心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ギフト

2017年03月31日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

目をつぶり
背中を伸ばす
あごを挙げ
両手を軽く広げる

一連の流れが
空気をわずかに揺らす
深く胸に入り込む
新しい空気

思い描く向こうでは
光が山の稜線を赤く染めて始まる
朝という
当たり前のようで
特別の瞬間が待っている

さあ
目を開いて
思い切り
一日の始まりを味わおう

※※※

目に見えるものだけが全てではないのだと
そっとあなたの肌を撫でていく

ぬくぬくとした感覚は
そこに在るはずの
形としては無いはずの
どこか懐かしい色を体に染みこませていく

やがて
ほんの少し感じたものが
あなたの周りすべてに漂っていることに
気づくだろう
そして
あなたは知るだろう
ギフトの意味を

※※※

冬のなごり。もはやこの景色は無くなる・・・

※※※


『ふりまわされない。』

2017年03月31日 | 紹介します
小池一夫のココロをラクにする300の言葉 『ふりまわされない。』 ポプラ社

ブログ仲間の閑古堂さんが紹介していた記事を読み、すごく興味が湧いて本屋(といっても地元には三軒だけ)巡りをして2軒目で見つけた本です。

小池一夫キャラクターマン講座

漫画家だということは知っています。あの「子連れ狼」の作者だってことはね。原作は読んだかなあ・・・ 漫画大好きなわたしですが、男性作家のはあまり読んでいないのです。『別マ』とか『りぼん』時代からの漫画好きです。

で、その小池さんが御年80歳! ですよね~。わたしが子供の頃からの現役ばりばり作家さんですからね、もうそんな年なんですね。
しかもこの本を手にしてからわかったのです。小池さんは秋田県出身だということを。県南出身だったのですね。にわかに親近感が湧いてきましたよ(単純です)。

閑古堂さんが座右の書にしたくなるということが分かります。
確かにわたしもそうしたい! って思いましたもの。
小池さんがツィッターでつぶやいてきた言葉の中から選りすぐりのものを300載せています。

風邪で布団生活を余儀なくしていたわたしの枕元にこの書を置き、目が覚めて眠りに入れなくなると開きました。開きながら読み進むとどれもこれも「納得」する言葉ばかりで、付箋を用意していなかったのですぐページを折り、これはすごいと思う箇所を折り、そんなことをしていたらほとんど折っていました(笑)。
この本、かなりお勧めです。
名言だらけです。

言葉を紹介するといってもほとんど折っているので、本の内容を全部書き出してしまうことになるのでそれは著作権に反するでしょうから。
例えばね。
38番目の言葉。
※※※※※※※※※※※
「誰々さンがあなたの悪口言ってましたよ」と言う人って、その誰々さンより、タチが悪い。
間違いなく。
人間関係をコントロールしようとしている人間だから
※※※※※※※※※※※

あぁ、こんなことあるなあって。でも自分もそういうタチの悪い人間だったかもしれないことを思い出す。危ない危ない。

そしてこんなことも
63番目の言葉。
※※※※※※※※※※※
心配事の9割は起こらない。
幸せの9割は起こる。
ポジティブシンキングな人と、ネガティブシンキングな人との考え方は、そこが違う。
ネガティブシンキングなら、ノーシンキングのほうがマシ。
10割起こるのは、いつか死ぬことだけ。
※※※※※※※※※※※

くよくよするより、楽しい事に目を向けて生きるほうがずっといい、そうさいつか来る「死」をくよくよ考えるより今を生きる楽しみを味わおう♪ そんな気持ちになってくる。布団の中で自分の細胞がだんだん元気になっていく気がしたのです。

そしてこんな言葉も
165番目の言葉。
※※※※※※※※※※※
今自分が言おうとしている言葉が、相手の人間の記憶に一生残る、相手を一生苦しめるかもしれない、という覚悟がないのなら、
その言葉は自分が飲み込むべきだ
※※※※※※※※※※※

言葉の力を言い得て妙なり。ただただ感服する。小池さんのツィッターをフォローして名言を読みたいけど、ツィッターをしていない私には読めないのです。でもこの本があるだけでも幸いです。
なんだか小池さんに会いたくなります。
会うだけで元気をもらえそうな、そんな人じゃないかなと勝手に想像してしまいます(笑)。
わたしも座右の書にしたいと思います♪

それにしても先に紹介した『こころのさじ加減』の高橋さんもそうでしたが、高齢の方の本がなんとも味がある、今の80・90・100歳代の方達はなんてお元気なのだろうと驚いてしまいます。




ただ泣きたくなるような

2017年03月29日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

ただ泣きたくなるような
拾い上げたささやかな花びらにさえも

ただ泣きたくなるような
遠い山の稜線に日が沈んでいく姿をあがめるだけで

ただ泣きたくなるような
トム・ウェイツを聴いていると
彼を教えてくれた人を思い

ただ泣きたくなるような
自分のことは二の次に行動していたその姿を思い出すと

ただ泣きたくなるような
人を喜ばすことを純粋に楽しんでいた姿を思い出すと

そうしてあなたは
逝ってしまう
わたしたちに”善き人”という姿を焼き付けて

そうしてあなたは
空の向こうでかすかに微笑んで
愛しい人たちを見守ってくれるのでしょうか

※※※

さよなら またあした
そう呼びかけることができたなら

もう またあしたと
応えるすべはなく
残されたものたちで交わしていくだけ

さよなら
さよなら
忘れないで

さよなら
さよなら

ことばの向こうで微笑む人が見えます

※※※

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健康でいること

2017年03月29日 | 母のこと
ここ数日の風邪はわたしからどんどんやる気をもぎ取っていった。
いつもの鼻風邪ぐらいに最初思っていたのだけど、どうにもこうにも動けない。横になっているのが一番だと横になる。テレビも読書も何もしたくない。
鼻水・くしゃみだけで終わると良かったのだけど、だるくて何もする気力がわかない。風邪は母にうつすと大変なので、極力風邪を引いたと思ったときは母のところに行かないようにする。昨日、午前中に母に電話して報告すると、前日にわたしが仕込んでいた鶏手羽肉を味付けしておくし、おはぎも作っておくからと言われた。無理してこないようにと。
でも夕方もし来ることができるようだったら、おはぎと鶏肉を取りにこればいいと。

手の不自由な母に無理をさせられないと思っていたのに。

でも午前中は全然起きることができなくて、飲んだ常備薬が効いたのか眠った。
昼過ぎ、一本の電話で目が覚めた。
友人からの電話は訃報を伝えるものだった。なんということだろう。
少し回復したので、友人の家まで行き、友人を乗せて不幸のあった友人宅へ。病に倒れずっと闘病していた旦那様が家で息を引き取ったという。元気な頃の姿から想像できないほどやせ細っていた。

帰りは友人宅まで送り届け、母のところへ行った。
母も知っている方の訃報を告げると、「そうか、とうとう・・・」と言葉が続かなかった。弟がたいそう世話になった方、本当にあの方がいてくれたから弟も生きる元気をもらえたのだ。
わたしの風邪を心配し、おはぎも鶏肉もしっかり作っていた。
しかもなんと茶碗蒸しまで作っていたのだ!
これにはびっくり。
不自由な手で包丁を握り、がんばったであろう母の様子が目に浮かんだ。

ありがとう。
ほんとにありがとう。

「旨いかどうかわからないが、これを食べてしっかり寝るといいよ。風邪は早く治すが肝心だ」と言われうなづいて帰る。

母の気持ちがギュッと詰まった茶碗蒸し。あり合わせのものを使ったというが、とっても美味しかった。
この母に心配かけるなんて、わたしは大馬鹿者だ。
夜中、今度は喉の痛みがひどくなり咳も止まらず。朝方測ると熱も出てきた。
もうこれは観念して病院だな。
近くの耳鼻科に行って診てもらうと喉がかなり赤くなっていると言われ、インフルエンザの検査もしてもらう。それは大丈夫だった。鼻と口の吸入をしていただき、それぞれの症状に対する薬を処方していただく。
なんだか診てもらっただけで治ったような気持ちになるから不思議だ(笑)。

早く治して母の不安を払拭させねば。
それにしても、親というものはありがたいものだとつくづく思う。


鬼の霍乱か

2017年03月28日 | ほんのすこし
スマートフォンから。
熱は上がっていないもののだるいしあちこち痛いし、鼻水は出るし。
夜中は咳が。
それでも何か食べてから薬を、と思い米を研ぎ、炊いた。春キャベツをチン、塩、オリーブオイル、新玉ネギサラダ、蕪とキュウリの和え物。野菜を採ろう。

タラコが、炊きたてご飯に美味しい。納豆もうまい。
食べれるってなんていいんだ。
常備薬の薬を飲む。
だるさは取れず、でも鼻水が止まったのは少し嬉しい。
寒気があるので布団に。
午後には回復するだろう。

こんな日に限って眩しい程の天気だよ。疲れたから寝るとしよう…


空はいいなあ

2017年03月27日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

見上げる
そこにある色
たまにぴかぴかと
眩しいほど目に突き刺さる色

空はいいなあ

地面を見ながら歩いていると
何かが落ちているかもしれないとせっせと下を見て歩いていた人がいた

下ばかり見ていたから
空の青さに気がつかなかった
すぐそこに普通にあったのに

空はいいよお

ただ黙って見上げているだけで
自分もその中の一員だと思えてくるから
いつか空に溶けることを願って
こんなぴかぴかの空を見つけたときは
嬉しくなるんだ

※※※

ココロは誰にもわからない
自分のことが分からないのに
どうして他人のことがわかるのだろう

言葉だけでは足りないこともある
目を見ただけでは分からないこともある
分からないことをわかり合えるためには
何が必要なのだろう

自分で作った壁を
自分から破るために
何が必要なのだろう

※※※

春なのに

2017年03月27日 | ほんのすこし
もう三月も末。
なのにどうしたことか、寒いのです。今年の冬は雪も少なくてこれは春の訪れは早いのだろうなと思っていたのですが、どこか裏寒い感じが抜けません。
それでもこんな風に空が眩しく感じると、もう少し待てば春真っ盛りといった時季になるだろうと。



もう線路向こうに冬中あった除雪車が出動する気配はありませんが。



まもなく彼らもどこか格納庫に入るのか、野ざらしになる場所にいくのか。彼らの行く末までは知りません。おつとめご苦労さま、と一声かけてあげたい気分です。

肌寒い春、はたして今年の天候はどうなることやら。雪の少ない冬、なかなか暖かくならない春、と来たら夏はどんなでしょうか。昨年のあの暑さを思い出すと涼しい夏であってほしいと願います。天気だけは調整できませんね。

今は自分の体を鍛えること、それが暑さ寒さに耐えるために大事だなと。
腹筋も毎日続けてきたら、ちょっとした時間で出来るようになり、やらないとどうも調子が悪い気がしてなかなかいいなと。でも腹筋と呼べるような回数でもないけど(笑)。だんだん多くしていけたらと思っている、そんな軽い運動なのです。それでもやらないよりはましでしょ。

冬の間、体を持てあまし自堕落な生活をしてきたしわ寄せがまるで冬ごもりのクマのごとくで。それを今、払拭しようと焦っているわたしです。
といってもなぜ焦るかというと、少し痩せたら着ることが出来るだろうと予測して購入したワンピースとかスカートがあって、それが入る自分を思い描いているのです。さぞかし・・・ うふふ・・・ あれ? でも無理なんじゃない?
若すぎるデザインや柄、果たしてこれでいいのだろうか?
今は痩せてもはたして着る勇気があるのだろうかと、そっちの方が心配になっているのでした(笑)。
体重は全然だめですけどね。


せっかく早起きしたが

2017年03月26日 | ほんのすこし
少し沈滞。
沈んでいく。

今日はこれから上昇するのか、わからない。

なんと浮き沈みの激しいこと。

あんなに布団の中では言葉が次々と溢れてきていて、起きたらすぐにでも・・・ と思っていたのに。一連の起床のルーティンをこなしていたら言葉が、あんなにあると思った言葉がひとつも浮かんでこない。
最近はこの繰り返しだ。

不安と心配が想像だけで広がっていく気がする。

これは時間をおかないと無理だと思った。

「大丈夫?」と言葉をかけていいのか悪いのか、その判断すら鈍る。
考えることがありすぎて、頭がパンクしそう・・・



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びっくりびっくり

2017年03月25日 | ほんのすこし
裸のお話でごめんなさい。

年末年始以来、お風呂といえば母の家で入る、というのが習慣になっていました。以前は母とふたりで温泉に行っていたのに、昨年の四月に母のお風呂&台所のリフォームをして以来、母はすっかり自分の家のお風呂が気に入ったようでした。わたしはしばらくひとりで温泉に行っていたのですが、この年末年始の母の家お風呂の経験が良かったのでそのまま温泉行きは当分お休みしていました。
最近、どうも冬の間に脂肪を溜めすぎたなと反省し、温泉で汗をかいたら効果が出るのではないかと一度行ってみたのです。
結果はやはり汗をかくせいか、体重がちょっと減っている(温泉に入る前後)のを確認し、やっぱり家のお風呂では無理があるなあと思ったのでした。それでも前のように頻繁に行くこともなく、そのときからしばらく日にちが経っていました。

昨日、前日に友人達と夜に会ったため、昨日の朝から躰全体が重く感じて「これは温泉で汗をしっかりかいたほうがいいだろうな」と思ったのです。
母に「今日は温泉に行って汗をかいてくるから」と宣言。夕飯のおかずも三品完成して久しぶりの温泉に向かいました。

温泉の中は人数もそんなに多くなく、ちょうどいい案配の混み具合です。
ゆっくりサウナに入りたかったので、先に垢をこすりシャンプーもし、リンスをつけてボディシャンプーを塗りたくって・・・ いたところ。
後ろに広い湯殿があるのですが、普通の深さの湯殿と浅い深さの湯殿が並んでいて、その浅い湯殿の方から声が。
「だれか! 来てくれ!」
泡をつけたまま後ろを振り返るとそこで、見知ったお年寄りが叫んでいます。目が合うと
「早く早く!」と言います。

その方が指さす方を見ると、なんと浅い湯殿の底にだれか人の姿が見えるのです。一瞬、目が点になりましたが、慌てて泡のついた躰に湯桶の湯をざんぶとかけ、すっ飛んでいきました。他にも彼女の声をききつけた方がいたようで三人がかりでその湯殿の底に伸びている方を引き上げました。目を閉じ顔の色はどす黒くなっています。これは大変なことだ・・・
ところが、わたし、先ほどお湯をかぶったものの一回だけかぶっただけではボディシャンプーのつるつるが取れていなくてどうにもこうにも滑ります。なんとか捕まえたものの引き上げて湯殿から脱衣所まで運ぶのに苦労しました。その間次々にやってきた人にも手伝ってもらい「せーのーで!」とかけ声をかけながらようやく脱衣所に設置されたバスタオルの上につれていくことができました。ガタガタと手が震えているのが見えました。でも意識があるのだなと思いましたのでちょっとホッとしました。あの土色の顔を見たときにはもう駄目かなと思ったのです。
一体どのくらいの時間、お湯の中に沈んでいたのかわかりませんが、意識を失ったためにお湯を飲み込まなかったのかなあと素人判断しました。
後は温泉の従業員の方々にお任せして、また温泉の中にもどりましたが。

急いで躰にお湯をかけリンスを洗い流したのはもちろんです。すっかり躰が冷たくなっていました。
その後やはり救急車を呼んだようで。脱衣所に男性が入ってくるというのも非常事態。

まあ、しばらくぶりで行ってこういうことに遭遇するというのもまたなんと言いますか・・・
もちろん帰ってから母に興奮気味で報告しました。

あっ、ちなみに体重は温泉の前後測ると効果がありました。汗をかいた分良かったのでしょう。家での腹筋継続中。しまった躰を目指して頑張るぞ!
あぁいうことがあると思います。やっぱり重いと大変だなあって。助ける方も重すぎるとどうにもこうにも動きがとれないし、同じ助けるにしても軽い方が迅速な処置ができるなって。


まだ咲かない

2017年03月23日 | ほんのすこし
母の玄関先にある君子蘭は亡き父が好きだったという。花の名前は全然覚えることができなかった父がこの花だけは覚えていて、春になるとオレンジ色の花を咲かせるのを楽しみにしていたという。
今年はまだつぼみのままだ。先の方が少しオレンジ色を見せてきたけどまだ咲くには日数がかかりそうだ。
すると、ご近所さんが早々と咲いたからと母の玄関、風除室にどどんと置いていった。
綺麗に咲いたから見てくれと。自分のところではもっと沢山鉢があって咲いているからと。

母が目を細めて嬉しそうな顔をしていた。
父の命日まで自分の鉢の花は咲くだろうか。その前からこの花を愛でることができて嬉しそうだ。

父が亡くなっても母がこんな風にご近所さんとも仲良くできるのは私としてはとても安心できるし、嬉しい。一人暮らしになって何が一番困るかというとご近所さんとのつきあいが上手く出来るかではないだろうか。母は長年ご近所さんたちとのつきあいが上手く出来ていたのだろう。
昨日は午前中にご近所さんふたりが来てくれてずっとおしゃべりしていたんだよと話していた。
ひとりとてもお話のうまい方がいてその方がいると本当に笑い転げたり、あっという間に時間が経つ。人生経験豊富というか大変な人生を歩んできた人なのでお話の内容も深刻なことが多いのだけど、なぜか笑いを誘ってしまうのだ。経験を笑いに変えることができる話し方というのも素晴らしいと思う。
わたしなど、深刻なことはどうしても深刻になりがちになる。過去を振り返れば修正したくなることがあまりにも多い。それでも通り過ぎてきて今がある。生きていてなんぼのもの、死んでしまったらおしまいだとは晩年の父の口癖だった。本当にそう思う。

父が生きていたら見せてあげたいもの、会わせてあげたい人、たくさんいるけど。もう会うことも叶わない。
それでも父のことを思い出し、語り合うことで父がそばに寄り添っている気がする。そして弟もまた。
亡くなった人への後悔の念は出来なかったことがあるから出てくるのだろう。弟にやってあげることがもっとあったのに、まだ大丈夫だと思ったこと、なぜだろう。すぐ目の前に死が訪れると予測できたはずなのに。まだだ、まだに違いないと首を振っていた自分。

父が亡くなってから11年が経つ。もうそんなになったのか・・・ 自分の中ではつい数年前のように思うのだけど。三月は父の命日がある。八月は弟の命日がある。不思議なことに三月は父の誕生日が、八月は弟の誕生日がある。
人間は生まれて亡くなるのが同じ時期になるのだろうか。

きっと母の君子蘭は28日頃、花を咲かせるのだろう。
忘れないで咲いてくれたねと、微笑む父の顔が見たくて。