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東海道分間絵図の世界

(「東海道分間絵図」の金谷宿辺り)

午後、「島田金谷の考古学と歴史」第8回に出席した。今日のテーマは「近世東海道を歩く-東海道分間絵図の世界-」である。「分間絵図」とは、辞書によると「街道などの距離・高低などを測量して、その結果を縮尺して書き表した図。地図。」とある。

分間絵図の歴史を追ってみる中で、最初に注目されるのは、江戸幕府が諸大名に命じて調進せしめた国ごとの地図の「国絵図」である。1644年、1696年、1835年の3回作られている。縮尺は1里=6寸、つまり21,600分の1の縮尺であった。全国をそれぞれ74枚、84枚、83枚と例外を除いて1国1枚にまとめたものであった。

次に「江戸図」は北条氏長の「万治年間江戸測量図」に始まるが、やがて遠近道印の各種「江戸図」が発行され、一般庶民にも手に入るようになって、評判を呼んだ。

勢い付いた遠近道印(おちこちどういん)と版元は1690年に「東海道分間絵図」を出版した。縮尺は三分=一町、つまり12,000分の1の縮尺で、菱川師宣が絵を描き、折本5帖で、巻1-日本橋から小田原、巻2-小田原から府中(靜岡)、巻3-府中から吉田(豊橋)、巻4-吉田から亀山、巻5-亀山から京の構成になっている。

今日はその内の巻3のコピーが準備されていて、解読して言った。初めに分間絵図に書き込んだことが箇条書きされている。
   一 宿々において方角付の事
   一 宿々板屋くすや書分事
   一 村々名所旧跡付の事
   一 橋々間数付の事
   一 道中寺社の書付の事
   一 宿々名物をしるす事
   一 遠近山成り、所々において富士山見所事
   一 馬継駄賃問屋名付事
   一 並木松杉書分の事
   一 一里塚に何木何本有事
などが挙げられ、実際に地図に克明に記されている。現代の地図にも通じるものがあって面白い。

清書をするのに、浮世絵の創始者といわれる画師菱川師宣に依頼し、わかりやすくするために風俗なども加えて描きたいという画師の意見も入れて、「東海道分間絵図」は板行された。コピーを解読しながら見ていったが、実際に旅をしているように絵図が楽しめる。よく売れたようで、内容を改定したものがその後何版か出版されている。

東海道を扱った出版物としては、浅井了意作の旅日記仕立てのガイドブック「東海道名所記」や、秋里籬島作・竹原春泉斎絵の名所案内である「東海道名所図会」がある。その後、東海道物としては、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」へと発展し、地図という面では、内陸部には1807年に「東海道分間延絵図」が作成され、海岸部は伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」へと発展していく。

今日の講義では既知のことが多かったが、それらを江戸時代における一つの系譜として捕えた点は勉強になった。また分間絵図が、描かれた絵の部分と、測量に基いた地図の部分を兼ね備えたものであることを初めて知った。デフォルメされて実際の距離とは関係の無い絵なんだろうと思っていたが、意外と正確に実測されたものだと知った。
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