心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ずっと貫井徳郎を

2017年03月22日 | ほんのすこし
最初はどれだったかなあ。

『微笑む人』、そうだったこの本を最初に読んだんだった。
そして玉山鉄二さんが貫井さん原作のドラマに主演するというので興味を持って別の方をかって。

2番目に読んだのが右から『失踪症候群』
次が『後悔と真実の色』
そして『乱反射』
最後が『誘拐症候群』

今読んでいるのが『愚行録』

なんだかはまってしまったんですよ。
彼の術中に。
最初はこういう小説の書き方もあるんだなと思っただけで、コロコロと場面も人も違ったりして、追いついていけなかった小説もあったけど。それが最後にはどんどん繋がっていく辺りもまた面白いし。
症候群シリーズはわたしにはとても読みやすい。登場人物が謎めいていてこれはもっとシリーズものとして続いていけそうな気がするし。げんに『殺人症候群』という小説もあるそうだからそれも探して読んでみたいと思ってしまったし。ここら辺りがまんまと貫井さんの術中にはまったと言えるだろうなあ。

止められない、読むの止められない。他のことをさておいても読みたい、そんな気分のここ数日だった。
『愚行録』はそんな中でも極めつけの書き方をしていて、最初に読んだ『微笑む人』の手法と似通っている。でも読みながら自分の中でところどころに入り込んでいるこの兄と妹の存在は事件の何と関係あるのか? といった疑問を抱く。それが事件の被害者たちのどの部分と交差しているのか、まだ見えてこない。
今日の夜にはたぶんテレビを見ずに読み終えているだろう。

こんなに続けて同じ方の小説を読んだことはない気がする。たいてい次は別の方のものを手にしている。それが今回は違った。違ったということに自分でも呆れているほどだ。
しまった、レンタルDVDの期限も差し迫っている!
う~ん。
その前に仕事しなさい!(笑)

「博士のハチ公音頭」の練習をしました

2017年03月22日 | ほんのすこし
20日、午前中は母とお墓参り。
午後から、ここでも紹介していた三重県津市で作成された『博士のハチ公音頭』の踊りの講習会に行ってきました。
友人が踊りの手ほどきをするということ、発起人も知り合いだったことで参加することにしたのですが、会場はいつもゴスペルレッスンを受けている場所の中でした。
友人がお師匠さんにお願いしてこの盆踊りを再現していただいたということです。

『博士のハチ公音頭』

曲は初めて聴くので、全然頭に入っていなくて。
それでも何度か繰り返し踊っているうちになんとなく覚えてきて。
ハチ公を思い出させる手の動きとかが入っていて可愛らしい動きになっていました。自分でもその部分はとても好きです。来場された方にCDをプレゼントするということで早速わたしもいただきました。
かなり練習したつもりでした。母の所に行ってCDをかけ、たった今練習してきたことを再現してみせたのですが、どうにもこうにも途中変に覚えているところがあるみたいで、踊りながら自分でも「あれ?」と。
こんな時は本当に嫌になります。衰えましたね(笑)。
これから何度か講習会を開催するつもりだと話していましたので、ぜひ参加してみたいと思っています。

盆踊りは好きなんです。
でもね、ずぅっと参加していないのです。
子供の頃は踊るのが好きで、あの櫓を見ているとすごく楽しかったのです。
炭坑節とかね。

大学生の時、友人と牧場でアルバイトしたことがあります、北海道で。そのときのことは以前ここで書いたと思いますがどこでだったか・・・
そのアルバイト終了後、彼女の親戚とわたしの親戚を訪ね歩いたのです。そのときわたしの叔父が襟岬の近くに住んでいて、そこで盆踊りがあったことを思い出しました。延々と同じ踊りを続けていたので踊りも覚えてしまったのですが、今はそれすら思い出せません。その叔父もすでに遠い空の向こうです。
昔、わたしが何歳の頃でしょうか、まだ小学校前のころだと思います。母を尋ねて叔父がやってきたとき、その頃叔父は独身でしたが。その叔父に
「わたしが大きくなったらおじさんの洗濯してあげるから」と言ったそうなのです。まだ洗濯機もない時代、母が弟の持ってくる洗濯物をごしごしと外で洗っているのを見て幼いながらも思ったのでしょう。
その言葉を聞いて叔父はいたく感激したのだと母は今頃になって教えてくれました。幼いわたしはそんなことを言った覚えはちっともなくというか、覚えていず、それでも叔父の心の中にその言葉が残っていたのかなあ、なんて思い出すことがあります。その叔父もずいぶん前に亡くなってしまいました。わたしからすれば大男のイメージが強くてちょっと怖い感じがしたのですが、母からすれば可愛い弟だったようです。

そんなことを思い出させてくれる「博士のハチ公音頭」の練習会でした。
主催者に聞いたら、これからも機会を作って色々な人に広めていきたいということでした。
地元はハチ公のふるさとです。
渋谷がどうのこうのというのも大切ですが、こうしたことを広めていくのもすごく大事なことではないかと思うのです。しかも歌もまたいいんです。踊りはちょっと練習しないとだめですが、可愛い振り付け部分があって、そこを踊るのが楽しみになります。
三重県津市、ハチ公の飼い主、上野英三郎博士が生まれ育った地.
その繋がりにあるわたしの地元、それも何かの縁なのかなと思います。これからどんどんこの歌が踊りが広まっていくことを願っています♪

※※※

画像は指導してくださった踊りの会の方達です。動画も写したのですが、アップの仕方がわからないので。

※※※

昔の歌を思い出して

2017年03月22日 | 朝のことば&つぶやき
♪ 胸にしみる空のかがやき
今日も遠くながめ 涙を流す
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
だれかに告げようか ♪

作詞 サトウハチロー 作曲 加藤和彦  歌 ザ・フォーク・クルセダース

ユーチューブはこちら 

布団の中でこの歌を思い出していた。
朝方といっても午前4時。
眠っていられなくなった。

このモヤモヤを告げる相手がいる人は、幸いだ。
告げる相手がいない人の気持ちを思った。誰にも言えない、自分の中にしか留め置くことができない、そんなことがあったら・・・
吐きだしても、言われた相手が戸惑うだけだと思うのだろう。受け止めてもらえないことへの失望感が言う前からあるのかもしれない。

この世は悲しきことのみ。
そう言い切ることは出来ないはず。楽しいことも嬉しいことも悲しいこと以上にあると言いたいけど。
いつか、モヤモヤを吐きだしてくれるのを待とう。

ただ聞いてくれる相手がいるだけで、幸いだと思えるようになってほしい。

※※※

河川敷はまだ雪が残る。上に点々と足跡が。誰の足跡なのか、この足跡もやがて消えていく。そこに最初から足跡などなかったかのように。
時というのはそういうものだ。表面上は消え去り、記憶を網膜の奥に滲ませて残しておく。
季節の移り変わりにひょいと顔を覗かせて、デジャブーを繰り返す。

※※※

ブログ開設から4500日だそうです

2017年03月20日 | ほんのすこし
ふと編集画面を開くと、なんと今日は2004年11月23日から数えること、4500日だそうです。

開設○○年、という意識はしてきたのですが、一日ごとに計算するという考えはありませんでした。
やっぱり切りのいい数字というのはなんだか気持ちがいいものですね。
このあと5000日になるまで果たして継続できているのかしら。
継続は力なり、そう思っていますが、人生何がこの先待っているかわかりません。

それでも投げ出さずに自分の人生だから、コツコツ生きていこうと思っています。
今は老いた母のことが一番心配ですが、まだ子供達や孫たちのことも気になります。気になる人がいるということは、自分をないがしろにして生きていってはいけないという思いに繋がります。
こうしちゃいられない、もっと健康で誰かの役に立てるような自分でいたい、そう思って。

4500日という節目?に、自分の健康を思い、お墓参りで父と弟に近況を知らせ感謝の気持ちを告げることが出来たというのもまたなんだか不思議な巡り合わせの数字だなあと思っています。

さあ、新しい数字に向かってコツコツ。
コツコツ、大事に大事に。
人生は楽しいものと思えば、楽しいことがやってくる。
人生は素晴らしいものだと思えば、素晴らしいことに出会える。

新しいことに出会えるよう、自分を磨いていけたらいいな。


ぴかぴか

2017年03月20日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

光っている
空が光っている

吸い込まれそうな輝きを放ち
春の一日が始まる

めざめ
息づく

わたしの細胞もまた
ぴかぴかに
光ってほしいな

※※※

どこへ行くあてなどないのに
なぜかお弁当作りたくなる
お弁当持って
遠出をしたくなる

そんな綺麗な空と空気に
出会いたい

※※※



屋根の雪も溶け始め、雪に日が当たる。


『あなたにドロップキックを』見ました

2017年03月19日 | ほんのすこし
それって単に自分の満足のためにしているんじゃないの? (テレビ画面の男性に向かって。)
そう思いながらドラマを見ていた。
『あなたにドロップキックを』

イモトアヤコが主演をしたドラマ、録画していたのを見て。
彼女(秋吉秋子)は看護士をしていて患者の男性と付き合う。同棲し結婚の約束までしていたが、男性から別れを告げられる。その後もいろいろ散々な目に遭う。ある日飲んだくれてぶつかった相手が女子プロだったことから彼女の人生が少しずつ変わっていく。

その変わろうとしている彼女の部屋を尋ねてくる人がいる。
彼と付き合っている女性だ。女性がマカロンを持ってくる。彼女が置いていったマカロンを川に投げ捨てる。
次の日、彼が秋子を訪ねてくる。彼女が落ち込んでいると。秋子が許してくれるまで謝りに来ると言う。

むかついた。
なんだよ、それ。男もその彼女も、自分が一番いい格好している、良いことをしている、お前のためにこんなに謝っているんだぞ、そんな態度が見え見えだ。男なんか言う言葉は「全部俺が悪い」そればっかり。そんな言葉を聞かせられる身になってみろって言うんだ。と、テレビに毒づいていたわたし。久々にテレビに怒っていた(笑)。振った相手にこれほどまでにしつこく言いに来るってあり得る? 自分が悪くないって思っているから来るんじゃないの? 自分が振った相手がどれほど傷心しているかを見て満足しているだけなんじゃないの? さっさとふたりともどこかへ行ってしまえ~!!
もうテレビに向かっていらついていたよ。秋子が黙ってその言葉を聞いているからわたしが代わりに言ってあげたくらいだ。

そのあと秋子は人生の名脇役になるんだ! と決心する。

そしてついに。しつこく電話してくる彼に電話でバシッと言った!
「わたしはお前たちの自己満足のためにいるんじゃない!」 と。
スッキリしたねぇ。

その後秋子はプロレスのドロップキックを使って・・・

最後の最後は溜飲が下がり、わたしも満足の出来のドラマでした。

再放送は4月6日午前0時11分。イモトアヤコさんの演技にもだんだん見る方も慣れてきました♪ エンドロール、可愛かったですよ♪

創作テレビドラマ大賞 999作品の応募作の中から選ばれた中谷典子さんの作品。車いすに乗っていた中谷さん、真剣なまなざしでドラマ撮影を見ていました。自分の作品がドラマ化されるのってどんな気持ちなんだろうとふと思っていました。




チャック・ベリー 逝く

2017年03月19日 | ほんのすこし
チャック・ベリーさん死去…「ロックの元祖」
御年90歳。

今年アルバムを30年ぶりで作る予定だということが話題に上がっていたのに。

ティナ・ターナーと歌っているロックンロールミュージック ← YouTube


ジョン・レノンと、Johnny B Good  ← こちら

CHUCK BERRY & KEITH RICHARDS - Nadine  ← こちら

Chuck Berry, Eric Clapton, Keith Richards jam  これは11分超の演奏。長いけど私的には一番好きかな。ジャムセッションってやっぱりこうでなくちゃ。
チャックがすごく楽しそう♪

こんなお茶目なチャックを見せてくれてありがとう。
今日はユーチューブ巡りをして彼の演奏を偲びたい。

よくFMから流れていた彼の曲、そして彼の曲を演奏するミュージシャンが多かったこと。かのビートルズもね。
わたしはたぶんビートルズの演奏で彼の曲を知ったのだと思う。

最後のアルバム、完成していないんだろうなあ・・・ 残念。


繰り返し読みたくなる本『こころの匙加減』

2017年03月19日 | 紹介します
少し前に買っていた本。100歳の精神科医が書かれた本。

『こころの匙加減』高橋幸絵枝著 飛鳥新社

しばらく貫井徳郎の本を次々に読んでいたので後回しになってしまった。
なんということだろう。どんどん言葉が入り込む。

※※※

1 人生とは自分の「匙加減」を見つける旅

※※※

もう最初のこの言葉にノックアウト。高橋さんは精神科医。高橋さんの経験を元に語られる言葉の数々にうんうんと頷きながら読み進む。
「生き方」「暮らし」「健康」「人づき合い」「やさしさ」という章に分かれて、いくつかのタイトルがその章の中にある。最初からそのまま読み進めてもいいし、各タイトルで興味が沸いたところに飛んでいくのもいいし。
それぞれのタイトルに分かりやすい説明(といっても経験を書いているので読みやすい)が続いている。

たとえば、「生き方」の3では、こんなタイトルが。
3 他人を気にしすぎると結局損をする

そして内容は高橋さんご自身のことを。左利きだということでずっと劣等感を抱いてきたというお話。
最後にこういう言葉があります。
※※※

もし、今のあなたに何かお悩みがあるならば、
「他人様の何気ない言葉など、無責任なものだから、気にしなさんな」そうお伝えしたいと思います。

※※※

こんな感じでストンとこころに入るような感じなのです。長々とした説明ではなしに、とても分かりやすいのが特徴の本だと思います。

悩みがなくてもあっても、そばに置いて時折ふと開いてみる。
朝、なんとなく気が重いような時、一杯の飲み物を手にぺらぺらとめくってみる。手が止まったところを読んでみる。
枕元に置いて、なんだか今日は眠れないかも・・・ と思ったとき、開いてみる。
バッグに入れて電車の中で開いてみる。車内にいる人々のことを思う。窓外の景色を見てそこに暮らす人々のことを思う。
みんな生きている。自分と同じように生きている。
そして自分は自分。自分の生き方を見つけていこう。

そんな気分になりそう。
まなざしが柔らかくなっていく気がして。
何度も繰り返し読みたくなる本に出会えたことに感謝。
ぜひ、あなたにも伝えたくて急いでここに。

久しぶりに見つけた

2017年03月18日 | ほんのすこし
昨日、押し入れにしまい込んでいた紙袋を出してみました。
これは・・・ そうそう、いつだったか孫が来るというので、手近にある細かいものは危ないだろうと棚に置いていたものを紙袋に入れてしまいこんだままでした。それを整理しようと出して中を確認したのです。
すると、いつもクリスマス時季にはプレゼントを贈ってくれる友人がいて、最近はイッタラの製品だったり、しばらく前はバカラの製品だったのですが、その途中にこれを送ってくれたときがあったのです。
ブックマーカーです。
互いに本好きだということで選んでくれたのだなと思いました。
でも、そのときはとても本に使う気にはなれず、もったいないなと。
そしてそのまま棚に置いていたのでした。今考えると使わないほうがもったいないですよね。

クリストフルのブックマーカー、ピカピカです。
ステンシルの輝きがとても素敵です。



上部はぞうさんになっています。
黒く見える部分はスマホの影です。

でもね、おっちょこちょいのわたしです。もしかしたらブックマーカーを使ってそのまま本をどこかへしまい込んでしまうってこともありそうな予感がします(笑)。

今日の空もぴかぴかでした。



夕方近くなってくるとこの空の色に少しずつ赤みが差してくるのが、すごく好きです。
赤というかオレンジというか、その色をほのかに感じさせてくれる空が好きです。

アクセス解析があったおかげで

2017年03月18日 | ほんのすこし
編集画面を見るとアクセス解析があります。前日や他の日のどの記事が読まれていたかということがわかります。
その中に自分でも忘れていたような古い記事にアクセスされた方がいると、記事のタイトルが残されています。そこをクリックして自分の過去に飛びます。
あぁ、そうだった、このときこんなことがあったんだった・・・
あれ? こんなことも書いていたんだっけ?
そんな過去の自分を思い出す貴重な時間になります。

春彼岸の時期になりました。
母は前々からお墓参りには車に一緒で行くからと話しています。お墓まで歩くのはとても無理なので車でわたしがお参りをするのを待っているというのです。待っているくらいなら家でゆっくりしていたらいいのに、と思うのですが、そうはいかないらしいのです。母に言わせるとお墓参りは一人で行くもんじゃないと。
でもそれだったら一人しかいない人は困るでしょうに。
母が言いたいのは尋ねることが出来る家族が二人いたら二人とも行くんだよ、ということなのでしょうか。
お墓の前までは行けなくても、道路のお墓の近くで見守っている、それだけでもいいと思っているのでしょう。

20日に連れて行ってこようと思っています。

父の命日は3月28日なので、命日に行くかお彼岸にするか(どっちも行けばその方がいいのですが)と聞くと母は
「お彼岸に誰もお墓に行かないと周りのお墓が賑わっているのに、父さんたちが寂しいだろ?」と答えました。そうだね、いっとう寂しがり屋の父さんのことだからね。弟だってきっと寂しがっているしね。
そういうことで今回もお彼岸に行くことに。命日は父の好物だったコーヒーゼリーを上げましょう。

先になぜアクセス解析の話をしたのかというと、前々日の解析を見たときに、その父が亡くなる三月、入院していた頃の記事にアクセスがあったからです。
それは入院先にその頃腰を痛めてたいへんだった母を車いすに乗せてお見舞いに行ったときの話でした。

お熱いことで(笑)← こちら

本当にふたりは仲良しでした。
細い父と背が低くてちょっと小太りの母が並んで立っている姿はどこかほのぼのしていて、いつも笑いが満ちていました。だんだん年と共に忘れることも出てきた父に、母が「父さん、ぼこっちゃんになったんじゃないの」と笑いながら言うと父もそうだなと笑い返し、ぼけてると言わないことにしているんだと私に教えてくれたのは後のことでした。
物心ついたときから、母の父に対する気配りを見てそれが当たり前の家族だと思っていたのですが、たぶん私はそれをどこかに忘れてきていたのでしょう。自分の家庭に生かし切れなかったのが残念です。今また母のそばにいて昔の母の苦労やさりげない気配りを思い出すにつけ、父はこの母が妻でいてくれて本当に嬉しかったのだろうなと思います。

きっと去っていくときは残していくことが悔やまれていたのでしょうね。
28日に亡くなった後、その日からずっと四月に入っても雪が降り続けました。あんなに降り続けた年はありませんでした。父の寂しさが雪に変わったのかもしれません。
それから毎年、父の命日が近くなると思います。

「父さん、まだまだ母さんをここに置いてね。わたしは母さんから教えてもらうことがまだ山ほどあるんだからね」と。
お墓の前で、仏壇の前で、しっかりお願いするのです。