心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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朝早くパソコンに向かう

2022年10月12日 | 朝のことば&つぶやき

朝早く目が覚めると、ベッドでぐずぐずスマホ画面を見る。ニュースやインスタを覗く。そこに最近は自分のブログを見ることが入った。前は開く気持ちが沸いてこず、放りっぱなしだったのに。

今朝、何気なく過去投稿を読んでいた。

2020年12月 「いつのまにか」

何か温かいものが耳のそばに伝っていくのがわかった。それが涙だと気づくまで数秒かかった。

このときの母、喜々として針を運ぶ母の姿が目に浮かんだ。このあと、わたしは毎日を大事に過ごしただろうか?

首を振る。二年もたたずに別れが来るとは思いもせず、もっと濃い時間を過ごせただろうにと、悔やむ。もっと色々なことを教えたかっただろうね、母さん。

※※※

2021年2月 「青の夜」

まだ書けるかしら、こんな言葉。沸々と湧いてくる言葉があった。今は言葉を思い浮かべることすらできなくなっている。

ココロのなかを覗いてみるのが怖いのかしら。

書いてみたくなるときが来るまで。言葉がそこまでやってきて、「ねぇ、早く起きてよ」って揺り動かすまで。こんなふうに朝にパソコンに向かうまで。

あら? もう朝に書いてる? いや、これは・・・ポエムじゃないよ(笑) つぶやきでもいいか・・・

 

 

 


最近のわたし

2022年10月11日 | ほんのすこし

一日は24時間、それを過ぎるのが早いと感じるか遅いと感じるか。

年をとると共に早いなと感じることが多くなった。実りの無い一日があっという間に過ぎている。片付けなくてはならない物や場所、考えなくてはならないことあれこれ、先延ばしにしようという怠惰な自分がいる。毎日、こんなこっちゃ駄目だろ? 反省ばかり。

でも、無理しちゃいけないな。無理してあれもこれもと抱え込むと、逆にほんとに何もできなくなってしまうような気がする。

考えなくてはいけないことの一つに終活がある。母のことで、色々と自分のときのことを考えなくてはなあ、という思いが出てきた。こども達へ何を残すか、どういう形で終わりにしたいかをきちんと形に残すことが大事だと思った。それでも思いも寄らないときに終わりがやってくるかもしれない。早すぎるということはないのだ。

周りにある雑多なもの(自分の)の取捨選択。母の洋服関係はかなりスッキリさせた。お気に入りでいつも袖を通していたものはそのままタンスに入れた。遺影の写真に選んだときに着ていた服は普段着。それも入れた。引き出しを開けると母がそれを着ていて笑っている。上を見れば、遺影の母も笑っている。自分で言うのもなんだが、遺影に選んだ写真はすごく良かった。普段の笑い顔そのままだったから。

祭壇を片付けにきた葬儀社の方に写真についていた造花をとっていただいた。

「少し、こちらのお写真サイズが大きかったようですね」と葬儀社の方が言った。父と弟の遺影に比べると母のそれは一回り大きかったのだ。

「力関係がちょうど合っているのかも~」とわたしが笑っていうと、葬儀社の方が苦笑いした。

数日後、父と弟が並んでいる遺影の隣にかけた。やっぱり、母の写真が幅をきかせている。まっ、それも良しとしよう。

写真をピクチャーレールにかけるのは自分ではできないだろうと思って、息子が来たら頼もうと思っていたが、まてよ、やれるんじゃないか? と試しに。なんとなんと、やればできるものだ。何度か挑戦して最後にはスパッと飾ることができた。何事も経験すべきものだと思った。

これからはなんでも自分で考えてやっていかなくてはならない。これまでのように母がいて監督してくれるということはもう無いのだ。

これからはこども達が後始末に困らないように、徐々に整理していかなくては・・・と思いながら、不要な物のなんと多いことか! 溜め込んだね~ 母もわたしも!!

10月1日で四十九日。無事に納骨。いや、無事といっていいものかどうか・・・その話はまた別の機会に(笑)