心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ツララの欠片を見ていると

2018年01月31日 | 朝のことば&つぶやき
このところ、母の軒下にはすごいツララが伸びていて、連日それを叩いて落としている。
そのツララの欠片を手にして。
しばらくすると暖かさに角が取れてきた。ツルツルと。
なんだか可愛い。
ツララが可愛いって・・・
でも、家の中に持ち込んだら、だんだん溶けていって、ほんとにツルツル、そしてゆるゆる・・・
あぁ、その姿の半分ほどにもならずに溶けてしまうのだね。

元は違ったんだ。
雪にしても。
水と雪とツララと。
同じ成分なのに、姿形が全然違うものになる。

人間も同じ成分なのに
違う姿形になっているのかな。
遺伝子学なんて分からないけど、元の元は皆同じで
それがどうしてどこで変わっていったのかって考えると
ほんのひとさじのタイミングで
同じ人間が存在していないんだなと思える

何が不思議かって一番は
この世界に自分が存在していること
ほんとに偶然?
わたしがここにいることは必然?

そんなことを考えてみたくなる
ツララの欠片を見ていると


「三宅裕司のふるさと探訪」見ました

2018年01月31日 | ほんのすこし
何気なくテレビで番組表を見ていたら、BS日テレに「三宅裕司のふるさと探訪」がありました。
しかもなんということでしょう、地元が今回の訪問地ではありませんか!
慌てて、予約録画にしておきました。

三宅裕司のふるさと探訪

リアルタイムで見たらいいじゃないかと思うのですが、残念ながら昨日は見たい番組が沢山あったのです。
地元のことだし、まあ後でもいいか・・・なんて思ってね。
それで今日になって思い出して遅い朝ご飯代わりのりんごヨーグルトなんぞを食べながら見ていたのでした。昨日は朝ご飯しっかり食べたけど、今朝はなんだか食べたくなくて。こういうことが最近増えてきたようであまり良く無い傾向だなと思っています。
でもまあ、りんごヨーグルトを多めに食べたからまあいいかな。

そんな感じで見始めたのですが、見て良かった! という気分です。
三宅裕司さんがとても自然体で、同行しているスタッフの方もとても柔らかい感じで見ていて気分良かったです。どこを尋ねても三宅さんが出ていった後でスタッフの方が訪問先にお礼の言葉をかけている声や姿が見えます。作った演技じゃないなと思えました。
昨年11月は例年に無く雪が降っていて、たぶんその頃にご一行はやってきたのだと思われます。普段でも人通りの少ない町が雪で人も通らないというなんとも寂しい絵面になっていました。それもまた今の我が町の姿なのです。
寒い雪の降る中、駅前からずっと橋を渡り、目的地まで歩いて行く三宅さん。もちろんスタッフもカメラマンも一緒に歩きます。歩いていると周りの景色で知らなかった物も見えました。歩けばそういうものを見ていたんだなと思いながら拝見。
目的地の「米田食堂」!
78歳になるおばあさんがなんとも良い雰囲気で、このおばあさんの笑顔を見ただけでこの番組最高!って思えました。わたしはまだその食堂に足を運んだことが無かったのです。
しかも値段が・・・なんと肉うどん400円! 中華そば400円!
肉は馬肉でした。三日間煮込んだという馬肉の煮込みが美味しそうな馬肉定食700円!
昔ながらの中華そばを食べてみたいと日頃から思っているので、ぜひ今度行ってみようと思います。

それと米田食堂のちかくにあるかき氷やさん。
宇治金時、あんこがすごく美味しそうでした。どちらも300円?
う~ん、わたし地元にいて何も知らなかったんだなあ。
今年は
地元探訪始めなくては! 見終わった瞬間そう思いました♪


雪に思う

2018年01月30日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

前を向いていたはずだった
なのに
なぜか
昔むかしの記憶を呼び起こす
思考を支配するのは昔のことだけ

そんな自分がぐるぐる ぐるぐる
そんな自分だらけの毎日に
けりを付けたくなっていた

だから

蹴ってみたんだよ
この雪の山を

蹴った瞬間
頭に顔に雪のベールがかかって
一瞬
わたしがここにいるのを忘れていた

白い雪よ
お前が作った世界は
やがて消えいくもの

だのに
なぜか
忘れられないものとして
残されていく
今年の今年だけの雪
そこにあるのは
わたしだけに伝えたいものがあるのだと
白い雪の世界につぶやいている

※※※

どうも新しいキーボードにしてからというもの、間違いだらけのタイピング。なかなか先に進まない。困ったもんだ。

※※※


降ったり降ったり少し晴れたりまた降ったり

2018年01月30日 | ほんのすこし
この「少し」晴れたりってところがくせ者。
ちょっと期待してしまうから。
朝からあんなに横殴りの雪が吹き荒れていて、終日こんな調子なのかとがっくりきていると、数時間後に窓に日が差す。カーテンを閉めなくてはいけないほどにね。
慌ててカーテンを引いて。ものの数分も経たないうちにカーテン越しの外が暗く感じる。
なんだ、またか。
しょうがない、またカーテンを開ける。
外はまた白く雪が横殴り。
一体どっちなんだよ。
舌打ちしたくなるよな、そんな今日だ。

あぁあ、こんなんじゃ駐車場の雪はすごいだろうな。
雪寄せをしてからでないと車を出せないだろうな。
車に降り積もった雪もすごいだろうな。

そう思うと出かける気持ちが失せていく。

この間、いつもの道じゃない道を通ったことがあった。そこはカーブがいくつかあって。周りがとにかく雪。市街地だと周りに建物があるから道路に雪があってもどこが道路かわかるけど。
そこの道路はとにかく白一色。運転しながらまっすぐなのかカーブなのかすごく分かりづらくて、一瞬ブレーキを踏んで路肩に止めてみたくなったほど。
目がおかしくなったのかと思った。
でも、ゆっくりスピードを落として目を凝らして前を見た。ゆるいカーブになっている。
道路も周りも雪だらけの世界で運転するのは危険だ。もうこの道を通るのは止めよう! そう決心して戻った。

昨年末、8年乗った車とさよならした。
代わりにやってきた車は大きくてSUVだと言う。最初はその大きさと使い方に慣れず、戸惑いばかりが大きかった。
だが、運転してみて分かったことがある。安心感がある。狭い道を通ることが多いけど、慣れればそれもクリアだ。轍が多くても難なく通れる。駐車場の雪の状態が最悪でも前の車で難儀したことを思えばずっと楽だ。5年使用した車で20万キロ走行したというが、見た目はすごく綺麗だ。前の方が丁寧に使ってくれていたのが分かる。有り難いことだ。後1年大事に使わせてもらおう。
今は少しずつこの車に慣れていこうと思う。
問題は母を乗せる時だけどね。それがこの車の一番の難問。ケアマネに相談してみようと思う。何か良い道具があればいいのだけど。

空一面、白より灰色に近い色を塗り込んだような雲に覆われている。
その少しだけ薄くなった雲の間から太陽がぼんやりした形を見せた。すっかり輪郭をはじき出しているわけではないから、雲と太陽の境目がはっきりしない。
それでも日の光は威力を増している。
このまま降ったりが続くのだろうか。

最近パソコンに向かえない。この気持ちの萎えた状態を救うものは無いのか・・・
まだ去年のメールにこだわっている自分がいるようだ。


連日の雪にお疲れさん

2018年01月27日 | ほんのすこし
ここ数日、天気予報では雪マークがずらりと並んでいて、夜中のうちに降り積もった雪が車の上や周りを取り囲んでいて、外出する前の一仕事が増えていた。
朝、ベランダ越しに見える空はグレーで、そのグレーは雲が映し出しているのかと思うと、横殴りに流れて降っている雪だったりした。それが一日中続くかと思うと時折まるでフェイントをかけたようにほんの少しの時間、空に青が戻るときがある。窓が眩しくてカーテンを引かなくては駄目なほどだったりもするのだった。これって冬だからからこそのことだなと思う。太陽の位置が低くてまともに南側の窓から日差しが部屋の中に長く入り込むのだ。

日差しが入り込む、その恩恵は嬉しいのだけど。冬の閉ざされた気分を解消してくれるからね。
でも、あまりに眩しすぎてね。
だから日差しを感じたらすぐにカーテンをまた引いてしまう。もったいないなと思うけど、まともに日差しを受ける勇気はもう無い。

そんな日差しもまたすぐ消えて、雪に囲まれる。一日がその繰り返しだ。
天気予報の雪マークはこの頃、わたしのいる町ではずっと降り積もる時間というより時折垣間見せてくれる空の青がかくれんぼしている時間になっている。
朝、7時前。まだ出勤する車もそう無い時間。
クリスマスツリーみたく見える樹に白い雪がケーキのデコレーションみたいだなと思えた。
これで車の雪寄せや駐車場の雪寄せがなければ、なんか素敵な雪の世界を味わうだけで満足なのに・・・現実はそうもいかない。

少しの青空があれば、気分も上がる。
明日はできれば青空が覗いてほしい。
『比内とりの市』が開催される。所属しているゴスペルクワイヤが出演するのだ。午後1時開演。例年だと吹雪だったり天候が良く無いと聞いたけど、今日の天気ぐらいだったら大丈夫かなと思う。わたしは不参加だけど、沢山の方に聞いてもらいたいな。
お近くの方、ぜひ比内とりの市においでください。
そしてクワイヤの歌を聴いて楽しんでください♪



悲しくも

2018年01月23日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

思いは届かず
なんのためにここまでやってきたのかと
逡巡とした思いで山を見る

所詮 その手で転がされてきただけかと
人に委ねて
その結果をも
知らぬ存ぜぬで通そうとするのか

なんとも悲しいものよのぉ

自分さえよければそれでいいという
自分の立場にすがりついていればそれでいいという
なんという驕り
自分が一番であるということの誇示
それすら憐れだと思うよ

男社会だと
女は使いぱしりでいいと
それが見えるじゃないか

悲しくも
わたしが携わった世界は
そういう世界だったのだと
今更ながら見てしまったのだ

※※※

希望は託される
次の世代に

○○よ
お前は何を見るのか
そして何を変えてくれるのか

わたしは後に続くものへ
沢山のなし得なかったものを託すしかないのだ

※※※

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※※※

道路は

2018年01月22日 | ほんのすこし
今朝は燃えるゴミの日だったので、まだ明け切らない空を尻目に外に出た。
夜中の内にいくらか降ったのだろう。凍った雪の上にシャーベットより少し固めの雪が降りかかっていた。
道路は下のアスファルト部分が見え隠れ。
まだらでありながら、まっすぐに伸びた線がいくつもある。なんとなく不思議な感じがしてパシャ。
どうすればこんな線がつくのだろう?

どういうわけかここは積雪が例年より少ない。日中少し温度が高い(といっても3度とか5度とかね)と積もった雪が溶けかける。それが夕方近くになってくると冷え込みと共に溶けかけた雪が凍っていく。だからツルツルなのだ。駐車場の自分の車にたどりつくまで油断はならない。足を一歩一歩運び、転ばぬように気持ちは足に集中。これが積み重なった雪だと歩きやすいのだけど。下が凍った状態のところに雪がパサッと降ると一番具合が悪いのだ。

雪が少ないのも善し悪しだね、と母と外を見ながら話したことを思い出す。
母にとっては歩きづらい雪道に足を踏み入れるなど絶対無理なこと。ただ家の中から時折降る雪がひどくならないように願うことだけだ。
娘が自分の元から帰るときに運転がしやすいようにと。

昨日も母のところから戻ろうとして車をバック。
ふと居間のカーテンを閉めたのに少し明かりが見えたので運転席から母の居間の方を見た。

カーテンが少しだけ開いている。
母がカーテンを開けてこっちを見ている。
わたしが窓から手を振ると、その手に気がついたのか手を振り返した。

雪の降る中帰る娘の運転を気遣っているのだろう。昨日はいつもより長い時間一緒にいた。沢山話をした。そういう時は案外その時間が楽しくて名残惜しく感じるのだろうか。わたしも手を振りながらそこに立つ母の気持ちを思った。
〈明日も一緒の時間を長くしよう〉

だから、これまでのような午前中のだらだら時間をなくし、次々とやるべきことを片付けている。
さて、出かけるまでに道路の凍った部分は溶けているかな・・・


囲碁好き

2018年01月20日 | ほんのすこし
亡くなった父は囲碁が好きでした。
父の好きなことは野球観戦もありました。キノコや山菜採りなど、アウトドアではありましたが、インドアではダントツ囲碁でした。いつから囲碁好きになったのかは定かではありませんが、記憶の中ではわたしが子供の頃から碁盤を前にして一人指している父の姿が目に浮かびます。
碁盤は作ってもらったものだとか。今は誰も使わないのでずっと奥にしまわれていますが、父としては誰かに使ってもらいたいと思っているのかもしれません。
父は子供に囲碁好きになってほしかったのでしょうけど、わたしも弟も全然その世界とは無縁のまま過ぎてしまいました。一度、父に教えてもらったことがありましたが、少しも頭に入ってこなくて一体これのどこが面白いのだろうと思ったものです。
母は父が食道がんの手術後、療養していた頃に父の気持ちを紛らわせように囲碁を教えてもらったようです。母の方が父の相手としてはわたしよりずっと頼もしかったようです。

そんな父がもっぱら囲碁の活動場所として選んだのは市内の囲碁クラブや老人憩いの家での碁会など。県内開催のブロックごとのチーム対戦などもありました。
家には父がもらったトロフィーや賞状が沢山飾られていて、心の中で「へぇ~、父さんなかなかやるじゃないの」と思っていたものです。
父が亡くなって、母とふたり色々片付けました。しばらく飾っていた賞状の類いは母のベッドがその下にあるということで震災後天井から落ちてきたら大変だと、母自身が取り外すことを決めました。
今では父が活躍したという証は棚に飾っているトロフィーと画像の盾です。

協会から頂いた4段だという証の盾。
地域の大会で勝つと7段とかの賞状をもらっていたりしたのですが、父はこの盾が一番自分を評価したものだと思っていたようです。
父に囲碁の醍醐味ってどこ? と聞いたことがあります。
「何十手も先を読み解く面白さだよ」と答えました。ふ~ん、そうなのか・・・ それが父の人生や人間を見る目に関係しているのかな、なんても思っていました。

掃除をしていて目についた盾。
父が誇らしげに見ていた盾。
いつも物静かで荒げた声を出したことのない父の柔和な顔が盾の上に重なって見えました。
古くなった碁盤は埃をかぶっているだろうね。
出してきて母とやってみようかなとふと思ったわたしです。

戌年に思う

2018年01月18日 | ほんのすこし
ハロー ハロー
ぼくが活躍するんだよ 今年は
ハロー ハロー
なんたって こんな耳が垂れたぼくでも
注目されるんだからね

そんなちょっと鼻高々な顔をした犬が
あちこちにいるだろうね
今年が戌年だってことでさ

まっ、去年は酉年だったから鳥さんが活躍しただろうし、毎年可愛がられるものがいるってこともいいんじゃないの。
でも、選ばれなかったものにとっては干支なんて何さって思うだろうね。(あくまで物語の世界ね)
人間が勝手に番付(笑)したから、もしかして干支のおはなしが中身が違っていたら、毎年の動物も今みたいじゃなくなっていただろうね。
わかるのはそこには決してライオンはいないし象もいないってこと。干支が生まれた頃の日本にはライオンも象もいなかっただろうから。もしいたら、おはなしもずいぶん違っていただろうね。
そんなことをちょっと考えてみた今朝。

戌年にふさわしいイラストはないかなって、古いマウス画を探してみた。
あった、あった。
あぁ、これがあるってことはもうぐるっと一回りしたってことだ。干支が一回り以上するだけ年月が流れたってこと。ずいぶん早く過ぎてきたなあとここで過ごした日々を振り返る。
自分の干支も過ぎていった。今度回ってくるまでに自分はどこでどう生きているだろうか。
それとも早々とこの世からおさらばしているだろうか。

在りし日の君を偲ぶ
そんな言葉が浮かぶ。色々な人と知り合ってきたこの十数年間。もう会えない人もいるけど、記憶の中では笑顔が消えることはない。
戌年の今年、果たしてどんな人と巡り会うのだろう。わたしは去年よりも前に進めるのだろうか。

いい意味で成長したいな。

母が気になったドラマ

2018年01月17日 | ほんのすこし
今回のドラマで。
母が気になって私に聞いてきたドラマは『anone』

放映した日、母は最後の数十分だけ見たようで。
次の日、行ったときにドラマの話をされて。どうやら終了30分ぐらいのときに起きて見たらしい。
で、わたしにそのドラマの話をしていると、なんだか話の内容がはてなマークになっていく。
母は広瀬すずさんが主演している人を男の子だと思っていたらしいのだ。そこからわたしとちぐはぐな会話がしばらく続いた。でも、主人公は女の子で、等々説明するとようやく信用してくれた。
「面白いドラマだよね」と母が目を輝かせるので、今日の放映から連続ドラマ録画設定をしてあげた。
夜9時からのドラマだとみる事もできるけど、10時からだとみることができないかもしれないので、連続録画設定をしてあげたのだ。
果たして今夜、母は見るだろうか。それとも明日、見るだろうか。

まあ、楽しみがあるってことはいいことだ。
今期のドラマ。まだキムタクのは始まっていないけど、母にとってはこれが最初に気になったドラマだろうね。
キムタクドラマは、それはそれで母の注目だろうけど(母は結構キムタク好きみたい)。
私的には松潤のドラマが面白いかなと思ってる。