心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

大荒れです

2014年01月31日 | ほんのすこし
昨日 雨まじりの天気に 母とふたり、明日は荒れるかもしれないねぇ~と話していたら・・・
ほんとに大荒れ模様!
久々に横殴りの雪を見ました。こうなると外に出て行く気持ちが失せてしまいますね。
といっても 午後は出かける予定なので・・・

大荒れのせいか 部屋の温度もなかなか上がらず ストーブが真っ赤っかのまま。このストーブ ここにきてからずっと分解掃除もしないで頑張ってくれていました。今年の11月前には分解掃除に出すか、買い替えるかしないと持たないかもしれないなぁ。入居するときに電化製品を全部買ったうち テレビとレコーダーは買い替え済みですが、他のものはまだ健在です。この二つだって まだまだ使えたのに地デジ移行にあおられて(笑)買い替えてしまいました。まぁ おかげで録画 録画三昧ですが。
ポットも炊飯器も洗濯機も元気です。洗濯機は少々欠けていたりしますが ちゃんと稼働しています。冷蔵庫も大丈夫だし。それでも母に言わせると 昔よりも電化製品は長持しなくなったらしいです。10年なんてざら。へたすりゃ20年 30年と長持するもんだよと。大事に使っていたんだなと思います。
今は昔の電化製品は電気を食うので エコじゃないとも言われますが、技術の革新はそういうところに生かされなくちゃねとも思います。デザインとか見てくれだけではなく 長い目で見たときにどうなのか 長く使えるのか テレビもどんどん安くなるので 最初に大型テレビを買ったときにはあんなに高かったのに 今はぐんと安い値段で買える。
物の買い時をしっかり見極めることができるか というか、わたしの場合は 今これを買うって本当に必要なの?と自分に問いかけないと無駄な支出がある気もします。

無駄な支出 それの一番が衣類かなぁ・・・先日もバーゲン半額という言葉に引き寄せられて なんだか不必要なものを買ってしまったばかりです(笑)
結局 いつも着ているものに手がいく・・・お気に入りのものばかりがくたびれていく。靴もそう。だからいつ穿くの?と思うものだけが綺麗なままで靴箱に入っている。

こういう反省材料が多すぎるので 今年はしっかりしよう!って思ったばかりでした。でもね、久しぶりに「半額セール」って言葉に惹きつけられたのよねー。最近めったにそんなことなかったのにねぇ。
ショッピングセンターの一階だけでやめておけばいいものを ちょっとだけ見ていこうかなぁなんて思ったのが、いけなかった。二階のフロア 冬ものあちこちでバーゲンだらけじゃないですか♪
ちょっとだけ・・・なんてどこへいったのか それから1時間もあっちをうろうろ こっちをうろうろ、着るものあるでしょ?って母に言われそうなのに、ついつい。

なんで弱いのかしらね。
この半額って言葉に。
あのときもこんな大荒れの天気だったら ショッピングセンターなんぞに行かず、近場の小さいスーパーでささっと買い物すませたのに。
今となっては後のまつり。帰ってきて試着してみたら 店で着て見たときよりなんだか似合わない気がするのも 気に食わないわたしなのでした。

ハチ公の等身大チョコ!

2014年01月28日 | ほんのすこし
2月6日から 渋谷でハチ公の等身大チョコがバレンタインにちなんで展示されるようです。

明治製菓と東急グループとの共同企画らしいです。総重量60kgのチョコで作られるハチ公って・・・どんなの?!

地元ではなじみ深いハチ公ですが、やはり都会ではやることがでかいですねー。
これってバレンタインが終った後は どうするのかしらねぇ。
その後がちょっと気になる話題でした♪

忠犬ハチ公の”等身大チョコレート渋谷に登場

話は違って。
最近 ネットラジオ聞いています。
NHKの第一が主ですが、母のところに行くとよく母がテレビを見るのに疲れると聞いてるのがその番組なので わたしもついつい聞いています。午後に行くとよく二人で「午後のマリアージュ」の山田まりあさんの笑い声に二人で反応しています。母は彼女の話し方といい 笑い声といい とても好ましく思っているようです。ラジオを聞きながら 昔話に花を咲かせたりしますが、テレビだとこうはいきません。ラジオって作業しながらでも聞くことができるので すごくいいなと思います。眠れない時に枕元でラジオをかけて寝入っていくというのも母の日課です。わたしもそうしたいのですが、ネットではラジオがちゃんと聞けるのに ラジカセなどでラジオをつけてもわたしのいる場所では雑音が入ってあまりよく聞けないのです。なのでもっぱらコタツでパソコンでラジオを聞きながら 作業をしています。今も「らじる★らじる」を聞きながら です♪

たまに別の番組「NHK FM」に替えたりもします。音楽を聞きたくなったときです。そういえば学生の頃はこの番組にずいぶんお世話になりました。四六時中聞いていたというほうが合っているかもしれません。レコードを買うお金もなく ラジオから流れる曲をカセットにダビングするのが唯一楽しみだったあの頃。
ロックではジャニス・ジョプリンにガツンとやられ、10ccとかあれこれ種類を問わず聞いていた気がします。どちらかというとジャズを聴くのは後だった気がします。同時進行で小椋桂とかかぐや姫 井上陽水というシンガーソングライターにもはまりましたねぇ。
寮に持ち込んだギターで「神田川」のイントロを弾けるように練習したことなど 懐かしい思い出です。

人生の随所随所で 音楽と触れ合った時期があるように思います。わたしの場合は思い出を振り返るときに必ずといってほど そこに音楽も付随してあるように思います。温泉に行くとよく有線がかかっていますが、懐かしい曲が多く ついつい耳を傾けてしまいます。先日も湯上りに着替えていると 山口百恵の曲やらあの頃流行った曲が流れていました。着替えていた数名が耳を傾け、そのうちの一人の方は口ずさんでいました。わたしも一緒に歌いたくなったほどです♪
今の流行りの歌は知りませんが、昔歌った歌って 歌詞を見なくても歌えるんだなぁって。
その日の帰り路 運転しながら ネットで調べた荒井由実の初期のアルバムの歌を思いつくまま アカペラで歌って行きました。結構覚えているもんだなとご満悦♪今度はカラオケで歌ってみたくなりました♪

あぁなんと ハチ公のチョコ話が 懐かしの歌に変化しちゃってます。一体何を書きたかったのでしょう・・・と思うほど あっちに飛んだりこっちに来たりの相変わらずのわたしです。
今日は朝からどんよりどんより。頭が重い一日になりそうです。
そうそう 今季のドラマでわたしの中の一押しは「隠蔽捜査」。原作は読んでいませんが、最初から釘づけです。今回から見終わったドラマは消去するようにしましたが、このドラマは消さないでまとめてDVDにダビングしておこうと思っているところです。
もう一つが「S-最後の警官」 母も気にいってます。ふたりともイケメンが好きなので イケメンだらけなこの番組から目が離せません。わたしはリアルタイムで日曜の夜9時に見れますが、母のところは日曜の正午に一週遅れで放映されます。一度見てるのに母と一緒になって見てるというわたしです。この間は母のところでその放映を見たあと BSプレミアムでその次に向井理さんがオランダを自転車で旅するというドキュメンタリーが入っていてそれも見てしまいました!
ふたりで すごいねーきれいだねー ほぉ~という合いの手を入れながらの観賞でした。母曰く
「この人は可愛いね。女装したら女のひとより綺麗かもしれないね。」と。
そこに行くのか!と思わず心の中で のけぞっていました(笑)

思いだすのに時間がかかる

2014年01月27日 | ほんのすこし
昨日一日中というか ときどきというか頭の中で「あれなんだっけ?」と思いだせないことに悶々としていたものがありました。
それもなんの脈絡もなく 突然思いだして・・・若い頃よく歌っていた荒井由実の歌の中にあった歌手の名前はなんだったかという それがどうしても思い浮かばなかったのです。その名前を思いだす途中で別の歌手の名前も浮かんできて 今度はそっちの歌はどんなだったのかなと思い、それも気になってしまいました。
日中 全然思いつかなくて そのままにしていましたが、寝る段になり 思い浮かばなかったことが悔しくて(笑)、スマホで探してみることにしました。荒井由実の歌に関係ないほうの歌手はすぐに見つかりました。
ジャニス・イアン。「17歳の頃」この歌が好きでよく聞いていましたが、ネットで聞いたら和訳の歌詞が歌と共に流れていました。その歌詞を読みながら あの頃 この歌詞の意味を知らずに聴いていた気がして なんでもっと詳しく歌を知ろうとしなかったんだろうと今さらながら悔しく思いました。今でもわかるなぁ その気持ち・・・そう思いながら深夜ベッドに入りながら見聞きしていました。世の中便利になったものです。パソコンよりも手軽に調べて言葉がヒットするんですから。

その後 今度は荒井由実の歌詞を探してみることにしました。歌詞ねっとというサイトがあり そこで彼女の歌の歌詞検索ができました。そこで全然思い浮かばなかった歌手の名前がありました!
荒井由実の二枚目のアルバムの中の「わたしのフランソワーズ」。フランソワーズ・アルディ 早速彼女の名前を検索し、歌を。
「さよならを教えて」
どこかで聞いたことがある方もいるかと。出だしのメロディがとても印象的です。荒井由実はこフランソワーズが好きだったのでしょうね 若いとき。

二十歳のころ 荒井由実を知り ジャニス・イアンを知り 小道が見える窓に腰掛け 録音したラジカセを流しながら 時間の流れがまだまだ遠いと思っていました。今はこんなに時の流れの速さを感じるのに、あの頃はどうして時間がまだまだ大丈夫なんて思ったのでしょう。一日を無意味に過ごし そのことに少しもためらいを持たずに 二十歳を満喫したように思っていたのは、なんてもったいないことをしていたんだろうと今となっては悔恨にも似た思いなのですが。それでも好きな曲に耳を傾け 自分と同化できるような気持ちを抱いて過ごした時間が とても懐かしくも思えます。もう一度あの頃に戻れたら 悔恨を残さぬよう過ごせるだろうかと思うと、そうではないように思います。先が見えない不安を抱えながら どこかに自分を見いだせないかと自分が手にした目にしたものを精いっぱい取り込んでいくことが 自分にとっての一番であった・・・それが勉学でなかったことだけははっきりしていました。だから今 戻れるものなら もう少し勉学に身を入れてあの頃を過ごしてみたかったという思いがあります。

昨今 高齢でも勉強に挑戦している方をよく見ますが、すごいなといつも思います。わたしも新しいものに挑戦しようと思うのですが、テキストを開いたとたんに投げ出したくなります。頭が記憶することを拒んでいる!そんな気がします。物覚えが悪くなってしまいました。先に述べた歌手の名前や歌だって全然思い浮かびませんでした。若いときにあんなに聞いていたのに!です。
思いだすのに時間がかかりすぎて 気になるとそれが頭を離れない・・・そういうことがこの頃とっても多くなりました。一番気になるのが 人の名前を思いだせないことです。最近では 思いだせないことを母と張り合っているくらいです(笑)
まだまだ若いと思っていましたが、母と同じレベルになってしまいましたねぇ。ふぅ。

どんよりしていますが読書には最高です

2014年01月26日 | ほんのすこし
昨日は帰りがけ 小雨が降っているのを見て 母が
「これから荒れるかもしれないねぇ」と言っていました。例年だと冬の雨降りの後は天気が崩れて荒れ模様になるのが常だったからです。わたしも頷いていました。

今朝 空はどんよりしています。それでも荒れ模様とまではいかないようです。これからどうなるのかはわかりませんが。それでもいつもの年と比べると 横殴りの雪を窓から見ることが少ない気がします。県南では豪雪で大変だというニュースが連日入っていますが、同じ県内でもわたしのところではそんな状態からは緩和されているなと感じます。連日の雪との戦いに体も精神も疲れてはてているだろうことを思うと 県南に降る雪がこれから先少なくなってほしいと願わずにはいられません。

父が亡くなった年は四月だというのに荒れました。雪の話をすると いつもそのことに話が行きます。そしてもう一つは弟が亡くなる年の冬、すでに体力も腰も限界にきていたのか 玄関前に降り積もった雪を寄せるのを母が頼んでも 上を数回なぞるだけで「疲れた・・・」と言っては 自分たちが歩くほんの数センチを確保するだけで 雪寄せをやめてしまっていたという話。父と弟の雪についての話はこれが母の中では一番心に残っているのでしょう。
そこから始まって ふたりの昔についての談義が始まります。

この頃 母はわたしが行くとひとりでずっと昔のことを語るようになりました。前よりもその傾向が強くなった気がします。やっぱり年々衰えていくのだなぁと ふとさびしい気持ちになるときがあります。母をひとりにさせている時間が長くならないようにしなくては・・・と思いながら 家路に戻るのですが、そろそろそういった意味でも 住む場所について考える時期がやってきているなと思っています。まずは暖かい時期になって それからですが。

寒い土地では冬に行動を起こすのはとてもしんどいなと思います。気持ちに強さが求められる 流されることの方が多い これってわたしだけかなぁ・・・季節のせいにしてはいけないと思うのですが、やはり動けないことの方が多いのです。だからか 最近は読書の時間が多くなりました。
『検察側の罪人』、『神さまからのひと言』 どちらも最初の何ページかを読んでそのまま放っておいていましたが、最近になってようやく本を読もう!という気持ちが出てきて、読みかけのものを出してきました。最初の本はなかなか入り込めずにいたのですが、途中からぐんぐん引き込まれていきました。単なる犯人探しものではないところが最後までぐいぐいと読めたように思います。次の本も サラリーマン小説?読んでみるか というぐらいの気持ちで手にした本ですが、同じように最初はなんだか読む気がしなかったのです。でも閑職に追われた主人公がどんどん変わっていく姿に 応援したくなっていました。どちらも通じるものがあるとすれば そこにいる主人公の中にあるゆるぎない強い信念というかこれ以上は容認できないというきっぱりした部分ができているということかもしれません。ともすれば自分の中で これっていいの?と思いながらなんとなくスルーしてしまうものが世の中や会社の中であっても そうじゃないぞ!と立ち上がることは無理だとはなから決めてしまっている部分があります。できることよりできないことをたくさんあげてしまって やる前から諦めている そういう傾向があると思っています。だから今のわたしがあるのでしょう。何事にも中途半端で 立ち向かうこともしてこなかった・・・だからこそ この二つの小説を読んで、自分ができなかったことをよくぞやってくれた♪という気持ちがあったのでしょう。ただ前者の本の場合は もっと複雑な人間の内面を浮き出しているのが後味としてスカッとするのではなく 考えさせられるものが重いという・・・

今度は全然違うものを と思い、『抱擁、あるいはライスには塩を』上下巻、『三十光年の星たち』上下巻、『残るは食欲』を手に取ってきました。どんな内容なのか 楽しみです。阿川佐和子さんのエッセイは雑誌掲載のものですが、彼女のざっくばらんで気さくな人柄が文章ににじみ出ている気がして好きです。だってタイトルからして わたしにピッタリじゃないですか(笑)

母のところに本を持っていきますが、ほとんど読まずに戻ってきます。母の語りを聞くのがまず一番だからです。昔話をたくさん聞くのも 面白いものです。知らなかった大むかしのこととか。幼い当時のご近所の話しとか、今と全然違う暮らしの話を聞くのもまた驚きいっぱいです。
では 行ってきます♪

なんでも鑑定団が好きです

2014年01月23日 | ほんのすこし
好きな番組に 『なんでも鑑定団』があります。録画していて なんか見るものないかなぁって思ったときに撮り溜めしていた中からチョイスしては よく見ています。古い蔵から出没した貴重な品とか、代々伝わってきた由緒ある品とか そういう歴史を紐解きながら見るのが好きです。そして 思っていたのとは違った結果に一喜一憂する出品者の様々なリアクションを一緒に感じるのもまた醍醐味の一つかなぁなんて思っています。

先日 見ていたら 九谷焼の大皿が出ていました。びっしりと大皿に百人一首の歌人が描かれているお皿でした。それを見ていて ふと思いだし、今 飾っていた湯飲み茶わんをしげしげと。
ふたを開けると 中には百人一首の文字がびっしりと書かれています。一文字にすれば 何ミリの世界です。一体どうやってこれを湯飲み茶わんに書いたのだろうととても不思議に思います。
こういう職人技を目の前で見ると ここまで来るのに一体どのくらいの年月が必要だったのかと思ってしまいます。物を作り出す 伝統工芸の世界や料理の世界、創作という世界で何年も携わってきている多くの方々の努力のすごさに感服してしまいます。
この茶碗はすでにあちこち剥げていたりしていますが、とてもお茶を飲むという行為はできないなと思います。こうしてときどき手に取って見る それだけで満足しています。

ところで そのときの鑑定団の結果ですが、あの大皿 かなり大きかったですが、三十万円という結果に。買った当時はそんなもんじゃなくとても高かっただろうと鑑定された方が言ってました。今は価値があまりないというか ニーズが無いということなのでしょうね。それでも出された方のお父さんがとても大事にされていたとか。その思いを引き継いでいってほしいなと思って見ていました。
わたしはといえば このお茶碗はごちゃごちゃした印象を受けやすいので 子供たちには必要ないかもしれません。今のところは自分で見て楽しむだけで満足しています。

話は変わりますが、最近 母が
「あの船越 俳優のあの人の奥さん 毎年 遺言を書き変えているんだって。」と言いました。後で面倒が起きないようにとのことだそうです。それってある人がやることだよね?と思っていたのですが、財産のあるなしに関わらず 自分の死後の処理を書面に表しておくことも案外いいのかもしれないなとこの頃 ふと思ったりします。まだ大丈夫 なんて 言えませんしね。

『なんでも鑑定団』楽しい番組 長寿番組です。司会が今は今田耕司さんになっていますが、トークも進行もとても好きです。嫌らしさがなくて なんでこの方が独身なのか?と毎回首をかしげながら見ています(笑)
お宝はないけど 世の中にはこんなすごいものがあるんだなぁと感心してみて なんとなくちょっと物知り?になった気分でいます。見終わると頭からすっかり抜けているんですけどね♪
そうそう わたしは鑑定団の田中さんがお気に入りです。白いハンカチを口にあてながら 掛け軸を見る姿と説明する話し方に見惚れています。

帽子を手編みする

2014年01月22日 | 母のこと
母はリュウマチで手首が不自由。普通簡単にできることも何倍の時間もかかってやる。最近はほとんど台所に立たないが、たまに行くと いつのまにやったのかと思う仕事をしている。
まな板の上でどのくらいの時間をかけて切ったのかと思うほど ぶこつな形をした野菜があったりする。一生懸命時間をかけて切ったであろうその姿を想像しては よくやるなぁと感心する。
あまり根を詰めて作業をすると 必ず後で痛い目に合うので ほどほどにしてほしいのだけど、調子がいいとついついやってしまうらしい。

寒くなって 母が始めたのが毛糸の手編み。帽子を編みたいというので わたしが取って置いた毛糸を出して持って行った。かぎ針と棒針 どちらも少し教えたら ひとりでやれるようになった。最初は練習用に古い毛糸を使って編んでいたが、結構上手くできるとわかったので 新しい毛糸を買ってきてプレゼントした。しばらく編み物に夢中になっていた。夢中になると後が怖い。立ち上がるときに痛みが襲ってきたり 次の動作をするのに痛みをこらえなくてはならないことがあるらしい。編み物作業も面白いと思うと 夢中になるらしくしばしばこういった痛みを感じていたという。根を詰めないで楽しんでほしいものだ。
そんな母があっというまに5個ほど帽子を編みあげた。その中の一つを気にいって 温泉に行くときにかぶっている。母はサイズとかデザインとか気に入らないと ほどいては修正する。わたしが教えなくても模様とか色合いとか 二色の毛糸を二本 三本と一緒に編んだりとか 工夫して編んでいる。ほんとにアイデアウーマンだなといつも感心する。

そんな母に触発されて わたしも新しい毛糸で編んでみた。久々に編んだのでサイズがぴっちりしすぎて 使うには無理がある。色合いがとても気にいっただけに残念。母だったらすぐさまほどいて再挑戦するのだろうけど、そんな力はわたしには無い(笑)狭いままの帽子が今 母のところにある。それが冒頭の帽子だ。

そういえば 何年か前は冬といえば手編みをしていた。帽子やマフラーをたくさん編んだ記憶がある。寒いので外に出ることを嫌い ひたすら家の中でできることをやっていた そんな記憶だ。夢中になると夜中までやってしまって そんなわたしの部屋に手編みのものがたくさん・・・よく考えたら夢中になると最後までやりたくなるのは 母譲りなのかもしれない。今はその気持ちが萎えているけどね。
手編みは今のわたしがやりたいことじゃないから。
さて、今日は母を温泉に連れていくとするか。ここしばらく胃腸の具合が良くなかった母、温泉も我慢していた。昨日の様子では 今日あたりは大丈夫そう。
少し 暖気になっているし 外の空気を吸ってくるのもいいだろう。お気に入りの帽子を活用する機会ももっとあってもいいだろうしね♪

暖かい色を

2014年01月21日 | ほんのすこし
寒いときは 部屋の中に暖かい色を置くようにしています。
玄関はいつも黄色が入ったアクリル画を置いていますが、これは玄関には黄色を置いたほうがいいといつだったかテレビで風水のことが入っていて そう話しているのを聞いて以来、自分が描いた絵にそういえばそういう絵があったなぁと思いだして ずっと置いています(笑)
もう一枚は『アンボワースの裏通り』という深澤孝哉の3号。本物だと思うけど(笑)色づかいや大胆な図柄がすごく気に入っている。この絵があるだけで 部屋に帰ってくるのが嬉しくなる。
玄関はこの二つがずっと占めている。

で、隅に置いてある籐のイスの上には 黄色の小さな絵。これもアクリル画。何年も前に描いたのに色あせていないなと思う。絵の下に敷いてあるのが フェルトと毛糸で作ったアップリケパンチャーを使った一応テーブルセンターもどき。以前は長丸のテーブルに敷いたりしていたのだが、冬になってからはこの位置が定番になりました。どちらも黄色と茶色の組み合わせなので 暖かい雰囲気があります。この二つが椅子の上にあるだけで暖かい空気感があるように思うのはわたしの自己満足です♪

今年やりたいことがまた一つ出てきました。昨年から引き続き 創作することはありますが、朗読もまた改めてやりたいと。ただ部屋で朗読の練習をしているだけではなく 外に出て朗読することを考えています。互いに朗読しあい 刺激しあうことがあってもいいなとか、誰かに聞いてもらうことで上手くなっていくのかなとか。それと聞いてもらいたい本があるということ、小説ではなく 詩の本を最近練習しています。とても素敵な本です。

暖かい色が部屋にあるだけで 気分も上向きになりそうな気がします。ずっと絵を描くことは中断していますが、頭の中ではこんなことしてみたいとか あぁいうのを描いてみたいとかはあります。母の創作意欲に触発されることも多々あります。

今年は少し行動的になれるかなと思っています。引っ込み思案なところ 解消していけるかな・・・というよりずぼらな面倒くさがりなところが前面に出ているところが問題なんですよね きっと(笑)
暖かい色に囲まれて 気分上昇して 新しい年を楽しみたい!今はそう思える自分がいます♪

最近の諸事情?

2014年01月21日 | ほんのすこし
ここ数日 母の具合があまりよくなくて あれこれ気をもんでいました。
ニュースで取りざたされているノロウィルスか?なんて気がかりでもありましたが、わたしが全然その気配がないので 母ひとりが具合が悪いのだと思っています。昨日はそれでもだいぶ良くなっている気がしました。
そういうこともあって なかなか眠れない日が続いていました。遅く寝て早朝に目が覚める そのパターンがまた出てきたなと。でも日中 眠りたくなったら仮眠をとればいいのでは?と居直って。

美容には睡眠がかなり影響していると思います。肌も違いますし。その点はわたしの生活は美容からはかけ離れた状態かもしれません。夜は遅いし。それもやむにやまれずといったものではなく 自分から進んで夜遅くまで起きている状態が多い・・・当然 肌の荒れも起こりますね。
そんな中で 昨日は起きていて良かったと思うことが。

テレビを切ろうかと思ったときにふと目に入った画面がNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」でした。山海さんという筑波大学で教えている方のお話。
「未来を拓く、希望のサイボーグ」

なんといっても山海さんの心根に打たれました。相手のことをほんとによく考えて 何ができるのかをしっかり受け止めて どう自分ができるかを寝る間も惜しんでやっている・・・研究がどうのこうとか そういうことではないんですね。ただただ自分が手助けできることはまだあるんじゃないかというそのことだけで だからこそ 相手もわかるんですね。山海さんという方の熱意が。
久しぶりに夜中に起きていて良かったと思える時間でした。NHKあなどれません。そのあと続いた「サラめし」では 早稲田大学の箱根駅伝に向けて頑張る栄養管理士の方のことが出ていました。選手と共にほんとに一日中過ごされていて 仕事することの意味を考えさせられる二つの番組でした。

テレビはだらだらと見過ごしてしまう時間がありますが、たまにこういう自分に活を入れてくれる番組とも出会えます。ただあまりにも番組が多すぎて選択の余地がありすぎるというのも 困るなと思っています。田舎ではチャンネルも少ないので 選ぶことも悩まなくてすむかと思っていましたが、BSも増え ケーブルテレビを入れたために青森テレビをみることもでき、録画では足りなくなってきている現状で、ちょっと前に放送されたおつかい番組は母のところで録画をお願いした次第。次の日 母が 
「お前 昨日のおつかい見たか?すごく良かったよ」
と電話してきたので 母のところに録画していることを話しました。いつか母と一緒に見るつもりでいます。母が忘れた頃に。

テレビ番組をせっせと録画しDVDにダビングすることが多くなりました。子供たちに
「これ いつ見るの?」と訊かれます。「年とって見るものがなくなったときに」と答えています。多分 それは無いだろうなと苦笑しつつ。
撮ることで満足している自分がそこにいます。これも捨てなきゃいけない習慣の一つなのでしょうね・・・

そうそう 孫ができたと伝えたら まだ顔を見たことのないネットの知り合いから『いない いない ばあ』の絵本が送られてきました。ほんとに嬉しかったです。
こういう繋がりもあり なのかなと 嬉しく思っています。
ありがとう ○いめぇ~さん♪

そこに在るのだが

2014年01月18日 | ほんのすこし
ゆがんだ向こうにおぼろげに見える世界は 確かに変わりなくそこに在るのだが、こうして別のフィルターをかければ どこか違う世界が向こうに広がっているかのように見える。
このフィルターもやがて日の光を浴びて小さく小さくなり フィルターの形を成さず ぽとりぽとりと別の形に変化していく。

長く太く育ったつららを見つけた。何本も。朝の冷え込みに閉口していた昨日、昼近くになると外は冬の太陽の日差しが白い世界に降り注いでいた。カーテン越しが眩しい。


眩しいのは光が長く垂れ下がったつららに反射しているからだ。しばしその反射する姿に見とれていたが、外に出てみた。

つららに近づき 写してみた。
ゴツゴツといった言葉は不釣り合いなのだが、まるで透明感のある自然薯のような形のつららだ。すかしてみても 形がまっすぐではなく、(上から下へ形成されているまっすぐさはあるが)いくつかの長丸い形がくっつきながら下へ下へと作られた感のあるつららたち。横に幾層も氷のひだができていそうな。形のせいか透明感はいまいちだ。それが幸いして つららの向こうは漠然としたものに見えるから面白い。



層の変化によって見え方も違ってくるようだ。



遠くから軒先を写してみる。



まだまだこれからって感じかな。もっと長く太く垂れ下がっている日もある。しまいには地面とくっついてしまい、氷点下が続くとくっついたつららがそのまま数日形を維持していることもある。これが冬の到来を感じる一コマだ。

最近 CMを見ていて一番CGがここまで綺麗にできるのかぁって感激しながらほっこりして見ているのが某清涼飲料水のCM

このツノメドリとシロクマのCMは 録画したものを一時停止してツノメドリの羽根の一本一本をよく見ると 本当にすごく上手く描かれていてびっくりする。短いアニメ それも磨きこまれたアニメを見ている気分になる。「ハッピーをあげよう」っていうメッセージが気にいった。このツノメドリって本物はもっと可愛いらしいですね。
フィストリアというサイトでは こんな可愛らしい本物の画像が見られました♪
「困り顔がかわいい!海に住むオウム?ツノメドリ特集」
なんだかハッピーになれそうなかわいらしさです♪

冷え込む

2014年01月17日 | ほんのすこし
北海道とかと比べたら まだまだ甘いかもしれないけど、このところの冷え込み半端じゃない!
朝 キーンとした空気の冷たさを感じて眠っていれなくなって起き出した。もっとぬくぬくと布団にくるまっていればいいものを・・・
この寒さも こんな綺麗なものを見ることができるなんてね・・・
今朝 見つけた場所。(動画は音が流れますので ご注意ください)

北海道のダイヤモンドダスト

少し暖かい部屋で冷たい美しさを味わうっていう醍醐味 味わいました♪

ところで冷え込むとわたしには持病のようなものがあります。手術痕の頭の右側が痛むということです。それは当日であったり、雨のときは前日であったり。この冷え込みで今は連日 頭の痛さが消えない状態。それが頭を抱え込むほどの痛さであれば 診察・・・ということもあるのですが、そうでもなく お医者様が言うように「死ぬまで付き合っていく痛み」なのでしょう。だから 冬になると暖かいところに住んでいる方がとても羨ましく思えてしまいます。同じように母もそう思うのでしょう。母はぜんそくとリュウマチですが、どちらも寒さには堪えるようです。ここ数日 母の衰えを感じます。

昨年春 新しい治療法を始めた母ですが、皮下注射は効果があるのかそれまで気持ちが下降気味だったのが、注射後から気持ちが上向きになり、母曰く「自分でなんでもできるような気分」になっていたようです。実際にはできることは限られていて 両手も足も自由に使えるというわけではありません。でも気持ちがとてもやる気満タンといった感じなのだそうです。それはそばで見ているわたしも感じていました。
ところが ここ数日の冷え込み状態が続いてから 「なんだか前の感じに(気持ちが)戻ってしまった気がするんだよ」と言うのです。
夕べは 血圧が上がっているのかと心配して測ってみましたが、血圧は心配しているとは裏腹にとてもいい数値でした。では一体何が起きているのか?不安ではありましたが、一緒にいるうちにだんだん良くなっていって眠れるように。睡眠不足とかテレビの見過ぎとか 原因は色々考えましたが、なんとも言えません。診察受けようかというと そんな診察受けるほどではないと言う。ただなんとなく気分が今までと違うというので、わたしもどうしたものかと思っています。

この冷え込みが溶けて 暖かい春が早くやってきてくれないかと 今年はいつにもまして春の訪れを今から願っているわたしです。
夜はまんじりとせず、眠ったのか眠っていないのかわからない感じで 今朝はかなり早く目覚めました。日中 少し仮眠をとろうと思っています。あまり心配すると逆に母が心配するので 普段通りにしていくつもりです。

画像は地元恒例の冬のイベント「シャイニングストリート」1月6日で終了しましたが、最後の冬花火を部屋の窓から少しだけ見ることができて良かったです。ちょうどいた娘が孫を抱いて見せていましたが、はたして2カ月の赤ちゃんに見えたかどうか・・・でも今年はすごく綺麗でした。来年は そばにいって見れたらいいなぁなんて思いました。

この寒さ 皆さんも気をつけてくださいね。
わたしは朝から喉がひりひりしています。ふぅ。