心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

一週間の始まり

2015年11月30日 | 朝のことば&つぶやき
一週間の始まりを日曜日にするか月曜日にするか、わたしはずぅっと月曜日に。
だって日曜日は最後にとっておきたいもの。

ということで、今日は月曜日。
これから一週間が始まりますね。
といっても変則的なのは今日が11月の最終日で月曜日が最後の日になり、明日の火曜日からは12月に入ります(当たり前ですが)。
もう12月ですよ。2015年の終わりの月に入りますよ。
12月はいつもせわしない気分がつきものですが、年々やることが後回しになってきていて、結局どれも中途半端にしたまま次の年になってしまうということが続いています。しっかりとやり遂げたという達成感がない状態です。
計画性がないからではないかと思っています。行き当たりばったりの過ごし方をしているせいでなんとなく時間が過ぎて行った、そんな日々になってしまっていると感じます。
そんな反省もしつつ、11月最後の日を頭を垂れてしばし瞑想(らしきもの)。

※※※

眠りから覚めたものへ
その夢はどんなであったかと問うても
夢ははかなく
記憶に留まることをせず
覚醒した瞬間に崩れる砂が音をたてずに
頭から消えて行く

たとえ夢の中で泣いていても
目覚めた朝の窓から
一筋の光が見えていたら
涙などどこにもないだろう
頬になごりの後があったとしても

眠りの中の自分は
もうどこにもいない
あるのは
白い湯気の立つカップと
朝を告げる新聞

さあ、現実を生きよう
思い切り深呼吸して
目覚めた喜びを体に入れよう

※※※

最近は文庫本ばかり購入。まだ読み終えていないものばかり。このほかにも友人から借りている単行本二冊。一体いつ読破するのかと思う。読みに入ると夢中になるのだけど、読むまでに行くのに時間がかかるのだ。それでも『その女アレックス』は単行本で出ているときから興味があったので文庫本化されていたので嬉しい。なんといっても文庫本は安いからね。

※※※

あぁ、とうとう雪か

2015年11月29日 | ほんのすこし
今朝はいつもよりずっと寒くて、ぶるぶる状態。
起きて見たらなんと雪が降っているではありませんか。
それでも去年よりはずっと遅い雪です。

午前中、香典を送る用事があって休日でもやっている郵便局の「ゆうゆう窓口」に行きました。行く前にしっかり検索。書留も扱っているか確認しました。日曜日は午前中の営業だとわかりましたので、早めに。
コンタクトを入れて、お化粧は下地とパウダーを少しはたいただけ。口紅とアイブローのみ。ほとんど素顔(笑)
そんな感じで雪の降りしきる中、運転していきました。恐る恐るね。

市内で唯一休日でも開いているそこへ行くと、なんだか人が多いなあと。
窓口は混んでいて、しかも別の方ではいつもは開いていない場所が開いていて。次々と人が入っていきます。なんだろうと思ってみてみると、臨時に開設されたマイナンバー再配達の受付場所でした。
ふ~ん、そうなんだ。
わたしのところにはまだ来ていなかったのです。

で、本来の窓口で用事を足そうと前の方が終わるのを待っていたのですが、そのときに後ろに並んだ列の中に、もしかして同級生? という方がいて、思わずじっと見てしまいました。
でも声をかけようとしたら、その方、マイナンバーの場所に移動してしまいました。
わたしは用を足し、駐車場に向かったのですが、どうにも気になって。車を出して出ようとしたときにその方が来たので窓を開けて声をかけました。
「あのぉ~、もしかして○○さんじゃないですか?」
「えぇ、旧姓はそうですが」
「やっぱり、わたし○○です。高校のとき一緒だった」
「えぇ!」

ということで、出ようとした駐車場で後ろに下がり、雪が少し降る中外に出て彼女としばし歓談。
高校卒業以来、何年経ったのでしょうか。彼女は昔の面影が残っていて、確信したのが声。窓口で待っていたときに他の方とマイナンバーの場所はどこかと話していたその声に聞き覚えがあったのです。
最初、声をかけたときに怪訝な顔をしていた彼女。わたしが誰なのかに気がついたらしく
「あ、え~、なんか違っていて。びっくり。綺麗になったんで。奥さまって感じ」
と言われ、逆にわたしの方がびっくり。そんな風に見えているとは露しらず。
手をぶんぶんと振り
「いやいや、ほら、もうこんなにぶよぶよにふくれてしまったのよ」
「全然、そう見えないわ」
彼女こそ高校時代からスレンダーでそのまま。スリムで変わらない体型に羨ましさを感じながら、そこからしばらく同期会の話に入り、懐かしい時間を堪能。
滅多に会うことのない人と偶然出会った雪の中。寒くてもなんとも暖かいひとときがそこにありました。

でも、滅多に会うことのない人に綺麗になったと言われて、今日はなんだか嬉しいような、鏡を見ては「今日はいつもより化粧ののりが良かったの?」と見てしまったわたしです(といってもほとんど化粧していないに等しかったのですが)。

母がいなかったのです

2015年11月29日 | 母のこと
昨日は朝からずっと変な天気でした。晴れたかと思えば突然あられのようなものが降ったり、空が暗くなったり、傘を差していてもすぐ晴れたり。天気に翻弄された一日で、暖かいんだか寒いんだかわけのわからない日でした。

母のところから帰るときも(昨日は早めに帰りました)パラパラと雨が降っていましたが、そんなに心配するほどのものじゃないなと思っていました。途中、ユニクロで欲しかったものがあったので寄り、家に戻った頃にはとても暗くて雨もひどくなり。
戻ってテレビをつけたときに、はたと気がついて。
「今日は羽生くんがテレビに出る日じゃないか」と。
母はわかっているのだろうか?
知らないでいると大変だ、と思い電話をしました。

ところが、何度電話しても出ません。あのとき見送りに玄関の外までそろそろと出てきた母です。何があったというのでしょうか。
あまりにも電話に出ないので不安になり、慌てて母のところへ。
外から見ると家の中は真っ暗です。玄関には鍵がかかっています。家に入り寝てるのかとベッドを見てもいない。
それよりも何よりも居間のこたつの上が乱雑で、こんな状態はあの母にはあり得ない!

探しましたよ、あちこち「母さん! どこにいるの?」
外に出ては暗い中、庭に倒れていないかと目を凝らしてみたり。
どこにもいない。
しかも携帯は充電器に差し込まれたまま。どうりで電話に出ないはず。母のところで電話をかけてみたら聞き覚えのあるアメイジング・グレイスが鳴り響いたときにはびっくり。携帯にわたしの名前が出ていましたよ。
まさか連れ去られた? あり得ない、どう考えてもあり得ない。あの母を連れ去る人なんてあり得ない。なんの得にもなりゃしない(ごめん、母さん)。
そう思ったときに、ふと気がついて。
そういえば何日か前にパーマやさんで髪を染めなくちゃならない話をしていたなと。でもまさかこんなひどい天気のときにあの痛む足で行くか?
無い無い、あり得ないと首を振ったもののどこにもいない母のことを思うと、もしかしてと思ったのです。

いつも行く近くのパーマやさんに電話して、わたしが名乗るとちょっと笑って来てますよと。
あぁ、よかった!
でもまだまだ時間がかかるので、帰りは送っていきますから大丈夫ですよと言われ、ホッと胸をなでおろし。コタツの上やらあちこちを直し、夕飯にと買っていたお刺身をお皿に盛りつけ少し残ったお刺身はパックのままにして帰りました。
帰って、さて自分の夕飯を整えようと持ってきたタッパーを開けたら、母用に取り分けた真イカの炒め物がわたしのところに。逆に持ってきていたことに気がついて。
でももうもう一度戻る気力はすでになく。
母が戻った頃に電話。
「真イカの料理、間違えて持ってきたから食べないで。明日持って行って入れ替えるから」
「ちょっと食べたけど固かったよ。どうりで」

今日、間違えたイカを持って行ったのだけど、母が笑って
「昨日、お刺身のマグロ食べたけど、ウニもあるって言ってたけど無いねぇって思ったら、今朝みたら皿にあったんだねぇ」
「えっ、あの皿の刺身食べなかったの?」
「うん、パックの方を食べたんだよ」
「えー! わざわざお皿に盛ったのに」
「だって、冷蔵庫開けたときに皿があったけど何か前の残り物が入っているもんだと思ってさ。背が低いから見えないんだよ」
が~ん。一番下の棚に置いたのに、それでも見えないのか。

まぁ、今夜の夕飯のお伴になったらしいけどね。
それにしても昨日は散々だったね。
でも、羽生くんのテレビ番組のことがなかったら、電話をかけて母のところに行く羽目にならなかったんだよね。
パーマやさんに電話して母がいることがわかったので、安心して母のテレビをつけて録画してあげました。
昨日の羽生くんの演技、見逃したら後悔すると思ったけど、間に合って良かったよ。大ファンの母なのにどうしてテレビに入る時間にパーマやに行くかなぁ。
しかもあんなひどい天気に。

「行くときは晴れていたんだよ」
そうですか、はいはい。

『生きるぼくら』

2015年11月28日 | ほんのすこし
『生きるぼくら』原田マハ著。
表紙カバーを見た瞬間、手に取っていました。大好きな東山魁夷の絵がカバーになっているなんて!
中身も見ないで買ってしまった? いえいえ原田マハさんの本はこれまでも『楽園のカンヴァス』や『ジヴェルニーの食卓』など読んでいましたので、今度はどんな絵のお話? と興味津々。

そんな気分で手に取ったわたしに彼女がしかけたフェイント。
今度は農業のお話か? なんで? といった疑問符のまま読み始めました。引きこもりだった青年〈人生〉(この名前、最初はなかなか移入できなくて困りました)が、外に出て行き、自分を見直すきっかけが祖母のやってきた自然の米作りだったが、そこに行きつくまでにもいくつか伏線があったり。色々な方との出会いがあったり。登場人物の豊かな描写とまるでドラマを目の前で見ているような感覚は、マハさんの絵画的な魅せ方が文章を通して見えてくる、そんな気がしました。

人物描写って難しいなって思います。どのくらい想像の世界で生き生きと動かせるか、文章表現の巧みさにもよるし、何よりもその人たちに「生きてる」感を与えなくてはならないと感じます。マハさんは最近何度かテレビ番組でキュレーターとしての経験を積んだ作家として解説者として登壇しています。あの作家さんが出ている! って思わず目を皿のようにして彼女の姿を追っていました。はきはきとして淀みなくどんな質問にもドンピシャと答える姿にほれぼれしました。

肝心のこの本ですが、人生が高校時代のいじめから引きこもり状態になって何年もの間、母子家庭だった母が一心不乱で働いてなんとか過ごしていましたが、ある日その母が人生を置いて出ていきます。そこから彼の外へ出ることが始まります。父方の祖母が住む蓼科(たてしな)にようやくたどり着くのですが、そこで触れ合う人々は〈人生〉の心をゆっくりと溶かしていきます。祖母のマーサ、食堂の志乃さんたちの話す言葉のひとつひとつに人生を生きるものへのエールが込められているように思えてきます。
こうしてみると〈人生〉が日々を過ごす中でいただく言葉や自然の豊かさは、それ自体がわたしたちが受け取る人生の醍醐味ではないのかと思えてきます。

原田マハさんが究極のお米作りを題材に選んだというのはこういうことかと読み進むにつれてわかるような気がします。
米作りの場面の中で特に印象的だったのが、米の花が咲く瞬間の描写です。花が咲くのはほんの少しの時間で(30分とか1時間とか)、まるで田んぼが白いふわっとしたものに覆われるという。そのときにはそっとしておくのだとか。まぁそれを知らなかった人生たちが、田んぼに入るのですが。
稲の生長の様子は見事でした。見事なはずです。マハさんは実際に自然農法の体験をしているのです。やはり経験に勝るものはないなと感心しました。

蓼科の静謐な自然が目の前に開けていくような気がしました。湖はまさしく東山魁夷の絵のごとくで、マハさんの得意とするところの絵画的な描写が生き生きと出ていました。現実に見なくても読んでいる者が見ている錯覚に陥るような感覚、それをわたしはマハさんの文章に感じます。

途中から登場する若者がいるのですが、現代っ子という感じで会話に軽い印象を与えているのでしょうけど、最初はここまで崩さなくても、と思ったくらいです。でも後で変わって来る若者の変化が強く感じるためには必要だったのでしょうね。「まじっすか~」かなりくだけた口調の若者が登場しますが、就活していてこの口調が面接で出ないものかと心配になったくらいです(笑)。
そうそう、タイトルの「生きるぼくら」ですが、ちゃんと中に出てきます。最初は会話の中に。そして後にとっておきの場面で重要な言葉として使われていきます。マハさん、やっぱりいいです。

休み休みの読書でしたが、久しぶりに小説を楽しみました♪
原田マハさん、素敵な物語をありがとうございました。読み進めながら自分はまだまだやるべきことをやっていないなと思いました。後半は泣いてばかりでした(笑)

すっかり冷え込んできました

2015年11月27日 | ほんのすこし
日に日に夜中の空気が冷え込んできました。今日はがんがんストーブが赤く燃えています。
まだコタツを出していないので、膝がとても冷たく感じます。そんなんだったらコタツ出しなさい!ってことですけど。どうもコタツを出すのをためらうわたしがいます。

コタツってすごくいいんです。
でもその暖かさにどっぷり染まりすぎる自分が怖いのです(笑)

これ以上動かなくなってブクブク星人になってしまったらどうしようって。
今でもお腹がとんでもないことになってしまっています。
でも、こんなに冷え込んでくると、そろそろやせ我慢も潮時かなあって。

母の庭はすっかり葉っぱも枯れてしまい、裸木ばかりになりました。土の部分にある草たちももう土色になりました。寒々とした色の世界でまだほんのり赤い葉が残っていました。
暗い色の中で、そこだけ赤みがある、その色の存在に嬉しくなりました。

この世界に色がなかったら、どうなっていただろう。色を感じることでどれだけの奇跡があったのだろう。
色を見ることで、心の中にどんな変化が生まれてきたのだろう。
白黒の良さもあります。写真の世界では白黒の美しさもまた素晴らしいものがあります。でも、目の前の世界に色がなかったら…… 想像しただけで寒々としたものを感じます。

目に映る色の変化を楽しめる、そんな世界に生きていることができて本当に良かったなと思います。贅沢な喜びです。
さぁて、これからはダークで、かつ白い世界がやってきます。
生活の中に、庭の赤い葉のような明るさをとりいれて元気に冬を乗り越えていかなくては!

冷え込んだ夜中、すっかり頭が覚醒。
帽子でもかぶって頭を温めてみようかなっと♪

あわれ、撃沈

2015年11月26日 | ほんのすこし
今年、三つのものに挑戦。
一つは以前二度挑戦したもので、応募数も一万点以上、無理無理。それでも応募者全員に来る佳作以上の作品集が見たくて今回も応募。全然箸にも棒にも引っかからなかった。優秀作品を読んでみると自分とは全然違うものがある。わたしってこんなにも想像力に欠けているの? と、がっくりくる。そのくらい天と地の差がある。う~ん、これからも応募できるのか? 枯渇しているんじゃないの?
童話って難しい。短い枚数にまとめるのも難しい。
でも、これも練習になる。
来年も応募できるかどうか、今のところ童話のアイデアちっとも浮かんでこない。

二つ目は期限が昨年より1カ月早まったが、昨年よりも早く仕上げて応募することができた「あきたの文芸」。こちらは昨年と同様の入賞。上の賞にはなれず。当たり前だ、他の人の作品を読んでその凄さにまたまたがっくり。それでも落選している方もいるのだ。だから、取り上げてくださったことに感謝しよう。

三つ目は昨年から出来たというものに挑戦。
こちらは賞金もつくとか。張り切ってみたが、課題がついていてふるさと秋田をテーマにというものだった。昨年の優秀作品を見たら竿灯をテーマにしていた。じゃぁわたしは? 困ってしまった。地元の行事とか地元のことをほとんど知らないではないか。仕方がないので自分が好きなものをテーマにした。
でも小説にするとなると工夫がいる。あれこれ悩み書きあげた。あまり自信はない。当然だ。
結果は落選。当たり前田のこんこんちきだ。

三つのうち二つ、撃沈。
浮かび上がると思ったこと自体、おろかだったのだ。

しばらくは自分のふがいなさにがっくりがっくりきていて、もう書くのは止めようとすら思った。でも、今はまた書き始めている。落選した小説はしっかり読み返し、修正しているところだ。修正してみるとかなりダメダメだったことがわかる。こんな状態でよく応募したなと思えるほどだ。
他にも途中で止めていたものもあるので、続きを考え中。今までは横書きで書いていたが、今度からは全部原稿用紙(ワード)画面に直接書きこんでいくことにした。

等身大のわたしは出てこないが、いつかわたしが歩んだ道を振り返り書くこともあるだろうと思っている。そしてわたしが出会った人々、その魅力を土台にして書いてみたいとも思っている。
また全然違うもの、たとえばトム・ベンジャーは鞄なり、のようなファンタジーものも書きたいと思っている。トムの2は、なかなか進まないが、それでも少しずつ書き始めた。

どうもわたしは浮気性らしい。ひとつのものになかなか専念できない。今年応募したように期限があればやる気に火がつくのだろうが、今のところは応募するものはない。今はとにかく書くこと。浮気性であろうがなかろうが、あっちに書いたり、こっちに書いたり、ワードをフルに生かしてパソコンの中の「my book」のファイルを増やしていくことだ。

あわれ、撃沈
されど、浮上
それを夢見て前に進もう

ふわふわになるんです

2015年11月25日 | ほんのすこし
昨日、料理道具の話をしようと思って書き出したら全然違う方向に行ってしまい、弟の話になっていたことに自分でも「なんてこった」と思ったのでした。

本当は料理道具で、今年見つけたものが優れ物だったって話をしようと。

それがこれ。



この一周り大きいサイズの物を母のところに置いています。あまりにも良かったので、自分のところにも小さいサイズを購入しました。ほとんど母のところで料理するので必要ないとは思いましたが、子どもたちが来たときのためにもいいかと思って。

これは千切りが裏表で切り口のサイズが違うようにスライスされます。わたしはまだ細い方でしか使ったことがないのですが、スライスしてみるとその出来上がりのふわふわ感に本当に驚きます。そのまま生で食べてもいいくらいですが、母には酷なので火を通します。

最近買い物ばかりしているので、ここいらで家にあるものだけで料理をしよう! と思い、母の冷蔵庫を確認しました。野菜も採るし、ヘルシーにしなくては。その課題に応えるべく奮闘(笑)
3パック入りの豆腐がありました。そのうちの1個を重しをして水切り。
長いもが半分残っていました。
おぉ! 今日が期限の薄切りハムがあるではないか!
ほとんど常備しているニンジンも半分使いましょう。

ニンジンをふわふわにスライスして、そのままこの道具で長いももスライス。長いもは細い方を使うと仕上がりはとろろ状態になります。しゃきしゃき感が欲しかったら太い方を使うといいでしょう。
ハムも細く切り、水切りした豆腐も入れて、ボールの中でぐしゃぐしゃに。玉子と片栗粉と小麦粉、軽く塩。最後にごま油を入れてこれまた混ぜます。

テフロン加工のフライパンにそのままスプーンですくって、小さめの形が8個出来ました。表面はカリッと。中身はふたをしてふわっと蒸し状態に。
ヘルシーだと思ったのだけど、どうかな。

全然違いますが、最近はまっているのが、こちら。



柿とモッツアレラチーズの組み合わせ。バジルがあったのでバジルも入れて。生サラミと赤かぶの酢漬けを添えて。
ボジョレー・ヌーボーに合わせてみました。軽くてハーフボトルでしたのでスイスイ飲めました。



ガラスものが大好きなわたしはワイングラスを選ぶのも楽しいのですが、こちらは見るだけ。普段は手ごろなグラスを。割れても構わないって感じで。もっと大きなワイングラスもありますが、洗うのが大変なので結局いつものぶら下がりグラスを使っています。
こう書いてくるとわかる人はわかると思います。わたしの性格が(笑)。
根が本当にずぼら。見た目も中身もずぼらそのもの♪

昨日、母と話していて、ケーキをある職場に持って行くということになり、わたしにその任務が託されたわけです。人数は想像で6人以上かな? と。でも人数がはっきりわからないのでケーキやさんで迷いました。少ないよりは余るぐらいがいいかなと。そこでケーキを選んだのですが、わたしは同じケーキでしかも期間限定の物がいいと思って買っていきました。
母に全部同じケーキを買ってきたと報告すると、唖然とした顔をして
「なんで同じもの? 」
と言うので、
「だって色々あると喧嘩になったら困るし、そんなことになったらめんどくさいでしょ」
「何言ってる、色々あった方がみんなでどれにする? って楽しめるじゃないか」
と言われました。
がっくり。

母はわたしよりずっと女子だわ。その職場は女子だらけ。
わたしの脳は男っぽいのか?
しばらく立ち直れない時間。
母が心配して
「お前のような考えもあるんだねぇ。母さんはみんなでわいわい選ぶのもいいかと思ったんだよ」
とフォローするも、やっぱりわたし、女子じゃないわ。

あぁ、また脱線しちゃいました。

料理道具を見ると思いだすことがある

2015年11月24日 | ほんのすこし
包丁で千切りするのにずっと慣れてきましたが、4年ほど前に見つけたキャベツ千切り用の特大スライサーなるものを生協の宅配で発見してからは、キャベツのみならず他の野菜もそれを使っていました。あの頃はワンディシェフの店のお手伝いをしていましたので、そのスライサーの能力にはとても助かっていました。

今はほとんど使うことがなくなってしまいました。あんな大量のキャベツを使ったり食べたりすることがなくなってしまったからです。それでも小型のスライサーを買ってきて少量の野菜を切るのには便利だなあと思っています。
以前包丁で切っていたときは、どうやったら細く切れるか? ということで練習したりもしましたが、スライサーという便利な物があるとそれに頼ってばかり。おかげですっかり包丁使いは下手っぴぃになっています(いや、こういう表現をすると前はそれなりに包丁使いが上手かったように感じられてしまうが)。

もっと違うフードプロセッサーなるものもあったのですが、それは使いこなせないまま処分してしまいました。たしかフリマに出したような。
道具も様々で、これはと思ったものは長く使えますが、見た目や便利さを歌い文句にして飛びついても使い切れなかったりで全然手をつけずに物置きにしまいこんでしまったものもあります。
そうそう、道具といえば。

2012年の夏、母が腸の手術を終え退院してくると入れ換わるように弟が入院しました。それまで弟はワンディシェフの店でランチを提供したりしていましたので、弟の入院と共にわたしが彼の牛筋カレーのレシピを聞いて作りました。
牛筋を柔らかくするために圧力なべが重宝します。わたしの圧力なべを彼に貸してずっとそのままでした。貸したときに使い方を教えたのですが、どうも説明が十分でなかったようで、牛筋の量が多すぎるからと思った弟は圧力なべを二回に分けて使っていたのでした。二回にわけて使うというのは時間的にロスが多いのですが、弟はわたしが言った通り順守していました。お見舞いに行ったときに牛筋がなべの上までいかなければ多くてもかまわないのだよと告げると、驚いた顔をしていたのを思い出します。

なんというか、真面目すぎる弟でした。
その弟が入院中、わたしに頼んだことは料理の本でした。いつも何かしら料理の本を持って行くと喜んでいました。ノートには何やら書き込みをしていて、チラッと見たらお皿に盛った料理の絵だったり食材や道具の名前が書いてありました。
料理のことばかり考えていたようです。退院したらすぐにでも料理したいと思っていたようです。
でも弟は胃カメラを飲むたび(8回ぐらいも)食事はだめと言われ、いつもがっかりしていました。
「今日も食べられないんだよ」
とやせ細った体で言う姿に、どれだけ苦しい思いをしているのかと思ったものです。母に教えると悲しそうな顔で
「料理を見るのも食べるのも好きなのに止められるなんてねぇ」
と繰り返すのでした。

ちっとも退院許可が下りない弟は業を煮やして先生に直談判し、無理やり?(と私には思えました)退院してしまいました。無理しないで静養する、という但し書き付きですが。すでにお盆近くでした。暑さも最高潮。うだる暑さの中、弟は帰ってくると一日我慢して家にいましたが、次の日には運転して外出していました。先生の言葉なんてちっとも聞いていない弟でした。
戻ってきた弟が車から出してきたのは、新品の料理道具。包丁もありました。レードルもありました。銀色のピカピカのザルとボールやらあれこれ。そのほか沢山の調味料。
一体何をするつもりだったのか。

弟はワンディシェフの店で自分が仕事をする以外はあまり他の人の時に行かなかったのですが、退院してからは毎日お店に顔を出しているようでした。まるで時間を惜しむかのように。
母が
「そんなに行かなくてもいいんじゃないか」
というのを聞いても止めませんでした。
彼にとって最後に自分がいた証を確かめたかったのでしょう。痩せこけて目をぎょろりとして、知らない人が見たらびっくりするような様子。そんな弟をワンディシェフの店のシェフもお客様も優しく受け入れてくれました。皆さん内心では大丈夫かしらと思っていたかもしれません。それでも何も触れずに普段通りの会話をしてくれました。

退院してから二週間、お盆過ぎの涼しさが何もなく暑さがずっと続いていました。苦しかったでしょう。体力もなくなっていたでしょう。それでも入院したままではなく欲しかった料理道具を買い込んで、さあまた頑張るぞと思っていたでしょう。でも私の中では弟がワンディシェフの店のお金の残務整理をしていたということがわかったときに彼は自分が長くないということを知っていた気がするのです。

物置きに行くとあのとき弟が買い込んだ道具が入った箱があります。どうやって使うのか何に使うつもりだったのか、母はまだ処分できないようです。わたしも手をかける気にはなれません。
弟よ、お前はあれを使ってどんな料理をしようと思っていたの?
ラーメンあまり好きじゃなかった母さんが、ラーメンもいいもんだなと言って食べるようになったよ。
食べるたびにお前の作るラーメンをもっと食べてあげればよかったと言ってるよ。
わたしだってお前の作るもの、もっと食べたかったよ。

もう牛筋カレーは作れないよ。

12年目突入♪

2015年11月23日 | ほんのすこし
突入、なんて書くと大げさな感じがしますね。
このブログを開設した2004年11月23日、勤労感謝の日だって今気付きました!
わかりやすい記念日じゃないですか。
それなのに、毎年迎えていた祝日をスルーしていて、感動も何も感じていなかったわたしです。今年はいつになく12年目ということが頭にあって、カレンダーにも書いていたり(笑)
祝!goo開設から12年目、なんて予定表にメモする人いるのかな、わたしぐらいじゃないの?

で、開設から○年目に突入ということを気にして書いているのかなと去年を見たら、反応なし。
その前の年は記念すべき10年ということだからどうかなと思ったら、これまた全然反応なし。
といっても10年目の11月にはもっと大きな出来事が待っていたから、それはそれで良かったということで。人生初の孫が誕生したのでした。

gooにブログを書き始めてから、すでに4017日、今日から12年目に入るわけです。相変わらず内容は惨憺たるものですが、それでも日記代わりに日々のメモを書いて、振り返ると思いだすことがたくさんあり。何も書かないでいると忘れてしまっていたであろうこともここを紐解くとはっきり思い出します。
もしかして突然パソコンがだめになって中身が見れなくなっても、どこかでパソコンをいじることができたら、ここには入ることができます。自分がいた11年間の中身がここには沢山詰まっていて、11年より前のことはおぼろげでもそれから先の日々のことはよく知ることができるという、助かる存在です。

ここで書けないこともまた色々ありますが、そういうことは案外忘れたほうがいいことが多いものです。だから逆にここで書いたことがわたしを奮い立たせているということもあります。いただいたコメントの数々に勇気をもらい、前に進むことができたということもあります。家族との日常やイベントがいかに大事だったかも、今はそばにいない逝ってしまった人たちとの思い出も脳裏に再現することができます。
あのとき選んだこの言葉、わたしが感じた思い、それが沸々と生まれ出てここに書いてきて良かったという嬉しさに包まれます。

ありがとう。
たくさんの言葉にありがとう。
ここを作ってくれた方たちにもありがとう。
わたしと共に過ごしてくださった方たちにもありがとう。
そして何よりも今もそばで一緒にいてくれる母へ、ありがとう。
わたしの病後、一番近くで見守ってくれた母、自分の体のことよりわたしをいつも心配し労をねぎらう言葉をかけてくれる母、その存在がなかったら今のわたしはいなかったかもしれないとさえ思います。

母よ、あなたの娘は何か一つのことを10年継続することがなかなかできませんが、ここだけはこんなにも長く続けることができています。
それもあなたがいてくれたから、あなたとの日々を書きたいと思えたからなのです。
ありがとう。
今日からまた始めます。

そんな思いで今日を迎えました。
そんな11年目最後の昨日、突然なんていうことでしょう、アクシデントそれも最大級のアクシデントがあったのです。
それについてはまた後ほど。
今は12年目突入! 継続する力はまだあり!! という決意表明ということでお開きに♪

初雪

2015年11月23日 | ほんのすこし
山には前から雪が降ったと思いますが、地面に降る雪を見たのは今朝が今年初めてです。
ずいぶん今朝は冷え込んでいるなあと思いながらゴミ出しの準備をしていました。カーテンを開けたときに「?」と。もしかして…… と外を見ると、ちらほらと白いものが。

やっぱり。
この寒さは尋常じゃない(笑)

ストーブががんがん鳴っている。寒いじゃないか! って。

ゴミを出していると足元に小さな白い雪がどんどん降りてくる。
記念にパチリ。毎年のことなのに記念にって…… わたしも暇だね(笑)

テレビをつけたら今日は「小雪(しょうせつ)」だって。
そっか、ちゃんと空もわかって雪を降らしてくれたのか。
でもね、困るのよ。
だって、まだタイヤ交換していないの。
今週は行こうって思っていたところなのに。
この雪、積もらないでほしいな。

まだ雪はほしくない。
どうせこれからたくさん見るだろうから。
雪国って名前だけはいいけど、住む人には過酷な現実が待っている。雪の多い少ないで一喜一憂。
あぁ今年の雪はどんだけ降るのかしら。

部屋が暖まるまでまだ時間がかかりそう。寒いのでますます体をまるめてしまいます。