心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

夜に思う

2016年10月31日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

会いたい と つぶやいてみる
だれに会いたいのか と 尋ねてみる

答える言葉が どこにも見えない
そんな今のわたしに
時は 残酷にも早く早くと急かす

もう忘れていた 
ときめくことなど どこにもないと
昔むかしのことだと
ちょいと鼻で笑っていた

それなのに
もうあり得ないことだと思ったとたんに惜しくなる
なんという傲慢なココロ
”鏡を見なさい”
ココロの中のわたしが かすかに耳元でささやく

窓辺に置いた鏡の中にいる年老いた女は だあれ?

※※※

ぬくもりを照らし
だれかは そこにとどまり
だれかは 旅立つ
ひとつの場所に咲き始める小さな花を
摘み取らずに見守りたいと
摘み取らずに咲かせておきたいと

思う立場はそれぞれ違っても
いとおしく思うココロは
だれにも負けないと
密かに誓っている
そんなふたつの影を
わたしは知っている

※※※

夜は しずかにその手を広げ
だんまりを決めたわたしを包み込んでいく
そう 何も言わなくても
ただ そこでじっと待っていればいい

灯りのもと
闇を照らすものの存在が
どんなにありがたいかを
夜は 思い出させてくれるのだ

あぁ
灯りというのは
だれかの忘れ物なのか
この世に灯りをもたらしたものへ
今夜は畏敬の念を払おう

※※※

今日は荒れ模様

2016年10月31日 | ほんのすこし
今日は荒れ模様です。
午前中洗濯をしながらテレビをつけていたら、これから1時間は突風に気をつけてくださいという災害注意報がテロップで流れました。
一体秋田県のどこで突風? と思ったものの怖いので、外に出るのは後にしようと思っていました。
そんなときに母から電話があり。叔父が尋ねてくるという。お昼ご飯を食べさせたいので買い物をしてきてくれないかと。

突風が気になったけど、雨が降りしきる中、買い物に。
叔父へのお土産も買い、お昼のおかずも調達し、お昼ぎりぎりに到着。
台所に物を置き、居間を開けると母がなにやら電話をしている。

叔父がひどい雨のため、来るのを断念したという。まあ仕方ないか。このひどい雨だもの。ということでおかずは夕飯に回すことにしました。お昼を母と叔母と三人でとり、午後は雨が収まるのを待ってまた買い物に行きました。
今度はわたしの用事です。

結局、ひどい雨は一日中降りしきり、フード付きのコートを着ていたものの雨に当たりながら買い物ばかりをしていたというそんな日でした。
買い物といっても、お目当てがあるときはすぐに決まるのですが、あれこれ探すときはなかなか時間がかかるものです。
ショッピングセンターで2時間近くも過ごして、なんだか今日は変な一日だなと思っています。でもたまにこういった食材だけではない他のものを物色する機会も楽しいといえば楽しいですね。特に100円ショップに入ると、そこはもう天国か? と思えるほどで(笑)。しかも今日行った場所は今年売り場を拡張したばかり。100円でこんなものが買えるの? という驚きグッズが沢山待ち受けているのです。
見て回るだけで楽しかったのでした。
まあ、最初からそこでは買うものは決まっていましたので、その二つをすぐに探しましたが、その後やっぱり目があれこれ移って。
それでも1個だけ買うつもりのないものを買ってしまいました。でも1個ですよ、1個(笑)。
私にしてはいい方だと思っています。いつも余計なものを買ってしまうのですから。

何を買ったのか?
ふふふ。
それは、読者登録しているまあさんの「一本のさつま芋でマフィンを♪」という記事を読んだからですよ。

あ~、なんかわたしでも作れるかなあって、つい思ってしまったわけです。
で、マフィンを作るならまず器からでしょってことで。元来わたしはお菓子作りは全くといってしない人、マフィンのカップなんてあるわけがない。だから買い物に行くと決めたときに真っ先に行ったのです、100円ショップに。まあさんが手にしたイタリア製のカップ、同じではないかもしれないけど、かろうじてイタリア製というのを探してみました。
材料は揃ったかな。
明日作れるかしら。明後日作れるかしら。
だんだん先延ばしになってしまうかも(笑)。さつま芋がだめにならないうちに作らなくちゃね。

早い時間からもう空は暗くて、車のライトをつけながら戻ってきました。明日は一体どんな天気になるやら。願わくばこんな荒れ模様の空ではありませんように。

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人間じゃないから

2016年10月31日 | 家族のこと
孫がいた頃。
母のところから私の家に戻ろうとしたときのこと。
夕方、5時前、車に乗り込もうとしました。見送りに母も叔母もご近所さんたちも出てきていて。

「また明日おいで」とみんなに声をかけられて、
手をひかれ歩いていた孫の頭上で、ガーガーと何度もカラスが鳴きました。
それを聞いたご近所さんが
「うるさいよ。このカラス何しゃべってるんだか、少し黙ってれ」とカラスに向かって言いました。するとすかさず

「カラスは人間じゃないからしゃべれないでしょ」
と孫。
こりゃ一本取られたと頭を叩いたご近所さん。

周りのみんながドッと笑ったので、きょとんとした孫。

あのときのことを時々思い出しては母も叔母も「おかしかったねぇ」と何度も言います。

11月で三歳になる孫。もっともっとおしゃべりに拍車をかけていくのでしょうか。
それとも無口になる? いや、それは考えられないなあと思います。
一体どこに「人間じゃないから」なんて言葉が入っているのかしらね、あの小さな頭の中に。
そういえば、「よくよく考えてみると?」という記事を思い出しました。あの頃からまた進化した孫なのでしょうか。

そんな孫の頭とは対照的に日々退化していくわたしの頭。
今では色々なことを「思い出す」という作業が簡単にできない感じになっています。漢字が出てこなかったり、言葉が出てこなかったり。数年前はこうじゃなかった気がします。このブログの昔の記事を読んでみても、もっとスムーズに書き込みしていたように思います。
本当に頭の体操が必要になってきました。
こんなんで小説完成出来るのかしらん……
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トイレでこんにちは

2016年10月31日 | ほんのすこし
トイレにこんな小人さんが。
わたしのトイレには小人さんが三人います。
そして後ろには毛糸で作った小さな天使がふたりと少し大きな天使がひとり。
どれも何年も前に作ったもの。

最初は部屋の棚の上に飾っていました。いつのまにかトイレに居場所を移したのは、知り合いの旦那様が家具職人でその方にトイレに置く三角コーナーをつくっていただいたときからです。なんとなく少し大きな天使はわたしで、ふたりの天使は子供たち、そんな気分だったことを見る度に思い出します。
そしてその前に置かれたカラー粘土で作った小人さんたちも同じようにわたしと子供たち、といった気持ちでした。

その子供たちも12年の間に大学を卒業し就職し、今では結婚し家庭を持っています。
今はトイレに入るたびに過ぎていった年月の早さとくたびれた天使さんたちの老朽化を感じてそろそろ片付けないといけないかなあ、なんて思ったり。小人さんたちはカラー粘土なので老朽化は見られませんが。
そんな小人さんたちが、孫がいた三ヶ月の間に、ときどきその位置を変えていました。
いつも「あれ?」と思いながら前の位置に戻していたのですが、ふと、犯人は孫? と。
ただいまトイレトレーニング中だった孫。なかなか教えてくれませんが、孫が立つ高さにその小人さんたちが置いてありました。きっとトイレに行くたびに置きかえていたのでしょう。そして毎日のことばを書いているカレンダーのようなものもときどき変わっていました。一体、何が書かれているのか孫にはわかりもしなかったでしょうけど、めくるのも楽しかったのでしょうね。
そんな孫の試練?にあっても変わらず、カラー粘土は作った当時のままの色合いです。良い素材で作ったものは長持ちしますね。
孫が楽しんでくれたのなら、また何かつくってみようかなあ、なんてことも思ったり。

トイレってシンプルなものがいいのかな。
でも和むものがあれば、気分もリフレッシュできる気がします。
天使さんたちは色あせてしまいましたので、新しいものを作ってもいいかもしれません。また作ったら紹介しますね(いつのことやら)。

でもトイレで可愛いものが「こんにちは」って待っていてくれたら、なんだかホッとしませんか?
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今行きたい場所

2016年10月30日 | ほんのすこし
ブログのお散歩をしていると思いがけない場所を見つける。
今日見つけたブログで紹介されていたのは、昨年、娘と行った世田谷美術館。現在開催されているのは、染織の志村ふくみさんの企画展。

「志村ふくみ-母衣(ぼろ)への回帰」

「わたしの本棚」というブログで紹介していました。画像はありませんでしたが、どのくらい感激したかというのがその文章から伝わってきました。ものすごく見たくなりました。
織物を見るのも好きです。一体どんな色のグラデーションがそこにあるのでしょうか。
自分で染め上げるという色はきっと温かな世界なのでしょうね。

あぁ、近かったらなあ。
行ってみたいなあ。

秋田市辺りで開催してくれないかしら。まだ夏タイヤでも大丈夫なんだけど(って、今東京で開催しているのに無理でしょ)。

目の前で実物を見る感覚はそれを写真に写したとしてもそのままの感覚が伝わるかというと、難しい。どんなに言葉を駆使して伝えようとしても目の前で見るという行為にはたどり着かない気がする。ライブもそうだろう。その場で一緒に過ごす空気感は録音されたものを聴く、という行為とは違うものがある。
美術館、映画館、コンサート会場、それぞれそこに自分がいた、という感動が作品に付随して在るからこそいつまでも残るのだろう。

やっぱり都会はいいなと思うのは、こういうとき。
世田谷美術館。暑い盛りに行って帰りのタクシーを見つけるのに苦労したという思い出ばかりが残っているけど、広々とした敷地でそこだけゆったりした時間が流れているような気がした。もいちど行ってみたいなあ。
そうか、そこで開催されているのか。
織物見たいなあ(しつこい)。

ただいま整理中♪

2016年10月30日 | ほんのすこし
朝はあんなにどんよりした空で、もう一日中雨なんじゃないの? といった気分でしたが、今はこんな青空が覗いています。
やっぱりなんとかと秋の空なのですね~。

さきほどの記事を送信したあと、押し入れの中の整理に没頭していました。出てくるわ出てくるわ。もう着ないだろう服が。大きなゴミ袋二枚にぎゅうぎゅう詰めにしました。午後はこれを持って母のところに行く予定です。また叔母と二人でファッションショーするかもしれません。でも母に入る服はそうそうないと思うのですが…… (笑)。

この次は書類・文具などいくつかの棚や収納ケースに入っているものを整理するつもりです。長年、使わないままのものが入っているのでこの際使っていなくてこれからも使わないだろうものは処分。もったいないと思って取って置いても、つい新しいものを買って使ってしまう。その生活が今の物に溢れた状態をつくってきたと反省しきりです。
飾り棚は極力置くものを押さえて本来の「飾る」という目的を十分に活かした使い方をしようと思っています。
ところでこの飾り棚といい部屋に置いてある家具は12年前に無印良品で一括して購入したもの。未だに壊れず健在です。丸長のデザインのテーブルも足のがたつきをこの間修正、全く支障ありません。食器棚も後で合わせて購入した電子レンジ台も。整理タンスもクローゼットも。ベッドも。全て健在。
今、無印良品のサイトを見てみましたら、わたしが持っているものは皆デザインが一新されているのですね。
ひとつも同じものがありませんでした。気に入っているのは飾り棚で二段三列キャスター付きのもの。横の板がとても分厚くて丈夫です。この棚に何をどう置くかというのが、季節の衣替えのような気分で楽しみでもあります。
変えたい部分とずっと変わらないで置かれているものが混在している棚です。

変わらないで12年ずっとそこにあるのは、青い時計。色はもうちょっと濃いかな。



わたしの12年がこの時計と一緒に進んできました。
もう一つ、いつも棚のどこかにいるのが、人形作家若月まりこさんの人形。



これはもう15年以上前からわたしの元にいます。秋田市に行ったときにふらりと立ち寄ったお店にいくつか置いてあって、本当にどれにしようか迷ったものです。最後の最後にこの秋色の彼女を連れて帰りました。もう一度行って青色のお人形も買おうと思ったときにはすでに完売していました。とても残念に思ったことを覚えています。
このお人形を孫も気に入ったみたいで何度も触ってお人形遊びをしていました。壊れないかな? と一瞬思いましたが、全然その兆候はなく孫もぞんざいに扱っていませんでした。孫が帰ったのでまたひっそりと棚の中にいます。座っている椅子はこれもかなり前に仙台で個展があり、家具を実際の何分の一かの形に制作するというものを見たときに空色のテーブルとクリーム色のこの椅子を買ったものです。結構なお値段でした。そのせいか未だに壊れず頑丈です。ちょうど秋色の彼女が座るのにピッタリ。ずっとこの組み合わせでここにいます。

後の物は整理しましょう。なるべく多くを飾らず、シンプルにしていこうと思います。
わたしの場合どうもごちゃごちゃしてしまうので、これからはシンプルを目指して気をつけていきたいと思っています。
さて、次の整理に戻りましょうか。
ちょっと休憩でコーヒータイムでした♪
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秋が雲隠れしたような空です

2016年10月30日 | ほんのすこし
今年の秋はとても早く過ぎていき、紅葉も昨年ほど綺麗な色ではないように思います。毎年、実家の近くの土手を散策するのですが、今年は遠目に見ても葉の色も綺麗ではなく、何よりも寒くて外を歩いてみようという気持ちが出てこないくらいです。
桜の葉っぱも虫食いや色あせた感じで落ちていました。
今年がこうなので、来年は綺麗なのかなあって期待していますが、まあ今年はこれで終わりでしょう。

いつもは排水溝に落ちているコハゼやモミジの葉が今年は少しもなくていつのまに飛んでいってしまったのか、ちっとも気がつかないうちに姿をくらませていました。



かろうじて近くに落ちていた葉っぱ。



赤の色がくすんでいます。昨年、小躍りしてあちこち写しまくった秋はどこへ行ったのでしょうね。
でも今年はわたしにとって季節を感じる時間がなかったというのが正解。気がついたら秋も終わりだったということですね。日々の暮らしに追われ、季節の移ろいの細やかな部分に目を向けることがなかったのです。お正月から次々と忙しかったからね。
だからなのか、ちょっとぼーっとしてしまってます。
気が抜けた人、それがわたしです(笑)。
気が抜けているのでミスも連発します。運転には要注意を払わないと。

今日は朝から曇り空。雨模様です。しばらくこの雨模様が続くと天気予報。一週間も続いたことにはすっかり葉っぱは落ちていることでしょうね。秋色探しはもう無理なのかなと空を見上げ、恨めしく思う今朝のわたしです。
今日は地元の樹海ドームで『秋田の行事』(秋田県内の郷土芸能など)と『肉×博』が開催されます。昨日からでしたが、ずいぶん多くの方が行ったようです。わたしも「明日行かない?」と叔母を誘ったのですが、やんわり断られました。この寒さでは外に出て行くのも億劫になってしまうようです。
「わかった、じゃあそれより部屋を片付けるわ」
「それがいいよ。晩ご飯は鮭汁つくっておくから持って帰るだけにしておいで」
「ありがとう!」

今日はなあんにも作らないで、もらうだけにします。
では、あぁいった手前、片付けなくては。昨日は冬物整理して、長年着ないままのセーターとかを母の元へ。母と叔母が試着して使えそうなものを物色。二人であぁでもないこうでもないと着たり脱いだり、さながらファッションショー。母が
「ああ! もう10歳も若かったらそれだって着れるのに!」と叔母が着ているのを見て悔しがっているのが面白くて笑い転げていました。
叔母は母より10歳若くてしかも痩せています。どう考えても年齢だけの違いではないとわたしは思うのですけど(笑)。

今日はもう少し出してまた持って行けるものがあるかどうか調べようと思います。押し入れの整理をしたらら収納スペースを確保できるかもしれませんからね。

ふわふわだねぇ

2016年10月30日 | ほんのすこし
最近ところどころで見かける。

ふわふわだねえ。
なんだか見ているだけでこっちもふわふわな感じ。

わたしが東京に行っている間に母が美容院に行っていて、パーマをかけていたんだけど。染めるのはやめたらしい。どうも頭皮が敏感になっていて、染めるとその液に反応してかぶれる? みたいな。だから当分染めるのは止めたと言っていた。でもパーマをかけたその毛先に以前染めた色が残っていて、それがなかなかいい感じ。
「かあさん、この感じいいじゃないの。先の方だけ色がついて後は白くて、おしゃれだよ」っていったら、
「そうだよ。このスタイルでいったら。とってもいい感じ。どこかのマダムみたいよ」と叔母。
「そうかあ?」とまんんざらでもない顔の母。

いや、お世辞抜きにいい感じですってば。

全部染めるよりずっと素敵ですよ。

白髪ってまだらだとなんだか印象が悪いなと思っているようだけど、こんな風に変化をつけると素敵に変わるし、母の場合は白髪が全体にあるからそれはそれでいい感じみたい。
叔母とわたしに言われて、それまで不安だった髪のことが払拭されたみたいで明るい顔になった母です。

先の方だけ色がついている母の髪、それがなんともこの画像みたいなふわふわ感が漂っていて、いいなあと。
それにしてもいくつになっても女性はおしゃれに敏感。
髪型や白髪を気にする母を見ていると、可愛いお年寄りになりたいなとつい思ってしまいます。

ところでこのふわふわな赤いものって、なあに?

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眠れなかったのは

2016年10月29日 | ほんのすこし
ここ二日ばかり、4時頃から目が覚めてしまい、ぐだぐだした時間を過ごしています。ぐだぐだという表現はよくないかもしれないけど。実際それから朝食までの時間を有意義に過ごしていると言っていい部分もあるから。
ただ、そんな時間から起きて一日を過ごすと夕方には一本の線がぷつんと切れたみたいになって、なあんにも出来なくなります。

少し生活のサイクルを見直してみなくては。

その前になんとかして片付けないと、すぐ雪が降ってくるよ。

はいはい。

二度返事はだめよ。

はいはい、あっ。はい!

心の中で自分で自分に言う。

たとえばこんなことを自分に言っていたとしてもわたしを見ている周りの人はわたしが何を考えているかなんて言わなければわからない。
言わなくても表情とか雰囲気でわかるときもあるけど、それは少ないのだ。
言葉を通して知ることが出来る。
だから言葉を駆使して自分を理解してもらおうとする。
相手が理解してくれないと、どうしてわからないの?! という苛立ちが生まれる。
自分の表現力の乏しさを棚に上げて。
あるいは、あなただったらこのくらいでわかってくれるはずでしょ? という思い込みがあって。
わかってもらえなかったときにがっかりする。
どれもこれも相手のことを考えず自分中心であるという証拠だ。

古い友人からの電話。
久しぶりの声で驚きの内容が告げられた。
ある意味、予測していた部分もあったが、それでも現実にそうなったということに驚いた。
電話の私の声は驚きよりもあっさりとしたものがあったのか相手はちょっとトーンが下がった。
そしてわたしがつれない?(連絡をよこさない)ことに触れた。それってあなたもそうなんじゃないの? あなたも連絡よこさなかったよ。
いつもそうだった。しあわせだと思っているときはわたしのことなど忘れていたのだろう。
これからは頼りにしているからね~、と言われた。
なんだかなあ。

きっと電話のことが気にかかって朝早く目が覚めたのだろう。
まだ十分先があるから、新しい出会いもあるよ、と電話先で笑う声が残る。そう言い切れる若さがわたしにはもう無いのだなとそのとき思った。


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一番大事にしていたのに

2016年10月29日 | 家族のこと
冬囲いの最中、母が思い出したように言った。
「このコハゼ、一番大事にしていたのに、お前ったら」と叔母に。
なになに?
耳をダンボにしながら傍らのモミジの冬囲いをしていたわたし。
「○○○ちゃんに一番いいところ(枝)をポキンと折らせるんだから、まったく」とぼやいている。

あっ! そうだったのか。



最後の日。
プレゼントだよってよこしたあの枝はこれだったのかあ……
母が一番気に入っていたコハゼ。その一番いい枝ぶりの先をポキンと折って、プレゼントだって喜んでお母さんが診察から帰るのを待っていた孫。ご近所さんたちと楽しい時間を過ごしていた孫。まさかそのコハゼだとはちっとも思わず。
そして今は枯れて



葉っぱもカサカサと少しの空気の揺れ動きにも落ちている。

でも母には悪いけど、なんだか嬉しい。
孫がその小さな手で大事そうに持っていた枝と花。帰ってきたらすぐにヨーグルトの空き瓶に挿した。
その次の日、摘み取ってきた枝と花をお留守番にして、孫とわたしたちは東京へ向かったのだった。
摘み取ったことすら、孫の脳裏には残っていないかもしれない。それでも孫を知る他の人たちにはそのひとときが今も大事な思い出になっているのだと思う。

幼い子はその存在そのものが周りに温かいものを与えてくれる。その仕草が例え気まぐれのことであっても、何かしら意味を持たせたくなるのだ。

※※※

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