心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

菊の季節

2019年10月29日 | ほんのすこし
少し前までは、コスモスだらけの秋という感じでしたが。今は菊が何処へ行ってもあります。菊は年中あるような気がしますが、それでも秋が一番種類も多く、見応えのあるものばかり。街角でも大事に育てた花を玄関前に出している方も多く見かけます。母も庭に黄色と赤の菊を数株植えていて、いくつかは鉢に植えています。ここ最近ようやく色づいてきて、ポツポツと咲き始めました。
玄関の風除室に母専用の椅子をしつらえていて、そこに座りながら向かいの土地にある庭やそばにある鉢をじっと見ている時間が、母の安らぎのときです。
痛い足をひきずってまで、一日に一度は玄関に行き、鉢に水をやる、どこくらい生長しているのかをじっくり観察する、それが母の楽しみの一つでもあります。

わたしは花を育てるのはヘタなので、安い切り花をときどき買ってきて、こんな風に玄関に置いています。今回は菊だけでまとめました。菊の種類が多いので、菊だけでもなんだかいい感じだなと自己満足しています。菊のいいところは長持ちするということ。かなり長い時間楽しめます。



そして、食用菊もあります。
酢漬けにすると赤くなるのは、「もってのほか」という種類。早速酢漬けにしてみました。黄色の菊は茹でてそのまま食べましたけどね。酢漬けはしばらく持つので赤い色をアクセントに使えます。料理に赤の差し色があると、美味しそうに感じるのはどうしてかしらね。全部が赤いと毒々しいけど、ほんの少しあると食欲が出るような気がします。トマトはリコピン効果がありますし、食材それぞれの持ち味を知るのも面白いなと思います。でも単純なわたしの頭では、効果なんて考えるまでいかなくて、適当にあるもので・・・というのが一番多いです。

秋は食欲満開。菊も好きな食材です。シャキシャキした食感を味わえるのも今ならではのこと。母は歯に挟まるのが嫌であまり食べたがらないのでほとんどわたしの胃の中に収まるでしょうね(笑)
今日も売っていたら、買ってこようと思います♪

この世界で生きよう

2019年10月27日 | ほんのすこし
※※※

何気なくやり過ごしてきた日々が
ある日 極上の世界として目の前に広がる
ただ 毎日を淡々と過ごしていただけなのに

急いでいた
ただ前に前にと
進むことが道が開ける気がしていた
若さだけで突き進んできたこともあった

ここに来て歩みが止まった
一歩前に踏み出すのにどれだけ力を振り絞ればいいのかわからない
わからないけど、踏み出すことが一番いいのだと若いときは思っていたが

踏み出せなくてもいいんだ
目の前のこの世界を美しいと思える自分がいることが
それだけで生きるには十分すぎる

運転しながら
フロントガラス越しに見える夕焼けに出会う
今 見える夕焼けは一度きり
明日はまた違う景色が見えるだろう
また違う景色に出会えるよう
生きている喜びをかみしめよう

ふと
頬を温かいものが流れた
最近のわたしはセンチになった

※※※

いやだなあ、もう

2019年10月26日 | 母のこと
今日はいつもよりかなり早めに母のところに行った。夕飯の支度もしなくていいから、と言われたけど、一応野菜がとれるものは必要だし、せっかく解凍した紅鮭もあるし、ということで結局わたしが台所に立った。
その前にしばらく母とおしゃべりをした。野菜の下ごしらえをしてから、風除室で外を見ている母のところに行った。叔母さんがお昼寝していたので、玄関の方でおしゃべりの続きをした。
話は母の母、亡くなった祖母の話だ。祖母はわたしが幼い時から額に鉢巻をしていた。亡くなるまでずっとその鉢巻を取ったところを見た事が無い。その話になった。幼いながらもそのことに触れてはいけないのだろうなと思って、最後まで祖母に鉢巻のことを尋ねることはしなかった。

母が言うには、祖母には額に火傷の跡があったそうだ。でも、隠しておくほどでもなく、前髪で隠れるぐらいのものだったそうだ。それでもある日、誰かに額の鉢巻を取ろうとしたら「そのままつけていてもいいんじゃないか」と言われて、それからずっとほんとにずっとつけていたのだ。年を取ってから母がお風呂に一緒に入って祖母の髪を洗ってあげるときははずすけど、上がるときにはまたつけていたとのこと。
だから、亡くなったとき鉢巻をはずしたらその下は真っ白の肌だったとか。

わたしにとっては祖母というのは鉢巻をつけた人、それが一番の印象。そして寡黙な人だった。静かで皆の話を微笑んで聞いている、それが祖母だった。いつだったか、小さい時に誰かに「どんな人になりたい?」と聞かれたとき「おばあちゃんみたいになりたい!」と言ったことを思い出す。
それを相手はどう受け取ったのかわからない。わたしの中では、物静かでそばにいてくれるだけで嬉しくなるようなそんな人、という意味だった。
母も叔母も祖母のことは大好きだったみたいだ。今も昔のことを二人で話している姿を見ると、そこには両親を本当に好きだという気持ちが見え隠れする。そんな二人を見るのもまたとても嬉しくなる。

そんな祖母の話をたくさんして、今日はお風呂も早めによばれて、いつもより早めにおいとますることにした。母がベッドに座っていたので、ちょっといたずらな気分になって、母に「では今日はこれで帰ります」といって「ハグ、ハグ!」とフワッと抱きしめた。すると母がわたしの脇腹を触って
「もうこれ以上太らないように。食べ過ぎないように!」と言った。
あっちゃー。これは一本とられた! 「もぉ!、いやだなあ、もお!」と笑った。
それを見ていた叔母が
「わたしも太ったって言われるんだよ」と笑っていった。
玄関に見送りに来た叔母にこそっと言った。
「太ったって言う本人が一番気をつけなくちゃね」

叔母が慌てて口に人差し指をつけながら笑った。

そう、三人とも美味しい食欲の秋に負けて太っちょ路線まっしぐらなのよぉ。

イベントに乗るわけじゃないけど(笑)

2019年10月26日 | ほんのすこし
そろそろ何処へ行っても、ハロウィンの飾り付けがありますね。
このハロウィンのイベントってそんなに古くから日本に定着していたわけではないと思うのですが・・・わたしの子供達が小さい頃はそんなイベントなかったように思います。

バレンタインが定着したように、古くから日本にあったイベントではなくて、それを取り入れてきた方達の長年の取り組みがようやく花開いた感があります。

今や、孫たちもハロウィン知ってますからね。母だって知ってますからね。

そういうわたしは、こんなイラストを描いたのは15年以上も前。ということは少なくても15年以上前にはハロウィンは日本で始まっていた?

ハロウィンとは? に起源とか書かれていました。お子さんに説明しやすく簡単な言葉で紹介されていました。

日本でいつ頃から始まったか、というわたしの疑問にはこちらのサイトでわかりました。

ハロウィンは日本でいつから始まったか





もやもや(笑)解消♪

2019年10月25日 | ほんのすこし
先日、科捜研の女を見ていて、最後に刑事の蒲原さんが爆発物の液体を浴びてしまう、という結果に唖然として、眠れなくなったわたしです。
で、今週はその続きでしたが、蒲原さんの悲劇を受け入れることがなかなかできず、リアルタイムでも録画したものを見ることもふんぎりがつかず、だらだらと結果を先送りしていました。意気地の無いわたしです。

ふと、朝方? フォローしているブロガーさんの更新をスマホで見ていたら・・・エッセイのとても上手な大好きな方(『森の中の一本の木』 相棒18 第三話)がこの番組の続きについて書かれていて・・・
えっ? そうなの?
と、番組を見るまでもなく、結果を知り、ホッと胸をなでおろしたわたしです。

どういうわけかスポーツでもわたしはリアルタイムで応援するのが怖くて(わたしが応援すると負けてしまうことがたびたび)ほとんど結果を知ってから録画を見るといった繰り返しです。それは母とは全然違っていて、母はリアルタイムで応援するのが好きで、それがほんとの応援じゃないかとわたしの不義理さに不満なようです。でも、負けたらわたしのせいになってしまう・・・それが嫌なのよ。
母は「お前が見ていなくても負けるときは負けるんだ」と言いますが、勝手に責任を感じてしまうわたしです。

そんなわたしなので、朝方のそのブログを拝見し、見事に不安が吹き飛んだので、早々と起き出し、じっくり録画を見ました。
蒲原さんはあっさりと画面にいつものように出て来て、いとも簡単に「あの液体は顔にかかっても爆発はしない」という言葉でわたしの暗闇を照らしてくれたのでした。でも、ちっとも余韻のない蒲原さん消失からの復帰、という感じでしたよ。
まあ、勝手にわたしが蒲原さんを殺してしまった脚本にぶつくさ言っていただけですが。

次週への期待感を持たせるということでは、先週の終わり方は持たせましたね。しかも、予告では蒲原さんちっとも出てきませんでしたから、あれで終わったのかあ、とまで思っていたわたしです。

でも、よしとしましょう。
また今週も蒲原さんがたくさん出てくれました。「嬉しいなったら嬉しいな」状態の今朝のわたしでした♪

 石井一彰さん(蒲原さん役)

舞台で鍛えられた方なんですね。  所属事務所公式ページ

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画像はアクリル画の一部。

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ぼくと友だちになってくれない?

2019年10月24日 | ほんのすこし
※※※ パステル ※※※

昔のイラスト。はがきの裏に描いたパステル。

※※※

ねぇ
ぼくと友だちになってくれない?
おっきなお月さま

※※※

パステルで描くということを少しやっていた頃。絵本作りのためになるかなと思って。
でも、絵本はなかなか出来なくて、絵本から離れて小説を書くことに夢中になって。
それもちっとも前に行けず、一体自分は何処へ行こうとしていたのかさえわからなくなって。
焦らなくてもいいんじゃない?
と言いきかせた。

でも、よく考えたら、若くないよね。
でも、さらによく考えたら、やれることに年齢制限をつけることは全然無いんだよ。
やってみたくて、だめだったらそれでいい。自分の終わりまでやってみようと思うことが大事なんだよ。結果を求めなくてもいい、そんな年齢になっているんだと気がついた。若い頃はそれなりに結果が欲しかったけど、今は誰かに認められるということは必要なく、ただ自分が満足できるよう達成感を味わえたらいいんじゃないかと思える。

だから、焦らない。
自分の終わりまで楽しめばいいんじゃない?

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不思議な世界

2019年10月24日 | ほんのすこし
娘家族がこの夏、海に出かけたときに上の子が沢山貝殻を持ってきたらしい。訪問したときに小さなバケツいっぱい貝殻が入っていた。娘がそれを見て
「これ・・・捨てるに捨てられず、一体どうしたらいいのよね~」と困った顔をしていた。
一番上にあった貝、裏を見たらとっても不思議な色。思わず手にとっていた。
「ねぇ、何枚かもらっていっていい?」というと、どうぞどうぞ、と良ければ全部持って行ってもいいよ、ぐらいの勢いで娘が頷いた。

同じような形の貝殻三枚。
裏を見ると、それぞれにそれぞれの良さが。
こんな景色を描いてみたいなあ。
夜、なんだな、きっと。
ひとりなんだな、きっと。
空は澄んでいて、暗いのにほんのり明るくて。

何かに使えないかしら。と、着替えを入れていたバッグの真ん中に(外側に入れたらぶつけた時に割れるかもしれないから)そっと入れて我が家に戻ってきた。
そして今はなんの形にもならず、三枚の貝殻はそのまま飾り棚の上に大好きなお皿たちの隣で鎮座。
時折、そばを通りかかるときにこの不思議な世界をのぞき込んでは、これはこのままでいいんだ、と言いきかせている。


秋本番

2019年10月22日 | ほんのすこし
いよいよ秋がやってきた。
果物がたくさん出回っている。新米が出ている。何を食べても美味しく感じる。

そして・・・夕暮れの訪れが早くなった。
秋なんだね。

北国の秋は短い。秋だよ~って思っているうちにすぐ初雪が降り、雪で閉ざされた冬になってしまう。だから、この短い秋がとてもとても名残惜しく思える。
そんな秋の夕暮れをマウスで描いた昔のイラスト。

小さい秋見つけた、なんて歌でもバックに入っていればバッチリなんだろうけど、ただいま、20日の日曜日の夜に入ったBS日テレの『THE LIVE:THE ROLLING STONES』を見聞きしながら入力。1972年 ツアーの様子を映したもの。
これは、永久保存版だね。

みんな、若い!(当たり前だけど)
伝説のステージだとか。

秋のイメージとはギャップがありすぎるけど(笑)、寒さを吹き飛ばしてくれそうだ。
秋はね、読書の秋とかもあるけど、音楽の秋とも言える。昔を思い出して聞くのもなかなかいい。1972年、わたしは何歳だったっけ? たぶんわたしが彼らの音を聞いたのはこのツアーよりもう少し後だったな。


頭が重い

2019年10月22日 | ほんのすこし
今朝からずっと頭が重い。どんよりしている空が影響しているのかしら。気圧の関係かしら。
わたしは空の案配で左右されることが多い。気分屋だからと言ってしまえばそうなんでしょうけど。今日みたいなはっきりしない天気のときは余計に頭が重くなる気がする。

そういう時は少し横になっていればいいのに、今日は朝からテレビをつけっぱなし。
NHK、様々な方が色々な情報を提示するので、これが初めてのことばかりで、ついつい画面に目が行く。横になって見ればいいのに、なんとなく正座して見てしまう。
でもたぶんこのままだと頭の重さが解消されないから、これが終わったら絶対横になろう(笑)

きっと母も叔母も今頃テレビを見て、あぁだこうだと話しているだろう。

※※※

町を歩くと、こういう情景を見るようになった。見事に鉢に入っているので店の方に聞いてみたら、これを提供してくれたのは、そのお店で働いている方の家族の方が畑で栽培したものだとか。畑で栽培し、大きく丸く育ててそれを根からスポッと抜いて鉢に植え替えする。そういう鉢が三個ぐらい並んでいた。色もそれぞれ違っていて、見事な円形を保っていた。
目の保養をさせてもらった。運転しているとこういう景色はゆっくり見ることができない。歩くのもいいものだ。

※※※

エアコンをつけてみた。暖房。だが、エアコンを暖房にして使うということはほとんどない。暖房は灯油かオイルストーブ、だけどそれを使うにはまだ早すぎる気がする。今年は暑さもひどかったけど、寒さもひどいのかしら。寒い・・・
本当はエアコンの暖房は使いたくない。エアコンはここの部屋に入ってから15年にもなる。備え付けだから古くて最新のエアコンの良さを味わえない。灯油の暖房をつけようかなあ。例年だと11月に使い始めているんだけど。

※※※

今日はこんな徒然な気分。



なんか美味しいものでも食べたいなあ。
ベビー帆立のソテー。焼きすぎずプクッとなったところで火を止めると美味しい。赤大根の酢漬けはドレッシング代わりに何度も登場した。最近のわたしの元気の素かな。
あぁ、なんか美味しいものが食べたーい♪

※※※



今日の夕暮れ

2019年10月21日 | ほんのすこし


母のところから戻ろうとしたら、南西の空が赤くなっていた。見送りに出てきた叔母に
「ねぇ、見てみて! 空が綺麗だよ」と教えた。
「綺麗だね~」
「電柱がなければもっといいんだけどね~」
「電柱がなければサバンナの夕焼けみたいに見えるね~」と二人でしばらく見ていた。映したかったけど、叔母が言うように電柱が邪魔だった。だからそのまま車に乗った。
でも、すぐに近くの土手のそばに車を止めることにした。このまま帰ったらもったいない。土手にあがり、もう赤みが消えそうな感じだったけど、急いで映した。土手から見えた景色は叔母と一緒に見た景色とは違い、サバンナとは言えがたかったけど、それでも今日の夕暮れはいつになく綺麗な色だなと思った。



それにしても画像がブレブレだわ・・・へたっぴー。