心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

遠出してきました

2014年05月30日 | ほんのすこし
普段は 出歩くことがほとんどないので、どこかへ行くとなると非常に億劫になってしまうところが多分にあるわたし。準備もギリギリにならないとしないし・・・
今回も一応 頭の中では忘れてはならないものをインプットしていたのだけど、この暑さのことを考えて 折りたたみの帽子と扇子は入れました。
出発日は早朝から曇っていて夜半から雨が降っていたのです。ついつい雨に気を取られ、傘なんか持って歩きたくないよなあ なんてことばかり考えていました。
そのせいなのかどうか 出ようと空を見たら、雨もやんで これは幸先いいわい なんて思ったりして。

初めてのルートで行くので、どことなく不安ではありました。
それが見事に的中(笑)
新青森駅には行ったことがなく、降りるときに車内アナウンスで 新幹線は三階ということを聞き、降りた先にすぐエレベーターがあり、結構そこに入る方がいましたので、これを利用するのが早道なのかな?と思ったのでした。
なのに・・・エレベーターは下へと移動。は?
そのとき乗っていた方の中でわたしと同じ疑惑を抱いた男性がいて、お互いに顔を見合わせ、
「このエレベーターってもしかしたら 三階にはいかないのでは?」
と。気まずい思いをしながら そのまま乗っていると また上へ移動。そのまま乗った階で降りて急ぎました。
新幹線までの時間はまだ余裕がありましたので、その方もわたしも乗り遅れることなく乗れましたが、エレベーターなんて使わずに そのまま歩いていれば 改札口にたどりついていたはず。なんてこった!
初めてって怖い(笑)

そんなおっちょこちょいのわたしは 一度だけ降りたことのある大宮駅で今回は降りることに。まぁそこはなんなくクリアしたのですが・・・埼京線にも無事に乗れましたしね。
ところが 予定が狂ったのは渋谷の降り口でした。娘のだんなさんから連絡があり、当初の予定の場所ではなく、別の場所で待ち合わせすることになったのです。そこに行くにはバス乗り場ではなくハチ公前。ちゃんとメールには 出口まで教えてくれたのに。
電車が着いたら 安心しちゃって、そのまま南口(新南口か?)が目の前にあったので そこを通って駅から外に出ちゃったのです。とほほ。
仕方がないので 駅の周りをぐるっと歩けばハチ公に着くだろうなんて甘い考えを。
見上げたら 落ち合う場所まで3キロの表示があるところに。

暑い中 汗をかきかき歩いて 結局は電車ではなくバスでそこに行くことに。乗ってから汗を拭こうとバッグを探したら 肝心のハンカチが無い!
なんということでしょう。この暑さの中でハンカチ入れるの忘れていたのです。
ティッシュで何度も汗で化粧がとれかけた顔を拭き拭き、目的地に向かいましたよ。バス停で降りてからもなかなか会えず。同じ名前のバス停が何番もあるなんてわからず、なんで同じバス停が3番から5番までこの通りにあるんだろ なんて思っていたり。結局 別の通りにも同じ名前のバス停があったのね。だんなさんと孫はそっちで待っていたのでした。
あぁようやく逢えましたよ。
くたびれすぎて
「ねぇ もうタクシーで行かない?」
とわたしは 言ったのでした。またバスに乗るなんて考えられない・・・
タクシーの中で 三月以来のご対面の孫ちゃん もう6カ月。わたしの顔を見ながら 不安げな様子。
ん?わたし 大丈夫か?泣かれるのではないかとちと不安になったのでした。

夕方から夜中まで 孫ちゃんのお世話をする予定なので、だんなさんから色々 レクチャーしてもらい、大丈夫だからと送りだし。二人きりの時間。
最後の眠りの前にはぐずられましたが、ちゃんと寝てくれて・・・くたびれたわたしもついでに寝てしまいました。

次の日にはもう 孫ちゃんともすっかり打ち解けて(と思っているのはわたしだけか?)一日じゅう 楽しいひとときを過ごしましたとさ♪夕方には 「無理やり半休を取ったよ」と息子もかけつけてくれて 姪っことのふれあいを楽しみ、みんなで外で食事を楽しみ 料理に舌鼓を打ちました。なんて贅沢な時間でしょう。たまにあるから嬉しさも倍増ですね。

さて 今度はいつ会えるかしらね♪
楽しみがあるって いいなあ・・・






明日のラジオに

2014年05月30日 | 紹介します
友人の歌が 明日のABSラジオ放送で流れます♪

「michikoとLalala♪」

午前11時25分から11時50分の番組です。

友人は シャンソンを勉強しているのです。昨年 彼女の歌を聞きに教室のコンサートに行ってきましたが、今年は 7月1日の火曜日 午後6時から秋田市のアトリオンで開催されるようです。夜なので 行けるかどうかまだはっきりしていませんが、都合がついたら行って聴きたいなあと思っています。
シャンソンを生で聞くことはなかなかありませんが、レッスンを受けた生徒さんたちが晴れの舞台を踏む姿を見ていると 歌うって素敵!って思えます。
わたしもしばらく前は 人前でゴスペルサークルの発表とかで歌っていましたが、最初は恥ずかしくて後ろで目だたないように 目だたないようにって思いながら歌っていました。でも歌っているうちにそんなことがどうでもよくなっていった気がします。歌うことがただ楽しい それだけで進んでいた そんな気がしています。今は 人前で歌うこともカラオケに行くこともなくなったので もっぱら声を出して歌うとすれば 車の運転中でしょうか(笑)しかもマスクをかけながら。
もう練習していたゴスペル曲も忘れてしまいました・・・でも 聞くのはすごく好きです。楽しそうに歌っている姿を見ると こっちまで力をもらえるような気分になってきます。

ゴスペルとはまた違うシャンソンですが、あんなに素敵に雰囲気のある歌い方ができたらなあと憧れるそんな歌です。びびりのわたしには到底無理な話ですけど、憧れますねぇ。

そんな憧れのシャンソンのレッスンを受けている話を彼女から聞いたときは 彼女にはすごく合っている!と直感しました。独特の声と雰囲気を持っている彼女にはソロで歌ってほしい。そう思っていたのです。大人の女性の人生の悲喜こもごもを歌に込めて 伝えることができる人はなかなかいません。上手い人はいますが、ココロに響くように歌えるとなると話は別です。
レッスンを受けて一年たっただけで 昨年コンサートに参加していた彼女は 堂々としていてとても初めてとは思えない出来栄えでした。やはりわたしが思っていた通り♪
そんな彼女の歌が 明日のラジオで流れるというのです。こんなサプライズ 最高です。
ラジオを聴いている方 ぜひぜひ 明日の放送を聞いてみてください!

今日は母にもお知らせしようと思っています。NHKだとネットラジオ聞けるんだけどねぇ。やっぱ車かなぁ・・・部屋は電波が悪くてあまり良い状態では聞けないみたいなの。スマホはFMラジオだけだしねぇ。明日までなんとか一番いい方法を考えよう♪
とっても楽しみで~す。

バジルの花

2014年05月24日 | ほんのすこし
料理にバジルが必要で、スーパーで100円ぐらいで売っていたバジルを使いました。使い終わった後 残ったのが こちらの小さなバジル二本。一本は途中でダメになったので 処分してしまいましたが。
全長3cmあるかないかの小さい姿。でも捨てるにしのびなくて、これまたナンプラーを使い終わって捨てようか迷いつつ 洗って窓辺に置いていた瓶に入れておきました。この瓶は8cmぐらいの小さい瓶なので 瓶口も狭くバジルを挿しても落ちなかったのです。

毎朝 台所に立つたびに瓶の水を変えていたら、ちょびっとずつ根が伸びてきて・・・今ではこんなに根だらけの瓶になっています。そして葉っぱもすこ~し大きくなりました。でも使えるような大きさじゃないのですが。それでもスープの上に小さな葉を乗せて香りを楽しむこともできます。小さくても香りはちゃんとあります♪

数日前 この小さなバジルに花が。
白い花でした。形はエビネに似ている感じです。
こちらが母の庭に在るエビネです。


そうそう コハゼの葉っぱはこんなふうでした。
この葉っぱ 産毛があるんですねぇ。近づいてみてわかりました。産毛が光に当たって綺麗でしたよ。

昨日は天気が良かったので、眩しい画像ですが、少し雨が当たった感じの方が綺麗だねと母と話していました。雨粒が葉っぱの上にちょこんと乗っていたりすると それだけでなんだか嬉しくなります。

話がそれましたが、このバジルを見ていると、植物の力ってすごいなぁと思います。もしかすると世界が崩壊していくとしても 植物はどこかで生き伸びて行くんじゃないかとさえ思えてきます。人間はなかなか・・・人間が生きるには内面的な強さが大事かな。どこかに「生きたい!」という部分があるから こうして時を乗り越えている。その思いは 人それぞれで誰かのためだったり何かのためだったりとかあるだろうけど。
このバジル 来週わたしがいないときは母に預けようと思っています。帰ってきたら ダウンしていたなんて想像しただけでがっかりしますからね♪

可愛い苺

2014年05月23日 | ほんのすこし
以前 ワンディシェフの店先で買った苺のプランター。千円でした。
早速 母のところに持っていき、庭先に置きました。昨年は裏庭にキュウリにトマトを植えた母ですが、思ったように出来ず、出来てもあまり食べることがなかったので 今年はもう植えない!と宣言していました。でも実のなるものがあるというのは 花とまた違う楽しみがあるものです。
わたしが苺を持ってきたのを知ると
「今年はもう買わないって諦めていたんだけど、これがあるからいいね。」
と嬉しそうな顔をしていました。毎日 苺の実が大きくなるのを待ち遠しそうにしています。

ついに 実が赤く色づいてきました!
なんという種類の苺なのか 売っていた方に聞くのを忘れてしまいましたが、実はそれほど大きくもなく長くもなく、粒粒が口にあたるととげとげしいのが嫌だけど、これはどうかな?と言っていた母。
一番最初の実は 買ってきたお前が食べれ と言われましたが、もぎ取った後、テーブルの上に置いて帰りました。

次の日。母が
「どうして食べなかったんだ?あれ 粒粒も全然気にならないし 甘みも酸っぱみもあって美味しかったよ♪」
と。
二個並んで赤くなっていた一個をもぎ取って わたしも食べてみる♪と口にしようとしたら・・・くっついていたせいか 半分くさりかけていました(ぎゃふん)
半分だけ食べましたが、甘酸っぱい香りが口に広がって なんともいえずいい気分でした。

今 たくさん実がついています。どんどん赤くなっていくことでしょう。
外に出てきた母が 目を細めて苺を見る姿が想像つくようです。
苺ひとつ 花一輪 母にとってはどれも楽しみ。
昨日は 植えていたコハゼの葉っぱの色が見事だといって 喜んでいました。その見事な色の葉っぱ 写してくるのを忘れたので 後でパチリしなくては。朱色と緑のグラデーションがとても綺麗に出ていて 毎日この樹を見ているだけでしあわせになると言っています。
樹や花をめでるココロを持つって 素敵だなと思います。昨日まで芽が出ていなかった場所に小さな双葉が現れていたり、葉っぱの陰につぼみがそっといたりする。それを発見できたときの わくわく感 その喜びを知っているというのは 生きているという実感につながるのかもしれないなぁと母を見ていると感じるのです。

この可愛い苺 なんだか母みたい。食べるのが惜しい気もしてきます♪

が~ん

2014年05月12日 | ほんのすこし
かなり自信があったんだけど。
去年 行ったときはお迎えも無しに目的地までちゃんと行けたから おっわたしもなかなかやるじゃん♪って 内心 ふふふって思っていたのに・・・

今回 またまた行く予定ができて 一応 確認しておかなくちゃねって 娘にメールしたのよ。
実に自信たっぷりに
駅の出口は 東口バスターミナルだよね?西口じゃないよね?
と念を押して。でも念を押さなくても これは自信ありだななんて思って メールしなくてもいいぐらいに思っていたのよ。

そしたら・・・「西口だよ。」と返事が。

えーーー!!
メールしていなけりゃ わたしは永遠にたどり着けなかったかもぉ~。

ついでに「不安ならだんなを駅まで迎えにやるから」とまで書かれてしまった。

あぁ わたしの自信は粉々に砕かれてしまい、意気消沈。
やっぱり都会は無理だな。わたしが住むところじゃない(笑)
でも行ってない間があくと どんどん変わっていて やっぱりひとりじゃ歩けなくなる。都会よ、そんなに急いでどこへ行く(笑)オリンピックがあるから またまた変化するんだろうなぁ・・・
取り残される田舎 ますます都会と田舎の格差が広がっていくよ。なんて いじけ虫。

たぶん行くまでに間 毎日 駅の地図をにらめていそうな予感。まだまだ先なのにねぇ。

母の日に思う

2014年05月11日 | 母のこと
小さい頃から 母の日があることを教えられ、学校では帰りがけに造花のカーネーションを持たされて先生から
「お母さんに いつもありがとうって言うんですよ。」
と言われ そういうものなんだと思ってその通りにしてきた。
母はわたしや弟からのその花を嬉しそうにもらっていたと思う。

あの頃 母は朝早くから遅くまで働いていて、夕食はいつも8時近くになっていた。すぐ近くが職場でもあり親戚でもあったので わたしたち姉弟は 母の顔見たさにそこに行ったものだ。たまには母の手助けをしたがったり。弟はやんちゃで 結構母の手をわずらわしていたことも・・・
母が働いている姿を見るのは 痛々しさも感じたりしたが、安心感も感じていた。いつもそばにいるという安心感。
母はそこで覚えた新しい料理をときどき作ってくれた。材料は高いものは使えなかったので 安いもので代用するのだが、それでもシチューなど市販のルーを使わず作るので すごく美味しかったのを今でも覚えている。そういった洋風の料理を勤め先の社長宅で覚えてくるのだった。

母というと なぜか料理を思い浮かべるのは、わたしだけではない気がする。
自分が育った家の料理、その味がいつまでも脳裏に残り 懐かしさを感じるのは、そこに自分の小さい時の思い出が介在するからだろう。
忙しさの中でもわたしたちのことを気にかけてくれていた母。自分の伴侶は 両親を早くに亡くし 父親というものがどう子供に接したらよいのかわからない人なのだということがわかり、母は「自分がこの子たちの父親の部分もこなそう」と思ったのだという。これは父が亡くなってから 二人で父のことを思い出していたときに母が語ったことだった。
「わたしの父さんは 子供が苦手なのかな?」と思ったこともあったが、それを別にことさら強く感じもしなかったのは 母の努力があったからだろう。わたしたちにそれを感じさせる余裕を与えず、不満を抱かせないように心がけていたからに違いない。
だからといって 父が冷たい人であったわけではない。父は優しい人間だった。黙ってそこにいるだけで なんだか心が休まる そんな人でもあった。母はそういう父の姿が好きだったに違いない。父に余計な気苦労をかけたくないという妻こころ(?) それが一貫として母の中には存在していた。

時折 昔のことをついばむように話す母を見ていると、そんなことがあったの?!と驚くことがたくさんある。それでも 母は苦労してきたことを楽しそうに振り返る。
「そんなことがあっても 今はこうしてこんなに長生きできているんだねぇ。ありがたいねぇ。」
背もたれにどんと寄りかかりながら 目を細めて笑っている母。
そんな母を見ていることが とてもしあわせで、一日一日がとてもしあわせで・・・
病気がちで大変だけど 動ける範囲も狭くて もっと広い世界を見せてあげたいと思うけど、今のこの生活が十分満足できると言ってくれることが とても嬉しくて・・・

小さい頃は思えなかった。母の日があるってどういうことか。何も深く考えずにありがとうと言っていた気がする。
今は 今日があって良かったと思える。
「母の日」
自分がこの世に存在すること それは母や父がいたから。ありがとう ほんとにありがとう。
あなたたちの子どもはもうこんなに大きくなってしまいましたよ。辛いこともあったけど、楽しいことや嬉しいことの方がたくさんたくさんありましたよ。生きていて本当に良かったと思えるようになりましたよ。

今日は母にカーネーション 持って行こうと思う。

あちこちで花が

2014年05月11日 | ほんのすこし
北国の春は 花が一斉に咲き始めます。早朝に歩いていると 朝露に打たれた水仙の花があとわずかの命を懸命に生きながらえようとしているように朝露の重みにも耐えて 地面すれすれのところで踏ん張っている姿を見せていました。

5時半から6時ころというのは あまり人も歩かず、時折 犬の散歩の方と出あうのですが、それも少ないみたいです。それがなんだか気楽でこの時間帯を好んで歩いています。だって通りの真ん中を歩いていても大丈夫なんですよ(笑)。
通りの真ん中といえば 学生の頃、寮の仲間と夜明けの広い通りを手をつないで通りの端から端まで数メートル歩いたことを思いだしました。今は考えられないことですが、わたしが学生だった頃は、明け方に大きな通りを飛ばしていく車なんて そうそういなかったのです。県庁所在地にある駅前のミスドまで繁華街から歩いて(寮の先輩がアルバイトしていたお店からみんなで手伝ったその帰りのこと)いて その途中で誰かが言いだした「この道いっぱいに広がって歩いてみようよ」という言葉に 若さというか馬鹿さというか そんなノリでみんなで広がって歩いた記憶が。早朝のその場面が時折思い出されます。誰もいない、自分たちだけがいるその道を手をつないで ご機嫌なみんながわいわい話しながら・・・今 ずいぶん危ないことをしたものだと。でも 最後まで車が来なかったのは奇跡?今は無理な話ですが。そんな遠い昔のことを歩きながら思いだしていました。

その後 みんなで入ったミスドで何を食べたのか・・・それは思い出せませんが、あのときのみんなはきっとそれぞれの道でそれぞれの生きるすべを考えながら この年月を生きているのだろうなと今朝は ちょっとしんみり。

冒頭の画像とタイトルからまたまた離れてしまいました。いつものことですが・・・。

早朝のお散歩

2014年05月07日 | ほんのすこし
線路わきは 近くの方が植えてくれたのか芝桜が満開。
今朝は とても空が綺麗で早い時間のウォーキングが気持ちいい!
少し朝露が草たちに降りていて それが朝日の中で輝いていた。



雑草たち・・・かっこあざみ?



水仙も夜中の雨に打たれて お終いかなぁ。



昔はこの通りもかなりにぎわっていたらしいけど・・・今は閑古鳥が鳴いているような。それでも週末の金土日ぐらいは 人通りもあるのかな。
名前は立派な「国際通り」、ん?国際通りはもう1本手前だったかな?あまり夜の町には詳しくないので(笑)



若いころに食べた夜中にしか開いていないというそば屋さんの中華そばが妙に懐かしく思える。今はもう無いけど。スープがとても澄み切っていた記憶がある。シンプル イズ ベスト!そんな感じの中華そば。食べたいよぉ~。そう思いながら歩いて戻ったせいか 無性にお腹がすいた朝だった。


一輪咲いた花

2014年05月04日 | 母のこと
庭いじりが大好きな母は わたしの目を盗んではいつのまにかあれこれとやっている(笑)
そんなことをすれば必ずあとで 手首やらあちこちに痛みが出るとわかっているのに・・・好きなことをしていると 夢中になっているから時間を忘れてしまうらしい。普通の人が5分でできることも母には30分も1時間もかかってしまう。ちょこっとやっては休み ちょこっとやっては休む。その繰り返しが 長い時間になってしまうのだ。疲れてしまうのに やっぱりやりたいらしい。
そのやった成果に気づいてもらえると嬉しいらしい。わたしが気付かずにいると 帰り間際におもむろと教える。
「今日は ここに並べるのに時間かかったよ。何度も植え替えして。」
と指差す。あらら、いつのまに・・・昨日は三種類しか並んでいなかったスミレ(じゃなくて名前覚えていたのに思いだせない・・・)が、全5種類がずらりと並んでいる。色の並びも考え考え植え替えしたようだ。
ちょっと誇らしげな顔をして母がわたしを見ている。

「こうやって並んでいると見事だねぇ。向こうにあるより この玄関脇の方がずっと見栄えがいいねぇ。」
誉めると まんざらでもない顔をするので
「でも こんなにやって明日痛くなっても知らないよ。」
少し釘をさしておく。
「なんも、これは土も柔らかいし、痛くならねべ。」

ふふふ。今日行ったときの母の様子 どうだか。痛みが出ているかもしれない。でも知らぬふりをしておこう。あれはあれで 仕上がった結果に大満足している様子だしね♪

ところで 母はどちらかというと冒頭のような可憐な花が好きだ。大輪の花はあまりない。二輪草や一輪草、派手な花ではなくはかなげで それでいてきりっとした佇まいの花が多い。小さなつぼみを見つけたりすると 喜んで教えてくれる。まるでわが子が生まれるような喜びだ。



今は 玄関に置いてあるクンシランが見事な花を咲かせている。この花だけは花に興味を持たない父が好きだったそうだ。父が亡くなった次の年から見事に咲き誇っている。父が亡くなったときは一つも咲かず、どうしてだろうねえ、もう駄目になったのかなと話していたのだが、次の年に復活!そのときの母の喜びようは半端じゃなかった。
父を思いだす花が咲く。それがどんなに大切なことか・・・父と過ごした温かい日々が母の中で鮮明に浮かび上がっていく瞬間なのだろう。
わたしも玄関に立つたびに オレンジの花が開いていることに安心感を抱くようになった。

これからの母と二人三脚の時間、一輪の花や 青々とした葉の色が いつまでも消えないアクセントとなっていくだろう。そういう優しい時間を教えてくれた母に感謝・・・♪