心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ひそやかに

2015年03月31日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

あなたと わたしと 空に月
ひそやかに 震える 夜に月

あなたと わたしは 見つめ合い
ココロと ココロで 見つめ合い

そっと 目を閉じれば
幾百年前と変わらぬ 月
空はいつのまにか少しずつ変化して
見えぬ何かが変化して

だのに 見える空はずっと変わらない
わたしはこんなに刻々と
終わりに向かっていても
わたしの終わりよりまだ先の そのまた先で
空も 月も
待っているのね

ひそやかに想う
この世のなごりを
ひそやかに想う
いとしい世界を

こんな澄んだ空気の夜は
きっと朝もまた美しい

※※※


ワイドテンプレートというものに

2015年03月30日 | ほんのすこし
今までずっと気にいっていたテンプレート、書斎。
でも ちょっと気分転換に テンプレートを替えてみようかなぁと。
春だし 明るいのにしようかなぁって思っていたのですが、なんだかこのワイドテンプレートというものに触手が動いてしまいました。
もちろん ワイドテンプレートの中にも春めいた明るいものがありましたが、なんとなくここではゆっくりと珈琲でも飲みながら・・・といった気分なので、このクッキーと珈琲の画像に惹かれました。

文字が大きくて見やすいなあというのが一番の魅力です。
シンプルで これは使い勝手もいいかもしれない。前に使っていたテンプレートの万年筆の画像もこちらのワイドテンプレートに入れてくれるといいのになぁ。

以前はちょくちょくテンプレートも替えていましたが、元来の面倒くさがりに輪をかけて 一つのことを替えるのにとても躊躇する傾向にあり。でも ここらであれこれと使い勝手の良いものがあったら どんどん試していくのもいいかもしれない。ほんの少しの変化でも 気持ちにも変化が現れるってこともあるしね。

しばらく様子を見てみようと思います♪


素敵な70代

2015年03月30日 | ほんのすこし
友人には わたしより年上の方がいる。
どうして年上の方がいるかといえば ワンディシェフの店で知り合った方が多いからだ。ワンディシェフの店はもう営業を辞めたが、弟が手伝ってわたしがサポートしていた数年間で多くの方と知り合った。その多くの方は年配の方が多かった。色々な気づきを与えてくださったし、何より生きるパワーをいただいた。
そして その方々の言動を母に教えることで 母もまた元気をもらっているなと感じていたものだ。

弟が亡くなり、その後ワンディシェフの店も終わり、そこで知り合った方とも疎遠になっていたが、ジャズ好きの方とは 時折 連絡を取ることがあった。彼女は70代。ワンディシェフの店のお客様として知り合ったが、互いにジャズが好きだということで お店をお借りして「ワンディジャズ」を開いたこともあった。
今年最後のワンディジャズ

そんな彼女と昨日ほんとに久しぶりに会った。彼女は読書好き。図書館に行き本を借りたりしているが、わたしが持っている本を貸したりもしている。しばらくだったので、読み終えた本を沢山ピックアップし 手元にあったCDも数枚選んで 持って行った。

元気な70代。久しぶりに会ったら ますます若くなっていた気がした。
以前に会ったときは ヨガを始めたと言っていたが、体操はずっと何年もやっていて、その後 長年やってみたかった太鼓(外国の太鼓)に挑戦し始めたと聞いた。
そんな挑戦がいっぱいの彼女だ。70代だというけど 気持ちはもっと若い。

彼女とはワンディシェフの店で知り合った。知り合った当時と今の彼女を比べるとずいぶん若いなと思う。全然違うのだ。当時はご主人を病気で亡くされて ずっと家にいた状態をワンディシェフの店のKIMIKOさんが外に引っ張り出してくれたそうだ。お店で彼女と会ったときより 今はずっと若く感じる。人間ってすごいなと思う。気持ち次第でこんなに見た目も変わるのかと。それだけ彼女の変化はすごかった。
外に出て活動する 外に刺激を受けて生活するということがこんなに人間に変化を与えるのかという驚きがわたしの中にはあった。昨日の彼女はさらに若く感じた。
「わたしね、元気でいなくちゃいけないの。ここに助けてくれる人はいないからね」
問えば 子どもたちは遠くで生活しており、自分が今倒れたら 子どもたちに迷惑がかかるからという気持ちだった。わたしもそうだと話して、互いに元気でいることが一番だと笑った。

一人暮らしの人にとって 自分が倒れたときにどうなるかと考えることほど不安なことはない。それをしみじみと思った。
でも彼女はそこで終らない。元気でいるために さらに前に進む。
「あのね わたし四月からボーリング講座に通うことにしたの」
えっ?
目が点になったわたし。
ボーリングはこの年まで一度もやったことがないから 一度でいいからやってみたかったという彼女。
「でもね、この年になってボーリング?って言われるのが嫌だから まだ誰にも言ってないの。内緒よ」
と 笑っていった。(まだ誰にも話していないからと口止めされたけど ここで書いちゃいました。Kさん内緒ですからね 絶対)
なんでもやってみようとすぐ行動に移せる彼女が羨ましくなった。
「あのね、ゴスペル 新しくなるみたいじゃない。あなたもまたやってみたら?」
思いがけない言葉が返ってきた。まるで私のココロの中を見透かしているかのように。実は地元紙に掲載されていた新ゴスペルの記事に興味津々だったのだ。その体験教室に行けなかったので ちょっと悶々としていたわたしだった。何をあれこれ考えているんだか・・・いらないことを考えすぎるのが玉にきずだ。

彼女に数冊の読み終えた本とお勧めのCDと『パガニーニ』DVDを持っていったが、とても喜んでくれた。いつも彼女が喜んでくれるとわたしも嬉しくなる。相手を喜ばせることに関しては 彼女の右に出る者はいないだろうと思えるほど感激屋の人なのだ。そんな70代。素敵な70代。
彼女の近況を母に教えた。元気に 今度はボーリングもやるんだってって教えたら
「あー やってみたかったんだよなあ」
と。そうか 母もそうだったんだ・・・・
母にとってはやってみたかったことが もっとたくさんあるんだろうな。
昨日は 母の希望で庭の冬囲いやら玄関の鉢植えの移動やらを手伝った。
「あーーすっきりした!」
と たいそうご満悦。ずっとなんだか気分がうつうつとしていた母が、昨日はすっきりした顔をして、
「なんだか気分がすごくいい」と言ってくれた。
やりたいことも口に出せずにいたんだなと思って、気付かずにいた自分を悔いた。これからはどんどん私を使ってちょうだいよ。でもいつも言ってるんだけどね。母は遠慮しているの。
遠慮させる前に わたしが言わなくちゃと思ったのでした。

70代の彼女の行動力には程遠いけど 我が母は体の痛みにも負けず 狭い家のメンテナンスにあれこれ思いを巡らすのが元気の源みたいだ♪



懐かしいものが

2015年03月29日 | ほんのすこし
先日 上京し、娘のところで何日か泊ったときのこと。
娘が少しずつ回復に向かってきたので、棚やコンテナの中を整理していた。仕事をしながら子育てもしていると、整理するのは いつか いつか・・・と思っているうちに後回しになりがちだ。家族それぞれのワードローブやら それ以外の諸々のものを出してきて 畳みながら、不必要な物はないか調べていた。

棚の奥にあったコンテナの中から出てきたものがある。
それが冒頭の物。といってもずいぶん画像よりくたびれてくたくたになってしまっていたが。

以前ここで記事にしていた。→珍しく時間がかかった代物

2006年の記事で 記事の内容からみると出来上がったのはさらに三年前ということだから2003年の11月頃か?
これは 手元にはなく 当時まだ学生だった娘に送ったものだ。
なんと 娘はそのときからこれを捨てずに持っていたのだ!
毛羽立っていて もう使うこともできないだろうに・・・

「あれー これまだ持っていたの?!」
と わたしが素っ頓狂な声を出すと 娘が
「あ~ それね。捨てられなくてね。送ってもらったときは結構使っていたんだよ」
と ちょっと照れくさそうにしていた。ボロボロになっても捨てずに取って置くなんて・・・
心の中で ほろりと嬉し泣き。

もうすでに14年ぐらいは経っているかもしれない。こんなに物持ちがいいとはね。
というより 捨てるのが単に面倒なだけか?(笑)

10年以上前のわたしの姿を同時に思い出していた。今とは全然違う生活だったあの頃。
でも 今のわたし 前に進んでいるかな。
なんだかちっとも成長していない気がしてならないこの頃。
春になったし、そろそろ思い切り伸びをして 前に進んでもいいんじゃないの♪?

寂しいなと

2015年03月28日 | ほんのすこし
gooブログでは 読者登録というものがあり、わたしはよく布団に入ってからスマホを出し、ランダムブログめぐりをしている(本当は 体にはよくないね、スマホを寝る前にいじるのは)。そこで気にいったブログを見つけると忘れないために読者登録をすることが多い。

読者登録というシステムが無い前は 気にいったブログを見つけるとそのURLをコピーし スマホからパソコンのアドレスにメールを送って 次の日にパソコンからそのブログにアクセスし 自分のパソコンのお気に入りに入れるという まことに面倒くさいやり方をしていたのだ。面倒くさがりやのこのわたしが だ。
そしてお気に入りに入れても 開かないことも多い。

それがこの読者登録になったら 更新されるとわかるので とても便利。
読者登録している方が 更新した記事をなんなく拝見することが出来る。どれが最新版かがわかるというわけだ。
その読者登録の中でも かなり気にいって拝見していたブログがある。毎日 どんな言葉が書かれているのだろうとわくわくしながら そこに飛んだ。

それが 突然 まっさらのブログになってしまっていた。今週初めからずっと。あんなに素敵なことがあって すごいなあと自分のことながらに喜んでいたのに。なぜ?
何が起きたのだろうと疑問だらけなのだけど、喜びの記事の後だけに一体何が起きてしまったのかと 悪いことだけが浮かびあがってしまう。全部消してしまう 今まで書いた記事を消してしまう・・・わたしにできるかなと思った。わたしのこの10年間の記事を 無いものにしてしまうことが出来るかな・・・出来ないだろうな。

もうあの溌剌とした言葉たちに出会うことはないのかと思うと 残念でならない。
わたしの中で 寂しい気持ちがどんどん大きくなっていく。それほど 大きな存在になっていたのだと改めて感じている。
いつか 復活するときがある、きっと。そう願いたい。

さて。
今日・明日は来週のために 仕事をする。検証しなくてはならないことが出てきたのだ。データをしっかり吟味しなくては。文書も考えなくては。それにしても一度提示したものを修正するというのは 難しいものだ。

午後は 父の墓参りに。今日は 父の命日、母も行くという。母は車の中で待ち、わたしだけがお墓まで行くという変則的なお墓参り。どうしても一緒にお墓のあるところまで行きたいと母が言うので。その気持ち わかりすぎるほどわかる。

ホヤ

2015年03月27日 | ほんのすこし
本当に久しぶりに ホヤを買ってきました。何年ぶりだったでしょうか。
ずっと見かけても 手に取ることもなく、食べようと言う気持ちも出てこなかったのです。それが 今日 旬采館に行ったときに ぷりんぷりんのホヤが入っていて、おまけにすごく大きな殻付きの帆立も入っていて、さらにさらにアサリも入っていて・・・あぁ どうしましょ。

食べたいわ 食べたいわ。

わたしがあんまりじっと見ているものだから 中で作業をしていた魚やさんが出てきました。ちょうどわたしが思いきってホヤに手をかけていたのです。
ホヤを二個 ホタテを二枚 ええい!アサリもどうだ!
もうこうなったら 破れかぶれだ、生イワシも買って行こう!

あぁ わたしったら 今日 一体何を作る気でいるんでしょう。

ホタテは貝柱以外は バター炒め。貝柱はお刺身に。弾力があって 甘いお刺身でした。アサリは酒蒸しに。

いよいよホヤです。今日のホヤはとてもしっかりしていて弾力がありました。新鮮な証拠です。
ホヤって見栄えは案外グロテスクですが、泥臭い色の殻を破ると中はとてもみずみずしいぷりぷり感のある黄色がかった半透明の身で満ちています。そのギャップに最初見たときは驚いたものです。ちょうどライチの殻と身のようなギャップ(例が変かな)

さて、しばらくぶりでしたので、ホヤの美味しい汁をきれいに出すために 一体どっちを切るといいのか忘れてしまいました。ホヤには ふたつのこぶみたいな部分があるのですが、よくよく見ると + と - になっているのです。どちらにしようかな・・・+ を選んで 切りました。
バッチリ♪
これ 間違って-の方のこぶを最初に切ってしまうと悲惨な結果になってしまいます。綺麗な汁は取れず ホヤの排泄物が出てくるという哀れな結果になるのです。

滴り落ちる汁をお皿にある程度取り、後は - のこぶの部分を切り、二つの切り取った部分から徐々に切り裂いて 中身を出して行きます。
思っていた以上にぷりぷりで綺麗なホヤ。後は中に入っている不純物を取り除くだけ。(これがまた面倒)
身が厚くて 美味しいホヤでした!お皿に取っておいた汁に食べやすい大きさに切ったホヤを入れるだけ。調味料は無し。

う~ん 美味しい白ワインがあったら良かったのに♪

今夜は久しぶりに 海鮮三昧でした。
あっイワシは 大根おろしと塩ふり焼き(母に) ホウレンソウの生姜和え。
残りのイワシは いただいた寒麹に漬けました。もうひとつ 鶏レバーのバルサミコ酢煮も作っておきました。なんだか今日は頑張った感 強し(笑)
それにしても ホヤってやっぱり美味いわ♪


こういう人に

2015年03月26日 | 朝のことば&つぶやき
わたしが ここにいることは
いったい なんのために?
わたしが 生きているのは
だれのために?

誰かに認められたくて
誰かに必要とされたくて
もがいている わたしという存在はなに

友が言った
あなたは あなたで
だれかのために生きてるんじゃないと
だれかのしあわせの下にあるんじゃないと

”あなたがしあわせだと思うことが
周りもしあわせを感じるのよ”
と 言ってくれた友の言葉が
悶々としていた わたしの体中をかけめぐった

誰かをしあわせにする前に
まずわたし自身をしあわせな気持ちにすること
難しくない?
”あらっあなたが電話くれたから もうわたしはしあわせよ”
友がコロコロ笑った
電話の声がわたしの体を震わせた
わたしもしあわせな気分を味わっていた

”ね あなたがしあわせだって思うと わたしも嬉しいのよ”
こんなことを言える人になりたい

※※※

かなり前に描いたマウス画。ハッピーな気分になれたらと。

※※※

音カメラ

2015年03月23日 | ほんのすこし
先日 録画した『映像新世紀』という番組を見ていたら、音カメラというものがあるそうな。
音を映像化するものと捉えるとわかりやすい。そのときに例として オペラ歌手とカラオケ上手のアマチュアのふたりに実験してもらっていた。
ふたりを並べて 映像を比較してみると、なんとオペラ歌手の方の体全体から丸い形の赤や黄色の色が次々と出て見える。隣のアマチュアの方は口の周りなどで 広範囲ではない。オペラ歌手の方が自分の体を楽器のように使って声を出していることが映像でわかった。
さらに驚いたことは 合唱をしている学生二人を並べて歌ってもらったときのことだ。二人が歌い始めると それぞれの位置から丸い形の大小さまざまなものが出始めるが、やがてハーモニーとなっていくときにその丸いものがそれぞれに向かって引きつけられて 一つの○になっていくという現象が見られた。
ハーモニーとは こういうことか!といった感激を味わった瞬間だった。
わざと音をはずして歌ってもらうと ふたりから作り出された丸い形のものは決してそばに寄らず 小さくなっていった。

共鳴するということを 音だけではなく視覚としてとらえようとする試み。
科学はここまで進歩してきているのかといった驚きでいっぱいだった。

ふと 音の共鳴が視覚化できるということは未来では 心の触れ合いができたときの視覚化というのもできるのかなと思った。言葉を発することが困難な状態であっても 相手と心が通じ合えていることがわかる そんなものができるかもしれないと。

音カメラの他にも色々な凄技のカメラが出てきて驚きの連続。久しぶりに科学の力を見せつけられた番組だった。
こちらの番組説明を参考にしてください。『映像新世紀』BS日テレ

めぐる季節に

2015年03月21日 | ほんのすこし
「毎晩 眠りにつくときわたしは死ぬ。そして翌朝 目をさますとき、生まれ変わる」マハトマ・ガンジー
この言葉を 『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム著)で 見かけたとき、以前読んだ脳科学者の『スイッチ・オンの生き方』の村上和雄先生の内容を思い出した。
人の細胞は毎日新しい細胞と入れ換わっているのだという。数え切れないほどの細胞が目に見えない早さで入れ換わっている・・・昨日と同じ自分だと思ってきたことが 本当は全然違う存在として一日一日あるのだということに感激した。

人に感動を与える人というのは どこかでつながっているのだと思う。それが実際に会って話をしたからどうのこうのというものではなく 日ごろその人が話している内容だったり 書いたりしている内容が 知らず知らずのうちに共鳴できている部分があるのだと思う。
ただいま読んでいる『モリー先生との火曜日』は友人からの借り物だが、あまりにも内容が素晴らしくて 自分の本にしたくなっている。新しい本屋に行って探してみようと思う。
いつでも開けるように。
ミッチ・アルボムが大学時代の恩師 モリー先生のところに通うようになったのは モリー先生が難病ALSにかかっているということをテレビ番組で知り会いに行くことから始まる。モリー先生はミッチに死に向かう日々 最後の授業をしていく。それは 人生の深い意味を問うものであり、ミッチがあげたリスト「死・家族 ・恐れ・社会・老い・許し・欲望・人生の意味・結婚・・・」について 先生と語り合うことであった。
死を目の前にし 穏やかなモリー先生の姿に触れることでミッチ自身にも変化が生まれて行く様子がわかる。
たとえば 今日の文化という部分ではモリー先生はこう話す。自分が住んでいるところから逃げ出さずに自分なりの文化を創り出すことが大事だと。

(引用)・・・「問題は、われわれがみんな似たようなものであることを信じないところにある。白人と黒人、カトリックとプロテスタント、男と女、お互い似た者同士であることがわかれば、この世界を一つの大きな家族として喜んでその中に加わり、自分の家族と同じようにその家族を大事にするだろうに。~われわれ人間は始まり、つまり誕生も同じ。終わり、つまり死も同じ。」
「人生のはじめ、子どものときには生きていくのにほかの人が必要だろう?人生の終わりにも、私のようになれば、生きていくのにほかの人が必要だろう?」
声がささやくように低くなった。
「しかし、これが大事なところで、その中間でもやっぱりほかの人が必要なんだよ」・・・(引用)

人はひとりで生きているのではないということに気づかずに生きていくよりも 誰かと共に生きていることに気づくことがより深い人生を味わうことができるのだと思う。モリー先生が死に近づきながらも ユーモアを交えながら かつての教え子であるミッチに最後の授業をする それは自分がいなくなった後でもミッチが自分の言葉をほかに伝えていこうとするのを知っているかのようだ。(確かにミッチは本と言う形で世界中の人々にモリーの考えを広めた)

本当に大事なものはなんだろう。わたしにとって痛い言葉が色々と出てくるが、それもまた反省となる。過去に戻れないのだから、これから先をいかに生きるかだ。

※※※

春を思って描いたマウス画。これからどんどん空気が暖かくなっていく そんな気分で。乗れない自転車に憧れるぅ~。

※※※

新しもの好き

2015年03月21日 | ほんのすこし
ちょっと見かけないものを発見したりすると ついつい手が出てしまう。文具コーナーで見つけたブックマーカー マグネット式だ。
でも 多分これは新しい部類に入らないのだと思う。わたしが知らなかっただけで 世の中にはずいぶん前から出回っていた代物なのだろう。

実家の近くに車やさんと本屋さんを兼ねたお店がオープンした。かなり前から工事が始まっていて 温泉に行くときにいつも前を通るので 母とふたり 一体何ができるんだろうねぇと興味深々だった。だんだんその形がわかってくるにつけ 噂もいろいろ聞こえてきた。一番噂が早かったのは、サウナだった。
スナックを経営しているママさんが常連さんから聞いたのよと言って教えてくれた。なんでもトヨタの会社でやるらしいよと。そういえば隣町にも大きな建物で『本』と書いた看板があったなぁ。あれと同じ?
そうだというので わたしの胸は高まった。

我が町 だんだん本屋がなくなっていき 本を探しに行くのはTSUTAYAで ネットではアマゾンになってしまっていた。寂しい限り。
そんなところに大きな本屋ができるとなれば 否が応でも期待は高まる。

それがこの19日にプレオープンということで工事でご近所迷惑をかけたということで 実家の付近にチラシを配って歩いたという。母は持ってきてくれた若い男性と話しこんだと言っていた。ちょっと耳の遠い 方言だらけの母とどんな会話を交わしたのかと思うと 想像しただけでも面白い気がする。
早速 4時からというプレオープンに行ってみることにした。歩いても3分もかからないだろう。

左側の入り口から入ると すぐ左が絵本。
すごい絵本の数に圧倒された。早速 孫に買ってあげたくてあれこれ吟味。数冊を選び 今度は文具コーナーを散策。見たこともないものが並んでいて これまた目がきらきら(笑)

そして何か自分が読みたい本はないかなぁってことで 文芸書のコーナーに。
『楽園のカンヴァス』が面白かった原田マハの本を見つけたので『あなたは、誰かの大切な人』を選んだ。そして TSUTAYAでも気になっていた『日本の大和言葉を美しく話す』高橋こうじ著も選んだ。

くつろげるコーナーもあって、雑誌や専門書 写真集 画集・・・ほんとに様々な本が並んでいた。天井が高くて 図書館か博物館の中を散策している気分になった。もちろん人があまりいなかったという点もあるだろうけど。オープンの日は多くのお客様でにぎわうことだろう。
プレオープンがあって良かった。ゆっくりあっという間に1時間以上も経ってしまっていた。
母はCDが欲しかったらしいが それは置いてなかったと知らせるとかなりがっかりしていた。絵を描くのに参考になりそうなものはあるかと聞くので それはあるかもしれないと言うと 顔が明るくなった。
「でも 車いすは無いだろうなあ」
と 寂しそうな顔。
う~ん どうだろう。今度行ったときに確認してみることにした。
広い店内 母が歩くにはかなり大変だと思う。車いすがあったら連れていくことができるのになあ・・・