心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

風邪のぶり返し

2012年10月25日 | ほんのすこし
土日とかけて 風邪気味で養生していたのに 火曜 水曜と母の病院付き添いが終った水曜の夜(昨日)から また調子が変になった。前は喉の痛みが強かったのに 今度は咳。
今朝はずっと喉に痰がたまり それを取るための咳を頻発。

母も病院で 炎症が起きているからと抗生剤をもらってきたというのに、付き添いのわたしもおかしな状態になったのか?
母の付き添いは 月曜にまたある。抗生剤の効果があるといいのだけど・・・
わたしは市販の風邪薬を服用。このまま変化なしだったら 近場の医院に行く羽目になるかなぁ。
病院嫌いのわたしにとって風邪は天敵だな。なんとかして自力で治さないと。

風邪を引くと なかなかスッキリ治らなくなってきたのも 加齢現象なのかもしれない。治りかけてはぶり返すようになった。子どもの頃は 風邪を引くことはなかなかなくて、風邪を引いたといえば熱を出して寝ていた弟が羨ましかったものだ。羨ましかったのは 寝込むと必ず母が果物の缶詰を買ってきて 食べさせていたからだ。わたしは弟がそれを食べるのを横目で見ながら、自分はどうして熱が上がらないんだろうと内心 悔しがっていたものだ。風邪を引いて寝込むなんて考えられなかった。丈夫だったんだなぁ。
それが今では ちょっとすると風邪気味になる。病院に行かずに治してはいるが、だんだん治りが遅くなっていると感じる。
加齢とともに抵抗力も減少し 体の衰えが顕著になってきた証拠だろう。

病は気から と言う。体調が悪いときは 悪循環で どうしても悪い方へと考えこんでしまいがちだ。早く抜け出して 加齢なんて言葉が出てこないようにしなくちゃね。

さて、最近 ちょっと勉強してみたいことができた。これから挑戦するわけだが、読んでいる先から忘れている。問題を解こうとすると さっき読んだばかりなのに頭に入っていないことがわかってがっかり。これは もっと手綱を引き締めて取りかからないと無理だぞ。と思った。何歳になっても 勉強したいことがあれば勉強すればいい。最初からあきらめずにね。

なにはともあれ まず風邪を治そう♪



季節の変わり目に必ず起きること

2012年10月20日 | ほんのすこし
母に言われた。
「お前はいつもこの時期になると なるんだから。気をつけないとだめだ」と。

昨日 午後に友人宅を訪れ その帰り買い物をすませ母のところに向かう途中、なんだか変だなとは思った。それがだんだん現実のものとなり、母のところに着いたときには 喉に違和感が。
こりゃ 風邪の引き始めかもしれない。
母に言わせると
「いつもこの時期に暖房をケチって 風邪を引いてるじゃないか」ということらしい。
当たってるだけに反論できない。

ということで 昨日は早めにベッドへ。ちゃんと薬も飲み トローチもなめ。今朝は快調かな?と思ったが、やはり風邪気味な状態は続いていた。喉の痛みは昨日よりはいい。おかゆを作り、たくさん食べ(笑) 薬を飲んだ。薬のせいか 少しぼーっとしている気がする。
さきほどたっぷりご飯を炊いたので ご飯だけは確保できた。おかずはなんとでもなる。ただ買い置きの野菜が無い。このところ母のところでおかずを作るので 野菜は実家にあるのだ。午後に調子が戻ったら 野菜を調達しなくては。必需品の玉子と納豆も買っておかねば。買い物すら面倒な気分になっている。風邪を引くというのは 面倒なもんだ。
だるいしね。

いつも10月から11月 ストーブをつけるのをギリギリまで待つ。コタツを先に設置するのだが、今回はコタツは最後にしようと思っている。コタツをつけるとどうしてもコタツでうたた寝してしまうからだ。風邪が長引く原因にもなる。今回は早めに風邪を治さなくては。幸いにも今日はテラスの窓から燦々と太陽の光が差し込んで部屋はあったかい雰囲気に溢れている。眩しいくらいだ。ふかふかのカーペットがあったかい。ごろ寝をしてあったまろう。
いやいや ちゃんとベッドで眠ったほうがいいだろう。薬が効いてきたのか 眠くなってきた・・・

もう風邪を引くよな季節になってしまったんだねぇ。
みなさんも風邪には気をつけてくださいよ。昔から風邪は万病のもとっていいますからね。
しっかり食べて ちゃんと寝て 軽いうちに治す。それが一番だと さっきも電話口で母に言われたばかり(笑)
季節の変わり目 体も変わり目ってことなんでしょうねぇ。

そうそう ご近所さんのリンちゃん、季節の変わり目に美人さんになっていました。グルーミングっていうのかな、やってもらってきたらしいです。あらぁ リンちゃん すっごく可愛くなったねぇって言ったら、わかるのか嬉しそうにゴロゴロ喉を鳴らしてくぅ~んってすり寄ってきました。わんちゃんも「可愛いね」とか「美人さんになったね」と言われると人間と同じく嬉しいもんなんだねぇって思いましたよ♪
ところで わんちゃんはこんな姿になっても風邪引かないのかしらね・・・?

ハローMR.ドンキー

2012年10月20日 | ほんのすこし
一体 どれがドンキーなのかわかりませんが、なんとなく思い付いたタイトル(笑)

母のところにある 以前 毛糸のぽんぽんで作っていたマスコット。
最初はひよこ作りにはまって、次に色々なものを作るようになり。
その中でも お気に入りの三体がこの子たちです。

ヘッドフォンをつけたペンギンくん ひよこの中のひよこちゃん、マフラーをしているペンギンくん。
う~ん・・・ドンキーって雰囲気じゃないなあ。
ストラップがついているので 最初作った頃のものは携帯につけていましたが、携帯につけているとすぐ汚れてしまうので、やめました。ほんとはもっとたくさんひよこがあるはずなのに、母がどこかへしまいこんでしまい 今では行方不明です(笑)
先日 実家の押し入れや物置を片付けていましたが、そこでも見つけることができませんでした。母は一体どこへ隠してしまったのでしょうねぇ。ひよこの大家族を。
壁にもくまさんや 雪だるまやらのぽんぽんマスコットを飾ってくれています。わたしの手づくりなので 捨てるのはもったいないと言います。そう言ってとっておいてくれているのは ありがたいものです。
母親って いつまでたっても母親なんですね。娘はもういい年で おばさんなんですけどね。それでもまだまだ子どもで、毎日帰りがけには 見送りに立ち、「いいって 足が痛いのに 玄関にまで来なくていいって」と言うのですが、
「少しは動かないと返って足が悪くなるからねぇ」と言っては 痛い足をひきずりながら出てきます。
そんな母もドラマには勝てないようで 好きなドラマが入っているときは テレビの前でさよならします(笑)



夕べは ドンキーたちが母の代わりにバイバイしてくれました♪あっこの子たち お手本とかはありません。わたしが考えたオリジナルで~す。

あんなに夢中で作っていた頃が 妙に懐かしいこの頃です。

わたしの手から離れて巣だったドンキーたちは 今頃どこでどうしているのやら。

夕暮れは

2012年10月19日 | ほんのすこし
昨日 ディサービスから帰った母が窓を見て なんか赤くないかい?というので
おかしいね この時間に・・・と言いながら はっとしてスマホを手に外に。
そこには夕暮れの西の空が 真っ赤になっている様子が。

本当はもっと空の青い色が見えていたのですが、写してみたら 青があまり見えなくてこんな画像です。
西の空が

こうなのに対して 振り向いた東の空は



こんな感じです。

同じ空でも 見る時間帯によって真っ二つ。こんなにも違うんですね。

見る角度って大事だなと思います。
いつも同じ角度でばかり見ていると その景色に慣れてしまいます。たまには別の角度から「そのもの」を見るのは 時には新鮮で 時には新たな発見を与えてくれます。わたしにもきっとこういう別の見方が必要なのかもしれません。
人を見る角度も同じだと思います。一度 この人はこういう人だという思いこみを自分自身に刷り込んでしまうと 他の機会に会っても その刷り込みのままその人を見てしまいがちで、本当のその人全体を見ていることにはなっていない、それに気付かずに 大切な出会いを逃していることが 人生には多くあるように思います。

これまで出会ってきた人たち 言葉を交わすことが出来た人 交わさずに終わった人、色々いますが、見た目だけで遠ざけてしまった人もいたのではないかと 最近思うようになりました。きっとわたしのことも見た目で苦手な人だと思っている方がいるかもしれません。全然話もしていないのに・・・。
だから 努めてどんな方でも 目が合ったら 微笑むようにしようと。先日 ある量販店に行ったとき レジの女性が「こんにちは」と言葉をかけました。わたしも思わずにこっとして「こんにちは」と答えました。そのとき、なんだか気分がいいぞと感じました。
あれ?レジでこんな風にこんにちはって言ったことあったっけ?多分 ないと思います。知り合いだったら 声をかけますが、全然見知らぬ人にレジで声をかけるってことほとんど無かったのでは?
そういえば コンビニに入ったときに「こんにちは!」と声を掛けられますが、なるべくわたしも「こんにちは」と言い返すようにしています。でも自分の方から声をかけたことはありません。ニコッとするのは 結構やってきたのですが、声をかけるまではなかったなぁ。終わったあとの「ありがとうございます」はあるのに。わたしもまだまだだなぁ・・・

挨拶するって 大事なこと。わかっているのになんだか忘れていた気がしました。
温泉に行ったときに 知り合いに挨拶するのは毎回やっていますが、この間は帰りぎわ 玄関で全然知らない男性に挨拶しました。その方 ちょっとびっくりした顔をされましたが、ニコッとして挨拶を返してくれました。別に挨拶しよう挨拶しようって意識してかけたわけではないのですが、何気なく口に出たのです。そういう何気ないことに相手が応えてくれるとこちらが嬉しくなるってこと感じました。

挨拶したときに相手が返さないときもありますね。そういうときは 聞こえてなかったんだな とか、自分に言われたと思っていないんだな とか、照れくさいんだな とか 思うようにします。そう思うと別に気になりません。何回か出会うと 必ず挨拶を返してくれるからです。温泉のときは特にそうです。これも裸の付き合いってことでしょうか(笑)

何カ月も温泉に行かない母のことを必ず誰かが安否を聞いてきます。これも忘れてくれていないなと嬉しい気持ちになります。来年になったら元気な母を連れて行けると思っているので わたしも笑って答えることができるのです。これが母の具合が悪いと 笑って答えることは難しいかもしれません。
この世は だれかとつながっている。人は生まれてきたときからひとりではないの。生まれてきた瞬間 産んでくれた母とその母につながる先祖 ずっとたくさんの人に囲まれて生きているのがわたしなのだ。そして周りにどんな人がいるかというのを選んできたのもわたしで、今の境遇にいるのもわたし自身が選んできた結果なのだということ。
さらに どんな場所でもどんなときでも やるべきことがわかっていれば大丈夫なのだと。

そんなことをつらつらと思いながら 夕暮れの空の変化を味わっていたわたしです。

受け取らない

2012年10月16日 | ほんのすこし
毎日 メールマガジンが届く。
短い言葉で いつも考えさせられるものばかり。

この言葉がとても印象的だった。

偉人たちの一日一言

今日の言葉  2012年9月5日(水)
─────────────────────────

 あるとき、1人の婆羅門(ばらもん)がやって来て、
 釈迦に非難の言葉を浴びせ、
 罵倒(ばとう)した。
 その婆羅門に対して釈迦はこう言った。

「あなたの所に客が来て、
 あなたはその客に食事を供する。
 だが、客はあなたの出した食事を受け取らなかったら、
 その食事は誰のものか?」

「もちろん、主人のものです」

「婆羅門よ、わたしはそなたの罵りの言葉を受け取らない。
 だから、あなたが言った罵りの言葉は
 あなたのものである」

 『釈迦一日一言』より(致知出版社刊) 

あぁ なんということだろう。と思った。
今まで自分は 人に言われた言葉に悩み 苦しみ そしてそこから抜け出ることができないことがあった。だが、そうではないのだ。自分を罵る人の言葉通りの人間であったら その苦しみは甘んじて受け入れるだろう。そうでない自分がいたら、その言葉を受け取ることは必要なかったのだ。
そのまま 罵った相手に戻る 返すことができるのだということに 今さらながら気付かせていただいた。

人によっては感情のおもむくまま 相手に罵詈雑言を浴びせてしまう人がいる。しかし その言葉を言われても 自分にそう言われるだけの非が無いと思えば その言葉を受け取らずともいいのだ。この人は なぜこんなひどい言葉を言うのだろう?などと悩むことはないのだ。言われた言葉はそのまま相手へと戻っていき、相手が相手自身に対して言う言葉となっていくのだ。

なんということだろう。
この世の罵詈雑言。言葉という武器。それはとりもなおさず自分自身へと跳ね返ってくるものなのだ。
悪意を持って言う言葉を甘んじて受け入れるのは止めよう。自分はそう言われるほどの人間ではないのだ。
第一 人間が人間をひどい言葉で非難できるほど 人間って出来たものなのか?疑問である。人間ほどあやふやで間違いも多く 自己中心的で 世界の中心は自分?みたいな考えに陥りやすいものもないだろう。まぁそれが生きる喜びになっている人もいるのだが。
人間を悪く言うつもりはない。わたしも人間のはしくれだし。罵詈雑言を浴びせてやりたい人も生きてきたなかで 何人かいた。でも そういった言葉を浴びせていたら・・・と考えると 今さらながらぞっとする。

今になって思う。
言葉を選ぶというのはすごいことなのだと。
言葉は人を表す。その言葉を選んだ人の内面を彷彿とさせる。相手から発した言葉を受け取らないときっぱりした気持ちでいれば、罵詈雑言など屁の河童なのだ。 


久しぶりにチクチク

2012年10月15日 | 手作り
かなり久しぶりに 裁縫箱を出してきました。
昨日 実家のコタツと母のベッドの移動をする予定でしたが、その前に自分の押し入れの物を整理していました。そのときに出てきた古いコート?みたいなもの。以前 オークションで落札したものの 全然使うことがなく毎年押し入れから出してきては 暖房をつける前に腰を被って暖を取るためだけに使っていたものがありました。
厚いフェルト生地で 某有名メーカーのものでした。大胆なカットのそのコート とてもわたしには着こなせる訳はなく・・・いつも何かにできないかしらと思っていたのでした。

何が着るのに不便かというと厚いフェルトのせいで 腕部分がとても邪魔な印象を受けるゴージャスすぎるのです。そこで思いきって 腕部分を取り去ることにしました。冒頭の画像が その二枚の腕部分です。
両端に二本のチロリアンテープが出るようにしました。
今 運転している車の座席は細かい千鳥格子模様なのですが、どういうわけかいつのまにか運転席・助手席共に何かがこぼれたような跡があるのです。一度ふき取ってみたのですが、全然取れず。ディーラーに聞いたら シートカバーをかけるとエアバッグが出てこれなくなるからダメだとのこと。仕方ないので シートクッションを探しに行ってきました。
でも なかなかこれといった感じのものに出会えず・・・

ということで この両腕部分をシートの真ん中に使用してみることにしました。どうなるかわかりませんが・・・うまく行ったらエコになりますよね♪
残りの本体部分は 楕円形テーブル(パソコンを置いている)に置いてみました。ふかふかしていて これを敷いただけでなんだかあったかく感じます。


しばらく飽きるまで敷いておこうと思っています。

裁縫箱を出してくるなんて ほんとにしばらくぶりです。外に出るのが億劫になってきたときは チクチク針を使うのもまたいいなと思いました。使用していない着物もあるし、リメイクできそうなものがたくさんあるから、少しずつ何かにしてみたいな。最後はゴミ箱行きになっても 一度は復活させてあげること 母の受け売り♪母は最後の最後まで使いきってあげることに執念?を燃やしています。わたしが 捨てようとすると 絶対「それはまだ使えるから、掃除に使ってもいいし、捨てるのはいつでもできるよ」と言います。そのたびに「えー いつ使うのよぉ~」と言うのですが、結構いろいろな形で最後まで使い通しているようです。
手が自由に効いていた頃には わたしの洋服をリメイクして可愛いバッグにしたり。今回整理を手伝っていたら たくさん出てきました。結局 全部捨てきれなかったみたいです♪
母が作ったバッグ いつか紹介したいなと思っています。(捨てられる前にね)

すっかり秋

2012年10月13日 | ほんのすこし
いつになったら稲刈りするんだろうねぇ・・・なんて言っていたのが あっという間に どこへいってもこんな状態に。
週末になれば あちこちで稲刈りの様子が。残っているたわわな稲は ほとんどないって感じです。
昨日 お墓参りに行ってきましたが、帰り路 裏を通ったら まだ刈っていない田んぼがありました。でも その稲は母からすると、「短い」のだそうです。普通は実ると稲が重さで首をかしげるのですが、その田んぼの稲は しゃきっと立っていて、別の品種じゃないか?と話していました。周りが 刈られた状態の中で その何枚かの田んぼだけが金色に光っていて とても綺麗でした。

金色に光る・・・絵の具で塗った色ではなく 自然界に生まれた色の美しさってありますよね。その色は 絵の具の色には近づけないものがあるような気がします。そしてその色に近づきたくて 何かをしている そんな気がします。自然界もそうですし、ココロの中にあるものもそうです。
なかなかこれでいい!と思える納得できるものを作り出すことはできませんが、ある日 なんだかとても作りたくなったり 描きたくなったり・・・そういう気持ちに駆られるのは悪くないなと思っています。
でも ずっとそういう気持ちが湧いてきませんでした。まるでわたしのココロの中は空洞?みたいな気分で。

でも そんな中でも この冒頭の温泉に行くと見ることのできる風景だけは行ったらなるべく写すようにしていました。母も好きです。この右側にある一本の樹。向こうにある二つの小山。手前に広がる田んぼ。その全部がいいなといつも話していました。何カ月も母は大好きな温泉を我慢しているので わたしが行ったらパシャッと写してきては 見せています。日々変化する空の様子 夕暮れでも日によって全然違う様子、これが自然の中にいるってことなんだなと痛感しています。

最近 何冊か本を買いました。読書の秋!ですものね♪
宮部みゆきさんの新作『ソロモンの偽証』全3巻。1と2は書店で。3巻目は未発売だったのでamazonに予約していました。久々の宮部ワールドに圧倒されつつ読んでいます。そして 宮本輝さんの『水のかたち』上下巻 『木に学べ』西岡常一著、『悩む力』(続編も)姜尚中著 『ローマ法王に米を食べさせた男』高野誠鮮著・・・などなど。

書店よりamazonでの購入が多いかもしれません。読みたい本ばかり多くて 読むのが追い付かない状態ですが、以前よりじっくり読む機会が増えているので、この秋は読書!になりそうです。

もうひとつ秋といえば食欲の秋!
果物はあまり食べないのですが、昨日お墓に持っていく果物を準備していたときに つまみ食い(笑)、かおり という梨をを旬采館で買ってきたのですが、そのまさしく香りの良さにびっくりしました。以前にも食べたことがあったのですが、そのときよりももっとインパクトありました。果物 美味しくなりましたねぇ。
昨日は弟の四十九日でしたので 来てくださった方に手料理を出しました。前日から仕込んでいた野菜たっぷりのスープ、母のおはぎ 炊き込みご飯 牡蠣が大好きだというお客様でしたので 大きな牡蠣フライを。ネギとワカメ キュウリ やりイカのぬた などなど。お墓参りの帰りにお昼を食べていただきながら 昔話に花が咲きました。

お客様を自宅に送ると、叔母が
「これで○子ちゃんもひとりになったわねぇ・・・」と言いました。
ん?ひとり?まだ母はいるよって思ったのですが、意味がわかりました。叔母たち世代は兄弟が多いので だんだんひとりになっていくという気持ちがあるのですね。ふたり兄弟だったわたしにとっては これが最初で最後のこと。本当にこの世に兄弟はひとりもいなくなってしまったんだなと そのとき強く感じました。
相談する相手も 憎まれ口をたたく相手も もういないんだ・・・そう思ったら なぜもっと話をしなかったんだろうって後悔がふつふつと沸いてきました。

今 当たり前に過ごしているように見えるかもしれないけど、これから先 どうなるかわからないのが人生。後であのときもっと優しくしておけば良かったとか もっと大事にしてあげればよかったとか、もっと感謝の気持ちを言葉に出しておけばよかったとか そういう前向きなことを頭の中で思うだけではなしに行動に移していくことが どんなに大切なことかを身に沁みて感じる毎日。
弟のことで感じたことを 今度は母たちのために悔いのないように生きていこうと思っているところです。


上を向いて歩こう♪

2012年10月05日 | ほんのすこし
帰ろうと思って 腰を上げたとき 突然 母がこう言った。
「昨日 歌を歌ったんだよ」と。
わたしは最初 テレビの歌番組を見ながら また母が歌っていたのかなと思っていた。
よくよく話を聞いてみると 歌は「秋の虫」(題名合ってる?)や「川の流れのように」「上を向いて歩こう」だという。歌番組にしては なんだかジャンルがまちまち?
「なんの番組?」と聞くと 母が笑って
「昨日 ほら行ってきただろ?いつも行けば 歌を歌うんだよ」と言ったところで 気が付いた。なんて鈍感なわたしだ。
母は6月に退院して以来 週に一度 ディサービスを利用している。それが8月末に弟が亡くなってから1カ月以上お休みしてきた。10月に入ったら行きますと担当の方に話していたので、しぶしぶ?昨日 行ったのだ。
しぶしぶというのは 1カ月以上も行かないでいると どうも億劫になるらしい。その気持ち わかるなぁ(笑)

で、昨日 久しぶりに行ったら いつもの感じで伴奏なしで参加者全員で歌詞を見ながら 歌ったそうだ。そのとき、「上を向いて歩こう」を歌っていたら、なぜか涙が出てきて歌えなくなったそうだ。
「なんだか祐一のことを思い出してね。いい歌なのに悲しくなって泣いてしまったんだよ」と。
そしてこう言った。
「歌ってすごいなと思ったよ」と。

母さん わかるよ。その気持ち。
歌ってすごい・・・夜空を見上げながら思い出すのは、先に逝ってしまった人のこと これまで生きていた自分の道 これから行く道のこと・・・色々なことが歌いながら押し寄せてくる。
息子のことを思って泣いた と言う母の言葉を思い出しながら 親より先に逝ってしまった悲しみを思い ひとり運転しながら泣いて帰った。この頃 なんでもないときに運転していると思いだしては ふと気が付くと涙を流している自分がいる。母の前では泣かないようにしているせいか ひとりになるとほんの少しのことで 涙が出てくる。
まだまだだな。
時間が経つのを過ぎて行くのを 待つしかないな。

夕暮れになると 夕焼けをきれいに写していた弟のことを思う。あぁ 今日のこの光景 彼だったらどう写しただろう。
お~い、今日の夕焼けはこんなにも綺麗だよぉ~・・・