心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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今朝のつぶやき

2022年12月10日 | ほんのすこし

なぜか大掃除とか全然考えられなくて、ちょこちょこと気がついたところだけをササッと(笑)。

母がよく「玄関だけはいつも綺麗にしておくように。誰がいつ来てもいいように。」と言っていたことを思い出す。玄関に飾るものとか、鉢植えとか、絵とか、わたしが無造作に置いていると、必ずあとで位置が違っている。

「ははぁ~ん、母さん、動かしたな」と見るのだけど、たいてい母が位置移動させたのや、置くのをやめたのを見ると、それがピッタリ玄関に合っている。美的センスは母の方があるようだ。玄関を開けたときと家の中で玄関を見たときの綺麗さがどう置けばよく見えるか、それを考えながらものを配置するべきだと言う。確かに・・・

「ものは沢山置いたからっていいもんじゃないよ。少ない方が見栄えがいいんだ」

それも確かに。好きだからといってあれもこれもと飾っているとゴチャゴチャした印象を与える。好きだったら、日を改めて順番に置き換えすればいいだけの話だ。

それでも、自分で描いた絵が気に入ったりすると、つい二枚とも置いてしまったり。夜中にトイレに降りてきたときに、玄関を見て、やっぱり一枚の方が存在感があるよなあ、母さんの言うことは正しい、と頭を振り振りベッドに戻る。朝、目覚めたら即一枚を撤去(笑) 夜中にしないのは寒くてそれどころじゃないから。

今年はなんでかな、すごく寒く感じる。ひとりだからなのか、ストーブがちっとも暖かく感じなくて、特に足元が寒い。だからソファに座っているときはブランケットを腰から下に巻いたりして寒さをしのいでる。本来暑がりのわたし、足がすっかり暖まるとしばらくは大丈夫だし、ベッドでも足が暖かすぎると足だけ出して寝ていたりする。そんな暑がりなのに、足が冷たいって・・・今年の冬はまずいぞ。寒すぎるんじゃないか?

迫り来る雪で溢れる冬将軍に今からびびりまくっているのだ。

 


秋がどこか懐かしく思える

2022年12月02日 | ほんのすこし

雪が降ってから一日過ぎただけだというのに、落葉の赤や黄色が懐かしく思えてしまう。今年は秋を感じることがあまりできなかった。いつもの場所に紅葉を探しに行ったけど、すでに遅し、だった。来年は少し前倒しにしてドライブがてら近隣の町まで足を伸ばしてみてもいいなと思えた。

ずっと、ひとりで、広くなった空間で過ごしてきたけど、あんなに広く感じたこともだんだん体や意識が慣れてきた気がする。それでも、リビングのあちこちを見ると、いたはずの人のことを思い出さずにはいられない。「物」というのは、その姿以上にそれがあることの意味を与える。店先に置かれていたときには物としての存在であったのが、手元にあると、それを愛でた人や時間が備わってくる。同じ物でも、置かれた状況(違う家や場所)によって、「物」としての意味が全然違ってくる。

この家にある「物」にはそれを愛でてきた人の姿や表情、笑顔が見え隠れする。そんな物に囲まれて、今、寂しさとどこか満たされていく懐かしさを味わっている。少しこの生活に慣れてきたのだなと思う。眠れる時間も増えた。

でも、ふとした時に「物」に触れたであろうその人を思い出す。二度と見ることができないと再確認する。

まだ泣いてしまう。「物」はあるのに、それを愛でた人はもういないのだ。残された人は「物」だけなのに、それ以上の付加価値をそこにつけて思い出にする。でもそれもいつかは記憶の中にしまい、物として扱わなくてはいけないだろうな。

だから、わたしは少しずつ自分のことを思い出させる物を処分していかねば、と思ってしまう。わたしという存在がまるでどこにもありはしなかったのだと思ってくれるように、できれば煙のように消えていけたらな。そんなことをついつい考えてしまう自分がいる。まあ、考えるだけでちっとも自分の分の処分は進まないのだけどね。

BGMはジョン。バティステ。最近、Amazon musicで見つけた。パソコンからもスマホからもBOSEのスピーカーに接続できるので、テレビを見る時間が少なくなった。音楽はいいな、気持ちが満たされる・・・

 

 


積もるかも

2022年12月01日 | ほんのすこし

初雪は案外すぐ消えてしまったりするのだけど、今回は積もるかも・・・と思わせるほどの雪の降り方。

裏庭に続く大きな窓の向こうでは、雪の結晶が2センチのほどの大きさにまとまって、辺り一面に降ってくる。間断なく音も無く、空から地面へと、それは決して下から上へとは降らないのだという自然の摂理のままで。

雪の軽さは音を感じさせない。雨がその存在を思い出させるのは屋根や窓を打つ音だが、雪はほとんど音を感じさせない。まれに吹雪のときには風の音が雪の存在を強く見せつけるけど。

ただ黙って、降っては地面に到着しながらも白さをそのまま見せているものもあれば、地面に着いてしばらくすると消えかかるものもあり。それにしても、この音のない動線はなんと言えばいいのだろう。時折、ゆるく風が入ると少し動線が右左にずれることもあるが、今日の雪はほとんど流れを変えず、その落ち方が上から決められているかのごとく、早いスピードで降りている。

じっと見ていると時間を忘れてしまいそうになる。

きっと明日の朝は積もっているだろう。

裏庭の冬囲い、かなり前にやっていたのだけど、今日、雪が降って気がついた。ブルーベリー! 囲うのを後回しにしていたのだった! 鮮やかな赤に変わっていく葉っぱの見事さに惚れ惚れして、まだ背丈もそんなに伸びていないのに、なんて可愛いんだ、お前達は・・・なんて長閑な気分で眺めていたのだ。

あぁ、なんてことだろう、すっぽりと白い雪を被ってしまっている。朝にはこんなに積もるとは思っていなくて、晴れたら最後の冬囲いをしてあげるからねとつぶやいていた。予想が大幅にずれてしまった。他の冬囲いはとっくに終えていたのに。明日、どうかブルーベリーの冬囲いができますように・・・

ブルーベリー、母がとても大事にしていたから、絶対枯らしちゃだめだから。

※※※

画像は裏庭とは違う場所

 


初雪!

2022年12月01日 | ほんのすこし

今朝、いつもより寒いなと思いながら、階下に降りてきた。まずはストーブのスイッチを。

部屋の温度が14度。寒いわけだ。カーテンを開ける。大きなカーテンを開けると部屋に明るさが戻る。開けた先に見えたのは・・・白いもの。

狭い庭に寒い中でも咲いていた小菊やビーダンスが みんな雪を被っていた。

いつもだったら、初雪といってもチラホラと舞い散ってくる感じなのに、これは・・・本格的になるのか?

急にがくんとモチベーションが下がる。ベッドであれこれ片付けの計画を練っていた自分が、すでに消えていた。暖房があるといっても、車庫の上の物置までは届かない。そう、今日はいよいよ広い物置に手をつけようかと思っていたのだ。

この白さを見てしまっては、春まで無理かな(笑)。ずいぶん諦めが早すぎるわたしだ。冬になると、やっぱり行動範囲は狭くなる。暖かさから離れるなんて、考えられない。

先日、最後のウォーキングをした。ご近所さんがちょうど行くところだったので、その方のウォーキングに半分付き合った。半分というのはわたしの倍の距離をいつも歩いていると聞いたから、自分はまだまだ無理だなと最初から決めたのだ。それで正解だった。

というのも、前日の雨の影響で河川敷の舗道はあちこち泥を見せていて、話ながら早足をしていたら、ズルッと滑って大きく転んでしまったのだ。最初の辺りだったので、すぐ戻るというわけにもいかず、両膝の泥を払って歩き続けた。途中、半分まで来て、彼女と別れ、戻ってきた。

泥のついたジーンズをすぐ洗った。よく見たら、膝の皮がめくれて血が流れていた。まさかここまでとは思っていなかったので、びっくり。すぐに消毒し軟膏を塗っておいた。

次の日、それだけかと思っていたのだけど、どうも股関節に違和感が。ときどき何かの拍子に痛みが走る。転んだときに何かあったか?

だからというわけでもないが、その日から天気が芳しくなく、寒さも厳しくなった。ということで、わたしのウォーキングは転んだ日で終了。後は家の中で軽い昇降運動をすることにした。春になるまで冬眠クマ状態で決まりだな。

雪が降って一気に冬モード。後は去年みたく沢山降り積もらないことを祈るのみ!

さて、今朝、ベッドで考えていたこと。よくよく考えたら、自分の人生あと何年あるか。なんとなく暮らしていたけど、一日一日が終わりに近づいているってことなんだなと。やりたいと思ったこと、やれること、何があるかと。しばらく何も手つかずでダラダラと過ごしていた自分だが、今でもやれることはあるんじゃないか?と思えてきた。

それにしても、寒い!家全体がまだ寒さに慣れていないようだ。