心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ちょっと行ってきます

2015年02月25日 | ほんのすこし
今日からちょっと出かけてきます。
といっても 楽しい旅行とかではないのですが・・・

スマホからアップできればいいなと思っていますが。
それにしても どこかへ行くとなると、地元の気温との差で服装に悩みますね。持っていくものも どれが必要でどれが不必要なのか さっぱりわからず、日ごろからお出かけすることがない私には こういうときに悩みがぐっとアップします(笑)
まぁ 最低必要な物を忘れないようにしたいと思って昨夜は寝ましたが、ずいぶん早くに目がさめ 布団の中であれはこれはと考えていました。
以前 娘に東京なんてだれも他の人の服装なんて気にとめないから 別にどんな服装でもいいんだよというようなことを言われましたが、それでも寒いのか暑いのか コートは厚いのがいいのか それとも・・・と思うと頭がこんがらがってしまい、テンパっています。

ペラペラの薄手のコートを出してきて羽織って まさかこれはないよな・・・とか。
ちょっと厚手のコートを羽織って これは下に着る物を選ぶしなぁ・・・とか。
なんだかんだと 女性は見かけにとらわれるってことか(笑)
そのうえ 花粉症が出てしまい昨日からまたまた鼻水攻撃に合っています。鼻炎カプセル忘れないようにしなくちゃ。
そんな慌てた状態で行ってきます。今回は 座席がゆったりした時間を選び、体に負担がないようにと思っています。一番いいのは空の便ですが、行ってからの連絡が未知のため、いつものコースで。

ではでは。

ようやく額縁を購入しました♪

2015年02月22日 | 母のこと
ずっとずぅっと 買わなくちゃって思っていたものがあります。
それは額縁。
母のアクリル画は今まで100円ショップで何百円とかの額を買ったりしてサイズが合うものを使ったり、隙間を何かで埋めたり(母が工夫して使っていました)していましたが、F3サイズの絵が何枚かありましたので、ぜひきちんとした額に入れてあげたいと思っていたのです。
そして わたしの息子が以前帰省したときに雨が続き どこへも行けなかったら母のところに連れて言った時に、母が
「わたしにお前の絵を描いてほしい」と頼んでスケッチ帳を出してきて描いてもらったイラストがあるのです。それもいつかきちんとした額に納めなくては!と思っていたのです。
それからずいぶん経ってしまいましたが、ようやくネットで額縁専門店を探し見比べて 注文してみました。

母のところに直接届くようにして、指定時間にはわたしもいるようにして・・・わくわくしていました。母は 何も高いものを買わなくても・・・と自分の分は思っていたようですが。それでも これまでの額とは違うものが届くだろうという期待感はあったようです♪
わたしが荷物をほどいていると
「何もそんなでこぼこの処で開けなくても コタツの上で開ければいいだろ」
と すでに上にあれこれを片付けていて(笑) その上を指差しました。わたしはちょっと笑いながら額をその上で広げ、スケッチ帳から息子の絵を切り抜き、台紙に固定し収めました。
「うん やっぱりいいなあ。額に入るとまた全然違う!」
と母がご機嫌な声で言います。わたしも大満足。
次は 母の額です。広げていると
「これは とっておいたらいいよ。これに合うようないいものを描いたときに使うから」
というので まぁまぁとなだめて これまで描いた中のF3サイズの数点から選び 近作の花を入れました。



額に納めず むき出しのまま飾っていましたが、やっぱり額に入った方が数段いいです。母も思っていた以上に良かったみたいで どこに置くかわくわくしながらあっちに置いてみて いや そっちの方がいいかもしれないとわたしに指示(笑)
息子の絵と 母の絵が一緒に並んで それはそれでまたいいなと思いながら見ています。
額に入れるって 絵を大事にしている気分を味わえますね。

お~い

2015年02月18日 | 朝のことば&つぶやき
自分ではない 誰か
ここではない どこか
呼び続けているのは わたし?

ときどき めったにないときどき
この日常が 急に色あせたように見えて
居心地の悪さを感じる

そんなときは
思い切り 空に向かって
叫んでみるといい

おお~い

声を出すのが恥ずかしいなら
自分のココロに
問うて見よ

自分はここで何をしたいのかと

おお~い

やまびこは同じ言葉を返すけど
ココロの声には 違う言葉が
戻ってくるだろう

おお~い

まだまだココロは折れていないよ
今日があること それがありがたい

※※※

心配のタネは持たない 希望のタネを持とう
そんな気持ちの今朝

※※※

バレンタインだって

2015年02月14日 | 母のこと
今日、温泉でね。
脱衣所で母の知り合いが
「来年までに男を見付けなくちゃ」って。そして
「チョコ貰わなくちゃ」って。
私思わず
「チョコ貰うんじゃなくてあげるんじゃないの?」
母が
「みんなで来年までに見付けるかあ。でも来年までにうちらがいなかったりして」
と笑って言った。
そうか、その人はバレンタインって男性からチョコを貰える日だと思っていたのね。
80過ぎてもなんだかうきうき出来るイベントってなかなかないと思うよ。来年は、私も参加出来るように見付けるかあ、なんてね♪

ほほえましいと言われ

2015年02月13日 | 母のこと
先日 温泉にて。
母は先に上がり ゆっくりと着替えをする。その時間たるや他の人の倍以上はかかる。わたしはお風呂道具とかを片付け 母の背中に軟膏を塗ってあげるとまた温泉の中に戻って体を温める。
それがいつものわたしたち。
母のところから温泉内に戻って 椅子に腰かけていたとき 隣に最近見かける体格の良い女性が座った。目のぱっちりした方だ。その方が 思いがけず話しかけてきた。
「お姑さんですか?お母さん?」と。
「あ、母です」
「そうですか・・・なんかいつも仲が良くて、羨ましいなと思って」
「あら そうですかぁ」と笑って答えると
「そうなんですよ。お母さんと話しているとほほえましくて ついいいなあって見てしまうんですよ」
「あなたのお母さんはご健在ですか?」
「86歳で 弟夫婦と暮らしているんですけどね。前は温泉にも来れたんだけど、今は外を歩くにもひとりでは歩かせられないぐらいになってしまって・・・おたくは一緒に来れるものねぇ」
「一緒に来るけど 温泉の中でも歩くのは大変そうで、それでもここに来ると知り合いもいるし楽しみにしてるみたいですよ」
「あなたのお母さん 優しそうだものね」
「あら そうですか!(笑ながら)わたしの父も母も静かに話すので 荒げた声で話すことがなかったから、そんな雰囲気に見えるのかもしれないなぁ」
「ほら わたしなんか この体格でしょ。声が大きくて・・・」

声が大きいと怒ってるように思われてしまうのかなとふと思った。ちょっと寂しそうな顔で言ったその人が 思いついたように
「でも 病院につれていくときだけは弟じゃなくてわたしに連れていってくれって母が頼むんですよ」
「そうそう、男の人は女性の気持ちがわからないから困るって 弟が連れていってたときにわたしの母もこぼしてました!」
ふたりで思いだしたように笑い合った。

「それにしても 本当におたくさんたちはほほえましいわ。見てるほうが気持ちいいですよ」
と その人が繰り返すのを照れながら聞いていた。

帰りがけ 車の中で 優しそうなお母さんだって言われたことを話すと、
「実は 前にも他の人に言われたことがあってね」
「え?そうだったの?」
「お前と隣同士で なんか夢を見た話をしていてお前がずっと聞いていた時のことだよ。お前の隣に座っていた人がお前がサウナに行った後で話しかけてきてね」
「なんて?」
「優しい雰囲気で 何気なく聞いてしまったけど、なんだかその雰囲気が良くてずっと聞いていたくなったって。母さんが優しいからでしょって言われたんだよ」
「あらぁ 良かったじゃないの なんで教えてくれなかったの?」
「だって・・・ほら・・・自分のこと言われたからなぁ・・・お前のことじゃないし・・・」
あらあら 遠慮しちゃって(笑)

母は自分の顔が好きじゃないらしい。皺だらけで嫌だと言う。でも母の顔を見ると 結構みんな笑顔であいさつする。相手と目が合った時にニコッとするその顔がいいんだと思う。年を取るとその人となりが顔に現れると言うが、良い感じで年を取っている母だと思うことがこの頃 よくあるのは娘にとってすごく嬉しいことだ。

※※※

10年前のカラー粘土にはまっていた頃の 小人ちゃんのひとり。

※※※

楽しいことばかりじゃない

2015年02月12日 | 朝のことば&つぶやき
世の中 生きていれば楽しいことばかりじゃない
うんと ずんと 谷間に落ち込んで
もう這い上がれないんじゃないかと思えるような
そんな事態になって
これじゃ生きていたって しょうがないって
そのくらい思ったとしても
生きててなんぼのものでしょ

自分の人生 自分のもの
自分が変えていかなきゃ誰が変えるっていうの
誰かに変えてもらおうなんて
そんな姑息な気持ちは
いつかまた谷底に落ちたときに
這い上がる気力をどこかに捨て去ってしまうよ

世の中 楽しいことばかりじゃない
いつもあははうふふと笑って過ごせるわけじゃない
でも 笑おうと思えば
どんなことにだって笑える
楽しいって思える
みんな 自分の心の中から変えるしかないんだ

そんな自分への叱咤激励忘れない

※※※

『IN THE LONELY HOUR』SAM SMITH を聴く。I'm not the only one・・・、Stay with me・・・、
サム・スミス グラミー賞。部屋でゆっくり聴くと彼の声が不思議な心地よさを漂わせていくのがわかる。

※※※

杉の樹はまっすぐなのに・・・

2015年02月12日 | 母のこと
母のアクリル画、最近二作目。これは写し方で暗くなってしまっているけど。
白黒で描いてみたいと話していた次の日、部屋に入ったら目に飛び込んできた。
おっ早速 描いてみたんだな・・・

母は知らぬふりで『ごきげんよう』を見ている。小堺一機が司会をしている番組だ。いつ見ても面白い。番組が終わるのを見計らって
「出来たんだね!すごくいいよ」と言うと
「う~ん なんだかなぁ」とちょっともったいぶった顔で言うので
「何?どこが不満?」と聞いた。
「ほら、あの杉の木」と左側に黒く目立つ木を指した。
「あれ?あれがまたいいじゃないの」というと
「杉の木はまっすぐなんだよ。まっすぐに伸びていくものなんだよ。あれじゃ曲がってしまってるだろ?」
・・・「でも まっすぐじゃない杉の木があってもいいんじゃないの?母さんの杉の木はちょっと曲がってるってことで」と答えると 
「そうかな」と首をかしげた。
「また 修正する気でいるんでしょ。これはこのままでいいんじゃないの?新しく別の杉の木がまっすぐなのを描いてみれば?」と勧めた。

どうもまっすぐでないのが 気になるらしい。
直すと今の雰囲気が壊れてしまうような気がして わたしは勧めなかった。はたして彼女は 修正するのだろうか?(笑)

でも 白黒で描くのもいいなと自分でも思っているらしい。

杉の木 やっぱりまっすぐに伸びるんだよね、ホントは(笑)

野菜を取る

2015年02月11日 | ほんのすこし
朝はなるべく野菜を取るようにしている。生野菜が多い。というのも母には生野菜はあまりよくないらしく、茹でた野菜の方がいいと先日の病院で言われたから 極力 生の形で野菜を与えるのは止めようと思っているのだ。それまでトマトも生で食べていたが、トマトもできるなら火を通した方がよいと言われた。それには母もちょっとがっかり。トマト好きなのだ。
というわけで 朝食はそれぞれ食べるので、わたしが生野菜を率先して食べようと思うのは朝食が多い。夕食はどうしても母の食事の好み(柔らかめとか火を通すとか)の料理になってしまうから。夕食の料理は煮込み料理のポトフまがいのものがこの冬は多く 柔らかく煮込まれた野菜やお肉をとても気に入ってくれている。イモ類が好きな母は 煮込みの中にジャガイモやサツマイモが入っているとご飯の量を減らして食べているようだ。母も自分なりに食事の量を考え 栄養が偏らないようにと思っているらしい。それでもリュウマチで足に痛みがある母は歩くこともままならないから 体重は少しずつ増えてきている。そこがとても気になっているようだ。

野菜は多く取るようにと思って あれこれ使ってはいるけど、急いでいるときはこの冬はキャベツが定番になってしまった。千切りのキャベツだけのときもあれば それにソーセージとか竹輪が入ったり、スライサーで薄く切ったニンジンが入ったり、それをにんにくオリーブオイルで炒め煮。味付けは そのときどきで色々。
キャベツたっぷり食べれるし、残ったときはそれを使っておじやにして食べる。
そんな感じで野菜不足になりやすい冬を乗り越えていかなくてはと思ってる。

最初に戻ろう。なんでいつも脱線するのだろうね。
そういうわけで(笑)わたしが生野菜を取るのは朝食が多い。今日はキクイモとレタス、新玉ねぎ ラディッシュ ベビーリーフ セロリをスライス。トマトはリコピンがたっぷり入ってるという文句につられて購入したが、あながち間違っていないと思えるほどの赤いトマトだ。横に3ミリ程度にスライスして上に並べた。トマトの形をしているところがなんとなく気にいって。夏になったら 大きなトマトをくりぬいてゼリー寄せを入れてもいいだろうなとふと思った。
ゼリー寄せといえば 弟を思い出す。
弟は料理にこだわった。ゼリー寄せを作るのに 中に入れる野菜一つ一つを手間暇かけて仕上げ 型に入れるときも出来上がりを考え どんな順番で入れたら綺麗に見えるかにこだわった。入れる分量も考え、隙間に入るスープの量が多くもなく少なくもなく・・・本当に綺麗だった。
たぶん わたしは出来ないだろう。弟が作ったようにはね。
わたしが作るぞんざいな物を見ながら 弟の作った物を思い出す それがいいのだと思う・・・そんな夏の一シーンが目の前に浮かんできた。

今朝は徹底して 野菜だ。
生野菜然り。
オムレツだって 野菜入りだ。
ネギと長いも。ネギはみじん切りで長いもはスライサーで薄~く(繊維に直角) ハムの代わりはカニカマで。最近はくるっと回さずに フライパンいっぱいに広げて蒸し状態に。今日のは美味くできた。長いもの口に入れたときのサクッ、その後のとろっとした食感がいい。ほんのりネギの味がする。カニカマは邪魔しない。
トッピングはノリふりかけ。ナイフとフォークを使って食べるとなんだか洋風の朝食っぽい(笑)
今日のは少しふわっとした感じに仕上がったけど、この前のはピザ風にカリッと。これはこれで美味しかった。でも長いもの食感を楽しむなら今日ぐらいの仕上がりがベスト。焼く時間とか 色々検証中なり。


先回の分。これにはブロッコリーとハム・長いもが。

ところが ところが、ここまでうまくいってたのに。
最後の最後で番狂わせが・・・塩パンを焦がしてしまったのだ!
しょうがないので焦げた部分をとりのぞいて中身を食べることに。なんてこった、がっかりしながら全部平らげたわたし♪

母のアクリル画

2015年02月10日 | 母のこと
最近また少しずつ 母がアクリル絵の具に手を出している様子。
手直し 手直しながら 少しずつ描いているようです。

温泉に入り 背中を流しているときや 隣どうしで座っているときなどにも絵の描き方の話になったりします。
いろいろ考えながら どうやったら描きたいように筆を使えるかということや色の出し方など あれこれ悩みは尽きないようです。でもいつでも自分なりに考えながら解消して描き上げているようです。

ひとりで黙々と夢中になって描いているときの母をこっそりのぞいてみたいものです♪

タイトルに惹かれて

2015年02月08日 | ほんのすこし
最近 読書づいていたのですが、今はDVDに興味が・・・
その興味の前に購入して すぐに読み始めた(その前に買っていた本もまだあるのですが)本が二冊。購入順に読めばいいでしょ?って思われるかもしれませんが、わたし どういうわけか買ったときすぐに読まないとなかなか読めずにいることもしばしばなのです。1冊ずつ買っていくのが一番良いのかもしれません。まとめて数冊購入するのがいけないのかなぁ。なのでそのとき買ったなかから一番読みたい あるいは先に読んでしまおうって思う本に手が。
先に購入していた本があるにもかかわらず 書店でつい手が伸びてしまったこの本たち。
なぜ手が伸びたかというと、そのタイトルに惹かれたから。
単純なわたしです(笑)

文庫本は『恋する日本語』小山薫堂 絵ソリマチアキラ
単行本は『パリの国連で夢を食う。』川内有緒著

恋する日本語って どうなの?まずはそれですよ。まぁ日本語に「恋」という文字があるのはわかるけど、そうじゃないんですよね。気宇(きう)・・・って どういう意味?そこから辞書を引かなくてはわからない言葉がこれ以外にもたくさんあり その意味が短いストーリーで生かされている。しかもどの言葉も 恋することに関連づけられていて、なんだかおしゃれなお店でおしゃれな飲み物を口にしているような そんな気分♪
家にいるなら 夜に明かりを落としてキャンドルでもつけて BGMを流しながら、ワインを楽しみながら読む そんな気分♪
装丁も絵も凝っていて 文庫本というより単行本の縮小化という感じがする。
ふだん ほとんど使うことのないであろう言葉の数々に それでいて甘やかな気分になってしまうのは、日本語の深さがあるからだろう。漢字だけでなく ひらがなだけの言葉でも「あえか」なんて使うことないけど、使ってみたくなるじゃない。なんて素敵な、憧れめいた内容の本なのだろう。
〈遠近〉これって〈えんきん〉が普通でしょ?ほらぁ遠近両用メガネとか・・・って 生活感 全然違う(笑)、でも違うの。〈おちこち〉ですって。未来と現在という意味ですって。

あぁ なんてことなのだろう。日本語って深くて美しい・・・そんな気持ちにさせてくれる本。しかも手軽に読めて取り掛かりやすいのです。そっとバッグにしのばせて ベンチに座りながらページを紐解くそんな人の姿も見える気がします。

もう一冊もすぐ読んでしまいました。
国連ってどんな感じなのかなと思って。でも中身を読むと ちょっと違うんですね。それはわたしが今まで抱いていた単純な印象が国連全てではないと思えるものだったからです。それは同時に 人間って面白いなという思いでもありました。彼女が国連に採用され辞めようと決心するまでの5年半のことが書かれていますが、パリでの生活、人間関係 職場が国連という違いはあれど とても親しみが持てるものでした。親しみが持てるとはいえ 彼女とわたしとは全然違う性格で 行動力のある彼女の人生らしいなと思えるエピソードで 内容は敷き詰められています。行動力が小さい頃に比べるとちっともなくなってしまったわたしからすると 彼女の生き方は感嘆となり 憧れにもめいた気持ちがありました。多分 彼女と同じ年齢であっても無理だろうなと。まぁ 人はそれぞれ違いますからね。わたしはわたしなりの人生を送っていく それしかないのですが、ときどきこうした世界に飛び出て暮らしている女性の姿を拝見すると ただただ感嘆の声が出てしまうのです。
彼女は職場以外でもパリを満喫します。そこで出会ったアーティストたちとの交流もまた彼女にとって出会うべくして出会ったのだろうなと思います。ただ定年まで国連で働き年金をもらうだけのためにパリにいるのだったら、出会うこともなかったのだろうなと。もっと違うものを求めていた彼女だからこそ 新しい出会いに遭遇できた。
人はその人生において 求めているときに求めるべくして出会う・・・これはわたしがいつも感じることですが、求めるということは大事なものだと。

夢に向かって とか、未来に向かって とか、自分を解放しどこまで行けるのか その行動力の差は色々あるのでしょうが、どこにいても例えパリでも日本の片隅でも 自分がいるその場所で力いっぱい生きることもまたいいのかなと思います。彼女の人生は波乱に満ちていて これからもきっと世界に足を伸ばしていく人ではないかなと思います。わたしは多分 彼女の行動力に憧れを持ちつつもここに腰を落ち着けて生きて行く。わたしは彼女になれないし 彼女でもない。でも彼女の生きざまからちょっとずつ力をもらって生きていくだろうと思えるのです。
若い方の行動力に触発されるのもまたいいものです♪
そうそう パリの生活 特にアパート暮らしや不動産探しにはびっくりすることばかりでした。行ってみないとわからないものですねぇ。