ここ数日、とてもいいお天気です。雲一つ無い青空と夕焼けの綺麗な日が続いています。
ずっと雨が降り続いていたり、じめじめと蒸し暑い日が続いたり、こんな青空が広がるなんて・・・思わず、「ねぇ、今日はいい空だよ」と言いかけて、ふと気がつくわたし。
そうか、もう、いないんだった。話しかける相手はもういないんだった。
話しかけても応えてくれる相手はもういないんだった。
入院したらもう帰ってこれなくなる、と頑固に言い張っていた母、その通りになってしまいました。ブログの更新をした後、13日のお墓参りを済ませて、お墓参りのことや知り合いから電話があったことを手紙に書いて、明日持っていこうと思っていました。本人に会えるわけではないけど。
14日の早朝、まだうつらうつらと眠りから覚めずにいたわたしの耳元でスマホが鳴りました。
「急いで来てください」という看護士の声にびっくりして飛び起きました。
最低限の身繕いをして病院に駆けつけると、すでに看護士の問いかけに応えず、心臓マッサージをしている様子。一体何十分続けていたのでしょうか。「0」の画面がふたたび波打つことはありませんでした。
最後の最後に声を聞きたかった。
前の日までだんだん食欲も出て来ていた様子(伝聞)だったのに、どうして?
どうして? どうして?
でも、帰らない。頭はパニックでした。ひとりであれもこれもしなくてはならない。決めなければならないことだらけでした。父のときも弟のときも経験してきたはずなのに、全然思い出せませんでした。葬儀社を決め、家から一番近いところを選びました。急いで連絡しなければならない人たちにアポを。電話だけで一日が暮れ、葬儀社の方と段取りを決め、母のそばで一晩を過ごす。ふたりだけで暮らしてきたという現実がそこにはありました。ひとりぼっち、そんな時間が通り過ぎていき、次の日には母の兄弟家族が来てくれて、少しホッとしました。その次の日には湯灌(ゆかん)の間じゅう、母の実家の方達が付き添ってくれました。夕方にはこども達も到着。
ようやく、ひとりじゃないって思えました。誰かがいてくれるだけでなんて心強いのでしょう。
無事に母を送り出し、今は祭壇にお骨を。納骨は息子家族が来たときに、と思っています。毎日、遺影を見ながら手を合わせていると「もう少しなんとかできたんじゃないか」と思えてきます。後悔だけが残って、自分のふがいなさを思ってしまいます。
9月に入り、ようやく弔問客も落ち着き、役所の手続きやらも一通り終え、なんとなくぼんやりとした気持ちで、何をしたらいいのかとぼーっとしています。母のいた介護ベッドも引き取られ、一階は前よりずっと広くなってしまいました。わたしには広すぎるよ・・・
弔問客に、母がいつも行く美容院の先生がいました。新聞で見てびっくりして・・・と。遺影を見て
「わたし、〇〇さんのこととても尊敬していたんですよ。〇〇さんの考え方や生き方がすごく好きで、いつも話をするのが嬉しかったんですよ」と話してくれました。母も美容院に行くのをとても楽しみにしていたものです。
新居に入りたった二年、もっと一緒にいたかったなあ。
会いたくてももう会えないんだなあ。
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冒頭の写真は、母が大好きな紫陽花、庭から切り取ってきたら、大きなお皿にそっと置いていました。そのときの写真です。