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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

明日目覚めたら

2014年03月04日 | 思いのまま
届けよう
明日 目覚めたら
今日のこの思い 今日一日そっと温めておいたこの思い

目覚めることができたなら

ふと
今日一日だけがあるよで
明日はもしかしたら必ず来るなんてあり得ないんじゃないかと
一抹の不安を抱きながら 眠りに入る

あぁ
目覚めることができたのだと
明日 その喜びを感じることができたなら
一番先に 届けたい人たちがいる
わたしはまだ元気よ と

目覚めることのいとおしさを
一度 大きな不安を味わったものは 体で知っている
明日 目覚めることができたなら
届けよう
わたしは今日も元気よ と

※※※

古いマウス画。楽しんで描いていたあの頃。
あの頃の自分が 絵の後ろで微笑んでいる気がした。

※※※

目覚めてそして

2014年02月06日 | 思いのまま
朝の窓は眩しい。
カーテンを開けなくても日差しが布の繊維の細い空間から光が部屋に差し込むのがわかる。それだけ日差しが強いということかもしれない。しばらくその眩しさが続くが やがてだんだんと和らいでいく。どうしてだろう。日が昇り始めのときは 光が一段と眩しい。太陽が地球というものに自分の存在を知らしめようとするせいなのか・・・朝のその眩しさが日中の和らぎに変わっていく過程もまた好きなのだが。

一日が朝から始まり夜に向かう その一連の流れが狂うことなく続いていくことになんの違和感も覚えず ただ淡々と過ごしていく。ときどき ほんのときどきではあるけど、その流れをせきとめたくなる時がある。一瞬ではあるが、この流れを止めたら その先に在るものはなんなんだろうかと ふと思うのだ。
他愛ないことだとは思うが、そういった応えようの無い問いをわたしは自分自身に問う。問いながらこんなことを考えること自体になんの意味もありはしないのだと首を軽く横に振り、カーテンを潔く開ける。窓の向こうの山並から今まさに朝陽がその光を180度めいっぱいに広げようとしているのに出くわす。眩しくて 目のやり場に困るのだが、この光を体に受け止めることができるひそかな喜びを感じてもいる。

朝。
夕べ ポットに沸かしておいたお湯は少しぬるくなっているが、かまわない。インスタントコーヒーをお気に入りのカップにカサカサと入れて たっぷり注ぐ。偽物の匂いにだまされたまま 体が珈琲に反応する。う~ん 珈琲っていい。挽きたての豆の香りとまではいかなくても 喉を通っていく香りは珈琲を味わっている気分を十分味わわせてくれる。インスタントも昔に比べてずいぶん美味しくなった。これも技術革新の賜物だろう。世の中 日進月歩、あっという間に変化していった。傍観者的な目線で見れば、わたしなんぞは遥か地平線の向こうで 世の中の歩みを見ているにすぎない。発明も発見も他人が苦労して手に入れたもの それにちゃっかりのっかって 便利さを共有しているにすぎないのだ。見よ この部屋にある電化製品を。この数々が生まれるまでにどんな時間がかかったのか 現場の方々の苦労に思いをはせると、ありがたいと思うと同時に これからの未来はどれだけ変化するのだろうと 少し不安にもなる。今でさえ スマホの操作に手間取っているのに、これがさらに進化していったとしたら・・・

年を取るということに不安を感じるのは 新しいものに出会うときだ。説明書を見てもわからない、言葉の意味を理解できない、頭がついていけないよぉと思いこんでしまうのだ。そういう代物がずいぶん多くなってきたと感じる。こうして毎朝 太陽をおがみながら その恩恵を見に受けてあとどれくらいこのありがたさを味わうことができるのだろうと思う。
朝は偉大だ。
朝が普通にやってくると思えることがいたって 不思議なことなのだが、そのことに考えをめぐらすことをしない。ただときどき 時間というものの変化に驚きを感じるときがあり、それが目覚めと共に味わう思いだということに気がつく。目覚める・・・昨日の夜の寝入りばな このまま目を覚まさずに永遠というものの中に入り込んでしまわないかという不安を抱えて 眠るのを躊躇した自分はどこにもいない。目覚めることで 昨夜の思いがスッと消えて行く。
今日も一日が始まる。この一日がどれほど大事な時間の積み重ねなのかを わたしはまだ知らずにいる。
始まりの朝。
何かが始まると知ってか知らずか カップから立ち上るぬるい湯気の薄い白さがかろうじて“目覚めることができた”喜びを味わわせてくれている。


やさしい時間

2013年04月22日 | 思いのまま
やさしい時間があるとすれば それは温かい思い出に浸る瞬間を味わうときだといえるかもしれません。
昨日は まさにその「やさしい時間」を味わっていた一日でした。

昨年は娘が結婚。ちょうど一年前の同じ時期でした。とても晴れた上天気の日で、レストランウエディングは最高のシチュエーション、キラキラ輝いていた時間を味わっていました。
そして 昨日4月21日、息子の結婚式がありました。
あいにくの雨模様でしたが、ホテルの中での結婚式でしたので 雨は関係なく ホテルの徹底したサービスぶりに安心して参加できました。最初はこのホテルで!・・・と思ったものでしたが、やはり全然違うということを終始感じていました。格式ばかりを重んじるといった印象を抱いていたのですが、そうではなく本当におもてなしの心に溢れていて スタッフ皆さんの所作すべてが気持ちのよいものでした。

結婚式はハンドベルの演奏が流れる中行われ、讃美歌を歌い おごそかでありながら 何か温かな雰囲気がありました。お話をされた神父さまのやさしいまなざしが与えてくれたやさしさなのかもしれません。終始おだやかな時間、その間じゅう 息子と過ごしたこれまでの思い出がよみがえっていました。あんなに小さかった息子が今 目の前で新しい人生の節目を決めている・・・守りとおそうとする一人の女性を見つけている・・・親としてこれからも見守ることはあっても これが一つの別れなのだと感じていました。
温かい涙が止まらず それは式場全体を覆っているかのようでした。息子もお嫁さんも愛されているなと感じた瞬間でした。

息子はこの日のために 自分でウエルカムボードを作りました。冒頭の画像がそうです。
そのイラストを準備している様子が披露宴の最初に大画面に流れました。いつもどんな風にして息子がイラストを描いているのかなと思っていたわたしには とてもとても新鮮で嬉しいサプライズでした。作ってくれた九○さん 本当にありがとうございました♪後でDVDのコピーをいただくのがとても楽しみです。

息子はたくさんの仕事仲間 上司 友人の列席の中 本当に皆さんの祝福を受けていて、普段の会社や私生活での暮らしぶりが見えるようでした。遠く離れていると子どもたちがどんな風に過ごしているのか わからないのですが、昨日 それはなんの不安もないということに気が付きました。笑顔でいっぱいの会場でした。
お色直しで退場するときに 息子の両脇にわたしと娘が立ち、会場を回りました。
もうこういうことはないだろうなと思いながら しあわせな気分と寂しい気分を味わっていました。でも まさかそんなことをするのだとは思っていず・・・何日か前に息子から連絡があったときには両脇に立つというのはお嫁さんと一緒に退場するのだと思いこんでいました(笑)よく考えたらそれはおかしいのに 全然疑っていませんでした。あぁ勘違いもいいところです。最後の最後までわたしのドジは変わりませんでした・・・ガビーンです。
まぁでもしあわせな勘違いですからね♪

美味しい料理も堪能し、でも胸いっぱいで ようやくお腹の中に収めました。会場でサービスをしてくれるローストビーフは最高に美味しいものでした。
列席者からのお言葉では 息子の日ごろの様子がわかり、皆さんに好かれていることが伝わってきました。親としてこんなに嬉しいことはありません。
同じことを感じていた人がもうひとりいました。最後に両家代表挨拶で 相方がこれまで見せたことのない一面を見せてくれました。それは素晴らしいスピーチでした。
息子が家を出て 大学に行き 就職を決め 社会人として暮らしてきたこれまでの日々、相方はほんの数度しか会ったことがありません。きっと会うとあれやこれやと言いたくなると思ったのでしょう。それがここで しっかりと社会人として沢山の人に見守られ、可愛がられ、頼りにされている・・・その安堵感と嬉しさ そしてこれからの人生への示唆を 涙声で語る姿に 会場の皆さんが感動していることがひしひしと伝わってきました。
あぁこの人は この言葉を息子に聞かせたかったんだなと感じました。頑固で自分中心で・・・というのは そうしなければ生きていくための力を出せなかったからかもしれない。生まれた境遇を跳ね返すべく 精いっぱい力の限り 生きていなければいけなかった そんな人生を味わってきた人間の言葉がそこにありました。

息子の謝辞もまた素晴らしいものがありました。父と息子 ふたりがなんともやさしい時間を作ってくれました。ふたりの中にある長いわだかまりのようなものが 氷解していく気がしました。

ありがとう、これまでの時間。
ありがとう、列席してくださった皆さん。
ありがとう、いつもそばにいてわたしを支えてくれた娘。あなたがいてくれて本当に助かっています。
卓上に置かれた列席者の名前カードの裏には おそらく一人一人に書かれたであろうその人だけへのメッセージがありました。
「生んでくれてありがとう、あなたの息子でよかった」という内容が書かれていました。
わたしこそ 言いたい。
息子よ 娘よ わたしの子どもとなって生まれてきてくれて本当にありがとう。あなたたちがいてくれて本当にわたしは嬉しいよ。大丈夫 これからの新しい人生 わたしも元気に生きていけるから 心配しなくていいよ。

やさしい時間は わたしのココロも溶かして 新しい人生の始まりがそんなに悪くないものだとささやいてくれているような気がしています・・・


娘よ・・・おめでとう♪

2012年05月02日 | 思いのまま
嬉しいね、ほんとに嬉しいね・・・
今 こうして 戻って来ると その気持ちがずんずん大きくなってくるよ。
おめでとう・・・ほんとにおめでとう。

ずっと書けなかった。思いだせば色々あってね。書けばあれもこれもと 色々なことが頭に浮かんできてね、書くことができないまま 結婚式に行ったんだなぁ。
自分の中の問題とかもあったりして あなたには気苦労をかけたりして・・・
でも そんなこと全然関係ない!って思った。あなたのしあわせの日をみんなで喜ばなくてどうするの?!って。
そうなんだよね。
素敵な一日を ありがとう!!
素晴らしかったよ。
ホテルに戻って 手紙を読んで・・・ずっと堪えていたものが どんどん流れていって・・・
それでも まだあなたが結婚したという実感がわいてこなくて・・・
戻ってきて ようやく少しずつ感じてきた今、書いてもいいかなと。

隣でナプキンを目に当てていた様子を見て やっぱりなぁと。やせ我慢しているんだなぁと。
「目を合わせてくれないんだよ」って あなたは言ったけど、そりゃそうだよ。目を合わせたら泣かずにいられなかったはず。

たぶん 今までと同じように一日が過ぎていくのだろうけど、やっぱりどこか前と違う時間が過ぎていくのだろうね。ふたりが築いていくもの ふたりでなくては築けないもの、それがこれからの時間。
きっといいことばかりじゃなくて、色々なことが起きてくるだろうね。でも いいこと 悪いことって 見方によってずいぶん変わってくるから、「これはふたりにとっていいことなんだ」となんでも思えるくらいになってほしいな。辛いことだって いいことだと思えるぐらいにね。

素敵な場所だったね。
レストラン ラ・ビュット・ボワゼ
緑がいっぱいで あちこちに花があって 白いシフォンが入口から歓迎してくれて。店内に飾られていたたくさんの絵も素敵だったね。宮本三郎の『えび』もあったね。
今 調べたら レストランのかなり近くに宮本三郎記念美術館があったんだね。行きたかったなぁ。

シェフの森重さん とっても魅力的な方だったね。子供のように 6キロ近くもある真ハタをトレイに乗せてお客様のところに見せに来たり。サーベルでシャンパンを見事に開けて見せたり、パフォーマンスをしながらも とても楽しそうにふたりのことを温かく受け入れてくれているってことが伝わってきて。本当に素敵なレストランウェディングだったね。もちろん お料理も素晴らしかった!!



森重さんがヨーロッパで写してきた写真をコーディネイトしたお料理の紹介状。この裏に本日の料理を丁寧に自筆で書かれていた。素敵な思い出になった。下は席順とふたりのプロフィールが書かれたもの。お料理の写真を写せなかったのが すごく残念だったけど。かろうじてウェディングケーキのお裾わけプレートだけは写せたんだ。
お皿も綺麗、ケーキのスポンジのふんわり感がたまらなかったね。



でも お料理がたくさんで、最後のケーキを全部平らげることが出来なかったのが パティシエさんに悪かったなあ。もう一度戻れるなら あのケーキ全部食べたい!(笑)

息子と彼女のお皿だけ 特別だったね。「この次はあなたたちが幸せになる番だよ」という気持ちが伝わってくるチョコのメッセージとハートのチョコがついていたっけ。あれもあなたたちが頼んだんだね きっと。嬉しいサプライズだったね。

息子がふたりのために作ったウェルカムボード。
アルファベットひとつひとつのデザインが細かく違っていて綺麗だったね。左側に二頭のシカが佇んでいたけど、あれはふたりのことを表していたんだってね。ふたりが来客を心からお迎えしたいという気持ちが とっても自然に伝わってきたね。



こうして あのときのことを振り返れば あれもこれもと書きたくなってくる。戻ってきた直後は放心状態?で なんにも浮かんでこなかった。ただ終ったんだな・・・という思いで。もっと色々なことを話せばよかったという後悔の念が 今はふつふつと沸いている。でも これで良かったのかもしれない。娘には言わなくても伝わっているのだろう。そして これからだって 必要なときに必要なタイミングで話せると思う。母として 友人として。お母さんがふたりもいるって すごいことだよね。

二次会もすごかったね。二次会の話は また後でね♪

今日は これから母の検査付き添いがあるから。不安がっているから 励ましてあげないとね。



人を呼ぶ人?

2012年01月28日 | 思いのまま
昨日は 久々に長居をしてしまいました。なんてことでしょう、戻ったのは午前さまです!
雪も降らず 歩くのにとてもいい雪道でしたので、帰りも歩いて帰りました。そして あろうことか わき道に入り、どうしても中華そばが食べたくなり、まだ開いていた駅前の小さな店で 醤油らーめんを食べて さらに玉子焼きまで作ってもらって 食べきれずに持って帰ったのでした。「絆」というお店でしたが、ママさんの声がハスキーでなかなかわたし好みの声でした。

はぁ・・・ひとりで こんなことするなんて初めてです。でも 無性に食べたかったんだなぁ、中華そば。

スープが黒くて ちょっと驚きましたが、見かけと違いしょっぱいわけではなくスルスルと食べちゃいました。


持ち帰りの玉子焼きを手に 雪あかりの道をごきげんで帰りましたよ。



昨夜は ほんっとにご機嫌でした!
ほんっとに楽しかったんです。
久々に会った友人 Kちゃん そしてミントンのMさん そしてわたし、なんたって最強の三人娘ですよ(笑)先に着いていたKちゃんがいつもの席、わたしの分は端に取っていてくれて 真ん中がMさん。わたしが入るなり CDの話から映画の話 冒頭の本の話 と続けざまに話が進み・・・わたしはビールを頼むのも忘れていました。思いだしたように「マスター ビールお願い」と頼み、来たビールをグラスに注ぎ 一口 口に入れたとたん Kちゃんが
「あれ~ まだ乾杯していなかったよね?!」
三人が 口々に 「そうだ そうだよ」「話に夢中で乾杯 忘れていたよぉ~」
笑いながら 「明けましておめでとう」やら「今年もよろしく~」やら 掛け声。

それにしても・・・マスターからプレゼントいただいちゃいました!こんなに良いものを。『安野光雅』クリスマスのプレゼント交換で わたしに行かなかったからわざわざもう一度注文してくれたそうです。彼の絵本は わたしが若いころ 絵本に触れたきっかけにもなったもの、安曇野を描いた絵やら外国の街並を描いた絵がすごく好きでした。この本は色々な方との対談もたくさん入っていて 絵もふんだんに盛り込んでいるようでした。すごいものを戴きました!
そして CDまで!『Love,Again』(ディビッド・フォスター)二枚組!
早速Kちゃんが飛びつき、○○さんこれ後で貸して!と。彼女にはつい先日『ADELE21』のアルバムを貸して 喜ばれたばかり。これとクリス・ボッティのボストンライブも貸すことにしました。

そんなわーわーきゃーきゃー騒ぎつつ、楽しんでいると、本当に珍しい人が入ってきました。大阪在住のミントンなじみのお客様MIっちゃん。ミントンのマスターを「兄貴 兄貴」と慕っている方です。某世界的な企業のトップを務めた方でもありますが、今日はどうして?
弘前に仕事で来たので ついでに地元に戻って明日帰るとか。久しぶりに会って 今度は4人で(マスターも入れて5人)わいわい(笑)
すると今度はこれまた常連のKUっちゃん(と私は呼んでるが)が来て、MIっちゃんの隣に。すると今度はカップルが入ってきて・・・次々に入ってきたのは団体さん。しかも顔見知りがお二人入った団体さん。

待ち合わせしたKちゃんが 玄関のドアを見るたびに 「あー!○○ちゃん!」と喜ぶ様子に わたしとMさんふたりで
「Kちゃんは 人を呼ぶんじゃないの?」と。入ってくる人 みんな顔見知りみたいな感じで 一体どのくらいの交友範囲なんだろうと思うほど。
いつ来ても Kちゃんがいるときは ほんとに人が入ってくる。やっぱり人を呼ぶ人っているんだねぇと妙に感心したのでした。
話題が途切れず なんだかしあわせな気分がずっと続いていました。

結局 なんだかんだと居座り、名残惜しい感じでお店を出たのです。そのしあわせな気分が雪道を歩きながら だんだんと「中華そば食べたい 中華そば食べたい・・・」へと変身していったのでした。
我慢できなくなり、初めてひとりで入って食べたというおまけつきの日でした!

そんなに量は飲んでいなかったので 今朝はとても快調です。飲むより語る方が忙しかったというか、耳を傾けるのに忙しかったというか(笑)。
今度はいつ会えるかなあ。また会いたいね Kちゃん。

雪の中の電車です

2012年01月26日 | 思いのまま
たまたま午前9時過ぎに出かけようとしたら、あんまり空が青くて パチリパチリ。
そしてたまたま電車の音がして・・・急いでパチリ。

目の前を通り過ぎていく電車。



なかなかこんな偶然にお目にかかれない。
それにしても この日は青かったなあ・・・空!!
空の青と雪の白 これが綺麗に見える日は 気持ちも澄んだような気分になる。
雪国に住んでいる者の特権かな。
でもね、今日みたいに 暖気になるとこの雪も溶けて汚くなっちゃうんだなぁ。車もついでに黒くなっちゃってね。雪が茶色く車にべちゃってついているし。
雪の綺麗な白って マイナスの温度で空気がピキィーンっと張りつめているときなんだなあ。肌を射す冷たさと雪を踏むときの音が ギシッギシッってうなっていて あぁこれが冬の真っただ中にいるってことなんだなと妙に感心するんだ。

白も変わるからまた美しいのかもしれないね。



線路脇は 誰も通らないから 踏まれないままの白で、道路は除雪車が綺麗に圧雪していってくれたから こんなに真っ白で。視界は青い空と白い地面。
気持ちいいなあ・・・・

ほんっと 気持ちいいっ♪

そんなある日の出かける前の気分なのでした。

毎日が反省

2012年01月23日 | 思いのまま
毎日が反省の日々である。
ほんの少しのことで 自分のていたらくなことにがっかりして、みるみるうちに太り、動くのが億劫になっていく自分の姿を見ては 明日こそは!と思う。
だが、大きくなった胃袋を小さくするのは容易でないことだと知る。
体重計に乗ったときは その増加に落胆し 絶対痩せてやるぞと誓うのだが。
いざ 食事の段になると 食欲というものに負けてしまう。

野菜を十分とって 噛む回数も多くして・・・そうそう それよ。そう思いつつ 最初はしっかり守ろうとする。だが、食べているうちに野菜そっちのけで好きなものに箸が動いていることに気が付く。噛む回数だってそうだ。最初は心の中で数えている。それが飽きてきちゃうんだなぁ・・・

さぼっていた簡単ヨガもどきも朝一番に始めた。すっかり忘れていたと思っていたら、体は覚えてくれているもんだ。ただ以前簡単にできたものがすぐよろけたり・・・あぁなんというていたらく!

冬は巣ごもり状態を増長させるけど、それをなんとかして運動不足解消させなければ 今のわたしを変えることはできない と思った。

太っていいことなんてないなと思う。よくよく考えると、太り始めてから 自分の行動パターンや思考に「億劫」ということが付いて回るようになった気がする。面倒なことは避けて通りたいという気持ちも大きくなった気がする。外に出ることもできれば無しにして 一日中部屋にいたいという気持ちでいっぱい。あらら~これって絶対いいことないよね。

外の空気を吸う。この冷たい冬の空気を吸うことが 案外 頭を活性化してくれるんじゃないかな。
自分の一日の行動パターンを振り返り 反省しながら 今週は乗り越えていこう!

空が青かった週末。今週は曇天だけど、反省したからには ココロは青く!だ(笑)
いざ 外へ出陣だー。
あっ当分 お化粧は無しね。というか すっぴんで通せるようになりたいね。
まぶたの腫れも薬が効いて 少しずつ良くなっている気がする(良かった良かった)

新しい年に

2012年01月11日 | 思いのまま
新年が明けてから ずっと更新が途絶えていました。
自分の中で あれこれ前に進めないものがあって、このままここも自然消滅してしまおうかなとか考えたりして。

人の思いは日々乱れるものですね。
自然消滅なんて考えたって 心底には長く続けてきたものに対する愛着が残っているから 踏ん切りがつかないでいる・・・そういうことなんだなと思いました。
昨年は 「捨てる」とか「整理する」ということが流行りのようにそういう類の本もたくさん出版されていたように思います。わたしも在庫整理?しようと色々試みましたし。でも まだまだ物で溢れています。
「捨てる」ことのできない自分に嫌気がさしたこともあります。イライラして 自分のかなり消極的な部分に苛立ちを覚えたこともあります。
でも 少しずつ整理してはいるんだ・・・ということもわかっているので、自分なりのペースでやっていくしかない という気持ちになりました。一度に全部やってしまおうと思うから しんどくなるのであって、自分のペースをつかめれば 整理したり 捨てることも楽しみに替えていけるんだということに気が付きました。

そして 気持ちの部分。自分の中にある物ではなく気持ちの部分の整理。それもたくさん入り乱れていて、このままでいいのか?という自分に対する疑問も。
でも その疑問すら 迷う自分が当たり前だという考えに落ち着きました。
人間は自分の都合のよい方にとらえることで 安心感を覚えるのでしょう。ただ そこから前に進めるかどうかというのは別物ですが。ただ 今のわたしに必要な考えだと思うので、甘えかもしれませんが「迷って当たり前」という気持ちでいたいのです。

優柔不断は わたしのキャッチフレーズのようなものです(笑)
美容院の予約をとるのでさえ、かなり迷います。この点においてはなぜか何度も迷うのです。髪を切るというのは 結構勇気がいります。あっでも ショートのわたしには 全然イメチェンにはならないのですけどね(笑)

上京することも一大決心ですし。何度も悩み 結局諦めたり。上京たって、たかだか1泊か2泊ぐらいのものなんですよ。それができない・・・この地にいて 狭い場所でうなっている。どこにも行けないでいることにいら立っている・・・逆に 何もしないでいることに慣れてしまっている・・・そんなんです、わたしは。

そうしたら 昨日 言われました。KIMIKOさんに。
「ここ(秋田)にいたら、みんなそうよ。外に出ないでテレビの前にいることが気持ちいいのよ。」と。
あぁ そうなのか・・・わたしだけじゃないんだ・・・って。
なんだか目からうろこでした。
自分で自分を追い込んでいたのが嘘のような気分。

人は自分だけじゃないって思えることで 晴れたように目の前が開けていくことがあるんだなと思いました。
そして誰かに後押しされるように その言葉が必要なときに言葉が現れるんだなって。きっと悶々としてきた自分の時間も 不必要な時間ではなくて、その言葉に出会えるための時間として わたしにはとても必要な時間だったんだなと感じました。
だから 世の中に不必要なものなんてない、不必要な時間なんてない、それは必要なものは何か?と考えるための大事なプロセスなんだって思えました。捨てることもまた然り。これからわたしに必要な「捨てる」という時間 それを大事にしていこうと今朝は思っています。捨てるまでに悩むこともまた同時に大事なものなんだとも。

今年は波乱万丈かもしれません。きっと毎日に悲喜こもごもの思いが飛び交うでしょう。そんな中でも 前に進めるだけの小さな発見や感謝 喜びとともにあればなと思います。
ここに来てくださっている方々にも 感謝しています。アカウントの数字を見て、自分だけがここを見ているわけじゃないんだなと思いながら、どんな方が見ているのかとあれこれ想像するのもまた楽しみの一つです。
小さな小さなブログ そこにやってきてくれる皆さんに 今年たくさんの喜びが訪れますように!!

このケーキは 12月24日クリスマスイブの日。ミントンハウスでのクリスマスパーティです♪素敵な時間を過ごしました。

意思の疎通

2011年09月30日 | 思いのまま
世の中は便利になったものだ。遠くにいる人と電話があれば 話をすることができる。メールで会話?ができる。会うことよりも そういった媒介を通して通じ合ったと思っている部分がなきにしもあらずだ。それで満足していることも多いような気がする。
でも 最近感じたことは やはり電話は電話でしかない。一つの意思の疎通としての機器であって、それがその人の思いをすべて吐き出しているとは限らない。顔が見えない分、心のわからない部分が伝わらないこともある。

だれかと十分気持ちをわかりあえるためには やはり面と向かって自分の思っていることを伝えるのが一番だと思った。一度 壊れた関係を修復するためには 壊すことの何倍もの力が必要だ。だが、壊したままでいいはずがない。後で後悔するよりも 早い時期に修復することを考えることだ。
なんて 自分を棚に上げて書いている。

わたしは今の生活に感謝している。まさかこんな生活ができるなんて思ってもいなかった。自由にさせていただいていることに本当に本当に感謝している。思いがけず 母のそばで母を見ることもできている。なんというしあわせなことだろう。

その反面 わたしが修復できないものがある。会うことや声を聞くことも パニックになりそうな予感がまだある。平然とした状態で相対できるかどうか 怪しいものだ。意思の疎通が途絶えてしまった今は 自分から事を起こすのが とてもしんどい。でもいつかは 必ず相対しなくてはならないのだろう。

今 とても心配な友人がいる。昨日 会いに行こうかと思った。でも一緒に行こうとした友人と行くのは止めた。もう少し落ち着いてから行こうと。何がどうなって というより、きっとそのときそのときに思ったことを言わずに(相手への思いやりから)胸にためていたことがあるんだね。相手も同じように何度か思ったことを言わずにいて・・・でも 会わないままで腹の底から言わないままで これで終わり って、ほんとにいいのかな。
完璧な人間なんていない。誰しも嫌な部分もあるし、自分と合わない部分もある。自分とすべて合う人を探すのは困難だ。そういう世界で みんなコミュニケーションをとっている。我慢したり辛い気持ちを抱えている人もいるだろう。でも 些細なことで相手の良さを認めてあげると 自分とは合わないというレッテルが剥がれていくことがある。「決めつけ」ていたことが 実は単純な誤解だったりすることもある。それを知るには相手と話さなければわからない。案外、誤解は 周りの人の口から入る尾ひれのついた噂ばなしだったりする。本人に直接聞けばよいものを 周りの人から聞いてそれを鵜呑みにする。鵜呑みにするときは 往々にして 自分がその人にちょっと疑問を感じていたりするときだ。「あぁ やっぱり・・・」とそこで確信する(噂にすぎないのに・・・)。そして相手にそのことを確かめないで決めつける。

わたしもご多分にもれず その傾向がある。生来 話すのが苦手なので さらにその傾向は大きいかもしれない。色々な情報を得ても その信ぴょう性をまずは確かめなければならない。弟がよく言う。憶測で話す そこにいない人の噂話を店でするのは嫌だな と。
女は集まれば いない人の噂話に事欠かない。痛いところを突かれる。
母に言われる。
電話は顔が見えないから、つい荒げた言葉も出てしまうもんだよ。その人ととことん話すのなら 会って顔を見て話すのが一番だよ。相手への思いやりが出るからね。と。

意思の疎通 電話では100%は無理だ。会うことが大事なんだな。

「しあわせだなって思えることが嬉しい」

2010年04月03日 | 思いのまま
今日はね。
先日の3月28日にワンディシェフの店で行われた「藤井よしのぶライブ」の打ち上げがあったんです。
場所は 珈琲..3
しかも今日は珈琲..3定例のライブの日。

数日前から歯茎が痛みだしたわたしは 人前で食べるのが辛いため、今日はどうしようかと悩んでいました。しかも日中はアートマーケットに行ったり来たりで、結構疲れてました。

でも、やっぱり、気になっててくてく歩いていきました。

ちょうど藤井さんが次の曲に入るところだったので、なんなくお店に入ることができました(ラッキー♪)
なんにも知らないわたしは今日がライブ1時間ということもわからず・・・藤井さんが数曲歌い終わった8時過ぎ。マスターが飲み物を配布~。
「今日は1時間で繰り上げ、先日の打ち上げをします。」と。
すかさずIさんが持ち込んだビールをみなさんに出し、またまたIさんが持ち込んだホルモンの煮込みを出し、チャーシューを出し・・・宴会モード突入?(笑)
そのうち Iさんのリクエストで M氏のギターと歌で聞きたいのがあると。
「酒と泪と男と女」早速ギターを取り出して そこから始まりましたよ、うたごえ世界が。

かぐや姫はあるわ、チューリップはあるわ、小椋桂はあるわ・・・往年の記念すべき歌がぞろぞろ。みなさん喜んで歌ってました。一番感激したのはリクエストしたIさんでしょう。
最後は 藤井さんの「星を見て帰ろう」をみんなで歌いました。
おっと まだ名残惜しくて 「手のひらを太陽に」まで歌っちゃいました!
もううたごえモード全開です(笑)

途中で、うたごえ常連のCさんが
「しあわせだなぁ。こんなにしあわせでいいのかしら・・・」と言いました。
Cさんはこの頃とっても素敵になっていってるのがわかります。きっと毎日の喜びが体に溢れているからなのでしょう。わたしが知り合った頃よりずっと素敵です。これもワンディシェフの店から始まったことなんだなと思います。
人と人のつながりは 求めている人にはしっかりとつながり、何もない人には 切れたままなのだと思います。きっとCさんにしても Iさんにしても、自分から何かを求めていたから 今の素敵な姿があるのだなと思っています。
そして そういう人たちと知り合えているわたしって なんてしあわせなんだろうなと思うのです。

準備してくださった珈琲..3のマスター お疲れ様でした。おばさまたちを相手にするのは大変だったでしょう(笑)
そうそう、先日の20日にあった珈琲..3のうたごえの時に来てくれた若者カップルが今日も来てくれていました。嬉しかったです。ふたりともとても楽しそうな感じで最後までいてくれたのが印象的でした。何か伝わったものがあったのでしょうか。若者がどんどん街で動いてくれたらなぁ。。。

そうそう。もうひとつ。
打ち上げの最初に 乾杯の音頭をしてくださいとマスターの方から Mさんが言われ、彼が言った言葉。
「ワンディシェフの店だけでなく、大館という地域を活性していくためにこれからも頑張りたいのです。」
ほぉ~。
君はすでに羽ばたいているのか・・・といった親心ですかね(笑)、Iさんがしきりに育て方がどうのこうのと言ってましたが、彼はしっかり前を見据えていますよ。これからが楽しみなMさんです。

帰り道、KIMIKOさんに送られ みんなご機嫌♪
「ワンディで 今度は Mさん(ライブをやった方)にもやってもらいたいよねー」とIさんが言うと、
「わたしは もう一回藤井さんにやってもらいたいなぁ」と言う方も。
珈琲..3には わたしたちの知らない素敵なミュージシャンが集まっています。今まで全然知らなかったので、遅ればせながら(笑)素敵な方たちとどんどん知り合えていけたらなぁと思っています。みなさん 仕事を持ちながらの音楽活動。すごいなと思います。
オリジナルの歌を聞くと それぞれのカラーがあって、そのカラーの違いがまた楽しいライブです。
そうそう、Mさんがマスターのギターを持ちだして Mさん(ライブをやった方)と藤井さんのギターに入りました。ガンガン鳴らしたのですが、お二人ともちっとも嫌な顔をされず、温かく受け入れてくれたことに おばさまたちは いたく感激しましたよ。懐が大きい方ばかりなんだなと。

帰り路、おばさまたちのおしゃべり。
「Mくん 嬉しそうだったな。」
「ギターの上手い人たちに交じっているのが本当に楽しくて仕方がないって感じだったよね。」
「母乳の育て方が良かったんだよ(・・・って これは言ったかどうか定かではない)」
「あー良かった!!」(全員賛成!!!)


※ 画像は先日の藤井よしのぶライブのリハーサルです。※