心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

お天気が良かったですね

2013年02月27日 | ほんのすこし
寂しいなって思うときがあります。でも 長続きするわけではありません。借りてきたDVDを見ていたら 誰かを愛するということではなく まず自分を愛さなければ前に進めないのだよという言葉がありました。
愛するということは 常に対象がいて そこに自分を捧げる(大げさですが)という意識がありましたが、そうではなく 一番先に自分のことを愛する そこから始まるのだと。
ほほぉ~。「愛する」という言葉を見聞きしてきて 初めて違うものを感じた瞬間でした。

愛するには対象がいなくてはいけないのだという固定観念にしばられているから 自分を愛するなんて二の次って感じがありました。でも違うと言うのです。自分を愛せなくては 他のものを愛せないのだと。そして自分を愛したときに 自分を解放できる そういうのです。

確かに 自分に自信がなく 他人と比較すれば全然だめで・・・といった思いにしばられていることもあります。そういうこともこの世には多いかなと思います。でも 自分は自分で、他の誰でもない、だからまず一番最初は自分を認める 愛することなんだと言っていると思いました。もちろん 今でも自分に自信があるかというと 迷いはありますが、それでもいくらかココロが軽くなった気がしました。

最近はこういう経験が多くあります。本であったり DVDであったり、きっとわたしの中で そういうものを探したいという気持ちがあるからなのでしょうね。
出会いというのは 不思議だなと思います。どこでだれと出会うかなんて 知りません。でも たくさんある出会いの中で 自分が出会えてよかったと思える人がたくさんいることはすごいことだと思います。自分の人生の中で 案外今が そういった出会いを真摯に探している気がします。子どもが巣立っていく前はそんなことに目を向けることもなく 考えもせず。今は 色々なことを考え 自分というものを見つめる機会がたくさんあります。なんてすごいことでしょう。
わたしが生きていること そのこと自体に感謝したい その思いがずっとあります。生かされたという思い。そして 今の生活。なんてわたしはラッキーなのでしょう。

だから 寂しいということもほんとはほとんど思っていないのです。今の自分がいる それだけですごく嬉しくなるのです。
生きていることに感謝。
本当に感謝。
この生活を与えてくださったことに感謝。

そんな感謝の気持ちで満たされたのも 今日がとても天気が良かったからかもしれません。なにしろ自称「お天気やさん」ですからね♪

パン屋さんのチョコラスク

2013年02月27日 | ほんのすこし
鎌倉で娘が行きたいと言って探したパン屋さん。
駅から歩くこと10分ぐらい?人通りの多いところから離れたビル街みたいな通りにありました。
通りの向かいは 観光客がたくさんぞろぞろ歩く通りが見え隠れしています。
キビヤベーカリー」鎌倉に二店舗あるのかな。わたしが選んだのは こちらのチョコラスク。パッケージの猫さんがなんとも不思議な雰囲気を醸し出しています。
目がキュート♪

帰ってきてから ワインのお供にしばらく楽しみました。固くてパリパリとした感じですが、その固さとチョコの加減がとてもよくて、一度に食べずに 少しずつ味わいました。大満足♪

地元には こういう感じのラスクはあるのかな。都会ではパン屋さんが多く パン好きな娘にとってはこたえられない環境ですね。地元で 郊外に美味しいパン屋さんがあると伺っていますので、今度 行ってみようかと思っています。暖かくなって 道路状態が良くなったらね。ご夫婦でやっているとか・・・名前は忘れましたが。
鷹巣という町にも珍しいパン屋さんがあると以前地元紙で紹介されていたのを思い出しました。自分がそんなにもパンを食べないからか 情報を得ても行ってみるまではしてなかったってことですね。

人は自分の興味あることは見えるけれど 興味のないことは見えていないっていいます。どんなことにでも興味を持っている人は それだけ許容範囲が広いのでしょうね。わたしの狭さは 半端じゃないな(笑)
見えていないものが多すぎる・・・見ようとしていないのでしょうね。まぁあえて見ようとしない部分もあったりして。現実から逃げだしたいって思うときなんか 無意識に目をそらしているのかもしれない。
ところが そういうときに限って心の中になんだかもやもやしたものがあって、夢の中に出てきてしまったり。先日もずっと気になっていた友人が夢の中に。疎遠になっているせいか ときどきどうしているだろうと考えるときがあります。だったら連絡をとればいいのにって簡単なことなのですが、なんとなく疎遠になったきっかけを思い出すと 一歩踏み出せない。ここが優柔不断なわたしの悪いところです。

暖かくなったら 地元にあるという美味しいパン屋さんに行って 美味しいパンを手土産に会いに行ってみようかと 今日は少し晴れた空を見上げています♪


いつまで続くの?

2013年02月25日 | ほんのすこし
どうなってるの?!この空は・・・・
毎日 毎日 ため息が出ますよ。
この雪の画像より もっとすごくて、車の形をした雪の塊がそこにある!って感じの日々が続いておりまする。
あぁ 今季の冬は 雪との戦いで終わりそう。

今朝 起きたらあちこち痛くて。何かしたかな?と思ったら、やってましたよ。昨日は雪寄せに雪降る中 1時間以上もかかって運んでは寄せてを繰り返し。いつもより時間がかかっていたから 体が悲鳴をあげたんですね きっと。
誰かに会うと 開口一番 雪の話が出てくるという、こんな年はなかったねぇ。

今日も今日とて まずは車の雪と周りの雪をどかさないと運転できません。ずぼらな私は なんとかお昼頃までに暖かくなって 少しでも車の雪が溶けてくれないかなぁと淡い望みを抱いているところ(笑)
屋根のある車庫の人が羨ましい・・・と言ったら、その方曰く「車庫前の雪を寄せるのもまた大変なんよ」ですと。こっちがよけりゃ あっちが悪い、ものごと色々不具合があるもんです。

このところ 読書と映画にふけっていて、夜中でも読み終えるまで起きてしまうということに。おかげで良い本に出会えて大満足中。映画は 『HICK ルリ13歳の旅』が借りてきた中では面白かったな。海外ドラマでは『アンフォゲッタブル』にはまってる。記憶力のいい女性が事件を解決するというドラマ。


突然 別の話。これは 鎌倉の市場の中にあるパン屋さんで買った食パン。「自然」とか上に文字が入っている。何が良かったかというと、そのお店 およそパン屋さんにはそぐわないイケメンだけのパン屋さん、まるでアーティスト集団の憩いの場みたいな雰囲気で。別に買わなくてもいいのに つい買ってしまった(笑)しかもこのパン 重いの・・・ボストンバッグの中で一番重い存在がこのパンだったというおまけ付き。買うまでは まさかこんなに重いパンだとは思わなかったのよ。イケメンにつられて買うなんて 動機が不純だったから 天罰ね(笑)
だから その後に買ったおみやげは軽いものや小さいものばかり選んだのでした。

時はまたたく間に過ぎて行くね。つい先日 上京してあちこち行ったり食べたりしたのが、もう夢だったような気がする。雪のない世界と雪のある世界を見ると、これがほんとに今?という不思議な感覚で、でも自分がいる場所はここ雪のある世界なんだなと。毎年こうして雪と向かい合い 雪を見て過ごして行く、これがわたしの冬なんだな。
それにしても どんだけ降れば気が済むのよぉ~。
今年だけは 暖かい地方に住む人が羨ましいのだ。

新刊ほやほや

2013年02月21日 | 紹介します
君が生まれたあの日』未来への手紙 加藤登紀子 編者(廣済堂出版)
FM OSAKA とTOKYO FMで放送されている番組「君が生まれたあの日」に寄せられた手紙35通それぞれに 加藤登紀子さんのメッセージを添えて 編集されています。
2月14日に発刊されることを新聞紙上で知り、早速amazonで購入しました。
ラジオ番組は聴いたことがないのですが、加藤さんのあの声で読み上げられる手紙の一つ一つにドラマを感じます。
こんなにも 人は喜びをもたらすことができるのか・・・ということを改めて感じました。それぞれの手紙は お父さん お母さんの立場だけではなく、祖父母や叔母 兄弟 様々な立場からの手紙でした。

産道をとおるという苦しみを味わいながら この世に生まれてきた赤ちゃんの存在は なんとありがたいものでしょう!生まれることは 当たり前ではなく 奇跡なのだと思います。数々の奇跡が重なって ひとつの命になった そう思います。だからこそ 人はこんなにも小さな命を尊く愛おしく思えるのでしょう。

自分がこの世に生まれたことが どんなに周りに喜びを与えていたかを知ることは とても素敵なことだと思います。その素敵なことをしないままでいることが多いから この企画は素晴らしいなと思います。より多くの人が 生まれたあの日について思い 言葉にしていくことができれば、今ある社会の中身も少しずつ変化していくようにも思うのです。

わたしたちはもっと「生まれたあの日」について語る必要があると感じます。

わたしは昔 母から自分が生まれたときのことを聞きました。母は実家に行って出産しましたが、母の実家は今でこそ 道路も舗装されて車もばんばん通れるようになりましたが、あの当時はほとんど最寄りのバス停まで歩かなくてはなりませんでした。子どもの足では片道2時間ぐらい?だったでしょうか。そんな田舎での出産です。町からお産婆さんを呼ぶために 母の兄がトロッコで迎えに行ってくれたんだよ(迎えに行くのが大変だったみたいです)と話してくれました。お産婆さんが来てからも かなり時間がかかったみたいでした。
すごく苦しかったでしょうね、難儀して産んでくれてありがとうね 母さん。

生まれたときの話しは 大変だったんだよ としか聴いていませんが、言外に〈こんなに苦労して産んだんだから 命を大事にしておくれよ〉という気持ちがこめられていたのだと今は思います。子どもの頃はそこまで思いはかることができなかったので、産むって大変なんだなとしか思っていませんでした。でも 自分が子どもを産む段になって初めて あぁ母は こんなにも大変な思いをしてわたしをこの世に産んでくれたんだなとわかったのです。
そして 生まれることの素晴らしさ 命の尊さをわたしは子どもたちに伝えてきたかなと 振り返って考えています。大変だったよ とは話していますが、どんなにみんなに愛されて生まれてきたのかを話してきていなかったように思うのです。
生まれたときのことを 忘れないでいること、その日が自分にとって唯一無二の日であること、人生の始まりはたくさんの祝福に溢れていたということ、それを忘れずにいたら 生きる力もぐんぐん出てくるような気がします。

素晴らしい企画「未来への手紙プロジェクト」を考えてくださった方たちに大きな感謝を。

そして 友人の娘さんがこの19日に女の子を出産しました!ちょうどamazonから届いて読み始めていた頃でしたので びっくりしました。まるでこの本に出会うのが必然のことであるかのように!
なんて素敵な偶然なんでしょう。
○○ちゃん(まだ名前はわかりませんので) おめでとう!!あなたが生まれた日 おばあちゃんはたくさんの人に祝福の言葉をいただいたはずですよ。それはそのままあなたへの言葉。あなたのお母さんへの言葉でもあるんですよ。よく頑張ったね。生まれてくれてありがとう。

今日 本屋さんで この本をもう一冊買いました。友人にプレゼントしようと思っています。
本当に本当に 生まれてよかったね!おめでとう!!

母が心配なことは

2013年02月19日 | 母のこと
昨日 採血のため病院の付き添いに。リュウマチのため 骨がもろくなっている母は採血のときのあのゴムの止めるのが苦手。軽くしばられても 痛がってしまう。注射の針よりも 止めるゴムの痛さがかなわないらしい。
昨日も看護師さんが悪戦苦闘していた。最後に腕に軽くタオルを巻いてからゴムで止めてみた。すると全然痛さが違ったらしい。ようやく7本もの採血終了!今度からはタオル作戦で行こうね!

午後1時半に家に戻り ドラマに間に合った♪と喜ぶ母。わたしは買い物にそのまま出かけた。
二時半ころ戻ってきたら 母がベッドに横になっていた。少し休んでいるというので わたしはコタツで足をあたためた。少しして 母が体を起こし
「心配なんだよ。」という。わたしは病気のことだろうと思いながら 続きを聞いた。
母が問題にしていたのは・・・

つい何日か前にロシアに落ちた隕石のことだった!
テレビを見ていて 太陽と地球と他の惑星の大きさを比べているうちに、自分は日本でも広いと思っているのにアメリカとかすごい大きさだろうと比べものにならないと、でもその地球の大きさが太陽とか他の惑星なんかと比べて かなり小さいのだという感覚に なんだか戸惑いを感じたらしい。
隕石が落ちてくる場所の特定はできないの?という問いに 「富士山のてっぺんに1ミリのものが落ちる状態を想像してもらえばわかるほど難しいのだ」と聞き、ますます「こりゃ大変なこった!」と思ったらしい。

そして
「今の世の中 国同士が争ったり、あれこれ喧嘩したりしているけど、そんなことに関わりあってるより 外からくる(隕石のこと)ものに どう対抗したらよいかをみんなで考える方がずっと地球のためになるよ。なんでみんな気付かないのかねぇ~」と 心配顔で話す母。

大きな宇宙から見れば ほんとに些細なものがわたしたちなんだよね。
それなのに 目の前のことでちまちまあくせくと あぁでもないこうでもないと揉めている。
今まで隕石が落ちてくるなんてこと 一つも考えたことがなかった母にとっては 青天の霹靂だったに違いない。
そうだね。争いごとをやめて 世界中の人間が一致団結して 外からの脅威をどうやって受け止めるかを研究すること 大事だよね。
わたしは ただロシアに隕石が落ちたんだ・・・ぐらいにしか受け止めなかったのに、母はもっと色々考えていた。いつもそうだ。母はニュースをよく見聞きしているため わたしよりずっとニュースの内容について考えたり感じたりしている。そしてえてして母の感想は当たらずとも遠からずのことが多いのだ。

母は さらにこう言った。
「絶対 夏休みのこども科学相談室(こういうタイトルかどうかうろ覚え)に この隕石のこと質問出ると思うよ。聴かなくちゃ。子どもにわかるように話してくれるから 自分にすごく合っているんだよ。楽しみだなぁ」
テレビも見るけど ラジオも大好きな母。特に夏休みや冬休みに入る子どもたちの質問箱の番組が大好きで、そこで仕入れた情報をときどき教えてくれる。自分の知能は子どもより下だって笑っていうけど、いやいやどうして あなたの興味はなかなかのものですよ♪
まぁ隕石が ここに落ちてこないかとびくびく心配して暮らすことはしないようだけどね。
人間も地球も はかないものなんだなと ちょっと寂しく思えた母なのでした。

眠れなかったのだ

2013年02月18日 | ほんのすこし
本当に眠れないのは辛いのだ。夕べはなんだかね 眠れなかったのだ。
ベッドに入ってから あっちに向いたり こっちに向いたり あれこれ考えたり・・・いつもだとしばらくすると寝入っていたのに 目が冴えてしまい全然眠れなかったのだ。どうもこうもしょうがないので諦めて 4時前に起き出して ずっと古い相棒シリーズを見てましたよ。
今夜はすぐ眠れると思うけど。

眠れないとき 無駄な抵抗は止めて 何か夜中にできることをすればいいと思うけど、結局テレビに向かうか 本を読むか に 落ち着く。でも起きるということは 灯油や電気も使うということで・・・この光熱費の高いご時世 素直に寝ていけない自分が憎らしいのだ。

画像は 三連休で上京し 戻ってきた11日の夜のこと。駐車場の愛車が見事に雪に埋もれていた!東京は晴天で雪ひとつなく そのギャップに驚いた。北上するバスの窓から見える景色に雪の量がだんだん増えていくのを見ては また雪の世界に戻ってきたか・・・という諦めともつかぬ思い。そしてそれが最高潮に達したのが この愛車の姿を見たときだ。が~ん・・・明日はなんとしたって 雪を寄せてあげねば!
そんな気持ちを抱きながら パンパンに腫れた足を揉んでいた。

戻ってきたあたりは 順調に眠りについて快眠状態が続いた。だが、ここ数日 またしても眠れない状態。うまくコントロールしなくては。自分でも何が原因なのかわからない。まぁ考えるべき問題は数々あるが、それだって眠れなくなるほどでもない。ここは光熱費のためにも 快眠する習慣をつけなくては。

今日は母の付き添いで病院へ。先日診察していただいた時に新しい治療法を勧められた。そのために様々な検査が必要だとのことで 今日は採血に。色々な検査結果を見て 今後の治療法に入ることができるかどうか二週間以上たってから わかるとのこと。うまくいくといいな。今のままだと悪くなることはあっても良くなることはないように思える。寝たきり状態にならずに暮らせるなら 新しい治療法に希望を託したい。

あぁ 今頃 なんだか眠くなってきた・・・困ったもんだ・・・

夜景がきれいでした

2013年02月17日 | ほんのすこし
三軒茶屋のキャロットタワー 26階にあるスペースから。
ドリンクコーナーもあるし 無料スペースもあるし、ぐるっと後ろに回るとレストランがあったようで。
あったかい抹茶カフェを頼んで しばし夕暮れから夜にかけて変わっていく町並を見ていました。夕暮れ 日が沈みかける前には 遠くに富士山が見えました。富士山の真ん中を横切るように細長い雲があったので、最初は娘が教えてくれるまで 富士山だとはわかりませんでした。というか 富士山が見えるというのが不思議な思いで 富士山は見えないものという固定観念がわたしの中にはあったのです。

ここ地元は盆地なので 見渡す限り 遠くが山だらけです。それを見慣れているせいか 突然ビルが立ち並ぶ向こうに富士山の形が浮かんでいるというのは 想像できなかったのです。だんだん日が沈むとともに 富士山も見えなくなり すっかり夜になると 一段と♪街の灯りがとてもきれいね 横浜~ もとい 三軒茶屋~♪って感じで うっとり。なんにもしないで ぼーっと見ている時間がたまらなくいいなと思いました。

特等席のカップル席が 窓ぎわにあって カップルが仲良く座ってワインなんか飲んでいましたよ。まるでふたりだけの世界なのよって雰囲気が漂っていて ほぉ~ 都会だなぁと田舎者のわたしは感心してみてしまいました。まぁこの綺麗な世界をふたりで堪能できるんだから どこへ行かなくても楽しいか・・・わたしもずっと若かったら カップルで夜景を眺めてワインを楽しんでみたいものです。別に年とってても大丈夫か(笑)
いつかまた来てみたい そんな素敵な場所でした。



お金を使わずに 見事な夜景を楽しめるって すごいなぁと思います。朝9時から夜11時まで開放しているとか。だまってずっといてもかまわないってことなんですよね。もちろん 珈琲を頼んだりしてボックスシートにいることもできますし。ちょっとした軽食もありそうでした。
ホテルから見える夜景よりずっと広くて 飽きない光景でしたよ。窓の広さが半端じゃなくて目の前一面が 夜景!って感じです。

この夜景を見ている人たちは一体どんなことを思って見ているんでしょうね。

帰郷して 見えるものの違いに驚きつつ、ここがなんだかホッとするなと思い、都会の夜景はほんのたまに見るからいいのかもしれないと思っているのでした。なんにもないところだけど、なんだか黙っていても疲れない、そんな空間があることに とても安心感を抱いています。ごちゃごちゃとした空間で 雑多な印象の部屋ですが、わたしがそこかしこにいる そんな空間です。自分が住んでいるところ それがココロのふるさとで、いつのまにか自分が自分でそのふるさとを作り上げている・・・きっともっとずっと年老いて 振り返ったときにここにいた自分を懐かしく微笑みながら思いだす・・・そんな気がします。

それにしても・・・片付けないと、もう少し綺麗にしないとね(笑)

ありがとう話

2013年02月17日 | 母のこと
今日は 雲があるけど良いお天気です。
最近 雪がどっかりと降ったりもするけど、結構 お天気なときもあって、ゆるやかに冬が過ぎているなと感じることが多くなりました。それでも例年よりも除雪費用がかさんでいるらしいです。母の玄関前の屋根にあった固い雪が暖かさに負けて どかんとずり落ちたらしいです。それをせっせとご近所の旦那さんが寄せてくれたらしく 今年の冬は その旦那さんがいてくれたおかげで 母もわたしもとっても助かっています。
まるで救世主のごとく現れた!って気分です。
長い間 出稼ぎに行っていたらしいのですが、今年からは退職されて地元にいることになったそうです。働き者のご主人らしく 戻ってきても毎日あれやこれやと動き回っているようです。本当に いつも何かしら家の周りのことやらをしています。

母が一人暮らしなのを知っていて 今年は家の前の道路の雪や屋根から落ちた雪までも寄せてくれているのです。本当にありがたいなと思っています。
母はいつもわたしにも何かというと「悪いねー」と言います。すかさずわたしは「悪いねーじゃなくて ありがとうって言ってくれた方が嬉しいんだけどぉ」と返します。すると「あぁ そうか その方が気持ちいいよね」と言って笑います。
そのことから「ありがとう話」に発展することがあります。
「ありがとう話」というのは 父や弟のこと。

生前 父はよくどんな人にも「ありがとう」って言ってました。わたしにも母にも。入院中は看護士さんや介護の方にも。何かしてもらうとほんとにありがたいなという表情で言うのです。言われたこっちは なんだかたいしたことしていないのに嬉しくなります。
背中をさすってあげても 嬉しそうに「そうか さすってくれるか、ありがとう」と優しい口調で言ってもらうと 最初は少しだけ・・・って思っていたのが もっと長くやってあげようって気持ちになったり。それが父の作戦だったとすれば すごい戦略です(笑)

そんな父に似たようなところも弟にはありました。強く相手を非難することはできず、母や私に対して不満があっても 苦笑いをしてすます そんなところがありました。そしてやってもらいたくても口に出さずにいたことを わたしがやってあげたりすると「ありがとう」って 嬉しそうな顔をして言うのも父に似ているなぁと感じることがありました。
父も弟も「ありがとう」って言葉を男にしてはよく使っていたよね?って 母とふたり思い出しながら話しているのです。それがわたしたち二人の「ありがとう話」なのです。

悪いねぇ って言うより、ありがとうって言う方がいい。そう思います。母の「悪いねぇ」は もう習慣になってしまっているようで なかなか消えませんが。わたしに対してすまなさを感じて生きてもらいたくないので、わたしは娘として当たり前のことをしているだけだと言っています。それでも母に言わせれば わたしがいなければ もう何回も死んでいた と繰り返します。
感謝したいのは こっちの方。母がいてくれたおかげで わたしは生きる喜びをまた味わえるようになったと思えるから。母には一日一日 少しでも長く生きてほしいと 目覚めるたびに思います。そして 同じようにわたしも子どもたちに心配をかけない人生を歩まなくては・・・と思うこのごろなのです。

印象的だったこと

2013年02月16日 | ほんのすこし
一日 何もせずに終わったなと思うことが多い。
気持ちは前向きになっていると思っていても 実際のところ前と同じ繰り返しの日々だ。少し違っているのは、シャープペンシルを使うようになったことか・・・
とりあえずは なんでもやれることをやっていこう。その中から取捨選択して これから先のことを考えよう。

三連休は 上京してきた。戻ってからが大変だった。
体がいうことをきかない。足が重くて 普段どおりに戻るのに 二日以上かかった。なんということだろう。ここまで体がていたらくしていたのか。
歩数計が 東京では一日16000歩以上だったのに 戻ってきてからは 1000歩から多くて3000歩どまり。これじゃあ足も悲鳴をあげるはずだ(笑)
いかに歩いていないかがわかる。運転ばかりに頼って暮らしていると 体が衰えていくという証だね。

今回の旅で 強烈な印象となったのは 盛岡まで同席した見知らぬ60代の女性。最初から最後までご一緒だったけど、2時間半以上 しゃべり続けていた。わたしは聞き役だったが、その所作や話し方を見ていると あることに気付いた。知り合いにこの方と同じ雰囲気で痩せて顔の作りが似ている人がいる。その人と話し方がとても似ているのだ。話し方が似ている人は顔の作りとか雰囲気も似てくるのだなと 話を聞きながら思っていた。声さえも似ている気がする。
自分の生い立ちやら 亡くなったご主人とのことやら、友人のことやら 話は尽きないようで・・・その話の途中で わたしに「あなたはどうなの?」「お子さんはどこに?」などなど 話を振ってくる。適当に応えているが、こっちが乗り出して答えないせいか あるとき「あなたは 喜怒哀楽がないでしょ?」と言われた。
はぁ?一瞬 目が点になった。
どうも わたしの反応がいまいちだったらしい(笑)
その方に言わせると 自分はわがままだそうで、夫婦げんかして相手が悪いと夜中でもアイスを買ってきて!と言うのだそうだ。つまり喜怒哀楽が激しいということの例をあげたということらしいが・・・

その話を母に教えると 母曰く
「その人は お前との話の共通点を探して あれこれ話をしたり 話を振ってくるんだよ。お前が熱心に答えれば 夢中で話に花が咲くから そうやって人とコミュニケーションを取ってきたんだろう。」と。

おかげであっという間に到着した感じがしたが、読もうと思ってバッグに入れていた文庫本は一度も開かずに盛岡に着いた。

ある意味 羨ましいほどだ。わたしはあんなふうに長い時間おしゃべりし続けることはとても苦手だ。たいてい聞き役になっていることが多い。数人でいるときにひとりだけが独壇場である場合も好まない。講演会ならともかくね。
友人の作り方には 色々あるだろう。その人なりのやり方で 自分と波長の合う人を探す。今回の見知らぬ女性とは とても波長が合わないなと感じた。あっという間に着いたけど 話を聞き続け あげくには「喜怒哀楽のない人」だと言われて どっと疲れた気がする(笑)

でも よく考えると 他人にはそう映るのかもしれない。静かなときのわたしは冷静に見えるのだろう。だが、それはほんの側面だ。わたしの中には熱い炎が燃えている(なんてね)
まぁこれもひとりの時間が多く それに慣れ過ぎたということかもしれない。
喜怒哀楽・・・怒は あまり顔に出さない。それ以外は そのまま顔に出している気がするけどねぇ。
たまには 怒れってことかしらねぇ。
でも 怒ることって あまりないしねぇ。
どちらかというと 笑ったりすることが多いからねえ。それでも喜怒哀楽がない人ってみられるのかしらねぇ・・・

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写真は 鎌倉の小道を見上げたときに出ていた看板代わり?Tシャツが旗のように貼りつけてあったので、面白いなと思って パチリ。

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