心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

秋が

2017年09月30日 | ほんのすこし
このところ寒い日が続いています。
わたしの心も寒くてね(笑)。そんな毎日なのです。

ようやくここでつらつらと書く気持ちも出てきました。なんということかここ数日あまりにも自分に嫌気がさしていたのです。
内容を書けばきっとみんな口をあんぐり開けて呆れてしまうようなことです。
だから書きません(笑)。

そんなことがあって毎日そのことから発生したことであれこれと忙しくしていたのでした。それはまだまだ続きます。たぶん来週いっぱいヘタするとその次の週まで続くかもしれません。
嫌だなあ・・・

まあ仕方が無いよね。自分が蒔いた種だものね。
もっと早くに手を打っておけば良かったのよ。
母に悩んでいたことを言ったら、即答されました。
で、その通りに。
今は心が軽くなった気分ですが、わたしって適当な人間だったんだなと自己嫌悪。
それが続いての寝不足数日で体調悪化。

そんなこんな。

それにしても寒いです。まだストーブをつけたくないわたしはなんとか寒さをしのごうと二部式にしつらえてもらった和服の下を服の上に羽織っています。これがまたなんとも温かいのです。紬でしょうか。こういうときは洋服よりも着物の温かさが嬉しいものだなと思っています。

気分がネットに向かわなかった日々は読書。何冊か読破しました。自分とはかけ離れた力を感じながら世の中はこういうもんだと白けた顔をしてみたり。
自分からは何もしないくせに、連絡のないことに苛立ったり。なんという我が儘な自分。
そんなこんな。

そんなこんな、なことがありすぎて、考えすぎることがありすぎて頭がパンパンになった頃。
あっという間に秋が来てました。




ふわふわで軽くて

2017年09月25日 | ほんのすこし
帯を切った周りを少しフリンジにしようと思った。
太い糸とごく細く薄い糸が出てきた。絹だなと感じる手触り。スススーと引っ張ると本当に細くて、ふわふわと空中で漂う。
下に置くとふんわりと落ちる。

そんな絹糸を一体何本使って織り込んだのだろう・・・・
そんな大事な帯をわたしは何を好き好んでほどこうとしているのだろう・・・

なんだか悪い気がしてきたが、ほどくそのものの行為が面白くて。だんだん積み重ねられていく糸。ふわりと重なるその軽やかさに驚きながら、また一本また一本と。
切った帯そのものよりも取った糸の塊の方に興味が沸いてくる。捨てるものなのに、どこか愛おしく見えてくる。

まるで親に守られている鳥の巣みたいだな。



取り方や位置を変えるとこんな感じにもなる。



切れ端が入った。

綺麗に写せるわけではないが、写してみたいものがあるというのはなんだか楽しいものだなと思った。

これを「何を無駄な時間を過ごして」と思ったら、わたしはわたしじゃなくなる気がする。



冷凍庫の整理で

2017年09月25日 | ほんのすこし
先日、冷凍庫に入っているものを点検しました。
以前ネットでむき牡蠣を沢山買って、消化しきれずに袋に入っているのを見つけました。あ・・・、大変。危ない、危ない、冷凍焼けしてしまうじゃないの。
慌てて出してきました。
ちょうどオレンジカリフラワーを軽く茹でていたものがありました。これも使いましょう。

今回は牡蠣の水気をしっかり取り、軽く塩を振り、カレー粉の代わりにカレーコンソメという粉があったのでそれを使ってみました。ほんの少しカレー風味がする感じです。
小麦粉を軽く両面に振っておきます。

本当はオリーブオイルにニンニクの風味を加えるのが好きなのですが、あいにくニンニクがなかったのでカレー風味を使ったのでした。
牡蠣がぷっくりしてきたら白ワインを振って・・・一緒にカリフラワーも入れて。
出来上がって食べてる途中で気がついてパチリ(笑)。

思った以上に美味しく出来て、大満足の牡蠣でした。
賞味期限前に消化できて嬉しい日となりました。

冷凍庫の中、ときどき点検してみないと駄目ですね。新しいものを買う前に古いものを先に消化してから、それが大事だなとは思うのですが、ついつい新しいものに手が出てしまいます。これからはまずあるものを消化する、その気持ちを忘れないようにしようと思っています。
最近、買い物をする回数も減らしています。以前はあるのにさらに買ってしまったりとかあったのですが、最近はあれあるからまだ大丈夫とか、無ければ無いで他の物があるでしょう、という感じになっています。無理に買わずともあるものをまず使ってからという気持ち。
おかげで買い物に行って必要のない物を買ってしまうことも少なくなった気がします♪

さて、今日は何があるかなあ。
あるもので作れるものを考えるのもまた楽しいなと思い始めています。

わたし、しあわせなんだ

2017年09月24日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

ふと、つぶやいてみた
「わたし、しあわせなんだ」
そう言えたことで なんだかストンと胸の中が軽くなった

何がどうしあわせなのかって
言えなかったけど
それでもその言葉が頭の中でグルグルと巡って
あぁ、こんなにもそばにあったのかと
言葉をすくい取って抱きしめたくなった

自分が良ければそれでいいのよ
誰と比較するわけでもなく
今の自分がここに在る、それだけで十分
しあわせの度合いなんて
自分が決めるだけよ
そんなことを言いたくなった

わたしはしあわせよ
ここにこうして生きている
生かされている
それだけでなんと・・・

こんな朝もいいなと思った

※※※

空がどんよりしている
でも いい
心が晴れているから

どこか
わたしとは違うどこか
それを求めていたのかもしれない
でも
わたしをわたしだと認めて
愛おしい存在だと認めて
残り少ない時を進むのも
意味があるのだと思えてならない

※※※

あぁ。花はいいなあ・・・

※※※

「自分の壁は自分で乗り越えたい」

2017年09月24日 | ほんのすこし
昨日、スマホにニュースが飛び込んできた。
フィギュアスケートシーズン、なんと羽生選手シーズン初戦で自らのショートプログラム世界最高点をさらに越える点数で終了したというのだった。
急いであちこちテレビ番組を探した。放映されることはないのだろうか?
残念ながら大会そのものの放映はなかった。

どんな演技だったのだろう。
見たかったなあと思いつつ、夜のテレビをただ漠然とみていた。
えっ?
「サタデーステーション」に画面を切り替えたとき、そこには小塚さんが立っていた。もしやもしやの期待感。
その日は二時間のスペシャルだという。いつ放映されるのかと思っていたけど、なんということだ。昨日に限ってどうにもこうにも眠気が・・・
結局、小塚さんの解説とか羽生さんの演技放映前に眠る羽目に。でもしっかりその後の録画をしておいた。

夜中、といっても午前三時半。その前からウツラウツラ
なんとなく気になって目が覚めた。
こりゃもう録画したものを見なくちゃだめだな。

ということでさきほどしっかりその最高点の演技を見た。
前に最高点を取った曲「バラード」を今回も使うという。荒川静香さんが言う。同じ曲を使うというのはとても難しいものがあると。期待値が高まるし、見飽きているので難しいのだと。
それを遭えて使う羽生さん。
インタビューに応えて言う。
「自分の壁は自分で乗り越えたい」と。
なんという精神力。
アスリートの意志の強さを感じた。果敢に挑むものはかつて自分が打ち立てた記録。そこに行くまでの体作りや技の習練はいかほどなのだろうか。そのどれを取っても疎かにしてこなかったという証なのだろう。

7人のジャッジがほぼ満点。後半の連続4回転と3回転についてだけ二人のジャッジが2点をつけていた。後は全部3という数字が埋まっていた。
技が演技の中で溶け合う感じは母が大好きな部分。ごくごく自然に流れるように技の後も継続されていく流れるような感じがとてもいいといつも言う。
母に「羽生くんがまた最高得点を更新したんだって!」というと「どこに入っているんだ?」と聞かれたけど、残念ながらそのときはどこにもはいっていなかった。母のところから帰ってきて、遅い時間に「サタデーステーション」に入ることがわかったので、教えることもままならず。
でも母にそのことを言ってもこう言うだろう。
「大丈夫だ。絶対ワイドショーとかで見せるから」と。さすが母だ、わかってる(笑)。

それにしても羽生さん。いいこと言うね。
「自分の壁は自分で乗り越えたい」
乗り越えたからこそ言える言葉だよなあ・・・



いつかの空

2017年09月22日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

毎日 見上げる空
雲ひとつあるだけで
昨日とは違った空がそこにある
昨日の空はもうどこにもいない

見えない風が空を通り過ぎて
雲がゆっくり動いていく
そこにいる風を思う

わたしが立つこの地を思う
確かにこの足で立ってはいるけど
ずいぶん不確かな感覚で立ってはいるけど

時がめまぐるしく過ぎていき
中にいるわたしはといえば
ついて行くのが大変で
息も絶え絶えなくらいで
もう何もかも投げ出したくなって

そんな自分に愛想がつきて
ふと見上げた空は
いつも見上げる空で
でも昨日とはまた違った顔で眩しい

わたしが何かに躓いたとき
わたしが何かで迷ったとき
空がただ在る、それだけでなんとも心強い

※※※

花を飾ろう
この部屋に
他に何の取り柄も無いこの部屋に

花を飾ろう
わたしの心に
乾いたわたしの心に

暗闇の中でひっそり佇む
花を見るだけで
どこかほのかに柔い風を思う
わたしの心に温かさを運んでくれる
花を飾ろう



※※※


あらら

2017年09月21日 | ほんのすこし
今日、母のところでお手伝い。
母が光の当らない鉢を動かしてほしいというので。どれどれと持ち上げた。

鉢を持った後で、母が
「ありゃー、こんなところにキノコが生えてるよ!」と。

ほんとに、鉢の下で上に伸びることができずに横に生長したキノコがそこにいた。
一体なんというキノコなのかわからぬけど、お前はこんな鉢の下でも生きていたのかぁ。
なんだかちょっと可愛いと思えたのでパチリ。

あのキノコ、母はどうしたのかな。


捨てる前にこんなことをしてみた

2017年09月21日 | ほんのすこし
最近、未使用の帯を切った。何枚かに分けて。
切った四方の糸をほぐし、ふさふさにしようと思ったのだけど。
切り方が雑だったので、曲がったふさふさになってしまった。しょうがない。もう一度端を揃えてからふさふさを作ろうっと。

ということでふさふさをギリギリまで切り取っていった。下に白い紙を敷いていたので、その上に細かな糸がたくさん落ちていく。帯に使われていた何種類もの糸がまるで絡み合うみたいに一本一本がそこに重なっていく。
ふと下を見た。
なんだか面白いじゃないの。

勝手気ままに落ちていた糸くずを集めて、何かにならないかしらと思った。
どうせ捨ててしまうのだから、最後の最後に糸くずにも活躍してもらおう♪

それがこれ。



なんとなく鶏に見えない?
くちばしも目もありそうじゃない?
細く長い1本の白い糸は羽部分に。

ところが、この糸くず案外面倒。
ちょっとした風で糸が飛ぶ。少し形が変だなと思って変えようとするけど、糸が絡み合っているからなかなか思ったようにならない。
簡単に見えたけど、案外難しいかな。

記念にスマホでパチリ。
その後くちばしがちょっとの風で崩れてしまった・・・(笑)


整理した箱の中から

2017年09月20日 | ほんのすこし
押し入れの中、確か余り布を入れた箱があったはず。
どれどれ・・・どの箱に入れてあったかも思い出せずにあっちの箱を開けてみては、これじゃない! こっちの箱を開けてみては、ちが~う!
いい加減諦めて別のことをしようかなと思った矢先に、目に飛び込んできた段ボール箱があった。あれ、これって何を入れていたんだっけ?
首をかしげながら開けてみた。
あぁ、そうか!
去年、二人目の孫が生まれるというので、娘が上の子を連れて里帰り出産にやってきた。まだ二歳6ヶ月ぐらいの孫娘、きっとあちこち物を触るだろうなと触られたら困るものを箱に片付けておいたのだった。中からはキャンドルやら、お気に入りの陶器やら飾り棚に置いていたものが出てきた。天然石の手作りブレスレットと指輪の収集にはまっていた頃のものも出てきた。あの頃はよく身につけていたのに今は少しもつけようと思わない。ブレスレットをつけるのは好きだったのに、今のわたしではブレスレットが浮いてしまうだろう。それだけ可愛いものとは相反する見栄えだということだ(笑)。

あぁあ、も一度しまうとするか。これが日の目を浴びるのはたぶん孫が来たときのオモチャとしてだろうなあ。まあそれはそれでいい。活用してくれるのならね。娘にも息子にも女の子がいる。不思議なことに誰が教えたわけでもないけどこういうアクセサリーとかにはとても興味を示す。綺麗なものやキラキラしたもの、可愛いもの、そんなものへの興味は知らず知らずのうちに生まれるのだろうか。
物への興味と同時に自分より年下への興味も生まれるんだなあと思う。小さなものへはどこか優しく接している気がする。
こんな小さな子供でさえ、自分より弱いものへのいたわりを自然と身につけているのだ。

でも。なんで年を経ていくにつれ、それが変化していくんだろ。
弱いものへのいたわり、それが姿を潜め、いたわりが傲慢な態度に変化する場合もある。これも自然なのか・・・そうじゃないと思う。

あっ、またまた脱線だ。
で、その箱の下の方からこの丸い小箱が出てきた。



直径10センチにも満たないもの。上にはAのイニシャルがステッチされている。どこで手に入れたのかは忘れてしまった。ちなみにイニシャルAは全然関係ない。
あれ、これ何か入れていたんだっけ? 蓋を開けてみた。



中から出てきたのは、昔作るのにはまっていた毛糸のポンポンで作るひよこちゃんだった!
つぶらな瞳が懐かしいわぁ。
ちょっと頭にツンツンがついていたり。オレンジの足が見えていたり。あの頃は本当にたくさん作っていたなあ。いい加減作りすぎて母に「もういらないから」と言われてしまったり。
こういうのにはつい夢中になってしまうわたしだ。今は何もしていないけど。
手作りって作っているときがしあわせな気分を味わえるんだよね~。

懐かしくってこの小箱だけ箱に戻さずに出している。ふたを開けたときのひよこちゃんをときどき見てあげる。
たぶん一緒にあの頃のわたしも入っているかも・・・ね。


『奇跡の切り絵』

2017年09月20日 | ほんのすこし
最近、インスタグラムでもフォローするのは切り絵画家。
世の中には本当に色々な切り絵があるなあと感心しきりなのです。
その方によって切り方の違いがすごくあって、それによって受ける雰囲気がまた全然違います。一体どうやったらこの細部の切り込みが出来るのだろう? と不思議に思える作品がたくさんアップされています。
見るたびに感動し、いつかは自分も切り絵をやってみたいなと思ったりします。でも、そんな素晴らしい作品を作るような感じではなく、本当の初歩の初歩から、と思っていました。だから地元の古書店で切り絵サークルが開催されていると知ったときにはすぐにも参加したいと思っていました。
でも、何度かの偶然でいつも開催日に行くことができず、何ヶ月も経ってしまい自然とわたしの中から切り絵を作る、という行為が遠のいてしまったのでした。

先週、いつも火曜日に来る生協の宅配で注文したものが昨日届きました。それが『奇跡の切り絵』という本です。
長屋明さんの切り絵です。
わずか0.1ミリの線、糸切り絵と称しているようですが、信じられない程繊細です。ラフスケッチをそのまま切り出したような感覚、だけどそのままなんてあり得ない。これを「切って」いるんですよ。

この本には作品だけではなく、実際に切るために必要な参考下地もあります。また切り方の説明も詳しく載っています。
作品一つ一つをよぉ~く見ていると、まるで筆で一気に描き上げたかのような錯覚を覚えてしまいます。
ジャンルも広範囲に渡っていて、見ていて飽きが来ません。

秋の夜長にこうした素晴らしい作品集と出会えることもまた嬉しい時間の始まり。
キャンドルをつけて静かにページをめくる楽しみを味わえそうです♩

あ、、わたしが切り絵を覚えるのはまだまだ先のお話になりそうです(笑)。