心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

空が高くなり

2013年08月31日 | ほんのすこし
ずっと向こう 空のてっぺんで
光ってる 光ってる

笑ってる声がする

そんな見事な秋色の空

雲が高く高く舞い上がっている

わたしのココロは 浮き上がりそうで
なのに 地べたに吸い込まれそうな
今日このごろです

※※※

考えることは沢山あるのに 全然前に進みません。
なんだかぽろりと涙がこぼれて 胸が痛いことに気が付きます。
感謝して生きようと毎日をそう思い続けながら生きることは 案外しんどいことに気が付いて。どうにかこうにか過ごしている自分を見つけて、何やっているんだろうなとふがいなく思って。
こうしている間にも 時間は過ぎて行くのですね。

秋は 感傷的になると言いますが、それはあながち間違っていないなと思います。ココロの微妙な変化は周りの変化にも影響されるのでしょう。
大事な人たちが 元気で過ごせますように・・・と祈らずにはいられません。

※※※

夏も終わるねぇ

2013年08月26日 | ほんのすこし
朝晩の涼しい風を感じると あぁ夏が行くなあと思います。
でも日中はまだまだ暑いのですけどね。

今回は久々に24時間テレビをたくさん見ました。母と一緒に見た時間も長かったし。見ながら 大野くんのドラマ「今日の日はさようなら」の話をしていました。
ふたりとも別々の場所で見ていましたが、話をするうちに同じようなことを考えていたことに気付きました。
というのも 昨年の24時間テレビのとき、わたしはリアルタイムで見ていなかったのです。土曜の朝に予約録画を設定していましたので 後で見ることはできたのですが。

昨年の24日、午後に弟が救急搬送され そのまま次の日25日の朝方に帰らぬ人となってしまいました。わたしが24時間テレビを見ることができなかった理由です。でも その後落ち着いてから見ようという気持ちにはなれませんでした。今はダビングしてDVDにとってありますが、一年経って ようやく今 今度は見てみようかなという気持ちが出てきました。
母と「このドラマを見ると ○一のことが思い出されるねぇ。ちょうど病室にいた頃で 最後のときを迎えた様子もなんだか似ているねえ」と話しました。うなづきながら あまりにもあっけなく亡くなってしまったことへのやるせない気持ちを思い出しました。
母が
「大野くんは演技が上手いねぇ。」と言うので、わたしはつい嬉しくなって あれもこれもと大野くんが出ていたドラマとかの名前を言いました。母が覚えていたドラマとわたしの言うドラマが合致していなかったので変だなと思っていたら 母は二宮くんが出ていたドラマのことを話していたということもありました(笑)

嵐5人のメンバーそれぞれが取り組む企画 応援、どれを見ても感激するものばかりでした。わたしはタオルを首に巻きつけ 汗を拭きとるはずでしたが いつのまにか涙をふくものに変わっていることがしばしばでした。24時間テレビ すでに36回も開催されてきていたということに気付きもせず 本当に初めて見るかのような新鮮な感動を味わっていました。

母に袋に入ったままの黄色の24時間テレビチャリティTシャツを渡すと「これは記念にとっておく」というので、わたしも青色のを着るから ふたりで着ながらテレビを見ようと言うと
「この年(母は80歳)で このTシャツを着ている親子なんて 全国で自分たちぐらいのもんだろう。それにこの後ろがなぁ、大きいハートだろ?」と答えて 着るのをしぶっていました。わたしが
「そのハートがあるからいいのよ♪似合うから着てみようよ!」と言うと 今度は興味を示したのか 袋から取り出すと「腹があるから入るかな・・・」とつぶやきながら袖を通しました。
全然 OK!とっても可愛い感じです。
お見せできないのが残念(笑)
母をスマホで写すと わたしのことも写すといって それぞれ記念Tシャツ姿を撮りました。

はぁ~どんだけ24時間テレビを堪能しているんだ?この親子は(笑)

夕方6時からは 母が毎週楽しみにしているBS番組が11時まで続くので 母には24時間テレビを予約録画してあげました。わたしはリアルタイムで見たいので 自分のところで続きを見ました。最後 大島さんが時間内にゴールできなかったのは残念でしたが、それでも戻ってくるのを会場全員が最後まで待ってくれている姿に応援するってこういうことなんだなと感激していました。

もちろん 裏番組のドラマ「半沢直樹」はちゃんと予約録画していて 夜中にじっくり見ました!おかげで今朝は寝坊しちゃってウォーキングはお休みでしたとさ、チャンチャン。

アップルミントの花が咲いていました

2013年08月25日 | ほんのすこし
アップルミントの葉っぱを小さなグラスに挿していたら ぐんぐん伸びていって 今ではこんな風に先っちょに白い花が咲いています。

こんな感じです。1cmぐらいの高さに小さい小さい花が集まっている感じです。



初めて見ました♪

いつのまに咲いていたのかなぁ・・・水を取り替えていたのに全然気が付かなかったなんて。

気が付かないうちに どんどん生長していることってあるなあ。植物でも人間でも。案外 毎日見ている人よりも しばらくぶりで会ったときにわかる方が多いみたい。赤ちゃんとか子どもが久しぶりに見かけたら ずいぶん大きくなっていてびっくりしたり。一緒にいるおばあさんとかは「大きくなったねぇ」と言っても 「そう?たいして変わっていないと思ってたけど。そう そんなに変わった?」と嬉しそうに答えたりします。
去年あたりまでしょっちゅう温泉に来ていた女の子も今年小学校に入ったら 滅多に会うことがなくなりました。きっと大きくなったことでしょうね。

わたしの周りでも成長している子どもがいて どんどんいて・・・それを感じるたびに わたしはどうなんだろ?と。ちっとも変わっていないなと。
一日一日を大事にして生きることを掲げていたはずなのに 無為に過ごしてしまう日々があまりにも多い。
24時間テレビが始まり、大野くんのドラマが入ることもあり 昨日はテレビにくぎ付けでした。一日一日を大事に過ごすということが いかに大切かを涙を流しながら 見ていました。残された時間 限られた時間 宝石のような大事な時間を 凝縮した時間にしていくこと 改めて大野くんの姿を見ていて感じていました。
母とさっき電話をしていたら、
「お前 見たか?大野くんのあのドラマ。もしかして見ていなかったらと思って 昨日は電話で教えようかと思ったよ」と母が言うので
「もちろん 見たよ。全部録画もしているし。」
母はドラマも良かったけど、ダウン症の小さい男の子の話がすごく良かったらしく 私がそれを見ていないと言ったら とても残念がっていました。後で録画したのを見て探してみるねと言っておきました。
母はこうした24時間テレビとかで病気の子どもとかのドキュメンタリーを見たりするのが好きです。逆に生前 父は見るのをあまり好まなかったと言います。見ると可哀想でいたたまれなくなるかららしいです。母は見ていると 頑張っている様子に励まされるから見るんだと言います。仲の良かったふたりが テレビ番組で二つに意見が分かれるのがこの点でした。母が「父さん いい番組だから見れ。ほら、こんた小さい子が必死で頑張っているよ。」と言っても
父は 知らぬふりで 碁盤で碁の練習をしているといったことが多かったようです。

24時間テレビを見ながら そんな父のこともきっと思い出しているのでしょう。
これから行って 母と思い出話に花を咲かせてこようかと思っています。そして弟の命日 父と弟の大好きなものを持ってお墓参りに行ってきます。

ほんとに 時のすぎるのは早いものです。

ぐいぐい惹きこまれた

2013年08月24日 | ほんのすこし
私はコーヒーで世界を変えることにした。』川嶋良彰著(ポプラ社)

今朝 昨日のお楽しみ(かなり久しぶりにカラオケを歌ったのだ♪)から 一夜明け、普段使うことのない喉に疲労感を覚えながら起き出した。
まだ頭がすっきりしていないにもかかわらず、昨日Amazonから届いたばかりほやほやの本を取り出した。やたらタイトルが長いなと思ったが、読み終えてみるとやはりこのタイトルしかない!と思った。

川嶋さん。最初の外国 エルサルバドルでは ホセ・川嶋と呼ばれた。本著はひとりのコーヒーに賭ける男の熱い心がどこを開いてもほとばしっている。朝から読み始め 途中 食事をするもその後も読み続け あっという間に読み終えた。次々と降りかかる難題やら、試練やら・・・そして彼が出会い 彼を支え続けた人々のなんと多いことか。

帯に書かれた紹介文がふるってる。
コーヒー界の「インディ・ジョーンズ」、世界を駆け巡る!読むとシビれる ビジネス活劇!

まさしくその通りだ。インディ・ジョーンズとは言い得て妙な例えだ。彼の人生 波乱万丈。自ら飛び込んでいくその先は 未踏の部分が多く、二の足を踏むことだらけ。それでもコーヒーのこととなれば彼は飛び込んでいく。こんなにもコーヒーを愛した人がいるだろうか。

エルサルバドル駐日大使のベネケ大使が素晴らしい。
UCC上島珈琲の会長・社長さんがまた素晴らしい。彼の中の「インディ・ジョーンズ」的な部分を見抜いていた上島忠雄会長の存在は 彼の人生にとってなくてはならない大切な人だ。

ホセと呼ばれ コーヒーハンターと呼ばれ、世界を飛び歩いた彼の人生はあっぱれ!としかいいようがない。この人生の原動力は 彼が捜し出した幻のコーヒーへの探究心が常に消えることがなかったことによるのだろう。コーヒーの原点ともいうべきレユニオン島の『ブルボン・ポワントゥ』をスターバックス社の人が探せず諦めて帰ったのに 彼が諦めずに探し当てたときは 読んでいて心が躍った。
真実を求めるものには 向こうからやってくる・・・・そんな気がしてならない。
彼は行く先々で大変なことに遭遇する。スマトラ地震だったり、火事だったり、強盗だったり・・・その都度 彼はエルサルバドルで身につけてきた「ストリート・スマート」という生き方で乗り切っている。机上だけで論じる人たちには乗り越えることができないだろう。どんなことに遭遇しても いつでも準備を怠らないことだと 彼を受け入れてくれたエルサルバドルの駐日大使ベネケ氏が教えてくれた。彼はそのことを人生のたくさんの場面で身を持って知り、乗り越えて行く。

まだまだこれから彼の人生は波乱に満ちている。
次はどんなことをしでかしてくれるのだろうかと 固唾をのんで見守っていたい気がする。

大変な一日

2013年08月10日 | ほんのすこし
昨日は散々でした。
こんな経験初めて。というか わたしってなんて愚かなんだろうとつくづく思ったのでした。
後先を考えずに 行動してしまうところが ときどきあるのですが、それが昨日は・・・

全国ニュースで取り上げられていた秋田の冠水。朝午前5時 外を見たら雨。今日はウォーキングは無理だなと思いながら おもむろに新聞を開き 読み始めました。でもすぐに外は雷が。大粒の雨も。
母のところの生ごみを出しに行く予定だったのですが、あまりにも雷が鳴るし 雨はひどいしで 7時過ぎまで待ってから 行けないよねーという電話をしました。母もそうだよねー無理しないで ゴミは次でもいいから なんて会話をしていました。

その後 雨はやむどころか 時間を追うごとにひどくなっていきました。なんとなく気になって、電話をし、母に状況を確かめに。
どんどん道路の水が高くなっているし、車庫のところまで水が上がってきているし、物置きの下から水が上がってきていると言われ 大変だ!と。
どんなにか心細くしているだろう 手助けできることはないだろうか との思いで とるものもとりあえず 車で向かいました。

途中 橋の手前の大きな交差点で 交通規制。迂回させられました。橋の手前が冠水しているということ。これはますます・・・心配しながら 迂回先を行くと、橋を過ぎたところは水浸し。母のところに行くまでに何度か水浸しの道路を運転。
最後は 両脇が田んぼの道路なのに、田んぼはどこにあるの?と言う感じで 水の中をあるべきはずの道をさぐりながら水を漕ぎつつ 向かいました。ほんとに車の半分が埋まっていたのです。それでもそのときは 母が心配で家までこのまま行こう!と思っていたのです。
ところが母の家に曲がるその場所に トラックが立ち往生していたのです。仕方がないので 急きょ知り合いの家の玄関前に斜めに止めました。そこから歩いていけないかと思ったのです。
でも止めたあとで気が付きました。どんどん水が増えてきてドアを開けたら水が一気に車に入ってくるということに。
母に電話をし あれこれ話しているうちに 母に
「そこにいたって駄目だ。エンジンかかったら 向こうの広い場所まで行ってみれ」と言われました。そこでハッとして足元を見たら すでに車の中に水がたまっていました。慌てて エンジンをかけたら かかったのです。水の中なのに。もう無我夢中でそのまま水の中を突っ切っていきました。町内の中でも母の家が奥にあるその中間の道路20mぐらいの間が 一番ひどくて 男性が腰のあたりまで水に埋もれて歩いていました。

わたしはようやくの思いでその広い駐車場に着き、母と電話。まずは雨が収まるのを待とうということにしました。それからお昼頃まで ときどき電話しながら 外に出て道路の状況を確認。母が家の前の水が引けてきたというので 荷物を持って歩いていってみました。
ところが 母のところは中央の道路よりも少し高い位置にあるのか 水がひけてきたというのに、行くまでの道路がまだ冠水したまま。どこに側溝があるのか全然わかりません。長くつで水の中に入っていったのですが、長くつの中に水がどんどん入り ひざの高さを超えてきました。これ以上は無理だなと思い 車に戻りました。
一度 自宅に戻ろうということになり、自宅に戻り 車の水を駐車場でかきだしタオルでしぼり その作業に30分以上もかかりました。部屋を片付け 母が来てもいいようにして電話をかけると「消防団の人が来て 避難するようにって言われた」とか。いよいよこれは大変だと 思いました。川の水が溢れてしまったら あそこはひとたまりもありません。母に荷物をまとめておくようにと話したら
「少し様子をみて お前が一緒にいて いざとなったら車で逃げるようにしよう」と言われました。最初は すぐにも家に連れてこようと思ったのですが、母が別の場所で寝起きするのは本当に大変だということをわかっているので できれば自宅にいたいと言うのは想像できました。そこでわたしが必要なものを持っていきました。

すでにあんなにどっぷりあった道路の水はなくなり 田んぼも見えていました。それでまずホッとしました。母と ずっとあれこれ話して ふたりともどっと疲れたなぁという顔でした。それでも川の水がどんな様子なのかは 心配でしたが、時間が経つにつれて 思ったよりも不安は消えていきました。
母が 早く解除しないかなぁと言いました。避難所にいる人には解除の連絡が入るだろうけど 自宅にいる人には知らせがないだろうなとも言っていました。わたしはそんなことないだろうって思ったのですが 反論せずにいました。午後8時45分ごろかな なんだか外で放送があるなと思って 出てみました。避難勧告解除 でした。

昨日より以前に市の広報に緊急連絡メールの登録というのが掲載されていて 何気なく登録しました。それが今回はとても役立ちました。何度も入る近況連絡に 一喜一憂していましたが、安心感が持てました。最後の避難解除のメール 夜中の川の氾濫に注意警告も 氾濫解除メールも 気持ちを引き締めたり 楽になったりでしたが、その都度 これを送ってくれた職員の方々の夜夜中を徹しての仕事に感謝したい気持ちになりました。一軒一軒避難勧告に回ってくださった消防団の方々、ご近所同士 助け合っていた姿にも 感謝の気持ちでいっぱいでした。

夜が明けて まだ避難されている方がいると新聞を見て知りました。また道路の決壊や泥水が残していったむごい有様もまた これからの作業のことを思うと ほんとに大変だなと思います。幸いにも母のところはぎりぎりの線で水が引けていったので良かったのです。車庫の中は20cmぐらいのところまで水が上がっていたのか その部分まで水の跡がありました。ほんとに後少しで 床上浸水でした。

それにしても 母の近くまで行って 何もできず その上 車を水浸しにしてしまうなんて ほんとにわたしは冷静さに欠けるなぁと思いました。よくよく考えて行動していたら もっと別の道から行っていればよかったのに・・・近所のだんなさんがわたしが水の中をつっこんでいくのを見ていてびっくりしたそうです。ほんとにお馬鹿さんです。トホホ。
さて これからまた母のところに戻ります。片づけなくては。なんでここにいるかというと 昨日慌てていったので 洗顔 歯磨き忘れたのです。で 6時半に戻ってきて さっぱりしたということでした♪
ではみなさんご機嫌よう。今日は猛暑になるというので 熱中症に気をつけてくださいね!

古いもの

2013年08月08日 | ほんのすこし
結構あちこちに古い蔵があったりします。歩いていると気が付きます。運転していると道路からしか見える部分だけなのですが、歩いているとチラッと道路奥を覗いたりすると 古びた建物があったり。細い道なりには こんな蔵が道路沿いにあったり。

県南には蔵の町があるみたいですが、ここでは蔵の町といえるだけの数はないのかもしれません。でもたまに見つけたりすると この中にはどんな物が置かれているんだろうなと想像してしまいます。昔はどんな物を置かれて どんな生活をしていたんだろう・・・とか、あれこれ想像するのもまた 歩きならではの楽しみになります。

秋田市には 蔵を改造して作ったジャズの店「ROND」がありますが、最初は中通りにあって、その頃 学生だったわたしはときどき 狭い階段を上ったその店に行きました。あの当時は ガンガン鳴らしているジャズをそれこそ話なんてできない雰囲気で 浸っていたって感じでした。それがその町を離れてから 大町の蔵に移転したと聞き 何度か行ったことがありました。
ママさんは 蔵に移転してから訪ねていったわたしのことを覚えていてくれて、それがすごく嬉しかったのを今でも覚えています。
ひんやりした空気の中で音が壁に吸い込まれて行くような感覚を味わいました。あぁ ジャズって蔵にすごく合うなぁと思ったことがあります。
今は行けなくなって久しいのですが、マスターたちはお元気なのかなぁと思います。マスターは多分わたしのことは覚えていないでしょう(笑)たくさん来るお客様のこと しかもときどきしか行かなかった昔のことですから。ママさんはわたしが行くときによくいらしたので きっと見覚えがあったのだと思います。

蔵を改造してジャズ喫茶にする。蔵を改造してレストランにする。古いものを生かして 生き返らせるのは 素敵なことだなと思います。蔵という大きなものでなくても 身近にある古いものを生き返らせる仕事をされている方もいます。古着や古い着物や帯を利用してリメイク、バッグや洋服 人形などなど 色々な方が自分流にアレンジしているのを見ると 古いものの良さをしっかり理解していなければできない仕事だなと感じます。

古いもの というか お年寄りには学ぶところがたくさんあります。その方の人生がそのまま勉強になるような・・・だから ときどきお年寄りのお話を聞くのもまた楽しみなところがあります。もっともわたしは毎日 母という身近なお年寄り?がいるので それで満足しているのですが。毎日 話を聞いても飽きないというのは 面白いですね。毎日 何かしらの発見を与えてくれる人なんて そうそういない気がします(笑)ほんとに母と一緒に過ごす時間が楽しみです♪
これも一日中一緒じゃないから いいのでしょうね。
古きもの わたしにとっては母、ますます大事に 蔵のように生き返らせる(元気で過ごす)ことができるのはわたしの役目だろうなと思っているところです。

すごい!

2013年08月07日 | 紹介します
すごい!としか言いようがありません。

この動画を見て 動けなくなりました。目が離せなくなりました。

シダミヨコさん どんな方なのだろう・・・

「世界が衝撃・・・日本人女性の神業」

最後まで見てほしいです。ラスト近くが一番息をのみます。
こういう演技があったんですね。全然知りませんでした。会場全員が息をのんで見守っている様子が目に浮かびそうです。

美しくて そのときその場にいたものが味わえる至極の感激。静寂の中で ひたひたと押し寄せるどきどき感が すごいなと思います。
まだ見ていない方 ぜひ一度見てみてください♪
素敵ですよ。

緑のカーテン

2013年08月06日 | ほんのすこし
ウォーキングの途中にある保育園。
そこに見事な緑のカーテンがある。あさがおがいくつか咲いている。園児たちが暑さを直接感じないように そしてあさがおの生長も見ることができるように ということなのかな。

今朝は今日の暑さを予感させるような感じで、朝から胃のあたりが重たく これに暑さが加わったら へばりそうだなと思った。
ウォーキングから帰り 母のゴミ出しに向かう。朝食の準備もし 朝から野菜をふんだんに使って食べた。朝のうちに食べておいてよかった。
午前中からすでに部屋はむんむんとして風もあまりない。汗が出るので首の周りにタオルを巻きつつ、作業している。

わたしのベランダにもこんな緑のカーテンを作ったら 涼しかったろうなぁ・・・
でも どうも植物を育てるのが下手なわたしのこと カーテンどころか ちっとも伸びていかなかっただろうなとも思う。げんにアップルミントとパセリ ベランダに置いたけど、あまり良くない。台所の窓のグラスに挿したアップルミントの方が勢いがいいのだ。
まめに可愛がって育てなくてはだめなのだろう。
母の庭仕事を見ていると 感心する。本当に庭いじりが好きだ。
いつも母のところに行って 居間でおしゃべりするのだが、その居間から見える窓ガラスごしの庭の木たちがとてもいい感じで、ずっと見ていたい気持ちになる。天気のいい日は キラキラと光が葉っぱに当たって 綺麗だなぁと思う。もみじの新芽が出てきたときには 母は小躍りして喜んだ。もみじを今年 母に言われるがままに剪定し、最終的にわたしが出来なかったところは近所のお父さんにお願いしてやったのだが、その後 そのもみじから綺麗なサーモンピンクのもみじの葉っぱがあちこち生まれてきた。それを見て まさかこんなに綺麗に出てくるとは予想していなかったらしく もみじを見るたびに 今年はいいねぇと満足げに話す。わたしも一緒に そうだねぇと頷く。

昨日は母の診察日 二か所かけるので 家に戻ったのは 前8時前に出て午後1時過ぎになった。待っている間 病院のテレビを見ていたら 生イチゴの栽培をしている農家の方が出ていた。赤いのや黒いの黄色いのもあった。わたしが母に
「ねぇ母さん 来年は生イチゴ植えようよ。美味しそうだよ」と言うと
「来年は 普通の苺を植えようと思っていたんだよ。食べるんじゃなくて観賞用にさ」
「えー、苺より生イチゴの方がいいよ。だってほら!すごく美味しそうじゃない」
と わたしは子どものように母におねだりした。

だって 育てるのはわたし苦手だから、母頼み。今の内にお願いしておかないとね♪

出番待ち

2013年08月04日 | ほんのすこし
9月にある地元の神明社祭典。地元でも年間行事の中で重要な位置を占めている。
それが後1カ月ちょっとでやってくる。そろそろ準備が始まるのかな?

歩いている途中にあるこちらのものは その祭りで使用されるその町内の山車。使わないときはこんな状態で保存されている。他の町内の山車は結構一か所にまとまって保存されているけど ここは単独で保存しているようだ。祭りが近づいてくると毎晩お囃子の練習が響く。近くの町内会館みたいなところで練習している。その音が風に乗って聞こえてくる。もうそろそろその時期が近付いている。お囃子の音を聞くと お祭りがあるんだなぁと思う。

子どもたちがいなくなり、もうほとんどお祭りを見に行くなんてことなくなった。勇壮な山車の様子とかもそんなに見たいと思わなくなった。人ごみに出たくないという気持ちが強くなったといえばいいのか。つまりは面倒になったということだろう。

昨日 母のところで夕方 近所の方がこれからでかけるところだという。「青森のねぷたを見に行く」と。自分はもう何度も見ているけど だんながまだ本物を見たことないっていうから 連れて行こうと思って と話していた。その方は あちこちに行っている。運転するのが苦にならないのだろうか。わたしはどこへ行くにも まず運転は大丈夫か?と思ってしまう。初めてのところだと運転が超不安で そのものなんてそっちのけというか 落ち着けないというか・・・だから遠出をするのはかなり難しい。
その点 母は一度行けばあとは行かなくてもいいタイプらしく、あそこに行きたい ここに行ってみたいということは言わないので 助かっている。でも内心は 言いたいのを我慢しているのかもしれない。



さて 話は戻って、年に一度の9月の出番。たった二日のためにここにこの山車はある。その二日の凝縮された役目やいかに。毎日が出番のもの 出番の人、年に一度 あるいは一生に一度 その出番はそのものによって様々だ。そしてそれぞれが出番待ちの間 その役目をしっかり終えることができるよう準備をしている。出番は一瞬かもしれない。その一瞬にかける思いが強ければ強いほど 伝わるものも大きい。スポーツを見ていると特にそう思う。今開催されているバルセロナ水泳競技も然り。競技時間は短いけど、そこに行きつくまで選手たちがしのいできた時間の尊さに思いが飛ぶ。
出番待ちこそ 大事な時間なのだ。
たとえほんの数分だろうと そこに自分はいる。
出番待ちで溜めこんだ自分というものの凝縮された姿が そこにいる。

この山車も磨かれて わたしたちの前に姿を見せるときがいよいよ近くなった。

見つけた言葉

2013年08月03日 | ほんのすこし
今朝は 3時ころから階下の子どもの泣き声で目が覚めてしまい、その後しばらく鳴きやまなかったので これはもう・・・と思い 起き出した。いつも同じような時間帯に泣くので 怖い夢を見ることが癖になっているのかなぁなんて 思っている。わざわざ下に行って訊くまでのことでもないので 諦めているけど、謎だなぁ。

それで 録画の容量が少なくなっていたのでブルーレイにダビングして消去することに。ブルーレイの50GBだとかなりダビングできるので せっせと設定。その間 これはと思ったものを見た。

そうこうしているうちに5時になり、外もようやく歩ける明るさになっていることに気が付き、ウォーキングの準備。あまり明るすぎず ちょうどいい感じの外。寝不足ではあったけど、外の空気を吸って気分は上昇♪

いつものコースを歩いていて お寺の墓地前にある張り紙を掲示している場所に来て 今日はなんとなくその貼り紙を読んだ。
「与えられた場所に 生きる意味を見つけない人は どこにいっても 満足はない」

これだ!
スマホで早速取り込んだ。
最近のわたしのイライラというか 落ち込みはここにあったと思えた。汗水たらして働いて得るということからかけ離れている自分を思い これでいいのかという気持ちがずっと離れなかった。でも それは契約を交わしたときから当然 予想されることでもあったにもかかわらずだ。
最初は意気込んで 自分でも何か役に立つことがあるのでは?とか思ったのだが、どうみても自分の存在が邪魔にさえ思えてくる。そんな気持ちが日に日に強くなっていて 登校拒否というか足が向かない状態が続いていた。
自分は一体何ができるのだろう・・・なんにも役に立てることはない・・・そう思うと こうして暮らしている世界そのものを責められているように感じてしまっていた。

母はいち早く そんなわたしの様子を感じとっていた。そのことについて昨日 あれこれと話した。話してみて 自分が思い悩むほどのことではないと気持ちを切り替えることが大事だと思った。そして今朝のこの言葉だ。この言葉を見て 背中を押された気分になった。
今いる この場所、この世界で 生きる。この場所にいる意味がきっとある。
そう思いながら ウォーキングから戻り、今日はずっと色々片付け すっきりさせた。すっきりさせると気分もさっぱり 爽快になった。
背負い込んだ重みをちょっとずつ捨てている気分になった♪