心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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いつも読む「折々のことば」

2017年03月08日 | ほんのすこし
今日、これを紹介しなくてはと思っていたのに、ついつい別のことを。

今日の「折々のことば」朝日新聞、鷲田清一氏のことばが毎回心を打つ。
その中で今日は特別。

茂木のり子さんの詩から。

ただ透明な気と気が
触れあっただけのような
それはそれでよかったような
・・・・

後に続く言葉はあるのだけど。
鷲田さんは書く。
言葉がせめぎあうところに二つを分かつ膜ができる。膜をはさんでこっちに私、向こうにあなたが立つ。ほんとうは私もあなたも存在せず・・・

全文を載せるのは駄目だと思うのでここまでですが、鷲田さんの「膜」という言葉にハッとしたのでした。
目に見えないものと言っていたのですが、彼の「膜」という一言にあぁ・・・ と。
なんというか、すぐそばにあった言葉のその深い意味に打たれて、今朝からまたまた折々のことばに見入っていたのでした。

鷲田さん
あなたのことばに毎日が始まっています、と言ってみたい♪


ぐちゃぐちゃと

2017年03月08日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

現実と逃避と
叶えられないものへの甘えと
駆け巡る鼓動と
足踏みする怖さと

何も無い
自分には何も無い

それを知ることが
何よりも怖かったのだと

防衛戦を張っていたのだよ
あのドアの向こうから押し寄せてくるものへ
今はまだ誰も知らないものを
いつか過去のものとして
出す事があろうかと
日々
打ち震えて
ひなたにそれが出ることを
こわごわと
待ち望んでいるのだよ

なんということだろう
日々のカテゴリーの中で
わたしは自分以外が存在するものを
受け入れている
それがどこかで自分と合い繋がっていると
理解できるまでには
まだ時間がかかるかもしれない

※※※

いや
そんなカテゴリーなど
はなから
存在していなかったのだ

わたしは自分を何ものにもいれたくはない

※※※

と、うそぶいてみる。
アクリル画の一部。

※※※

生協の宅配から思う

2017年03月08日 | ほんのすこし
最近生協の宅配でわたしの中でヒットした商品です。

中はこんな風になっています。



甘い物はあまり食べませんが、これはサクサクとした食感がとっても気に入りました。でも枚数があまり入っていないので大事に大事に食べています(笑)。
いつもだと母にすぐ持っていくのですが、最近母は甘い物を極力口に入れないようにしているようなので、誘惑の苦しみを与えることは止めようと思っています。

生協の宅配は友人の勧めで始めたのですが、地元に無いものがカタログにあったりすると飛びつきます。冷凍の魚などはとてもいい味のものがあるので、魚製品は生協のものが多いです。逆に肉類は地元のスーパーや旬菜館で調達することが多いのです。
野菜も旬菜館だと旬のものを安く買えたりするので、そんなに生協では買うことがありません。地元で扱っていないものを買うことが多いですね。

先日購入したこの麺はすごく美味しかったです。
生協が一押しする一ランク上の商品のようです。



また出たら注文する予定です。

今は母の分もと思ってどれにしようかと考えるのも楽しい時間です。母のところとわたしの所と冷凍庫に入っているものはほとんど生協のもの。
週に一回の宅配ですが、いつも考えます。というのも年老いて買い物もそんなに簡単にできなくなったり、運転免許返上なんてことになったりしたら、こういう宅配があれば助かるんだろうなあってこと。
母のところは町中から少し遠いので、スーパーまで歩いていっても帰りは荷物があれば大変だろうし。それでもタクシー券利用(母は手帳を持っているので市から補助券がある、申請すればもらえるけど今のところ私がいるので申請していない)という手もあるけど、病院に行くときも使えばそんなにタクシー券も利用できないだろうなあ、とか。
わたしがどの年齢まで運転可能かということが一番の問題なのですが。ここでは車がないと何も出来ないのです。
でも車に頼らなくても暮らしていける形があれば、老後を迎える気持ちも少しは楽になる気がします。
生協の宅配のような形もその一つだろうなと思って利用しています。

さて、老後の生活は一体どんなものになるやら。今から何が出来なくなるか、考えて行かなくては。

不思議な天気ばかりですよ

2017年03月08日 | ほんのすこし
夜中にずいぶん積もった雪。
朝はこんなふうにどんどんわさわさと視界が雪だらけに見えるほどの窓。
今日は一体どのくらい積もるのだろう・・・ 荒れ模様なのだろうか。
そんなちょっと憂鬱な気分になりかけていた朝でしたが、午前9時半すぎには空に青い色も差してきて、ベランダの雪に光が反射するのが眩しく感じられるほどです。南側はこんな風に晴れていくのでしょうか。
まだ北側は曇っていて冬景色といった感じです。
ベランダが南なので、寒い冬は暖かさを感じていいのですが、暑さもかなり感じるのです。今年の夏はどうなのか、昨年は半端なく暑かったし。

昨日もすごい雪が降ってくるかと思うとしばらくすると天気になったり、横殴りの風が吹いているかと思うとふわふわした雪が降りてきたり、このところの天気は一日中落ち着かず。これは春と冬が攻防戦を張っているのかもしれません。
高みの見物をしているのは太陽かな(笑)。

今週の雪マークもずっと降り続くといった感じではなく、少しの晴れ間で雪が溶けていくのでしょうね。
昨日は地元の高校受験日でした。テレビでは解答速報が流れていて、久しぶりでその画面を見ていました。わたしが受験した頃は現在のような5教科ではなく3教科でした。わたしは理科も社会もどちらかというと苦手でしたので、あの時代に受験できてラッキーだったなと胸をなで下ろしたものです。
今朝の新聞に問題と解答が入っていましたが、はたして目を凝らして見てもちっともさっぱりとわかりません。
たぶん数年前だったとしてもわからなかったでしょう。
もうこういう問題を解くことも全然出来なくなっているなと自分のふがいなさ?にがっくりしてしまいます。解こうと思えるほうが無理なのでしょう。あんなに得意だった漢字だって今じゃさっぱりですから。

若い皆さんはすごいな。こんな問題を解いているんだな。
自分のときはもっと簡単だったんじゃないかな。なんて思ったり。

塾に通うなんてこと考えもしなかったし、当時は塾ってあったのかな。それすらわからない状態でしたね。
高校受験、初めて遭遇する経験に事前準備の試験勉強は早朝勉強でした。夜型の生徒が多かったようですが、わたしは当時の自分の生活スタイルから見て朝の方が集中できると思えたのでした。朝早く起きるのは苦でもなく、弟も朝寝坊だったので、かなり静かな空間の中で勉強できたことを思い出します。
本屋で見つけて購入した参考書と問題集3教科分。それを繰り返しやりました。わたしは書くことで覚えるタイプだったので、とにかく書きました。
暗記も、あんなによく出来たなと思えるほど頭の中に入っていきましたが、今はそんな自分が昔いたことさえ不思議に思えるほど記憶力ゼロに近い状態です。年を取ると共に忘却という言葉がまとわりつくことを知りました(笑)。

高校受験の頃が一番勉強したのではないかと思います。
だから今、自分の昔に戻れるならいつの時代に行きたい? と聞かれたら、「大学」と答えます。だって高校まではあんなに勉強熱心だったのに大学に入って一年過ぎたら一体あなたは大学に何しに行ったの? と自分に問いかけたいほど勉強から遠のいていたんですから。教授のそばでもっと知りたいことを調べたり考えたり研究するという行為をなぜ放り出していたのだろうと。
学生時代でなければ出来なかった勉強、それがわたしには足りなかったのです。もっと探究心溢れる人間でありたかった。
そんな今更の反省をしているのですが。もちろん年をとっても勉強は出来ます。でもあの時代のわたしでなければ出来なかった学問への興味というものを自ら捨ててしまったことへの悔恨があるのです。

今は勉強という言葉が似合わない生活をしていますが、時折何かの媒体で昔少し見聞きした言葉とかが出てくると、あぁもっと深く知っておくのだった・・・という思いが頭をもたげてくるのです。
なぜこういうことを書いたかというと、母にときどき色々なことを質問されるのですが、そのほとんどに明確な解答ができず、戸惑うことが最近すごく多くなってきたからです。わからないとすぐネット検索、わたしの中には何も無い、それがなんだかがっかりなのです。
このがっかりさが年々大きくなっていくのでしょうね~。
筋トレもだけど、脳トレにも励まなくてはね。

あら~、入力していたらまたまた雪。南の空もすっかり白くなっています。まだまだ降りそうな・・・ 積もるだろうなあ(ため息)。