心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

虹を見た

2014年08月30日 | ほんのすこし
母と温泉に入っていたとき 大きな窓から外の塀の上にある空に 虹がかかっていた。しかもその虹の周りにさらに薄い虹が。
すごいねぇ 綺麗だねぇって しばらく見ていた。
ほんとにひさしぶりだったから なんだか嬉しくなった。その日 すごく嫌なことがあったから 気分が上向きになれないでいたけど、虹を見たことで少し気分が上向きに。
「残念、ここ(温泉の中)にスマホがあったら写せるのに・・・上がっても消えないでいるかな・・・」
「もう消えてるよ」

はぁ~そうなのか。
そう思って がっかりしながら車に向かった。今日は突然の雷雨があっていつもの場所とは違うところに車を止めた。そこに向かっていると あれ?
短いけど あれって虹じゃない?
温泉の中から見た虹は右側部分だったけど、左側部分の下がまだ空に残っていた!
慌ててスマホでパチリ。
う~ん あんまりはっきりわからないなぁ。母が
「遠いからだめだろ?それにほら 青空が出ている」
と言った。わずかに空の下の部分に雲が残り そこで最後の姿を見せているのか。
温泉に来たときにはあれほど荒れていた空が 出たときには晴れて 今日の空は大忙しだ。
それにしても 虹はいいねー。自然が作りだす美しいもの 人為的じゃないもの それを見つけることができる喜びはいいものだ。

虹を見て 母の家の前に着くと空はすでに夕陽が沈むところで 雲がオレンジ色を浴びていた。



ところで、嫌なことがあると そのことが頭を占めてしまう。そのせいか温泉に行く前にまたまた今度は左手の人差し指を刺してしまった。ほんとに最近 小さな怪我が多い。母が心配するので あまりおおげさにしないでそっとしておいた方がいいかもしれない。帰りがけ いつも「運転 気をつけて帰ってくれよ」と言われる言葉が いつになく強かった気がする。
ほんとに気をつけなくちゃ。なぜかわからないけど 母のところから帰る途中の運転が最近とても乱暴な気がする。丁寧な運転を心がけよう。

片付けてる途中で

2014年08月29日 | ほんのすこし
午前中 洗濯しながら部屋の片づけを。
冬のコタツをテーブル代わりに使用しているが、少し雰囲気を変えようと テーブルセンター代わりになるものを探してみた。
紬の布はすその糸をフリンジみたくしてるので ほどけることはあまりない。上に敷いているのはロシアだかどこかの民芸品みたい。下に敷く紬によって 雰囲気が変わる。



濃紺の紬はどうかな?
これは男性のアンサンブル用。仕立てる前の反物状態のをフリマで購入。椅子用と長いテーブル用に切って作ったが、何枚も作れた。その残った分のテーブル用。コタツには長すぎるけど。部屋のアクセントとしては濃紺に赤の組み合わせがはっきりして主張があるかな。
でも縞模様の柔らかい紬の色合いもなんだか捨てがたい・・・

上の赤い布を取り除いてみた。


クラフトテープで作った丸い持ち手のあるかご、形がぽってりしていてアジアンテイストな感じのかごだ。そのかごを上に置いてみる。濃紺はクラフトの色を引きたててくれるなぁ。


大人しい感じの縞模様の紬。柔らかくてクラフトの色となじんでいる。静かな雰囲気が部屋に漂う気がする。
コタツの向こうに置いてあるのもクラフトテープで作った小物入れ。中にはぽいぽいと・・・こうして部屋を見て見ると クラフトテープで作った物がなんとたくさんあることか!
だいぶ処分したと思っていたけど、まだまだあるのよねえ。お気に入りの形はやっぱり捨てるのが惜しくなってしまう。自分で作った物って買ったものよりも捨てられない部分があって、どんなに不細工な物でも そのとき夢中になって作っていた自分がそこに見えて そのものを見ていると自分が存在していた時間を思いだすんだなぁ。確かにここに自分はいたんだって。今では手に取って作ることもなくなってしまったけど。わたしの手から離れてお嫁に行ったかごやバッグたち どうしているかしらねぇ・・・

やんなっちゃう

2014年08月28日 | ほんのすこし
こんなに眠れなかったこと 初めて!

布団に寝ころがってから ずぅ~っとあっちを向いたり こっちを向いたり。ちっとも寝ていけなかった。
今日は朝から運転しなくてはならないので 眠れないからって起き出して録画を見るわけにもいかず・・・
絶対 寝なくては!と思ったのに。
こうなると 頭の中では色々なことを思うわけで。昔のことから 現在 過去 未来~じゃないけど、それがまたまた眠れないことに拍車をかけてしまい、とうとう5時まで 熟睡できずに終わった。

頭がもうろうとするので まずは根株茶を飲み それからコーヒーを。苦さが頭を覚醒させてくれるだろう。一体どうしたというのだろう。
こんなふうに調子くるった一日の始まりは 注意しないといけない。運転も気をつけなくてはいけないし。
最近 ちょっとした怪我があるので もっと気をつけないと。スライサーで傷つけた指は 少しずつよくなってきているけど、足に軽くやけどをしたり、体のあちこちに打ち身があったり。いつのまにかどこかに打っていて、それが温泉に行ったときにわかるという・・・あれ?こんなところに?なんてことがある。
多分 打ちつけたときにはそれが痕に残るなんてこと思わない程度のことなのだろう。これも年寄症状か?(笑)こんな症状ほしくないものだ。

今日はお昼すぎまでは自由にならないから、午後からは休もう。きっと眠気で立っていられなくなるだろうから。今はなんとなく興奮状態?な気分。
今朝の空は眩しくて これからの青空を想像させる。朝晩 すっかり涼しくなった・・・と思っていたら、なんと夜中じゅう エアコンのドライをかけたままでいた!カーテンを開けてそれに気がついたというわたし。あんなに眠れずに悶々としていたのだったら 起きてエアコンを消したら良かったのに。なんだかあれこれと不手際ばかりの朝です。トホホ。


朝に思う

2014年08月27日 | ほんのすこし
朝 5時過ぎ。まだ朝日が昇り始めた頃。
家の屋根の隙間から差し込む光が まぶしさを予感させている。



ほのかにオレンジ色が空に溶け込んで。
穏やかな世界に彩りを与える。
さあ 朝が人々の眠りを急いでほどいて通り過ぎるぞ。



あぁ ぐるっと歩いて戻ると すでに空はすっかり明るくなり。
眩しさがそこかしこの景色に当たり前のような顔で散らばっている。

朝が来て 良かった・・・
今日も無事に一日が始まりますように・・・

遠くで帰らぬ人を待っているあの人にも
今朝の空は輝いて見えるのだろうか。


時間の経つのは早い

2014年08月26日 | ほんのすこし
昨日は弟の命日。弟が逝ってからもう二年が経った。
歩くのが困難になってきた母はお盆にお墓参りに行けなかったこもあって 命日には行きたいと思っていたようだったが、あいにく診察にも当たっていて おまけによくなりつつあった状態がまた別の場所に痛みが出てしまい、とても行くのは無理だった。
久しぶりに診察の帰りに 買い物に付き合った。広い郊外のホームセンターコメリパワーに行ったら、車いすがあるからと そこに連れていった。
弟が寝起きしていた部屋の入り口に のれんをつけたいと言う。垂らされていたのれんを見て 母が指差す。
ちょっと暗くない?と言ったが 透け感があって黒くても気にならないと言う。母の欲しいものはなるほぼと思うことがよくある。実際 つけてみたら母の言うとおりとてもしっくりきた。

弟の息子たちから弟にあげてほしいとお菓子が送られてきた。
母は 期待していなかったようで、とても喜んでいた。弟が子供たちをいつも気にかけていたことを知っているからだ。
あの日から 二年が過ぎたなんて思えないほど。本当に時間の経つのは早いなぁと思う。
あれから わたしの娘に赤ちゃんが生まれた。弟にも抱かせたあげたかったなぁと思う。自分の孫はまだ抱けなかったから。お盆やお正月が近づくと いつもわたしに
「子供がたは来るのか?」
と尋ねた。自分の子どもたちのことも気になっていただろうが、わたしの子どもたちが帰省するのも楽しみだったようだ。特に娘とは料理の話をするのがとても楽しかったらしく 心待ちにしていた様子がてにとるようにわかった。料理好きな弟は料理の話相手ができる人がやはりお気に入りのようだ。女性の好みもなんとなくわかる(笑)気の強くない優しそうな人が好きだとみた。
特別なものをお供えするわけでもなく ふだんと変わりない一日になってしまったが、それでも弟のことをたくさん話すことができた。ご近所さんがトウモロコシをたくさんもぎたてをくれたので、早速茹でて供えた。ほんとに甘くて 今年食べたうちの一番の甘さだった。きっと弟も喜んでくれただろう。

逝ってしまったときから 弟の年は止まっていて わたしたちの年は進んでいる。
記憶に残っている姿はあのときのままで 思いもあのときのままだけど、思いは少しずつ変化する部分もある気がする。弟のためにしてあげれなかったことを考えると 母もわたしも後悔の念がたくさん出てくるけど、母はいつも
「○一は自分より先にわたしが逝ったときのことを考えると不安でしょうがなかったと思う。だから先に逝って良かったんだよ。」
と繰り返す。ほんとはもう少し元気で 母のそばにいてほしかったはずなのに。
「自分の好きなことを最後までやっていれたんだから しあわせだったと思うことにしているよ。」
とも言う。そのしあわせを感じる手伝いをもっと考えてあげればよかった、もっと話につきあってあげればよかった、と 今となってはできないことをわたしは感じる。

母もずいぶん体が弱くなった。
日一日と その弱さを見てしまうと 毎日これから先のことを考えずにいられない。
時の経つのは早い。後悔しない日々を過ごしていきたいものだ。

コリンキー

2014年08月22日 | ほんのすこし
以前 コリンキーを旬采館で見つけたときは スライサーで薄切りにしてサラダに混ぜて食べていましたが、今回 少し厚めに切って 塩をして、ある程度 塩をなじませた後 水切りしました。ほどよい塩加減でした。
それにレモンスライスを入れ 砂糖 酢をいれました。ほんの少しお酒と塩を加え 味の調整をし冷蔵庫で冷やしておきました。
コリンキーのパリパリの食感が美味しいです♪
サラダにして食べるよりも単独でこうして食べたほうが コリンキーらしいのかなと思いました。

ところで 今朝 やっちゃいました。
白たまねぎをスライサーで切っていたときのこと。小さい白たまねぎを丸のまま押さえながら切っていましたが、だんだんたまねぎが減っていくのを見ながら「こんなに切れ味が良いスライサーで指を切ったら大変だなぁ」って なんとなく思った次の瞬間!
右の人差し指が 切れてました・・・みるみるうちに先端から血が流れて・・・見るだけで気持ちが悪くなってしまいました。慌てて かごから傷バンを探してつけたのですが、ずいぶん使ってなくて古かったのか ちっとも役に立たず。その間にも血は流れてきます。
そういえば・・・富山の薬箱・・・ありました ありました!
ようやく新品のカットバンを見つけ 二枚ずらして貼りました。でもすぐにじむので 三回ほど繰り返しました。指先がじくじく痛みます。
なんてことでしょう。初めてです。
気が抜けていたのでしょうね。くれぐれもスライサーを使いながら ぼんやりしてはいけませんよ。わたしがいい例です(笑)

それにしても 右手の人差し指が使えないということは不便ですね。
パソコンのキーをいじるのも右手は中指で 左手は5本で という変則手段をとって午前中は過ごしました。
今は血も収まったようで 痛みもあまり感じていません。
久しぶりの お馬鹿なわたしでした。(久しぶりか?)

午後三時頃 母のところで夕飯の支度をしました。右手は使い捨ての手袋をして。でも力が入るせいか 包丁を握っていると 血がにじんできました。母に診てもらい 手元にあった幅の広いばんそうこうを丁寧につけてもらいました。おかげで 血がピタッと止まった気がします。まだ じんじんします。しばらく人差し指を使うことはしないようにと母より厳命が下されました、トホホ。





難しいなあ

2014年08月20日 | ほんのすこし
ここ何日間か 取り組んでいる小説もどきがある。
いつも最初は普通にワードの画面で入力していくけど、最終的に原稿用紙縦書きの画面に貼りつけして結果を見る。今回は 挑戦してみたいことがあったので、30枚から50枚に納めなくてはならない。
ところが、完成間近で貼りつけしてみると・・・55枚!
あらら・・・5枚も多い。
う~ん 困った困った。

夜中 なんだか気になって眠っていられなくなった。3時頃には起き出して 文章を修正すべく奮闘。
それでもようやく53枚。あと3枚削らなくてはならないのかぁ。
無理だなと思ったら 挑戦するほうが無謀だったんじゃないかと思えてきた(笑)

昔 誰かに言われた「一銭の得にもならないことをやってる!」という言葉が頭に浮かんできた。時間の無駄だということか?当時描いていたマウス画も 綺麗なだけで金にならないことを・・・というわけだ。非難されることはもっとあった。そういうマイナスのことが がっくりきたときには頭をめぐりやすいものだ。このときにマイナスの渦の中から 早目に這い出せなくてはだめだ。
頭を切り替え 作業を中断。ネットのお散歩することにした。
こういうときインターネットの世界というのは 案外ありがたいものだ。発想の転換ができたり、他の方の発信に触発されたり。たまに あまりにも凄い文章に出くわすと逆に自信喪失することもあるのだけど(笑)
常に 自分は自分。自分の個性を大事にしていれば 落ち込むことも少ないはずだと自分を言いくるめて そのガツンから逃れている。

あまりに早く起き出したので、午前中はうつらうつら。母曰く「睡眠時間が4時間ないと人間はだめになるってテレビで言ってたよ。お前は少ないみたいだから気をつけないと」
昨日 帰りがけに言われたばかりだ。二度返事をしたくらいにして 言葉を後ろに部屋に戻ってきたが、あぁなんたること。母の言うとおりの夜を過ごしてしまったではないか!
今日の夜は ちゃんと睡眠をたくさん取ろうっと。

「美容に悪いらしいからね。その点では 母さんはたっぷり取ってるからねぇ」
母が自慢げな顔でわたしを見ていた。増えた皺を気にしているが、いっぱい眠れるから大丈夫だね。
「お前は今は皺が少ないと思っているかもしれないけど、年いったら今みたいな生活していると大変だよ。」
毎日 わたしの顔を見ては むくんでいる 今日はスッキリしている と、美容スタッフみたいな言葉を言ってくれる。そんなに心配なのか。娘はいつでも綺麗でいてほしいのかな。
でも わたし もうそんなことを心配するような年じゃないんだよ 母さん。

雲を見ていると

2014年08月18日 | ほんのすこし
雲ひとつない空より雲があるほうがいい。
それは わたしと母の同一意見(笑)
外に出たときに見上げた空に雲がぽっかり浮かんでいたりすると ふたりでしばし見る。温泉帰りなどは本当に綺麗な雲があったりする。

一年生の教科書にある「くじらぐも」を思いだす。
さぁ~みんなで飛ぶよ!せーの!ジャン~プ!!
子供たちはてんでに自分の好きな場所を選んで 下界を見下ろしている。自分の想像の世界に入って 見えるものがそこにはある。
大人になると 想像することがだんだん狭まっているなと感じることがたくさんある。特に最近はそうだ。あんなに想像豊かだったのに・・・(と思いこんでいるのだけどね)今はちっとも浮かんでこない。子供ってすごいなと思う。

想像と言えば 雲を見て 形が何に似ているかという遊びをしたことも。それだったら今でも 考えることができる。少しだけは想像することを忘れていないらしい(笑)それも食べ物が多いというのも笑える。母とあれは何に見える あっちはあれに見えると車のフロントガラスから指差して さぁ出発。温泉に入り 少し痛みも薄らいだのか母も気分よさそう。
そんなときがある。
今日もそうであってほしいと思いつつ 空に広がっている雲を見ている。早めに温泉に連れていこう。
母にとっては 温泉に行くことが楽しみの一つ。そこで語る人がいるということが嬉しいらしい。尻もちをついて以来 しばらく行けないでいたが、最近また少しずつ行けるようになってきた。そのたびに色々な人から声をかけられる。
「しばらくだこと~♪」

どうやら母は人気者らしい(笑) なんてね。

また雨

2014年08月18日 | ほんのすこし
ほんの少しだった晴れ間。それもグレーの。上手い具合にお祭りの一日だけの晴れ間。なんて上手いんだ!お天道様は。
朝 5時 ウォーキングはどうか?と思ってカーテンを開けたら 無残にも雨。あぁあ お祭りだけ・・・でもお祭りのときに晴れてくれてよかったじゃないか と 気を取り直した。

この雨も恵みの雨だと思う人もいれば これ以上はいらないと思う人もいる。ましてや想像以上の雨量があれば・・・近年そういう想像以上のことが多すぎる気がする。そして テレビの向こうの現実が自分のいる土地でもあり得ると言うことにも驚いている。豪雨しかり 突風然り。
人間の感知する領分以外に 何かが起きているのか?
わたしたちが崩しているのか?
そんなことを考えてしまう カーテンを開けた外の雨。

ウォーキングをしようと思った気持ちが萎えてしまい どんよりした空を見上げてため息。
せめて 昨日の橋の上から見えた空を楽しもう。
朝と夕方の空ほど 何かを考えさせてくれるものはない気がする。景色を受け取る自分のココロの中身が問題なのだけど。この景色を見ることができたことに感謝したくなる。
朝は生まれたことに感謝し、夕方は生きていれたことに感謝する。大事にしたいと思う。

やるべきことがあって それをやらずに他のことに目が・・・後で慌てないように事前準備を怠らないことだ。わかっている わかっちゃいるけど止められない・・・父を思いだす。植木等 たった一枚 父が彼に似ていると思った写真がある。彼の歌を思いだすたび その父の写真を思いだす。
わかっちゃいるけど止められない・・・・スーダラ節♪
わかっている 今の自分がどんだけダメなのか。この自堕落さから抜け出そうとしなくては。
あぁ 今日は反省から始まっている・・・

親より先に

2014年08月17日 | 母のこと
夕べは ここに来てから初めて 大文字と花火をカーテンをいっぱい開けて 窓の右と左にずっと見ていました。ちょうどその二つが窓に納まって見えるのです。テレビで歌うま対決 関ジャニ∞の番組が入っていてそれを見ていましたが、テレビの画面の明るさが窓の外に邪魔になるので テレビに布をかぶせて 歌声だけを聴いて 花火を見ていました。

10年も経つのに こんな風に見ればよかったことに今さらながら気付いて 自分でも可笑しいです。今までの夏はなんだったんだ?って感じです。今回の花火はとてもよく見えて(打ち上げる場所が良かったのでしょうか?)遠くてもはっきり見えましたので 人混みが苦手なわたしにはすごくいい感じです。以前はベランダにいながら見たりしたのですが、虫が苦手なわたしは外で見るのは無理でした。そのときはなんだかクモがすごく多くいたのです。今はあまり見かけなくなりました。どうしてかしらね・・・

で 室内から見たりしていたのですが、毎回 時間を忘れていたりして最初から最後までしっかり見るということはなかったのです。わたしの部屋でこんなによく見えるのですから 上の階の方はすごくいいだろうなぁと思いながら見ていました。今年は雨が続いて 開催されるのか?と心配でしたが うまい具合に日中の大文字踊りも夜の花火も 雨とは無縁でした。来年もこうであってほしいなと思います。

ところで 母の長い友人がずっと腰痛で入院しています。ひとりで暮らしていましたが、高齢で持病の腰の痛みも悪化してきたので、遠くにいる娘さんが自分のところに呼んで 近くの病院に入院させたのでした。働きながら 病院に行き 家のこともして・・・娘さんはきっとかいがいしく世話をしていたのでしょう。
母は その方の4歳下ぐらいでしょうか。いつも明るくて 母と話をしている姿はお元気そうでした。母もその方と話をするのが楽しみだったみたいです。会わないでいると その方から電話が来ます。お互いに体の不調を訴えながら それでも元気に再会を約束している そんな様子でした。
でも 娘さんのところに昨年の豪雨の後 家の修理が終わり、冬が来る前に行きました。来年になったら帰ってくるからと言って。
でも やっぱり年をとってきたせいか 入退院を繰り返しているようです。
母も時折 どうしているだろうねぇと話していました。

温泉に行くと その方の隣に住んでいるという方と会います。つい二日ほど前 その方と母が脱衣所で話をしていて。わたしが外で待っていると・・・少し青ざめた母が歩くのが大変な足を擦るようにしてこっちに来ました。わたしが手を差し出すと 手をつかみ
「○○さんの娘さん 亡くなったんだって。お前より二歳しか上じゃないんだけど。入院している○○さんにはまだ知らせていないらしいよ。」
と言ったのです。わたしは思いがけないことに声を失いました。
なぜ そんなことに?
病気らしい とは言ってましたが、○○さんに言えないでいるご家族の気持ちが痛いほどわかりました。
帰ってから
「親より先に 逝くのは辛いなあ・・・お前とたいして違わない年だよ。○○さん このこと知ったらどう思うか。自分のせいだと思うだろうなぁ。お前は ○○○(わたしの娘の名)のためにも長生きしなけりゃいけないよ。」
と いうのでした。母は自分もわたしに迷惑をかけて生きていると思っているのでしょう。いつもお前がいなければ今頃は7回半も死んでいたよ と口癖のように言うのです。わたしは当たり前のことをしているだけでしょ?と笑って言うのですが、母の中には すまないなぁと言う気持ちがあるようです。
母は ○○さんのことを聞いて 自分のことに重ね合わせたのでしょう。わたしがもし自分より先に逝ってしまったら・・・と不安になったのだと思います。

親より先に亡くなることほど悲しいことはない。69年前 そんな悲しみを抱えて生きねばならなかった母親がこの日本に一体何人いたのだろうかと 慰霊の大文字が少しずつ消えて行くのを見ながら 考えていました。
母を悲しませないためにも 健康に気をつけていかなければ・・・