この歌 よく歌いましたね。
♪ 夏がくれば思いだす~ ♪(歌詞間違えてました!)
小川のせせらぎの音は 想像しただけで涼しくなるような気がします。今朝も朝からエアコン全開です。こんな夏も珍しい気がします。エアコンは極力つけないようにしてきたつもりですが、母が扇風機をつけなきゃしのげないとこぼしているほど わたしも部屋でエアコンを。基本 母はエアコンも扇風機もダメですが、それでも今年の夏は我慢できないらしいです。後で体が痛むので 我慢を重ねて我慢できなくなったらつけるみたいですが・・・
夏になるとスイカ。それって定番の食べ物でしょうけど、昨年からわたしの頭には買い物に行ってもスイカに手を出そうという気持ちがなくなってしまいました。母は多分食べたいのでしょうけど。カリウムの多い食べ物をあまり食べないようにと言われている母。スイカはカリウムが多いらしいので わたしとしてはスイカ大好き人間の母に買ってくると ついつい多く食べてしまうと考えてしまうのです。そのせいか このところの暑さにもかかわらずスイカをいまだに買っていないのです。
でも 先日 母に
「今年はスイカ まだ食べてないねぇ」
と 言われてしまいました。買ってほしいと言いたいけど 我慢しているのでしょうね。
仕方がない。今日は 小さめのスイカ 買ってあげようかな・・・
そう思って 冒頭のイラストを出してきました。スイカをほおばっているのは 小さい頃のわたしかなぁ。
母の実家は 山間にあって、よく夏休みになると弟とふたりバスから降りるとテクテク砂利道を二時間以上も歩いていったのを思い出します。村に入ってすぐに小さな橋があり、そこを通り過ぎると水飲み場があって そこは天然の冷蔵庫になっていました。村ではそこにスイカやらを入れて冷やしていたものです。わたしたちはそれを見ながら 後でおじいちゃんがここからスイカを持ってくるんだなと思ったものです。キンキンに冷えたというより 美味しく冷えた自然のスイカの甘さがありました。
縁側に座り 庭にスイカの種を吹き飛ばし 弟とどちが遠くに飛ぶかなんて競争したことも今となっては遠い思い出です。
そうそう もっと幼い頃、夏といえば弟が生まれた日のことを思い出します。
わたしは弟が生まれる日 隣の家にいました。その日は暑い盛りでしたが、母が暑さの中で苦しんで産んだのだろうなと想像しています。わたしは邪魔になるので隣の家で待機させられたのでしょう。隣の家の広い玄関(ほんとに広かった)で ぼんやり外を見ていました。それは多分 午後の日差しが照りつける時間のことだったと思います。辺りがとてもシンとしていて 世界にいるのはたったひとりわたしだけなんだ・・・といった感じを受けました。疎外感ではありませんが、どこか不思議な今まで見ていたはずの夏の景色がかすれたような色合いで 日差しが辺りを覆っている そんな音の無い世界に見えました。ただただ なんだか不思議・・・といった気持ちで何もせずに玄関から見える外の世界を黙って見ていたように思います。
それが一体どのくらい続いたのかわかりませんが、母のいる家の方から誰だったのかな、年上の従妹だったのかな。
「○子 生まれたよ!男の子だって!!」
と 言いながら飛び込んできた姿を見て ハッと我に返ったのでした。あのときのかすれたような色の世界は あれから一度も目の前に現れてきません。これから先もあるのだろうかと思うのですが、幼いわたしが世界を不思議なものとして捉えた最初の場面だったのかもしれないと 今は思えます。
8月2日 弟が生まれた日でした。
そして8月25日は 弟が亡くなって3年目の夏になります。このスイカのイラストを見ると いつも弟の優しい顔が目に浮かんできます。
生まれて そして 生きて さよならした 弟の人生を思ってしまいます。
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♪ 夏がくれば思いだす~ ♪(歌詞間違えてました!)
小川のせせらぎの音は 想像しただけで涼しくなるような気がします。今朝も朝からエアコン全開です。こんな夏も珍しい気がします。エアコンは極力つけないようにしてきたつもりですが、母が扇風機をつけなきゃしのげないとこぼしているほど わたしも部屋でエアコンを。基本 母はエアコンも扇風機もダメですが、それでも今年の夏は我慢できないらしいです。後で体が痛むので 我慢を重ねて我慢できなくなったらつけるみたいですが・・・
夏になるとスイカ。それって定番の食べ物でしょうけど、昨年からわたしの頭には買い物に行ってもスイカに手を出そうという気持ちがなくなってしまいました。母は多分食べたいのでしょうけど。カリウムの多い食べ物をあまり食べないようにと言われている母。スイカはカリウムが多いらしいので わたしとしてはスイカ大好き人間の母に買ってくると ついつい多く食べてしまうと考えてしまうのです。そのせいか このところの暑さにもかかわらずスイカをいまだに買っていないのです。
でも 先日 母に
「今年はスイカ まだ食べてないねぇ」
と 言われてしまいました。買ってほしいと言いたいけど 我慢しているのでしょうね。
仕方がない。今日は 小さめのスイカ 買ってあげようかな・・・
そう思って 冒頭のイラストを出してきました。スイカをほおばっているのは 小さい頃のわたしかなぁ。
母の実家は 山間にあって、よく夏休みになると弟とふたりバスから降りるとテクテク砂利道を二時間以上も歩いていったのを思い出します。村に入ってすぐに小さな橋があり、そこを通り過ぎると水飲み場があって そこは天然の冷蔵庫になっていました。村ではそこにスイカやらを入れて冷やしていたものです。わたしたちはそれを見ながら 後でおじいちゃんがここからスイカを持ってくるんだなと思ったものです。キンキンに冷えたというより 美味しく冷えた自然のスイカの甘さがありました。
縁側に座り 庭にスイカの種を吹き飛ばし 弟とどちが遠くに飛ぶかなんて競争したことも今となっては遠い思い出です。
そうそう もっと幼い頃、夏といえば弟が生まれた日のことを思い出します。
わたしは弟が生まれる日 隣の家にいました。その日は暑い盛りでしたが、母が暑さの中で苦しんで産んだのだろうなと想像しています。わたしは邪魔になるので隣の家で待機させられたのでしょう。隣の家の広い玄関(ほんとに広かった)で ぼんやり外を見ていました。それは多分 午後の日差しが照りつける時間のことだったと思います。辺りがとてもシンとしていて 世界にいるのはたったひとりわたしだけなんだ・・・といった感じを受けました。疎外感ではありませんが、どこか不思議な今まで見ていたはずの夏の景色がかすれたような色合いで 日差しが辺りを覆っている そんな音の無い世界に見えました。ただただ なんだか不思議・・・といった気持ちで何もせずに玄関から見える外の世界を黙って見ていたように思います。
それが一体どのくらい続いたのかわかりませんが、母のいる家の方から誰だったのかな、年上の従妹だったのかな。
「○子 生まれたよ!男の子だって!!」
と 言いながら飛び込んできた姿を見て ハッと我に返ったのでした。あのときのかすれたような色の世界は あれから一度も目の前に現れてきません。これから先もあるのだろうかと思うのですが、幼いわたしが世界を不思議なものとして捉えた最初の場面だったのかもしれないと 今は思えます。
8月2日 弟が生まれた日でした。
そして8月25日は 弟が亡くなって3年目の夏になります。このスイカのイラストを見ると いつも弟の優しい顔が目に浮かんできます。
生まれて そして 生きて さよならした 弟の人生を思ってしまいます。
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