心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

久しぶりに見つけた

2017年03月18日 | ほんのすこし
昨日、押し入れにしまい込んでいた紙袋を出してみました。
これは・・・ そうそう、いつだったか孫が来るというので、手近にある細かいものは危ないだろうと棚に置いていたものを紙袋に入れてしまいこんだままでした。それを整理しようと出して中を確認したのです。
すると、いつもクリスマス時季にはプレゼントを贈ってくれる友人がいて、最近はイッタラの製品だったり、しばらく前はバカラの製品だったのですが、その途中にこれを送ってくれたときがあったのです。
ブックマーカーです。
互いに本好きだということで選んでくれたのだなと思いました。
でも、そのときはとても本に使う気にはなれず、もったいないなと。
そしてそのまま棚に置いていたのでした。今考えると使わないほうがもったいないですよね。

クリストフルのブックマーカー、ピカピカです。
ステンシルの輝きがとても素敵です。



上部はぞうさんになっています。
黒く見える部分はスマホの影です。

でもね、おっちょこちょいのわたしです。もしかしたらブックマーカーを使ってそのまま本をどこかへしまい込んでしまうってこともありそうな予感がします(笑)。

今日の空もぴかぴかでした。



夕方近くなってくるとこの空の色に少しずつ赤みが差してくるのが、すごく好きです。
赤というかオレンジというか、その色をほのかに感じさせてくれる空が好きです。

アクセス解析があったおかげで

2017年03月18日 | ほんのすこし
編集画面を見るとアクセス解析があります。前日や他の日のどの記事が読まれていたかということがわかります。
その中に自分でも忘れていたような古い記事にアクセスされた方がいると、記事のタイトルが残されています。そこをクリックして自分の過去に飛びます。
あぁ、そうだった、このときこんなことがあったんだった・・・
あれ? こんなことも書いていたんだっけ?
そんな過去の自分を思い出す貴重な時間になります。

春彼岸の時期になりました。
母は前々からお墓参りには車に一緒で行くからと話しています。お墓まで歩くのはとても無理なので車でわたしがお参りをするのを待っているというのです。待っているくらいなら家でゆっくりしていたらいいのに、と思うのですが、そうはいかないらしいのです。母に言わせるとお墓参りは一人で行くもんじゃないと。
でもそれだったら一人しかいない人は困るでしょうに。
母が言いたいのは尋ねることが出来る家族が二人いたら二人とも行くんだよ、ということなのでしょうか。
お墓の前までは行けなくても、道路のお墓の近くで見守っている、それだけでもいいと思っているのでしょう。

20日に連れて行ってこようと思っています。

父の命日は3月28日なので、命日に行くかお彼岸にするか(どっちも行けばその方がいいのですが)と聞くと母は
「お彼岸に誰もお墓に行かないと周りのお墓が賑わっているのに、父さんたちが寂しいだろ?」と答えました。そうだね、いっとう寂しがり屋の父さんのことだからね。弟だってきっと寂しがっているしね。
そういうことで今回もお彼岸に行くことに。命日は父の好物だったコーヒーゼリーを上げましょう。

先になぜアクセス解析の話をしたのかというと、前々日の解析を見たときに、その父が亡くなる三月、入院していた頃の記事にアクセスがあったからです。
それは入院先にその頃腰を痛めてたいへんだった母を車いすに乗せてお見舞いに行ったときの話でした。

お熱いことで(笑)← こちら

本当にふたりは仲良しでした。
細い父と背が低くてちょっと小太りの母が並んで立っている姿はどこかほのぼのしていて、いつも笑いが満ちていました。だんだん年と共に忘れることも出てきた父に、母が「父さん、ぼこっちゃんになったんじゃないの」と笑いながら言うと父もそうだなと笑い返し、ぼけてると言わないことにしているんだと私に教えてくれたのは後のことでした。
物心ついたときから、母の父に対する気配りを見てそれが当たり前の家族だと思っていたのですが、たぶん私はそれをどこかに忘れてきていたのでしょう。自分の家庭に生かし切れなかったのが残念です。今また母のそばにいて昔の母の苦労やさりげない気配りを思い出すにつけ、父はこの母が妻でいてくれて本当に嬉しかったのだろうなと思います。

きっと去っていくときは残していくことが悔やまれていたのでしょうね。
28日に亡くなった後、その日からずっと四月に入っても雪が降り続けました。あんなに降り続けた年はありませんでした。父の寂しさが雪に変わったのかもしれません。
それから毎年、父の命日が近くなると思います。

「父さん、まだまだ母さんをここに置いてね。わたしは母さんから教えてもらうことがまだ山ほどあるんだからね」と。
お墓の前で、仏壇の前で、しっかりお願いするのです。