20日、午前中は母とお墓参り。
午後から、ここでも紹介していた三重県津市で作成された『博士のハチ公音頭』の踊りの講習会に行ってきました。
友人が踊りの手ほどきをするということ、発起人も知り合いだったことで参加することにしたのですが、会場はいつもゴスペルレッスンを受けている場所の中でした。
友人がお師匠さんにお願いしてこの盆踊りを再現していただいたということです。
『博士のハチ公音頭』
曲は初めて聴くので、全然頭に入っていなくて。
それでも何度か繰り返し踊っているうちになんとなく覚えてきて。
ハチ公を思い出させる手の動きとかが入っていて可愛らしい動きになっていました。自分でもその部分はとても好きです。来場された方にCDをプレゼントするということで早速わたしもいただきました。
かなり練習したつもりでした。母の所に行ってCDをかけ、たった今練習してきたことを再現してみせたのですが、どうにもこうにも途中変に覚えているところがあるみたいで、踊りながら自分でも「あれ?」と。
こんな時は本当に嫌になります。衰えましたね(笑)。
これから何度か講習会を開催するつもりだと話していましたので、ぜひ参加してみたいと思っています。
盆踊りは好きなんです。
でもね、ずぅっと参加していないのです。
子供の頃は踊るのが好きで、あの櫓を見ているとすごく楽しかったのです。
炭坑節とかね。
大学生の時、友人と牧場でアルバイトしたことがあります、北海道で。そのときのことは以前ここで書いたと思いますがどこでだったか・・・
そのアルバイト終了後、彼女の親戚とわたしの親戚を訪ね歩いたのです。そのときわたしの叔父が襟岬の近くに住んでいて、そこで盆踊りがあったことを思い出しました。延々と同じ踊りを続けていたので踊りも覚えてしまったのですが、今はそれすら思い出せません。その叔父もすでに遠い空の向こうです。
昔、わたしが何歳の頃でしょうか、まだ小学校前のころだと思います。母を尋ねて叔父がやってきたとき、その頃叔父は独身でしたが。その叔父に
「わたしが大きくなったらおじさんの洗濯してあげるから」と言ったそうなのです。まだ洗濯機もない時代、母が弟の持ってくる洗濯物をごしごしと外で洗っているのを見て幼いながらも思ったのでしょう。
その言葉を聞いて叔父はいたく感激したのだと母は今頃になって教えてくれました。幼いわたしはそんなことを言った覚えはちっともなくというか、覚えていず、それでも叔父の心の中にその言葉が残っていたのかなあ、なんて思い出すことがあります。その叔父もずいぶん前に亡くなってしまいました。わたしからすれば大男のイメージが強くてちょっと怖い感じがしたのですが、母からすれば可愛い弟だったようです。
そんなことを思い出させてくれる「博士のハチ公音頭」の練習会でした。
主催者に聞いたら、これからも機会を作って色々な人に広めていきたいということでした。
地元はハチ公のふるさとです。
渋谷がどうのこうのというのも大切ですが、こうしたことを広めていくのもすごく大事なことではないかと思うのです。しかも歌もまたいいんです。踊りはちょっと練習しないとだめですが、可愛い振り付け部分があって、そこを踊るのが楽しみになります。
三重県津市、ハチ公の飼い主、上野英三郎博士が生まれ育った地.
その繋がりにあるわたしの地元、それも何かの縁なのかなと思います。これからどんどんこの歌が踊りが広まっていくことを願っています♪
※※※
画像は指導してくださった踊りの会の方達です。動画も写したのですが、アップの仕方がわからないので。
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午後から、ここでも紹介していた三重県津市で作成された『博士のハチ公音頭』の踊りの講習会に行ってきました。
友人が踊りの手ほどきをするということ、発起人も知り合いだったことで参加することにしたのですが、会場はいつもゴスペルレッスンを受けている場所の中でした。
友人がお師匠さんにお願いしてこの盆踊りを再現していただいたということです。
『博士のハチ公音頭』
曲は初めて聴くので、全然頭に入っていなくて。
それでも何度か繰り返し踊っているうちになんとなく覚えてきて。
ハチ公を思い出させる手の動きとかが入っていて可愛らしい動きになっていました。自分でもその部分はとても好きです。来場された方にCDをプレゼントするということで早速わたしもいただきました。
かなり練習したつもりでした。母の所に行ってCDをかけ、たった今練習してきたことを再現してみせたのですが、どうにもこうにも途中変に覚えているところがあるみたいで、踊りながら自分でも「あれ?」と。
こんな時は本当に嫌になります。衰えましたね(笑)。
これから何度か講習会を開催するつもりだと話していましたので、ぜひ参加してみたいと思っています。
盆踊りは好きなんです。
でもね、ずぅっと参加していないのです。
子供の頃は踊るのが好きで、あの櫓を見ているとすごく楽しかったのです。
炭坑節とかね。
大学生の時、友人と牧場でアルバイトしたことがあります、北海道で。そのときのことは以前ここで書いたと思いますがどこでだったか・・・
そのアルバイト終了後、彼女の親戚とわたしの親戚を訪ね歩いたのです。そのときわたしの叔父が襟岬の近くに住んでいて、そこで盆踊りがあったことを思い出しました。延々と同じ踊りを続けていたので踊りも覚えてしまったのですが、今はそれすら思い出せません。その叔父もすでに遠い空の向こうです。
昔、わたしが何歳の頃でしょうか、まだ小学校前のころだと思います。母を尋ねて叔父がやってきたとき、その頃叔父は独身でしたが。その叔父に
「わたしが大きくなったらおじさんの洗濯してあげるから」と言ったそうなのです。まだ洗濯機もない時代、母が弟の持ってくる洗濯物をごしごしと外で洗っているのを見て幼いながらも思ったのでしょう。
その言葉を聞いて叔父はいたく感激したのだと母は今頃になって教えてくれました。幼いわたしはそんなことを言った覚えはちっともなくというか、覚えていず、それでも叔父の心の中にその言葉が残っていたのかなあ、なんて思い出すことがあります。その叔父もずいぶん前に亡くなってしまいました。わたしからすれば大男のイメージが強くてちょっと怖い感じがしたのですが、母からすれば可愛い弟だったようです。
そんなことを思い出させてくれる「博士のハチ公音頭」の練習会でした。
主催者に聞いたら、これからも機会を作って色々な人に広めていきたいということでした。
地元はハチ公のふるさとです。
渋谷がどうのこうのというのも大切ですが、こうしたことを広めていくのもすごく大事なことではないかと思うのです。しかも歌もまたいいんです。踊りはちょっと練習しないとだめですが、可愛い振り付け部分があって、そこを踊るのが楽しみになります。
三重県津市、ハチ公の飼い主、上野英三郎博士が生まれ育った地.
その繋がりにあるわたしの地元、それも何かの縁なのかなと思います。これからどんどんこの歌が踊りが広まっていくことを願っています♪
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画像は指導してくださった踊りの会の方達です。動画も写したのですが、アップの仕方がわからないので。
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