心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

少しずつ読み始めた

2016年01月31日 | ほんのすこし
以前、友人がすごくいいからと紹介してくれた本。
その人が言うのならと思ってamazonで注文し、ゲットしたのはいいけれど。あれ以来、テレビの下に置いたまま、じっくり中身を読むことがなかった。手元にあると(返却しなくてもいい)いつでも読めると思ってしまうのが玉にきず。そのときに他にあった小説とかに目移りしてしまい、読むのは後回しになってただただ背表紙を見るだけになってしまう。

つい最近掃除をしながら、出してきて。パラパラとめくってみた。
愕然とした。
なんてことだろう。
こんなすごい本だったのに、なんで今まで開かなかったの?
わたしってほとほとバカだ。

そんな衝撃。

ゴッホの手紙と共にスケッチだったり、そのときどきに同封されたものとかが添えられている。
さあ、これから彼の歩んだ日々を探しにいこう。
近頃になくわくわくする本、これを読まなかった自分が悔しい。



こちらは荻須高徳画文集。これを買おうと思ったきっかけは彼のリトグラフを手にしたから。もっと彼のことを知りたいと思って。
それにしても画家の本って、見ているだけで楽しい。
小説とは違うわくわく感があるなあ。


母とスズメ

2016年01月31日 | 母のこと
母が庭の砂利に古い米を蒔いてくれと言うので、パラパラと蒔いていたのは数日前。
あれからときどき頼まれたら蒔く、ときどき体の調子が良いと母も蒔いているらしい。米の匂いに誘われて、ぷくっとお腹を膨らませたスズメたちがやってくる。
テレビを見ながら、縁側の向こうに見えるモクレンの木の枝にたくさんのスズメが止まっているのを見つけて
「ほらほら、来たよ来たよ」
と嬉しそうに目を細める母。

やがて一斉に米の蒔かれている家の脇の砂利に向かうのか飛び立つ。

「スズメはね、胃がちっちゃくてね、食べてもすぐ出ちゃうからまたすぐ食べ物を入れなくちゃいけないんだよ。冬は食べ物が無いから本当に大変だと思うよ」
心配そうな顔で母が言う。

母とスズメとの付き合いは長い。
わたしが小学生の頃だったと思う。その頃母の妹(叔母)も一緒に住んでいて、叔母さんがある日勤め先から子スズメをもらってきた。母は早速その子スズメを鳥かごに入れ、毎日可愛がったものだ。チュン子となづけられたが、メスだったのかは定かではない。チュン子は野生のスズメというより人慣れしていったから、ずっと前から我が家にいたような存在になっていた。
食卓の周りをうろつき、わたしたちがこぼしたごはんをつつくことも覚えた。
眠くなると母の豊かな胸の谷間(娘のわたしに唯一遺伝しなかった代物だ!)にスポッと入り眠ることを一番の楽しみにすることも覚えた。
わたしはそんな母とチュン子の様子を見て、ひそかに軽い嫉妬を覚えたものだ。

チュン子は家の中でわがもの顔に羽ばたいていたし、好きなところを散策していた。ちゃんと母がガス台に向かったときには近づかないこともできた。休みたいときにはかごに戻り、母が入れた木の枝で休んだ。
しばらく家の中で飼っていたが、ある日母はふと思いついて、チュン子を外に出すことを決心した。もう子スズメではなくなってきたし、外の世界で暮らすことを覚えたほうがいいと思ったらしい。
でも母の中ではチュン子と別れたくないという気持ちもあったろう。母は
「外を飛んでいるスズメの中でチュン子が飛んでいるとわかるように」と赤いインクを羽根につけていた。
わたしは子供心に〈そんなことしたら、チュン子仲間はずれにされないかなぁ〉なんて思っていた。

とうとう、チュン子が飛び立つ日がやってきた。日曜日だったと思う。わたしも見ていたから。
鳥かごを外に置くと、かごの中からチュン子が頭をキョロキョロしながらトントンと前に出てきた。母が
「チュン子、みんなのところさ行け」と言った。
その途端、パタパタと羽音がしたかと思うとまっすぐ斜めの空に向かいチュン子が飛び立った。みるみるうちにチュン子の姿は見えなくなり、母の背中が少しさびしそうに見えた。
「あ~あ、行っちゃったね」とわたしが声をかけると、仕方ないよといった顔の母がいた。

その後どうやって過ごしたのかは全然思いだせない。夕方近くになって母が外から飛んできた。
そう、まさしく飛んできたという言葉がふさわしい。
その手にはあの鳥かごがあった。
「チュン子が帰ってきた! 帰ってきたんだよ」
母があんなに喜んだ姿を見たのはあの頃で一番だったかもしれない。かごの中で静かに枝に立っているチュン子。赤いインクがちょっと可哀想だと思ったが、口には出さなかった。

その後、母は何度もチュン子を外の世界に飛び立たせた。
そのたびに、チュン子は戻ってきた。

母とチュン子の蜜月のような日々。
スズメとの生活がこんなにも続くとは思いもしなかったあの頃。
母にとってはスズメといえばチュン子、今も米の匂いに誘われてやってくるスズメたちを見ては、遠い昔に可愛がったチュン子へ思いを寄せていることだろう。



 

計画というか準備?

2016年01月30日 | ほんのすこし
ずっと前に母に製作中の物語二編を印刷して持っていった。興味を示すかなとは思っていたけど、その感想を聞くのはずっとためらっていた。
ちょっと前に母の部屋の模様替えをしていたとき、その印刷物が目に入ったのを見て
「それねぇ、鞄のは前に面白かったからすぐ全部読んだんだけど、もう一つのは意味がなかなかわからなくてねぇ」
と、母が言った。
そういえば、前にもトムの話第一話を読んだら面白かったと言ってくれたなあと思った。

たしか面白くて一気に読んだと言ってくれた覚えがある。
そうか、母にはそういう物語の方がいいのか……

ということで、ただいま母に読んでもらうためにトムの第二部を手掛けている。
わたしはこういう何かきっかけがないと前に進めないタイプなのかもしれない。
それにしても今度のトムの冒険はまだ先が見えてこない。書いているわたしまでが、五里霧中(笑)
でもこういう現実離れしたもののほうがいいのかもしれないなあと思ってきた。

途中まででも出来上がり次第印刷して留守中に母に渡そうと思っている。留守の間、退屈しのぎにはうってつけのようだ。

あぁ、でもただいまガソリン切れ(笑)
少し休まないと頭もがらんどうになってます。

それにしても今日は外が明るい。日本は縦長というけど、天候の違いには驚かされる。今日の日本、どれだけ各地で違っているのだろうね。ここは明るくて眩しいくらいの空ですよぉ~♪


興味があるかなと

2016年01月28日 | ほんのすこし
孫が年末にやってくるというので、あれこれと準備していたものがある。
その中の一つがこのミッキーマウス。某メーカーとタイアップして作られたものらしい。生地がチェック柄だったり、普通のミッキーとは違う感じだったが、ミッキーマウスだから喜ぶかと思って孫のパジャマを買うときに一緒に買っておいた。

久しぶりの孫にこのミッキーマウスを出して見せた。
だが、反応が芳しくない。手に取ってみようとしない。それよりもテディベアの大小の方に手を出していた。娘曰く「ミッキーの色じゃないからミッキーだと思っていないんじゃないの」という。
そうなのか!
形だけ同じだったらいいかと思うわたし、浅はかだねぇ。

まぁ仕方がない。孫に振り向かれなくてもわたしが可愛がってあげるよ(笑)。ということで、孫が帰った後も棚の中に鎮座。これはこれですっきりしていて好きなんだけどねぇ。

こんな風にわたしが勝手にこんなものが好きなんじゃないかと用意しても相手が興味を示さないということは多々ある。何かを用意する、それが物だったりシチュエーションだったり、本や言葉だったり、相手のことを考えて用意するのだけど、全然伝わらなかったりすることもあるのだ。それは相手のことを深く考えているわたし、という設定におぼれてしまい、単なる自己満足となってしまっているのだろう。
こういうときにきめ細かく相手のことを考えることができる能力? を持っていると幸いだ。
わたしにはどうもそこのところが足りないようだ。自己満足で行動をする、それがこれまでも多かったように思う。自己満足で行動すると、相手の反応がいまいちだとかなりへこむ。それは相手の気持ちどうのこうのよりも、相手に自分のことを認めてもらいたいという気持ちが強いからだと思う。

誰かに認められたい、そのために何かをする。その何かが意に介さぬことであっても行動する、果たしてそれでいいのだろうか。わたしの数十年前は、認められたいということから始まったように思う。どんなに働いてもそれでいいということがなかった。自分の方がずっと働いているのだという意識が相手にあれば、わたしの働きなどとるに足らないものと映ったのかもしれない。今となってはその本意を探ることはできないが。
馬車馬のごとく働いた…… などと言えないが、一日中動き回っていた時期がある。その間、子どもたちはほったらかし状態だったろう。今となっては釈明の言葉も出ない。

人は誰かの上に立つものではない。皆、同じだと思いたい。だが、その頃のわたしにとっては自分と同等ではない人間がいて全てがその人間中心であった。そんな時代を振り返るたびにわたしの弱さを思う。弱さゆえに子供たちに辛さを与えたと。

※※※

ブログを回っていたときに、「今が一番円熟」だと言う言葉に出会った。自分が生きている今このときが自分の人生の中で一番輝いている、経験を積んできた行きつく先が今なのだと。それは明日生きていたら、明日がまたさらに一番なのだということを意味するのだろう。さらに、だから一日一日を大事にしていくことだと言えるのだろう。
生まれたときは何もできずただおっぱいを吸うことで生き伸びるすべを知った。それから数え上げればきりのないほど人間は経験を積んで人間として生きるすべを身につけてきた。その身に付けたものが今の自分に備わっている。学習したことや味わったことがわたしという人間の中身になっている。
そして、わたしは今日という日を越え、明日という未来が善き人への道に続くよう一瞬一瞬を無駄に過ごしてはならないのだと肝に銘じなくてはならない。

※※※

ミッキーマウスのことからまたまた脱線しちゃいました♪

天気で悩む

2016年01月27日 | ほんのすこし
2月に入ると、予定がある。
ずっと前からの予定なのだけど、このところの母の様子やら雪の状態やらで、一体いつのどこからどこまでの切符を手配したらいいのかと毎日悩んでいる。これが夏場だとそんなに悩むこともないのだが。
出発地点がバス停なのか、電車なのかでも変わってくるが、冬場だとそこまでいくのに歩くのに要する時間はどうなのか、とか。
しかも今日天気が良くても明日になれば大雪に変わるかもしれない。数日前から天気予報のチェックは欠かせない。だからいつもならかなり前にチケットをとるのだけど今回だけは直前に買うしかないなと思ったり。
時刻表やら路線図を見て、前日に行ったらいいか当日早朝に行ったらいいか、悩みは尽きなし。

たぶんギリギリまで悩むと思う。
優柔不断なわたしはこういうとき本当に難問がやってきたと思ってしまう。

仕事の方もぶつからないといいのだけど。
最悪の時はUSBメモリーに保存して持って行くか…… 質問があればそれを見て応えることができるはず。
などと余計なことまで心配してしまう。

願わくば前日当日共にお天道様が元気で穏やかな天気でありますように。当日出発だとするとバスを利用するしかないから、高速道路がダメになったら一巻の終わりだからねぇ。

願わくば母の体調が回復していますように。これが一番だなあ。
それでも12月よりはずっと良いけど。それにしても年々衰えてきているのがわかる。母も自分で衰えを感じているようで、何をするにしても出来ない・大変さが出てきてがっかりしている。動きたい人にとっては動けないことが一番辛いことだろうな。わたしみたいにあわよくば動かなくていいものであれば、ゴロゴロしていたいなんて人とは違う母のこと、あの母にしてどうしてわたしみたいなのが生まれたんだ? って思うほどだ。
これまで母は自分の病気に対して、あれこれと工夫してきた。両手首にウォーマーになるものを作ってはめていたり、レッグウォーマーなんか流行になるずっと前にもう作って穿いていたし。
固いものに当たる部分がすぐに痛くなるから、ひじを置く場所には小さいクッションを作って置いておき、ひじをつきたいときにはすぐにそれをひじに敷く。クッションみたいなものはたくさん作った。自分用にアレンジして。そんなことをしてきたけど、今は針を持つのも大変そうだ。裁縫でリメイクするのが楽しみの一つだったけど、それも出来なくなっている。絵筆を持つのも難しい。

出来ないことが多すぎてストレスがたまるんだね。
でも、そんな中でも何か楽しみを見出すのが母らしいところ。
近頃は歩けなくなってきた足で玄関まで行き、風除室に古い米を箱に置いている。何をするのかと思ったら、冬場に食べ物がなくて困っている小鳥たちにえさをあげるのだとか。
玄関脇にざざざ~と蒔いている。
小鳥たちが米の匂いにつられて食べに来るところを想像するのが嬉しいらしい。わたしが玄関に立つとたくさんのスズメが飛び立って行く。
「母さん、またスズメがたくさん来ていたよ」と報告すると、嬉しそうな顔で
「そうかそうか、足が痛いから食べるところは見ていられないけど、そうだったか……」
と言う。まだまだ何年か前の米が残っているから十分ある。きっとしばらく楽しめるだろう。

ソラマメの豆苗と普通の豆苗を食べたあと、トレイにとって水をあげている。その茎がぐんぐん伸びて行くのを見るのも好きなようだ。母にとって生き物が動いていたり、成長していたりすることを見るのが一番の楽しみ。だから春になると庭に出たくなる。早く芽を出して、と声をかけている母の姿が目に浮かぶ。今年はそれも足の痛みでなかなかできないかもしれないが、それでも逆に楽しみたくて足の痛みも遠のくのかもしれないと少し期待している。
今は冬眠してると思って過ごそう、そう言い合いながら毎日過ごしているわたしたちだ。

イーテレってどこ?

2016年01月23日 | 母のこと
昨日のこと。
午後に母の処に行くと、テレビの前にいた母が振り向きざまわたしに
「テレビ見たか?」と聞きました。
「なんのテレビ?」と言うと
「テニス、ほらあの錦なんとかの」
「えー!試合放送していたの?」とびっくりした声で言うと、
「お前知ってるかどうかわからないから電話しようかと思ったけど、多分見てるだろうなって思って電話しなかったんだ。そうかぁ、見てないのかぁ」と言いました。でも
「結果はわかるよ。さっきネットで試合結果確認したから。勝ったよね?」と言うと
「そうか! 勝ったのかぁ!」と嬉しそうな顔に。

あれ?テレビ見ていたんじゃないの?

「9時から入ってずっと見ていたんだけどさ、途中で番組が終わってしまったんだよ。続きはイーテレって言ってたから探したんだけど。イーテレってどこだ?」
「イーテレ? あぁ、Eテレね。NHKの教育番組だよ。2チャンネル」
「教育番組かぁ。BSにしてみたりして探したけど全然映らなくてさ。そうかぁ、2チャンネルかぁ。あぁ、悔しい! せっかくいいところだったのにどうなったのかってやきもきしながらチャンネル探したのに……」
悔しそうな母の顔。

「でもすごく良かったし、面白かったんだよ」と今度は試合を見ていなかったわたしに〈お前は見ていなくて残念だったね〉という自慢オーラが(笑)。

わたしもテレビ放映されているなんて思わなかったから、残念な気持ちのまま帰宅。
番組表を見たら、なんと深夜に録画放送されるとな? 早速予約しましたよ。
先ほど試合見終わって、大満足。母が見られなかったという第4セットまでちゃ~んと見ることができました♪
悔しがるのでこのことは母には内緒にしときます。

それにしてもEテレのこと知らなかったとは!
そういえばドラマ・歌番組好きの母には縁のないチャンネルだものね~♪

今年二度目やっちゃいました

2016年01月22日 | ほんのすこし
今月9日に、なんてこった!ってことで、ご披露した失敗談。

ほんとにほんとになんてこった!です。
今日は昨日の雪が止みました。お昼頃には青空も出ていました。
でも気温は低かったのです。前日のみぞれ雪が凍っている状態で、足を滑らせると骨折するだろうなと思えるほどの感じです。
そろそろと車の周りの雪をほろって、母のところへ。

仕込んでおいた牛肉のポトフを完成し、もう一品作ると二人で温泉へ。
帰りは冷え込んでいて、車のドアが凍っていて……、でも二度目で開いたのでホッと。
でも後ろに荷物を入れて母の家に戻ると、後ろのトランクが凍って開かない! 仕方ないので助手席から入り、後ろの席を倒しトランクから荷物を出すということに。
マイナス3度でした。今年はこれでも寒いのです。初めてのしばれです。
しばれって、凍ってるってことね。

そんな寒さの中、母のところから戻ったわたし。
寒い部屋を暖めなくてはって思って玄関を開けました。
部屋のドアを押すと、あぁ、なんてことでしょう。このしばれがきつい日に限って、昼間からずっとわたしの可愛いストーブちゃんはがんがん赤い火を燃やしていたのです。
誰もいない部屋で。
あなたは一体誰を暖めていたのよ! つい、言いたくなってしまいました。
でも、悪いのはわたしです。

でもね、なんでこういう冷え込んだしばれた日に限ってストーブの電源オフにしないのよ!
自分がほとほと嫌になっちゃった日でした、まる。

ディーン・フジオカさん、ギターも弾くの?

2016年01月22日 | ほんのすこし
以前ここで、今気になる俳優ということで、ディーン・フジオカさんのことを紹介していました。
そのディーンさんが朝ドラに出ていることはずっと前から知っていたのですが、たまたま母のところで見るくらいで毎日見るということはしなかったのです。
朝ドラは毎日見るのがいいのでしょうが、そこがわたしにとってネックとなっていたようです。

でも気になる俳優。
その方が今クールのドラマ『ダメな私に恋してください』に主演!
もう毎回見逃せません!
深田恭子さんも可愛いし、どSの元上司役のディーン・フジオカさんがまた素敵♪

ついついネットでもディーン・フジオカさんのことが書かれていたりするとチェック。

さきほどこんな記事発見。
早速予約録画しておきました!

ディーン・フジオカのギター演奏に鶴瓶も熱狂

もう絶対見なくちゃ!です(笑)

並んだマグネットを見ると

2016年01月21日 | ほんのすこし
この年末年始は、二歳になったばかりの孫が大晦日にわたしのところから娘の旦那さんの実家に行く予定でした。ところが、28日の夜から孫が高熱になり、次の日の診察(それがまた一日がかりの診察だった)でアディノウイルスと診断されてしまいました。高熱が5日間ぐらい続くものだといい、感染するらしいです。だんなさんの実家にも同じような年ごろのお子さんがいるので、感染したら困るということで今回はわたしのところで年始もいることになりました。
予定は4日ぐらいのところが1週間以上の滞在となり、孫と過ごす時間が多くなるというハプニング。
高熱も予想よりもずっと早く収まり、安心しましたが、大事をとってなるべく外出を控えていました。それでもずっと家の中というのも飽きてしまいます。

孫はただいまアンパンマン大好き期。レンタルのDVDを楽しみに療養期間はそれで乗り越えました。おかげでとばっちりはわたしたち。テレビはアンパンマン専用画面。そんなことも思い出の一つになった年末年始でした。
だんだん元気になり、活発になっていくと「ごっこ」遊びもするようになり、冒頭の画像は母の処に行ったときのもの。母が小さい冷蔵庫にまとめてくっつけていたマグネットを見つけると、大きな人形を手にしてままごと遊び。わたしにも一緒に来てと言います。
「ねぇ、何がいい」
「そうねぇ、これがいいな」
それを聞くと、上の方にあったマグネットを小さい背中を伸ばし、手を伸ばし、下の方に数えながら並べていきます。

い~ち、に~、さ~ん、、、
順番にきちんと並べると、また別の場所に移動させながら「い~ち、に~、さ~ん……」
わたしにどれがいい? と聞きながら、それを渡さずに別の場所に並べてくっつけるというなんともおかしな行動をとりつつ、しばらく遊んでいました。
それに飽きると今度は母のそばに行き、もう一個の女の子の人形を欲しがり、二体並べて今度は人形遊び。
「ねんねするかぁ」
わたしにも一緒に横になるよう指示(笑)自分も横になるとバスタオルをかけて。
でもすぐに起きるんですねぇ。
「眠ったか!」(もう起きる時間だよってことらしいです)
人形を起こしてお出かけの用意。わたしが編んだマフラーを人形の首に巻いて帽子を一生懸命かぶらせようとし、自分のマフラーで人形を抱っこひもにしてもらうと、別の部屋に。
「いってらっしゃい」の声を聞きながら戸を開けます。
すぐ戸を閉めると何秒もしないうちに戸を開け
「お帰り~」(ただいまのつもり)
その繰り返しを何度かして、次はお店やさんごっこ。
人形相手に
「これにするか?」
「そっか、これか」「これは」「ちょっとちが~う」
一人問答。孫の中で今「そっか」と「ちょっと違う」は流行語みたい。
言葉の最後に〈か〉をつけるところがなんとも、方言っぽい(笑)

そんな一挙手一動に笑い転げながら大人たちは大いに楽しみました♪
戸を開けたら閉めるという動作が身についているせいか、最後に空港に送っていった時、娘の後をついて手荷物検査を通り過ぎる孫が、後ろを振り返って自分が通ったドアを閉めようと(次の人がいるにも関わらず)大きなドアに手をかけていたのが印象的でした。係員がそれを見て笑って止めていました。
それにしても空港職員の方が孫にあれこれと質問しても、ちゃんと答えていたのには驚きました。娘が受付で用を足していたとき、わたしと孫が待っていたのです。すぐそばにいた女性職員が
「飛行機に乗るの?」と聞くと
「おかあしゃんと乗っていくの」(わたしが行かないことをちゃんと知っている)
「そう良かったね。飛行機楽しんでね」
「うん、大丈夫だからね。○○ちゃん飛行機乗れるからね」
あれこれと質問されてもちゃんと会話が成り立っていることに内心びっくり。
大人が話すことを理解できているんだなぁと感心しきり。
今度会うときにはまたまた成長しているだろうなと思いながら、冷蔵庫に並んだマグネットを見るたびに孫を思い出しているのでした。

灯り

2016年01月20日 | ほんのすこし
冬は案外明るいものです。
というのも、白い雪が降り積もると道の両側に積もった白さや屋根に重なった雪の白さで、それまで午後5時になったら、真っ暗だった世界がなんとなく明るく感じられるのです。
これも雪国ならではのことなのでしょう。
夜になっていく、夕暮れから夜にかけて世界がとばりを降ろして行く、そこに雪があることでなんとなくポッとしたものがあるような気がします。雪自体は冷たいのですが、そこに雪があることでほのかに明るくて、世の中が夜のとばりに覆われてしまっても、雪さえあればしのげるかもしれないとまで思ってしまうほどです。

雪の明るさは暖かさとは程遠いのですが、灯りというのは見ているだけで暖かいものです。
大好きな童話に新見南吉の『手ぶくろを買いに』があります。その中に、子狐が母キツネに言われて町まで自分の手袋を買いに行くのですが、町の灯りがポツポツと灯っているさまが描かれています。
あぁ、灯りってこんなに暖かいものなんだって思いました。寒い中、こんもりした雪をこいで歩いていく子狐にとって目の前に見える町の灯りはなんて暖かいものだったんだろうって。

灯りって、そこにあるだけでなんだか心がポッとします。
そして灯りのような人とのつながりがあると思えることが、どれだけ生きて行くために必要なことかってことも思います。
現実ではないと非難する方もいますが、わたしにとってここは大事な場所、そんな大事な場所を暖めていけたら、ポッと灯りのような言葉も生まれるのかな……