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峡中紀行上 9 九月八日、(相峡)界河を越す

(散歩道のオオツルボ - 地中海沿岸原産、 ユリ科の花)

長い雨期(?)も抜け、花粉の飛散も終わって、何とも爽やかな風になった。長い隠遁生活にも終止符を打って、そろそろ、外界へ出なければなるまい。

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

嶺西の茶店に過ぐ。阪路(さかみち)を登り降りする事、三、四にして、小原の駅、四瀬の駅を歴(へ)つ。駅、小仏の嶺(とうげ)を去ること十三里。民戸頗る整いし。
※ 民戸(みんこ)- 中国、明代の戸籍の一。農民・商人と匠戸に編入されない手工業者から成り、州県に属し、税役を課せられ、里甲制の基礎となった。ここでは単に「民家」でよい。

竹鼻阪、貝坂、皆下る。迺ち嶺の極めて高きを識るなり。左側林樹の間、湘水隠見す。云うこれ猿橋の下流なり。水色頗る恬(しずか)なり。
※ 皐(さわ)- 「沢」のこと。
※ 湘水(しょうすい)- 相模川のこと。
※ 隠見(いんけん)- 隠れたり見えたりすること。見え隠れ。


美稲の駅を過ぐ。想う、春月桜花、當(まさに)盛んに開くべしと。阪尽きて、小猿橋有り。長さ十二丈、皐猪川に跨る。橋を過ぎて阪有り。藤野村、関野の駅を歴て、また下る。道左に湘水復(ま)た見え、一小壟を隔て、轎中俯して窺うべし。南方崖懸る。数大乱石水中に立つ。その幾ばくを知らず。水激洶涌然、嚮(さき)恬然なるものに似ず。益(ますます)下りて界河(境川)有り。河に小橋有り。則ち相峡岸を隔て界を為す故に名づく。
※ 小壟(しょうろう)- 小さな小高い丘。
※ 乱石(らんせき)- ごつごつとした岩。
※ 激洶(げききょう)- 水の勢いが激しいさま。
※ 涌然(ゆうぜん)- 水などが盛んにわき起こるさま。
※ 恬然(てんぜん)- 物事にこだわらず平然としているさま。
※ 界河(さかいかわ)- 境川。
※ 相峡(あいきょう)- 相模と甲斐。


已に河を過ぎれば、行人相逢う。往々に笠を卸し下る。馬より藩の號帯を識るが為の故なり。また阪に上り諏訪に至る。晴れて暖かなり。轎中揺々睡を生するを覚う。皆歩(ほ)して上野原に至りて、を命ず。駅舎繁といえども佳からず。
※ 行人(こうじん)- 道を行く人。通行人。また、旅人。
※ 往々(おうおう)- 物事がしばしばあるさま。
※ 號帯(ごうたい)- 鎗印。
※ 揺々(ようよう)- ゆらゆらと揺れ動くさま。
※ 炊(すい)- 飯をたく。
※ 駅舎(えきしゃ)- 宿場の旅籠。(沢山あるが良くない)


鶴川を渉りて山行し、鶴川の駅、袋尻の駅、八坪の駅、蛇城新田、狗目の駅を過ぐ。長岑(みね)阪に陟(のぼ)り、阪の右古塁跡あり。機山の時、加藤丹後なる者築く所、塁前一小池あり。土人誇りて称す。峡中八湖の一にして、水旱にも涸溢せずとや。これ陥井、僅かに蛙容れるもの、豈(あに)湖と云わんやかな。塁もまた甚だ高からず。
※ 機山(きざん)- 武田信玄の道号。
※ 加藤丹後(かとうたんご)- 加藤景忠。戦国時代の武将。甲斐国都留郡上野原の国衆。甲斐武田氏の家臣。都留郡上野原城主。
※ 水旱(すいかん)- 洪水と日照り。
※ 涸溢(こいつ)- 涸れたり溢れたり。
※ 陥井(かんせい)- 陥穽。動物などを落ち込ませる、おとしあな。


(しこう)して、東小仏より西に篠籠に及び、南は鶴縣を尽くして、皆一眺すべし。蓋し、界河を踰(こえ)て、ここに来たる。足指皆仰く。漸く行きて、漸く高し。
※ 足指皆仰(あおの)く。- つま先上りになっている様子。
その地、すでに小仏の腹と相値うことを覚えざるのみ。

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