わたしはいくつかのメールマガジンを購読しています。
その中で いつも感動するのが、
人間力・仕事力が確実にUPする致知出版社メルマガです。
今日 配信されたタレント・桂小金治さんの父親の言葉 というのは とても素晴らしいものでした。みなさんにも読んでいただきたくて ここに紹介します。
※『致知』2003年10月号 特集「人生を支えた言葉」
~「努力の上に辛抱という棒を立てろ」の記事より~
~ところで、この頃(10歳頃)、僕にとって忘れられない出来事があります。
ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。
すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、それで「ふるさと」を吹いたんです。あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。
「俺にできておまえにできないわけがない」。
そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。諦めて数日でやめてしまいました。
これを知った親父がある日、
「おまえ悔しくないのか。 俺は吹けるがおまえは吹けない。 おまえは俺に負けたんだぞ」
と僕を一喝しました。続けて
「一念発起は誰でもする。 実行、努力までならみんなする。そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。
一歩抜きん出るには 努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。
この棒に花が咲くんだ」
と。その言葉に触発されて 僕は来る日も来る日も練習を続けました。
そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。
草笛が吹けるようになった日、さっそく親父の前で披露しました。
得意満面の僕を見て親父は言いました。
「偉そうな顔するなよ。何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。
世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。
錐(きり)だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」
努力することに加えて、人様への感謝の気持ちが生きていく上で どれだけ大切かということを、この時、親父に気づかせてもらったんです。
翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。
開けて見たらハーモニカでした。
喜び勇んで親父のところに駆けつけると、
「努力の上の辛抱を立てたんだろう。
花が咲くのは当たりめえだよ」。
子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。
するとお袋は
「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。
お父ちゃんが言っていた。
あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」。
僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。
いまでもこの時の心の震えるような感動は、色あせることなく心に鮮明に焼きついています。
かつての日本にはこのような
親子の心の触れ合いが息づいていたんです。
※いつも何かを示唆してくれる言葉が そこにあります。月刊『致致』も購読するようになって 自分がいかに矮小で世の中を知らないで過ごしてきたかを感じています。簡単に諦めて投げ出して 何かといえば言い訳をつけて そんな風に生きていた気がします。その自分の情けなさにいつも反省させられながら、前向きにもなれる雑誌『致知』を知って、命の終わりまでにこの雑誌と出会えた何パーセントかの確率に嬉しさを覚えるこの頃です。
言葉は時に強く響いてきます。自分が求めていればこその響きだとわたしは思います。一介の主婦が人間学の本を読む・・・胸を張って読みたいと思います。雑誌の中には各界で活躍している方々がたくさん出ています。その方々と同じくはなろうと思っていません。その方々の生きざまを知り、自分の反省とし、今日を生きる糧にできたら きっと明日は笑って迎えることができると思っています。
だれだって 人生は自分のもの。自分の人生をどう生きるかは 自分が決めていく。どんな人生になるかは 今の自分が決めているのだと思います。何を探し、何を自分のものにしていくのかは だれでもない 自分なのだ・・・と ※