心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

熱帯夜!

2019年07月26日 | ほんのすこし
なんなの!
もう!
扇風機しかない母の家では、今夜は… 眠れないよ。

眠るためのあれこれ試したけど、玉砕。
目がらんらんとして、あぁ、ウォーキングは無理だわ。
朝の準備も無理だわ。
もう、寝る!(笑)
そんな熱帯夜、汗まみれのわたし。
明日のよていをみて、なんだ、別にいつだってかまわないことだよ。そんなことばかりが予定に多いことにキガツク。

これが今のわたし。

でも、ちょっとだけ自分だけしか出来ないことがあるって昨日分かったから、それを続けようかな。
しかし、世の中には自分の都合よくしようという考えの人がいるんだね〜。なんか前から分かっていたけど、確信したことで、がっくり。
お金がある人が幸せ?
◯◯シェを持っているのってそんなにすごいの?
プロ野球の年間シートを持っているのってそんなにすごいことなの?

誰かに自慢する、それが満足なのかな。
そんなことを考えた昨日でした。自分にはもう関係ない世界の人の話を聞いてなんだかなあと。
結局、自分が持っているものが、どれだけいいものなのかを他人に誇示する、その優越感なんだよね。
なんて、入力しながら、じゃ、自分はどうなの?って。似ているところがありありだよね。高いものや希少なものを持っているんだとこれ見よがしにしているところないかい?
反省の余地ありだわ(笑)

新しい人生の始まりにエールを送りたいけど、胸を張って言えない私がいる。彼女の頑張りに 自分のふがいなさを感じる今日だ。


反省

2019年07月23日 | ほんのすこし
苦手だなと思ってスマホからの更新出来ずにいました。…って、ここまで入力するのに何度も何度も消したり、疲れます。
パソコンに向かえないので、これからは慣れないと。
でも入力間違いが多くて、かなりへこむ。
先読み機能?があるんだろうけど、なんだかなあと思いながら、削除キーを打つわたし。



雨です。歩くのは止めようと思ってます、単にずぼらなだけです(笑)


最近はまってるのは…

2019年07月23日 | 紹介します
昔から漫画大好き人間でした。でも、あることがきっかけで数年漫画から遠退いていました。
それが… やっぱり好きなものは好き!(笑)
目覚めたら、結構あれこれ手をつけて読んでいます。
最近はまってるのは『あんどーなつ 江戸和菓子職人物語』原作 西ゆーじ 作画 テリー山本



久しぶりに会った友人が、お勧めだよと置いていきました。私は自分が読み終えた『SWAN モスクワ編』『SWANドイツ編』有吉京子『Da,Da,Dancing』槙村さとる を貸しました♪
バレエ漫画もいいですね。

話が逸れました。前述の借りた漫画は第六巻までで、一気に読み終えたのですが、あまりに壺にはまり、続きを読みたくなり、Amazonで中古を探しました。昨日、続きが届きましたので、早速読み始めています。
残念ながら、20巻までありますが、この作品は原作者の西さんが亡くなったことにより未完のままとのことです。

母が亡くなり、父が海外出張のため祖母の元で育てられた安藤奈津(あんどうなつ)は、ケーキの大好きな父に食べさせたくてパティシエを目指していましたが、食べさせる前に父は不慮の事故で亡くなってしまいます。それでもその夢を叶えようとするのですが、競争率の激しい業界、なかなか採用されず… ひょんなことから和菓子職人の道に入ることになります。
浅草に住む人々と町の空気感、人情という言葉を何度も思い出させる内容に原作者が生きていてくれたらなあ、と思わずにいられません。
それでも最後まで大事に丁寧に読みたいと思います。
朝ドラの「なつ」と同じ名前、どちらも見逃せません(笑)



またまた眠れないぞ

2019年07月21日 | ほんのすこし
しばらくかなり良好に、ストンと眠れていたのに…
今夜はなぜか眠れない。
顔が痒くて、毎年心配になるこの時期、日光湿疹が出ないかと。すでに首は汗疹でいっぱい。
寝ていても汗に起こされる。特に今日はそう。
スマホの入力が苦手で更新しなかったけど、眠られない私にはここは唯一和める場所だなって。




最近のウォーキングで見つけた花たち。和みながら歩いて、ついでに体重も減ってくれたらモウシブンないんだけどね!






今日は歩きは無理かも。このまま二度寝 します(笑)

……………)))))

眠れなくて投稿したけど、こんな時間にリアクションしてくれた方がいて、「え!お仲間がいたの?」って。
あなたも眠れなかった? それとも今目覚めた?
なんだか繋がっている気がして、眠れそうな気分のわ・た・し。ふふふ、、おやすみなさい…


やった! 男子初ウィンブルドンで

2019年07月15日 | ほんのすこし

窓の外で、どこかの猫がうるさく鳴く声で目が覚めた。そばに置いていたスマホを何気なく手に取ると、画面に速報の文字が飛び込んだ!

決勝に行くことは知っていたが、試合を見れないので忘れていた。
そうか、優勝したのか。
本当におめでとうございます!
どんな試合だったのか、どんなテニススタイルなのか見たことないけど、ジュニア世代の活躍が、色々な世界で目を見張る結果を出している。感嘆するばかりだ…

スマホからの投稿は苦手だけど、嬉しくて書かずにいられない。

それにしてもまだ外で猫が鳴いている。
うるさくて、これから二度寝できるんだろうか?


これも紫陽花?

2019年07月10日 | ほんのすこし
紫陽花って種類が多いんだね。
ある場所で、友人が教えてくれた。これも紫陽花なんだって。ミニなサイズ。可愛らしいフォルムがとても好きでパチリと写させてもらった。
そのとき名前を聞いたのだけど・・・全然思い浮かばない。最近、本当に固有名詞が頭に浮かばない。焦るね。

この紫陽花は人の手を経て新種改良のものなのだろうか。
もしそうだとしたら、そういう改良?されたものがかなり多いのかなと思う。良かれと思って改良されている、そういうものがね。
本来の原種みたいなものがなんだったのかが、見えなくなるほどに変えられたものだらけになっていく・・・そんなことを考えたら、なんだかブルッとした。
不思議と現実に見るものと頭で想像するものとは一致しない。それだけわたしの想像力が乏しいということなのだろうね。

この紫陽花を見てから、道ばたに青く咲いている紫陽花を見ると何故かホッとしている。散歩の道すがら墓地の脇に咲いている紫陽花たち。毎年咲き誇っているのだけど、今年はかなり奥手の咲き心地。華やかさとは真逆な感じだ。
これは天候の影響もあるのかな。なんだか梅雨があったのかどうかさえ覚束ない、そんな当地だ。

紫陽花は母の好きな花。だから母の日にはいつもちょっと見たことない紫陽花をプレゼントする。でも、考えてみたらわたしも新種改良に目を向けていたんだね。
今は去年買ってあげた地植えは無理かもしれないという改良品種の紫陽花が母の庭で不思議な色の花を咲かせている。

それを見ながら、来年は普通の紫陽花をプレゼントしようかなとふと思ったりする。

強いんだか、弱いんだかわからない紫陽花、地植えは無理かも・・・なんて言われたけどしっかりと生き伸びているし。
そこもなんか母に似ているような・・・弱そうに見えて気持ちでは元気に見える。それだけでも助かっているなあと思うこの頃だ。


葉っぱと

2019年07月10日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

いつも歩き慣れている道
誰も通らない朝
深呼吸しながら体に行き渡る”今日”を味わう

足元で朝日に導かれて輝く葉っぱが
少しだけ風に揺れる
少しだけ右へ左へ
影がそのたびに変わる

小さくて
そして気づきは大きい

自然に在る、ということ
葉っぱと風と光と

朝の人ひとりいない場所で
わたしと葉っぱと風と光と

そしてわたしはぐんと腕を振って歩き出す

※※※

一日の始まりはココロの晴れた状態で
何もかもが新しさに満ちていると
自分に語りかける

窓を打つ雨音さえも
リズムに乗って響くよに
ココロが晴れてさえいれば
一日は何かいいことありそな

ちょっと口笛吹きたくなるよな
何もないのにね、と苦笑いする鏡の自分は
それでもどこか明るい

ココロが晴れているって いいよ

※※※


ストーブを外す

2019年07月09日 | ほんのすこし
朝の散歩。ウォーキングというにはあまりにも短すぎる時間だから・・・散歩といったほうがいいかもしれない。でも、速度は少し気にしながら歩くけど。

今年は雨の日がそんなになくて、気象予報で「梅雨入り」したという話を聞いたことがなかった気がする。そして早朝の肌寒さ。これは一体どういうことなのだろう。朝は窓という窓を開けて空気の入れ換えをしているのだけど、散歩から帰って来て窓を開けると、入ってくる風がひんやりする。長袖のほうがいいんじゃないの? と思えるほどだ。それなのに、だんだんと暑くなり、朝のひんやり感がそのままだったらいいのにと思うくらい汗ばむ。

日曜日に母の家のストーブと絨毯を片付けた。よくこの暑さの中でストーブを片付けないでいたものだと思うが、こう朝にひんやりするとストーブを片付けるのを躊躇する母の気持ちがわからないでもない。でもね~、日中行くと部屋にデーンとストーブがあって、コタツがあって、それを見ただけでぬくぬくした空気が体にまとわりつくような気がしていた。
それが、今週末に叔母が帰ると決まった途端、母から提案が。
わたしひとりでストーブの撤去やら絨毯の入替をするのは大変だと思ったのだろう、これも子を思う親心か。叔母とわたしとで片付けてくれとの命令が(笑)。
日曜日。いつもより早めに実家に行き、お昼までかかってふたりで煙突やらストーブの埃取りやら、ストーブ収納のための家具移動やらを。カーペットを敷くとすっかり夏模様。
だけど、カーペットの上にコタツ! 母曰く。
「まだ寒い時があれば、コタツは必要だ」

う~ん。そうだよね。
わたしは汗だくだくになるけど、母にとってはこの空気はひんやりなのだね。窓を開けると入ってくる風が心地よい。でもその風が母には体に沁みるらしい。
母に合わせないとね。

こうして母の家のストーブが撤去されるのだけど、ストーブが無い状態はほんの少しだけ。9月に入るとすぐまた取り付けが待っている。来年はこのストーブ撤去や取り付けから解放されるような感じになるのかしら・・・
エアコンの風が苦手な母にとってはエアコン設置も考え物だし。やっぱりストーブかしらね~。
こういう小さな考えることがいっぱいあって、当分頭の中はゴチャゴチャあれこれ。のんびりからは遠いなあ。

さて、洗濯も終了。今日の診察は遅い時間(11時)。ドクターもかなり多忙なようで先回「空いている時間がそれしかない」と言われた。たしかに以前より患者さんが多くなった気がする。母は若いドクターがお疲れ気味ではないかと心配していた。オーバーワークで倒れないでくださいよ、ドクター♪

※※※

ようやく紫陽花が咲き始めたみたい。

※※※

なかなか更新できず・・・

2019年07月09日 | ほんのすこし
パソコンに向かい、ブログ編集画面を開く。
ただそれだけのことなのに、なぜか開くまでが出来ない。

前の更新からはや数日が経っている。その間に悲喜こもごも、書きたいことがいくつかあったのだけど、その度に書くのをためらいそのまま。

書いてしまえばスッキリするようなこともあったのだけど。楽しかったこともあったのだけど。
今の自分はそのどれも踏ん切りがつかない宙ぶらりんの状態だなあと思う。毎日は今までと変わらないし、ほとんどやることも決まっている。今週の土曜には叔母が自分の家に帰っていく。わたしは土曜から実家で寝起きする。だから今までよりさらにパソコンに向かう時間が無い。スマホを開く事は出来ても・・・

あまりにも叔母がいることに依存しすぎていたなと思う。母のことを叔母に任せっきりだった。わたしは料理担当だけで、家の中のことを全てやってもらった。叔母が帰ったら、今まで叔母が母のためにしてくれたことをバトンタッチだ。といっても冬の間、母のところにいたから少しはわたしも慣れているけどね。
わたしがアパートで15年過ごした時間が長すぎたのかもしれない。ひとりでいる、ということに慣れすぎたってことで。誰かと一緒に過ごす時間が長い、ということに慣れない自分がいる。居心地良くここを作りすぎた・・・ひとりでも気持ち良く過ごすための空間、それがここにあったんだなと。

来年は母と一緒に暮らす。今も暮らしているようなものだけど、今はわたしがひとりになれる空間がある。きっとそれに甘えているのだろう、わたしは。
母、今年誕生日が来ると87歳になる。あとどのくらい一緒にいる時間があるのかわからない。それを思えば、早く一緒の空間を作ることが先決だろう。来年、どんな家になるのか、わくわくする。最近は母も楽しみになってきたようだ。

さて、今日は病院付き添いだ。終わったら期日前選挙に連れて行く。
こんなわたしでも母のためにはなっているらしい、運転手役ね(笑)

見上げたそこに

2019年07月01日 | ほんのすこし
最近は、夜の空を見上げることもなくなりました。
昔のマウス画を見ていたら、あぁ、こんな時代もあったなあと、感慨に耽っています。若いとはいえなかったけど、それでも自分の可能性にどこかかけていた時代でした。マウス画、windows95を駆使して描いたイラスト。それが今もここに残っていることということに、なんだか不思議な気分を味わっています。
時代遅れの遺物なのかなとも思いますが、このブログにあの当時のイラストとして残しておけたことに、自分がそこにいたんだという安心感があります。
わたしには何も残っていない・・・そう思うとがっかりしますが、それでもここにいくらか自分が描いた,作った、そういうものの片鱗があったとすれば、それは自分にとってすごいことなのではないかと思うのです。
データにすればかなり多い日記的なテキスト部分、それすら大事に思えます。父が生きていたいくらかの分は印刷して自分なりに形にしました。でも、父が亡くなって弟がワンディシェフの店を手伝うようになってからは、そういうことからも遠のいていました。ここで書くことも印刷するにはどうかなと思ったり・・・

母と父のこと、ほのぼのした日常を思い出しながら、遅すぎないうちに書きたいという思いが最近、むくぬく出てきました。どんな時代でも相手を思って生きてきた人達がいる。その人達の琴線に触れることができたらなあと。

ブログ登録の中にお月様を映している方がいます。その方のお月様を見るたびに、あぁ、わたしは忘れているなあと思います。見上げれば見えたはずのものを見逃していたんだと。
でも、その方のブログがあったからこそ、気づけたとも思えます。わたしが夜、カーテンを開けることなく終わったときでも、窓を開けて空に浮かぶお月様を映していた、いや,シチュエーションはもっと違うかもしれませんが。その方が映してブログで発信してくれたからこそ、わたしは大好きなお月様の今を知ることができているのです。

ブログを始めた時は、半信半疑。というかこんなことをしてもいいのかと思ったものです。その前はネットで発信していたことに否定され、攻撃されていたのです。でもやっぱり、自分が描いてきたマウス画を残しておきたいという気持ちや、自分の日頃の思いを書いておきたいという思いがここに行き着きました。ここを辞めなくて良かった・・・そういう思いがあります。
goo、ありがとう♪ そしてこんなわたしを見捨てないで見守っていてくれた目に見えない方々に「ありがとう」と言いたい。今朝はそんな気持ちで満ちています♪