善(しゅうぜん)- 多くの善事。多くの善人。
※ 家学(かがく)- その家で親子代々にわたって受け継いできた学問。
※ 要訣(ようけつ)- 物事の最も大切なところ。奥義。
今人家の子弟見るに、多くは我身の楽をのみ思うて、君父の恩を思い知る心なきよりして、言行に慎しみなく、放逸に流れ侍る。また老子碩学と称する人も、聖人の恩を身に思い知らざるが故に、自から高ぶり、名聞を務めて、篤実なる方は露(少しも)残り侍らず。
※ 碩学(せきがく)- 学問が広く深いこと。また、その人。
※ 名聞(みょうもん)- 世間での評判や名声。
もしこの翁が家の要訣を授けて内省せしめば、陽浮の気を降伏して、誠実にすゝむの媒(なかだち)ともなりぬべし。されど彼が師という、弟子というは、程朱親切の訓を聞いては、嘲笑いて頭痛すというもあり。悪心すというもありと、人の語りしが、翁が今いう説を聞かば、さこそ嘔吐もしぬべし。もし世に篤学の人しあらば、老耄の瞽言にあらざる事を知らんかし。
※ 悪心(おしん)- 胸がむかむかして、吐き気のすること。
※ 瞽言(こげん)- でたらめな言葉。
「駿台雑話 壱」終り。
雑話ながら、なかなか難解な部分が多く、解読して居ながら、理解は半ばといったところである。続けて「弐」以下も読みたいが、気分を変えるため、続きは暫し置いて、しばらく別の本を読もうと思う。
駿台雑話の中で、朱子学の格物致知の学に対して、陽明良知の学がアンチテーゼとしてあちこちで取り上げられている。陽明良知の学はこの後、幕末に懸けて倒幕の理論武装に利用されたことは良く知られている。格物致知の学は室鳩巣ら、幕府の御用学派で、統治の道具として利用されたとされる。しかし、明治になって、西洋科学を抵抗なく受容し、一気に近代化が図れた素地は、陽明良知ではなく、格物致知の学の思考方法があったということは、余り知られていない。
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