「100人の村」については 何度か見聞きしてきたのですが。
動画をネットで見られるとは知りませんでした。
「動画で見る100人の村」
視覚に訴えるというのは わかりやすいですね。
朝に 久しぶりの晴れ間を見て、今日はなんだかいい気分かも・・・って思っていたら、こんな場所を見つけることができました。
わたしがこうして生きていられたことに感謝します。
人は自分のおかれた環境にのみ固執していると、広い部分を見逃していることがあります。テレビで報道されることも 自分とは無関係なものとして「そういうことがあったんだ」ぐらいの感覚で 慣れてしまうこともあります。
目の前にいない 世界に生きる人々のことに思いを馳せる・・・
食べたり、飲んだり、こうしてパソコンに向かったり、それが自分のなかで当たり前なことと思っていたのが、どんなに恵まれていることかを思いながら 過ごすことは わたしに変化を与えてくれる気がします。
ときどき ふっと思うのです。
なぜ 人間は平等に生まれなかったのだろう と。
でも その問いはおかしいのですね。
「生まれる」という行為においては すでに人間は平等なのだから。その平等さから「生れ落ちた」瞬間に 個々の道筋が違うのでしょう。
ひとりひとり 大事な人生。わたしなんて 人生残り少なくなってきた部類。
それだからこそ 何ができるか?を模索していくべきなのだろう。
たとえ 答えが見つからなくても、こうして何かに胸をしめつけられ、自分がこれまで安穏と生きてこられた奇跡に感謝できることが 答えにつながるのだろう。
今日「100人の村」が わたしのなかに落としたものは だれかにつながっていくのだと信じたい。